その神社の娘は、幼い頃から鬼狩りの絵草子を読み聞かされて育ちます。
主人公の娘は、絵草子に描かれた若いお館様の姿にあこがれる夢みがちな娘です。
ばあやにせがんで、鬼狩り草子を読んでもらいます。
娘は大きくなっても変わらず、お館様や鬼狩りにあこがれてでたらめな歌を歌います。
もともと娘の姉が産屋敷に嫁ぐ予定でしたが、姉が出奔したため、娘が嫁ぐと決まりました。
絵草子内の親方様の最期がちょいグロです。
藤棚から長くさがった藤の花のあいだに、黒い着物を着た幼い子が見え隠れしていた。年の頃は、三つか四つ。利発そうな顔をして、黒髪を耳の横でまっすぐに切りそろえている。
娘が、行こうか行くまいか、手鞠を持って悩んでいるうちに、幼子は駆け出してしまった。拝殿の裏手から、娘の父親が客人と共だって歩いてきた。幼子は、客人の連れであった。
娘は境内の大鳥居の陰に隠れた。
その客人は、三月に一度ほどここへ訪れる。奥方をともなって三人で訪れるときもある。
娘の記憶では、その客人は下ろし髪の白い顔をした若い男であった。いまは黒い頭巾をつけて、その容貌はわからない。ときおり咳込んで、歩みを止める。幼子と繋ぐ手の甲に、なにやら赤黒い瘢痕が見えていた。
そのとき、大鳥居に隠れていた娘の手から、手鞠が転がり落ちた。黒頭巾姿の客人は咳込み、足を止めていた。幼子が客人を見上げて、なにごとか話しかけた。手鞠はゆっくりと、立ち止まった二人の足元に向かって転がってゆく。
幼子が黒頭巾の客人から離れて、手鞠に駆け寄った。両手で手鞠を持ち上げて、まっすぐ娘に向かって歩いてきた。
「はい」
幼子は、娘に向かって手鞠を差し出した。幼い子供とは思えない、澄んだ声色だった。たったひとことで、娘の頭はぼうっとなり、その顔は赤く染まった。娘の唇が言葉を発しようと、開いては閉じた。幼子は、娘の顔を見上げながら微笑んでいた。
「あ、あ……あり、が、と……」
やっとの思いで絞りだした、しどろもどろな娘の礼の言葉を聞いた幼子は、うれしそうに笑った。赤い唇から、小さな白い歯がのぞいた。
あっけにとられた娘の前で、幼子はすっと頭を下げた。
「では、御免」
幼子は踵を返して、客人の隣へ駆け戻った。娘はその後ろ姿を見て、ひとつの確証を得た。そして、連れ立って歩く二人の姿が見えなくなるまで、ずっとその場に立ち尽くしていた。
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ある昼下がり、娘は部屋で草紙を広げていた。娘の家の蔵には、似たような草紙が多くあった。
「ばあや、ばあや、どこ」
娘は絵をながめるのに飽いて、老女を呼んだ。
「はい、はい、ここに」
どこからか、老女が返事をした。老女は、娘がなんといったのか、聞こえたわけではない。ただ、昼のこの時間に声を上げる者がいるとすれば、この娘しかいない。そして、娘が声を上げるときはきまって老女を呼んでいるのだから、返事はいつもおなじだった。
「ばあやあ、どうこお」
じれたように、娘の声が甲高くなった。
「はい、はい、ただいま」
老女はいつもの調子で答えて、縫い物の手を止めた。間をおかずに、娘が縫い物部屋に駆け込んできた。やれやれと老女は縫い物を終わりにした。
「読んで」
と娘は、部屋に連れてきた老女にいった。
「はいはい、草紙ものですか」
畳の上にあちこち広がった草紙を片付けながら、老女が答えた。
「だめ、それ読んで」
老女が重ねた草紙を、娘がつかんだ。
「ああ、鬼狩草紙」
といって、老女は若草色の表紙がついた草紙をひらいた。
「肉狩る、血狩る、鬼を狩る。さても当代、鬼狩りの、血気さかんな若者の、鬼退治のぉ、はじまりぃ、はじまりいい」
老女はしゃがれた声に抑揚をつけて、珍妙な調子で語りはじめた。老女の開いた草紙のどこにも、そのような文は書かれていない。文字の読めぬ娘も、それを承知で聞いている。
老女は草紙に描かれた絵にあわせて、まずは鬼のことわりを語った。
