――トレセン学園、校門前。
「随分久々ね、此処に来るのも」
「…………」
「ええ。まずはあの人を探しに行きましょう? きっと驚くわ」
「………………」
「そうは言うけれど、貴方も楽しみで仕方ないのでしょう?」
「…………!」
「ふふ、照れちゃって、可愛いんだから」
「……あのー、そこのお二人さん。仲良くするのはいいんスけど、とりあえず入校許可証を見せるッスよ」
******
最近、スズカのトレーナーは周囲の視線が気になって仕方がなかった。
「あれが噂の……」
「スズカさん滅茶苦茶勝たせてるんだよね……」
「敏腕でイケメンなのね、嫌いじゃないわ!」
(……好奇の視線は昔にもあった事があるが、慣れないものだな)
その原因は、まず間違いなくスズカが活躍している事だろう。
スズカがG1を勝った頃から、取材やメディア露出が増えたのだ。
その際、トレーナーである自分も取材を受けたのだが、どうにも両者ともに表現が抽象的になる傾向があるらしく、インタビュアーも首を傾げてばっかりだった気がする。
だが、それにも関わらず視聴者としてはそんな彼らが逆にツボにハマったらしく、スズカ、トレーナー共にファンレターを良くもらうようになっていたのである。
最初はスズカだけならと思っていたトレーナーだが、まさか自分も注目の的になるとは思っていなかった。
トレーナーというのは、謂わば裏方仕事だ。
レース前にウマ娘の調子がどうかを記者達に伝える事もあるが、それ以外では基本的にメディアに露出する事は滅多にないと言っていい。
だからこそ、トレーナーとして表に出る機会が増えると、(本人の自覚のないその応対も相まってか)どうしても目立ってしまうらしい。
悪い気分ではないが、かと言っていい気分でもない。それが、率直な感想だった。
そして今、それ以上に彼の頭を悩ませているものがあった。それは――
「――トレーナーさーん!」
背後から掛けられた女性の声に、トレーナーは振り返る。こちらに駆け寄ってくる緑の服装の女性――理事長秘書を務める駿川たづなだ。
「たづなさん。どうかされたんですか?」
トレーナーとたづなの付き合いは、マルゼンスキーを絡めてかれこれ数年に及ぶ。その為互いに遠慮がない間柄であり、普段であれば業務連絡以上の親しい会話をする事もある。
そんな彼女がわざわざ声を掛けてきたという事は、何か用があるに違いない。そう思って尋ねたのだが、返ってきた言葉は彼の予想とは異なっていた。
「どうかされたんですか、じゃないですよ! 今学園内で、貴方の話題で持ち切りなんですよ?」
「俺の? ……ああ、メディア露出でそれなりに有名になっちまったからな。それで……」
「それとは違うんです! いえ、少しは関係ありますが……」
言い淀むたづなの様子を見て、トレーナーは眉根を寄せて考え込む。
(……また面倒事じゃないだろうな)
彼は基本的に目立つ事をあまり好まないタイプなのだが、何故か昔から厄介事が向こうからやって来る事が多い。
今回もまたそうなのではないかと懸念していると、彼女は意を決したように口を開いた。
「……実はですね――」
「トレーナーさんが、チームを……!?」
その噂を聞いたスズカは、目に見えて狼狽えた。
その噂を話した当人――スズカの級友であるメジロライアンは不思議そうにしていたが、スズカにとってはまさに死活問題に等しかった。
(あの、人の良いトレーナーさんが、私以外の子を……駄目、そんな事になったら……でも……)
今のスズカは、恋というものを自覚こそしていないが、傍から見れば間違いなく恋する少女そのもの。
故に、自分が思慕する相手であるトレーナーがチームを組むと聞いて、最初こそ喜ばしいと思った。これでトレーナーの腕が認められる、と。
だが、よくよく考えればそれは自分のライバルが増える(※スズカの主観)事にも繋がるわけであり、トレーナーが自分以外に構う機会がどんどん増えていくという事でもある。それが意味する所と言えば――
