プロローグ
帝国と協商連合、フランソワ共和国で起きていた戦争、その結果は明確な勝者を決めず、停戦と言う形と相成った。名目上はお互いのこれ以上の浪費を避けるためであるが、周辺国がこれを素直に受け取るわけがなく、そこにあるはずの裏を探そうと躍起になった。
一方で帝国が己の懐事情を暴露するというある種の暴挙ともとれる発表は、その数字の正しさを疑う事は難しく、戦争による浪費で弱った帝国を攻めようと思っていた各国にとっては、まさに強力すぎる抑止力であった。
無論フランソワ共和国との停戦交渉は難航した。圧倒的勝利であったにもかかわらず、停戦と言う不可解な条件を突きつける帝国に不信感を抱くのは至極当然の事、ただゼートゥーアには最高のカードがあった。『ラインの悪魔』と言う切り札が。
「もっと単純にお考え下さい。裏を読むよりもまず先にメリットの方を重視してもらいたい。停戦に応じるという事はあなた方が『ラインの悪魔』と呼んでいる相手と敵対しないで済むという事です」
「確かに我々は『ラインの悪魔』に幾度も煮え湯を飲まされてきた。だが所詮優秀な兵士なだけだろう」
ゼートゥーアはほくそ笑んだ。それこそ彼が望んだ反応であったから故に。
「その認識が間違っているのですよ。あなた方は『ラインの悪魔』の恐ろしさの一端しか知らない」
「……どういう意味かね?」
「『悪魔』はただの兵士じゃない。『悪魔』が真に恐ろしいのはここ」
ゼートゥーアは頭を指さし、とんとんと叩いた。
「『この戦争は世界大戦に発展するでしょう』、私が『悪魔』に初めて会ったとき、そう言ってのけたのです」
「……世界大戦、だと?」
交渉相手は怪訝な表情を浮かべる。世界大戦はそれほど突拍子のない事であった。だがその認識こそが愚かであるのを今のゼートゥーアは知っている。
「考えてもみてください。この戦争はどっちが勝っても状況は最悪に転がり落ちる。あえて本音で話しますが、戦争の目的は利益の追求となりましょう。だが今回の戦争において勝者ですらも利益を享受する事は出来ない」
そんな事はない、交渉相手はそう言い返したかったが、ではなぜ停戦交渉が申しこまれたのか疑問が残る。懐事情の暴露と言い、少なくとも帝国は本気で停戦したいと思っているのは疑いようもなかった。
帝国には何か確信があるのだ。嫌な予感が汗となり、頬を伝る。
「周辺国が巨大な国ができるのを認めるわけがないのですよ。この戦争が終わった時が全ての引き金となり、疲弊したタイミングを狙って、他国がこぞって軍事介入してくる。強国は漁夫の利を得るために。弱国は自国の危機を絶つためにそれこそ死に物狂いで。勝者に与えられるのは安息ではなく、最後の一国になるまで争う泥沼の戦い。つまり我々は勝っても負けても今後に待ち受けているのは地獄というわけですな」
交渉相手が息を呑むのが分かった。そこをゼートゥーアは畳みかける。
「それに危機はそれだけではない。我々が戦争すればするほど強くなる国がある。合州国だ」
合州国の名を聞いた瞬間、今度こそ相手の表情が絶望に染まる。一度常識を塗り替えさえできたのなら相手も愚者のままではない。ゼートゥーアの言わんとしている事を正確に察する。それ故の絶望であった。
「今後周辺国がこぞって参戦してくるでしょう。その間でも彼らは我らが勝手に弱っていくのを見ているだけ。その間着々と力を蓄え続けるでしょう。一方でこちらに残るのは誰が勝者であれ、結果は一緒だ。国力を使い果たして疲弊した国々しか残らない。だから『悪魔』は言った。この戦争は愚か者が勝手に自滅していくだけの戦争だと」
相手は恐ろしい未来に戦慄する。そしてそれを読み解き、言い切った『悪魔』の存在に恐怖しか覚えない。我々はこんな化物と戦争をしていたのか。
「『悪魔』が『悪魔』たる所以は十分に伝わったかと思います。現状がどれ程悲惨である事も。さて、ここで改めてあなたに問います。ここまで情勢を読み切った『悪魔』とあなた方は本当に敵対しますか?」
『悪魔』の誘いを断る術はなかった。
(1)ターニャの航空魔導師錬金術
見事停戦を勝ち取ったターニャであったが、停戦後は戦いに駆り出される事はないにしろ、多忙な日を送っていた。彼女に命じられた新たな任務は、帝国の航空魔導師の全体のレベルを引き上げる事である。
といってもあの地獄の訓練をやるわけにはいかない。そもそもあれは本来ふるい落として『やっぱり無理でしたー、てへぺろ』をやるためのもので、ターニャ自身すらも達成者が出るとは思っていなかった代物である。
そもそも一カ月の超過密の訓練は、一応の平時である最中にやる事ではない。第203魔道大隊は戦時下という、極限状態であるからこそ生まれたのだ。狂気の中でないとあの過酷な訓練は達成できない。
それに今回必要なのは作戦の要となるようなエース部隊ではない。全体の底上げはすなわち、岩のような盤石な態勢を作るための物である。これに必要なのは突出した強さではなく、穴のない安定感、一定の水準を全員が保持する事だ。
よってターニャはまずはその合格ラインについて、どのようにするか頭を悩ませた。203魔道大隊より下なのは言うまでもないが、だからといって下過ぎても困るのである。
そもそもの話、航空魔導師という兵種そのものが扱いが難しい。航空魔導師は何でもできる万能さを持つが、その一方で器用貧乏な兵種であった。ターニャの大隊が特別なだけで、本来は航空機よりも遅く、戦車よりも走行が劣り、歩兵よりも数が少ないといった具合で、航空魔導師はいわゆるオールラウンダーであってスペシャリストではないのだ。
便利ではあるけども結局どこに配備するか、頭を悩ませる者は存外に多い。スペシャリストでない故に重要な任務などは今一信用置けず、言葉は悪いが使い捨てできるような気軽さもない。ただでさえ少ない魔道適性持ち、その上訓練でものになる数はさらに少ないという希少種、なればこそ有効に活用しなければならない。
一人一人の質の向上は必須、だが203魔道大隊のようなレベルを求めればほとんどが落第してしまう。
どうしたものかとターニャが頭を悩ませる。ターニャ率いる第203魔道大隊が戦いをする際、やらなければならない事が実に多い。真っ先に挙げられるのは限界高度の問題だ。ただ高く上がればいいだけの問題ではない。はるか上空の世界は人が住めない世界、酸素が足りないのだ。上の世界は酸素を生成しつつ高度も維持しなければならないため、下の世界と比べて単純に倍の作業となる。
戦闘になると倍なんてものではない。ターニャの基本戦術は多数のデコイによる攪乱と、デコイを誤射した相手に誘導弾によるカウンターを与える事だ。被弾も考えて防御隔壁だって常時生成しておかなければならない。相手の魔道反応による弾速予測、そこからの回避軌道などもあるから、まさにてんやわんやだ。
だからといって従来の限界高度6000での飛行と、デコイなしの航空魔導師では必ずと言っていいほど犠牲者が出てしまうだろう。航空魔導師は絶対数が少ないため、それで妥協していたら次もしも戦争があったとしたらあっという間に枯渇する。
そもそもマルチタスクは魔法とか関係なしに難しいもので、これはこれで限られた人しかできない一つの才能だ。努力で伸ばすにも限界がある。高い魔道適性とマルチタスク処理、二つの才能を持つのは稀有な存在であろう。
客観的に見ると如何に第203魔道大隊の異常であるかが分かる。たまたまうまく行っちゃっただけなので、正直これを増やせと言われても困る。
ターニャはげんなりした様子で、ヴィーシャの入れたコーヒーをすすり、レルゲンの差し入れのチョコレートを口へと放り込んだ。苦みの後の甘味が一際際立って、疲れた脳を癒す。
ヴィーシャがニッコリしながら見ていたのに気づき、ターニャは仕事しろと睨みつける。慌てて机に視線を戻したヴィーシャをぼんやり見つつ、ターニャは彼女の事を考えた。ヴィーシャには己のバディとしてだけでなく、事務処理能力にも随分と助けられている。
ターニャが思うに彼女がいなかったらターニャ自身、己の仕事の多さにとっくの昔につぶれていたであろう。ヴィーシャが半分負担してくれているからこそ、なんとか回っているのだ。そこまで考えてターニャはふと閃いた。
(半分負担? 半分負担か……)
「セレブリャコーフ少尉、ちょっとレルゲン中佐のところまで行ってくる」
「駄目です!」
「おい!!」
「なるほど、航空魔導師を分業化するのか」
「はい、帝国の航空魔導師をすべて第203魔道大隊並みにするのは、たとえ時間をかけたとしても難しいと言わざるを得ません。203魔道大隊の皆が最後まで残ったのは、折れない心があったからこそですが、そもそも才能があったという面も大きいのです。努力だけで埋められるものではありません」
レルゲンは至極納得したように頷く。というのもレルゲンは戻ってくる前の世界で、ターニャ率いる203魔道大隊の強さを十分に痛感していた。他国にもエースオブエース級の航空魔導師は多々いたが、ターニャの部隊は特別だ。なにせ脱落者がいないという事はそれだけ経験が蓄積され続けるという事、メンバー全てがエース級まで育ったというのはターニャの部隊のみである。
