サイレンススズカとクリスマスにいちゃいちゃするお話 作:坂水木
サイレンススズカの推す鍋案はお店の時間的都合により立ち消え、動きそうで動かない予定のまま二人は映画館に居座っていた。
「……フウくん、お腹が空いたわ」
「うん、知ってる」
「フウくんは?」
「俺は……まあほら、低燃費だから」
言葉を濁しつつ、風男は苦笑する。
場所は変わらずに映画館。冬空一面に晴天を見せる外とは異なり、館内は暖色系の明かりに包まれていた。とはいっても、映画館というのは意外と暗いもので、映画の紹介をする大きなスクリーンや今後上映される新作のポスターなど、液晶を目立たせるためにわざと暗めに設定されているものである。当然屋外よりも暗い。
また、風男とスズカのいる映画館に限らず、多くの映画館では食べ物の匂いがするものだ。例えばそれはポップコーンであったり、ホットドッグであったり、ソフトドリンクであったり。
スズカがじっと見つめている先は、それら食べ物飲み物のメニューが写真と共に描かれた立て看板であった。
「スズカ、何か食べる?」
自分がお腹減っていないのはいいとしても、担当ウマ娘を飢えさせるのはどうかと思っての言葉だ。ウマ娘には満腹笑顔になってほしい、常宮風男の信条であった。
「いえ、いらないわ。フウくん、実はもう行き先は決めているの」
「え?そうだったの」
「ええ」
「じゃあ何を迷ってたのさ」
「映画を見たいと思って……」
ほんのり羞恥を混ぜて、少女は呟く。
実のところ、夕食を食べないと風男から聞く前の段階で行き先は決めていた。それでもここに留まっていたのは、館内の暖かさとポップコーンの香りと、映画館の雰囲気とが合わさった結果であった。
サイレンススズカというウマ娘は、もともと走ることにしか興味がなかった。走るのが好きで、走るのが大好きで、風を切る音と自分の走る音だけが聞こえる世界。そんな世界を追い求めてトレセン学園にやってきた。
"レース"という、一つの枠に入りルールに狭められた世界はスズカにとって窮屈で、それでも走り続けた先の景色を求めて日々を過ごしていた。
そんな折、現れたのだ。常宮風男という不純物が。
風男はおかしな男だった。ウマ娘に対して当たり前に生身で競走を挑み、当たり前に負け、当たり前に再戦を挑む。小賢しいことに、勝手にハンデを設けて数十メートル先からレースを始めるということも行った。
サイレンススズカの自主練ルートであった道で、風男は負けに負けを続け、それでもなお最高に楽しそうな顔で笑って走り終えていた。五十メートル走(ハンデ三十メートル)とかいう意味不明なレースを作ったのも風男である。もちろんスズカと風男以外の誰も採用していない。
風男と出会い、競走を続けていくうちに少しずつ彼女は変わっていった。最初は無関心だった相手も、気が付けば羨ましく、鬱陶しく、苛立たしく、それでいて幾ばくかの興味と好意を抱くようになっていた。
そんな出会いと時間を重ね、それでもスズカが走ること以外に興味を持つことはあまりなく。転機は二人が怪我をすることになった、一年ほど前の秋であった。
走れないという状況はストレスで、それ以上に自分のために体をボロボロにした相手に報いるにはどうすればいいかわからなくて、わからないから当の怪我人(風男)と相談しながら走り以外を知ることから始めた。
結果、おおよそ一年後の今。
サイレンススズカは走ることが大好きで。映画もドラマも読書もゲームも、人並みに娯楽も好きな普通の少女になった。それら大部分にレースにかかわるあれそれが入っていることは、ちょっとばかし特別とも言えるかもしれないが。
「映画かー。参考までに何を見たかったの?」
「スピリディーマン」
「……ん?え、なんて?」
「スピリディーマンよ」
聞き返す風男に、スズカは語調強く返した。じ、っと淡い茶色の瞳を見つめる。ぱちぱちと瞬きを繰り返す相手の顔が近く、見続けていると頬が熱くなった。そっと目を逸らす。
スズカの心境を知らず、風男は混乱した頭を整理していた。
「スピリディーマン……?スパイダーマンじゃなくて?」
「……ええ、そう。スピリディーマン」
「今やってるんだ……」
「大ヒット上映中よ」
へー、と気の抜けた返事をする。聞いたこともなければ見たこともなかったスピリディーマン。いったいどんな映画だろうか。悩みつつもスズカを信じ、ささっと映画紹介コーナーを見やる。
