ラストワード   作:やまもとやま

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13、血塗られた天使

 その少年は静寂の中に目を閉じていた。

 ちょうど、大いなる力を封印されたデーモンのように、密室に閉じ込められたようになっていた。

 

 その部屋は無機質だった。

 置物は何もない。本棚もなければ、喉にうるおいを与える水気もない。

 ただ錆びれたパイプ椅子が置かれていて、少年はそこに座っていた。

 

 田中はその部屋をノックした。

 しかし、中にいる少年は目を閉じたまま無反応だった。何も聞こえていない様子だった。

 

 田中は何も言わず部屋の扉を開けた。特にカギがかかっていたわけでもなく、簡単に中に入ることができた。

 田中はまず部屋の様子を見渡した。

 

 殺風景。

 

 その言葉が生まれた場所そのものと言った空間だった。

 部屋の外からは太陽の光が降り注いでいたが、それでもこの部屋には闇が充満していた。

 

「まるで事象の地平面だな」

 

 田中はそうつぶやくとゆっくりと歩を進め、少年と向かい合う位置に立った。

 少年は脱力してパイプ椅子にもたれかかったままだった。

 

 田中はニコリと微笑んだ。

 

「しばらくだったな、少年。そろそろ封印の間を出たらどうかね?」

 

 田中がそう語り掛けると、少年はゆっくりと目を開いた。その目はぼんやりと田中を姿を捉えた。

 

「若者には無限大の可能性がある。どうだね? 無限大の未来に羽ばたいてみないかね?」

「あんた確か……中村だったか?」

「田中だよ」

「覚えているよ、田中虎彦ってやつだろ?」

「そういう名前も名乗ってみたいと思うが、いまは田中五郎で通っている。そちらで覚えてもらえるかな?」

「覚えにくい芸名だ。南海トラフ豪太郎に改名しろよ。いま大地震が来ると儲かるんだろ?」

「それもいいな。検討しておく」

 

 二人は冗談か本気かわからない空気感で淡々と言葉をかわした。

 

「今日は何の日か知っているかね?」

「節分の日だろ」

 

 少年はずっと椅子にもたれかかったまま、すべての言葉を適当に紡いでいた。

 

「今日は高校受験の日だよ。公立高校を目指すすべての中学生が今頃目の色を変えているところだよ」

 

 田中は振り返って、窓の外に目を向けた。

 今頃、中学生は高校という新しいステージに向けて頑張っているところだった。

 

「高校はいいところだよ。君も受験を受けていればその道を進むことができたというのに実にもったいない話だ」

 

 この少年も普通の人生を歩んでいたなら、今頃高校受験を受けているところだった。

 しかし、特殊な経歴を持つがために、少年はこの部屋に封印されることになっていた。

 その封印は少年が望んだことでもあった。

 

「私にも高校生活があった。振り返ると実に素晴らしい青春だったな。毎日のように恋人といちゃつき、剣道部の全国大会でベスト8、東大文科一類に余裕で合格。どうだね、うらやしいかね?」

「そんなやつがこんなところに左遷されてくるとは、たいした落ちぶれようだな」

「勘違いしないでいただきたいね。私は見てのとおり、弁護士として君を救うためにやってきただけさ。私は昔からずっとエリート街道を順調に歩み続けているのさ」

「順調か……なら忠告しておいてやる。あんたは近い将来呪われて野垂れ死ぬことになるね」

 

 少年は笑みを浮かべてそう言った。

 田中は動じることなく口元を緩めた。

 

「天使のような私が誰に呪われるというのかね?」

 

 少年は目を閉じて顔を落とすと、おかしそうに笑った。それ以上は答えなかった。

 

「よく聞きなさい。私は君をこの施設から出して自由にする権限を持っている。君のために1億はくだらないお金を動かすこともできる。私は君にとって天使のような存在さ」

「あんたが天使だと? それは笑わせる」

 

 少年は椅子にもたれかかると、へらへらと笑った。

 

「だが、ここで眠っているのも退屈していたところだ。条件しだいではここを出てやってもいい」

 

 少年は主導権を持っているかのように偉そうに条件を出した。

 

