ラストワード   作:やまもとやま

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7、黒い花

 太田は坂口の隣に行儀悪く腰を下ろすと、バーのマスターに注文を入れた。

 

「コーヒー・ブラック」

「かしこまりました」

 

 マスターは淡々と答えると、すぐに仕事に移った。

 

「てめえのおごりでいいよな?」

 

 太田は横眼でにらむように坂口に言った。

 

「お代はこちらで持ちます。しかし、コーヒーでよろしいのですか?」

 

 坂口はいつでもエリート社会人のような表情を崩さなかった。彼の表情には溢れんばかりの心の余裕が表れていた。

 

「ドンパチやり合うことになるかもしれねえんだ。酒なんて飲んでられっか」

「ドンパチだなんて、そんな物騒なことがどうして起こるのでしょう。今宵は私たちが親睦を深めるための楽しいひと時ですよ」

 

 坂口は心からそう思っているように言った。

 

「さあ、護君もこちらへどうぞ。百合花ちゃんが君にお会いすることを楽しみにしておられましたからね」

 

 坂口はす言うと、隣にいた美人のほうを見た。

 その美人はにやりと笑うと、護を手招きした。

 

「護、見ない間に一段と可愛くなったじゃない。さあ、こちらへ来なさい」

 

 護はその誘いにまったく反応することなく、坂口からも大宝も距離を取って、孤立したところに腰かけた。

 

「いいわ、私のほうから行くから」

 

 美人は気分を害することなく立ち上がると、そのまま護のほうに向かった。

 立ち上がると、その見事なプロポーションがより際立った。

 美人は護の隣に腰かけると肘をついて、護のほうにその切れ長の目を向けた。護はまったく反応することなく、冷水を自分で継ぎ始めた。

 

「あんた、いつまであいつの取り巻きなんてやってんのさ。私のところへ来なさいよ。どう考えたってそのほうが得だよ」

 

 護は何も答えなかった。

 

「おい、百合花。勝手なことしてんじゃねえ。誰がてめえなんかに護を渡すかよ。おい、護。てめえもそんな腐った枯れ木みてえなやつに騙されんなよ」

 

 太田は険しい顔で言った。

 

 彼女は黒木百合花(くろきゆりか)。

 2年ほど前までは、モデルの仕事をしていた。史上最も美しいモデルとして人気を博し、数多くの写真集でミリオンセラーを記録した。

 国内コンテストをいくつか制覇したが、素行の悪さが指摘され、ミスユニバースの出場が取り消されるなどを経て、闇の世界と関わるようになっていった。

 

 去年までは、護と同じブラッディエンジェルと親密に関わっていた。ボスの愛人の一人として地位を確立したが、その後、勢力を拡大したブラッカーズに浮気する形でブラッディエンジェルとの関係を解消した。

 

 百合花はその美しさで世界中の男を虜にして渡り歩いてきた。それゆえ、百合花のハニートラップに巻き込まれた男たちからは世紀の悪女と呼ばれるようになった。

 

 アメリカの資産家、ジョニー・フライングボラーは百合花に狙われ、約11億ドルあった資産のすべてを失い、3か月前、遺体で発見された。

 フランスの飲食業の王と言われたパウロ・ザーベスも百合花との関係にて破産。一か月前にはやはり遺体で発見された。

 

 百合花と関わった男性はことごとく財産を失い、変死という末路をたどった。

 

 プロ倹約家の異名を持つ堅実な資産家として知られていたブリリアント・ジャンガも百合花と関わったことが影響してか、後に巨額の借金を背負い、その後自殺にてその命を失った。

 

 百合花はあまりに危険な女として世界中で有名になった。CIAからも要注意人物としてリストアップされているようであった。

 

 しかし、その危険な美しさゆえに、多くの男が百合花の心を奪おうと熱心になっていた。

 現在は、ブラッカーズの代表である石林が百合花をその手中に収めている。しかし、百合花からすると、石林もなお、毒牙が刺さった獲物に過ぎないのかもしれない。

 

「百合花、てめえがおやっさんを殺したも同然。おれはいつかてめえを殺す。覚悟しとけよ、コラ」

 

 太田は百合花の毒を知っているのか、その美しさに対して攻撃的な態度を取った。しかし、百合花はまったく怯えることもなく、むしろ挑発するように口元に笑みを作った。

 

「なんてことを言うのですか。女性にそんな汚い言葉を使うものではありませんよ」

 

 坂口は冷静に指摘した。

 

「けっ、タチの悪い暗殺者に情けなんてあるかよ。こいつと関わった野郎はみんな不幸な死を遂げてんだ。だが、おやっさんだけはそうはさせねえ」

「ふん、あのバカ、まだくたばってなかったのかい。小物のくせにしぶといもんだね」

 

