スズカさんがニュータイプに目覚める話   作:K氏

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 ウマ娘一周年なのに仕事が忙しくて投稿が遅くなってしまって申し訳ないので初投稿です。


誰がために

 その日から、スズカの左旋回は頻度を増していった。原因は言わずもがな、先日ホワイトユニコーンに言われた言葉。

 

 ――お前は、心の底ではトレーナーを信じられていない。今のお前は、『トレーナーが好きな自分自身』に酔っているだけに過ぎん。

 

 ――結局、お前は今まで通り自分の事しか考えていない。トレーナーの事を何も理解していない。

 

 その言葉が楔となって胸に打たれ、抜けないままでいるのだ。

 

「……サイレンススズカさん?」

「あっ!? す、すみません!」

 

 結果、授業中でも上の空になってしまい……

 

「……スズカさん! お箸落ちそうに!」

「え? ……あ」

 

 食事もまともに手がつかず……

 

「……タイムが落ちてるな。ほんの僅かだが」

 

 そして今、合宿所における練習でもトレーナーに違和感を指摘される程に、彼女は集中力を切らしていた。

 

「どうしたんだ、一体? 随分、らしくないじゃないか」

「すみません……」

「いや、責めてるわけじゃない。だが……」

 

 トレーナーは、一瞬躊躇うような仕草をする。はたして、これを言っていいのかどうか。

 しかし、意を決したのか、彼は口を開いた。

 

「……もしかして、ユニコーンと何かあったのか?」

「いっ、いえ! そんな、事は……」

 

 図星だった。相変わらず、トレーナーは勘が良い。だが、今限りはその勘の良さが、少々恨めしくもあった。

 しかし……そう思ってしまうのも、自分本位に考えているからこそ、なのだろうか。

 

「……トレーナーさん」

「なんだ?」

「私って、我が儘、なんでしょうか」

「今更だな。というか、自分でもあの時言ったじゃないか、『我が儘に付き合ってくれて』って」

 

 ガーン、と頭の中でピアノの鍵盤を盛大に叩きつけたような音が響いた、気がした。

 まさか、即答されてしまうとは。

 そして、思い出す。宝塚記念で、自分の『領域』にトレーナーを招いた時の事を。

 

 僅かに落ち込むスズカに、トレーナーは思わず吹き出してしまう。

 

「なっ、なんで笑うんです!?」

「いや、すまない。……狼狽える姿が、思ったよりもチャーミングだったから」

「……~~~! また貴方はそういう事を素面で!」

 

 そうは言いながらも、スズカの顔は照れで赤面しきっており、耳も尻尾もぴょこぴょこと跳ねている。

 

「まぁ、それはともかくとして、だ。俺としては、少しぐらい我が儘な方が付き合いやすいとは思う」

「付き合いやすい、ですか」

 

 そうだ、とトレーナーは深く頷く。

 

「トレーナーとウマ娘、その付き合い方は色々ある。昔の俺とユニコーンは、どちらかと言えばドライだった」

「ドライ……」

 

 それにしては、ユニコーンから向けられている感情の重みが違うような気がするが……と言いたくなったスズカだが、そこは言葉を飲み込んだ。

 

「昔の俺は、ただただ自分の事で頭が一杯だった。トレーニングを施す事でトレーナーとしての形だけは保っていた、というのが正しいかな」

 

「だから、あの頃は担当ウマ娘の気持ちなんて、これっぽっちも考えもしなかった」

 

「だから、かな。親父が俺に他のウマ娘のトレーナーをさせても、彼女達は俺に着いてきてくれなかった。着いてこれたのは、ユニコーンただ一人だったんだ」

 

 懐かしむようにそう口にするトレーナーに、スズカは僅かに口を尖らせた。

 これではまるで、惚気られているようではないか?

 今はここにいないユニコーンへの嫉妬心を募らせながら、スズカは黙って話を聞いていた。

 

「……おっと、少しデリカシーが足りてなかったかな。すまない。まぁつまり、何が言いたいかと言うと、だ。ウマ娘とトレーナーの関係を良好なものにする上で、多少の我が儘は必要だって事だ」

「必要……なんですね」

「そうだ。……君がユニコーンに何を伝えられたのかは分からないが、君は、彼女じゃない。君には君の、彼女には彼女の力の発揮の仕方というものがある。アイツの場合、たまたま昔の俺のやり方がはまっていたというだけだ」

「そう、なんでしょうか」

 

