パゼオンカに初めて会ったのはまだショタになる前だった。
ガヴィルたちが騒動に巻き込まれたドゥリン族の街にいた文学者で、あれこれあってロドスへ研修にやってきたらしい。
彼女を一言で表すならドゥリン族狂い。ロドス内のドゥリン族の境遇に対して、やれ食事が合ってないだとか、勤務時間が長すぎるとか、マドロックの巨像の前に配置するとは何事だとか……さながら小姑のごとく口を出してくる。加えて彼ら彼女らに対して、布団をかけるとか、散らかしたものを片付けるなど過保護な面も見受けられ、ドゥリン族に対して並々ならぬ関心を寄せている。
反面ドゥリン族以外には、かなりの警戒心を見せてくる。
「ご機嫌ようドクター。これからわらわが秘書を務めますわ、適切な距離を保つようお願いいたしますわね。そちらの方が安心できますの」
「率直な物言いをお許しくださいまし、ロドスはドゥリン族のオペレーターにより相応しい仕事と生活環境を整えるべきですわ」
過剰な礼儀正しさも相まって近づきがたい印象があった。ただ、少しずつ付き合っていくうちに彼女の心を開く唯一の手段がわかった。
「ふわ……おはようございますドクター」
「どうしてソファに寝ているんだ」
「ドクターからいただいた本を読んでいたら徹夜してしまいまして、今は仮眠を取っていましたの」
「だいぶ分厚かったと思うんだけどな」
「すごく面白かったですわ。吹きすさぶ風の中、主人公たちが別れるところは涙なしには見られませんでした」
彼女は本の話になると、饒舌になるのだ。
「この本では風が印象深いですわ。稲穂を揺らす風は希望を感じさせます。しかし別れた後、空の部屋のカーテンを揺らす風は寂しく感じる。言葉とは不思議なものです。状況、レトリック、前後の文脈によって、一つの単語が多様な意味を持つようになりますわ」
とまあ本の造詣が深く、文筆家の職業にふさわしい知的な会話をする。こうした話を繰り返していくうちに、徐々に警戒されることはなくなった。
そんな折りである。私はかのブラッドブルードの医者のせいで子供の姿に変わってしまった。
「まあドクター、その姿はどうしたのですか?」
「薬で体が小さくなってしまってね」
「まあまあまあ……」
最初は驚きこそしたが、その後も変わらず秘書をやってくれた。
だがどうもおかしい。ボールペンがないと言ったらバケツいっぱいに持ってきてくれたり、執務室がやけに片付けていたりとすごく甲斐甲斐しくなった。なぜかは全くわからないが、小さくなってから私への対応と、何より私を見る目が変わった。
たとえて言うなら……何か捕食者のような目に変わっていったのだ。
◆
「ドクター。おはようございます」
……ん? もう朝か?
寝ぼけ眼で声のする方を見ると、そこにはパゼオンカがいた。こちらを覗き込むような姿勢だったので、書類仕事をやっている時に、机に突っ伏して寝落ちしたのだと気づく。時計を見ると、もうすぐお昼になるところだった。
「ま、まずい!」
慌てて腰を上げると、ブランケットがはらりと地面に落ちる。バゼオンカが掛けてくれたのだろうか、椅子から手を伸ばして拾う。
「お疲れのようですわね。もう少し寝ててもいいのですよ」
「いやいや、すぐに仕事を終わらせないと」
「書類仕事なら終わりましたわ」
「え? あんなに山積みだったのに?」
改めて書類机を見てみると、確かに山のようにあった書類がきちんと右隅に整列されている。
「こちらは重要書類、こちらはデータ管理用の書類です。あとは捺印をしていただくだけですわ」
「う、うん……」
戸惑いながら書類を見てみると、確かにデータは整理されて記録されており、必要事項もしっかり記入されている。重要書類以外は目を通すくらいで捺印をし、書類は続々と処理されていく。そして……。
「終わった? 私の仕事が昼前に?」
「今までどれだけ多忙な仕事をしていたのですか」
見積もりでは今日いっぱい掛かるはずだったのにか……昨日も知らず知らずのうちに助けられていたのかもしれない。
「助かった。書類の内容をここまで書いてくれたおかげで作業が段違いに楽になった」
彼女は文筆家、ないしコピーライターの仕事にも携わっていたようだから、そのあたりの契約や交渉事のノウハウがあるのだろう。ロドスでも中々いない人材だ。
「お褒めにあずかり光栄ですわ。あとしっかり寝たのもよかったのだと思いますわ。机ではありますが」
