ラストワード   作:やまもとやま

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11、ラストエンジェル

 護が最後に見た母親の姿は天使だった。

 天使は最後に微笑みかけると、護の視界から姿を消した。

 

 いつもそばにいた母親はそのときいなくなった。

 護は熊のぬいぐるみ「くーたん」を両手に抱えると、さまようように歩き始めた。

 

 母親の行方を捜すために歩き出したのかもしれないが、護は母親がこの世界のどこにもいないことを悟ってもいた。

 町をさまよっているうちに、やがて雨が降り始めた。

 

 護はあてもなく歩き、やがて橋の下に座り込んだ。

 

「寒くなってきたね」

 

 護はくーたんに話しかけるようにつぶやいた。

 護は雨の中歩いてきたのでずぶ濡れになっていたが、暖を取る方法が存在しなかったので、その場で体を震わせた。

 

 ずっと強い雨が降り続いていた。車が橋を通過する音が時折するだけで、とても静かな場所だった。

 

 このまま、ここで死んでしまうのだろうか。護はそんなことを予感していたが、特に死ぬことが怖いとは思わなかった。

 護はまだ6歳になる前だったから、生きることの意味などわからなかった。母親が何もわからない世界を先導してくれていたが、母親の手がなくなったので、護は闇の中にうずくまったままだった。

 

 世界がわからないから、死の恐怖もわからなかった。

 だから、護は誰かが自分を導きに来てくれるのを待ち続けた。

 

 夜になって、警察官が通報を受けて、橋の下にやってきた。

 2人のうち1人が懐中電灯の明かりを護のほうに向けた。

 

 そのころ、護は衰弱によりぐったりとしていた。

 

「君、大丈夫か?」

「……」

「大変だ。救急車を呼んでくれ。そのほうがいいだろう」

 

 後ろに控えていた警察官が警察に電話を入れた。

 

「君、お母さんやお父さんは?」

「お母さんは……いないよ。僕のお友達はくーたんだけだよ」

 

 護は小さな声で淡々と答えた。

 

「何か訳ありだな。最近、増えてるよな、こういうの」

「子供をほったらかしてホストかなんかにはまってんだろ。ったく、世も末だな。自由主義なんて掲げるからこんなことになるんだ。日本に欧米の自由主義など合うあずがないというのに」

 

 年配の警察官がそう言ってぼやいた。

 

 しばらくして、救急車がやってきて護は保護された。

 

 ◇◇◇

 

 命に別状はなかった。

 しかし、それ以上に大きな問題が浮上した。

 

 警察は当初、迷子として捜査を始めたが、やがて深刻な事情があったことを突き止めた。

 

 若手の警察官が護に尋ねた。

 

「君の日向護君だよね?」

「うん」

「あのね、君の名前が戸籍にのってないんだ。戸籍ってわかるかな、護君がどこに住んでいるかを記録しておくものなんだけどね、それがないってことは出生が届け出られてないってことなんだ」

「アホウ、子供にそんなこと言ってわかるか。代われ」

 

 後ろにいた年上の警察官が

 

「君のお母さんの名前は?」

「お母さんの名前は由紀ちゃんだよ」

「日向由紀っていうの? 漢字はわかる?」

 

 護は首を横に振った。

 

「どこに住んでたの?」

「ケーキ屋さんの隣だよ」

 

 護の認識はそれだけだった。

 

 その後、護の家が突き止められたものの、その家は借家であり、「田口幸之助」の名義で借りられていた。日向由紀という人が住んでいた証拠はなかった。

 周囲の聞き取りをすることで、女性と子供が二人で住んでいたことはわかったが、隣人の人間関係に乏しかったようである。

 

 近くの「食べまくりケーキ」という名前のケーキ屋の店主が少しだけ日向由紀について知っていた。

 

「よくケーキを買いに来てくれていましたよ。え、行方不明ですって? 子供の護君は? 護君は保護されたと? いったい何があったんですか?」

 

 ケーキ屋の店主も驚いていた様子だった。

 

「2年前でしたかね、ここに引っ越してこられたようで。子供思いな方でしたよ。子供を虐待するなんてないですよ。それにほんの少し前に店を訪れて笑顔で話をしてくれていましたし」

 

 店主によると、特に何か事情があったわけではなさそうだった。

 護の家も家宅捜索された。

 

 特に目立ったものはなく、普通の家庭の生活風景そのままだった。

 

「普通の親子にいったい何があったんでしょうか?」

「何が普通だ。シングルマザーなんて時点で普通なわけあるか」

「警部、それは偏見ですよ。今の時代、そんなこと言ってたら炎上しますよ」

「ならてめえはシングルマザーの家庭に生まれたかったのか?」

「いや、そういう話ではなく」

「子供を放置する父親なんてろくでもないクズかレイプ魔だけだ。そんなやつは全員死刑でいい。母親も母親だ。ろくでもない男に夢中になって被害者気取りとは、地獄に堕ちて火に焼かれろ。どっちもれっきとした詐欺犯だよ。犠牲になるのは子供ばかり」

「警部、絶対そういうことをSNSに書かないでくださいよ」

 

 その後、この家の名義である田口幸之助について調査されたが、詳細はまったく見えてこなかった。

 この事件は迷宮入りとなった。殺人事件でもない小さな事件だけに捜査も限定的だった。

 