人的資源という価値観を持ち、当時は出て当たり前だった戦死者を出さない運用法を作り上げたターニャも恐ろしいが、それについていったメンバーも尋常じゃないのは言うまでもない。
「どうにもならない部分をずっと考えていてもしょうがありません。だから考え方を変えました。我々は今まで航空魔導師について、航空機と同じようなイメージを持ってきました。一人一機で戦わなければならないと。では戦車として考えたらどうか? 戦車は航空機とは違い、一人で一台を動かすわけではありません。基本的には車長、操舵手、砲手、装填手の四人で一台を動かすわけです」
「それを航空魔導師でやろうと考えたわけか」
ターニャはあえて戦車を例に挙げたが、実のところ戦闘機でも一人じゃなくて、二人で操縦する複座型というものがあったりする。かつての世界の知識によるものだが、具体的には前席はいわゆるパイロットで、後席は火器管制やレーダーなどを担当と言ったものだ。要は複雑化されてきてパイロットだけでは対処しきれない操作を、単純に人を増やす事で可能としたものである。ちなみにこの発想は後にAIに代替えされる。
「流石に戦車のように四人は多すぎますが、例えば二人でしょうか? 役割分担するには密着しなければならないでしょうから、仮にバックパックのように片方を背中に背負うとしましょう。背負われた者は索敵やデコイ生成、防御隔壁などサポートを徹底、そして背負った者は移動と攻撃に集中する。これで一人一人の負担は格段に減りますし、精度は格段に上がる。二人による旋回性の低下など、鈍重さがどれ程影響するかは、実際にやってみなければ分からないところですが」
「中途半端な強さの者が二人よりも二人で一人の精鋭を作る、か……」
「小官としては、帝国の航空魔導師として他の能力はともかく、最低限高度だけは203魔道大隊と同等まで質を高めたいと考えております」
「上を取るとはそこまでのものか?」
「ええ、航空魔導師同士の戦いで圧倒的有利になるのはもちろんの事、たとえただの固定砲台だったとしても上にいられるのは相当に厄介です。全てが丸見えなのですから。また高度さえあれば航空機とも戦えます。逃げに徹されると速さで追いつけない問題はあるでしょうが、網を張れるだけでも違ってくるはずです。戦略的価値として雲泥の差となりましょう」
率直に面白い案だとレルゲンは思った。この着眼点の良さがデグレチャフの鋭いところだ。しかしながら二人の凡兵か、一人のエース、どちらが戦力として上になるであろうか、人一人を使ってまで強化する価値はあるのか、ターニャが言うにはその価値があるとの事だが、実際に試してみない事には分からない。
(試すとなるとやはり203魔道大隊に頼むのが適切であろうが……)
「うん?」
「何か問題でもありましたか?」
普段見られないレルゲンの反応にターニャは首をかしげる。
「いや、もしこれをやるとなったら、デグレチャフ少佐の部隊で実験するのが妥当だろうと思ったのだが」
「それは、まあ、そうなるでしょうね」
「ここでの我々の想定は『普通』の航空魔導師二人を一人のエースにするという事だ。だがデグレチャフ少佐の部隊は皆、普通と言うよりかはエースの集まりみたいなものだろう?」
「まあ、他より強いとは自負しておりますが」
「では普通ではなく、二人のエースが合わさった場合はどうなるのか、と」
「え゛」
あるぇ? これってなんか良くない方向に話が進んでないか?
レルゲンの期待の眼差しにターニャは冷や汗をかいた。流石は発案したら基本的に自分でやる羽目になる人、平時になってもその才能は枯渇しない。
「デグレチャフ少佐、二人乗りの実験を許可する。その代わりに実験には私も呼んでくれ。是非ともこの目で見てみたい」
誰にやってもらいたいとは具体的に言ってはいないが、レルゲンは明らかにターニャ本人が参加する事を期待している、というかターニャがやると信じ疑っていない。当初は実験は部下に任せ、報告書だけ書こうと思っていたターニャであったが、こりゃ駄目そうだと乾いた笑みを浮かべるのであった。
(2)新たな力
二人乗りの実験の見物にはレルゲンだけでなく、当たり前のようにゼートゥーアもいた。あとルーデルドルフも。今はかつてのように戦時ではないため、皆時間を取ろうと思えば取れるのだ。その他にも海軍、陸軍で重鎮と呼ばれるような者達が勢ぞろいである。幾度の作戦を成功に導いてきた努力の結果か、軍関係者の中でターニャの信頼は異様に厚く、そんな彼女発案の実験を見てみたいというのは当然の帰結であった。
どうしてこうなった、ターニャはげんなりした様子で辺りを見回す。皆の期待の眼差しが刺さり、居心地が悪い事この上なかった。無論信頼を得るという事は重要だ。しかし得すぎてしまったように思えるのは気のせいか。
ターニャは深くため息をつくと、隣で緊張でカチカチに固まっている今回のパートナーを見やる。今回彼女の相方を務めるのはヴィーシャではなくグランツであった。悪魔の巣窟とまで言われた203魔道大隊の中で彼が選ばれたのは、至極単純な理由で彼が203魔道大隊の中で一番の新入りだったからである。といってもグランツもまた逆行組なので実際は違うのであるが、とにかく今の世界ではそういう事になっている。
バディであるヴィーシャと組むのももちろん考えていたが、仕事に関しては本気でやるのがターニャである。慣れ親しんだ者同士の方が成功率は高いだろうが、ヴィーシャとは些か呼吸が合いすぎてしまっている。一番成功する可能性が高いであろうが、ターニャとしてはこれを今後の基準としてしまうには危惧があった。
今回の実験は203魔道大隊のためというよりかは、今後育っていく者達のためのものである。そのため育成プランとして有効かどうかを測るためには、203魔道大隊の中でターニャから一番遠いメンバーを選ぶのが妥当、と考えたわけであるが、繰り返し言うがグランツも逆行組である。バディとしては初めてであっても、ターニャの教育がみっちり行き届いてるには変わらないので、誰を選ぼうが正直意味はなかったりする。
一方で選ばれたグランツはというと、今まさに天国と地獄を同時に味わっていた。
この世界では新兵であるグランツも、中に入っているのは死線を潜り抜けたベテランであり、戦闘において緊張などありえない。経緯はどうであれ、あのターニャから選ばれたのは栄誉な事で、絶対成功させると意気込んでいた。
そんなベテランであるはずの彼が委縮してしまった理由はただ一つ、選ばれなかった他のメンバーからの嫉妬の視線であった。特に絶対選ばれると確信を持っていたであろうヴィーシャからの妬ましさ全開の視線がきつかった。
起動実験の後は実戦形式の演習もある。相手はもちろん203魔道大隊の面子だ。グランツの気が重たくなるのも無理はない。ただでさえ鬼強いのにここに嫉妬ブーストが乗るのだ。その相乗効果の程は考えたくもない。
「そう気負うな。私がサポートする」
「大隊長殿……」
「それとも何か、私では不服か?」
「それだけは絶対ありえません!!」
リラックスさせるためのジョークではあったが、グランツの思わぬ強い口調にターニャは面食らう。目を丸くしているターニャを見てグランツは慌てて謝罪する。
「す、すみません。大隊長殿との実験は成功すると確信しているのですよ。ですが、その……周りの皆からの視線がやばかったとでもいいますか」
「皆の視線? ……ああ、そういう事か」
実験演習だというのに殺気を感じる異常事態、事前のミーテイングで気づいてはいたが、自分に向いていないからターニャはそれを流していた。それがどうにもグランツ一人に集中していたらしい事を察した彼女は苦笑する。
「まったく、感情の抑制もできないなんてしょうがない奴らだな。だったら」
「……だったら?」
「とことん嫉妬させてやるとしようか」
不敵な笑みを浮かべて挑戦的に言うターニャにグランツは歓喜に震えた。グランツはターニャのそれがたまらなく好きであった。いつだって余裕があり、勝利を疑いようもない圧倒的な存在感。彼女の勇敢さにどれ程勇気づけられてきたか。
グランツ自身、過去に戻ってきてからも何度かターニャのの激励は受けてはいたが、全く慣れるような事はなく、むしろ繰り返される度に喜びは大きくなる。さらに今回に限って言えばグランツがひとり占めである。憂鬱な気持ちなど一気に吹き飛んだ。
グランツの表情が変わった事を確認したターニャは満足そうに頷くと、彼の背中に飛び乗った。だがその直後、グランツの熱は冷や水をかけられたかのように消沈した。
「え?」
「どうした? まさかこの程度を重いとは言うまいな?」
「いえ、むしろ……」
グランツが感じたのはその真逆であった。ターニャを背中に乗せたのは今回が初めてであったが、想定していたよりも『軽すぎ』た。尊敬する上官がまだ幼女である事を再認識させられたグランツは、無意識にまた彼女に頼り切ってしまっていた自分の愚かさを思い知った。
かつての擦り切れてしまった彼女の姿を思い浮かべ、口を堅く結ぶ。拳にはあらんばかりの力が入った。ターニャの勇姿を見て喜んでいる場合ではない。グランツ達203魔道大隊はそれをさせないために戻ってきたのだから。
(今度こそ、今度こそは!!)