「おれが外に出ても自由にやらせてもらう。てめえの束縛は受けねえ。それが条件の1つだ。もう1つは今すぐ現金で1億よこせ。それがもう1つの条件だ」

 

 少年がそう言うと、田中は笑った。

 

「まるで日米和親条約だな。ずいぶんとあこぎな条件を出してくるな」

「本来ならもう1つ条件があったところだ。それが嫌なら帰りな」

「わかった。その2つの条件を呑もう」

 

 田中は条件をすべて受け入れると断言した。田中はそれでもこの少年をここから出したいと思っていた。その理由を少年に言うことはしなかった。

 

「では契約成立だ。今後ともよろしく頼むよ、日向護君」

 

 こうして、護は田中五郎という謎の人物を保護者として施設を出ることになった。

 

 ◇◇◇

 

 護が施設を出ると、東京の郊外にマンションを得た。田中がくれたお金でそれなりの部屋に一人で住む権限を得たが、護が生活し始めても、その部屋にはまったく物が増えることはなかった。

 護の住む場所には物はまったく出なかった。

 

 施設を出たのに、護のやることは変わらなかった。一日ずっと部屋の中央に寝そべっているだけだった。

 ただ時が過ぎるのを待つばかりで、何かをしようということはなかった。

 端からは青春の無駄遣いにしか見えなかった。

 

 そんな護の部屋によく人が訪れて来た。

 

「またあんたか」

「またじゃねえ、おらぁ!」

 

 護が応答すると、やってきた男はすごんだ。

 

「いちいちでかい声を出すなよ、漫才師」

「爆笑問題じゃねえよ。てめえ、ふざけてっとぶん殴るぞ」

 

 太田という男はこのころ、護を毛嫌いしていた。

 

「おやっさんのお気に入りだから大目に見ているが、てめえはおやっさんから恩を受けておきながら怠惰に暮らしていて恥ずかしくねえのか?」

「何の話だ? おれはただ条件通りに暮らしているだけだ。おれを束縛しないという条件だったはずだぜ」

「ともかくブラッディエンジェルの恩を受けたなら連帯責任だ。何とか組織のための力になりやがれ」

「わかったよ、暇つぶしにあんたらの夢を1つ叶えてやるよ」

「ああ? 何をする気だ?」

「また明日の同じ時間に来な」

 

 護はそう言うと、ドアを閉めた。

 

 ◇◇◇

 

 翌日、太田は同じ時間に護の部屋にやってきた。

 

「来たか」

「てめえがやったのか?」

 

 太田はやってくるなり、号外新聞を突き出した。

 

 ミツビシRNA銀行のサーバーダウン、預貯金、金融資産合わせて5400億円分のデータが抹消。前代未聞のサイバーテロ。

 

 新聞にはそんな記事が躍っていた。

 

「何の話だ?」

「とぼけるな。てめえだろ。一体何をやった?」

「なんでおれと銀行が関係があるんだよ」

「お前が開発したコンピュータウイルスだろ。この「血塗られた天使」ってのは」

 

 この事件では、顧客データを管理したスクリプトに「私は血塗られた天使。あなたのことを呪ってあげる」という一文が表示されていた。

 血塗られた天使、すなわちブラッディエンジェル。その名前をわざわざ使う者は限られている。

 

 世界レベルのメガバンクのサーバーを破壊できるほどのウイルスを開発できる者がいるとすれば、もはや可能性のある人物は一人しかいなかった。

 

「誰でもいいだろ。良かったじゃねえか、あんたらそこの銀行と取引できなくなって困ってたんだろ。その血塗られた天使ってやらが微笑んでくれて良かったな」

「……てめえ、とんでもないやつだな。悪党にもほどがある。どうりでおやっさんが惚れ込むわけだ」

 

 太田はその時に護の恐ろしさを知った。何十人を殺した凶悪犯罪者や戦争犯罪をけしかけたクーデター指導者とは比較にならない凶悪なデーモンを見ているように、太田の眼はおびえていた。

 

 ◇◇◇

 

 その事件の後、田中は護を食事に誘った。

 

