愛され幼女   作:kouta5932

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これを書いた当時、長い出張開けた後で、
創作したいのにできない、割と鬱憤溜まってた中での執筆だったので、
ちょっと変なテンションはいっており、内容は割とギャグ寄りです。
レルゲンさんの奮戦をお楽しみください。



短編その2 レルゲンさんはターニャちゃんと遊びたい

 

 

 協商連合、フランソワ共和国との停戦後、各国で緊張状態はまだあれど、どこか攻めてくるような事はなく、平和そのものの帝都の昼下がり、天気は快晴、絶好の散歩日和となった中、レルゲンは一人自室で頭を抱えていた。彼の様子を一言で言うと「やっちまったぁー」である。

 本人としては何気ないやり取りであるはずだった。ターニャと定時連絡が一段落した後の事である。戦時中であった昔はお互い次の仕事に直行していたわけであるが、割と余裕のある昨今ではすぐに去るような事はせず、他愛ない雑談をする事も少なくない。

 と言ってもお互い職人気質というか、あるいは軍服を着ているせいか、雑談といっても軍事関係が多くなるわけだが。それはそれで楽しくはあるのだが、レルゲンはその日、もう一歩踏み込もうと思っていた。

 そこで出番となったのはとりあえず話題を作るための定番、「休日何をしているの?」である。普通であれば実に無難な選択である。相手に会話の主導を渡し、そこに合わせていく。仲良くなるための重要テクニックだ。だがターニャにとってはそれこそが特大の地雷であったのだ。

 初めターニャの答えは自室での読書であった。確かにレルゲンはターニャに勤勉なイメージを持っており、読書好きも納得できたが、どこか仕事の延長線上にしか思えない。故にレルゲンは訪ねてしまったのだ。

 

「外で遊んだりはしないのか?」

 

 それこそが禁句であるとは露知らずに。

 

 

 

 

 

 レルゲンの質問にターニャは驚いた表情を浮かべたが、徐々に目が濁っていく。予想外の反応にレルゲンは面食らう。何か、何かがおかしい。普通の質問であったはずなのに空気が重くなったのはなぜか、レルゲンは冷や汗を禁じ得なかった。

「レルゲン中佐、そこを……そこを聞きますか……」

 ターニャは普段は見せないうつろな表情でレルゲンに迫る。

「小官は、私だってしたい事はあるのです」

 ターニャが「私」を使う時は本音の時である。本音を語ってくれる事をちょっと嬉しく思うレルゲンであったが、それ以上にターニャから発せられる負の気に当てられて、思わず後ずさる。

「戦時中ならともかく、今の貴官ならできない事はないだろう?」

 気圧されつつも問い返す事が出来たのは流石レルゲンと言ったところか。ただこの時点で気づけなかったのが致命的であった。

「レルゲン中佐は一つ忘れている事があります」

「……なんだろうか」

 

「レルゲン中佐、私は……何歳に見えますか?」

 

「っ!!!!!?」

 その時レルゲンはやっと己の失言を悟った。

「別におしゃれをしたいとか、そういう柄ではありませんがね。それでも人並みに服を欲しいとか、どこかで美味しいものを食べたいとか、演劇を見たいとかあるわけですよ。でも私が軍服着ないで私服で歩いていると、まず真っ先に聞かれるのが「お母さんはどこ?」です。後は「こんな可愛い子を置いて親は何をしてるんだ!!」とか……」

「デグレチャフ、もういい! すまなかった!!」

 しかしパンドラの箱は既に開けられてしまった。レルゲンが止めようとしてももう遅い。

「皆が皆、善意なんですよ。騙して誘拐とかそういう輩がいないのは帝国軍人として誇らしいのですがね。善意だからこそキツイものがあるというか……」

 目のハイライトが消えて淡々と語るターニャの様子は一種のホラーである。例えが具体的である事から、彼女の言っている事は実際あった事なのだろう。ターニャ自身、相当ため込んでいたのか、溢れだしたらもう止まらない。

