ラストワード   作:やまもとやま

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10、星空

 護が待合室のほうに戻って来ると、担任の沙知がそれに気づいて小走りでやってきた。

 護が病院を訪れていたことを意外に思っていたようだった。

 

「日向君、来ていたのね」

「……」

 

 護は無言で壁にもたれかかった。

 

「ありがとう、嬉しいわ。あ、そうだ、ちょっと待ってて」

 

 沙知は待合室に戻って、またすぐにドリンクを何本か持って駆け戻って来た。

 

「何か飲む?」

 

 護は無言で1つのペットボトルを掴んだ。

 

「月花さんね……肺がんなんですって」

 

 沙知は消沈した声でつぶやくように言った。

 その話は先ほど聞いていたので、護はすでに知っていた。

 

「私、ついさっきまで知らなくて、まさかがんだったなんて」

 

 沙知は自分の身内のことのようにショックを受けていた。護は沙知の様子を不思議そうに見た。

 

「ああ、どうしよう……このまま月花さんとお別れなんて考えられないよ」

 

 沙知は緊急治療室のほうを見て、何度もため息めいたものをついた。

 

「お願い、神様。月花さんを守ってあげて」

 

 沙知は神頼みまでし始めた。

 護は沙知とは対照的に落ち着いた様子で、受け取ったドリンクを飲んだ。

 

「長くないな」

「え?」

 

 沙知は突然言葉を発した護のほうに顔を向けた。

 

「一命をとりとめても、持って1か月だろう」

「ちょ、ちょっと恐ろしいこと言わないでよ」

「肺がんはそういうものだろ。勝手に意識を失い始めたら、もうもたねえよ」

 

 護は真紅が倒れた瞬間のことを思い出しながら、冷静に分析した。

 沙知は何か言い換えそうとしたが、真紅がこのまま完治して学校に復帰するというハッピーエンドの根拠はどこにもなかったので、言葉を呑み込んだ。

 

 そのとき、教頭の先生が待合室の外に出て来た。

 教頭は護に気づいて近づいてきた。

 

「おや、君は?」

「あ、彼は月花さんのクラスメイトの日花護君です。月花さんの面倒を良く見てくれている一番の親友なんです」

 

 沙知は色眼鏡で護のことを説明した。

 

「そうだったか。それは心強いな。彼女、いま懸命に戦っているから、どうか無事を祈ってやってな」

 

 教頭はそう言った後、ビジネスライクな考え事をした。

 

「しかし、生徒を長い時間拘束するわけにもいかないな。家に送り届けてあげないと。君の家はどこだい?」

「あとで私が責任を持って送り届けますので」

 

 沙知は言った。

 

「あんまり遅くなるようだと、月花さんの結果がわかる前でも、生徒を送らないと。春風先生、9時を回る前にはお願いします」

「はい、わかりました」

 

 ◇◇◇

 

 真紅の緊急治療を担当した主治医が緊急治療室を出て来たのは、10時手前だった。

 護はその時間でも、病院にとどまっていた。

 もう眠気があったので、さっさと家に帰りたいと思っていたが、護は真紅の行方を待ち続けていた。

 

 自分でもその理由はわからなかった。

 真紅が死のうが助かろうがどうでもいいはずだが、足は縛り付けられたようにそこから動かなかった。

 

 主治医の先生は2人の看護師を連れて出てくると、待合室の前にいた沙知に一礼した。沙知はすぐに礼で返した。

 それから、待合室に入り、待機していた教師や真紅の保護者に礼をした。

 

「日向君、行きましょ」

 

 護は面倒くさそうに壁から背中を離すと、沙知の後ろをついて待合室の中に入った。

 護は沙知の隣に腰かけた。

 

 主治医の先生が口を開いた。

 

「ここにおられる方は月花真紅さんのご家族の方と教職員の方たちでよろしかったですか?」

「はい」

 

 教頭がそう言って頭を下げた。他に5人の教職員が訪れていた。

 そのうちの一人が沙知で、沙知は付け加えた。

 

「えっと、こちらは月花さんの親友の同級生です」

「そうですか」

 

 主治医の先生は静かにそう言った。

 ちょうど、真紅の保護者の女性がジトッとした目を護のほうに向けた。

 

「では、これから月花真紅さんの容態を説明させていただきます」

 

 主治医はそう言うと、付き添いの看護師から書類を受け取った。

 

「こちらは月花真紅さんの肺のレントゲン図になります。ここ左肺に注目してください」

 

 教職員らは目を細めて、指摘されたところに目を向けた。護もわずかに顔を上げた。

 

「こちらの右肺い比べてしぼんでいるのがわかると思います。そしてこの部分ですね。悪性腫瘍だと思われます。その影響で左肺の機能が衰え、十分に二酸化炭素を排出できなくなったものと考えられます」