 どこか違和感を感じ、スズカは小首を傾げる。

 何と言えばいいのだろうか、それだけではない、ような気がする。

 

 そんなスズカを他所に、トレーナーは「よし」と何かを決心したようだった。

 

「スズカ。今日のところはこれで切り上げよう」

「えっ!? 私、まだ……」

「体力があるからこそ、君にはやるべき事がある」

「やるべき事?」

 

 やるべき事と言われて、スズカは考え込む。

 休養? いや、最近はそんなに身体を酷使していないから、まだ余裕はある。

 なら、勉強? ……こう言っては何だが、自分は学業に関してはそこそこ出来る方だとは自負している。そうしなければ走れないのだから。

 では、一体――

 

「何を悩んでいるのかは分からないが、悩みがあるなら俺以外に聞いてみるのもアリなんじゃないか、と思ってな」

 

 トレーナー以外に、相談。成る程、その手があったか、とスズカは膝を打った。何しろ、それまでトレーナー絡みの事を他の誰かに相談するなんて、思いつきもしなかったのだから。

 主に、「もしかしたら、他の子もトレーナーの事が好きになってしまうかもしれない」という、よく分からない危機感からだが。しかし、それはそれ、これはこれ。

 確かに、今の自分が抱えている問題に対して、自分やトレーナー以外の第三者視点を取り入れる事も悪くないはずだ。

 

「……分かりました。とりあえず、話を聞いて来ようと思います」

「ああ。そうした方がいい」

 

 そうして、スズカは砂浜を歩きだし――

 

「……スズカ」

「はい? ……あら、トレーナーさん?」

「さっきから同じ場所をずっと回ってたぞ」

「え?」

 

 ……ともかく、トレーナーは悩めるスズカの背を見送った。

 

「……我が儘、か」

 

 トレーナーは独りごちると、海と空が交わる水平線を見やる。

 

「全く、羨ましくなるな」

 

 そう呟くトレーナーの目は――どこか寂し気であった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 そんなこんなで、スズカはまず、親しい間柄のスペシャルウィークに話を聞く事にした。

 

「ねぇ、スペちゃん」

「ふぁい? ふぁんへふ?」

「……えっと、とりあえず口の中のものを食べ終えてからでいいわ」

 

 夕食時、合流した彼女と席を共にする。

 スペシャルウィークは相変わらずの食べっぷりで、それに影響されてしまったのか、スズカもそれなりに食事量を増やしてしまっているのが、最近の密かな悩みであった。

 

「……ご、くん。それで、どうしたんですか?」

「ええ、その……スペちゃんは確か、お母様の為に走ってるのよね?」

 

 「はい!」と、スペシャルウィークは箸を片手に元気良く答えた。

 スズカが最初の相談相手にスペシャルウィークを選んだのは、これが理由だった。

 ユニコーンが放った言葉の真意に近づく為には、まず自分にはない、明確に『誰かの為に走る』という理由を持った、そんなウマ娘の視点が必要だと感じたのだ。

 

「ですです! やっぱり、一番はお母ちゃんの為だと思います! 私が走って、勝って、それで少しでも喜んでもらえる事が嬉しいんです!」

 

 そう語るスペシャルウィークは、キラキラと輝いて見えて。

 そして――なんだか自分が、少しだけ後ろめたい理由で走っているような感じがして。

 

「そう、よね……」

「? スズカさん、どうかしたんですか?」

「……実は、ね――」

 

 そこで、スズカはかいつまんで話すことにした。一応、ユニコーンの事は伏せた上で。

 

 自分は今まで、自分の為に走ってきた。しかし……それだけでは駄目なのかもしれない、と。

 

「……私は、私が見たい景色の為に走ってきた。トレーナーさんにも、一端ではあるけれど、その景色を見せられた、と思う。……けど、それってあくまでも、自分の為でしかないんだって。自分の満足の為なんだって」

 

 そう自嘲気味に語るスズカ。

 トレーナーにも、自分の見ている景色を見せる。それもまた、『誰かの為に走る』という一つの形ではあるのだろう。だが、ユニコーンの言葉を受けたスズカには、それすらも自己満足の為のものであるような気がしてならなかった。

 そして今、スペシャルウィークから話を聞いた今、それがなんだか、とても恥ずかしい事のように思えてしまって。

 

 しかし――

 

「……うーん?」

 

 スズカの話を聞いていたスペシャルウィークは、首を傾げた。

 

「……あの、スズカさん」

「何? スペちゃん」

 