 その後、レルゲンは何とかターニャをなだめようと奮戦したが、とうとうそれも叶わず時間切れと相成り、話は冒頭へと戻る。

 

 レルゲンはうっかり忘れていたのだ。彼女は外見上ただの幼女である事を。過去に人一倍、彼女の実年齢及び外見が幼女である事に固執していたはずのレルゲンが、周囲の視線について考えもしなかったのは皮肉であった。

 過去はともかくとして、今のレルゲンにとって、ターニャは幼女の姿であっても、すでに精神が成熟しているのは認めるところであり、一人の大人として対応するのが当たり前となっていた。これはレルゲンだけでなく、第203航空魔道大隊の面子も、ゼートゥーアですらそうであろう。そして軍人であれば『白銀』は誰でも知る英雄だ。そう、軍人であるのなら。

 では一般国民ならどうか? 一般国民にも『白銀』の名そのものは知れ渡っているであろう。プロバガンダで使用した映像もあり、彼女の容姿だって割れてはいる。だがそれも軍服、あるいはプロバガンダに使用した映像のドレス姿ありきだ。まさかあの白銀が私服で歩いているなんて想定もしないだろう。

 

 可愛い幼女が一人で街を歩いている。 → 保護しないと!!

 

 となるのは道理なのだ。そしてターニャが言うように悪意を持って接する輩はおらず、完全に100%純度の善意で動いてくれているため、国民として褒められこそすれ、非難されるべき要素は一つもない。だからこそ余計にいたたまれないわけだが。

 

 レルゲンとしてはターニャと休日を一緒に過ごすきっかけを掴むために、選択肢としては無難な質問をしたつもりであったのだが、それこそが特大級の地雷であったのであった。好感度マイナスは必然、今まで地道に稼いできたものが帳消しになったレルゲンは必死に頭を回転させる。

(なんとか、なんとか挽回せねば……!!)

 起きてしまった事は仕方がない。トラブル処理の基本はまず素直に謝る事である。非がないのであればともかく、完全に黒の状態での言い訳は見苦しいだけだ。潔く非を認め、誠意を持って謝り、そして怒りが冷めたところでお詫びの品を出す事で円満に解決させる。

 現代社会におけるクレーム処理みたいな事を考えるレルゲン、謝罪の仕方はいつどの時代であろうとも同じであった。一番肝心な所はお詫びの品だ。起死回生の一手はここにこそあるはず。冷静になってくると元から頭のいいレルゲンの事、高い論理力をいかんなく発揮する。

 ターニャは少なからず現状に不満を持っている。そしてそれは本人では解決しきれない部分だ。もしそれを解消できる何かをレルゲンが提示出来たら、レルゲンの好感度は急上昇間違いなしである。ピンチこそ最大のチャンスなのだ。

 

 意外と思うかもしれないが、レルゲンの選択肢は多岐にわたった。

 実のところレルゲンは多趣味である。厳密的に言えば多趣味に『なった』。レルゲンは晩年に絵をかき始めたわけであるが、絵はただの想像で補うにはどこかで限界がある。

 例えば椅子だ。モデルがなくとも何となく描く事は可能であるが、資料があればその精密さは格段に上がる。実物があればもっといい。

 レルゲンはもしターニャと一緒に描きたい物の現物を手に入れたら、絵に普段映らないであろう底面などもひっくり返して見たりなど、細部までしらみつぶしに見た。

 全ては絵の質を上げるための物であったが、なかなかどうして裏に隠れている匠の技などは面白くて、仕組みを理解しようと分解までしてしまったくらいだ。

 レルゲンの興味は物だけでなく、経験にも向けられた。物の仕組みが面白くなってくると、今度は物の歴史まで知りたくなるのは道理である。そうして自分の中で納得できたものを描いた時は一つレベルが違って見えた。