(……トレーナーさんの一番じゃなくなっちゃうなんて、嫌……)
スズカにとってそれは、とても悲しい事に思えるのだ。
しかし同時にスズカは、自分にそれを止める権利はないとも思っていた。
何故なら自分は、所詮担当ウマ娘でしかないのだから。
トレーナーとウマ娘の関係性は様々だ。ビジネスライクに割り切っている者もいれば、親兄弟のように深い絆で結ばれている者もいる。
だがそれでも、担当するトレーナーが他の子を担当する事は珍しい話ではない。寧ろ当然の話ですらある。
トレセン学園に在籍する全トレーナーの内、専属トレーナーの割合はかなり少ない。大多数を占めるのはチームトレーナーの方であり、加えてそこにサブトレーナーといった人種もいるのだから、専属トレーナーが如何に希少かが分かるだろう。
そして、実力のあるトレーナーであれば当然複数のウマ娘を担当する事を求められるのは、至極当然の成り行きとも言えた。だからこそ、トレーナーが別のウマ娘を担当しようと思うのならば、それを咎めるような真似はできないしするつもりもない。
「……」
だがそれでもやはり寂しいものは寂しく、スズカはその日一日、心ここに在らずと言った様子で過ごしていた。
「……スズカ? なんか最近変だよ?」
「え? そ、そんな事ないわよライアン」
明らかに動揺するスズカを見て、ライアンは心配そうに尋ねる。
「本当に大丈夫? なんなら良いお医者さん紹介しようか?」
「ほ、本当に大丈夫だから!」
何故か脳裏に注射を刺されるテイオーのイメージが過るスズカ。
それはそれとして、今回の件は由々しき事態であった。
なんとかトレーナーにチームを結成しないよう説得したいところだが、悲しいかな、スズカには彼を納得させられるような弁舌は無かった。
「……私にあって、他の子にはないもの……速さ? やっぱり速さをアピールするしかないのかしら……」
「ねえ、本当にどうしたの!?」
ぶつぶつ呟くスズカを見て、流石にただ事ではなさそうだと悟ったライアンは慌てて尋ねた。
「一体何があったの?」
「…………ライアンは知ってる?」
「何を?」
「トレーナーさんが、チームを作るんじゃないかって噂」
そう聞くと、ライアンは「あぁ~」と得心のいった顔を浮かべた。
「そういえば皆噂してたね。まぁ、実際敏腕らしいし、当然と言えば当然じゃないかな」
「……」
「あれ、もしかしてスズカ、トレーナーさんが取られると思ってヤキモチ焼いてたり?」
「……!」
その指摘に、スズカの顔はみるみると赤く染まった。
「なっ、なんでそんな……」
「えっと、この間呼んだ少女漫画……じゃなくて! 小説で似たような話があったからさ! ってあれ? その反応、図星?」
「ちっ、違うの! 私はそんなんじゃなくて、ただ、その」
否定しようとすればするほど墓穴を掘ってしまうスズカ。
「へぇ」
「ニヤニヤしないで!」
顔を真っ赤にして怒るが、ライアンから見れば照れ隠しにしか見えない。
「……そんなに不安ならさ。聞きに行こうよ」
「え?」
「トレーナーさんに直接、聞けばいいんだよ」
我ながら名案を思い付いたと言わんばかりに、ライアンは腕を組んでうんうんと頷く。
「それは、迷惑じゃ――」
「大丈夫だって! トレーナーさん優しい人なんでしょ? なら、答えてくれるよきっと!」
「でも……」
「それに、スズカがそんな調子だとこっちまで調子狂っちゃうしさ。気分転換も兼ねて、ちょっと行ってみようよ。もしチーム作るのが本当だったら、私達で説得しちゃおう!」
「……分かったわ。ありがとう、ライアン」
こうして二人は、早速行動に移すことにした。
******
――放課後。
「……おや? スズカ、いないのか」