 むむむ、という言葉が聞こえてきそうな程唸りながら問いかけてきたスペシャルウィークに、スズカは首を傾げながら応じる。

 

「……正直、スズカさんが何を悩んでるのか、良く分からないです!」

「えぇッ!?」

 

 嘘でしょ!? と言いたくなるスズカ。だが――

 

「だって、スズカさんのそれと私の走る理由って、そんなに違います?」

 

 そう言われて、えっ、と声を漏らす。

 

「スズカさんには、見たい景色があるんですよね?」

「ええ」

「で、それをトレーナーさんにも見せたい、と」

「そうね」

「じゃあ、私と一緒じゃないですか!」

 

 ……そう簡単には言うけど、違うような気がするのよ。

 

 スズカはそんな事を言いたくなった。

 しかし……その言葉は、次いで出てきたスペシャルウィークの言葉の前に消える事となった。

 

「……私も、ちょっと前まで誰の為に走るのかって、それで悩んでた事があったんです」

 

 スペシャルウィークは、箸を持った手を胸に当て、瞳を閉じた。

 

「同期のセイちゃんやキングちゃんは、自分の為に走ってて。でも、私にはお母ちゃんから貰った夢しか無くて」

 

「私を産んでくれたお母ちゃんと、育ててくれたお母ちゃんの夢。『日本一のウマ娘になる』っていう夢。それが私自身の夢かと言うと、そうじゃないっていう気がして……育ててくれたお母ちゃんも昔、『無理に追う必要はない』って言ってくれてたのを思い出したりして……」

「スペちゃん……」

 

 それは、スズカとは逆ではあるが、しかし今のスズカとよく似た状況で。

 

「でも、そうじゃないんです。大事なのは」

 

「一番大事な事。それは……私が、そうしたいって気持ち。私自身の望み。そして、『日本一のウマ娘になる』っていう夢を叶えるのは、他でもない、私自身の願いなんだって」

 

「つまり、その、なんて言えばいいんでしょう……ああ~~~! こんな時に言葉が出てこない~~~!」

 

 肝心なところで言葉に詰まってしまったスペシャルウィークに、スズカは毒気を抜かれたように、クスリ、と微笑んだ。

 それに気付いたスペシャルウィークは、コホンと一つ、わざとらしく咳払いをする。

 

「と、とにかくですね! 私も結局、自分の為に走ってて、それってつまり、スズカさんやセイちゃん、キングちゃんと一緒の理由で走ってるって、そういう事なんじゃないかって!」

 

 はい! と手を上げながらそう答えを告げたスペシャルウィークに、スズカはただ微笑みながら、「ありがとう、スペちゃん」と礼を言った。

 

「いえいえ。……スズカさん、大丈夫ですよ!」

「え?」

「スズカさんがどんな悩みを持っていても、きっと乗り越えられます!」

 

 そう言って、スペシャルウィークはとびきりの笑顔をスズカに向けた。

 

 ――ああ、敵わないな、この子には。

 

 その笑顔は、今のスズカにはあまりにも眩しすぎて。

 同時にスズカは、己の心に仄暗いものがあるのを、薄々とだが感じ取っていたのだった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

「……私が何の為に走るか、だと?」

 

 どうしたいきなり、と、合宿所にある花壇の花に水をやりながら、エアグルーヴは怪訝そうに問い返す。

 あれから一晩過ぎ、やはり彼女の中にあるわかだまりが解消されなかった為に、今度は友人であるエアグルーヴを尋ねる事にしたのだ。

 彼女からなら、スペシャルウィークとはまた別の視点の答えが得られるかもしれない、という希望を持っての事だ。

 

「その、ちょっと悩んでる事があって」

「お前がか?」

「もう。私の事、なんだと思ってるの?」

「……こう言っては何だが、走る事とトレーナーの事しか頭にない奴だと」

 

 あながち間違いでもない。よく自分の事を見ているらしい友人の鋭い一言に、スズカは押し黙る事しか出来なかった。

 

「……もしや、この間の騒ぎの時に何かあったのか?」

 

 エアグルーヴの言葉に、スズカは目を丸くする。

 どうやら、あの時の野良レースの事は彼女の耳にも届いていたようだ。

 

「……取り締まったり、しなかったのね」

「まぁ、一応入校許可はあったからな。それに、会長と理事長が心配無用と仰ったのもある。なら、私の出る幕はないと感じただけだ」

「そう……会長と理事長が……」

 