それまでの熱は一気に冷め、静かな闘志が音もなくゆらゆらと揺れる。後に続くのではなく横に並ぶ存在になる。それこそが我らの悲願。グランツはゆるぎない覚悟を胸に秘め、ターニャがそうしたように自分もまた余裕を演出した。
「むしろ大隊長殿は軽すぎです。これでは男の甲斐性を見せられませんよ」
「ほう、言うようになったな。だったらこの実験内で甲斐性ってものを見せてみろ」
「無論そのつもりでしたよ」
小気味良いジョークの応酬が続く中、カウントダウンが始まる。そしてカウントがゼロになった瞬間、二人は同時に演算宝珠を起動させた。
「行くぞ!」
「はい!」
開始と同時に二人は一気に空へと駆け上がる。が、
「「は?(え?)」」
二人が思わず素っ頓狂の声を上げてしまったのも無理はない。ちょっと飛ぼうと思っただけなのに、高度は一人で行った際のほぼ倍の高さを示していた。
「な、なんという速さだ」
「信じられない。もうあんな高さまで……」
見物していた者達からも驚きの声が上がり、辺りが喧騒に包まれる。その中で冷静だったのはレルゲンとゼートゥーアであった。ターニャ・デグレチャフを良く知る二人にはこれくらいはすでに想定済みだ。
「さて、デグレチャフ。ここから何を見せてくれる」
レルゲンは期待の眼差しで空にいる二人を見上げた。
「性能が上がるとは予想していたが、単純に倍近いとは……」
「普通は速さに振り回されそうなものですが、特に通常の時との差も感じなかったですよ?」
思いがけない利点が浮き彫りになったが、二人乗りの本当の目的は航空魔導師の分業化である。二人同時に同じ事をする相乗効果を一旦脇に置き、当初の目的である分業についてグランツに指示を飛ばす。
「よし、グランツ。ここからだ。まずはどれだけ上れるかを試すぞ。ここからは私の方は主にサポートに回る。酸素生成と防御術式はこちらで展開するから、お前はこのままひたすら上がればいい。限界が近いと思ったらすぐに伝えるように。私の方でも無理そうだと思ったら伝える。くれぐれも無茶はするなよ。あくまで限界一歩前だ」
「了解しました!」
そうして二人はさらなる上を目指した。かつての訓練での目標であった8000はすぐに超え、かつてターニャのみが達成し、後のサラマンダー戦闘団でも限られた数名のみが到達できた10000をも突き抜け、到達した高さは12000。
グランツは今自分がその高さにいる事を信じられなかった。航空魔導師は高度に比例して魔力消費量が増えるため、高ければ高いほど維持するだけでもきつい状況になるのだ。12000はグランツの限界である10000を優に超えている。到達しただけでも驚嘆に値するのに、今のグランツには十分に動き回れるだけの余裕すらあった。そして限界を超えたのは高度だけではない。
「的が、見える」
8000の高度に用意されていた的、想定していた高さをはるかに超えてしまったため、普通であれば点で見えればいいくらいのものが、今のグランツにははっきりと見えていた。
高度差だけでも4000、単純な距離を考えると射程外であるが、下に向けて撃つのであれば話は別。重力に引かれてむしろ速度は増していく。
届くからといって当てられるかは全くの別問題ではあるが、航空魔導師には誘導術式がある。そして目視できるのであれば誘導術式の性能は段違いだ。誘導術式は魔力探知によるものと思われがちであるが、相手がはっきりイメージできているとそうでないの差は大きい。何だかんだ言っても人において最も優秀なレーダーは視覚である。
それゆえにグランツはここからでも的に当てられると直観していた。そう、予感ではなく直観である。今のグランツには確信に近い何かがあった。
「的は全部で8つ」
「ええ、一つ残らず捉えています」
「この場所から全て撃ち抜けるか?」
「行けます!」
断言するグランツを見てターニャは愉快と言わんばかりに破顔した。それではとターニャは悪魔の笑みでさらにハードルを上げた。
「30秒だ。その間に全部当てて見せろ」
「了解!!」
時間制限を付け加えられてもグランツは揺るがない。彼は即座にライフルを構えると術式を込める。ターニャに半分をサポートをしてもらっている今、集中力は今までと段違いであった。使える魔力量は倍、マルチタスクから解放された事から処理の速さ、正確性はそれ以上、格段に密度の濃い術式が組み上がる。
「一撃ですべて落とす!!」
放った術式は光を放ちまっすぐ落ちていき、一際閃光を放った後8つに割れた。拡散したそれらは正確無比で、一直線で各々の目標へと向かっていき、ほぼ同時のタイミングですべての的を射抜いた。
まさかの誘導術式、拡散術式の合わせ技である。その記録は30秒どころか、半分以下の13秒、詠唱時間を抜かしたらものの数秒だ。かつてのターニャが爆撃機の撃墜に使った技をグランツはやってみせた。
「ほう、まさか二つの術式を合わせるとはな」
「咄嗟の思い付きでしたがうまく行きました」
「だが動く的だったらどうか。グランツ、このまま実戦形式の演習に入るぞ。せいぜい嫉妬を煽ってやれ」
「はい!!」
(3)ターニャとヴィーシャ
「セレブリャコーフ少尉、今入電がありました。これより実践演習に移るとの事」
「分かった。各員準備は良いか!? 相手は我らが大隊長殿である白銀! 我らが、我らこそがあの御方を守るに足る存在だと証明する良い機会だ! ただ守られるだけの存在であってはならない! 1人欠ける事無い未来のために死力を尽くせ!!!」
「「「おおー!!」」」
いつもは副隊長の立場であるヴィーシャであったが、普段は必要ないからやらないのであって、ずっとターニャを見てきた彼女は指揮官としても優秀であった。普段の柔和な印象とは似ても似つかず、一種の苛烈さを伴って周りを鼓舞する様子は、有無を言わせぬ凄みがあった。
今回演習に参加するのはヴィーシャの小隊と、ヴァイスの小隊である、ヴィーシャはターニャのバディであるため、ターニャが抜けた穴は別の人員で補填してる。
二つの小隊はそれぞれ実験場から南と西、別の場所に待機しており、演習開始の合図と同時に目標であるターニャ達に向かう予定となっていた。二つの部隊の位置は実験場から同じ距離ではなく、ヴァイスの小隊の方が近くなっている。先にヴァイスの小隊と交戦に入った後、時間差で別方向からヴィーシャの小隊で奇襲するという算段だ。
ちなみにこの作戦内容はターニャ達には伝えておらず、相手の規模すらも伝えていない状態である。普通であれば圧倒的有利であるが、ヴィーシャおよび、各隊員の表情は険しい。相手は白銀、一機であっても油断ならない相手なのは百も承知、しかも今回は二人乗りと言う未知の部分も含まれる。想定通り二人乗りで強化されるというのであれば『一人だから楽勝』なんて言葉は出てこなかった。
そしてヴィーシャの考えが間違いでない事はすぐに証明された。
『セレブリャコーフ少尉!』
「ヴァイス少尉?」
『大隊長殿の射程、正確性は想定以上! 大隊長殿は拡散誘導術式と狙撃術式を組み合わせている。緩急ある攻撃で翻弄され、こちらはすでに二人やられた!』
「位置の特定は!?」
『いや、目視できないだけでない。魔力探知でも引っかからない! 遠すぎる!!』
「厄介な!」