 最後に行きつくのは風景などだ。レルゲンの晩年頃は写真がすでに一般的に普及しており、簡単に絶景と呼ばれる類の物や、有名な建築物などを見れるようになっていた。だがレルゲンは老体を引きずっても実際に見に行く事に拘った。見たい景色はそれ単独ではなく、そこに行くまでの過程、つまり旅の記憶も重要で、すべてがセットになって一つの物になるからだ。自分の経験として得たものは他人の経験と密度がまるで違う。

 元から凝り性のレルゲン、そこに自由な時間を与えたらどうなるか? 若い時ではなく晩年からのスタート、初めこそ恐る恐るであったが、一つ一つ趣味を増やしているうちになんか吹っ切れて、凄い事になっていたわけである。

 かつてのレルゲンの描いた愛しの君シリーズはもちろんターニャが主賓である。だがそこに本当に彼女がいるように見える不思議な魅力は、ターニャ以外の物との調和があってのもの。レルゲンが自分の経験として色んな物事を消化していった賜物であった。

 

 経験は人生を豊かにするとは良く言ったものだ。

 

 そんなレルゲンがぱっと思いついたのは釣りや登山などのアウトドア系であった。これだと人に会う事も少ないはずだ。だが釣りは合う合わないはっきりしているし、登山はぶっちゃけ軍の行軍の訓練と変わりないのではと頭を悩ませる。ターニャの好みがはっきりと分からない以上アウトドア系は博打が過ぎる。

 後人の目を気にしなくていいと言えば、部屋でもできるカードやボードゲームといった類の物であろう。といってもカードは第203魔道大隊でもよくやっている事で、たまにターニャも参戦していたりすると聞いた事がある。新鮮味に欠けはするが、敷居が低い分こちらの方が確実であった。

 狙うのは逆転ホームラン(合州国で一度本場を観戦済み)よりも着実な一手、でもその中でも最高を狙う。この時点でレルゲンはインドアで何か目新しいものに焦点を絞る事を決めた。

「そういえば彼女は秋津島皇国の物が好きだったな」

 どのようにしてあのような極東の地の事を知ったのか謎であるが、ターニャは秋津島皇国の物を良く好んだ。料理や文化は元より、言葉まで精通している。言葉はそれこそ203航空魔道大隊の暗号に使われているくらいだ。

「秋津島皇国のものか……何かあるだろうか?」

 かつての世界では世界中と国交が開かれていたが、帝国はなんとか停戦にこぎつけたとはいえ、戦争が当たり前の今はそうではなく秋津島皇国の物は非常に手に入りにくい。ちゃっかり秋津島皇国から紙や筆を輸入している者達がいる事なぞ、レルゲンには知る由もなかった。

 ターニャは考える事が好きなのか、人と議論する事自体を楽しんでいる節がある。だとすれば仲良くやるタイプではなく、頭を使って対戦できるようなゲーム性があったものが好まれるかもしれない。

 

 ただしカードは除く。

 

 絶対カードは除く。

 

 いつもやっている遊びだからという理由もあるが、それ以上に203魔道大隊には豪運だけで全てを持って行く『カードの悪魔』、ヴィーシャがいるのだ。一度彼女が参戦すれば金を根こそぎ持って行かれ、辺りは焦土と化す。

 ポーカーで彼女の繰り出したロイヤルストレートフラッシュ5連続(しかもドローなし)は今では伝説となっている。途中でシャッフルする人を変えても逃げられなかったほどだ。皆の有り金が尽きたために5連続で終わったが、もしも余分に資金があった場合、さらなる記録が生まれていたかもしれない。

 運の絡むゲームが強い奴は他のゲームでも鬼強い。某国で教えてもらった麻雀という牌を使用する遊びがあるのだが、生まれ持っての引きの強さというのはあるらしい。豪運を持つ者を相手にする場合、どれだけ理論武装しても理屈の上を行かれてしまうのでどうにもならないのだとか。

