アプリが起動すると、スマホから光が溢れ、海未を包み込んだ。光はまるでリボンのように海未の身体を包み込み、彼女の衣服を形作っていく。それは長い年月を経て編み出された戦闘衣。神樹の力を束ねて作られたその衣装は、纏うだけで身体技能を格段に上昇させるだけでなく、神の加護を受けることが出来る。
人の身には大きすぎる神の力を、適切に制御する『勇者システム』を介して、人類がバーテックスに対抗するために作り上げた武具。
海未を包んでいた光が弾けると、青い和装に身を包み、銀色の弓を手にしていた。
変化した自らの衣装を確認する間もなく、海未は改めてバーテックスのいる方向を見た。神樹の力によって強化された身体技能の中には、五感も含まれている。
生身ではぼんやりと見えるだけの距離であっても、神樹の力を得た今ならばはっきりと見ることが出来る。
近いな、と海未は思った。
樹海化が起こる条件は、神樹がバーテックスを探知することだ。
神樹の探知限界は、一般的に首都圏と呼ばれるエリアだと言われている。現実世界と樹海では、空間的、時間的な繋がりはそれほど意味をなさない。しかし、樹海化時の神樹とバーテックスの距離は、探知した距離によって変化する。
今回の襲撃はかなり奥まで入り込まれてから探知したということなのだろう。
距離にして十キロは離れているであろうバーテックスを見つめると、海未はぐっと足に力を込めて跳んだ。通常の跳躍力では絶対に不可能な高さへと一瞬で舞い上がり、木の根から木の根を飛び移りながら、数キロを超える距離を駆け抜けた。
ある程度の距離を詰めた後、海未は周辺でひと際高い木の根へと降り立つと、改めて敵の姿を確認した。
敵の外見はのような長い脚に黒い金属性の光沢を放つ外殻を持ったクモのような姿をしていた。まだ数キロはあるというのに、その大きさは人間など足先程度でしかないであろうことは察することができる。
初めて対峙することになるバーテックスの姿を目にすると、六年前の光景が蘇り、本能的な恐怖が海未を襲う。
実際に対峙してみると、姉や他の勇者たちはこのようなものと戦っていたのかと、改めて思い知らされた。
海未は深く息を吸込み敵を見据えると震える手でゆっくりと弓を構えた。彼女が構えた弓には弦がなく、それどころか弓矢さえ持ってはいない。恐怖によって速さを増した鼓動を落ち着かせるように深呼吸して目を閉じた。
余分な情報を排して、心を研ぎ澄まし、意識を内へ内へと向けていく。そうするとやがて不要な音さえ消える。
残るのはこれまでに積み上げてきた戦う術、戦う意味。そして、戦う理由、守りたい者の姿だけだ。
海未が再び目を開けると、もう手の震えは止まっていた。
眼光に意思が宿り、敵を真っ直ぐに捉えて離さない。呼吸を整え、指先に集中する。思い描くのは、破壊の矢。敵を撃ち払う力を宿した光の矢。
銀の弓に光が宿り、弦を描き、矢を
蓄えられた光が膨らんだ瞬間、海未はその力を解き放った。
射法八節。
模範演武のような美しい型から放たれた矢は、周囲の大気を押しのけて、舞っていた花びらを吹き飛ばし、数キロの距離を閃光の速さで進むと、バーテックスに炸裂した。
その瞬間、猛烈な勢いで光が膨らんでゆき、何度か光が瞬いた後、一拍遅れて轟音が響いた。
爆発の余波で舞い上がった土煙が、もうもうと立ちこめ周囲へと広がっていく。
海未は冷静にスマートフォンを取り出して、攻撃の結果を確認する。
願わくばこの一撃で終わって欲しかったが、やはりというか当然のようにスマートフォンの画面には敵を示す光点が表示されたままだった。
程なくして、土煙の中から長い脚が現れ、間を置かず本体の姿も露わになった。身体の一部が吹き飛ばされて尚、ゆっくりと前進を続けるバーテックスに向けて海未は再び弓を向けた。
高い再生能力を持つバーテックスを倒すには
既に吹き飛んだ部分が、発光しながら徐々に復元され始め、このままではそれほどの時間がかからないうちに再生してしまうだろう。
躊躇うこともなく、海未は第二射を放った。
これだけ大きな的であれば、しっかり狙うまでもない。閃光が疾り、大気が揺らいで突風を生んだ。雷のような一撃がバーテックスへと炸裂する寸前、異変が起こった。
バーテックスの黒い外殻が崩れていくように、ぽろぽろと剝がれていくと、海未とバーテックスの間に割り込んだ。
海未の放った第二射は、割り込んだ物体によって阻まれ、命中する寸前で炸裂し、爆炎をまき散らしただけに終わった。
バーテックスの外殻は次々と剥がれ落ち続け、水棲生物のような形に変化すると、大型のバーテックスを守るように辺りに漂い始めた。
確かめるように、それらに向かって数回ほど矢を放ってみたが、海未の予想通り、それらが壁となって本命である大型バーテックスに攻撃が届くことはなかった。
海未は、悔しげに歯噛みをした。
最初の一撃で倒しきれなかったことが、これほど影響すると思ってもみなかった。
周囲に漂う小型種の数は、数えるのも馬鹿らしく思えるほどに増え続けている。
上限がどの程度か分からないが、このまま増え続けていけば、大型のバーテックスが見えなくなるのも時間の問題だった。
小型種に守られながら、なおも前進を続ける大型バーテックスの進路の先には、天をも貫くほどの大樹が聳え立っていた。
これこそが『神樹』と呼ばれる世界を根底から支える存在であり、この樹海もまた、神樹がバーテックスによる破壊から世界を守るために生み出したものだ。
それだけではなく、勇者が身に纏う戦闘衣や武器もまた、神樹の力によって成り立っている。
もしも、この神樹に何かあれば最悪の場合、世界が崩壊するとさえ言われている。
日本には複数の神樹が存在しているが、その全てが絶妙なバランスをもって存在しており、どれ一つとして別な神樹の役割を代替するものではなく、どれか一本であっても失ってはならないものだ。
万が一にもそのような事態を防ぐ為に、勇者と呼ばれる少女たちは幼少の頃より研鑽を積み、修練を重ね続けていた。
混乱を避ける為に、バーテックスや勇者についての情報は、限られた者たちだけしか知らない極秘情報として、秘匿され続けていた。
長い歴史の中で、勇者たちは誰に知られるでもなく、世界を守り続けてきた。
当然、そうした戦いの中で、犠牲になった者も少なくはない。
海未の姉もその一人だ。
誰に誇れるでもなく、誰に語れるでもなく。勇者は影のように世界を守っていた。