ヴィーシャは思わず舌打ちをする。空中は障害物がない世界のため、性能差はもろに現れる。執拗な追尾と狙撃の合わせ技ももちろん厄介であるが、何よりも危険なのは有効射程と索敵能力が段違いである事だ。見えない相手に対しては例え数の利があっても、一方的に撃たれるだけである。
奇襲を成功させるためにはヴァイスの方で拮抗した戦いをして、ターニャ達の目を奪っていなければならない。ヴァイスの小隊がすでに劣勢となっている状況、奇襲作戦が成功する目はもはやなくなったと言っても良い。
「セレブリャコーフ少尉! どうしますか?」
「……」
このまま無策で突っ込んでもやられるだけ、だが考える時間も多くはない。ヴィーシャの決断は早かった。
「ヴァイス少尉、もう少しだけ持たせて! 私に策がある」
『了解した!』
ヴァイスへ通達した後、ヴィーシャは各員に指示を飛ばす。
「二人私の元へ来て支えろ! 私はこれからあらゆる魔法を解除し、狙撃のみに集中する!」
「分かりました!!」
ヴィーシャの答え、それはターニャと同じ方法を取る事であった。この圧倒的性能差、偶然勝てるなどはあり得ない。状況を打開するには同じところまで登るしかないのだ。
両名に両脇を抱えてもらったヴィーシャは空中浮遊さえも切って、全魔力を視力に集中させる。すると今まで不鮮明だった部分が徐々に晴れていき、遥か遠方まではっきりと見えた。
(なるほど、これが今のグランツと大隊長殿が見ている世界)
二人の到達した世界に踏み入れたヴィーシャは告げた。
「ゆっくりと前進せよ! 私は大隊長殿が射程に入ったら即座に撃つ! 各員は私が撃った瞬間ただちに散開、全員で一気に距離を詰めるぞ! いいな!!」
「「了解であります!」」
ヴィーシャはすでにヴァイスの位置は捉えていた。完全に回避に専念したヴァイスはまだ粘っていたが、小隊は壊滅で残り一人となっており、撃破判定になってしまうのも時間の問題であった。
焦る気持ちを抑えてヴィーシャはヴァイスの奥にいる存在にのみ集中する。勝負の時は一瞬、徐々に距離を詰めて射程ぎりぎりのラインを待つ。そして、
「捕らえた! 狙い撃つ!!」
術式が撃鉄となってはじける。術式は見事ターニャ達の元へ届き、二人を分断させた。狙い通りに行ったのを確認した直後、ヴィーシャは突如浮遊感に襲われる。命令通り突撃していった二人と部下達を見ながら、それまで狙撃にために全集中していた魔力を通常運転に戻し、落下から反転したヴィーシャは皆の後を猛スピードで追走した。
「二人が分断した今がチャンス、畳みかけろ!!」
何故ヴィーシャの作戦が成功したか、その理由は二つある。
第一に自分の体を『二人』に抱えさせた事だ。ヴィーシャはその体格差からグランツがターニャを背負っている形であると予測していた。つまりグランツは分業化によるブーストはあれど、空中浮遊や移動に魔力を使用している状態であり、100%ではない。
だからこそヴィーシャは、自分自身が移動が出来ない状態になるデメリットを負ってでも、100%狙撃のみに魔力を使える状況を作ったのである。支える人数を二人にしたのは女性とは言え、全体重を預けるからであった。これによりヴィーシャは相手よりも僅差で索敵範囲が上回り、先に気づく事が出来た。
第二の理由は撃った術式は誘導術式ではなく、単なる狙撃術式であったという事である。ヴィーシャはその狙撃能力の高さで、ただのまっすぐに直進するだけの術式を正確無比な射撃で、二人のど真ん中にぶち込んだ。そのシンプルさゆえに、組み込む時間も最短で、魔力感知能力で事前に察するのが難しく、砲台と化していたグランツ達相手にとっては、まさしく奇襲となったのである。
それでも回避するのは流石であったが、長射程からのヴィーシャの射撃で、反応が遅れた二人は別々の方向へ回避してしまった。仕留めるのではなく分断こそがヴィーシャの狙い、後は数の利で押し切ればいい。
しかしヴィーシャ達が持っていたはずの数の利は至極あっさりと失われた。先行した者達がすべてターニャ達の仕掛けたデコイに引っかかってしまったのである。
訓練された203魔道大隊であればデコイには早々に引っかからないはずだが、作られた偽物の二人はただそこにいるのではなく、また二人乗りの体制を作ろうとしていたのである。またくっつかれると正確無比な射撃が復活し、劣勢になってしまう焦りから警戒を怠ってしまったのであった。
気づいたときには後の祭り、先行していた者達は、いつの間にかさらなる後方に退避していたターニャ達から、あっけなく撃墜判定を受けた。難攻不落の壁を攻略して勝利は目前、勝負に出たタイミングで危機感を煽る演出、最高のチャンスだからこそ生じた油断、そこにターニャはつけ込んだのだ。
しかし五分の状況に持ち込まれ、気持ち的には劣勢になってもいいはずの、ヴィーシャの顔は歓喜に染まっていた。これぞ我らの大隊長、白銀ターニャ・デグレチャフ。咄嗟の状況にもかかわらず最善手をぶち込んでくる化物じみた機転の良さ、その恐ろしさこそが懐かしく、ターニャと言う存在の証明となっていて、ヴィーシャは泣きたいくらいであった。
だが戦意は衰える事はない。むしろヴィーシャはターニャと戦える喜びをかみしめる。迷いなく突撃するヴィーシャに対し、ターニャは不敵な笑みを見せた。
ここに203魔道大隊の中でも屈指の実力者同士の戦いが始まった。
ターニャとヴィーシャの実力は拮抗していたが、両者のそのスタイルは異なる。ターニャはその体の小ささを活かして、高機動による攪乱がメインなのに対し、ヴィーシャは惑わされないよう、距離を保つように立ち回る。
死角に潜り込もうとするターニャに対して、ヴィーシャは牽制射撃でそれを阻止するという流れが何度も繰り返される。ターニャとしてはヴィーシャの狙撃能力は侮れず、距離を取っての撃ち合いになると劣勢になると感じており、ヴィーシャとしては攻め込まれれば一気に持っていかれると理解しているため、二人の戦いはまさに互いの一線を越えさせない戦いであった。
ターニャは焦って勝負に行かないよう感情を抑え、ヴィーシャはとにかく振り切られないように集中する。二人の勝負は我慢比べの様相となった。
勝負が動いたのは交戦開始から180秒後、状況を変えようとヴィーシャが誘導術式を放つと、ターニャは何体ものデコイを放ち、それを阻害する。
そのうちの何体かのデコイが被弾し、人の姿を保てなくなった魔力が飛散する。203魔道大隊の基本戦法は、被弾したデコイから相手の魔力残滓を読み取っての誘導術式カウンターである。この状況をあえて作ったヴィーシャの狙いはタイムラグにあった。魔力残滓を読み取っての誘導術式は精度は格段に上がるが、工程が多い分時間がかかる。といっても数秒あるかないかであるが、ヴィーシャはその僅かな隙に撃ち込むつもりでいた。
しかしヴィーシャの予想より一秒早く、ターニャは術式を返してきた。咄嗟に回避行動をとろうとしたが、ターニャの術式は全く見当違いな場所に飛んでいき、ヴィーシャは思わず術式の行く先を視線で追う。しかしその術式はヴィーシャの懸念を他所に、誘導も爆発もせずただ消え去って行った。
我に返ったのはその直後、何もないという事こそが答え。ターニャの不可解な術式は『白銀は絶対無駄な行動はしないはず』、という思い込みを利用したブラフであった。
(しまった!!)