 レルゲンとしては自分とターニャが二人で楽しめるのが第一ではあるが、せっかくなら他の人と対戦して楽しんでもらいたくもある。その候補として上がるのはやはり、ターニャにとって同性で気軽に誘えるヴィーシャなわけで、彼女の鬼神のごとき強さを発揮させないためにも運の要素は省くべきだろう。

 つまり用意するべきは運の要素が一切ない完全に実力勝負のものだ。そこまで考えてレルゲンは執務室の端にある、ただの飾りと成り果てていたチェス盤に視線を向けた。

「つまりはこういうものだな。だがこれでは些か芸がない」

 チェスと秋津島皇国、そういえば秋津島皇国にもチェスと似たようなルールのものがあったなと、レルゲンは思い至った。

「よし!」

 

 

 

 後日、ヴィーシャが入用で雑貨屋で買い物をしていた時の事であった。会計を済ませて外に出ると、見知った顔がいたような気がした。というのも顔は間違いなく知人なのだが、その恰好が知らない人そのものだったから。

 作業着姿にフェイスカバー付きのヘルメット、手に持っているのはまさかのチェーンソーである。そしてフェイスカバーの奥には見知った眼鏡が鎮座している。

 

 ちょっと意味不明すぎる。

 

 ヴィーシャが特定するのを避けたのは、それを頭が理解するのを拒否していたからであった。このまま他人のふりをして素通りしてしまいたい思いに駆られるが、これを見逃した事で問題があっても困る。大きくため息をつくと渋々ヴィーシャは声をかける事にした。

「あの、レルゲン中佐……ですか?」

「ああ、セレブリャコーフ少尉か」

 聞きなれた声からしてレルゲン確定! 

 

 ヴィーシャは思った。神は残酷だと。

 これが夢であったらどれだけ良かったか……

 

 これもきっと我らが大隊長殿関係なんだろうなぁとヴィーシャは乾いた笑みを浮かべる。ヴィーシャ自身も大概ではあると自覚しているが、レルゲンもターニャが絡むと何か頭のねじが一つ外れる。

 一体この御仁は何をするつもりなのか? いや、やりたい事は分かる。恰好がここまであからさまだと答えは一択だ。問題はそれをして何になるのかという事だ。

「レルゲン中佐は、その……何をするおつもりで?」

「ちょっと木を切ってくる」

 うん、それは分かる。ヴィーシャが知りたいのはその先だ。

「ちょっと作りたいものがあってな。しかしちょうど良い木材が売っていなかったから自分で現地調達しようかと」

 なぜそこに行きつくのか。普通ない物に対しては取り寄せ、あるいは代替品を探すとかだろう。胃もたれ起こしそうな程やる気に満ちているレルゲンに、すでにヴィーシャはげんなり気味だ。

「でも木材加工品なんて普通買える物じゃないですか?」

 そう、木材は別に珍しいものじゃない。その加工品だって至る所にある。ヴィーシャにはレルゲンがそこまでする理由が今一ピンとこなかった。

「木材加工品でも残念ながら今の帝国では知られていないものだからな。最初設計図だけ渡して、専門の者に依頼しようかとも思ったが、どういうわけかうまく行くイメージが持てなくてな」

 その時点でヴィーシャは大体察した。レルゲンの作りたい物は誰も作り方が分からない物、すなわち異国の物だ。ターニャに関連するのであればそれはきっと

「つまりは秋津島皇国の物なんですね」

「流石に察しが良いな」

 過去はただの天然ちゃんだったかもしれないが、今のヴィーシャは物腰が柔らかいだけであって、頭はかなり切れる。伊達にターニャの副官を続けていたわけじゃないのだ。

「隠しておいた方が良いです? 伝えておいた方が良いです?」

 ヴィーシャの申し出に対してレルゲンは驚きの表情を見せた。

「意外だな」

 レルゲンとヴィーシャは階級が違っており、上官と部下の間柄ではあるが、どちらもターニャ狂い筆頭でライバル関係でもある。よってレルゲンはヴィーシャがターニャに対するポイント稼ぎを嫌がると踏んでいたのだが、ヴィーシャはむしろ協力する姿勢を見せた。「意外」はそれ故の言葉であった。

