金鯱賞の日から、スズカとトレーナーの関係は大いに変わった。
例えばそれは、トレーニングの時――
「……ねぇ、気づいた?」
「何が?」
「スズカ先輩とそのトレーナー……さっきから一言も喋ってない」
「それが?」
「いやいや、それが? じゃないでしょ!
「あ、言われてみれば……どうなってんの? あのトレーナーさん、
「ひぇっ」
日々違うトレーニングを行うのにも関わらず、一切言葉を交わさず、
例えばそれは、ミーティングの時――
「……スズカ?」
「なんです?」
「なんだか距離が近くないか?」
「そうですか? これぐらいなら資料も読みやすいですし、話も聞きやすいのでいいと思うのですが」
「何やら別の意志を感じるんだが……」
「……心が落ち着くから、ではいけませんか?」
「……まぁ、君が良ければいいんだが……」
何故だかトレーナーの隣を確保しだしたり。
例えばそれは、学園内を歩いている最中――
ヒソヒソ……ヒソヒソ……
「…………(トレーナーの袖を掴んで傍を歩いている)」
「……スズカ、流石に外を歩く時はまずいだろう。周りの視線が……」
「…………(無言で目を潤ませながらトレーナーの顔を見上げる)」
「うっ!?(な、なんだ!? 凄まじいプレッシャーを感じる……)」
ナチュラルにスズカがトレーナーの傍を歩いたり。エトセトラ。
以前にも増して、スズカとトレーナーの距離感が縮まったのである。
もっとも、トレーナーとしてはあまりこの状況は喜ばしくなかった。少しずつでも、スズカを
だが、今の状態では逆に『声』がスズカ(とトレーナー)に集中してしまう。それも荒療治としてはいいのかもしれないが、万が一という事もある。
それに何より、スズカにだって学生生活があるのだ。変な噂を立てられるのは自分だけでいいと、トレーナーはスズカを気遣おうとしたが……
「以前、マックイーンが言ってたんです。「トレーナーと担当ウマ娘は一心同体」って。なら、私達もそうなれるよう努力すべきだと思うんです」
至極真面目な顔でそんな事を言われてしまっては、トレーナーとしては何も言い返せなかった。
その点で言えば、以前の担当ウマ娘は言う事を聞く子だったなぁ、と久々に思いを馳せたのはここだけの話である。
だが――少なくとも今年の夏に出走する予定の宝塚記念までには――この状況を打破したかった。
そこで、思い至った。そうだ、知り合いに相談しようと。
「……それで誘ったってわけ? ボウヤ」
「ボウヤはよせと言っている」
「あら、私にとってはいつまで経ってもボウヤはボウヤよ?」
都内のとあるバー。そこのカウンター席に並ぶのは、スズカのトレーナーと、『スーパーカー』、『真紅の怪物』等の異名を持つウマ娘、マルゼンスキー。
古くは『白き流星』のトレーナー時代から付き合いのある彼らは、理事長秘書のたづなを含め、たまに時間が合うとこうして一緒にバーで話し合う事があった。
「んもー。遂に私にもこの世の春が来た! って勘違いしちゃったじゃないの。もう激おこぷんぷん丸よ?」
「激、おこ……? 何か勘違いさせたならすまない。奢るよ」
「あら、そこまでは求めてなかったんだけれど……じゃあそうね、お言葉に甘えちゃおうかしら」
「すいませーん!」とウェイターにノンアルコールの人参カクテルを注文するマルゼンスキー。此処には自慢の愛車であるタッちゃんで来ているので、ノンアルコールは当然である。
「しかし驚いたわねぇ。まさかあのスズカちゃんがねぇ」
「なんだ? 知り合いだったのか?」
「まぁね。ウマドル関係で」
「ウマドル……? ウマドルって一体――」
「……おっと、ちょっと酔いが来ちゃったカナー?」
「誤魔化すなよ」
ジト目でマルゼンスキーを睨むトレーナー。
「まぁそれはともかくとして、スズカちゃんのトレーナーとしてはどう思ってるのかしら?」
「どう、と言われても、俺としては独り立ちできるようになればいいとは思っているが……親心って、こういうのを言うんだろうか」
「あら、それ本気で言ってる?」
「どういう意味だ?」
「だって、貴方……満更でもないでしょ?」
グラスを傾けながらニヤリと笑うマルゼンスキーに、トレーナーはしかめっ面をしながら「からかうなよ」と口にする。……が、その頬は何故か紅潮していて。
それがアルコールによるものか、はたまた感情から来るものか、少なくともマルゼンスキーには後者のように思えていた。
「いいじゃない、貴方だってまだまだ若いんだもの。そういう気持ちがあって当然よ。スズカちゃん、美人寄りのかわい子ちゃんだし。私には男の気持ちは分からないけど、ああいう子って男心をくすぐられるんじゃなくて?」
「……まぁ、くすぐられる時はある。あるが、それとこれとは話が違うだろ? 俺はトレーナーで、あの子は教え子だ」
「あら、ウチってその辺りは意外と寛容よ? 不純まで行くと流石にアウトだけど。知らなかった?」
「……知る訳ないだろう。女性とのそういう付き合いなんてした事がないんだからな」
「へぇ~。モテそうなのに。童顔の子って結構人気あるのよ? 庇護欲が湧くっていうか」
「俺だって好きでこういう顔をしてるんじゃない」
そう言いながら、トレーナーは手元のカクテルを呷る。
