「なんじゃとて!?」
「ウッソでしょ!?」
「それは無茶でしょ!」
騒然とする観衆を見つけ、スズカのトレーナーは駆け寄る。
ギャラリーの視線の先では、スズカと思しき人影と、もう一つ、白い人影が見えた。
「くっ、遅かったか……」
「あっ、スズカのトレーナーさん!」
悔やむ様子を見せるトレーナーに、声が掛けられる。声の主を探すと、スズカの級友のメジロライアンが慌てた様子でこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
「メジロライアンか」
「トレーナーさん、これはその……」
「いや、責める気はないんだ。ただ……」
そう言いながら、視線をグラウンドへと……走るスズカと白いウマ娘へと向ける。
「……まずいな」
「やっぱり、そう思います?」
ライアンの問いかけに、トレーナーは頷く。恐らく、彼女の問いかけの意味と彼が感じたものはまるで別のものであろうが。
そんなトレーナーの視線の先では、白いウマ娘がスズカに肉薄せんとしていた。
大逃げを打っている筈のスズカに、だ。
(……ッ、なんてプレッシャーなの)
スズカは戦慄していた。己のすぐ近くを走る、白いウマ娘の圧倒的な存在感に。
これまで、スズカが相手をしてきたウマ娘に、大逃げを打つ彼女に競りかけてくるウマ娘は一人としていなかった。
それ故に初めて自分に競りかけてくる相手に怯んでいるというのもあるが、それ以上に敵意じみたプレッシャーを放たれたのが初めてだったが為に、酷く困惑しているのだ。
そう、敵意だ。会ったのはこれが初めてだというのに。
(……やってみるしかない!)
その疑問が頭をもたげている間は、走りに集中できない。故にスズカはまず、白いウマ娘の感情を読み取る事に努めた。レースの間は感情が剥き出しになる為、比較的読み取りやすいのだ。
だが……。
(――!? これは、拒絶された? 私が感情を読み取れる事を分かっている!?)
まるで強固な壁に阻まれたかのように、彼女の思念が弾かれたのを感じた。スズカの能力を持ってしても読み取れない相手がいるという事実に驚愕しつつも、彼女は読み取る事を諦め、走りに集中しようとする。
(……こうなったら、走る事に努めるだけ。乱されちゃ駄目。乱されちゃ……)
しかしそれでも尚、スズカの心にはプレッシャーによる不安が募っていく。今までスズカにこんな経験はなかった。
それに呼応するように、スズカと白いウマ娘の間が更に詰められる。それは、スズカのペースが乱されたという事でもあり、白いウマ娘の脚が早くなっている事でもあった。
「スズカ、調子が悪いのかな……」
スズカのペースが乱されているのは、レースを見ているライアンにも読み取れたようで、心配そうな顔を浮かべていた。
それはトレーナーも同じらしい。ただ、彼の場合は少しばかり事情が違った。
「……無理もない。ここからでも彼女のプレッシャーが伝わってくる」
「プレッシャー……」
「そうだ。それが、アイツのスタイルだからな」
「……まさか、あの人の走りって」
そこまで聞き、ライアンは悟る。白いウマ娘が得意とする戦法が、徹底マークであるという事に。
「……ああ。アイツは、とことんまで相手をマークし、そして千切る。そういうレーススタイルで勝ってきたウマ娘だ」
「勝ってきた、って、あんな人見た事が……まさか」
そう言いながらトレーナーの方を向けば、彼はクスリと、弱々しく笑う。
「……そうか。君ぐらいの世代だと、彼女を知らないんだな。ひと昔前なら、トレセン学園でも結構悪名高かったんだが」
「悪名って? ただ有名なんじゃなくて?」
まぁな、と、懐かし気に、しかし複雑そうにコースを見つめるトレーナー。
「……アイツはな、例え相手がどんな脚質で、どんな速さで走ろうと、必ず対応する。そして、マークするべき相手が違っていたとしても、即座に対応し、そして勝つ」
「そんな、ウマ娘が……」
ライアンは絶句した。無理もない。普通に考えて、そんな万能的な走りが出来るウマ娘などあり得ないと思えるからだ。脚質を使い分けるウマ娘は『白い稲妻』として有名なタマモクロスや『ターフのエースパイロット』マヤノトップガンなどがいるが、彼女らのそれは作戦としての脚質の使い分けだ。
一方で、あの白いウマ娘は徹底マークという作戦ありきで脚質を使い分ける。しかも、トレーナーの言葉が正しければ、例え追うべき相手が違っていたとしても、即座に脚質を切り替え、そして勝ち切る事が出来るのだ。
「そう。それで劇的に勝つところから、ファンにはこう呼ばれていた。ターフを駆ける、『白き流星』とな」
「白き、流星……あ! それなら聞き覚えがあります! 確か、トゥインクルシリーズの戦国時代と呼ばれていた時期に活躍したっていうトップレベルのウマ娘じゃないですか!」