 スズカの脳裏に、あまり親しくないが故に厳格そうなイメージのある生徒会長のシンボリルドルフの姿と、何故か「無用!」と刻印された扇子を広げた幼げな理事長の姿が浮かんだ。

 

「で? その時に一体何があった?」

「えっと……」

 

 どこまで話したものかと思い、とりあえず昨晩スペシャルウィークに話したのとほぼ同じ内容を話す。

 すると――

 

「……もしや、先輩に言われたのか?」

 

 一瞬、ドキリと心臓が跳ねた。トレーナーもそうだが、この友人も中々どうして勘が鋭い。

 

「たわけ、顔に書いてある。お前が、自分一人だけでそんな悩みを抱えるとは到底思えん。となれば、誰かが関わっているのは明白。そして先日の騒ぎから考えれば、そう考えるに至るのは妥当だろう」

 

 ……どうやら、自分というウマ娘は随分と分かりやすいらしかった。

 もしや、トレーナーも自分の事をそう思っているのだろうか?

 

 そんな考えが頭を過ぎるが、今はそれどころではないと考え、スズカは僅かに頭を振った。

 

「で、どっちの方だ? お前を悩ませる張本人は」

 

 正直に言えば、両方だ。エルメスはやけにトレーナーと親し気だし、ユニコーンは言わずもがな。

 だが、此処はぐっとこらえ、ユニコーンの名前を出した。

 

「……あの、『白き流星』が? 私は直接会っていないが、ブライアンのようなタイプなのだろう?」

 

 生憎と、スズカはナリタブライアンとはあまり接点がなく、彼女が如何なるウマ娘か推し量る事が出来なかった。

 故にスズカは、ユニコーンのキャラをそのままブライアンに投影するという逆の発想に至ったのだが、本人からすれば心外極まりないだろう。

 そんな飛び火を感じ取ったのか否か、どこかの木の上から、くしゅん、という音が聞こえたとかなんとか。

 

「……まぁ、お前の感じた気持ちは、分からんでもない。私とて、己の在り様を会長に否定されれば、そうもなるやもしれん」

 

 そう言いながら、エアグルーヴはじょうろを片付ける為に歩き出すが、ふと立ち止まってスズカに向き直る。

 

「だが、だからと言ってお前は立ち止まるのか? 走る事を辞めるのか?」

「えっ? ……それは」

 

 辞めは、しないだろう。それは何故か? それは、スズカがウマ娘、走る為に生まれた存在であるから。

 だが、それは彼女が十全に走れる事への証左にはならない。

 彼女の悩みの解決には、ならない。

 

「……私とて、己の『女帝』としての在り様に悩んだ事の一つや二つ、ある」

「エアグルーヴが?」

 

 スズカがそう驚くと、エアグルーヴは、ムッとした表情を見せ、そして一つ、深い溜息を吐いた。

 

「……お前もその一端を担っているのだがな」

「わ、私?」

「そうだ。お前というライバルの出現は、私の理想の『女帝』としての在り方を確実に揺らがせた」

 

 そう口にしたエアグルーヴは、目を伏せながら続ける。

 

「……ああ。今でも脳裏に、そしてこの瞳に焼き付いているさ。宝塚記念で見たお前の、自由で無垢なる走り。あれこそは、全てのウマ娘の『理想』たる姿だ」

 

「……そうだ。全てのウマ娘の『理想』たろうとする私の前に、お前という『理想の体現者』が現れたのだ。それを前にした私の気持ちが分かるか? いや、分かるまい。分からないからこそ、お前は『理想』たり得るのだろうよ」

 

「だが――だからと言って、それに屈していいかと問われたならば、私は断固として否と答える。……悔しいが、私一人ではその答えには辿り着けなかったがな」

 

 そう最後に付け足したエアグルーヴの顔は、普段の厳しい姿からは想像もできない程に安らぎに満ちていて。

 

「……独りでは、『女王』足りえなかった、とは、私の母の言葉だが」

「…………」

「お前とて、そうだろう? サイレンススズカは……『異次元の逃亡者』は、これまで一人で駆け抜けてきた来たわけではあるまい」

 

 そう問われ、スズカはハッとする。確かにそうだ。自分は、一人であの景色を見られたわけではない。

 それは、トレーナーとの出会いのおかげであり、それは、スペシャルウィークを始めとした多くのウマ娘との出会いのおかげであり、それは、エアグルーヴを始めとした多くのライバルとの競争のおかげでもあり。

 

