――もっと俺が若かった頃。
当時の俺は……言っちゃなんだが、酷いもんだった。
メカオタクのウマ娘オタク、でもって引きこもり気味。そんな陰鬱な奴が俺だった。
言い訳をするなら、俺の家庭はちょっとばかり……いや、かなり難があった。
父親はトレセン学園のチームトレーナーをやっていたんだが……これがまた、家庭を省みないような男でな。常にウマ娘の事を考えていた、と言えば聞こえはいいが……実際のところ、仕事人間なんてものは家族に冷たいもんだ。
結果、幼少期から俺は、母親と二人きりの家族として生きていく事になった。
……まぁ、その母親も、ろくでもなかったと言えばろくでもなかったんだが。
何せ、親父に愛想を尽かして、息子の俺をほっぽって、愛人の元へ行く毎日だ。
親父は、俺の最低限の生活を保障してくれただけまだマシさ。
そんな夫婦が離婚するのも、時間の問題だった。で、結局離婚して、それから俺は……さっきも言った通りの腐った生活を送っていた。
そんな日々を送っていた、ある時だった。
間抜けな事に、親父は仕事に持っていく書類を家に忘れていたんだ。
正直、それを親父のところに持っていくのは……なんだか、嫌だった。
幼心に、親父が仕事をしている姿を見るのが苦痛だったからかな。
だから、俺は家を出て近所の公園に向かった。……ご丁寧に、書類を持ったままな。
我ながら、なんて真面目腐った奴なんだって思ったよ。親父の事なんて何とも思ってないし、何を失敗しようが知ったこっちゃないって……そう、思ってた筈なのに。
それから、ベンチに座って、ただボーッとするつもりだった。だが……そこで出会ったんだよ。
『あの子』に。
『あの子』の名前は知らない。歳も知らない。顔だって、俺の記憶は曖昧だ。
ただ……その子は褐色で、綺麗な黒鹿毛をしていたウマ娘だって事は覚えている。……そう、ウマ娘だ。
その子を見た瞬間、世界が変わった気がした。
今まで灰色の世界にいたのに、急に色がついたというか……。なんというか、陳腐な表現だな、我ながら。でも、恋だとか、そんな生温いものじゃあない。それだけは分かってた。
で、俺はその子に話しかけられたんだ。
『こんなところで、何をしていて?』
……ハッキリ言えば、それは俺の台詞だったよ。何せ、その子はトレセン学園の制服を着ていたんだから。
時間帯的にも、どう考えても学園で授業を受けてる時間な筈なのに、こんなところにいるなんて。
けど、シャイだった俺はそんな事訊けず……そう、俺は……誤魔化す事にした。トレセン学園に用があるけど、道が分からないって。
そんな俺を、あの子は笑った。別に、嘲るとか、そういう意図は無くて、ただ純粋におかしかったんだろう。そう誤魔化してる俺に。
変な話だが、その子はちゃんと俺を学園まで案内してくれた。こんな時間にサボってるなんて、不良か何かだと先入観で思い込んでいたから、案内してもらえてびっくりしたものだ。
ただ、その道すがら、色んな事を話したよ。細かい内容は覚えちゃいないが……そうだな、印象深かったと言えば――
――貴方、白鳥は好き?――
……なんていうか、変な子だと思った。変というより、不思議な子だった。
――ふふ、綺麗な目をしてる――
それに……何故かは分からないけど、なんでも俺の事を見透かしているかのような、そんな感覚があったんだ。
今思えば、あれが全ての切っ掛けだったんだと思う。
それで、俺はその子に導かれるまま学園に来て、親父のチームが練習しているところにやって来た。
そこまでやって来た時には、彼女はもういなかった。
その代わりに……俺には運命としか言いようのない出会いがあった。
と言っても、そんなロマンチックなものじゃなかったがな。
――君、そんな走り方じゃダメだよ――
なんて言ったって、俺が走ってた彼女にケチ付けたのが最初だったんだから。お互いに、最初の印象は最悪だったろうな。
まぁ、そんな感じで……俺は彼女の走りを見て、アドバイスをしたんだ。
勿論、当時はそんなつもりはなかった。ただ単に、彼女が走るのが下手糞過ぎて見ていられなかっただけだ。
――もっと腰を落として、腕をもっと振るんだ!――
と言っても、俺のアドバイスなんて、何百回と見直したウマ娘のレースから、速いと思った子の走り方で彼女に合っていると思ったのをそのまま教えただけに過ぎない。
けど……思いのほか、その走り方がそのウマ娘に合っていた。
それを見た親父が、何を思ったのか、俺をサブトレーナーとして採用したいと言って、あろうことか理事長……前理事長に掛け合ったんだ。
しかも悪い事に、当時の俺の親父はそれなりに名の知れたトレーナーだったらしくてな。前理事長も何を考えたのか、それを通してしまったんだ。
――嫌ですよ! 僕がトレーナーだなんて!――
当然、俺は断ったさ。何が悲しくて、親父と一緒の仕事をしなきゃならないんだって。
ただ……親父と前理事長はしつこかった。
親父はお前の将来のためなんだって言うし、前理事長には「君にはウマ娘の才能を目覚めさせる才能がある!」なんて熱弁されて、毎日のように説得されたよ。
