「ほほうなるほど。ワルファリンという方の実験のせいでこうなったと」
小さくなった私を、ホシグマがまじまじと見てくる。
ドッソレスでの休暇……もといチェンの尾行および調査を終えた彼女に見つかった。
緑の艶やかな髪から一本のツノを覗かせた鬼族の女性。元マフィア、そして現在は近衛局の警察隊に勤務する傍らロドスに協力してもらっている。
しかし子供の姿で見上げるとほんとでかい。184とか男でもでかいのに。
「災難だったよ。しかしそっちは休暇か。いいなあ、こっちは相変わらずアーミヤに休ませてもらえない」
「一応任務だったんですが、まあ思い切り楽しませてもらいましたよ。というより、その姿でも職務を?」
「やる。ケルシーからは小さくてもできるだろうと言われてる」
「大変ですね。どれ、私が執務机まで運んであげましょう」
そう言うと急にしゃがみ、脇に手を突っ込んでくる。
「わわ! 急に何をする」
「何って運んでいるんですよ」
よいしょと、軽々と体が持ち上げられホシグマと顔を合わせる形となった。
「は、はずかしいからやめてくれ。子供じゃあるまいし」
「子供じゃないですか。今は」
「子供だけど子供じゃないよ」
「話し口調はドクターですが、声の高さや見た目は完全に無垢な子供ですよ。いや、実においしそうで――」
「ん?」
「ん?」
「今、おいしそうとか何とか言ったよね」
「さあ、何のことでしょう」
ホシグマが目をそらす。
「いや絶対おいしそうって言ったよね? この姿でその言動は洒落にならないんですが。コンプライアンスに引っかかるんですが」
「一体何を言ってるのでしょうね。聞き取り能力まで幼くなってしまったようだ」
「言ったぞ。聞き取り能力までは退化してないぞ」
「やれやれ何かわめいている。これはワルファリン氏に報告しないといけませんね。幻聴の症状があると」
やいのやいの言ってるうちに、椅子に座らされる。
「さあ馬鹿なこと言ってないで仕事をしましょう。私もできる限りは手伝いますから」
言いくるめられ、そのまま仕事が始まる。
言ったよな? 私を見ておいしそうって言ったよな?
それって絶対あれじゃん。まずいやつじゃん。カニバリズム的なのもヤバいが、そっちも別方向でヤバいじゃん。
ホシグマがそんな節度のない人ではないと思いたいが。
時刻は過ぎても、書類整理は続く。体が小さいから、いつもより余計に動かなければいけない。体を伸ばして奥のを取ったり、下に落ちたのをいちいち椅子から降りて取らないといけない。
あ、また落としてしまった。やれやれと思って肘掛けに手を掛けると、そこにすかさずホシグマが来てくれた。
「ドクター。不便があるなら言ってください」
膝を曲げ、拾ってくれた。
「あ、ありがとう」
プリントを渡される時、嫌な気配を感じた。
ホシグマの目つきがいやらしいのだ。いやらしいというか、獲物を捕捉した目のようなのだ。
「私の目がやらしい?」
しびれを切らし、一言もの申した。
「ひどい言われようですね」
「確かに感じる。しかも書類渡してくるときに手を触ってくるし……」
「触ってるのは偶然でしょう。私を何だと思ってるんですか」
「いやだって、酒の飲み比べをした時も私をお持ち帰りしようとしてたじゃないか」
「お持ち帰りは聞き捨てなりませんね。酔わせてどうにかしようだなんて思ってないし、酔った人間を介抱するのはザルの務めでもありますからね」
「だ、だが……」
「ずいぶんとウブな発想をお持ちですが、子供になると精神性も幼くなってしまうんでしょうか」
言いくるめられてしまった。いや、確かにホシグマの言うとおり考えすぎなのかもしれない。でも、おいしそうと言ってたのは間違いないんだよな。
そして仕事後……。
「チェンのやつ、チーム名にダサいものを使ってきてね……ふふふ、今になっても思い出し笑いをしてしまう」
書類整理が終わると、ちょっと話をと思いホシグマとソファに座った。冷蔵庫から持ってきた、黄色の缶が二つ置かれる。
「やっぱり休暇はいいものだ。おっと、普通に休暇と言ってしまった」
「別にいいよ。今更じゃないか」
「はは、子供の前で取り繕うのもおかしな話だな。じゃあ休暇でいいか」