 ……そうだ。走る時だって。

 

『行けェ! スズカァァァ!!』

『頑張れスズカ!』

 

 ファンからの歓声。『領域』の中にあって未だ慣れないあの歓声だって、ずっと彼女と共に在り、彼女の背を押してくれていた。

 『見たい景色を見る』。ただその為に走ってきた、我が儘な彼女の背を。

 

「お前が先輩にどう言われたかまでは訊かん。だが……これだけは忘れるな。私を負かしたのは、どこまで行っても己の思うが儘に、自由に生き、走る。そんなウマ娘、サイレンススズカだという事を」

 

 ……微かに。ほんの微かにだが、光明が見えた、気がした。

 

「……エアグルーヴ」

「なんだ」

「ありがとう」

「……礼を言われる事などしていない。『挑戦者』である私がいずれ下すのは、『理想の体現』たるサイレンススズカだ。間違っても、些末事で悩むようなウマ娘ではない」

 

 「言ってくれるわね」と、スズカは笑った。

 そして、くるりと背を向け、歩き出す。

 

「……また、走りましょう。エアグルーヴ」

「ああ。また、な」

 

 そして駆け出していくスズカの背を、エアグルーヴは黙って見送った。

 

「……全く。随分とスズカに入れ込むのですね」

 

 エアグルーヴは唐突に、まるで誰かがいるかのようにそう呟いた。

 

 ……否、はたしてそこに、彼女、エルメスはいた。

 

 木の陰から出てきた彼女は、微笑みながらエアグルーヴに声を掛ける。

 

「ええ。あの子、綺麗な目をしているもの」

「だから、試練を与えた、と?」

「そこまで偉そうな事は言えないわ。ただ、ユニ子との縁は繋いだけれどもね」

 

 エアグルーヴは目を細めた。

 相変わらず、掴みどころのない、油断ならないウマ娘だ。

 しかし、その実力が本物である事は、他ならぬ『白き流星』を僅かにでも追っていた彼女は知っている。

 実力者とは、得てしてどこか異様な一面を持つものだ。

 

「……スズカは、どうなると思われるのです?」

「さぁ、どうかしら。……少なくとも、悪いようにはならないと思うけれど」

「何故?」

 

そう問うと、エルメスは少しだけ考え込み、そしてこう言った。

 

「……勘、かしら」

「……よもや、ニュータイプと思しき貴方から、そのような言葉が出るとは」

「あら。私は神様ではないのよ? それは、ユニ子だって、あの子だって、そして……彼だってそう」

 

 その言葉に籠められた感情が如何ほどのものか、少なくともニュータイプに対するオールドタイプであると自身で思っているエアグルーヴには推し量る事は出来ない。

 

「……そうですか」

 

 故に、そう返す他無かった。

 

「……ところで、何故此処に?」

「あら、私、現役時代から此処が好きなのよ? 来てはいけなくて?」

「質問の回答になっていないのですが……!」

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 あれから数日。スズカは友人や知り合いの伝手を頼り、様々なウマ娘から、誰が為に走るのか、何の為に走るのかを聞いてきた。

 

 皆、それぞれに違うものを持っていた。

 

 ある者は、己が生家、あるいは家族の為に。

 ある者は、己が渇望を満たす為に。

 ある者は、己に期待するファンに応える為に。

 

 そしてスズカは、夕陽が間もなく沈もうかという頃合いに、再び砂浜に足を運んでいた。トレーナーなら、ここにいるという確信があったから。

 

「……どうだい、スズカ。悩みは解決したか?」

 

 案の定、トレーナーはそこにいた。

 まるで、スズカが来るのが分かっていたかのように、トレーナーは波打ち際の近くに立っていた。

 

「……正直、解決したとは言い切れません」

 

 けれど、とスズカは繋げる。

 

「……後もう少しで、何かが掴めそうなんです」

 

 その答えは、必ずしもユニコーンの真意に沿うものとは限らないだろうが。

 

 そして、あと一歩が掴めずもどかしそうにするスズカに、トレーナーは、ふむ、と口元に手を当てる。

 

「……『人とは、満ち足りる事無く永眠するもの』、だったかな」

 

 え? と、突然の言葉にスズカはぽかんとした表情を浮かべる。

 

「いや、昔どこかで聞いた言葉なんだが……まぁ、何処が出自かはいい。要は、言葉に籠められた意味の方だ」

 

「人という生き物は、どう生きようと満ち足りて逝くことはない。しかし、それを本能的に分かっているからこそ、どんな人間だろうと己を満たす為に生きるのだと」

 