鬼の始まりは、鬼舞辻無惨なり。
人を喰らう鬼が、顔中を血に染めて振り向く後ろ姿が描かれていた。ざんばら髪の鬼が、もぎ取った人の腕に、長く伸びた爪を喰い込ませている。
血の色は、すでに色褪せてくすんでいたが、娘の眼には生々しい鮮紅色に映った。
京の都の闇に、鬼がひそむう。
無惨やあ、無惨、鬼が舞うう。
京の辻に立つ鬼の影、踏むなあ、踏むなあぁ。
老女の語りは、たどたどしく、調子っぱずれになる。いよいよ、草紙の字面と合っていない。にもかかわらず、娘は眼をかがやかせて、食い入るように京の辻に立つ鬼を見ている。鬼の足元には、血まみれの屍がある。血だまりに月が映っている。
おのれえぇ、無惨め。
刀をかまえた若武者の立ち姿。
烏帽子からこぼれた乱れ髪が、風になびいている。噛みしめた唇の赤さ、鎧を濡らす血潮に、娘の頬は上気していた。
老女の手が草紙の一葉を繰ると、あわれ若武者は眼を見開いた生首ばかりとなって、血みどろの臓腑に浸かっている。手、足、胴と、どこがどこやらわからぬありさまであった。
鳴呼、またしても。
かくもむごたらしきは鬼狩りの、命をかけての鬼退治いぃ。
老女は芝居がかったしぐさで、着物の袖を頰にあて、よよと泣き真似をしてみせる。
「おやかたさま、おやかたさま」
娘が甘えた声でねだるようにいうと、老女はまた一葉、唾で湿した指先で繰った。
勇猛果敢な鬼狩りの若者を束ねるは、産屋敷家、代々の当主なり。
まこと罪深きは産屋敷。
鬼舞辻無惨こそ、産屋敷が血族にては因果祟りて、鬼退治いぃ。
草紙に描かれる産屋敷の当主は、黒髪を肩で切りそろえた下ろし髪か、あるいは総髪姿に描かれていた。鬼狩草紙における産屋敷家当主は、黒髪を肩で切りそろえた細身の若者である。その絵姿を、娘はいたく気に入っていた。
御館様の言葉に、鬼狩りの若者たちが頭をたれる。
鳴呼、くちおしや。
今日も勇敢なる若者の、血肉を賭しての狩り狩りに、はや若者は倒れたり。
京の都の陰にひそむ、鬼よ、鬼。
若き血潮のたぎるるを、いかでか鬼の邪術にて、命を散らしてなんなんと。
かえすがえすも、くちおしや。
老女の指が一葉、また一葉と繰るたびに、産屋敷の当主の顔は、焼けただれたような赤褐色の瘢痕にうずもれてゆく。
御館様、御館様。
みなの呼ぶ声が、御館様の御耳に届いているかすら、もはやわかりませぬ。
いまや御館様の肉体は、瘢痕に埋もれて腫れあがり、穴という穴すら見えず、ただただ肉の塊のごときありさま。
これを産屋敷の呪いといわずになんといおうか。
盛り上がった瘢痕の、皺の割れ目から、黄ばんだ汁が流れ出る。ひどくいやな臭いの汁に、ときおり血が混じる。
奥方様が薬湯に浸した布を、肉塊と成り果てた御館様の身体に貼ってゆく。噴き出す汁を拭き、薬湯の布を取り替え、床擦れのできぬよう、御館様を転がす。転がすうちに、顔も尻もわからなくなり申した。御館様は、三月ほどそのような姿でお過ごしになったが、新月の引き潮の晩に、とうとう身体中から汁という汁が流れ出して、冷たくしぼんでおしまいになった。
心の臓が強くおありだったのであろう。
この方が、産屋敷の歴代当主でいちばんの長寿でございましたなぁ。
老女はつくづくため息ついて、草紙を繰る手を止めた。
「ばあや、鬼はどうした」
「鬼ならいまも京の都におりますよ」
「血狩る、肉狩る、鬼を狩る」
娘が老女をまねて、口ずさんだ。
「鬼狩りはどうしてる」
「もちろん、おりますよ。鬼を狩るのが使命でござんす」
「ばあやは鬼見たことある」
「ありますとも」
「喰われなかった」
「喰われたのは、妹ですよ。ちょうどいまのお嬢様くらいの年でしたな」
「へええ」
「むかしばなしですよう」
娘はもう話にも飽いたのか、眠そうな眼で畳の上に転がった。
「いま時分に寝たら、夜に眠れなくなりますよ」
老女の手が娘の肩を揺する。その揺れが心地よく、娘の眠りはいっそう深くなっていった。
