桜に恋恋   作:桶乃

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これはPSPの薄桜鬼遺聞 戦友絵巻の平助君目線の時の、原田さんの行動を書いたものです。なので、ネタバレ注意です。

沖田さん編は【桜に恋恋】です。


夢の女~原田編~

 巡察を終え、さっさと土方さんに報告を済ませた。足早に自分の部屋へ向かっていた。今夜の巡察はよく冷えていて、身体は真まで冷えている。槍を握る手はガチガチだ。何事もなく平穏で助かった。とは言え、夜の巡察は昼間以上に気を張っているせいか、屯所の中に入った途端、身体中が怠い。その怠さは嫌いじゃない。京を守る為に見回ることは、やり甲斐がある。どの思想が正しいか、なんてそういう難しいことはよく分からねえが、治安を守ることは男として誇れるものだと思っている。

 

「こんなに冷えるんなら寝酒だな」

 

 一仕事終えた酒は格別だ。酒の旨さを想像し、つい頬が緩む。しかし、廊下に人影が見え、緩んだ顔がすぐさま引き締まった。誰か座り込んで、外を眺めているようだった。ゆっくりと、その人影に近づく。相手は近づいていることも気づいていないのか、微動だにしない。背後まで近寄ると、高く結えられた髪と、うっすらとだが、月明かりで相手の着物が桃色だと分かる。

 

「千鶴。こんな夜更けにどうしたんだ?」

 

 声を掛けられて気づいたのか、素っ頓狂な声を出す千鶴は、胸を抑えている。あまりにも驚いたのだろう。目は見開かれている。

 

「は、原田さん! 夜の巡察終わったんですか! お疲れ様です」

 

 崩していた足を正座にし、丁寧に頭を下げる。そんな千鶴の横にしゃがんで、槍を床に置いた。

 

「まぁな。で、何してるんだ?」

 

 顔を覗き込むと、千鶴は少し戸惑いを見せているのか、目が左右に動き、考えるように言葉を吐いた。

 

「……眠れなかったので、空を、見ていました」

 

 目を合わせない千鶴は、空を見上げた。その瞳は潤んではいるが、泣いてはいないようだ。それでも、顔に浮かんで見えるのは不安。口元がへの字になっている。

 

「何か、嫌なことでもあったのか?」

 

 困ったように、千鶴は眉を下げ、黙っている。言っていいものか、悩んでいるようだ。

 

「遠慮なんかするじゃねえよ。話すことで気が和らぐ事もある。だから話してみろ」

 

 千鶴は頷いた。膝の上に握り締めていた手を開く。

 

「ここ何日か、父様の夢を見るんです」

 

 声が震えているようだった。次に話す内容を思って、切ない気持ちが高ぶっているんだろう。それでも、ゆっくりと、千鶴は夢の内容を話し出した。

 

「父様の後ろ姿を、私が、追いかけているんです。でも、走っても、走っても追いつかなくて。呼びかけても、振り向いてもくれないんです。それでも追いかけて、やっと追いついたと思ったら、誰かに手を掴まれて……それで目が覚めるんです」

 

 今にも涙が流れそうな程、目が潤んでいる千鶴。それを隠すように、俯いた。

 

「ただの夢なのに、おかしいですよね。そんなこと、気にしても仕方ないって分かってるんです」

 

 顔を上げて笑顔を向ける千鶴は、あまり笑えておらず、口端が少し上がっただけで、不安を隠しきれていなかった。ここまで不安に駆られているというのに、心配をかけまいとする心がけは大人の女だ。胸が締め付けられた。京の治安を守る為に出回っても、この女一人の不安を拭ってやれはしねえ。命の安全を守っているだけに過ぎない。今はただ、目の前で苦しんでいる姿を、見守ってやることしか出来ない。自分に、何が出来るのか。男として、本当に何もしてあげられないのか。胸が酷く痛い。

 

「千鶴」

 

 思わず、千鶴の腕を引き、抱きしめた。思った以上に華奢な身体は、強く抱きしめれば壊れてしまいそうだ。

 