そして……とうとう俺は折れてしまった。
まぁ、親父と一緒に仕事をするのは嫌だったが、将来の就職活動に役立つなんて言われればな。
それから、俺は疑似的なサブトレーナーとして働く事になった。
と言っても、俺が教えたのは、最初に俺がケチをつけたウマ娘一人だけだったんだが。
なんでかと言われれば、そのウマ娘、素質はあるらしいし、基礎もしっかりしているし、トレーナーにも従順な良いウマ娘だったんだが、如何せんトレーナーが指導するやり方と上手く嚙み合わなかったんだ。
そう、丁度あの頃のスズカのように。
一応、俺の教え方は悪くないって言ってくれる人はいたんだけどな……。
で、結局、そのウマ娘には俺が付きっ切りで教える事になってさ。
それからだった。彼女の快進撃が始まったのは。
メイクデビューは勿論、その後に出た重賞にG1をどんどん獲っていったんだから、当然のように指導していた俺にもスポットライトが当てられるようになってな。対応自体は親父がやってたんだが、親父も何を考えてか、ノリノリで俺を持ち上げ始めたんだ。
……当の俺は、今まで俺の事なんてどうでもいいと思っていた癖にって、逆に塞ぎ込んでいったがね。
で、いつの間にか俺は、学園内である異名で呼ばれるようになっていた。
――あれが噂の……――
――
そして、そんな俺がトレーニングを施した彼女は、『白き流星』なんて二つ名で、ファンから愛されるようになっていった。
でも、俺としてはそれが重荷にしかならなかった。
だってそうだろ? 自分が見出したウマ娘が人気者になるって事は、そんな彼女が負けてしまえば、それは自分の責任でもあるって事じゃないか。
そんなプレッシャーに圧し負けてしまいそうな俺に、彼女はこう言ったんだ。
――私は貴方のお陰でここまで来れました。だから、胸を張って下さい――
今の俺なら素直にその言葉を受け取る事も出来たんだろうが……悲しい事に、あの頃の俺は、まだまだ精神的に子供だった。
けれど、それまでの経験もあってか、無駄に彼女達に当たり散らしたりしない程度には大人だった。
……ま、そんな彼女とは何度も喧嘩を繰り返したものだが。
だけど、そんな関係が心地よかったんだと思う。
何て言えばいいのかな……他の誰よりも俺を理解してくれるような気がして。そして、そんな彼女を、俺が一番御する事ができるんだって。そんな自信が出来ていた。
……思えば、あの頃が一番、輝けていたかな。初めて経験するトレーナーとしての仕事でG1まで獲れて、のぼせ上っていたのかもしれない。
――そんな時だった。あの時、公園で出会った『あの子』と再会したのは。
――また、会ったわね?――
彼女は、俺の事を覚えていた。そこで知ったのは、彼女は当時の俺がトレーニングしていたウマ娘のライバル……『赤い彗星』と同じチームのウマ娘だって事だった。
――次のレース。君も出るんだろう?――
――ええ。それが何か?――
――怖く、無いのかい? レース――
そんな俺の問いに、彼女は――微笑んで返してきた。
――私は、あの人の為に走ってるから――
その時、彼女が言っている事が本当だって、分かってしまった。
表情がどうとか、そういう事じゃない。……変な話だと思うかもしれないが、俺の勘が、そう言っていたんだ。
――けど、そのままじゃ君は――
――……そう。貴方も、私と同じなのね――
その時、僕らは見えない糸で通じ合った。
けれど。
――だけど、レースに出ないという選択肢はないわ――
――何故!? どうしてトレーナーの為というだけで、そこまで頑張れる!?――
――あの人は、私にとって『救い』だから――
――救い、だって?――
だけど、分かり合う事は、出来なかった。
――次のレース、貴方の所のウマ娘も来るのでしょう?――
――楽しみにしているわね――
それが、俺達が交わした最後の会話だった。
俺には、彼女の固い意志を止める事は、出来なかった。
……何か含みがあるって思ったろ? ああ、そうさ。
俺はその時……もう二つ分かっていた事があった。『あの子』の実力は、『白き流星』と謳われたあの子に匹敵する事。
そしてもう一つ。それは……彼女の脚が、軋み始めているという事。
けど、確証はない。だから、それを相手のトレーナーに言うわけにもいかなかった。
……いつも思うんだ。あの時、奴にそれを言っていれば、何か変わっただろうかってな。
そして、あのレース……秋の天皇賞が始まった。
1番人気は、『白き流星』。
2番人気は、『赤い彗星』。
そして3番人気に、『あの子』はいた。
レース展開自体は、特別なものでもない。
『白き流星』は己のペース通りに先行し、彼女をライバル視する『赤い彗星』は『白き流星』をマークする。3番人気になった彼女は、それよりもっと後ろで控える形だった。誰もが、このレースは荒れないと見ていただろうさ。
何せ、そうやって『赤い彗星』が『白き流星』をマークするっていうのは、いつものパターンだったんだから。