ヴィーシャは慌てて視線をターニャの方へと戻すが、その時にはターニャはすぐ近くにまで急接近してきていた。ターニャはそこでライフルではなく、あえて素手で作った術式を『振りかけた』。
というのもその術式は一個の個体ではなく、小石のような細かい粒子の集まりであった。しかもただの散弾ではなく、最小規模であるが爆裂術式も組み込まれているため、威力もそこそこあるのが厄介なところである。弾にして籠めるイメージであるライフルではできない芸当であった。
「くっ!」
ヴィーシャはそれを回避する事なく、防御隔壁で受ける事を選択する。それは安易に回避して、ターニャを見失う事だけはあってはならないと考えた故の事であった。
ここで一つ航空魔導師の演習について補足しておこう。
砲弾やロケット弾には演習弾というものがあるが、実は銃には存在しない。これは銃の攻撃力は結局のところ、運動エネルギーによるため、安全性を求めると運動エネルギーを減らす事となり、本物の再現性が微塵もなくなるためである。
では魔力を撃ち出す術式はどうなのかというと、有効な攻撃方法ともあれば種類が限られるため、ある程度形式があるものの、能力さえあればアレンジし放題となっている。つまりは訓練用に調整された安全な術式もあるのだ。
対人の航空魔導師同士の演習の場合、まず防御隔壁が必須となっているが、安全性のために特定の部位を守るものではなく、全方位のもの限定となっている。そしてその防御隔壁の強度が、基準に満たなければ演習の方への参加は認められない。
一方で攻撃面、術式の方は防御隔壁を抜けられない強さに調整して、抑えなければならないわけであるが、術式の基本は魔力を質量にして飛ばすもので、魔法と言ってもその威力の算出は本来の銃と同じく運動エネルギーである。
そのため訓練用術式はそのアレンジ方法として、実戦用と比べてサイズが一回り小さく、また何かしら衝撃を受けたら術式が勝手に自爆し、貫通力を失うようになっている。
これにより航空魔導師の実戦演習は比較的安全にできるようになっていた。なお撃墜判定については防御隔壁へのダメージを演算宝珠が観測し、一定値以上になると出るようになっており、攻撃を受けたからといって、すぐに撃墜判定となるわけではない。
よって受けるという行為も一つの選択肢に上がるわけである。
ターニャの奇策はヴィーシャから撃墜判定を取れる威力では到底なかったが、心理面での効果はてきめんで、じわりじわりとヴィーシャの精神を削っていく。戦いとはかいつまんで言うとデータの蓄積でもあり、予想外の行動を取られるのは存外効くものだ。
一方でターニャの方も決して有利と思ってはおらず、やりにくさを覚えていた。ターニャは本来ヴィーシャの回避読みで、彼女が避けている隙に死角にもぐりこんで、勝負を決めるつもりだった。
だがヴィーシャは耐えつつも、その視線は急接近から軌道を変えたターニャを捕らえ続けており、銃口はしっかりとターニャの方へと狙いを定めていた。
それではとターニャは不規則な動きをして、狙いを散らしつつ、ヴィーシャへと術式を撃ち込む。すでにダメージをもらっているヴィーシャはもうあまり受ける事はできない。ここで回避し続けてもじり貧だと思ったヴィーシャは勝負に出た。
空中浮遊の魔法を切ったのだ。そしてヴィーシャは飛ぶのに利用していた魔力を狙撃に回す。自由落下していくヴィーシャの体のすれすれをターニャの術式が通る。鮮明になっていく視界、強化された視線の先に移ったのはターニャの驚愕した表情であった。
ヴィーシャの決死の一撃が放たれた。
「す゛み゛ません大隊長殿! 小官が不甲斐ないばかりに!!」
「おい、泣くな! これは演習なのだから勝敗がどうのこうのじゃないのだぞ」
「それでも悔じいです!!」
男泣きするグランツに呆れた表情のターニャ、先の演習はヴィーシャとヴァイスチームの勝利であった。
ヴィーシャに狙われた後、ターニャの取った選択はかわす事ではなく、止めを刺す事であった。あの強化狙撃はかわせない。確信に近い何かがあったターニャは、撃たせる前に撃墜するため、ヴィーシャに向けて勝負の一撃を放った。
結果、見事命中させたターニャはヴィーシャから撃墜判定を取れたが、直後彼女自身も撃墜判定を受けた。ほんの僅差でヴィーシャの狙撃術式を止められなかったのである。ヴィーシャの強化狙撃はターニャに直撃し、相打ちとなった二人の勝負はこれだけで見ると、先に撃墜したターニャの勝利となるが、この演習に参加していたのは二人だけではない。
勝負の行方は残されたグランツとヴァイスの両名の勝敗に委ねられた。
ターニャとヴィーシャが一対一の戦いをする裏で、グランツとヴァイスもまた熾烈な勝負を繰り広げていた。二人の勝負も負けず劣らず名勝負と言えるもので、グランツはヴィーシャに並ぶ実力者、ヴァイス相手に善戦をしていたが、ターニャが撃墜判定を受けた事で動揺してしまい、その隙にやられてしまったのである。
油断から負けた事と言い、ターニャに黒星を付けてしまった事と言い、グランツは凹みに凹んでいた。ターニャとしては演習の結果は上々だったので、勝っても負けても問題は特にないのであるが、男というものは意外と面倒くさいものである。ここでお前も前世は男だったろと突っ込んではいけない。
「まあ、次は頑張れ」
「はい! 次こそは頑張ります!! やってやります!!」
とりあえず期待しているという体にしておいて、ターニャはヴァイスに後は宜しくと視線を送る。優秀すぎる人材その2、ヴァイスはすぐに意図を察し、グランツを連れて行った。何も言わずに察してくれるヴァイスに、ターニャは後でスウィーツをおごってやろうと心に決めた。
二人を見送った後、ターニャは隣でにこにこしているヴィーシャへと向き直る。本来上官に勝っておいて笑顔なんてとんでもない事であるが、どうにも信頼の高さがカンストしているようで、ヴィーシャの中のターニャは己のプライドのために怒る小心者ではないようであった。
「しかしセレブリャコーフ少尉、よくぞここまで成長したものだ」
「小官はデグレチャフ少佐のバディである事に誇りを持っていますから。白銀の後ろを守るのは誰にだって譲れません!」
自分の力を証明できたのがよほど嬉しかったのか、ヴィーシャはまだまだ元気と言った様子で勢い良く答えた。
「全くあのひよっ子がな。頼もしい限りだよ」
ターニャはヴィーシャの実力そのものは前からも評価していた。だが今回の演習で見せた機転の速さには驚かされた。ターニャがいくら策を練ってもその都度対応し、逆にターニャの方で対応を迫られる事も多々あった。時間としては長くはなかったが、とても密度の濃い演習だったと今更ながらに思う。
ヴィーシャとは一番長い付き合いなので、彼女の成長は一際思うところがあり、感慨深かった。補佐として優秀であれば、長としても優秀だった彼女に対し、ターニャは笑みを見せた。
「これからもよろしく頼む」
「はい!!」
人の成長を見て嬉しく思うなんて感情、そんなものが己の中にあるのに驚き、また抵抗なくすんなりと受け入れられる現実は、ターニャにとって心底おかしかった。かつての自分にはなかった穏やな感情にターニャはつくづく思った。人は変わるものなのだと……
(3)一歩先へ
203魔道大隊が演習で激戦を繰り広げる中、レルゲンは夢中になってターニャ達の戦いを見ていた。それもそのはず、彼は実際に彼女らの勇姿を見るのは初めてであったのだ。
彼女たちの行った空中戦は地上からは遠すぎてもはや豆粒以下であったが、レルゲン達観客が勝負の詳細を知る事が出来たのは、巨大なモニターが用意されていたからであった。
演習では実験結果を資料として残すため、実験に参加しないその他の航空魔導師達によって、演算宝珠によって映像を記憶されるわけであるが、巨大なモニターは録画と再生を同時に、つまりは生の映像をリアルタイムに写せるようになっている。ちなみにこれはドクターシューゲルの発明品の一つだったりする。相も変わらずオーバースペックのものを開発する彼であったが、自身の発明品のお披露目でもあった今回の演習は大変ご満悦であった。