「それでも、辛いだろ。辛い時は辛いって、泣いちまえ。俺が胸を貸してやる」

 

「でも、原田さんに、ご迷惑を」

 

 震える声に反応するよう、強く抱きしめた。そうでもしないと、こっちまで切なさで震えそうだった。

 

「迷惑なんて思ってねえよ。そう思ってるんなら、最初からこんな真似はしねえからな」

 

 鼻をすする音が聞こえて、千鶴が泣いているのだとわかった。子供をあやすかのように、頭に手を優しく置き、撫でた。

 

「原田さん……もう大丈夫です」

 

 どれくらいそうしていたかは分からないが、そんなに時は経っていなかった。千鶴の言葉を合図に、腕から解放する。温もりが離れ、外の寒さが余計に増した気がした。

 

「もう、気が済んだのか?」

 

「はい。ありがとうございます、原田さん」

 

 少し腫れている目だったが、晴れやかな顔をしている。心なしか、頬が赤い。

 

「ですが、大分遅くなってしまいました。すみません」

 

「気にすんな。明日、俺は非番だからよ。ま、新八みてえに寝てばっかりはしねえけどな」

 

 千鶴は声を出して笑った。その笑顔は、花が咲いた様な明るさがあった。千鶴は笑っているのが一番だ。

 

「原田さん、ありがとうございました。おやすみなさい」

 

「あぁ、おやすみ」

 

 一礼した千鶴に、笑みを返し、槍を拾って、踵を返した。千鶴と離れて行く気配を寂しく思いながら、自分の部屋へと戻る。

 部屋に入るとすぐ、槍を置いて徳利に手を伸ばす。部屋に置いたままの盃に傾けるが、雀の涙程しか酒は入っていなかった。仕方なく、それを呷る。疲れが溜まっているのか、胸に染み渡り、奥底まで浸透していく。布団に潜る。ひんやりとしていて、温もるまで当分掛かりそうだ。天井を見ながら、先程まで抱いていた千鶴の温もりを思い出す。ほんのりとだったが、暖かかった。華奢な身体とはいえ、柔らかな感触。改めて、女だと思い知らされる。いつからなのか。千鶴を妹分じゃなく、女として見始めたのは。それは突然のようで、鍋の中の水を沸かすように、ゆったり湧いて来たようで──分からない。けれど、この感情は今まで以上に特別なものだ。どうしてここまで特別なのかは、今は分からない。ただ、女は我が儘で甘えたがる生き物だと思っている。そこが惹かれるところでもあると、俺はそう思っていた。だが、千鶴は違う。今置かれている環境のせいもあるが、一度も我が儘を言った事がない。それどころか、自分で出来る事を探し、常に雑用をこなしている。そんな健気な姿に、目が離せない。それに、いつも笑顔を心がけている。笑顔で駆け寄ってくる時にはもう、抱き締めてやりてえ程可愛い女だ。

 目を瞑った。千鶴の温もり、感触、声を忘れまいと、何度も思い返しながら、眠りへと入っていった。

 

***

 

 

「──さん」

 

 聞き覚えの声がする。全てを優しくしてしまうような、柔らかな声。

 

「原田さん」

 

 ぼんやりとした中でも、この声は誰なのかすぐにわかった。きっと、どの幹部連中でもわかるだろう。新八は例外かもしれないが。

 目を開けると、黒髪を下ろし、寝巻き姿の千鶴が顔を覗き込んでいた。

 

「千鶴……」

 

「一緒に眠っても構いませんか?」

 

 ああ、これは夢だ。千鶴を女として見始めてから、同じような夢を何度も見ている。それに、千鶴がそんなことを口にするはずがない。そうは言っても、誰かを慕っていることがわかっているわけじゃねえ。いくら以前よりも親しい関係を築けているとしても、いつ俺達に殺されるか分からない状況は変わらない。そんな相手に千鶴がこんな行動に移すはずがない。それに、抱き締められただけで頬を赤くするような初々しい女だ。そんな女が誘いに来るなんてことはないはずだ。