トレーナー室にやってきたスズカのトレーナーは、いつもなら早く来ている筈の愛バの姿が見えない事に気付く。「珍しい事もあるものだ」と思いつつ、彼は机の上に置いてあった新聞を手に取る。そこには『今期注目のウマ娘』という見出しと共に、スズカの写真が載っていた。そして、その記事には『異次元の逃亡者』という、スズカに付けられた二つ名が堂々と大きく見出しに載っていた。
「……育ててきた俺が言うのもなんだが、随分と立派になったものだ」
そうは言うが、トレーナーとしてはこれがゴールとは思っていない。いずれ挑戦する天皇賞(秋)、そして、前々から考えていたローテーション。それらを全て勝っても、彼女が現役を続ける意志がある限りまだ満足できないという予感が、彼にはあった。
元よりトレーナーとしては珍しく、名誉よりもウマ娘を優先する男である。故に彼が求めるものは一つ。最高の景色をスズカの望むだけ見せ続けること。それが彼の今の夢であり、目標でもあった。
「スズカの夢……か」
そういえば、スズカから彼女の願いを聞いた事はあったが、夢について聞いた事は一度も無かった。
先頭の景色を求める彼女の夢。それがどんなものか、トレーナーには興味があった。
はたして、それを訊いていいのか悩ましいところではあったが。
「……それにしても、なんだか外が騒がしいような……」
ふと、外の方を気にしてみれば、何やら生徒達がグラウンドの方へ向かっている。誰か有名なウマ娘……例えばシンボリルドルフやマルゼンスキー、ナリタブライアン辺りが併走でもするのだろうか? と疑問に思っていた時だった。
「――失礼します!」
「……たづなさん?」
勢いよくドアを開けて来たのは、先程会話したばかりのたづなであった。
慌てた様子の彼女に、トレーナーは訝しんだ。
「先程の件ならもう……」
「いえ、そうではないんです! サイレンススズカさんが!」
「……スズカが? スズカがどうしたっていうんです?」
「実は――」
時は遡る事、数分前。
決行は放課後、という事で、スズカとライアンは二人でトレーナー室にやってきていた。
……そこまでは良かったのだが。
「あら?」
「どうしたの、スズカ?」
ドアに手を掛ける直前で立ち止まったスズカに、ライアンは不思議そうに問いかける。
「トレーナーさん、まだ来てないみたいだから」
「ええ? ……あ、ホントだ。閉まってる。なんでわかったの?」
試しにドアを開けようとすると、ガタン、という鍵が閉まっている事を示す音が立ち、ライアンは驚く。
「ほ、ほら。部屋から何の音もしないでしょ? だから」
「……そう言われてみれば、そうだね」
確かに、室内からは物音が一切聞こえなかった。
いつもであればパソコンのキーボードを打つカタカタとしたタイピング音や、資料らしき紙束が擦れる音を響かせているはずなのに。
「うーん、此処にいないとなると……スズカは心当たりはある?」
「え?」
そう言われて考えてみるが……驚く程に何も出てこない。
普段から彼がいるような場所で思いつくところと言えば、トレーナー室かグラウンド、あるいは何かしらの用事で職員室にいるか、それぐらいしか心当たりが無かったのだ。
その事実を考えると、自分が如何に他者に興味が無かったのかが分かってしまい、少し悲しくなってきてしまう。
そんな自分の考えを振り払うように首を振ってから、彼女はライアンの質問に対して答えた。
「……ごめんなさい。ちょっと思いつかないわ」
「そっかぁ。じゃあ、何処だろう――」
ライアンがそう考えこむような仕草を見せた時。
『―――――』
「……え?」
『声』を聞いた、ような気がした。
「……あら、いけないわ。そういう言い方は。嫉妬深いのは魅力的だけれど」
そして、今度は実際に耳に声が聞こえて来る。
振り向いてみれば、そこには二人の人間……否、二人のウマ娘がいた。
一人は車椅子に座った、褐色のウマ娘。