ホシグマは休憩中と職務中とでは口調が全く違ってくる。そんな違いを楽しみつつ話を聞いた。
「ドッソレスでも事件か」
「ドクターがいたシエスタでも騒ぎがあったらしいな」
「あったな。ロドスは事件を連れてくる疫病神でもいるのだろうか」
「テラにおいて事件の全くない土地などないさ。それは観光地だろうと、龍門だろうと極東だろうと変わりはない」
極東……ホシグマの出身地。この時代のホシグマが何をやっていたか、何が起こって龍門のマフィアに入ったのかはわからない。
ここで龍門のトップから送られてきたメッセージを思い出す。
『ホシグマだ。ロドスに預けよう。
我とドクターの仲だ、一つヒントを伝えておこう。
彼女を知的な人物であると感じているうちは、まだ彼女のことを全て理解したとは言えない。
あの盾――「般若」、その来歴を彼女自ら語る日が来たら……
真の意味で彼女を理解できたと言えよう』
――ウェイ
(プロファイル昇進記録より抜粋)
ホシグマは鬼族では珍しく、極めて冷静な人物だ。しかし何だろう。この物言いだと彼女の知的な人物像は、本当の彼女ではないということになるが。
「極東はあまり知らないんだよな。どんな場所なんだろう」
「行ってみればわかるよ。そのうち旅行でもしてみるといい」
自分の出身地を話すにしては、やけに投げやりな感じがする。
「具体的に何があるとかは……」
「温泉がある。あれはいいものだ」
「温泉はいいな。いつか行ってみたいものだ」
「そういえば、その体で一人でお風呂は危なくないか? 食事は?」
「いくら子供になったとはいえそこまで心配されることはない。乳幼児に対する心配だそれは」
「なら一緒にお風呂に入らなくてもいいか」
たまらずぶっと飲み物を吹き出してしまう。
「ああこんなにこぼしてしまって」
「ホシグマが変なことを言うからだよ!」
「おやおや恥ずかしいのか。こんな冗談も聞き流せないなんて、やっぱり子供だ」
いや、冗談な感じじゃ無かったぞ。おかしい。やっぱりさっきからおかしいぞ。知的な姿が彼女の全てではない。その奥に隠された人格がある。まさか……。
ショタコン?
あの意味深なメッセージからホシグマショタコン説が浮上してしまった……。
やめろ自分。さすがに彼女に失礼すぎだろう。それにトップがそんな他人の性癖を物ありげに言うわけないだろ。
落ち着くためにビールを飲む。
「ん?」
「どうした?」
「ドクター、私の飲み物と間違って飲んでないか?」
「え、なんのことらろう」
あれ? 急にろれつが回らなくなったぞ。
「それ、ビールなんだが」
「うんビール。わかってるわかってる」
「待て待て。ドクターの体がどうなってるかわからない以上アルコールを飲ませるわけには……こりゃだめそうだ」
頭がくらくらする。それに乗じて体もくらくら。ついにはソファに横になる。
そうか。酒の耐性も子供並みか。舌は馴染んでいたものの、体は馴染んでなかったと。
「これは運ばないといけないな」
首の後ろと膝裏に腕を入れ、よいしょと持ち上げられる。
このままじゃまずいじゃないか。ホシグマにお持ち帰りされちゃうじゃないか。
でもホシグマにならいいかも……。
…………。
……
……
「なるほど。経験に基づいて毒じゃないことを学習してるわけですか。ですから大人は苦い物や飲み物を口にできると」
「一度苦みを克服したドクターが子供に戻ってもそこは大丈夫だったはずだ」
何やら会話が聞こえてきた。慌てて起き上がると、そこは医務室だった。
「あっと、まだ動いてはいけませんよ」
と、職務モードのホシグマが手で制す。
「子供の肝臓ではアルコールはきついはずだ。しばらく水を飲んで大人しくしろ」
諸悪の根源、ワルファリンがベッド脇を指さす。テーブルには水差しがある。それに手を取ろうとしたが、ホシグマがすぐにやってくれた。
「私のせいですから」
「い、いや自分が気づかなかったのも悪いさ。散々飲んだ味だから、全く警戒しなかった」
「ほう……普段は酒をそんなに飲んでおるのか。フォリニックやケルシーに報告させてもらおうか」
やめて! 二人にどやされる!