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娘が十五の歳に、姉が出奔した。
姉を連れて逃げたのは、その春から出仕していた若者だった。家中が騒ぎになったので、娘は蔵の中に隠れた。蔵の中で草紙を広げていると、握り飯を持って老女がやってきた。
「昼か」
娘は櫃の上から下りて、老女に駆け寄った。いま老女は、暗がりではほとんど目が見えない。娘は老女の手をとって、蔵の外に出た。
「外で食う」
娘は老女を日の当たる庭まで連れ出すと、手水鉢まで駆けた。娘は着物も濡れるのもかまわず手を洗い、濡れた手を老女に差し出した。
「はいさ」
と老女は帯にはさんだ手巾を出して、娘の手を拭いてやった。
「姉さまは見つからぬ。もう峠じゃもの」
娘が握り飯を頬張りながらいった。いったはずみで口からこぼれた飯粒を、指で拾ってまた口に運んだ。
「そんなに早よう出なさったかね」
老女は目を細めて、遠くの山を見た。
「峠じゃ、峠じゃあ。まにあわぬ」
娘の口から飯粒が飛んだ。
娘の姉の死骸が見つかったのは、出奔してから三日後のことだった。長く人のいないあばら屋に、残っていた。着物と簪で、それとわかった。
娘は老女に連れられて、蔵に入っていた。蔵の中では、娘が老女の手をとって、小さな葛籠に座らせた。
「ばあや、鬼狩り」
「はいはい」
老女は娘にねだられて、薄暗い蔵の中で口をひらいた。
「血狩る、肉狩る、鬼をかるう」
しゃがれた声で、老女がささやくように語りはじめた。
娘の姉の弔いが終えて、十日とおかずに黒頭巾の客人が来た。杖をつく客人の腕を、線の細い若者がささえていた。若者は艶やかな黒髪を耳の下で切りそろえていた。あたかも絵草紙から抜け出てきたような、美しい若者であった。
それまで娘は、その客人たちが家に来る席に呼ばれたことがなかった。娘はその日はじめて父母に連れられて、客人二人を間近に見た。
娘は、目の前の若者が、かつて自分に手鞠を手渡した幼子と知っていた。幼い頃には娘姿であったが、いまはすっかり若者らしいたたずまいであった。
娘はいつになく熱っぽいまなざしで、若者を見た。娘のただならぬ目つきに、母親がたじろいだ。尋常でない娘の様子に、気圧されたかのように、母親は口をつぐんだ。
もはや娘はじっとしていられず、もじもじと身体をくねらせていた。落ち着きのないそぶりだが、その目は爛々と輝いて、若者の一挙一動を見ているのである。しかも若者を見ているうちに、娘はいつもの惚けた顔に血の気がさして、奇妙なほど生気に満ちてきた。
娘がこの調子であったから、婚礼の用意は着々と進んだ。
「我らの家の因縁を、ご存知か?」
あるとき、若者が娘にたずねた。
娘は頬を上気させ、微笑みながら鬼狩草紙の一節をそらんじた。
「まこと罪深きは産屋敷。鬼舞辻無惨こそ、産屋敷が血族にては因果祟りて、鬼退治。鬼退治」
「では、わかっておいでか」
若者の言葉に、娘は大きくうなずいた。
「ならばこの縁談、このまま進めてよろしいな」
娘はますます顔を赤くして、若者に向かってうなずいてみせた。
「血狩る、肉狩る、鬼を狩る。鬼舞辻無惨の朝を待つ」
娘は妙な節をつけて歌った。娘の手が、鞠つきの手真似をしていた。
かような娘のふるまいを、若者は口元に笑みをたたえながら見つめていた。ふと、娘を見つめる若者の目に、なんとも名状しがたい感情の色が浮かんだ。若者は娘の横にならび、ささやいた。
「わたしも心の臓はつよいゆえ、おまえののぞむとおりになろう」
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娘と若者の婚礼は藤の花の頃、ごく内輪の者のみでおこなわれた。あとは、いくつもの籠に乗り継いで、どこへゆくとも知れぬ道行である。帰路を断っての出立だった。
「血肉を賭して狩り狩りじゃ、狩り狩りじゃ」
娘は籠の御簾越しに見える山藤の、風に揺れる花の房を見ながら歌った。
おしまい20200803