 だが。夢ならある意味で好都合だ。夢なのだから、何の縛りもねえ。今の状況も環境も、全て。それなら、赴くままに、触れたい。

 

「そんなこと、言っていいのか? どうなっても構わねえってんなら、いいぜ」

 

 本物の千鶴に接するかのように、優しく囁く。

 千鶴の頬が一気に赤く色づくのがわかった。

 

「原田さんとなら……構いません」

 

 夢でも可愛い反応を見せる千鶴。夢の中だと分かっていても、胸が熱くなる。先程抱きしめた千鶴の温もりが蘇り、今すぐ触れたい衝動が増す。

 寝たまま、千鶴の手を引き、自分に覆い被さるように仕向け、抱き寄せる。

 

「そんなに可愛いこと言われちゃ、俺は手加減できねえぜ」

 

 背中に回していた手を、千鶴の尻に滑らそうとした──

 

「いってええ!!」

 

 尻を撫でようとした手の甲に、刀が刺さった。いや。刺さったような痛みが走った。痛みで驚き飛び上がる。はっきりと見開いた目の前には、絹のような黒髪を頭の高い位置で結っている千鶴と、その少し後ろには刀に手を添えている斎藤の姿があった。自分がどのような状況か分からず、頭を動かして、どんな体勢かを確認する。

千鶴は頬を赤らめながら俺の上に乗っかって、至近距離に顔がある。自身の手は千鶴を抱き寄せていた。どうやら、夢と同じ姿勢で、千鶴が覆いかぶさっているようだ。ただ、夢と違うのは千鶴の髪型と、寝巻きではなく袴に桃色の着物だ。それに何より恐ろしく違うのは、殺気をみなぎらせてこちらを睨んでいる斎藤がいることだ。

 

「左之、不埒な行動は許さん」

 

 どうやら、手の甲の痛みは斎藤の峰打ちのようだ。

 

「悪いな、千鶴。良い夢見ててよ」

 

「良い夢、ですか……それでは私がお邪魔してしまいましたね。すみません」

 

 顔を赤くしたまま、俯く千鶴。

 ここに居るということは、起こしに来てくれたのだろう。昨日の事で遅くなったとはいえ、起きる時刻だ。それでも、眠りを邪魔してしまったと思うのは、昨日のこともあるが、千鶴の優しさなんだろう。そんなことを思うと、つい口元が緩んでしまう。

 

「あんたが謝るようなことではないだろう。どのような夢を見ていようがいまいが、起きなければならないのだから

な。それに、だ。良い夢を見ていたからとて、女子の尻に触れて良い訳ではない」

 

 えぇっ! と目を白黒させて、千鶴は酷く狼狽している。全く気づいてなかったんだろう。更に顔を赤くさせている。

 

「夢と同じ行動をとっているとは夢にも思わなくてな。夢でも悪いことは出来ねえってことか。いや、夢では許可を取ったんだがな」

 

 目を合わせて言うと、千鶴はもごもごと口を動かし、声にならないようだ。

 斎藤から溜め息が漏れた。

 

「千鶴が困っている。手を放してやれ」

 

 おっといけねえ、と千鶴を開放してやる。千鶴はそっと離れる。

 

「あ、あの、私、永倉さんを起こしてきますね」

 

 さっきの出来事が恥ずかしかったのか、逃げるように部屋を出て行った。

 

「左之。次からはこのようなことを起こすな。千鶴が怖がるかもしれぬ。それに、不埒な夢など見ないに限る。見ないように努力しろ」

 

 強い眼光で睨みつける斎藤は、未だに怒っているようだ。

 

「おいおい、いくらなんでも夢はどうにもなんねえんだぜ。どうしろってんだ。そもそも、不埒な夢って悪く言うがな、斎藤、お前だって一度や二度くらい見るだろ。何がいけないってんだ。夢くらい自由でいいだろ」

 

 ひと呼吸置き、斎藤ははっきりと言い切る。

 

「毎日刀の道について精進している故、そのような夢など一切見ない。それに、夢くらい自由にと言ったが、俺から見ればあんたは自由に好きなだけ酒をいつでも飲んでいる」

 