「とにかく、助かった。いやてっきり部屋に連れ込まれるかと」
「へ?」
「……いや何でもない」
「聞き捨てなりませんね。さすがにドクターの危機にそんなことするわけないでしょ」
巨体がむすっとした表情で詰め寄ってくる。
「私を何だと思ってるんですか」
「すまん。さっきのやりとりでつい思ってしまった……」
はあ、とため息をついて頭を抱える。
「これは少々やりすぎましたか。今までのは単純にからかって楽しかっただけにすぎません。子供というのはかわいいものですから」
「そうなの?」
「いくら何でも子供に手を出したりはしませんよ。そこまで節操のない女ではありませんよ」
「じゃああのいやらしい目つきは?」
「ええ……あれをいやらしい目つきと捉えていたんですか。危ないから終始見張っていただけですよ。本当の子供でも危ないのに、大人だった者が急に子供になるんです。体の感覚がおっつかなくて、椅子から落ちないかひやひやしてたんです」
なるほど、だからあんなに熱視線を。人の思い込みは恐ろしいな……普通に勘違いをしてしまった。
「そこまで心配しなくてもよかったのに」
「職業柄と言いましょうか。守る、というのが私の昔からの理念ですので」
「それは、極東時代の話?」
「……まあそういうことにしておきましょう」
極東から龍門に移り住み、そこでマフィアに加わっていたと経歴を見た。しかしそこら辺のマフィアとは違い、昔気質の任侠だったという。
何が彼女をそうさせているのか、過去に何があったのか。いずれにせよ彼女であり、知られていない部分もまた彼女なのである。本心に何があろうが、守るを理念にしたホシグマは変わらないのだ。
安心すると、眠気が襲ってきた。
「疑ってすまなかった。反省するよ」
「わかってくれればいいです。早く寝ましょう。アーミヤ女史には私が言っておきますから」
「いつもありがとう。寄生兵を止めてくれてありがとう……」
◆
「おや、寝てしまいましたね」
ホシグマが耳を近づけると、ドクターの寝息が聞こえてくる。
「ドクターの具合はどうなんです?」
「問題はない。飲んだ量もそこまでではないから、寝ればすぐに治るだろう」
「そうですか。でしたら私が運びましょう。貴重な医療室のベッドをこんなことで占拠するわけにはいきませんからね」
そう言ってドクターを持ち運ぼうとするホシグマに対し、
「待った」
毅然としてワルファリンは止めた。
「もう少し経過を見たい。元に戻す方法についても考えねばならぬからな。このまま置いておいてくれ」
ホシグマは一瞬真顔になりながらも、
「わかりました。では失礼します」
儀礼的な笑顔をし、そのまま医務室を後にした。
「ふう……」
すると入れ違いに、医療オペレーターの子が入ってきた。ホシグマを見てびくっとし、すぐにあいさつをする。ホシグマはそんな相手に対しても礼儀正しく会釈をした。
「どうだった?」
さっそくワルファリンが声をかける。
「あ、はい。ワルファリンさんの指示どおり、執務室に行って確認してきました」
おかっぱのオペレーターはごくりと喉を鳴らす。
「おつまみやお菓子はそのままでしたが、飲んでいたというアルコールの缶はもうありませんでした」
「ほう、どうしてだろう。あれほどドクターの心配をしていたのに、缶を片付ける余裕はあったのか」
「どういうことでしょう?」
「ドクターが間違って飲んだと箔を付けるために、あえてそういう状況にしたのかもな。実は最初からどちらもアルコールだったとか。だから処分した」
「最初から酔わせる目的だったんですか? あれ、それって……酔わせてホテルに的な」
「さてな。しかしあの鬼族、腹の底が見えぬ者だったな。何を隠し持っているのかさっぱりわからない」
ひとまずドクターをここにおいたのは正しい判断だっただろう。推測通りだとしたら彼の貞操が危ないし、仮に杞憂だったとしてもホシグマの手を患わせなくて済む。
彼女が本当にショタコンなのか、ドクター自身に好意を寄せているのか、はたまた全て妄想だったか。今はそれを知るすべはない。
せめて、片付けられた缶が何色だったかを知れれば真相がわかるかもしれない。ドクターの好きな缶は、黄色のラベルだったか。