ラストワード   作:やまもとやま

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3、血の継承

 車はとある閑静住宅の前に止まった。

 道路が狭く、車が一台かろうじて通り抜けられるようなところだった。

 

 護が車を降りると、どこかで犬の遠吠えが響いた。

 空には明るい月が輝いていた。

 

 あたりは寂れていた。街灯の1つもなく、人が住んでいる気配を感じさせない。それでも、向かいの家から老婆が一人出てくるのが見えた。

 老婆は護たちには目もくれず、道に出てくると、そのまま山のほうに消えて行った。こんな時間にどこで何をするのかは皆目わからなかった。

 

「護、何やってる、早く来い」

 

 振り返ると、男はすでに目的の場所の玄関口まで来ていた。

 護はそのほうに向かった。

 

 護がやってきたのは先ほど老婆が出て来た家の向かいにある小さな建物だった。

 家は老朽化していて、壁にはたくさんのひびが入っている。どこか昔のにおいのこべりついた場所だった。光が完全に失われた世界とはこの場所のことなのかもしれない。

 

 インターホンはなく、男は手で玄関口をノックした。

 古い時代の音が響いた。

 

 しばらくすると、玄関口に気配があった。

 

「誰だ?」

「おれだ。太田だ。護を連れて来たぜ」

 

 男は太田と名乗った。

 太田がそう言うと、玄関口が開かれた。

 

 そこにはサングラスをかけた黒服の男が立っていた。

 絵に描いたような裏社会の住民の風格をしていた。

 

 男はジッと護のほうを見つめた。

 護は男の風貌に特に臆することなく、それでいて何事にも興味がなさそうな面持ちだった。

 

「入れ」

 

 男がそう言うと、太田が護に先に行くようにうながした。

 護は挨拶をすることもなく、そのまま玄関の戸をくぐった。

 

 玄関のあがりの壁には、ろうそくの火が灯っていて、令和の時代とは思えないほど古風だった。

 全体が現代社会に生きていると決して味わうことのできない雰囲気に包まれていた。

 

 サングラスの男は先に部屋に上がったので、少し遅れて護も部屋に上がった。

 床がへこんでいて、そこを踏むと、ギシギシと音がした。

 

 男が奥の部屋をノックした。

 

「ボス、護が到着しました」

 

 男が奥の部屋にそう伝えると、奥から小さな声で何か返答があって、男はそれにうなずいた。

 

「護、ボスがすぐに面会したいと申し出ている。来い」

 

 護はうなずくこともせず、そのまま歩いて行って、部屋の先に向かった。

 

 そこは闇の世界だった。

 

 明かりはある。天井には最近新調された新しい蛍光灯が白い光を放っていた。しかし、光は半分だけに調整されていて、部屋全体を照らすには明かりが足りていなかった。

 護の視線の先には、先ほどの男たちと同じく黒服とサングラスに身を包んだ男が3人いた。

 1人はベッドの前に跪いていて、残り2人は立ったまま、護のほうを見ていた。

 

 そして……。

 この闇の世界の主はベッドの上にいた。

 

 主は背もたれにもたれかかっていた。

 やせ細った男だった。今にも崩れ落ちそうな体つきだった。

 顔は憔悴しきっていて、「元気」という言葉があるなら、その対極にある言葉よりもっとマイナスに寄った言葉を使わなければ表現できないほど、男は黄昏の中にあった。

 

 それでも、目は恐怖の光を放っていた。

 わかりやすい威厳ではない。見た目には、憔悴した老人の寂れた目。

 

 しかし、護は太田や黒服の男たちからは決して感じることのなかった畏怖の念を、その目からは感じていた。

 

「護……来てくれたか」

 

 主は力ない声でそう言った。力はないが、はっきりと聞き取れる声だった。

 護は黙って主の前に来ると、ゆっくりと腰を下ろして、跪いた。

 

 太田も遅れて部屋に入ってきた。

 すべての者が部屋の中に収まると、黒服の男がゆっくりと部屋のドアを閉めた。

 

「すまないな……勉学に勤しむ最中にこのような汚い場所に呼び出してしまって」

 

 主は護に対して、へりくだった言葉を与えた。

 護は顔を上げた。

 

「長くないと聞きましたが?」

「ああ、もう数日と言ったところか……」

 

 主はそう言うと、唐突に合唱した。

 

「地獄の業火が私の足元まで迫ってくるのが見える。業火は言う。お前だけは絶対に許さぬとな」

 

 主はそう言ったあと、遠い目で天井の蛍光灯を見つめた。

 

「私は多くの人を殺してきた。多くの者からあらゆるものを奪ってきた。多くの夢を打ち砕いてきた。光あるものはすべて闇の中に葬った。その報いを受ける時がやってきたのだ」

「……」

 

 誰も何も言わずに、ジッと主の言葉に耳を傾けて来た。

 