 頭痛を覚えた。まさか夢の事ですら真面目とは。

 

「有り得ないと思うんだがよ。まさか夢の中まで刀を振るうことをしてるんじゃないだろうな」

 

「だったらどうだと言うのだ。あんたには関係ないだろう」

 

 その言葉に唖然とするも、食い下がらずにはいられなかった。

 

「それなら、もし、良い女が寝巻き姿で誘ってきたらお前はどうする? 夢でも手を出さねえってのか?」

 

「無論だ」

 

「何で即答なんだよ。女が勇気を出して誘ってるんだ。それを察してやるのが男だろ。夢とは言え、女を泣かすようなことをしちゃいけねえ」

 

 斎藤の視線は下向きになり、目が泳ぎ始めた。

 

「何故女子が泣くことになる……俺には解せん」

 

「斎藤、お前は我慢し過ぎるんじゃねえのか。夢の中くらい、女を抱いたって罰は当たらねえだろ」

 

 斎藤は踵を返し、背を向けた。

 

「さっさと行くぞ。飯がなくなってしまうからな」

 

 返事も待たずに足早に去って行く斎藤。それに続くように、廊下に出た。

 

「斎藤の奴、逃げやがったな」

 

 一言呟き、広間に向かおうと一歩踏み出した。

 

「あ、左之さん」

 

 振り返ると、機嫌の良さそうな口元を浮かべ、こちらに向かってくる総司。猫を連想させるこの男はいつになく嬉しそうだ。

 

「よう総司。お前も今起きたのか」

 

「まぁね。それより、珍しく左之さんの部屋が賑やかしかったけど、何かあったの?」

 

 あまり言いふらしたくはねえが、嘘を付くのも嫌いだ。

 

「まぁな。なんつうか、夢の話で盛り上がっちまってよ」

 

「夢の、話?」

 

「ああ。斎藤は不埒な夢は絶対に見ないんだとよ」

 

 総司の目が、爛々に輝かしくなったのが見て取れた。

 

「ふうん……不埒ねえ。一君、面白い事言うね」

 

しまった。話さない方が良かったか。そう思わせる程、総司は先程よりも一層楽しげに、ニヤニヤと笑みを零すのだった。

 

***

 

 

 土方さんが居るお蔭で、飯の取り合いもなく朝餉を済ませられた。食べ終わると、自分の膳だけでも井戸まで持っていく。いつも千鶴が膳を運ぶだけでなく、椀を洗うのも手伝っているのを知っているからだ。何かと仕事を見つけて働く千鶴は、眩しい程生き生きとしている。それを一目見ようという願望が大半占めているが、なるべく千鶴の負担を軽くしたいのもある。

 井戸の前まで来ると、千鶴が椀を洗っている。一生懸命椀を洗う姿に、目を離せないまま、立ち止まる。不意に、抱きしめたいと思った。欲情から来るものではない。暖かくて、春の優しい日向を連想させる、自分の夢が広がった。

こっちに気づいて、千鶴が顔を上げた。

 

「あ、原田さん、お膳を運んで下さったんですね。ありがとうございます!」

 

 笑顔を向ける千鶴は寒さをも吹き飛ばす程元気だ。昨晩は夢見が良かったのだろうか。

 横を誰かが駆け抜け、風が踊った。

 

「千鶴ー、わりぃ! これで最後だぜ」

 

 横を通ったのは平助だ。いつもは面倒臭そうに洗い物をしているが、千鶴がいるお蔭で楽しそうにしている。

 

「なーに千鶴に手伝わせてんだよ、平助。当番だった山崎はどうした?」

 

 振り向いた平助は口を尖らせた。

 

「山崎君は土方さんに呼ばれてどっか行っちまったよ。だから千鶴に手伝って貰ってるわけ」

 

 千鶴に視線を向けると、千鶴は優しく微笑んだ。

 

「平助君だけでは大変そうでしたから」

 

「そ。だから、千鶴と俺で洗うから、おじさんは部屋でゆっくりしてていいぜ」

 