彼の発明品のおかげでターニャ達の戦いを見る事が出来たわけであるが、空中戦を記録するのは困難を要する。ただでさえ人間サイズという小さいものが高速で動くため、カメラの代わりである演算宝珠でもなかなか捉えきれないのだ。
しかし今回はレルゲン含め、演習を見に来ていたほぼすべての者が、迫力ある映像に手に汗を握った。それもそのはず、カメラマンの役目を負った者も203魔道大隊の面子、遠くから全体像を撮影する係、それぞれの陣営の目線役を設けるなど、演習から得られる情報を取りこぼすまいと尽力した結果、客観的に戦況が把握でき、一方で実戦形式ならではの緊張感をまざまざと見せつける、素晴らしい映像が完成する事となったわけである。
演習が終わった後、それまで勝負の行方を見守っていた各軍の関係者から、203魔道大隊へ喝采が上がった。熱狂の渦の中、一人冷静であったゼートゥーアは大成功ともいえる実験結果に唸った。
「……つくづく思いこみというものの恐ろしさを実感させられるな。二人乗り、今の今までこんな単純な答えにも行きつかないとは」
「我々の最善は古き時代のもの……か」
隣にいたルーデルドルフも頷く。
「時代は常に移り変わる。その当たり前を忘れた時こそが『滅び』に繋がるのだろうな」
すでに先を見ているゼートゥーアに対してルーデルドルフは複雑な思いを抱いていた。今までの経験の蓄積は人にとって財産と言えるべきものだ。間違っていたとしてもそう簡単に捨てられるものではない。
変わらなければならないのはルーデルドルフも重々承知している。だが正直なところ納得には今だ至ってない。今回の演習を見に来たのは、過去を振り切るためでもあったが、あれだけ素晴らしい才能を目の当たりにしても、自分の中で煮え切らない何かがあった。
今だ現役とはいえど、体力と気力が年々衰えていく自分、一方で着々と実力をつけ、台頭してくる若者、素直に認められないのは己の立場を守るため、意固地になっている証拠であり、青臭さが抜け切れてない事実は、いざ自覚してみると笑えてすら来た。
老体になるとまた精神が幼くなるとは良く聞くが、今のルーデルドルフ自身がまさに当てはまり、彼はそんな自分を一言で締めくくった。
「全く年は取りたくないものだな」
この演習の後、帝国の航空魔導師の訓練カリキュラムは大きな見直しが図られる事となった。まずは現役の航空魔導師の適性の再検査、および再訓練である。現役の航空魔導師たちは基本的に高度6000まで上がれて、基本的な戦闘ができるのが基準ラインであるが、これでは不十分となった。
独り立ちするには高度8000での戦闘が最低基準となり、落第者は適性検査でパイロットか、サポートに分かれる事になる。
急なラインの引き上げに航空魔導師達からの反発は強かったが、その声も203魔道大隊の演習映像を見せればすぐに沈黙した。100%勝てる見込みがない、それほど戦力差があった。
幸いだったのはそこで潰れてしまう者がいなかった事だ。圧倒的実力差を見せつける一方で、演習の映像が接戦であったのがプラスに働いた。映像記録は一つだけではなく、203魔道大隊の演習は最初の実験の後にも何度かあって、レルゲンの指示でそれらをすべて映像記録として残してあった。
ここでのポイントは映された面子は毎回異なっていた事だ。203魔道大隊の者達が皆一様に強かった事で、才能の差ではなく、訓練内容の差と考えられるようになっていたのは、実にうまい誘導の仕方であった。
また懸念されていた二人乗りに対する拒絶感はほとんどなかった。多くの者達が独り立ちできない劣等感よりも、その合理性や、性能の高さに心惹かれたからだ。特に射程の長さは彼らには非常に魅力的に映った。
何せ索敵漏れさえなければ先制攻撃は確実で、さらに反撃は接敵されるまでは受けない。当たり前の事だが多くの者にとってプライドよりも命の方が大事である。故に前とは比較にならないくらい安全に攻撃できるというメリットは絶対的だ。
また一方で二人乗りというシステムは、航空魔導師として適合できなかった者達にも今一度日の目を当てた。射撃の才能はぴか一でも空中制御が今一、空中での速さはずば抜けているが攻撃を意識するとポンコツになる、すべてにおいて凡人だが魔力量だけめっちゃある、など一つの才能に特化する者達が、組み合わせ次第でエース級の活躍ができる場所を作ったのである。
航空魔導師以外の魔導師は部隊として運用しづらく、基本的に観測手などに回されるなど、なかなか活躍の場に恵まれなかったため、降って湧いた再起のチャンスに多くの魔導師達が奮起した。
航空魔導師とその他の魔導士の関係は、言ってしまえばエリートと落第者のようなもので、従来の航空魔導師との折り合いの悪さが懸念され、その予想は裏切られる事はなく、初めのうちは険悪そのものであった。
しかし落第組は一芸に秀でたものが多く、それを見抜いた数名の航空魔導師達が、それぞれ自分に足りない部分を補う者をパートナーとし、名コンビとなってエースと昇格していった事から、徐々にお互いをリスペクトする流れができ、その溝は埋まっていったと言う。
新人の教育についてはむしろ一番簡単であった。何しろ何も知らない真っ白な者達だ。新しい訓練をやるには彼らが一番容易かったが、逆に難しかったのは航空魔導師として育てる以前の部分で、そもそもの兵士としての心構えを教える事だ。とにかく新人は英雄になりたがる。戦争と言う人殺しを許容するような悲惨なものを、己の中で正当化するにはそれが一番良いからだ。
そんな夢見がちな新兵諸君の幻想をぶち壊すために選ばれたのは、『ターニャのマル秘一ヶ月であなたもエースの仲間入り訓練』を、三倍の三ヶ月に延ばした優しいバージョンであった。優しいと言っても体力的な面で優しいだけであり、メンタルダメージは割とえぐいままである。というかむしろ長期であるからこそ、パワーアップしているきらいがある。こうして新兵達は心を折られて再構築し、兵士として生まれ変わるのだ。
このぎりぎり踏みとどまれる程度の訓練は、レルゲンとターニャ、203魔道大隊の部隊長クラス、そこに精神科医を加えての議論の末に生まれた代物である。教官として選ばれるのは、かつて地獄を経験した203魔道大隊から代わる代わるであり、今日もどこかで新兵たちの悲鳴が元気よく響き渡っている。
こうして二人乗りが浸透していくにつれ、戦略面も大きく変わった。二人乗りの一番のメリットは索敵範囲と射程が伸びた事であるが、一方のデメリットとしては攻められるとてんで弱い。攻撃された場合、二人の間で相手の術式の感知の仕方、見え方にどうしても差異が出るため、対応に違いが出てしまうのだ。
特に誘導弾に対しては致命的とも言えよう。というのも誘導弾は相手の魔力に反応させるもののため、狙われた方とそうでない方の認識の差異は大きい。
この問題はすぐに203魔道大隊から報告書があげられ、早速ドクターシューゲルが二つの演算宝珠をリンクさせ、共有の意識を持たせる方法を模索している。それさえできてしまえばこの問題は解決されるであろうが、現状ではまだまだ時間がかかりそうというのが正直なところだ。
ターニャいるところにこの男ありと言わんばかりに、ターニャは後にこの新型演算宝珠の実験に突き合わされるはめとなり、どういう理由かなかなか縁の切れないドクターシューゲルに顔をしかめるのであった。
しかしながら呑気にリンク対応新型宝珠の完成を待っているわけにもいかないため、今できる中での航空魔導師の運用法を模索した結果、航空魔導師は大きく分けて、突撃班と狙撃班に分かれる事となった。新スタイルの基本戦略は以下のとおりである。
最初はどちらも一緒で、戦闘領域に入ったら二人組の形を取って高度10000まで上昇、長射程からの精密射撃で先制攻撃を与える。突撃班はそこから二人組を解除してそのまま空中戦へ移行し、狙撃班は二人乗りのまま相手から届かない高度と距離をキープしつつ、突撃班の離脱に合わせてトドメの爆裂術式を撃ち込む、といった形だ。