もう一人は、白い帽子に白いフライトジャケット、白いショートパンツと全身真っ白なコーデで身を包んだ、色白で白毛のウマ娘。
二人とも、見たことのない顔だった。
だが、その身に纏う雰囲気から只者でない事は分かる。
「? あの、貴方がたは……」
スズカがそう訊こうとした瞬間、白いウマ娘が一瞬にしてスズカとの間を詰めてきた。
「!?」
スズカは驚く。意外にも身長が高かったのもそうだが、白いウマ娘が間を詰めてきた事以上に……彼女が凄まじいプレッシャーを放っていた事に。
そして、そのプレッシャーはライアンにも感じ取れたようで、「うわっ」と声を上げながら後ずさっていた。スズカ自身も、思わず一歩後退してしまう程に、目の前のウマ娘の圧は強大だった。
「………………」
「え?」
そして、その白いウマ娘がこう言ってきたのだ。
――「私と勝負しろ」と。
そして、時は現在、場所はグラウンド。
「……ねぇ、あの人、何者なのかな?」
「ウマ娘、って事はここのOGなんじゃない?」
「でもあんな人、ドリームトロフィーでも見た事ないし……」
野次馬にやってきたウマ娘達が、思い思いの意見を交わす。だが、答えは一向に出ない。出る筈もない。
それを知るのは――
「……準備、出来ました」
スズカは体操服に着替え、グラウンドに立つ。
対する白いウマ娘はと言えば……
「…………」
己がジャケットの肩を掴むと、バッと、まるでパドックでウマ娘がやるようにジャケットを翻した。
そして現れるのは――
「な、何あの傷!?」
――鍛え上げられた上半身に出来た、生々しい傷跡の数々。特に目立つのは、左肩から腕にかけて出来た擦り傷らしい痕。
どうすればそのような傷が出来るのか、スズカは息を飲みながら考えるが、想像もできない。一方、当の本人である白いウマ娘はと言えば…… ふぅーっと大きく深呼吸すると、改めて口を開いた。
「……………」
距離は1600m。左回り。馬場は良。それで間違いないかと、白いウマ娘は問いかけてくる。
その問いに、スズカは静かに頷いた。
「……スズカ、なんでこんな勝負を受けたんだろ」
そんな二人の
どうして? と聞いたが、その答えは要領を得ないもので。
『……そうしなきゃ、いけないような気がして』
と、そんな風に答えたのだった。その表情には、どこか切羽詰まったような必死さが見て取れる。
一体彼女に何があったのだろうか? ライアンがそう考えていると、突然大きな歓声が上がった。
見ると、いつの間にか二人はスタートラインに立っていた。
ライアンも慌てて駆け寄り、二人を見守る。
「ねぇ、どっちが勝つかな?」
「うーん、普通に考えればスズカ先輩じゃない?」
「だよねー、OGって言っても、要は本格化がピークを迎えた後って事だろうし」
外野の声を聞き流しながら、ライアンは集中した様子を見せるスズカを見る。
そして、思う。
(スズカ……)
彼女は今、何を思っているのだろう。何故、こんな勝負を受ける気になったのか。
分からない。だけど、きっと何かあるのだろうと思う。
ならば自分はただ、見守ろう。そう考えていると……
「……ふふ。あの子、好かれているのね」
隣から、そんな声が聞こえて来る。それは、あの白いウマ娘と共に来た、褐色のウマ娘だった。
「……ええ。スズカは、いい子ですから」
「分かるわ。こうして
褐色のウマ娘の言葉に、ライアンは首を傾げる。このウマ娘は一体何者なのだ? スズカの話をしている筈なのに、なんだか自分の事も見透かされているような気分になってくる。
そんな風に考えていると、褐色のウマ娘が再び微笑んだ。
「……ふふ。貴方も可愛らしいわね。少女漫画、好きなの?」
「――!?」
どうしてそれを、と訊く前に、「ほら、レースが始まるわ」と褐色のウマ娘に遮られ、慌てて視線を向ける。
「……嘘!?」
そして見えた光景。それは、スズカと並んで走る、白いウマ娘の姿だった。