「小官は大隊長殿の幸せが何より優先ですからね。本当に喜びそうなものであるのなら邪魔はしませんよ」

 何か確信があるのか、ヴィーシャはレルゲンが作ろうとしている物が喜ばれるのを疑っていないようであった。

「ふむ、副官のお墨付きか。一層頑張らねばな」

「良い物期待しています。それでさっきの件ですけどどうしますか?」

「せっかくだからサプライズにしたい。隠しておいてくれるだろうか?」

「了解しました」

 実に見事な敬礼を見せるヴィーシャにレルゲンは笑みを見せた。レルゲンにとってヴィーシャはライバルではあるが、ターニャを支える彼女には敬意を持っていたし、このようなターニャを喜ばせるために会話できるのは嬉しくもあった。

 レルゲンは感慨深いものを感じざるを得なかった。実のところかつての世界、一週目とでも言えばいいか、そこでレルゲンがヴィーシャとじっくりと話す事が出来たのは、ターニャ亡き後の事であった。

 初め二人の関係は仲が良いとはお世辞にも言えなかった。レルゲンにとってヴィーシャはターニャを支えきれなかった者で、ヴィーシャにとってレルゲンはターニャを守ってくれなかった者というスタートラインだった故、二人のお互いの心象は最悪だったのだ。

 結局二人とも己の力不足に対する八つ当たりをしていただけなので、徐々にその仲は改善されて行き、ターニャの想い出談議に華を咲かせる仲まで回復したわけであるが。

 普通であればそこから恋愛感情までとかありそうなものであるが、ターニャに対する思いが強すぎたのか、はたまた仕事が忙しすぎたのか、二人がそっち方面に発展する様子はなかった。男女の仲というよりは戦友と言ったところか。

 今では当初の刺々しさはあるものの、どこか気安さもある不思議な関係となっていた。

「平和であるという事は素晴らしいな」

「全くです」

 二人はかつての戦乱の日々を思い、今ある平穏をかみしめる。ターニャがいてかつての帝都がある、ここにいる事が出来る奇跡は、何物にも代えがたいものであるとしみじみと思った。

「では行ってくる」

「ケガなどなされないようにしてくださいね」

 レルゲンの晩年を知るヴィーシャは、彼が怪我をするなど露ほどに思っていなかったが、一応のお約束はしておくべきだろう。はてさてどんなものが完成するのやら、それなりの期待とちょっとした不安を持ちつつヴィーシャもその場を後にした。

 

 

 レルゲンが山へ旅立ってから3日がたった。その日ターニャは執務室で唸っていた。仕事は順調そのもののはずであったが、今朝来た依頼書こそが、ご機嫌だったターニャを一気に地の底まで引きずり下ろした。その依頼内容はというとドクターシューゲルの新実験の協力申請だ。

「何故この男はいつも私を名指しで指名してくるのか……」

 ターニャは過去に理不尽な実験に付き合わされまくった事がトラウマとなっており、ドクターシューゲルは大の苦手としていたのであるが、この男、ターニャが忘れかけた頃に必ずやってくるのだ。ターニャにとっては天敵であっても、ドクターシューゲルにとってターニャは何時でも結果を出してくれる最高のパートナーだ。

 たちが悪いのは彼の持ってくる案件は基本的に重要性が高く、断りずらいものばっかりなところだ。どこかに粗がないか隅々まで目を通しても、理論武装は完璧で反論できそうもなく、いつだってターニャは心の中で涙を流しながら承諾のサインをする羽目となるのである。

 今日もターニャはげんなりしつつ書類にサインをすると机に突っ伏す。風呂敷を抱えたレルゲンが現れたのはそんな時であった。

「デグレチャフ少佐、ちょっといいだろうか」

「これはレルゲン中佐、どうしたんです? 風呂敷とはまた珍妙な」

 割と失礼なターニャであったが、風呂敷が帝都ではあまり見ない唐草模様ともなればそんな反応にもなろう。怪訝な表情を浮かべるターニャであったが、レルゲンは特に気にもせず先を続ける。