 俺から膳を受け取り、平助はご機嫌ながらも嫌味を言っている。この嫌味を言う時は機嫌がいい時だ。やっぱり、千鶴と居る時の平助は分かりやすい程楽しそうだ。

 

「はいはい、ありがとよ」

 

 適当に返事をすると、その場から離れた。ある程度離れてから、振り返る。千鶴と平助は楽しそうに何かを話しながら、膳を洗っている。千鶴の横顔はきらきらしていて、昨日のことが嘘のようだ。安心して歩を進めた。

 平助があれだけ分かりやすく千鶴と接しているというのに、当人の千鶴は全く気づいていない。それに、平助でさえ分かりやすく接しているなんて思っちゃいねえだろう。いや、そもそも自分が好きだという感情を分かっているのかさえ怪しい。

 部屋へ戻って、食後の酒を飲もうか、そんなことを考えてから立ち止まった。

 

「しまった。酒、切らしちまってたな」

 

 独り言を言ってしまってから、門外へと足を向けた。どうにも酒が切れたとなると落ち着かない。切れたらすぐに買いに行くのが鉄則だ。

 

 

 

***

 

 

「毎度、おおきに」

 

 買い付けている店の店主は、上機嫌に挨拶をした。今日は少し高めの清酒を買ったせいだろう。

 店を出て、真っ直ぐ屯所へと向かう。速く戻って酒を一杯飲みたい。それから後は千鶴に話し相手になってもらうのも悪くねえ、なんとことを考え、自然と笑みが綻ぶ。

 ふと、視線の先に見覚えのあるような姿が見えた。坊主頭で、細身の男の後ろ姿だ。遠い記憶で、感覚が頭の中で見知った者だと身体に教えるかのよう、掌が汗をかく。

 

「おい、そこのお前!」

 

 叫んでその坊主頭を目指して走る。自分のことだと気づいていないのか、坊主頭は振り向きもせず、ゆったりと歩いている。距離を縮め、坊主頭の肩を掴んだ。

 

「あんた、雪村綱道さんか」

 

 肩を掴まれて驚いたのか、肩が揺れた。それから坊主頭は訝しげな顔を俺に向けた。

 

「いいえ、私はそのような名前ではございません」

 

「そう、か。人違いか。邪魔をして悪かったな」

 

 坊主頭はあまり気にした様子もなく、軽く頭を下げて再び歩き始めた。

 浅く溜息を付いた。再び屯所へと足を向け始める。

 雪村綱道。千鶴の父であり、変若水を作った蘭方医だ。屯所へ出入りしていたにもかかわらず、顔はぼんやりとしか覚えていない。こうやって、同じような身体つきや、髪型で判断するしかない。未だに何処にいるか殆ど情報が入らない相手だ。数回しか会ったことのない俺が、簡単に見つけられる訳が無い、か。だが綱道さんと違う人物だと分かると、ほっとした自分がいる。千鶴の為にも、新選組の為にも見つかった方がいいに決まっている。それでも、どうしてか見つかって欲しくない感情が、心の奥底で訴えている。その声を振り払うように、急ぎ足で歩いた。

 

 

 

 

 屯所へ着くと、真っ直ぐ自分の部屋へと入った。誰とも話したくない気分だった。幸い、いつも俺の部屋に酒を飲みに来る新八は、夜の巡察だったお蔭でまだ寝ているようだ。

 早速買ってきた清酒を盃に注ぎ、呷る。身体の中に入った酒は、かっと喉に来るが、いつものようにあまり美味く感じなかった。その辺に盃を置くと、横になった。

 奥底の感情が、収まっていない。これを聴いてしまったら、考えたくもない事が起こりそうだからだ。

 

 

***

 

 

 一人でひたすら敵を薙ぎ倒し、一人、また一人と倒していく。それから走り抜き、その先には坊主頭の、細身の男。

 

「雪村綱道、やっと見つけたぞ。変若水の改良をしてもらう」

 

 いつの間にか、隣に土方さんがいた。総司、山南さんが綱道さんらしき人物を囲っている。そして、その近くに千鶴も居る。

 