「む、確かに体が軽い感じが」
「実は昨夜用意したハーブティーはカモミールですわ。すやすや寝ていたのはそのせいですわね」
至れり尽くせりにも程がある。
仕事と生活両面で面倒を見てくれるのはものすごく助かる。助かるのだが……どうして急に優しくなったのだろう。
感謝とともに、払えない疑念も出てきた。
「仕事も落ち着いたので、早いですがお食事などはいかがですか?」
「久しぶりの外の昼食……」
「え?」
「大体はここで済ませてしまうから。または行っても夜遅くになるからね」
「そうですか。では久しぶりの食事を一緒にしませんこと?」
「いいだろう」
二人で食堂へと向かう。その道中はロドスの料理は大変美味しいなどと、彼女の話を聞いた。
……しかし並んで歩くとめちゃくちゃでかいな。ちょっと目を落とすと服の間からきれいな脚が見えてしまう。まるでスリットみたいな場所が顔の近くにあり、目のやりどころに困ってしまう。
煩悩に塗れながらも食堂についた。
「ドクターだ。珍しいな」
「あれ? もう夜になるっけ?」
「この時間にドクター? 夢でも見てるかのようだ……」
珍獣をみたいな声を聞きながら席に着く。
久しぶりの昼食はゆっくりしようと、普段食べないものを注文してみた。羽獣のソテー、ご飯、トマトと豆のスープと普段手を付けないだろう料理が運ばれてきた。さっそく食べてみる。
「おいしいな」
「ええ。とてもおいしい」
素晴らしい料理に舌鼓を打っていると、その料理人がやってきた。
「どうもドクター」
「おお、マッターホルンか」
立派なツノを生やした屈強な男がエプロン姿でお出ましだ。こちらもでかい。
「ここで食べる料理はやっぱりおいしいよ。いつもちゃんとした時間に食べたいものだ」
「ありがとうございます」
「それで、わざわざ来たのはどうして?」
「実は前々から届けたいものがありまして、今が好機だと思いました」
右手に提げた細長い紙パックを目の前に差し出す。
「ミードでございます」
「聞いたことがある……確か蜂蜜酒だったか」
「はい。しかしこちらは特別製で、アルコール抜きのものとなっております。そのお体で酒はあれですので」
ジュースみたいなものか。
「あら? つまりわらわの申請が通ったのですわね。ドゥリン風味の飲み物として支援部に作っていただきましたの」
「なるほど。あなたの発案でしたか。今朝方支援部から届いたもので、これはぜひドクターにと思い取っておいたのです。発案者もいらっしゃるならちょうどいい」
「じゃあいただいておこう。後で二人で飲むか」
マッターホルンに感謝を述べて食堂を後にする。私では地面を引きずってしまうのでパゼオンカに持ってもらった。
「元が蜂蜜酒というだけあって黄色っぽい色をしているな」
「今注ぎますわね」
執務室に戻りさっそく空けてもらう。応接机の対面に座り、グラスを用意し注いでもらった。グラスに注がれる液体は澄み切った琥珀色に変わり、部屋の照明をてらてらと反射している。
「すっきりしたものから甘口のものと種類はありますが、この色を見るに甘口ですわね」
「匂いは……どれどれ」
グラスを鼻に近づけると、蜂蜜特有のねっとりとした甘い香りがする。
「では飲みましょうか」
「ああ、今日はお疲れ様だ」
チンと、グラスを鳴らし飲む。
……おお、確かに蜂蜜の甘味が口の中に広がっていく。それでいてさわやかさもあり、くどくない。
じっくりと味わっていると、彼女はすぐにグラスを空けていた。
「パゼオンカは、酒はいける口なのか?」
「ゼルウェルツァでは飲み比べで誰にも負けませんでしたわ。ですが、酔うのは早いです」
「なるほどね。大人に戻ったら酒を飲みたいものだ。ロドスにはバーもあってね」
「へえ」
仕事もないため、意気揚々と会話をしていた。会話も弾み、ミードも飲みやすいためぐんぐんと減っていき、楽しい時間は過ぎていく。
だがしばらくして異変が起きた。
初めは体がぽかぽかしてきたと感じた。これは蜂蜜の何かが作用しているのだろうと思っていたら、今度は視界がぼんやりとしてきたのだ。それに乗じ、意識ももうろうとしてくる。
あれ? ちょっとくらくらしてきたぞ。
一体どうしたのだろう。まるでこれは……酒に酔った時のような。
そう思った瞬間に、私の意識は途絶えた。
……
…………
……は!