この新戦術は203魔道大隊でもアレンジされて使われるようになった。遥か遠方から回避不可の爆裂拡散誘導術式が雨のように注ぎ、運良く生き延びた者がいたとしても、統制の取れた獰猛な猟犬達が止めを刺しに襲い掛かってくる。その光景はまさにトラウマもので、ただでさえ悪魔と称されていた強さが底上げされ、地獄そのものとまで呼ばれるようになったと言う。
こうして帝国航空魔導師は他国から一歩抜きんでた力を手に入れる事に成功したのであった。見事航空魔導師達の能力の底上げという使命を果たしたターニャ達であったが、その裏で一つの大きな計画が動き始めていた。
暗闇の倉庫街、その一室に明かりが灯る。そこには今日搬入されたばかりの大量の箱が置かれてあった。山ほどにもなるそれを満足気に眺める者達、
「くっくっく、やっと届いたか……」
「これでやっと我々の計画が先に進める」
その中の一名が箱を一つ開け、うっとりした表情で中に入っていた物を撫でる。中に入っていたのは怪しげな白い粉、ではなく純白の四角いひらひらしたものであった。
「ああ、やはり秋津島皇国の紙は素晴らしい」
別の箱には丁寧に包装された画材や塗料などが所狭しと入っていた。
「どれも一級品だな」
「うむ、やはりやるからには最高品質でなければな」
「戦時中では到底無理であったが、停戦中の今ならばこそ、金さえあれば輸入できる!」
他国の物を取り寄せてまで高品質である事に拘りを見せる男達、彼らの目は野望でギラついていた。
「我々は思い違いをしていた」
リーダー格(?)の男は語りだす。
「我々がかつて筆を取ったのは寂しさからであった。だからこそ寂しさが埋まればもはやその必要はないと信じていた。だが! 答えは違っていた!! 満たされれば満たされるほど湧き上がる情熱!!! 目の前に本物がいるからこそ我々はさらに燃え上がる!!!!」
「おう!!」
「そうだ!! 誰も俺達を止められない!!!」
異様なテンションの男に周りも賛同し、とにかく暑苦しい。誰かが指示したかのように、男達は一斉に紙を取り、各々筆を滑らせる。
そうして描かれるのは凛々しい姿で部下を叱咤するターニャ、一人チョコレートを食べて顔をほころばせるターニャ、ぬいぐるみを抱きかかえたターニャ、三つ編みで眼鏡をかけたターニャ、ゴスロリ衣装を身にまとったターニャ、
ターニャ、ターニャ、ターニャ、
とにかくターニャまみれである。しかもどれもめちゃくちゃうまい。途中から本人からかけ離れて個人の願望駄々洩れであるが、それはそれでギャップ萌えである。そこにターニャがいればいいのだ。
男達は最後に己の魂の作品達を高く掲げ、宣言した。
「「「この世界にも白銀のターシャちゃんを!!!」」」
今日も203魔道大隊は平和であった。
(4)未来が変わった日
それは衝撃と畏怖作戦が成功に終わった後の事であった。203魔道大隊は見事直接司令部を叩き、残りは後づめをするだけとなった時、アルビオン連合国の2個大隊に急襲を受けたのだ。
相手の大隊はよく訓練されており、隊の規模の差も大きく苦戦は必死、特に相手指揮官の強さはすさまじく、彼には203魔道大隊の面子も何人か撃墜され、ターニャ以外では手も足も出ないほどであった。
※ ちなみに漫画版ではアンソンではなくサー・アイザック・ダスティン・ドレイク大佐(アニメだと影が薄いおじ様、漫画版だとめっちゃ強い)がここで現れます。
だが連合国も帝国の指揮官が手に負えないのは同じだったらしく、ターニャと連合国指揮官は、互いに「相手の指揮官を討つのが必須」という答えに至り、激しい一騎打ちを繰り広げた。
エース同士の二人の勝負は互角に思えたが、しいて言うならばターニャは体格に劣っていた。近接戦においてターニャが彼の腕に捕らえられた時、純粋な筋力で負けるターニャに逃れる術はなく、203魔道大隊が初めて見る『白銀』の危機的状況であった。
だがその時初めて敵の動きが止まった。それまでは捉えきれなかった格上の相手が見せた僅かな隙、運が悪かったのは相手とターニャの位置が重なってしまっていた事、横に回り込んでいる時間もなく、追い込まれてしまったヴィーシャはターニャごと連合国指揮官を撃ち抜いた。
「…………さいあく」
ベッドの上でヴィーシャは一人ぼやいた。かつての世界であった出来事はヴィーシャの心にしこりとなって残っていた。当時はただ生きる事に必死で気にする余裕もなかったが、罪深さを自覚している今、度々夢に出てくるようになっていた。
それでもこちら側に来てからはしばらく収まっていたのであるが、戦争が停戦になった辺りからまた再発しており、ヴィーシャを深く悩ませていた。
あの時ヴィーシャは己の力不足で敬愛する上官を撃ってしまった。幸い撃ち抜いたのは腕であり、ヴィーシャの援護があってこそターニャは助かったわけであるが、それでもヴィーシャは自分が許せなかった。
撃った事そのものに、ではない。ヴィーシャが真の意味で許せなかったのは、結果に満足してしまった事であった。己の情けなさにヴィーシャが泣きながら謝った時、ターニャは笑って許してくれた。頼もしきバディと言ってくれた。それが嬉しくて嬉しくて。だがヴィーシャは今になって思う。あの時自分は笑い返すのではなく、悔しさをかみしめるべきだったと。
ターニャにはいつだって守ってもらってばかりで。追いつきたいと願っても離される。それでもいずれはと思い、努力を続けてきた。そしてやっとターニャを支えられると思った時にはすでに彼女は床に臥せていた。
遅かった。
間に合わなかった。
後悔しても遅く、ターニャはみるみる弱っていく。ヴィーシャはただそれを見ている事しかできなかった。ターニャ本人は運悪く病気にかかったと言っていたが、ヴィーシャは知っていた。それは老衰に近いものであると。
ターニャは幼き身の時から、全力で、否、全力を超えたところでその人生を駆け抜けた。人は何か成すときには莫大な力を消費する。それは食事や睡眠で補えるような、体力と言った類のものではない。いうなれば魂の力であろうか。
誰もが生まれたその瞬間に与えられ、そこから何かする度に消費し続け、決して回復する事のないそれ、ターニャはそれを使い果たしてしまった。そもそも幼女と言う幼き身で一線で戦っていた事からしておかしいのだ。彼女はいつだってそれが当然かのように振るまっていた。だからこの人なら大丈夫、と思ってしまっていた。その裏で命を削っていたのにもかかわらず。
仮にもしターニャが軍人にならず、孤児院にいたままだったらどうであったか? 敗戦国の未来は暗い。こうした時決まって犠牲になるのは貧しいところからだ。孤児院などその最たる例であろう。つまりターニャは軍人にならなければ、己の魂を燃やし尽くさねば、ここまで生きては来れなかった。
当時の自分が手を抜いていたとは思ってはいない。そんな半端な覚悟で生き抜けるようなぬるい時代ではなかった。それでもヴィーシャは思うのだ。もしもターニャが早死にすると知っていたら、自分はどうしていたのかと。
全力のその上、死力を尽くしていたのではないかと。
結局のところ、ヴィーシャはターニャに本当の意味での安らぎを与える事は出来なかった。アルビオン連合国との一戦は、ヴィーシャにとって運命を変えられたかもしれない分岐点で、最後までターニャに追いつけなかった、彼女の悔恨の象徴なのだ。
嫌な夢で起こされ、朝から憂鬱な気分だったヴィーシャであったが、すでに時刻はいつもの起床時間は過ぎている。ヴィーシャは苛立ちを抑えつつ、今日も仕事に向かうために朝の準備を始めた。
歯を磨きつつヴィーシャは考える。この世界では戦争は一応の終わりを迎えた。今後はどうなるか予断は許さないが、それでもかつての世界の泥沼の戦争は避けられた。国防としての航空魔導師の強化も順調だ。
