ラストワード   作:やまもとやま

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9、静寂

 完全に日が落ちて、町の明かりが濃くなった。

 空が暗くなるほどに、地上には多くの光が灯った。そんな町には、眠らずの民族たちが住んでいる。

 

 護はその民族の間を縫うように歩いた。夜町の喧騒は何も耳には残らなかった。

 しばらく歩くと、少しずつ明かりが途切れ始め、その先に目的地があった。

 

 見上げると、そこには町の明かりとは比べ物にならないほど暗い世界があった。

 この暗闇は、眠らずの民族とは相いれないものだったが、護にはこの暗闇のほうが肌に合っていた。

 

 そこは世界で最も多くの命のやり取りが行われている場所。

 この地で失われる命の数は世界のどこかで起こっている戦争で失われる命の数とは比較にならない。

 護はその場所から強烈に死の匂いを感じていた。

 昔から、病院に来ると、そういうものを感じた。

 眠らずの民族たちには見えないものが護には見えてしまったから、病院は護にとって特別な場所だった。

 

 幽霊が見えるわけではない。

 けれど、この場所は他の場所とは空気が違っていた。

 

 護は涼音病院に足を踏み入れた。

 有料の駐車場があり、その先には、学校で見たことのある車を発見した。

 護は徒歩で病院の先へ向かった。

 

 涼音病院は、緊急病棟と一般病棟と精神病棟の3つがあり、その順に左から並んでいた。

 護は一番左のほうから死の匂いを濃く感じた。

 護はそれに導かれるように、緊急病棟のほうに向かった。

 

 小さな明かりで入り口が照らされている。とても静かだった。

 入ると、窓口があった。

 

 護は窓口に顔を出した。

 

「失礼、ここに先ほど女子生徒が運ばれてきませんでしたか?」

 

 護は普段は見せない丁寧な態度で尋ねた。

 ちょうど若い女性スタッフが顔をのぞかせた。

 

「えーっと、君は?」

「運ばれた生徒の友人です。心配になって様子を見に来たのです」

「あ、そうでしたか。ちょっと待ってください」

 

 スタッフは小走りで奥に引っ込んだ。

 待つことしばらく、先ほどの女性が戻って来た。

 

「えーっと、都立AB高校の生徒さんで間違いないですか?」

「はい」

「えーっとですね、先ほど緊急外来があったのが……月花真紅さん。お友達の方ということでよろしかったですか?」

「そうです」

「そうですか、先ほど先生方もいらしてたんですけど。えーっと、月花真紅さんはただいま緊急治療室で治療を受けられてます。待ち受け室でお待ちいただけますか? エレベーターで2階に上がっていただいて、右手に待合室があるんです。先生方も待っておられると思うので」

「わかりました」

「お友達も来られたなら、きっと頑張れると思います。どうか見守ってあげてください」

 

 護は一礼すると、エレベーターのほうに向かった。

 ちょうど、中年の男女が二人、エレベーターを待っていた。

 

 護はその男女の後ろに控えた。物音がなかったので、男女ともに気づかなかったようである。

 

「まったく簡便してもらいたいわ。見たいドラマがあったのに」

「アホ、お前、何言っとんのじゃ」

「のん気に言っとる場合ちゃうで。また2万とか3万とか請求されるんやで。ローンがまだ残ってるのにきりがないわ。また入院とかなったらどうにもならんで」

「だから、外で金の話をするなと言っとるやろ」

 

 男女はガミガミと口うるさく口論していた。

 その途中で男性のほうが後ろの護に気づいて、ぺこぺこと頭を下げた。

 

「すみません、うるさくしてしまって」

「……」

 

 エレベーターが来た。

 護は男女と一緒にエレベーターに乗り込んだ。

 護がいる手前、さすがに口うるさかった女性も口を閉ざしていた。

 

 エレベーターが2階につくと、男女が先に降り、しばらく待ってから護も出た。

 護は目の前のガイドマップに目を移した。

 エレベーターを降りて右手に待合室があると言われていたとおり、その場所に待合室と書かれていた。

 

 護はマップを確認してからゆっくりとそのほうに向かった。

 待合室に続く廊下は思った以上に長かった。

 その途中で、自動販売機のエリアとトイレのエリアがあり、そこを超えた先に待合室があった。

 

 護はすぐにその中に入らず、外から中の話に聞き耳を立てた。

 