ああ、とトレーナーは答える。
「……それと同時に、競争相手にプレッシャーをかけ、追い詰めた後に千切り勝つ姿から、共に走るウマ娘からはこうも呼ばれていた――」
――『白い悪魔』、と。
その異名を聞き、ライアンはゴクリと息を飲む。
と、そこに。
「……あら、悪魔だなんて。あの子がそんな恐ろしい子じゃないっていうのは、貴方が一番良く知ってるでしょうに」
まるで白いウマ娘を庇うように掛けられた声。その声は、トレーナーにとって遥かな昔に聞き馴染みのあった声であり。
「……まさ、か」
トレーナーが、声のする方へ振り向く。
はたしてそこには、車椅子に乗った褐色のウマ娘が佇んでいた。
「……君、は」
「お久しぶりね。ユニ子のトレーナーさん」
褐色のウマ娘は、穏やかに微笑みながらそう言った。
「くッ……」
スズカは苦し気な声を漏らす。それはまるで、かつて無理に脚を溜める策を取って窮屈そうに走っていた時と同じで。
その原因……白いウマ娘の表情は、帽子で隠れて伺う事が出来ない。
だがその雰囲気には、何処か苛立ちのような物が混ざっているような気がした。
(……まずい)
今でこそギリギリ前を取ってはいるが、このままでは追いつかれるどころか、逆に追い抜かされてしまう。焦りと共にそう感じたスズカは、更にギアを上げるべく脚に力を入れた。……だが、思うように加速できない。
(くぅ……! このままじゃ……!)
負ける。先頭の景色が見られなくなる事よりも、負ける事の方を意識してしまう。普段、敗北を気にするようなタイプではない彼女が、だ。
それが何故なのかは分からない。だが、少なくともこの白いウマ娘が関係あるというのは、火を見るよりも明らかだ。
自分と彼女に、一体どんな因縁があるのか、それは分からない。分からないが――この勝負には勝たなくてはならないという意識だけはあった。
そして、レースは最終直線へと移る。
「すっ、ふっ……ふっ…………」
呼吸が乱れる。苦しい。心臓がバクバクと音を立てる。汗が噴き出る。身体中が悲鳴を上げている。
それでもまだ、自分は全力を出し切れていない。こんなところで終わる訳にはいかない。そう思いながら、スズカは更に力を込めた。
……その時だった。
「……あ」
スズカの目に、観衆の姿が、そしてその中に佇むトレーナーの姿があった。
(トレーナーさん――)
だが、彼はスズカを見ていない。その視線の先には――褐色のウマ娘の姿があった。
(……え?)
瞬間、隣から凄まじい圧が掛けられる。白いウマ娘が隣に並んだのだ。
「な、並んだ!?」
「ちょ、あのスズカさんに追い付くなんて……!」
ギャラリーから分かりやすくどよめきが伝わってくる。だが、そんなどよめきも、スズカには届かない。
今の彼女には、トレーナーが自分を見ていないという事実しか頭になかった。
(どうして? どうして私を見ていないんですか?)
その光景が脳裏に焼き付き、走っている事による疲労とは別に、胸が締め付けられるような感覚に陥る。スズカはこの感情が何なのかを知らなかった。だから、ただ奥歯を嚙み締める事しか出来なかった。
その瞬間。
「―――――――」
すれ違いざまに掛けられる言葉。その言葉を聞いた瞬間――スズカの中に燃え滾る何かが発現した。
「ッ、あ、ああああああ!!!!」
スズカは叫んだ。力の限り、叫んだ。その叫びに呼応するように、スズカの身体が白いウマ娘よりも前に進む。
「差し返したァ!?」
「行けぇ!」
「飛んじゃってぇー!」
後ろからの声援を背中で受けつつ、スズカは白いウマ娘との差を僅かに広げていく。その様子はまるで――今まで溜まっていた鬱憤を全て吐き出すかの如く、激しかった。
だが、白いウマ娘も負けじとピッチを上げ――
「―――ッ」
――ようとしたところで、僅かに体勢を崩す。
そして、そのままゴール板を通過する。
「ッ、はぁ……はあ……はあっ……」
勝ったのは、本当に僅かな差でスズカであった。
「凄かったですスズカ先輩!」
「そこの人も誰か知らないけど凄かった!」
「熱いレース、ありがとうねぇ!」
ギャラリーから歓声が沸き起こるが、スズカの耳には届かない。今はただ、トレーナーの事が気になって仕方がなかった。
ゆらり、ゆらりと、まるで幽鬼が如き歩みでトレーナーの元へと歩いていく。
「……スズカ」
先に彼女に気付いたのは、トレーナーだった。
遅れてスズカがやって来ている事に気付いたライアンも「スズカ、お疲れ!」と声を掛けるが、スズカはそれを無視し、トレーナーに詰め寄る。
「ど、どうした?」
(これは……悪意ではない。ないが……黒い感情が蠢いている?)