 「まぁ、これは独自解釈込みだが、ね」とトレーナーは付け加える。

 

「スズカ。君は走る時、先頭の景色を見る為に走るだろう?」

「え、ええ」

「それはとどのつまり、君自身が満足する為に走っているという事だ」

「…………」

「それを、後ろめたいと思う必要はない。人なら、誰だって自己満足の為に生きているものだ。それが、例え誰かの為という理由があったとしても」

 

 それは、言ってしまえば極論にも近い理屈だった。だが……思い当たる節がある。

 

 ――一番大事な事。それは……私が、そうしたいって気持ち。私自身の望み。そして、『日本一のウマ娘になる』っていう夢を叶えるのは、他でもない、私自身の願いなんだって。

 

 スペシャルウィークは、母から託された夢を、己の夢とした。

 それは間違いなく、スペシャルウィーク自身の欲望によるもので。

 しかし、トレーナーの言を借りるなら、それすらもスペシャルウィークの自己満足に過ぎない。

 

 ――自己満足の為と、そう完結していいのか?

 

 スズカの理性が、それを受け入れる事を拒んでいた。

 この時、スズカは初めて、トレーナーに反感を抱いてしまった。

 

「……いくらなんでも、それは……」

「そうだな、受け入れがたいものだ。人間の善の部分とでも言うべき部分が、それを拒絶しようとする」

 

 スズカには、トレーナーが言わんとする事の先が見えなかった。

 無論、彼の言う事に何の意味も無いとは到底思えない。

 だが、彼は一体スズカに何を伝えたいのか、それがどうしても掴めなかった。

 

「……ユニコーンはな、俺と出会った頃は自己主張というものをしないウマ娘だったんだ」

 

 ぽつり、とトレーナーがそんな事を言い出す。

 

「自己主張をしないから、周りからは何の為に走っているのか良く分からない奴だと、そう思われていたのがユニコーンというウマ娘だった」

 

「地力自体はあった。だが……ただ流されるままにトレーニングをして、自分が成長しているのか、そもそも自分に合ったトレーニングなのか、自他共に分からないままの日々が続いていた」

 

「そこにやってきたのが、俺だった。偶然にも俺は、あいつの潜在能力を引き出す事が出来た」

 

 それは、ホワイトユニコーンというウマ娘の過去であり、トレーナーの過去。

 

「……ユニコーンと俺の関係は、決して良好とは言えなかった。そも、俺自身はトレーナーになりたくなかったからな。ウマ娘にトレーニングを施す事なんて、本当はあまり気が進まなかった。馬鹿馬鹿しい話だが、劣等感があったんだ」

 

「そんな俺に、ユニコーンは色々と言ってきたさ。『君とだから、ここまでこれた』とかな。……当時の俺は、それをまともに受け取ろうとしなかったが」

 

「後から親父に聞いて知ったんだが、ユニコーンがそんな風に他人に接しようとする事なんて、一度も無かったそうだ。……全く、今思えば、卑屈の塊だった俺なんかと一緒にいてくれたものだと思うよ」

 

「それでも、彼女は求めていたんだろう。己の存在を確立させてくれる、そんな人間を」

 

「……その結果、あんな風になるとは思っても見なかったが」

 

 そう言いながら眉間を抑えるトレーナーに、スズカは「ああ……」と思わず声を漏らしてしまう。

 自分が何かを言えた立場ではないが、ユニコーンがトレーナーに向ける感情が尋常でないのは、出会って僅かな期間であったが何となく察する事が出来る。

 

「……まぁ、ともかく。俺が言いたいのは、ユニコーンにはユニコーンの、スズカにはスズカの力の発揮の仕方というのがあるって事だ」

 

「ユニコーンに何を言われても、君は君の思うがままに走ればいい。何かに縛られる必要なんてないんだ」

 

 ――そう、俺を理由に縛られる必要もない。

 

 そうトレーナーが言った訳ではない。言った訳ではないが……スズカには彼がそう続けるのが、手に取るように分かってしまった。彼という人間を、良く知っているから。

 

 そして、分かってしまった。彼がそう思うに至った切っ掛けは他でもない、ユニコーンとの関係。

 

 ……だが、それで悪いのはトレーナーでも、ましてやユニコーンでもない。

 

「……私は、縛られているつもりはありません。寧ろ、好きで背負っている、と言った方が正しいでしょうか」

 