「しばらくだったな、護。シャバの生活はどうかね?」

「思いがけず楽しくやれているよ」

 

 護はそう答えると、淡々と食事を続けた。

 

「それはよかった」

 

 田中はしばらくしてから、例の事件の話題を振った。

 

「護は聞いたかね。ミツビシRNAがついには事業撤退する羽目になったそうだ」

「さあな。銀行の1つや2つつぶれたぐらいじゃ世界は平和にはならねえだろ」

「けっこうな影響は出てるよ。リーマンシスターズ破綻時ほどではないが、日経は5000円以上暴落してる。ニューヨークパブも今年の最安値だそうだ」

「ゴミをため込んだ悪魔が4、5人自害した程度だな。ちっ、日本のメガバンクの影響力なんてその程度か。これならEUの中央銀行を狙ったほうがなんぼかマシだったな」

 

 護は言いながら、平然と食事を続けた。

 

「しかし、この犯人は今頃世界中から命を狙われることだろうな。ミツビシの裏の諜報機関がデスノートの所有者を血眼になって探しているだろうな」

「探し出すなど無理だろうよ」

「そうかな? 護、たしかにお前は天才だ。しかし、上には上がいることも知っておくべきだ。連中は君と同じレベルの天才から超能力者だって抱えている。いずれは血塗られた天使は地獄に叩き落される」

「ふん、そいつはその血塗られた天使とやらも気の毒だな」

「何かの縁だ。私の手で何とか血塗られた天使を助け出してやりたいと思うのだが、どうしてやればいいか悩んでいるんだ」

 

 お互いぼかしながら話をしていたが、血塗られた天使の正体はお互いにすでにわかっていた。

 

 ◇◇◇

 

 ある日、護はふらふらと町を歩いていた。

 すると、誰かに呼び止められた。

 

「おめでとう。君は当選しました」

 

 護が顔を上げると、目の前に若い美人の女性が立っていた。

 

「宝くじでも当たったか?」

「ええ、こちらで手続きをお願いします」

「あいにくこれからコンビニ弁当を買いに行く予定なので、またにしてくれるか」

「わかりました。では、地獄で改めてお会いしましょう」

 

 女性はそう言うと、訓練された無駄のない動きで懐から拳銃を取り出して、護の足元を狙い即座に発砲した。

 

 人が行き交う繁華街に突如として銃声が響いた。

 訓練された者の発砲に対して、人間離れした何かを持った少年の回避行動はわずかに上回り、護はその発砲を身をかがめてかわしていた。

 

 そして、護は目の前の女性に飛び掛かった。

 格闘技の心得がない者が、それの心得をすでに持っていたかのような低い鋭いタックルを放っていた。

 

 護のタックルを受けて、女性は地面にねじ伏せられた。

 

「先に地獄に堕ちてな」

 

 護は女性を殺そうと殺人に最も効率のいい攻撃をくわえようとした。

 そのとき、護は敵の気配を感じ取った。

 

 右手に二人、背後のフリーマーケット前に三人。明確に護の命を狙っていた。

 

 護はそれらの者をかいくぐるようにその場から逃げ出した。

 

 彼らは護を生きたまま拉致するために送り込まれていたが、護の機敏な反応により、この計画はもつれることになった。

 それでも、彼らが銃を持っていたため、彼らが常に護より優位に立った。

 

 護は人込み人込みを目指して遁走したが、彼らは容赦なく発砲した。三人の民間人が銃で撃たれることになった。

 

 やがて、その一発が護の背中に撃ち込まれた。

 護はこのときはじめて銃で撃たれるという経験をした。

 呼吸が突然困難になり、筋肉がけいれんして突然麻痺状態に陥り、走ることができなくなった。倒れそうになる体を何とか支えたが、ままならなかった。

 

「殺すな! 捕らえろ」

 

 護に接近する者たちの一人がそう言って怒鳴った。

 護は捕らえられまいと抵抗したが、一人ではどうすることもできなかった。すぐに警察が駆けつけてくることもなかった。

 

 万事休すかと思われたが、護の前に助っ人が入って来た。

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