「レジェンド」と呼ばれるトレーナーが、いた。
「天才の恋人」とのGⅠ初制覇から33年。もはや、彼女にその呼び名以外は似合わない。
前人未到の4000勝。無敗三冠。
並べ立てられる記録の数々は、まさに「伝説」にふさわしい。
だが――
「えー、やめとけって」
「そうそう。もっと他のトレーナーの方が絶対いいよ」
新入生たちは、早々とグループをつくっていた。そのうちのひとつ、教室後方の3人組の会話は、ありふれたものだった。
「ほら、ユーガさんとかめっちゃイケメンじゃん」
「あたしは外国の人がいいなぁ。てか、憧れだって言ってた先輩もフランスの人が担当だったじゃん」
けれども、もうひとりは首を横に振る。
「もう、ほんっと頭カタいんだから」
「『レジェンド』なんて言われててもさ、もう終わった人でしょ。
――奈瀬文乃は」
奈瀬文乃。デビュー当時は「若き天才」などともてはやされた彼女も、いよいよ肌にはシワが目立つようになってきた。それもそのはず、もう彼女は五十路を超えているのだから。
「もう3年か」
年をとれば独り言が多くなる、とは、との先輩トレーナーの言葉だったか。少なくとも、その人が既に引退していることは確かだった。自分より年上のトレーナーは数えるほどしかいない。
「くまちゃん、ヨシトミ、ノリさん。あ、あとまっくんも。そんくらいかな」
そういえば、ノリさんは息子もトレーナーになったとか言ってたっけ。
「それももう3年か」
口に出してから、彼女は頭をかいた。年寄りは同じことを何度も言う、なんて言われてしまうかもしれない。いやいや、違うことを言っているつもりなのだ。カズくんは今27だから……
「あや、それは2人目の方だったかね」
記憶がいい加減になるのは、もう避けようがないらしい。もう一度頭をかく。
「
バ名の「キタサン」と敬称をかけるのは、彼女がいつも使うオヤジギャグだった。
3年前の有マ記念。
『これが漢の引き際だ! キタサンブラック1着!』
ウマ娘なのに「漢」とはこれはいかに。などと無粋なことを言う観客はひとりもいなかった。
中山の大観衆全員が、この偉大なウマ娘の引退を見送る。そんな中、誰かがぽつりとこぼした。
「これで、奈瀬の時代も終わりかな」
それは本心から出た言葉だった。
時代は変わる。
かつて、それこそ奈瀬の父の時代までさかのぼれば、トレーナーはほとんど自動的に決まるものだった。血縁や師弟関係といった、いわば不条理が支配していた。
それを変えたのが、選抜レースというシステムだった。ウマ娘が実力を見せ、それをトレーナーがスカウトし、スカウトされたウマ娘はその中からトレーナーを選ぶ。相互の選択システムが、実力主義による時代を生み出した。
これこそが、「天才」奈瀬文乃が輝いた時代である。そしてそれは、「実力主義」という不条理にほかならなかった。実力が劣るトレーナーは、ウマ娘は、否応なしにその事実を突きつけられる。それを甘受できるほど、彼ら彼女らはナイーブではなかった。
一転させたのは、早期教育の開始と、「トレセン外」のトレセンの存在だった。
何も、入学してからでなければトレーニングをしてはならないという決まりはない。人間の受験業界がそうであるように、ウマ娘もまた早期教育が活発になった。そのためには、人間でいうところの予備校や塾にあたる場が必要である。それが「外厩」と呼ばれる、「トレセン外」の施設だった。
時代は変わる。あるいは回る。
またしても、トレーナーが半自動的に決まる時代がやってきた。
今度は早期教育と、「外厩」を運営するクラブとの関係によって、だったが。
そんな環境で、奈瀬がキタサンブラックほどの素質あるウマ娘を得られたのは、奇跡に近かった。
名門「外厩」のウマ娘は、みな奈瀬以外のトレーナー――たとえば、例のフランス出身のトレーナーなど――にあてられる。
さらに、奈瀬自身の衰えもある。トレーナーはどこまでいっても体力勝負だ。年を取れば、徐々に成績が落ちてゆくのが常だった。成績が落ちれば新たなウマ娘はやってこなくなり、さらに成績が落ちる、という悪循環に陥れば、引退はすぐ目の前。
事実、奈瀬もまた、この年はGⅠをひとつも勝てなかった。引退を考えては、という声はちらほらと聞こえてくる。晩節を汚す前に、身を引けと。
「レジェンド」、すなわち「伝説」とは、説が伝わると書く。伝わる説は、かならず過去のものと決まっている。今起きていることや、これから起きることは、伝わりようがない。
だから、彼女はもう「レジェンド」でしかないのである。
私はどの馬も馬主もクラブも生産者も牧場も騎手も調教師もアナウンサーもファンもその他全部の関係者も大好きなので、どこかをディスるような意図はまーったくないことを明記させていただきます。