 

 主治医は淡々と話を進めた。

 

「肺には約300ccもの水が溜まっておりました。我々は人工呼吸器で呼吸を確保し、二酸化炭素を排出する措置、そしてこの肺にたまった水を抜く措置を行いました」

 

 主治医は全員にわかりやすいように、色々とゼスチャーを交えて説明した。

 

「その結果、先ほど月花さんの呼吸は回復いたしました。呼吸は正常であり、意識が戻る可能性も十分にあります」

「え、本当ですか?」

 

 沙知が大きな声を上げて立ち上がった。それから我に返って、頭を下げて恥ずかしそうに座った。

 

「脳波も正常です。しかし、意識が戻ったとしても、手足の麻痺など、いくつかの後遺症が残る可能性はあります。しばらく緊急治療室で様子を見ます。そこで……」

 

 主治医は真紅の保護者と思われる男女のほうに目を向けた。

 

「月花さんの保護者の方はどちらでしょうか?」

「あ、はい、私たちです」

 

 男のほうが立ち上がって頭を下げた。

 女のほうはどことなく目つきが悪いが、男のほうは穏やかな目つきだった。

 

「これからの方針を話し合いたいので、これから少し面会の時間を設けてもよろしいですか?」

「あ、はい。わかりました」

「教職員の方々はとりあえず……おひとりだけ残っていただいてもかまいませんか?」

「あ、それなら私が残ります」

 

 教頭が自ら申し出た。

 教頭は立ち上がると、隣にいた教職員にそのまま学校に戻るようにと指示し、沙知には「生徒の帰宅、お願いします」と小さな声で言った。

 

 真紅の保護者と教頭は主治医の先生らと緊急治療室の先に進み、他の者はここでお役御免となった。

 沙知はまだ真紅のことが気がかりだったが、護を送り届けなければならなかったので、他の教職員らと共に病院を後にすることにした。

 

「それじゃあ、日向君、行きましょうか」

 

 護は無言で立ち上がった。

 病院を出る間、誰もこれ以上のことはしゃべらなかった。

 

 ◇◇◇

 

 駐車場に出てくると、やけに夜風が冷たく感じられた。

 

 沙知は赤い軽自動車を持っていて、護を誘導した。

 

「ちょっと待ってね」

 

 沙知は一応、車内におかしなものが入っていないかを確かめた。後部座席に趣味のぬいぐるみがいくつか入っていたので、それを無理やり、後部に押し込んだ。

 少女趣味を見られるのが恥ずかしかったようである。

 

「はい、いいよ」

 

 沙知は助手席を開いた。

 護は無言で乗り込んだ。

 これまでにも、太田の車にはよく乗り込んでいたが、太田の車内とはまったくにおいが異なっていた。護はどことなく心地よさを覚えた。席にもたれかかると、体にリラックスを感じた。

 

「日向君、シートベルトをお願いね。こうやって、ここを止める感じ」

「……」

 

 護はすでに知っていたようにシートベルトを締めた。

 

「それじゃあ、発車します」

 

 ちょうど、目の前を教職員の車が横切った。横切る際に小さくクラクションを鳴らした。

 沙知はそれについて車を出した。

 ちょうど、小さな音量のラジオがかかっていて、明日の天気を知らせていた。

 

 明日は雨。

 

 空を見ると、雨雲はどこにも見えないが、降水確率は90%だった。

 

「明日雨だって……」

 

 沙知は沈んだ声で言った。

 

「えーっと、日向君の住所は……」

 

 沙知はクラス名簿で護の住所を確かめた。

 

「日向君って、いつも徒歩で学校に来てるの?」

「ああ」

「そっか。けっこう遠いよね。30分ぐらいかからない?」

 

 会話はあまり続かなかった。護は興味ないことにはとことん口を閉ざすタイプだった。

 帰路の間、お互いに真紅のことは何もしゃべらなかった。その話題は暗黙のタブーだった。

 

 車は護が借りているマンションについた。

 

「ここに止めてても大丈夫かな?」

 

 沙知は歩道に寄せて車を停車させた。

 護は無言でシートベルトを外すと助手席のドアを開いた。

 

「あの日向君、明日はどうする? 学校来る?」

「明日は平日だろ」

「あ、うん、そうだね。それじゃあ、また明日。おやすみ」

「……」

 

 護は一度だけ沙知のほうを小さく振り返った。

 沙知は笑っていた。車内のにおいが途切れて、どこか惜しい気持ちが残っていた。しかし、護はすぐにそれを打ち消して歩き出した。

 

 護はマンションに入る前に空を見上げた。

 まだきれいな星空が見える。

 ただの1日だったはずだが、どうしてか、世界が大きく変わってしまったように感じた。

 

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