ラストワード   作:やまもとやま

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5、LAST WORD

 久しぶりに、護は午前中から授業に参加した。

 参加はしたが、すべてが退屈だった。護は教科書も開かずにぼんやりとしていた。

 

「こら、君。ちゃんと教科書を開かないか」

 

 教師が護を注意したが、護はまったくその言うことを聞かなかった。

 

「教科書を開きなさいと言ったんだ。聞こえなかったのか?」

「聞こえたよ」

「ならば開きなさい」

「嫌だ」

 

 護はやる気のない声で言ったが、態度は反抗的だった。

 

「なぜだね?」

「自分で考えろよ」

「……」

 

 護は頑なだった。何が何でも言うことを聞かないという意志が感じられた。

 それ以降、教師は注意することもなくなった。

 護は教科書も開かず、目を閉じて時を過ごした。

 

 ◇◇◇

 

 午後になって、ある女子生徒が出席した。

 その女子生徒は教室に入ると、あたりをキョロキョロと見渡し、護の姿を見つけると、嬉しそうな表情を浮かべた。

 

 女子生徒は自分の席に向かうより先に護のところへと向かった。

 

 

「日向護君、こんにちは」

 

 女子生徒はゆるい声であいさつをした。

 ずっと目を閉じていた護はその声で目を開き、ゆっくりと顔を上げた。

 

 目の前にはやけに眩しい笑顔があった。

 外は曇っていたが、快晴の日のように輝いているように見えた。

 

 護が黙っていると、女子生徒が話を続けた。

 

「護君、私のことを覚えていますか?」

「知らねえよ」

「ひどい。昨日の放課後に会ったばかりなのに」

 

 女子生徒は眉をひそめた。

 

「では改めて自己紹介させていただきます。月花真紅と言います。今度こそ覚えてくださいね」

「気が向いたらな」

 

 護はそう言ったが、真紅のことはちゃんと覚えていた。覚えていたというより、強く印象付けられていたので、記憶に染みついていた。

 

「お前、単位が危ないんだろ。それで殿様出社とは」

「なんだ、覚えてくれていたんですね。今日は午前中に用事がありましたので、午前中の授業はお休みさせていただいたのです。でも大丈夫です。事前にさっちゃんにお話ししていましたから、公欠として扱われるそうです。単位に影響はありません」

 

 真紅はそう言うと、もう一度笑みを浮かべた。

 とても明るい性格のようだが、他の明るい生徒とは雰囲気が違っていた。

 誰もいない虚無の世界にひっそりと咲いた花のように、存在感なく輝いていた。

 護にはそれが印象的だった。護はよほどのことがなければ、他人に関心を持たなかったが、真紅には自然と惹き付けられるところがあった。

 しかし、護は努めて無関心に振舞った。

 

「護君、今日から一緒に頑張りましょう。私も無事卒業できるように精いっぱい頑張りますので」

 

 真紅は笑顔でそう言ったが、彼女の本質的な部分は闇に包まれているように見えた。

 

 ◇◇◇

 

 放課後、ホームルームが終わるや否や、護はさっさと帰り支度をして席を立った。

 しかし、いち早くそれを見つけた担任教師の沙知はすぐに護のもとに向かった。

 

「日向君、まさか忘れたわけじゃないでしょうね、補習」

「補習?」

「話したでしょ。卒業するためには補習を受ける必要があるって。日向君も受けてくれるって」

「めんどくせえな」

 

 護は仕方なくという態度でもう一度席についた。

 

「ならさっさとしろよ」

「待って、3時55分から始めるから。他にあと2名の子も参加することになってるし」

 

 護は時計を確認した。まだ3時15分を少し回ったところだった。まだ40分も待たされるのは不服だった。

 

「その間に、やってもらいたいこともあるから。えーっとね……まず進路希望調査書。これを提出してもらうのと、修学旅行に行けなかった生徒たちのために、来月の土日に修学旅行が予定されてるんだけど、これは強制じゃないけど、参加か不参加に丸をして提出してね。あと、健康診断と三者面談書と……」

 

 沙知は色々なプリントを護に渡した。

 いずれも興味がなかったので、護はそれらを受け取っても、そのまま机に押し込むだけだった。

 

 護に希望する進路などなかった。大学や専門学校に行きたいとも思わないし、働きたいとも思わない。何かやりたいこともなかった。いまは生きているから生きているという状態に等しかった。

 一応、ブラッディエンジェルを継ぐという話があったが、それにも興味なかった。

 修学旅行も興味なかった。

 健康診断も興味なかった。護はいつ死んでも後悔などなかった。長生きしたいとも思わない。病気で即死できるなら、むしろ願ったり叶ったりとも思っていた。

 三者面談をするにも、護には保護者はいなかった。

 