「私は新選組に手を貸さない。そう決めたのですよ」

 

「だったら、この子はどうするのかな?」

 

 総司が千鶴を後ろから抱き寄せ、刀を首元に突き付ける。

 

「愚かな連中だ。私の娘を人質に取るとは」

 

 ちょっと待て。どうしてこんなことになってんだ。千鶴はそんな事の為に留め置かれていたのか。情報が漏れない為だけじゃなかったのか。綱道さんを誘き寄せる為だったとしても、ここまで巻き込むってのか。

 

「ごめんなさい、父様」

 

 震える声で、千鶴は今にも泣きそうだ。

 ああ、なんて顔してやがるんだ。そんな顔をさせたくねえ。

 そんな千鶴を見てか、綱道さんは、いつの間にか来ていた斎藤に連れられて行く。それを見送ってから、山南さんは眼鏡の真ん中を中指で押し上げる。

 

「土方君、このまま二人共屯所に監禁するつもりですか? 一人だけを監禁する方が、脱走しにくいのではないのでしょうか。いくら屯所が広くなったとはいえ、二人を別々に置いておく部屋なんて残っていませんよ。それに……今なら一人居なくなっても分かりませんしね」

 

 山南さんは眼鏡の下から鋭い眼差しで、千鶴を見ている。

 

「どちらか一人となれば、考えるまでもねぇ、か」

 

 納得したように土方さんが相槌を打つ。そして、抜いていた刀の先を、千鶴に向ける。

 止めてくれ。みんなどうしちまったんだ。俺達にあれだけ尽くしてくれた女を、必要ねえからと斬り捨てるってのか。千鶴を守る約束はどうした? これが新選組のやりたかったことか。夢を追いかける為に女を斬ってしまうってのか。千鶴を。

 

「殺るなら、僕にやらせてくださいよ、土方さん」

 

 不敵に笑った総司は、千鶴を押し倒した。

 止めろ。

 そして、仰向けに倒れた千鶴に刀を振り上げた──

 

 止めてくれーー!

 

 

 

 目が覚めた。寒さで身体が固まっている。

 

「左之さん、ご飯出来ましたよ」

 

 ぼんやりとしながら、目の前に見える男を見つめた。僅かに笑みを湛え、緑の瞳が不思議そうに俺を眺めている。

 

「何だ……寝ちまってたのか」

 

 強く脈打つ鼓動。大きく息を吐いた。

 

「左之さんがうたた寝なんて、珍しいなあ。それに、幽霊でも見たような顔してるよ」

 

「ああ、夢見が悪くてな」

 

 夢の中の総司がちらつき、あまり顔を合わせられない。

 

「へえ。どんな夢見たの?」

 

 俺の様子がいつも以上におかしいのか、総司は俺の夢が気になったようだ。

 

「なあ総司、お前……千鶴のこと、斬れるか?」

 

 一瞬、総司は虚を衝かれたかのように目を見開いたが、いつものように口端を釣り上げた。

 

「物騒な夢、見たんですね」

 

 それから総司は考えるように、何処か遠くに視線をやった。暫くして、こちらを向く。

 

「僕は……斬れますよ。その時がくれば、いつだって」

 

 真顔だった。返す言葉が出ない。何か深い意味でもあるのか。黙って待ってみるが、それ以上総司は話そうとはしなかった。

 

「そうか……」

 

「怒らないんですか? 僕は、今でも彼女を殺せるって言ったんですよ?」

 

「どうして、そう思うんだ?」

 

「左之さんは何があっても守る方を選ぶような気がするから。僕は左之さんのようにはなれない。だから、僕はその時が来れば斬る、それだけだよ」

 

 それじゃ、新八さんにご飯取られちゃうから、と総司は部屋を出て行った。

 開けられたままの障子戸を見つめた。総司の言葉は、その言葉のままではない。総司の言う〝その時〟なんてものは来ないはずだ。近藤さんがそんな事を命じる人じゃねえって事くらい分かってる。土方さんだって同じだ。