 百合花はそう言って笑った。

 

「てめえ、これ以上言うと撃ち殺すぞ」

「したっぱの分際で何ができるってんだい。あのバカになびくようなやつにろくな者はいないよ」

 

 百合花は太田の威嚇に動じることはなかった。

 太田は熱くなっていたことを自覚して、自らで自らを制した。

 

「ゴミ女は相変わらずだ。てめえもよくあんなやつと関わってられんな?」

「私はそういうところが百合花ちゃんのチャーミングポイントだと思いますがね」

 

 坂口はそう感想を述べた。

 

「護、今すぐ返事は聞かないよ。決心がついたらここに連絡なさい」

 

 百合花はそう言うと、護に連絡先を記したメモ用紙を差し出した。そこには、丁寧だが女性特有の丸い字で電話番号が記されていた。

 例によって、護は何の関心も示さなかった。百合花に対してというより、護の人間関係は一貫して無関心だった。

 しかし、百合花は無関心をつき付けられるほどに、むしろ快感を覚えているように見えた。

 

「無駄よ。いずれ近いうちにあんたは私の手に落ちる。私の毒が効かない男なんていないのだから」

 

 百合花はそう言い残すと立ち上がった。

 

「疲れたわ。坂口、私は帰るわ。車を用意して」

「そうですか。では今、部下に連絡します。5分ほどお待ちを」

 

 こうして、百合花は去って行った。

 百合花がバーを離れると、バーの雰囲気も大きく風変りしたようであった。

 太田もコーヒーを飲んで頭を冷やしたようで、おとなしくなっていた。護はただそこにいるだけだった。

 

「さて、ではそろそろ本題に入りましょうか」

 

 坂口がビジネスライクに口を開いた。

 

「今回、面会を申し入れたのは他でもありません。現在、競売にかけられているマンション「ツシマ」に関する件です」

 

 坂口がそう言うと、太田は鋭い目つきになった。

 

「おい、ツシマは渡さねえぜ。あそこはおやっさんの宝みてえなもんだ」

「まあまあ、いまは誰の者でもないのです。厳密には、資産家DKE氏がオーナーです。いえ、法律上は国有地になるんでしょうかね。抵当権については私も詳しくなくて恐れ入りますが」

「売買は成立してんだよ、てめえらにちょっかいだす権利はねえんだよ」

「それは法律外の成立でしょう? 君は理解していないのですか、この国の基本が。この国は法治国家ですよ」

「けっ、てめえらが一度でもまともに法律を守ったことがあるかよ」

「失礼な物言いですね。我々はまっとうな法人ですよ」

「なめてんのか。大槻銀行取締役の大槻はてめえらが殺したんだろ? 証拠はあがってんだよ」

「それなら、警察にその証拠とやらを提示すればいいではないですか。まあ、無駄だと思いますけどね」

「……」

 

 言い合いをしても無駄ということはわかっていたから、太田は黙り込んだ。

 

「話を戻しましょう。我々はツシマに対して45億円を提示しています。来週末が期限ですね。それを超える額が入札されなければ、我々に所有権が移ることになります」

「不当だ、そんなものは」

「なぜ、不当なのですか? 入札期日を迎えると、法的にも正式に我々がツシマを手にすることになるのですよ?」

「そんときは関係者を全員殺してやるから覚悟しとけ」

 

 太田は静かにそう言った。

 

「そうですか。あくまでもそういうやり方をしますか。ならば、我々にも考えがあります」

「聞いてやろうじゃねえか、言ってみろよ」

「そんなことをこんなところでは話せませんよ。まあ、いずれわかるでしょう。そしてあなた方もその時に理解するでしょう。無力という言葉の本質的意味をね」

 

 坂口は終始余裕のある態度で話を続けた。

 言い終わると、護のほうに顔を向けた。

 

「護君、申し訳ありませんでしたね。教育に良くない話をしてしまいまして。車を用意します。明日の学業に差支えないように家までお送りしましょう」

「それはいい。頼むよ」

 

 護はそう言って立ち上がった。

 

「我々はもうしばし大人の汚い会話を楽しみますので、護君はどうぞお気になさらず、高校生活を目いっぱい満喫してください」

 

 坂口は真摯にそう言った。その仮面の先には、邪悪な心があるように見えた。

 護は特に何も言うことなく、坂口の世話になることにした。

 バーを去る前、太田が一言護に言った。

 

「護、おれにもしものことがあったら、おやっさんのこと頼む」

「……」

 

 護は何も答えないまま、バーを出た。

 

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