「起きましたのね」
目を覚ますと、そこにはパゼオンカがいた。彼女の顔を見上げる形の光景にびくっとなり、同時に後頭部に柔らかさを感じる。膝枕をされていると気づいたのはすぐだった。
「す、すまない。寝てしまった」
慌てて起きようとすると、おでこを押さえつけられる。
「いいですのよ。きっと疲れが抜けきっていないのでしょう」
ずいぶんと気の抜けた声で言う。
「まだ夜中ですので、何も心配することはありませんわ。どうぞ遠慮なさらずに」
「そ、そうか」
そう言われても、いくらなんでも恥ずかしすぎる。
「子供だからアルコールがよく回るのですね」
「そうなんだよ。前にも失敗してしまってね」
「うふふ。そんな失敗談が」
あんまり笑うところでもないと思うが、とりあえず笑っておく。
「ところで、大丈夫か?」
「何がですの?」
「膝枕だよ。あんなに適切な距離を取れって言ってたじゃないか。前までなら物理的な接触なんて考えられない」
基地でも触らないで! とヒステリックに叫ぶのに。
「別にいいですわよ」
「ああ、よかった。こうやって会話を重ねると信頼を得られるんだな……」
「信頼も何も、ドゥリン族のためなら苦にもなりませんし」
ん?
「ドゥリン族? 私が?」
「ええ、あなたはドゥリン族です。ドゥリン族」
おっと、話がおかしくなってきたぞ。
「いや、私は薬で体が小さくなったわけで」
「薬で体が小さくなるわけないでしょう。あなたは元々ドゥリン族だったという方が納得できます。コートを着ていて体も見えなかったのも、中にロボット的なものが入っていたのでしょう」
「そっちの方が無理があるのでは?」
「お黙りなさい!」
「ちょ、ちょっと待て」
膝枕から起き上がり、ひょいと床に着地して対面にあった瓶を見た。
ラベルにははっきりとアルコールと書いてある。しかもアルコール度数は10度で、ワインと同じくらいだ。甘いのと先入観で全然アルコールを感じなかったのだ。
つまり今彼女は……。
「ダメですよドクター。ちゃんとわらわの膝の上で寝てくださいまし」
長い腕で体をつかまれ、また柔らかな感触を後頭部に感じた。パゼオンカの顔を見ると、若干赤ら顔になっている。
とりあえず今までの謎はわかった。小さくなってからやたら気を遣われていたのは、ドゥリン族と勘違いされていたからか。そして今、アルコールでタガが外れてこんな甲斐甲斐しく世話をしているのだ。
これはまずい状況になってきた。今までの出来事を鑑みれば、確実にまずいことが待っている……まずい?
いや、別にいいよな。美女の膝枕だぞ。おみ足を堪能できるんだぞ。一体何が問題だって言うんだ。
仕事も終わったし、明日までは特に用事もない。酒に酔って寝てしまってもかまわんのだろう。
「蜂蜜酒で思いましたが、蜂蜜の蜜って言葉、卑猥ですわよね」
「は?」
「蜜の他にも、竿とか壷とか花弁とか、なかなか卑猥な単語ですわよね。状況、レトリック、前後の文脈によって、一つの言葉が多様な意味を持つようになりますわ」
「おいどうした」
前に話した知的な会話とそっくりなのに、とても低俗な話になっている。
「いえね。あれを最近読んだんですよ」
「あれ?」
「卑猥な方の小説です」
官能小説じゃないか。文筆家だからそっちにも明るいのか?