「しばらく前に、私のもとを訪れる者があった。私はその者から愛する者をすべて奪い去った。その報復に来たのかと思った。しかし、その者は静かな心でただ1つだけ質問を投げかけて来た」

 

 主はゆっくりと視線をおろし、護に向けた。

 

「あなたはなぜ生きているのですか?」

 

 主は思い出すように、投げかけられた質問をそのまま反芻した。

 

「なぜ生きるか……」

 

 主は小さく囁くように言った。

 

「何度も考え、何度もそれが答えだと錯覚した気がする。しかし、私はその者に何も回答することができなかった。私は今日までついにはその答えを得ることができなかった」

 

 主は少しずつ呼吸を置きながら、言葉を続けた。

 

「護、私はちょうどお前と同じころ、正義を志していた。正義の味方……いや、正義のヒーローになるのが夢だった」

 

 護は主の言葉を黙って聞いていた。ただ、先ほどの時と異なり、護は主の言葉にしっかりと関心を寄せていた。

 護は主が弁護士であったことを知っている。主が言った正義の味方というのは、法律家のことと見て間違いなかった。

 

「正義のヒーロー……それは見果てぬ夢よ……正義を振りかざし、民を助けたつもりになっても、振り向けば、闇が溢れている。助け、助け、助け……結果、闇は一段と増えるばかりだった」

 

 主は気の抜けたような語調だったが、力のこもった物言いだった。

 

「ワシはその闇をかき消す方法を探し求めた。悪の組織の討伐、資産家の暗殺、果ては国家へのクーデター……だが……正義はこの手に収まらなかった。手に入れたと思った矢先、その手から消え去ってしまった。正義の迷宮をやみくもにさまよい、気が付けば、私はいまここにいる」

 

 主はそれらの言葉を紡ぎ終えると、唐突に脱力した。

 それから、護に尋ねた。

 

「護、いまお前からワシの姿はどう見える? 悪魔か? 死神か?」

「……」

 

 護はしばらく黙っていたが、やがて口元を緩めて答えた。

 

「愚か者だな」

 

 護がそう言っても、主は何の反応もしなかった。

 

「愚か者……か……」

「残念だが、あんたは正義のヒーローにはなれなかったよ。英雄でも、大悪人でもない。愚かな老人だ。愚かに死にゆくにふさわしい身。おれには、いまのあんたはそう見えるよ」

 

 護は死にゆく者に対しても、自分の思いをそのまま口にした。

 それは残酷な響きがあった。しかし、主はその言葉を受けて、ひどく嬉しそうに涙を流し始めた。その涙は悲しみでも、苦しみでもなく、嬉しさに満たされていた。

 

「そうか。ワシは……愚か者か……よかった……本当によかった」

「おやっさん……」

 

 護の後ろに立っていた太田が思わず声をもらした。

 

「おやっさん、おれはそうは思わないぜ。おやっさんは間違いなく正義のヒーローだよ。護、お前は節穴だ。ガキにはわからねえもんがあるんだよ」

「……」

 

 太田の言葉に、護は何も答えなかった。

 

「太田、お前の言葉はワシには届かない。ワシは護の言葉を信じるよ」

「おやっさん……あんたは昔からそうだったな。おれたちの世話を焼いてくれたが、一度も信用してくれはしなかった」

「ならば、私はお前にとっても正義のヒーローではなかったということだよ」

「いいや違う。おれが正義のヒーローに届かなかっただけさ。いずれ届かせてみせるさ」

 

 太田はそう言うと、護の前に出て跪いた。

 

「おやっさん、頼む。ブラッディ・エンジェルをおれに継がせてください」

 

 太田は必死の顔でそう訴えた。

 しかし、主は気の抜けた様子のまま、太田に視線を合わせることなくつぶやいた。

 

「バカなことを……」

「そう言うと思った。でも、護に継がせるのか? おれには護がブラッディ・エンジェルを継げるとは思えねえよ。今でだって派閥争いは激化してるんだ」

「継ぐ必要などあるまい」

「え?」

「これから行うことは遺産の相続だけだ。おい」

 

 主が力なく手を上げると、黒服の一人がそれに反応して懐から一枚の紙を取り出した。

 

「ボスの遺言状、私が預かっている。いま、ボスは約260億円相当の金品をその手に収めておられる」

 

 黒服の男がそう言っても、誰も金額について

 

「うち28億円に関しては構成員すべてに平等に分配される。むろん、闇の金ゆえに非課税だ。残りは……」

 

 黒服の男はすべての者が予想していたとおりのことを答えた。

 

「護に相続させる」

 

 その言葉に、誰も何も答えなかった。当の護も大金を相続することが決まっても、喜びも驚きもしなかった。

 

 それは金ではなく血の継承。

 そのことをわかっていたから、少なくともここにいる者たちから異論が出ることはなかった。

 主はすべての役目を終えたことを悟ると目を閉じた。

 

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