遠目じゃどんな映画のポスターがあるかわからず、軽くうなりながら顔を引き戻す。
「スズカー、その映画あっちで紹介されてるかな」
「どう、かしら。あると思うけど……行ってみる?」
「うん」
長らく――といっても十分ほどだが――座った映画館のベンチを後にし、スズカと風男はポスターを見に行く。映画を見る予定は今のところない。いつか見るかもしれないが、それは未来の話だ。
数十歩の距離を進み、数人の客が見ているコーナー付近に立つ。近くの客が二人を見てぎょっとしたが、詮無き事だろう。マフラーカップルに敵はいない。
「うわ、本当にあるじゃん」
「ふふっ、言ったでしょう?」
「まさかあるとはなぁ」
風男が手に取ったのは一枚の紙。紙には耳と尻尾を生やしたやたらマッチョな男が走り込む姿が描かれていた。エフェクトが凝っていて、風の演出や残像のような影、地面を蹴り舞う埃など、写真がやたら細部までこだわられている。
「スピリディーマンは悪と戦う正義の走り屋なの」
「ほう」
「不思議な力で無理やりレース場空間に引きずり込むのよ」
「へー」
「レースで勝つと相手はスーパーパワーを失うの」
「うん」
「そして耳と尻尾が生えるのよ」
「えっ」
「ドラマだと前に敵として競走した相手が味方になってチームレースをしたりもするわ」
「ええ……」
超展開じゃん、と呟く風男に、超展開なのよと微笑むスズカ。
少々の興味が出てきてしまい、いつ見たのよと問いかければスズカはふふりと悪戯な笑みを見せる。
こんなところでそんな新しい表情見せないでよ、と思わないでもない風男だったが、ひとまずポスターは一枚もらって鞄の中に丸めて入れておいた。
席を立った流れで、二人は映画館を後にする。青白く光るライトが取り付けられたエスカレーターを下り、建物を出てゆったりと道を進む。
こつりこつりと、杖を突く音が響き、冷たい風が二人の耳を揺らす。
「うー寒い」
「フウくん」
「うん、なに?」
「寒いわ」
「俺も寒いから我慢して」
「……私、こういう時はトレーナーが手を繋いで温めてくれるって本で読んだの」
「……へー」
「一緒にスカーレットとウオッカがいたんだけど、ウオッカは鼻から血を垂らしていて少し困ったわ」
「うわー想像でき過ぎて困る」
「フウくん」
「うん」
「フウくんは手を温めてくれないの?」
歩きながら問われ、若干のからかいが混じった声音に男は柔らかく笑う。
「俺たち、もう手繋いじゃってるからねー」
「ふふっ、そうね」
スズカは満足げに笑って、繋いだ手を弱く振り上げる。風を切って進む腕はぎゅっと結ばれていて、いつ繋いだのか風男にも、スズカにもわからない。
支えるために手を貸すことが当たり前になって、それが必要なくなっても自然と手を繋ぐことは癖になっていて。今でも照れくさいと思うことはあっても、やめようとは思わない。
これがどんな気持ちから出てきているものなのか、スズカにはまだよくわかっていなかった。おおよその推測はできても、なんとなくで答えを出したくはないから。もう少し、このままでいいと思う。
「――そういえばさ」
「ん、なに?」
駅の近くまで戻り、通り過ぎて目的の食事処へ向かう中。風男が話を切り出すかのように声を上げる。
「スズカ、遅れちゃったけどよかったの?」
「よかったわ」
「……でも」
「でもじゃないわ」
風男の声を遮り、スズカは言葉を紡ぐ。力のある声でもなく、声量のある声でもなかった。それでも、風男には話を続ける気が出なかった。スズカの、彼女の瞳がすべてを語っていたから。
「フウくん」
「うん」
「私、走ることが好き」
「知ってるよ」
「レースに参加するのも好きよ」
「それも知ってる」
「だから誰よりも走って走って走り抜けて、最速で勝つの」
「あぁ、そこは一着なのね」
「ふふ、当たり前でしょう?」
「そうかもね」
二人して小さく笑って、過去の勝利を振り返るように前を見据える。視線の先には建物もなく、人の姿もなく、ただただ遠くまで広がる草原と青空が映っていた。
「本当は、もう少し早くレースに復帰できていたと思うわ」
「うん。知ってる。これでも俺、スズカのトレーナーだし」
「……フウくんはトレーナーの前にフウくんでしょう?」
「いやまあ……スズカの中ではそうなってるんだよね。わかった、それでいいよ」