「この前のお詫びとでも言えばいいか」

「お詫び……でありますか?」

 心当たりがなく首をかしげるターニャ、この前のレルゲンの失言は当の昔に忘れていた。それもそのはず、ターニャにはレルゲンに悪気がなかったのは最初から分かっていたし、身体的特徴は実際どうにもならない事であるから、当たり前の事として処理をしていたのだ。諦めているとも言う。

 つまりレルゲンの不安は徒労だったわけだが、だからといって送り物を渡さないという手はない。せっかく己自ら木まで切って作ったものなのだ。特別な理由がなくても渡したいものは渡したい。レルゲンは期待半分、緊張半分と言った面持ちでターニャに先を施す。

「まずは見てみてくれないだろうか」

「はあ」

 興味よりも困惑が勝ったターニャは気のない返事をする。しかしこのままでいても先に進まないので、ターニャはレルゲンが差し出した風呂敷の結び目を解いた。

「これは……」

 入っていたのは二つ折りとなっていた木の板と、小箱とシンプルなものであった。ターニャはこの時点で一種の予感めいたものは感じていたものの、それが合っているか確認するためにも、二つ折りの木の板を開いてみる。

 するとそこには見慣れた黒い縦線と横線が引かれていた。それぞれ10本ずつ、マス目にして81マス、ここまで来るともう疑いようなかった。小箱を手に取り中を開けてみると、独特な5角形に漢字が書かれたコマの数々、そこにあるのは小さき戦争、

「将棋……でありますか」

 まさかの古き故郷のボードゲームとのご対面にターニャは目を丸くする。喜びなど感情を表すよりも純粋な驚きの方が強く、しばし呆然としていたターニャであったが、本物かを確かめるようにコマを一つ一つ手に取って描かれた文字を確認する。己の記憶と全く相違ない事を確認するとようやく面を上げ、ターニャはレルゲンに向き直った。

「これを私に?」

「最初は休日に外で遊べる方法を探したんだが、全く案が思いつかなくてな。そっちの方は貴官の副官に任せる事にした。よって私の方からは部屋の中でも遊べるものを用意させてもらった次第だ。本当はチェスにしようかと思ったが、貴官が秋津島皇国が好きなのは知っていたのでな。せっかくだから似たルールの将棋にしようと思い至ったわけだ」

「なるほど……」

 ターニャは前世で日本人として生きていた時の頃を思い出す。将棋は特に珍しいものではなかった。ルールは知っているし遊んだ事もあるが、特別好きだったというわけではない。しかしながら異国でのまさかの再会は不思議と嬉しく、リアルな戦争を経験した今、将棋をやるとどう感じるのかと興味もムクムクと湧いてくる。

 そのターニャの心情は微笑みとなって表れた。いつもの周りを鼓舞するような勝気な笑みではなく、心温まるような朗らかな笑みだ。

 

 その時レルゲンとヴィーシャに稲妻が走った。レルゲンとヴィーシャのハートにクリティカルダメージ! 

 だがヴィーシャはプロフェッショナルである。鼻を抑えつつも演算宝珠でしっかり映像を保存するのを忘れない。永久保存確定である。

 

「ありがとうございます。しかしこのような物、良く見つけましたね」

「いや、実は探そうとしたんだが見つからなかったんだ」

「しかし現物はここにあるではないですか?」

 

「作ったんだ。私が」 

「……え?」

 

 重い沈黙があった。困惑するターニャにレルゲンは駄目押しする。

「……私が、作った」

 

「マジですか?」

「マジだ」

 己の軍人としての口調を忘れるくらい困惑するターニャに、真顔のレルゲンが即座に応える。さらにそこから追い打ちをかけるように説明が続いた。

「木を切って、加工して、線を引いて、字も書いた。ちゃんと墨と筆でな。本当は折り畳み板ではなくしっかりとした台も作りたかったんだがな。沢山の人とやるのであれば携帯性を重視した方が良いと思ってこうした。その代わりコマはしっかり拘わらせてもらったよ」