「ああ、これはこれは、お父様にお母様。私が教頭の丸尾です」

「いや、うちら両親じゃないんですよ。あの子の母親が亡くなって、うちで仕方なく引き取っただけなんです」

「そうでしたか、それは申し訳ありませんでした」

 

 護は壁にもたれて、よく聞こえてくる話し声をうかがった。

 

「月花真紅さん、いま緊急治療室で治療を受けてます。我々も彼女の容態については詳しく知らないのです。持病があるということは聞いてたのですがそれ以上は把握していなくて。月花真紅さんの容態についてご存知ですか?」

「あの子、肺がんなんですよ」

「え、肺がん? がんなんですか?」

 

 護はわずかにだけ顔を上げた。

 

「ええ、先生は知らんかったんですか? それでずっと休学しとったでしょ、あの子」

「いえ、申し訳ありません。詳しい理由までは把握しておりませんでした」

「なんやそれは。まあ、そんときはまだ母親がおったからな。ずっとがんの治療しとったねんけどな、全然良くならんし、手術もできへん言うてな」

「そうだったんですか……」

「母親が亡くなってな、それでもう治療はせえへん言うことにしたんですわ。あの子の希望もあったしな。なあ、あんた?」

「え、あ、ああ」

「それで復学したい言うからそうさせたんやけど、やっぱあかんかったか」

 

 女性は他人事のように話し続けていた。それは文字通りで、母親の死の後に、引き取った義母という立場のようだった。

 

「手術とかできなかったんですか?」

「そや。手術は難しい言われとってな。薬の治療はしとったねんけど、苦しいしな。それなら言うことでな」

「そうでしたか……」

「余命も半年ほどや言われて、悲しい話やけど」

 

 女性はまったく悲しみを感じさせない様子でそう言った。

 

「それなら、せめて高校は出たいゆうから復学させとったんですわ」

「そうでしたか」

 

 護はある程度話を理解すると、待合室を離れて、気まぐれに病棟の廊下を歩きだした。

 話を聞くところによると、真紅は肺がんに侵されているという。

 

 肺がん。

 

 もっとも治療が難しいがんの一種であるという話はどこかで聞いたことがあった。

 話によると、治療は断念したということだった。おそらくは完治はできないということなのだろう。

 余命も約半年だという。

 余命が宣告されたのはもう少し前だろうから、おそらくはもう残り2か月や3か月ぐらいにはなっているものと思われた。

 

 護は真紅が倒れたときのことを思いだした。

 あの倒れ方は、脳梗塞や心筋梗塞のようなものではなかった。

 窒息のようなものとも違い、突然自覚症状なしに倒れたものだった。

 肺がんに起因する意識不明なら、事前の見立てどおり、二酸化炭素を排出できなくなってのCOPDで間違いなさそうだった。

 

 この症状が出るということは、肺の機能が著しく低下しているからに他ならない。

 疲労や風邪などの突発的なものでないとすれば、もう長くはないと思われた。

 

 おそらく、真紅は近いうちに死ぬ。

 

 このまま死ぬことになれば、高校を卒業することもないまま。

 

 人が死ぬ。

 

 これほどありふれているものはない。誰かがどこかで常に死んでいる。おそらくはいまこの瞬間も死んでいる。

 これほどありふれているものの中で、これほどまで重視される概念は死や誕生を除いては存在しないかもしれない。

 護はずっと人の死を重視しなかった。

 人を殺すことも簡単にできると思っていたし、目の前で人が死ぬ様を何度も目撃してきた。

 

 銃で撃たれ、けいれんしながら死んでいく者。

 落下して、顔の形が崩れた死体。

 首を吊った死体。

 焼死体。

 

 いずれもあっという間に死の世界に向かっていった。

 心は何も感じなかった。

 そういうときは、たいてい護の隣に太田がいた。

 太田は死体すべてに十字架を切っていたが、護は十字架を切ることも合掌することもなかった。

 

 死なんてその程度のもの。

 

 今回もそれと変わらない。ただ、人が死ぬだけだ。

 しかし、何かが護の体にしがみついてきた。見えざる何かが護に何かを伝えようとしてきた。

 

 護は振り返った。そこには何もいなかったが、たしかに何かが体にまとわりついてきた。

 護は振り返り、もと来た道を引き返した。

 

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