私の中だけじゃないわ、と言い募る少女に男は動揺しながらもこくこくと首を振って頷いた。
「……レースに復帰できて、誰よりも速く駆け抜けて。そのとき」
サイレンススズカは一度言葉を止め、足を止め、風男の顔を見て続けた。
「そのとき、フウくんはどこにいるの?」
どこに、と言われて。真っ直ぐな瞳で見つめられて。
すぐには答えられなかった。
どこにいるのだろう。風男自身はいったいどこに。昔ならば、一緒に走れたあの頃ならば、隣にと言えた。正面でも隣でも、すぐ傍にいると言えた。一緒に走っているから、レースの上じゃなくても、心では一緒に走っていたから。
けれど、今はどうだろう。
支えられている。助けられている。足を引っ張っている。そのことで喧嘩はした。仲直りもした。それでも負い目はある。後ろめたさが完全に消えたわけではない。
かといって後悔はない。自分の行動に間違いはなかったと断言できる。あのときの選択は、何度やり直そうと変えることがないだろうと言い切れる。
スズカが勝利を飾った時、自分がどこにいるのか。
「どこに、か」
呟き、風に靡くスズカの髪を捕まえるように手を伸ばす。そよぐ髪が指の隙間をすり抜けていった。
少し前の自分だったら、何も答えられなかったかもしれない。
風男が未だ薬品の香る病院にいて、他人の力を借りてようやく立つことができる身体だった頃。今の自分が嘘か何かのように、当時はトンと脚が言うことを聞かなかった。
あの頃の自分なら、スズカの問いに何も言えやしなかった。
隣になんていない。傍になんているわけがない。どこにもいない。いるのは病院。心も体も、病院に置き去りだった。
退院して、一人で歩けるようになって。そこでようやくパートナーであるサイレンススズカに心を傾けられるようになった。
体力は戻らず、心も不調でボロボロふらふらな人間をよくもまあ支え続けたものだと、改めてサイレンススズカへの感謝と共に感心を覚える。
病院を退院した頃の自分でも、スズカの問いには上手く答えれなかっただろう。
隣にいない。横にもいない。後ろにもいない。どこにもいやしない。サイレンススズカに支えられ、甘やかされ続けた風男にはもうトレーナーとしての自負がなかったから。出会った当初、ただの友達のような関係でしか――いや、それ以下だっただろう。
少しずつ身体の不調が治っていく中、サイレンススズカは風男よりも大幅に早く復調した。怪我の度合いが違うので当たり前といえば当たり前だが、走れるようになったことで変わったことはたくさんある。例えばそれが風男からのスズカへの負い目であったり、後ろめたさであったり。
もう走れるのに走らない。走ることが本当は誰よりも何よりも大好きなのに、それを我慢しているのはどうしてか。サイレンススズカの友達であり、トレーナーである風男だからこそ、余計にそれは強く思うことであった。
そして、その理由もまたわかってしまうから。
自分のためだ。風男のために、スズカは復帰を遅らせていた。トレーニングはそれなりにしている。それでも復帰は先延ばし先延ばしと。風男のことを思っているだけに、それを否定することなんてできるはずがなかった。
そんな、感謝と苦しみの狭間にいた風男の心を救ったのも、またスズカだった。
誰もいないトレセン学園のコースで。昔は風男が電動機付き自転車に乗るという暴挙を行い、生徒会にめっためたに怒られたコースで(理事長からは許可を取っていたが、理事長共々怒られた)。
晴れやかな空の下、サイレンススズカは一人走った。
2000mの距離を走破し、風男の元に戻ってきて告げたのだ。
『フウくん』
と、名前を呼び。
『どうしてそこにいるの?』
と、コース脇の影に立つ風男に問いかけ。
『フウくんは私の走り抜けた先にいてくれないと困るわ』
と、困ったように、今までと変わらず、本当に変わらずにそう告げたのだ。
らしくもなく一人で抱えて悩んでいた風男は、彼女の言葉を聞いて涙を流し、これまでのことを伝えた。いきなりしゃくりあげて泣き始めたトレーナーに思いっきり動揺したウマ娘のことなどお構いなしに、自分のこと。スズカへの想い。これからのことを伝えた。
だから。
「少し前なら、どこにもいなかったかもしれない。でも――」
だから、
「――今の俺は、ずっとサイレンススズカの先にいるよ」
言って、風男は朗らかに破顔した。