 保護者不在ということで、護は児童養護施設に預けられることになった。

 護が施設に入って1か月後に、護の母親と思われる死体が発見された。

 

「くーたん……」

 

 護は施設の片隅でくーたんを抱いてたたずんでいた。

 母親の死体は護には見せられなかったが、母親の精神障害者手帳の顔写真と一致するということで、その死体は護の母親である日向由紀で断定された。

 

 ◇◇◇

 

 護を受け入れた児童養護施設には14人の児童が保護されていた。

 半分は虐待やネグレクトによるもの、残りは保護者不在として預けられた。

 

 施設に入る子供はどことなく世間ずれしたところがあった。

 暴力的だったり、多動だったり、内向的だったり。何かしらを抱えたものばかりがここに預けられていた。

 

 護は内向的な性質だった。

 職員の問いかけにはあまり応えず、ずっと熊のぬいぐるみのくーたんを抱えて寂しそうにしている。

 施設の担当医から自閉スペクトラム症の兆候ありと判断された。

 

 職員の間でも、日向護と真龍王花という二人が特に注意が必要と問題視されていた。

 

 ◇◇◇

 

 ある日、施設で将棋に触れる催しが開かれた。

 かねてから問題視されていた真龍王花はそのときに将棋に興味を示して、世間に溶け込んでいった。

 しかし、護は将棋には無関心だった。

 

「護君、先生と一緒に行こ?」

「いいよ」

「将棋ってすっごく面白いんだよ。護君もきっと楽しめると思うけどな」

「いらないよ」

「せっかく将棋の先生」

「いらないったらいらないよ」

 

 護はそっぽを向いて、くーたんを抱えてうずくまった。

 

 護はこうして誰ともかかわらず、自分の世界にだけ閉じこもった。

 自閉症の特徴であり、あまり社交性を煽るようなことはしないほうが良いと担当医が判断したため、職員もかなり気を遣って護と接した。

 

 そんな護にも驚異的な才能があった。

 

「あの、先生」

「どうかしましたか?」

 

 護の面倒を見ている職員が護の担当医に護の才能を話した。

 

「護君、ものすごく頭がいいようなんです。授業をしても真面目に聞いているようには見えないのですが、この前のジュニア学力テストでは全国1位でした」

「ほう、それはたいしたものです」

「特に数学が得意なようで。まだ小学3年生なのですが、このとおり、東大入試の理系数学も約40分で全問正解を出してしまいます」

「なるほど。たしかに自閉症の子供には突出した数理能力が表れることが報告されています。彼もその一人だったのかもしれません」

「それで、護君の才能が発揮できるほうに導いてあげられれば、これからもうまくやっていけると思うんですが、どうすればいいでしょうか?」

「ITなんかはいいかもしれませんね。アプリのプログラムとかなんかね。私はてんでうといんですが」

「そうですね。今度、ITの講師の先生を招いてみようと思います」

 

 ◇◇◇

 

 護はおとなしいが突出した頭脳を持つ少年として施設の間で定着していくことになる。

 

 そんな護に対して、嫌味をつける同級生が少なくなかった。

 

 護が施設から通っている学校は普通の公立小学校だった。護はたまにしか学校に行かなかったということもあり、同級生からいじめの対象になってしまっていた。

 

「おい、護。顔貸せや」

 

 野蛮な同級生が護を取り囲んだ。

 

「嫌です」

「ああ? ぶっ飛ばすぞ、コラ」

「ぬいぐるみ抱えてるような臆病者のくせに女子にもてやがって気に入らねえ。ぶん殴ってやる」

 

 そう言って、同級生は護を殴りつけた。

 護は基本的に無抵抗だった。変に我慢強く、殴られても無表情を崩さなかった。

 殴っても踏みつけても、また立ち上がるのが護だった。

 

 そこへ教師がやってきて、いじめっ子たちは逃げ出していった。

 

 ◇◇◇

 

 護のいじめっ子たちは何としてでも護を屈服させたかったようで、ジャングルジムに集まって画策していた。

 

「あいつ、どんだけ殴っても涙の1つも流さねえ。まるでロボットみたいなやつだ」

「しかも、芽久ちゃんから告白されたのに、断ったらしいぜ。他にも20人以上の女子に告白されて全部断ってる。うらやましいやつだ。いったい誰だったらオッケーするんだ、あいつは」

 

 芽久はクラスメイトで人気子役としてテレビにも出ていた。

 

「余計うざったらしさが増すぜ」

「われらがアイドルの芽久ちゃんを奪った護は許せねえ」

「だが、どうやって泣かせるんだ? あいつ、殴ってもびくともしやがらねえ。かと言ってやりすぎたら、先公にばれるぞ」

「お前ら頭悪いな、まったく」

 

 グループの中で唯一メガネをかけている少年が言った。

 

「ああ、なんだてめえ。転校生の分際で生意気言いやがって」

「まあ聞け。あいつが大事に持ってるぬいぐるみがあるだろ。あっちを攻撃するんだよ」

「なんだそりゃ。てめえはバカか。ぬいぐるみなんてどうでもいいだろ」

「ああいうやつはそういうのが一番聞くんだよ。いいか、体育の時間の時にぬいぐるみを公開処刑にするんだ」

 

 メガネの少年の思惑で新しい計画が立ち上がった。

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