普段と異なるスズカの様子に、流石のトレーナーも動揺する。しかし、それとは裏腹に、スズカはトレーナーの腕を掴み、顔を近づけた。
「……どういう事ですか」
「へ?」
思わず素っ頓狂な声が出る。
「この人……誰なんですか」
「……えっと」
昔話した『あの子』だ、と答えるのは容易かったが……彼女から放たれるプレッシャーが、トレーナーに有無を言わせようとしない。
「……言えない関係の方なんですか」
「いや、そういう訳じゃ……」
無表情を通り越して冷たさすら感じさせるスズカの顔に、トレーナーは冷や汗を流し始める。だが、スズカは止まらない。
「じゃあ教えて下さい。この人と何があったんですか。私がこんなに頑張ったのに、貴方は私を見てくれなかった」
「ス、スズカ、すまない。それは、その……」
トレーナーは、自分の中身がまるで昔の頃に戻ってしまったかのような錯覚を覚える。だが、そんな事は関係ない。今はとにかく、スズカの誤解を解くのが先決だ。しかし、今の自分に彼女の誤解が解けるだろうか?
そう悩んでいた時だった。
「……うふふ」
褐色のウマ娘が、微笑んだ。この修羅場とも言える状況で。
「……何が、おかしいんですか」
名も知らないウマ娘に笑われたようで、不快な気分になって来たのか、スズカは分かりやすく――そして、人生で初めて――敵意を剥き出しにする。
だが、そんな彼女の敵意に、褐色のウマ娘は全く動じない。
車椅子をスズカの元へと進めると、寧ろスズカを包み込むかのように、彼女の手をそっと両手で包んだ。
「なっ」
いきなり触れられて驚くスズカ。だが、その手を通じて、彼女の中に何かが流れ込んでくるような感覚があり、それに次いで、己の中に渦巻いていた黒いものが薄れていくのが分かった。
「……落ち着いて。私は彼とは何もないわ。ただ、顔馴染みってだけ」
「そ、そう、なんですか」
「ふふ。嫉妬、したのね。彼が私を見ていたから」
「そ、そんな事……」
だが、そう言われればそうなのだろう。そういった事に疎いが故に分からなかったが、この胸が苦しくなる感覚こそが嫉妬という感情なのだろうと、スズカは思った。
「そうね。貴方は純粋な子だから、はぐらかすのは申し訳ないわ。彼は驚いていたのよ。久々に私の顔を見たから」
はたして、その言葉を真に受けていいのだろうか。そんな疑問が頭を過ぎるが……不思議と、彼女の言う言葉に、嘘はないと確信出来て。
「……そうなんですか? トレーナーさん」
「あ、ああ。その、すまないな。変な態度で」
「いえ、いいんです。違うなら」
そうは言いつつも、スズカの顔はムスッとした様子で、トレーナーは困ったように癖毛を掻く。
「ふふ。相変わらず、ウマ娘に愛されているのね、貴方は」
「……からかうなよ」
褐色のウマ娘の言葉に、トレーナーは困ったように眉尻を下げる。
そこに、白いウマ娘がジャケットを肩に掛けながらやって来た。
「あら、貴方も随分不機嫌そうね? 負けたから、という訳じゃなさそうだけれど」
「―――――」
こちらも褐色のウマ娘の言う通り、ムスッと釈然としない様子であり、それを見たトレーナーはますます気まずそうな表情になっていく。
「……ユニコーン」
「……―――――」
彼に名前を呼ばれた白いウマ娘は、それに僅かに反応し、ほんの少し頬が緩むが、再び表情を固くする。
「こちらも、トレーナーさんのお知り合いなんですか?」
「……知り合いどころじゃない。君に話した事のある、俺の昔の担当ウマ娘さ」
そう聞き、スズカはユニコーンと呼ばれた白いウマ娘の方を向く。
成る程、よくよく見てみれば、彼女からは貫禄のようなものを感じられる。……それまでは、明確な敵意のせいで分からなかったが。
「そうだ、自己紹介がまだだったわね。私はエルメス。そしてこっちは、ホワイトユニコーン。よろしくね、サイレンススズカさん」
エルメスと名乗った褐色のウマ娘はそう言って握手を求めてくる。スズカはそれに応じるが……。
(……まだ、このユニコーンって人から敵意を感じる。何故?)
そんな二人を、ホワイトユニコーンは眉間に皺を寄せながら見つめていた。
はい。というわけで、名前が出てこなかった二人のウマ娘の名前初披露です。
エルメスは大して悩まなかったのですが、ホワイトユニコーンは色々と迷いました。