 レルゲンは一つコマを手に取ると「なかなかだろう?」とターニャに問いかける。一方で脳のキャパがオーバーしたターニャは完全に固まってしまった。

 

 奇しくもこの瞬間、レルゲンは初めてターニャの思考を超えた。  

 

 固まるターニャを見てヴィーシャは思った。そりゃそーなるだろうなぁーと。何せターニャは、絵師としてのレルゲンを知るヴィーシャと違って、彼の並々ならぬ職人気質を知らない。軍人レルゲンとしての姿しか知らないのだ。

 恐るべくはレルゲンの技術の高さだ。ヴィーシャが見るに、ターニャはレルゲンの持ってきた将棋盤を買った物として見ていたに違いない。つまりは本物と比べても遜色ない出来なのだ。今もターニャは信じられないと言ったように、今一度コマを手に取って手触りを確かめたり、将棋盤のマス目を触ったりしている。

 レルゲンは大成功と言わんばかりに満足気だ。レルゲンが見たかったのはまさにターニャのこの表情である。普段驚かされる身であったレルゲンは、いつかやり返してやろうとチャンスを伺っていたのである。

「何と言えばいいのか……」

 再度の確認を終えて、ようやく頭の中の整理が追いついたのか、ターニャは徐にレルゲンに向き直る。

「正直聞きたい事は山ほどあるのですが、それは一度置いておいて」

 事実上のツッコミ放棄宣言であった。それは正しいとヴィーシャは思った。あの休日に出くわしたレルゲンはとても突っ込みきれるものではない。突っ込む事を放棄したターニャに残っているのは純粋な喜びだ。

「その、嬉しいものですね」

 再度訪れる至高の瞬間、ターニャの柔らかい笑みに二人は癒される。良いものは何度見ても良い。

 しかしながら将棋は見るものではない。遊ぶためのものだ。

「ちなみにレルゲン中佐、まだ時間はおありですか?」

「ああ、最近は平和だからな。時間はたんまりとある」

 となるともちろんこの後する事は決まっている。

「せっかくですから一局いかがですか? 作ったからにはルールもご存じでしょう?」

 ターニャの誘いを待っていたと言わんばかりにレルゲンは彼女の提案を快諾する。

「もちろんだとも。手加減はしかねるがいいか?」

「望むところです、と言いたいところですが私はそんなに強くないですよ? ルールは知っていますがやるのは初めてです」

 今回の人生では、とターニャは心の中で付け足す。それを知ってか知らずか、レルゲンはターニャの初めて発言を全く信じていない様子であった。

「貴官の自己評価は当てにならん。それに私だって数回やったくらいの素人だ。条件はほぼ同じだろう」

 既に勝負は始まっている。情報戦をしながら二人は手際よくコマを並べていく。そしてお互いの準備が整った後、先行を譲ってもらったターニャは、いつもの不敵な笑みを浮かべて最初の一手を指した。

 

「ではお手やわらかに」

 

 初手、2六歩

 

「初めてのくせに躊躇なく来るな。さて私は、と」

 

 返しのレルゲンの手は―――

 

 




 というわけで将棋で遊ぶターニャとレルゲンさんでした。勝負の結果もいろいろ考えたのですが、ここはあえて語らない方が良いかなぁと。王道で二人が熱き勝負を繰り広げるもよし、ルールありきの勝負であればレルゲンの圧勝だったとかも面白い。したり顔のターニャが衝撃の2歩(反則負け)をするなど、妄想が膨らみます。皆様は勝負の行く末はどうなると思いますか?
 木こりレルゲンさんは完全な悪ノリですね。勢いを求めたらこうなってました。でも個人的にはプライベートではどこか抜けているレルゲン像って結構好きなんですよね。
 今回も読んでいただきありがとうございました!!

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