また明くる日、ラ・プルマはドクターを膝に乗せていた。
「ちょっとこれは、想像以上に恥ずかしいな」
「いいじゃない。今日は誰も来ないんでしょ。それとも嫌だった? でもドクターはうんと言ってくれたよね?」
「離れようとすると涙目になるのを見たら断れないよ……」
「なんて言ったの?」
「いや……何でもない」
「そういえば今日のお仕事は事務作業だったね。なら黙っていた方がいい?」
「定型文を書けばいいだけだから、別に雑談は構わないよ」
「そう? じゃあ新しく勤めたバーの話だけどね……」
◆
「おかしいでしょ。なんで膝にドクターを乗せているんですか」
「エルネスト。何度も言うが私はシスコンの話を聞くつもりはないんだ」
「別に嫉妬してるわけではないです。粗相がないか心配なのです」
「粗相ね……」
教官は空になったカクテルグラスを置く。
「話を聞くと、別にドクターが嫌がってるわけでもないから放っておいてもいいと思うがな」
「でも……」
「とりあえず目的はラ・プルマが何に悩んでいるかだ。もう少し話を聞かせろ」
「あ、はい。わかりました。ええと……」
◆
「また膝の上に乗るとは……」
「いいじゃない。それとも嫌だった?」
「嫌じゃない。ただ恥ずかしいだけ」
「子供だからいいんだよ~。でも不思議と頼りがいはあるんだけどね。ドクターはどう見たってちっとも戦えないのに、パパみたいに頼もしいんだよね。何にも考えないで、ドクターの言うことだけ聞いてればいいって感じ」
「ずいぶんな主従精神だな。それにしてもパパか……」
「どうしたの?」
「いや、私はその時シエスタにいたから、事件についてはあまり知らないなと思って。概要くらいはわかるが」
「私が話そうか?」
「いや、いい。事件の話は然るべき時に聞くさ。それよりも」
「うん?」
「君のパパについて聞きたい。何をしたかったのか、どういう人だったのか」
「……うん! わかった」
◆
ドクターはきちんと話を聞こうとしている。事件の話をし始めた時、すぐに妹が尊敬している父親自身の話に向けるのは、さすがの配慮だ。現に妹も、この話の後は一段と明るくなったと聞く。俺にはできないことだ。
ここではっと気づいた。
「あ、すいません。前と展開が変わらないですね」
「いや……」
バーテンダーに目配せをして言った。
「彼女が父親の話をした箇所は大きく違う」
「大きく」
「言い換えるなら、自分の話を積極的にしたということだ」
あ……。
「お前ならわかると思うが、彼女は自分の話はしない」
教官は間接照明の灯ったバーを見回す。
「このバーで働いている時も、自分の話は絶対にしないんだ。それが転じて、客の話を聞く長所にも繋がっているが」
ラファエラが自分から話をする子ではないのは、俺も長い付き合いでよくわかっている。だが、ドクターには自分の話をするんだな。
妹が自分の話をする相手は、父くらいだ。
「ドッソレスでのあの一件以来、俺と妹の間には距離ができてしまいました。こうしてバーに何気なく行くくらいしかできません」
「会話はしてるのではないか?」
「うわべだけの会話ですよ」
グラスの氷がからんとなる。長い間放置してしまっているため、水滴が表面に浮いていた。
「父への考え方の相違が原因です。妹は父に同意して計画に協力しました。俺は参加こそしたものの、父への複雑な思いがありました」
だからと言って弁明をするわけでもない。人がいないと言っても各家に爆弾を仕掛け、ドッソレス市内を混乱に陥れたのは紛れもない罪である。
「別にお前を嫌ってるわけではないと思うが」
「そうでしょうか。妹は父を尊敬していましたし、それに迎合しない俺は敵だったでしょうね」
そうだ。そういえばあんなことも話していた。
◆
「お兄ちゃんはずっとお父さんの計画に反対してたんだよ」
「反対? だが彼は計画に参加してたじゃないか」
「結果的には参加したんだ。お兄ちゃん、お父さんのやり方には反対してたっぽいし」
「気に食わない?」
「……うーん。さすがにそこまでは行かないけど、複雑な気分ではあるよ。お兄ちゃん、カンデラ市長の元で働いて変わったんだって。お父さんがそうぼやいていたのを思い出すよ」
「ロドスに来てから、お兄さんとは話している?」
「バーに来てる時には話してるよ。他の時は、そこまで話をしないかなあ」
◆
事実、バー以外ではあまり話をしなくなった。兄妹であるはずなのに、だいぶよそよそしくなった。
話を思い出して虚しくなってきたな。
自分の話をしないと思っていた妹が、ドクターにはしている。その事実が妙に心をざわつかせる。
……うーん。これじゃあシスコンと言われても仕方が無い。
「バーテンダーさん。水をください」
彼は頷き、冷蔵庫に向かう。
「急に水を頼んでどうした?」
「チェイサーです」
「チェイサー? 強い酒でも飲んでたわけでもあるまい」
「すぐ酔いを覚ましたいんですよ。経験則で、これは逆に酔うと沼にはまるやつだってわかります。これはたぶんひどく落ち込む」
「そこまで落ち込むのか。やっぱり妹が恋しいんじゃないか」
「ええそうですよ。嫉妬しているんですよ。俺は妹の理解者にはなれないんだこんちくしょー」
「だいぶ酔ってるな。まだ一杯くらいしか飲んでないのでは?」
「酔ってないですよさすがに」
バーにふさわしくない声だとわかりつつ、うめき声をあげてしまう。水を出され、それを一気に煽るとようやく落ち着いてきた。ほてった体に流れる水が自我を取り戻させた。
「はあ……ごめんなさい教官。俺はもう帰ります」