かつての世界ではもう次の戦地にいた。こうして平穏に航空魔導師の強化に勤しんでいる今とは雲泥の差だ。それでもとヴィーシャはかぶりを振る。平和になったとはいえ、各国の均衡がいつ崩れるかは分からない現状、緊張感は常に持っている。
ターニャは航空魔導師の訓練だけでなく、次の戦争を起こさないための会議には引っ張りだこで、相変わらず多忙だ。目先に命の危険がある戦時よりましとはいえ、やはり普通の仕事量ではない。
もちろんこういうのは上を見ればきりがない。上手くいっている事には違いないのだ。
それでも拭いきれない不安がヴィーシャにはあった。顔を洗い、身だしなみを整え、沈んだ表情を無理矢理笑顔にする。一人でへこんでいてもしょうがない。気を取り直してヴィーシャはターニャのいる執務室へと向かった。
ヴィーシャは部屋の前までたどり着くと、今一度口角を引き上げる。そして今できる精いっぱいの笑顔を作って入室した。
「失礼します」
しかしいつもならあるはずの『ご苦労』の返事がなく、ターニャがいるはずの執務室はもぬけの殻であった。ターニャがまだ来ていないという事実にヴィーシャは青ざめた。ヴィーシャの脳裏にかつての悪夢がよぎった。
ZAS社で秘書をしていた時、ターニャが社長室へ現れなかった時の事を。おかしいと思ったヴィーシャが私室を訪ねるとターニャが倒れていたのだ。それはヴィーシャが、203魔道大隊が、サラマンダー戦闘団が、やっとの事で手に入れた幸せが終わった瞬間であった。
「あ、あああ……」
ヴィーシャは体が震え、目の焦点が定まらなくなる。彼女の中でターニャが倒れた時の事は大きなトラウマとなっており、それを彷彿とさせる今の現状は気が狂いそうであった。ヴィーシャは我に返るとたまらず外に飛び出す。
「うぶぅっ!!?」
「きゃ!?」
そしてまさに今執務室に入ろうとしていた幼女と正面衝突し、ヴィーシャはそのまま押し倒してしまった。何事かとヴィーシャが下に目線を動かすと、見慣れた金髪が彼女の豊満な胸の中でもがいていた。
「ああ、デグレチャフ少佐、そんな!!」
自分で押し倒したのも忘れて、あろう事かまた倒れたと勘違いしたヴィーシャは慌ててターニャを起こし、肩を掴んで揺さぶる。
「御無事ですか!? 大丈夫ですか!!? デグレチャフ少佐ぁぁぁ!!!」
「うおぉぉぉぉぉぉ揺れる揺れる!? ヴィ、ヴィーシャ、お、落ちつけ!」
「これが落ち着いていられますか! 少佐殿が倒れられたのですよ!!」
「それはお前がやったからだろうが!!」
「いいえ、いつものデグレチャフ少佐であるのならば、たとえ私から予期せぬ攻撃を受けてもおかわしになられるはずです!!」
「いやいや、お前がいるのは気づいていたが、そこから急旋回して突っ込んでくるなんて、流石に予測などできんぞ!」
「いいえ、予測できなくとも無意識にかわすのが『白銀』です!」
無茶苦茶だった。ヴィーシャの中でターニャはどれだけ美化されているのだろうか、ターニャは考えるだけで頭が痛くなった。
「どんだけ超人なんだそれ」
「正直に答えてください! どうして今日遅れたのですか!!」
「そ、それはだな……」
ヴィーシャの質問に対し、ターニャは不自然に言い淀む。
「や、やっぱりどこかお加減が!」
「どうしてそんなに大事に持って行きたがる!」
「じゃあ一体どうして!?」
「うぐ、その……だな」
「なんですか!?」
なかなかに粘るターニャであったが、ヴィーシャの剣幕に押されてやっとの事で理由を口にした。
「その……うん……寝坊、した」
「……はえっ?」
予想外の答えにヴィーシャは素っ頓狂な声を上げる。
「寝坊……ですか?」
「……うむ」
「ただの……寝坊ですか?」
ヴィーシャが冷静になってターニャの方を見ると、いつもは整えられているはずの髪は寝ぐせが残っており、見慣れた軍服もどこかおかしい。よくよく見るとボタンをかけ違えていた。余程焦っていたのだろう。
一方で血色はすこぶる良く、体調が悪いようには見えない。十分に休息も取れているようだった。
「寝坊……本当に寝坊なんだ……」
「繰り返すな! 上官を辱めて楽しいか!!」
これだから言いたくなかったんだ、どうして寝坊なぞしてしまったのか、これでは上官として示しがつかない、ターニャがぶつぶつと文句を言う中、ヴィーシャはこみ上げてくるものがあった。
「セレブリャコーフ少尉、なぜ泣いている?」
「え? 私……」
ヴィーシャは指摘されて初めてその事実に気づいた。ターニャにとっては寝坊は恥ずべき事。だがヴィーシャにとってターニャの寝坊は全く意味が異なる。
初めてだったのだ。かつての世界も含めて、ターニャが寝坊して遅れて来るというのは。寝坊は一言で言えば気の緩みだ。それはすなわち
ヴィーシャは今度こそ顔を覆った。理解してしまったら涙が止まらない。
「おい、セレブリャコーフ少尉……ヴィーシャ!」
「やっと、やっと追いつけました」
気を緩めても良いと判断された。体を休めていいのだと信用してくれた。寝坊はその証拠。少しでも部下のヴィーシャ達に任せて構わないと思ってくれていた事の証明。この時、初めてヴィーシャは一人前と認めてもらえた気がした。
過去にも言葉では何度か褒められている。あの演習だって頼りにしてくれると言ってくれた。でも言葉では信用できなかった。甘い言葉に安心しきった結末がかつての世界であったのだから。
今ターニャは初めてヴィーシャに対して弱みを見せてくれた。明確な態度として信頼を見せてくれた。ここに嘘はない。
未来は変わる。
きっと大丈夫。
「少佐殿はお疲れの様子! ならもういっそこのままさぼってしまいましょう!」
「はあ? 何を言っている!?」
「少佐殿はここのところ働きすぎです。よって小官は少佐殿が癒されるよう、今から二人でスウィーツめぐりを進言致します! 大丈夫、レルゲン中佐なら二つ返事でOKをくれます!!」
「おい、引っ張るな。そんな許可下りるわけないだろう」
「許可する」
「下りるのかい! っていうか何でいる!?」
「ありがとうございますレルゲン中佐! さあ、少佐殿、夢の国へ行きますよ!!」
「何て馬鹿力。分かった。行くから離せ! お前の頑固さも大概だな」
「少佐殿の教育のたまものですよ」
ではでは! と騒がしく去っていく女子二人を見送り、レルゲンはいつもとは比べ物にならないくらい柔和に微笑んだ。レルゲンにはヴィーシャの気持ちが痛いほど理解できた。もっと頼ってほしいにもかかわらず、我先にと全力で取り組んでしまう。追いつきたくても離されてしまうジレンマ、レルゲンも少なからず感じていたそれは、203魔道大隊の皆すべてが感じていたのだろう。
ターニャが寝坊した事実が203魔道大隊に伝わったら、それこそ狂喜するに違いない。今日もまた愛されすぎて途方に暮れるターニャが見れるのだろう。
「今夜は多分宴会だな。会場の手配をしておこうか」
後に起こるであろう喜劇を予期し、レルゲンは笑いながら執務室を後にした。
一話で頑張ったから、これからほのぼのを書こうと思ったけれども、本当にこれでいいのか? 「戦後なんとかうまくやって、日常に帰りました!」の一文で済ましてしまうのもなぁ。戦後についての描写、ちょっと頑張ってみるか、と思っちゃったのが運の尽き。じっくり考えてじっくり書いてしまった結果、それだけで一本書ききってしまいました。でもその結果ヴィーシャとターニャのガチ勝負など書けたので、個人的には満足です。常々カッコいいヴィーシャっていいなぁと思ってましたので。
航空魔導師の強化案の二人乗りについては安直すぎて、多分賛否両論あるかと思いますが、私の頭ではこれが限界でした! でも実際航空戦闘機も複雑化していって、複座式になり、今は優秀なコンピューターがサポートしているらしいので、航空魔導師も演算宝珠の進化で、今後そういう道を辿るのかなぁと勝手に妄想したりしています。
ミリタリー知識は本当にわかなので、まあ許してやるわい、と生ぬるく見守っていただければ幸いです。