 一応、護の保護者として、保護施設の代表者の名前がついていて、必要なときは代表者がやってくるということになっている。護の三親等に、誰がいるかもわからなかった。

 護の父親は不明。母親の家系をたどっても、母親の両親はいずれも死去。いとこに二人ぐらいの名前があったが、完全に他人だった。

 護にはもう家族は残っていなかった。

 

 護は補習が始まるまで眠って過ごそうと思っていたが、同じ補習に参加する真紅が話しかけて来た。

 

「護君の得意科目はなんですか?」

「……」

 

 護は面倒くさそうに目を開いた。

 

「私は残念ながら何も。中学3年生のころから勉強がおろそかになってしまいましたので、授業についていけませんでした」

 

 真紅は午後の授業中、真面目にノートを取っていて、そのページを開いたが、その内容をまったく理解できない様子だった。

 

「特に数学です。全然わかりません。どうすればいいでしょうか?」

「知らなくていいだろ、そんなもん。なんの役にも立ちはしねえよ」

「でも、わからないままではもやもやします」

 

 真紅はそう言うと、ノートとにらめっこを始めた。それはまるで無駄な努力だったが、真紅の姿勢が真剣だったので、護はその様子に視線を奪われた。

 

「やはりわかりません。問3の答えがわからなければ、明日の授業で答えることができません。困りました」

「貸せよ」

 

 護はそう言うと、真紅の手からノートを取り上げた。

 護は真紅のノートの中身を眺めた。

 女子らしい丸い字で丁寧に授業内容が書かれていた。

 

 護は面倒くさそうに机の上に転がっていたシャープペンシルを手に取った。

 

 約30秒、護はさらさらとノートに記入した。

 流れるような殺風景な字が紙上に展開された。真紅の字とは真逆な丁寧さにかける字だった。

 

 記入が終わると、護は投げるようにして、真紅にノートを返した。

 真紅は落としそうになったが、腕で抱えるようにしてノートを受け取ると、先ほどのページを開いた。

 

 そこには、真紅が問題視していた問3の回答が書かれていた。

 模範解答のような完ぺきな回答が書かれていた。ただし、その文字は不愛想な流れを持っていて、ちょうど護の心を表しているようだった。

 真紅は模範解答を見ても理解はできなかったが、護の書いた文字にありがたみを覚えたようだった。

 

「すごい。護君は数学が得意なんですね。数学ができるなんてすごいです」

 

 真紅はそう言って護のことを褒めた。ありきたりな誉め言葉。そんなことでいちいち喜ぶ護ではなかったが、真紅の言葉には不思議な魔力がかかっていて、護の乾いた心にも浸透してきた。

 

 ◇◇◇

 

 予定通り、3時55分から補習が行われた。

 補習には4人の生徒が参加した。護と真紅のほかに二人。

 

 1人は外で暴行事件を起こしたという男子生徒だった。

 その後は更生したらしいが、今でも普通の人間とは異なるオーラに包まれていた。

 その男子生徒は不良のような見た目でも、腕っぷしの立ちそうな体つきでもなかった。どちらかというと根暗な生徒だった。

 そんな生徒が暴行事件を起こしたのだから、その心は正常ではなかったのだろう。

 

 もう1人は女子生徒で、長い髪でその顔を意図的に隠そうとしていた。

 話によると、自殺未遂を繰り返して、しばらく精神病院に入院していたという。

 中学生の時代は、援助交際を繰り返していたという。

 

 わざわざ補習を受けるような生徒はみな普通ではなかった。

 

 補習はプリントをただ埋めていくだけという作業。

 担任の沙知が熱心に英文を解説しながら、補習は進んだ。

 

 護はプリントに一切手をつけず、窓の外を見ながら、時が過ぎるのを待った。

 護の目的は単位を取ること。単位は補習を受けると無条件でもらえることになっているので、それ以上の努力はしなかった。

 

 補習は50分で終わった。

 

「それでは今日はここまで。この英文はここから面白くなるから、お楽しみに」

 

 沙知は明るくそう言ったが、補習に参加する者はみな暗かった。唯一、真紅だけは笑顔を作っていた。

 補習が終わったら、今度こそ護が学校にいる意味はない。

 護はすぐに帰り支度をした。

 

 しかし、再び沙知が呼び止めて来た。

 

「待って、日向君」

 

 護は一応足を止めた。

 

「月花さんもいいかな。来てくれる?」

「はーい」

 

 真紅も呼ばれて沙知のところにやってきた。

 

「はい、これ」

 