「私は、スペちゃんのように立派な夢がある訳でもなければ、エアグルーヴのように高尚な理由を持ってレースに臨んでいる訳でもありません」

 

「……けれど、トレーナーさんと一緒に走ってきて、色んなものが見えてきたんです。先頭の景色だけじゃない、本当に色んなもの」

 

 そう口にしながら、スズカは瞳を閉じる。

 瞼の裏に、これまで走ってきたレースの光景が浮かんでは消えていく。

 そして――次に浮かんだのは、走り終えた後に見える、友人や観客の笑顔。

 それから――いつも通り、穏やかな笑みを浮かべてスズカを迎えてくれる、トレーナーの姿。

 

「……トレーナーさん。私、もっと我が儘になっても、いいんでしょうか」

「……ああ、勿論」

 

 スズカの問い掛けに、トレーナーは微笑みながら返す。

 それを見たスズカは、意を決したように一呼吸置く。

 

「……私、先頭を景色を見る事も、トレーナーさんも、どっちも諦めたくないです」

 

 それから、と続けて。

 

「私の見ている景色。あの景色を、ファンの皆さんにも見せたい。そして、それを皆さんへの感謝にしたいんです」

 

 その言葉を聞いたトレーナーは――少し、ほんの少しだが、面食らったような表情を浮かべた。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔とは、このような顔を言うのだろうか。

 

「……なんです、その顔」

「いや、その……君がファンの事を言い出すとは思わなかったから」

「も、もう! 失礼ですよ!」

 

 スズカは顔を赤く染めながらも、コホン、と咳払いをしつつ言葉を紡ぐ。

 

「……確かに、今までは自分の事ばかりで、ファンの皆さんの事はまるで気にもかけてませんでした。……『領域』での事もありましたし」

 

「けど――みんな、私の背中を押してくれていた。トレーナーさんと一緒で。それを無碍にしたままでは、きっと私は満足して走れない。走り切れない」

 

「だから、今度は私が恩返しをする番だと思うんです。他でもない、私の走りで。それが、私の新しい我が儘なんです」

 

「そ、それで、ですね……」

 

 そこまで言うと、途端にスズカの歯切れが悪くなる。

 

「スズカ?」

「え、えっと、その……」

 

 何やらそわそわしだすスズカに、トレーナーは不思議そうな視線を向ける。暫くの間、沈黙が場を支配する。

 それから数十秒程経ってから、スズカは意を決したのか、頬を赤らめながらも口を開いた。

 

「わ、私の走りで! トレーナーさんの事を! メロメロにしてみせましゅ!」

 

 ……二度目の沈黙が、場を支配した。

 

「……ぷっ」

「ああッ!? ち、違います! 今のは……そう! 釘付けにしてみせるって言いたくてですね!」

 

 思わず吹き出してしまったトレーナーに弁解するように捲し立てるスズカだったが、もう遅い。

 トレーナーは遂には耐え切れず、大笑いを上げてしまった。

 

「ククッ……いや、すまない。笑うつもりまでは無かったんだが……全く、可愛らしいな」

「もう! こっちは真剣に言ったんですよ!」

「ああ、分かったよ。悪かった」

 

トレーナーは謝りながら、未だに収まらない笑みを何とか抑えようとする。しかし、一度ツボに入ってしまったものは中々抜けず、結局はまたスズカに怒られながらも、数分間笑い続けたのだった。

 

 

 

 

「……しかし、そうか。ユニコーンと走っていた時の事、気にしていたんだな」

 

 しばらくして笑いが収まったトレーナーは、「すまない」と、不意にスズカに向かって頭を下げた。

 

「そ、そんな、頭を下げられる程の事じゃ……」

「いや。君が走っているのに見ていなかったのは、トレーナーとして不誠実だった。本当にすまなかった」

 

 トレーナーは、何一つとして言い訳をしなかった。そこはいいのだが……。

 

「……やっぱり、トレーナーとして、なんですね」

 

 その一部分だけが微妙に引っ掛かってしまい、スズカはむくれてしまった。

 我ながら面倒な、とはスズカも思う。だが、どうしても感情を抑えられなかったのだ。

 我が儘でもいいと言われたなら、特に。

 

「……いや、そうだな。男としてもあまり褒められたものではないか。スズカが頑張っているのに、俺は自分の事で手一杯になってしまっていた」

 

 正直に言えば、トレーナーとしてはエルメスとの再会はここ最近で最も衝撃的な出来事であったと言えた。

 しかし、彼はそれを言い訳にしたくはなかった。それを言い訳にするのは不誠実だと思えたから。

 