「婉曲に言うことでまた卑猥になりましたわ。これでは卑猥の乗算です」
「おい大丈夫か。いや大丈夫じゃないな。水を取ってこよう」
まずい状況だと思い逃げようとすると、その膂力でがっちりと頭と腹を押さえられる。彼女の細い指からの体温を、しっかりと感じるくらいに捕まれた。
「なんかドクターを見てたら変に気分が高揚してきましたわ」
「アルコールの作用が働いているだけだ。落ち着け」
「ムラムラしてきた」
「へえ!」
まずい。目が完全にイっちゃって息もはあはあしている。普段の過剰な礼儀正しさもたまに抜け落ちてくる。
「もう我慢できない。オンカオンカする」
「オンカオンカ!」
「オンカオンカです」
「オンカオンカってなんなんだ?」
「オンカオンカはオンカオンカです! 意味なんて状況、前後の文脈次第でいくらでも変わりますから、ここからどうするかはお察しいただけるでしょう!」
オンカオンカってなんだよ! そう叫ぼうにも逃げられる術すらなく、ただ彼女の手に体をゆだねる。
頭を押さえていた手が、そっと首筋にそえられる。その長い指がつつっと皮膚を伝い、やがて頬を包み込む形となる。彼女の手のひらの温度を感じると、次には力が加わって頭が持ち上がった。
「さあ飲みましょうか」
いつの間にか片手には瓶がある。その口をなぜかこちら側に傾ける。
「ま、待ってくれ。これには酒が……うぐ」
「遠慮なさらず飲みましょう」
まるで哺乳瓶のごとく、口に口が突っ込まれた。口腔に広がる液体は甘ったるく、すぐに中をいっぱいにする。その圧力に負けて思わず吹き出してしまった。
「あらあらもったいない」
ぼうっとしていると、頭がさらに持ち上がり、横にパゼオンカの顔がある状態となった。目を合わせると、彼女はとろんとした目をこちらに向ける。しかし次の瞬間、なぜか私の首に顔を埋もれさせた。
そして首筋にぬたっとした感触を感じ取った。
「ひゃっ!」
思わず声が出るくらい、電流が走ったくらいの衝撃だった。首筋をレロレロと、まるでキャンディのように舐められている。
舌の若干ざらっとした感触が、首の皮膚を粘液とともに伝っていく。そのたびに神経がなぞられるようなしびれと快感が全身を駆け巡った。加えて彼女の香りと官能的な舌使い……意識をつなぎ止めるのに精一杯だった。
「お、おいやめてくれ……さすがにこれ以上は」
「もったいないですから。もったいない。せっかくわらわが申請したものなのに」
もしかして、ドゥリン族もヤバいことをされている? 過保護にしていたのは愛情ではなくて劣情からくるもの?
ああ……ダメだ。正常な思考ができない。
「あら、胸元にもこぼれている。少々失礼しますわね」
そう言い、私のコートを両手で引っ張りはだけさせた。
「いや! けだもの!」
「まるで生娘みたいなセリフですわね」
そう言って机に手を伸ばし、ティッシュを数枚取り胸に添えた。ああ……拭いてくれるのか。びっくりした。このまま捕食でもされるのかと思った。
「別に拭かなくてもいいですわね」
安心した矢先、そう言って顔を胸にうずめた。
「じゅるじゅるじゅる……」
うああああ! やっぱり舐められるうううう!!
舌が、唇が、私の胸の上を這っていく。ダメだ! このままじゃ絶頂してしまう!
「ああいけません! そこの突起物はいけません!」
最後にとんでもなく無様に言い放ち、気絶した。
◆
目が覚めると執務室の天井が見えた。そのまま膝枕で眠ってしまったらしい。胸ははだけたままで、粘性のある液体がパリパリに乾いて皮膚に付着してしまっている。
「どうしたんですのドクター。そんな格好すると風邪を引きますわよ」
パゼオンカも起きたらしく、目を擦って言った。地面に落ちたブランケットをまた拾い直して掛けてくれた。
「なんだか昨日の記憶がありませんわね。なぜかドクターを膝枕してるし」
「覚えてないのか……」
「何があったのか説明してくださいませ」
うーんどう言ったらいいのかと迷っていると、
「すみませんドクター……」
マッターホルンが限界まで身を縮こませながら中に入ってきた。
「あの、ミードについてお話が」
事の説明を聞くと、どうやら食堂に二種類のミードがあり、アルコールが入ったものを間違えて渡してしまったらしい。
「本当に申し訳ありません! いかような処罰も受けます!」
「いやいやいいから……」
今後はこのようなことがないようにと何度も頭を下げるマッターホルンをなだめ、何とか帰らせた。
「起きた時の状況がよくわかりましたわ。どうやら酔ってしまって寝たみたいですね。ドクターを膝枕していたのはよくわかりませんが」
予想以上の出来事が起きたのは言うべきか、言わないべきか。
……しかしよくよく考えてみると、あれは親切心から来たもので、決してエロエロなことをしたわけではない。酒がこぼれたからどうにかしようとしただけだ。
きっと昨日のは酔った彼女が暴走しただけなんだ。舐めたのは単純にもったいなかっただけなんだ。ドゥリン族に対してやましいことをしている変態はいなかった。うん、そういうことにしておこう。
ただ、一つだけ疑問に思っていることがある。
なんか下半身がすっきりしているのだ。起きている時から違和感があったが、なんだか下半身が軽いのだ。
「えっと……」
「なんですの?」
どうなんだ? これは私の勘違いなのか? もし勘違いならとんでもないセクハラになってしまうぞ。
いくらなんでも彼女に聞けるわけがない。なんか卑猥なことをしたのかなんて聞けるわけがない。
だから代わりに、こう聞いた。
「結局オンカオンカって何だったんだ?」
「は?」