そのいつものパターンで、『赤い彗星』は負けてきた。今回も、『白き流星』の圧倒的勝利、というのが大方の予想だった。だが、違った。
その日、俺は見たんだ。
3番人気に甘んじていた『あの子』が、その本領を見せる瞬間を、な。
――おぉっと!? ここで上がっていくウマ娘がいる!――
徐々に進出していく彼女を、誰も止められない。
傍から見れば失策に見えるかもしれなかったが……俺には分かる。あれは、勝ちを確信した走りだって。
――先頭との差が2バ身まで迫る!! いや、追い越した!!――
大欅を通過するまであと200mというところで、彼女は『白き流星』を抜かし、そのまま先頭まで詰め寄る――どころか、そのまま加速していって、先頭すらも追い越していった。
あの加速力。見ている人全てが、勝利を確信しただろうな。元より彼女は、長い距離を得意としていたから。
スタミナは十分。しかも、スピードも当時中距離路線で活躍したウマ娘に匹敵するんだから、観客の期待度はうなぎ登りだ。
……けれど、俺はと言えば、頭の中で、胸の内で悪い予感が膨らんでいった。
――駄目だ――
その一言だけが、頭の中を埋め尽くしていた。
このままでは、彼女は――壊れてしまう。理屈とかじゃない。まるで、未来の情景が見えるかのように、分かってしまったんだ。
――彼女は、限界を越えようとしている。他ならぬ、己のトレーナーに勝利をもたらす、ただそれだけの為に。
俺は思わず叫んでいたよ。「もういい! 止めろ! 止まるんだ!」ってね。
そんな声……届く筈がないのに。
そして――それは起きた。
――……おぉっと!? 大欅を越えた瞬間、体勢を崩した! これは一体――
実況が状況を説明する中、多くの人々は彼女に何が起きたか分かっていなかった。分かっていたのは、レースに出ていたウマ娘達と――俺だけ。彼女が崩れ落ちた理由は単純明快。脚が、折れたんだ。それも、右足の蹄鉄が外れる程に酷使された状態で。
本来なら、そこで止まっていたんだろう。けど、彼女の場合はそうはならなかった。
彼女は、そんな状態になってもなお、前に――ゴールに向かおうとしていた。
俺が感じた通りの限界を超えようとしていた。
もう無理だと言う事を誰よりも理解しているはずなのに。それでも。彼女は。あの子は。諦めていなかった。
――どうして! どうしてそこまでして!――
俺の叫びに、彼女は――不思議な話だが――笑って返したんだよ。
――これがトレーナーに出来る、ただ一つの恩返しだから――
今でも覚えている。何百mと離れているのに、俺と彼女は、確かに通じ合っていた。
だが……一トレーナーとして彼女を止められなかったのも、また事実で。
――う……あぁ……あぁぁ……!――
――何が……何がトレーナーだ! ニュータイプだ! 僕は……僕は何も……うぅ……――
そして……レースは、『白き流星』の勝利に終わった。
2着は僅差で『赤い彗星』。
だけど、当然のように観客から疑問が紛糾した。
もしも、あの時彼女が怪我をしなかったら。
……ああ、そうさ。所詮、ifの話でしかない。けれど、もしも……あの子が勝ってたとしても、その後の怪我は避けられなかったんじゃないかと、そう思ってしまうんだ。
だが、大衆はそんな事情を無視して、そんな空想の話をどんどん広げる。そして……そんな空想に、実際に戦ったウマ娘達が巻き込まれる。
結果何が起きたか。それは、レースの歴史が物語ってる事だ。
――『白き流星』に対する非難。あの時の『あの子』の夢のある走りが、逆に人々を扇動してしまった。元々、それなりにファンがいたのが、あの走りで更に増えてな。
勿論、『白き流星』は勝っても喜ばなかった。あんな事があったんだから。
……だが、それでも世間の人々は、安易に彼女に罵声を浴びせかけた。
……正直言って、悔しかったよ。
何で、こんな事になってしまったのかって。『あの子』も、『白き流星』も、何も悪くないじゃないか。
それなのに、何故こんな目に遭わなくちゃいけない? そう思っても、現実は変わらない。
ただ一つ確かなのは、俺はどの道、『あの子』を助ける事が出来なかったって事だ。そして……それをきっかけに『あの子』は引退してしまった。あの怪我では、復帰などもっての外だった。その後、彼女がどこに行ってしまったのかは、分からない。連絡先すら知らないしな。
『白き流星』もまた然り、だ。あの後有馬記念に出走した彼女は、そこで『赤い彗星』共々惜敗を喫し――レースの世界から姿を消した。
もう、何処にいるのかも分からない。彼女が何を考えて引退したのかすら、教えてもらえなかったし――俺は、何の言葉も掛けられなかった。
……まぁ、とにかく。この件で俺は痛感したんだ。「限界を超えるという事は、その身を滅ぼしかねない事に他ならない」と。
そして、人間という種はウマ娘と関わるには、今のままではあまりにも未熟だという事も。
だから俺は誓ったんだ。
二度とあんな過ちを繰り返しちゃならない、と――――