「……俺の事よりも、スズカの事だ。彼女はまだ、自分の能力を制御しきれていない。そんな彼女を、どう導くかだ。だが、俺が傍にいるだけでは解決すまい」
「そうかしら。案外何とかなるんじゃないかと思うんだけど……」
「何故だ?」
「だって貴方、スズカちゃんのこと大好きでしょ」
「ぐふッ!?︎……げほっ!ごほ!」
突然の言葉に思わず咽せるトレーナー。
「あれだけ一途に慕われて、好きにならない方がおかしいわよね〜。きゃー!青春!」
「……唐突に何故俺を? というか、何を根拠に?」
「前者は、スズカちゃんだけじゃなく貴方も変わる必要があるから。そして後者は――女の勘よ!」
「…………」
自信満々に胸を張るマルゼンスキーに対し、トレーナーは胡乱気な視線を向ける……が、女の勘というものも馬鹿にはならない事を、彼は知っていた。
「……それは、教え子として好きって意味か?」
「やーねー、異性として、よ」
「…………」
ハッキリとそう断じてのけたマルゼンスキーに、トレーナーは唖然とする。
「……昔から思っていたんだが、君はどうも……頭がお花畑というか」
「ちょっとぉ~、失礼しちゃうわ! ぷんぷん!」
わざとらしく怒るマルゼンスキーを無視して、トレーナーは考え込む。
(……スズカに対するこの感情がそういうものなのかはわからない。だがもし……仮にそうだとしても、それを表に出すわけにはいかない)
……そう考えている時点で、既に手遅れなのではないかと内心自嘲しながら。
「でも、本当の所、私としては応援したいと思ってるのよ?」
「応援だって?」
「ええ、そうよ」とマルゼンスキーは続ける。
「トレーナーとウマ娘の間に芽生える不思議な絆の事は知ってるわよね」
「……少なくとも、今の世代のトレーナーの中じゃ、一番知ってるつもりだよ」
「じゃあ、『ウマ娘は想いを受けて走る存在』って事だって分かってるわよね?」
真剣な表情で見つめてくるマルゼンスキーに、トレーナーは頷く。
「……私はね、こう思うの。速く走れるウマ娘っていうのは、どんな形であれ、人のちゃんとした想いを受け取る事ができる子だって」
「そして、その想いを最初に与えてあげるべきなのは――他ならぬトレーナーからなんじゃないかなって」
「だからこそ、ボウヤ、貴方はスズカちゃんにハッキリと自分の想いを伝えるべきだと思う」
その一言を受けたトレーナーは――頭を抱えた。
「……自分の想いっていうと、その、信じてるとか、そういうのでなく?」
「違うわよ。そりゃもう、
トレーナーは当然のように頭を抱えた。
「……少し、飲み過ぎたらしい。今日はこれぐらいにしよう」
「ちょっと! 逃げる気!?」
「心配しなくても、君の分も払うさ」
「そうじゃなくて、スズカちゃんと貴方の事!」
そう言われた瞬間、立ち上がろうとしたトレーナーの動きが止まった。
「……逃げる、か」
「そうよ。貴方は……うん。やっぱり、逃げてるのよね。昔の事からも、今の事からも」
まるでトレーナーの事を見透かすかのように言うマルゼンスキー。
トレーナーは何も言わず、ただ黙っているだけだ。
「きっと貴方の事だから、スズカちゃんにも何かしら誤魔化してるんでしょう? だって、貴方は――」
「それは」
マルゼンスキーの言葉を、トレーナーが遮る。
「……それは、スズカだって分かってくれている」
「理解する事と分かり合う事は、近いようで遠いのよ、ボウヤ。話を聞く限り今の貴方達は、スズカちゃんが一方的に信頼しているだけで、貴方からはまだまだ信頼を感じられない。そんなんじゃ、いずれスズカちゃんの実力も頭打ちになっちゃうわよ」
「……俺は……」
それだけ言って、俯き沈黙するトレーナー。
頭では分かっているのだ。今は想いが通じ合っているだけで、分かり合う状態までは行っていない事も。いずれは、スズカへの信頼を確固たるものにしなければならない事も。
『以前、マックイーンが言ってたんです。「トレーナーと担当ウマ娘は一心同体」って。なら、私達もそうなれるよう努力すべきだと思うんです』
スズカのあの言葉が、脳内でリフレインする。
彼女の言葉は、正しいのだろう。だが、それを心のどこかで拒否しようとする自分がいるのもまた事実だった。
原因は、分かり切っていた。
「……んー、これは荒療治が必要かもね」
沈黙したまま立ち尽くすトレーナーを見、マルゼンスキーは密かにそう呟くのだった。
******
――一方その頃、栗東寮のスズカとスペシャルウィークの部屋にて。
「どうしよう……トレーナーさんが……マルゼンスキー先輩……私はどうしたら……トレーナーさんを……」
(お母ちゃん……スズカさんが怖いよぅ……)
何かをブツブツ呟きながら、真顔を通り越して虚無顔になっているスズカを見て、スペシャルウィークはベッドの片隅でガタガタ震えていた。
スズカさんは依存し、トレーナーさんは複雑な気分になるの巻。
今作のオリジナルウマ娘に名前があっても大丈夫ですか?
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大丈夫
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今まで通りで