「だが、これだけは言わせて欲しい。俺は、君の走りに夢中だ。次にどんな走りをしてくれるのか、年甲斐もなくワクワクしている」

 

 そう言って、トレーナーの目は真っ直ぐにスズカを見つめる。

 スズカはその瞳に吸い込まれるように、目が離せなくなっていた。

 

「……なんというか、改めてこう言うと、その、照れ臭いな」

 

 はは、と頭を掻きながら苦笑するトレーナー。気のせいだろうか。夕陽に照らされたその頬には、微かに朱が差しているように見えて。

 

「……ふふっ」

「ん? どうした?」

「いえ、なんでもありません」

 

 スズカは小さく微笑んでから、言葉を返す。その表情からは、先程までの拗ねた様子は消えていた。

 

「……そうだ」

 

 ふと、スズカはトレーナーの方を向き直り、彼の元へと歩み寄る。

 そして、彼の耳元へ口を寄せ――

 

「ユニコーンさんの事なんですが、実は――」

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 後日、トレセン学園近くの公園にて。

 

 スズカのトレーナーはベンチに人影があるのを見、そこに歩み寄る。そして、極々自然な流れのように、一人分の隙間を開けて座った。

 

「……あれで、良かったのか?」

 

 トレーナーが口を開くと、その人物――ホワイトユニコーンは、ただコクリと頷いた。

 ……何故か彼女は顔をトレーナーから背けており、帽子でその表情もうかがう事が出来ない。

 

「……嫌だったんだな。情けない走りのままでいられる事が。昔の自分を思い出すようで」

 

 その問いかけに、ユニコーンはまたも、コクリと頷いた。

 

 かつて、ユニコーンは数多くのライバルと戦い、そして圧倒的な力の差を見せ付けてきた。

 それにより、ユニコーンは多くの人々から声援を集めた。無敵のスーパースターの誕生だと。

 

 ……そして、それは同時にトレーナーへの注目を集める結果にもなった。

 

 『白き流星』を育てた若きトレーナーは、その幼げな容貌も相まって、特に女性人気が高かったのだ。

 それにより、一時期ユニコーンは練習に身が入らなかった時期があったのである。

 ちなみに、レースではきっちり勝つ辺り、さすがは実力者といったところだろうが、本人はそれでは納得できなかった。

 故に、そんな過去の己と先日のスズカを重ねてしまい、最初は普通に実力を図るつもりだったのが、結果ああなってしまったのである。

 

「……それで、その、だな」

 

 静かな時が流れるにつれて、何故かトレーナーも口ごもりだす。

 

「……すまなかったな。その、ずっとお前の気持ちに気付かなくて」

「…………!」

 

 バッと、ユニコーンが弾かれるようにトレーナーの方を向く。

 その顔は、普段からは想像もつかない程に紅潮していた。

 対するトレーナーはと言えば、酷く気まずそうに首元を手で抑えていた。

 

「……もう一つ、謝らないといけない事がある。俺は、あの頃からずっと、君をそんな目で見た事が無かった」

「…………」

 

 ユニコーンの胸中に、ストン、と腑に落ちるものがあった。当然と言えば、当然であった。

 自分の事で必死だったあのトレーナーが、自分が何故スズカに喧嘩を売ったのか、分かる筈がないのだ。

 恐らくは、スズカがそれを告げ口したのだろう。恐らくは、フェアじゃないから。

 

「……その、なんだ。だから君を好きになるとか、そういう事も出来そうにない。だから謝る。ごめんよ」

「……」

 

 トレーナーの言葉に、ユニコーンは静かに俯いて、黙り込む。

 それからしばらく沈黙が続いた後、不意にユニコーンがが立ち上がった。

 そして、トレーナーの前に立つと――

 

「……ッ」

 

 その脛を、軽く、本当に軽く蹴った。

 

「……………」

 

 そして、トレーナーを一瞥すると、そのまま何処かへ歩き去っていった。

 

「……全く、馬鹿だな。俺も、君も」

 

 ユニコーンから一方的に投げかけられた思念を受け取ったトレーナーは、複雑そうにしながらも、髪をかき上げ、苦笑した。

 

 そして、天を仰ぎ見る。

 

 そこには、雲一つない青空が広がるばかりだった。




ユニコーンが最後にどんな思念を送ったのか、それは皆さまの想像にお任せします。
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