「ああ、わかった」
席を立つと、
「ああ、少し待ってくれ」
教官が手で制した。
「なんです?」
「さっきから疑問があってだな……」
顎に手を当て、眉を寄せて言った。
「今までお前はラ・プルマとドクターの話をしていたが、その二人の話はどうやって聞いたんだ?」
「え?」
「執務室の話だし、お前がその場に居合わせたらそんな無防備に話をしないと思うのだが」
「ああ、そのことですか」
そういえばうっかりしていた。説明不足にも程がある。
「まさか盗聴器か、盗撮でもした?」
「違いますよ。そこまでこじれてませんって。執務室にいるあるオペレーターに話を聞いたんです」
「オペレーター?」
「ドクターの側にはファントムという人がいるんです。ずっと執務室にいて、しかも誰もその存在を認知できないから会話が筒抜けなんです」
「え、こわ」
「俺も知ったのは偶然でした。彼に話を聞いたところ、今までの話を聞いたと」
もちろん何もかもへらへら言うわけではないが、身内だからと彼も承諾してくれた。ただ、それでも踏み込みすぎかなとは、今になって思う。
「それでは教官。よい夜を」
「君もな」
一礼をして、バーを出る。ロドスの廊下は薄暗くなっており、件のオペレーターが陰に潜んでいそうでもあった。
彼から聞いた妹の話には、俺への侮蔑などはなかった。だが逆に、関心も、肯定もなかった。ただ今も仲が芳しくなく、話しにくいと言ってただけだ。
俺は嫌われているのだろうな。
まだぼうっとする頭の中、自分の部屋へと向かった。
※
「ドクターさん! あそこのバーの料理がおいしいんですよ! 大きくなったらぜひ行きましょうよ!」
秘書のアルケットが満開の笑顔で言った。
「酒な……そろそろ飲みたい気分だ」
「いいでしょいいでしょ。実はつい先ほどバーに行ってみたのですが、料理のクオリティが最高でした」
「仕事の合間にバー!?」
「お酒は飲んでいませんって。合間の夕食ついでに行ってみたんです」
ほんとかな?
しばらくアルケットの話を聞いていると、執務室の扉が開く。
「やっほードクター」
「ラ・プルマじゃないか。バーの仕事は終わったの?」
「うん終わったよ。だからドクターのところに来たんだ……あ! さっきのお姉さん」
「誰かと思えばラ・プルマさんですか。先ほどバーでお会いしましたね」
確かバーの内装やら料理の企画で一緒になったと聞く。
「バーのビールについてお話があるのですが、我がランデン修道院の所有する麦畑のですね……」
「おいおい酒の話はまた今度にしてくれ。ほれ、書類を持って行って」
「はーい」
アルケットが渋々と、執務室から出て行った。
「今日は秘書さんがいるんだね。だったら邪魔かなあ」
「仕事はいつもと変わらないよ。ここに来たってことは、何か話があるんだろ? 遠慮なく言ってみて」
ここ最近は、仕事がてらラ・プルマの話に付き合っている。ドッソレスの事件の詳細を聞くのに役立つし、私は別に困らない。
「そうだなあ。今日はお兄ちゃんとお話ししたんだよ」
「どんな話?」
「いや、ほとんど話はしてないかな。やるとしても世間話くらい」
この兄妹の溝については、チェンからある程度聞いている。ラ・プルマはほんわかしているように見えて、いや実際しているのだが、一本筋が通ったところがある。悪く言えば頑固、よく言えば信念がある。
溝の原因は、主に父親への感情だという。その相違によってすれ違いが起きているのだとか。
「話すのは楽しい?」
「うーん……今はどうかな。なんか、うわべだけというか」
「これからどうしたい?」
ちょっと踏み込んでみる。案の定彼女は難しい顔をした。
「今のままじゃダメだと思ってる。だから……いつか市長の所に行って話を聞いてみようと思う」
「ほう?」
意外な答えが出てきた。
「私はテロの犯人側だからどうなるかわからないけど、今はドッソレスへ行くためのお金を稼いでいるよ」
「どうして市長の話を聞きたいの?」
「お兄ちゃんの気持ちが変わった理由を知りたいの。市長の下で働いてから、お父さんの計画に対する心が変わったと思ってる。だから何がきっかけで変わったのかを、私も感じてみたいんだ」
なるほど。相手の立場と同じになって考えるか。
「いいと思うよ。経験は何物にも代えがたいものだからね」
「もちろん会ってくれるかはわからないけど」
「そのあたりは難しいかな……こちらもできる限り協力してみよう」
「ありがとうね。ドクター」
今までため込んだものを吐き出すように、深く息を吐いた。
「話したらすっきりしちゃった。秘書さんもそろそろ戻ってくるだろうから、今日はこれでバイバイだね」
「ああ、いつでも来て」
「うん。じゃあまたね」
彼女は笑顔で執務室を出て行った。
今までの話を聞いてわかった。あの子は、実際に経験して、共闘して、人と気持ちを分かち合うのを信条としているのだろう。先ほどの言葉に迷いはなく、やはり信念が見えた。
すれ違いは実際にあるだろうが、彼女は彼女なりに歩み寄ろうとしている。兄も気に掛けているのは知っている。二つの道が交わる道も、そう遠くないだろう。
やれやれ。早く兄姉間の仲が元に戻るといいのだがな。
コーヒーを一口いただこうとすると、後ろの方でカタンと物音がした。
「ん?」
振り返ってみたが、そこには何もない。部屋の隅で何か動いた気がしたが、気のせいか?
そこには棚からできた影があるだけだった。何もないスペースだが、なぜか人一人分が足りないような空白を思わせる場所だった。