 沙知は笑顔で護と真紅にさらのノートを1冊ずつ渡した。

 

「ノート? くれるんですか?」

「それはラストノートよ」

「ラストノート?」

 

 真紅は興味津々に尋ねた。護はまったく興味なかったので、受け取ったノートをさっそく誰ともわからない生徒の机の上に放り投げた。

 

「そう。簡単に言うと交換ノート。私のクラスではみんなにノートをつけてもらっているの。毎日朝に提出してね。放課後までに私がチェックするから」

 

 沙知は今時珍しいことをやっていた。

 

「そういえば、みんな放課後にノートをもらってました。ラストノートというんですね」

「うん、どうしてラストノートか気になるでしょ?」

「気になる。どうしてですか?」

「月花さんは「ラスト」の意味は知ってる?」

「ラスト……最後とか終わりとかそういう意味だと教わってます」

「うん、本来はそういう意味よね。でもね、私の知り合いにイギリスの絵本作家さんがいて、友達が描いたとっても感動的な絵本があるの。題名は「LAST WORD」っていうの」

 

 沙知はネイティブに題名を答えた。

 

「ラストワード?」

「そう。それがね、2年前に日本語訳されて発表されたんだけど、ここで問題。「LAST WORD」がどう訳されたと思う?」

 

 沙知は突然に問題を出した。

 真紅はすぐに考え始めたが、護は終始興味なさそうだった。

 

「月花さん、予想してみて」

「うーんと、ラストが最後で、ワードは文字とか言葉だよね。じゃあ、最後の言葉かな?」

「うん、訳としては間違ってないんだけど、でも絵本の題名としてはなんだかちょっと味気ないと思わない」

「たしかに。最後の言葉なんて、少し違和感がある」

「じゃあ、次は日向君。なんだと思う?」

「地獄に堕ちろ」

 

 護はぼそりとつぶやいた。

 

「んーと……地獄に堕ちろって言った?」

 

 護は何も言わなかった。それは肯定を意味していた。

 

「遺書が絵本の題名だと、子供が泣いちゃうよ」

 

 沙知は困惑した。護は素っ気ないが、突然に意地悪なことを言うことがあった。

 

「地獄の絵本だったんですか?」

「違うよ。まあでも、そういう意訳っぽいことではあるんだけど……」

 

 沙知は改め直して、正解を言った。

 

「答えは「世界で一番大好きなあなた」よ。どう? 素敵だと思わない?」

 

 沙知は共感を求めるように問いかけた。

 真紅はおおいにそれに賛同した。

 

「とても素敵だと思います。そっかぁ、ラストって最後とばかり思って少し悲しい言葉だと思ってたけど、世界で一番大好きか……すごく温かい響きです」

「そうよね。私、感動しちゃって。それで、私も影響されて「LAST NOTE」を作ったわけ」

 

 沙知は自画自賛するように、そのノートのすばらしさを説き始めた。

 

「ラストノートにはね、就寝前に、その日の最後の言葉を記すの。別に何でも構わないわ。気の向くままに。それはその日の「LAST WORD」になるわけ」

「すごい。それじゃあ、ラストノートは「世界で一番大好きなあなたたち」という意味ですか?」

「そう。私の教え子たちは、世界で一番大好きなあなたたち。それがラストノート。だから、月花さんも日向君も絶対に書いてね」

「書きます。なんだかとっても素敵なノートになりそうです」

 

 真紅は沙知の企画に感動して乗り気だったが、護はそうではなかった。

 

「日向君も書いてね」

「くだらねえことしてんなよ。教師は勉強だけ教えてりゃいいんだよ、ただの公務員だろ」

「う……」

 

 護は予想通りのことを言った。護が「感動した」なんて言うとは思ってなかったが、改めて辛口コメントを返されると、沙知は少し落ち込んでしまった。

 真紅はすぐに沙知をフォローするように言った。

 

「そんなこと言わずに、護君も書きましょう。護君のラストワード、私、とても興味あります」

 

 真紅がそう言うと、護は息を吐いて、先ほどもらったノートを手に取った。

 

「このデスノートは毎日お前がチェックするのか? 誰の名前を書けばいいんだ?」

「デスノートじゃないよ!」

 

 沙知はすぐに反論した。

 

「私が毎日チェックしてコメントを返すようにしてるから、ぜひお願いね」

 

 こうして、護はラストノートを受け取った。

 

 LASTWORD――世界で一番大好きなあなた。

 

 護には不快な意訳だった。人間の最期がそのような言葉になるはずがない。護はそう思っていたから、このノートをもっと邪悪なものとして見た。

 

 護にとってのLASTWORDは――邪悪に染まり切った愚か者。

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