 考えを吹き飛ばすように、勢い良く立ち上がった。

 

 広間に入ると、全員が既に集まっていた。俺が座ると、近藤さんは全員いるか一人一人顔を見合わせて確認し、音頭を取った。

 早速昼飯に箸を付ける。今日は味噌汁と目刺、ご飯と漬物だ。初めに手を付けるのは、好物の味噌汁。均等に切られたネギが浮かんでいる。箸で中をかき混ぜた。味噌が全体に行き渡るのと、白い粒が見えたが、気にせず椀に口を付けた。味噌の香りが口に広がったかと思うと、塩辛さが喉を突き刺した。思わず咽る。

 

「おい、今日の食事当番は誰だ?」

 

 不機嫌な声音で、土方さんが皆を睨む。

 

「俺と総司です」

 答えたのは斎藤だ。浮かない顔をしている。それもそうだ。斎藤なら、こんな不味い味噌汁を作るはずがねえ。隊士の中では一番旨い飯を作るからだ。まあ、千鶴には劣るが。

 

「何だってこんなに味噌汁を不味く作りやがった? いや、不味いのはまだ仕方ねぇと思えるが、豆腐が切り刻んであるのは許さねぇぞ」

 

「申し訳ありません。手が滑ってしまい、そのような事態に陥ってしまいました」

 

 頭を下げて、斎藤はありのままを伝えているようだった。

 

「食い物を粗末にするなと、あれ程言っておいたはずだ」

 

 俺は溜息を吐き、不味い味噌汁を啜る。土方さんが斎藤と総司に怒っているのを聞き流した。こう言う時は、ついでにこっちまで小言をくらっちまいそうだ。さっさと飯を済ませ、そっと立ち上がる。平助や新八も同じ事を思っていたらしく、俺よりも先に広間を出ようとしている。それに続き、膳を持って逃げた。

 

 

 非番という事もあって、自分の分の膳や椀を洗い、部屋へ戻った。すると、既に新八が俺の部屋で寛いでいた。

 

「待ってたぜ、左之!」

 

 どうも俺の酒を当てにして来ているらしい。盃を二つ用意している。

 

「ったく、仕方ねえな。がぶがぶ飲むんじゃねえぞ」

 

「よっしゃ!」

 

 手酌して、新八は我慢出来ないと言わんばかりに一気に飲み干す。それを見てから、俺も座り込み、盃に清酒を注ぐ。暇さえあれば酒を飲むか、島原に行くかのどっちかになってしまうが、酒に飽きることはねえ。

 

「そういや、千鶴ちゃん、今日も頑張ってたなー。いつも笑顔で感心するよなぁ。明日は菓子でも買って来るか」

 

 ああそうだな、と相槌を打つと、一口酒を飲んだ。

 新八の言葉に付け加えるのなら、文句も言わずに毎日雑用をこなしている姿は健気だ。だからこそ、守ってやりたいと思う……そうか。今までの誰よりも、守ってやりてえって、思える女だ。だから今までの惚れた女以上に特別に思えるのか。そうだ。あのとき、千鶴が椀を洗ってる姿は、俺の夢を叶えられる、未来が見えた気がした。だからたまらなく抱きしめたいと思った。あいつとなら、自分の夢を叶えられるんじゃねえかって、踏ん切り付けられるんじゃねえかって、思えた。だけど、本人の感情もだが、それ以上に胸に引っかかるものがある。

 

「なぁ、新八。今でも千鶴を、斬れると思うか?」

 

「はぁ? 何言ってんだ左之。お前らしくねーこと言いやがって」

 

 新八に、今日見た夢の内容を話した。いつもはふざけたようなことしか言わねえ新八だが、こういうことは別だ。

 

「左之、大体質問が可笑しいと思わねぇのか。会ったばかりの千鶴ちゃんだったら斬れたかもしれねぇけどよ。今の千鶴ちゃんは新選組の一人みてぇなもんだろ。いや、妹分だぜ。誰が斬るとか言い出すんだよ。そんなこと、あるわけねぇ。あっちゃいけねぇ事だろ。もしあったとしたら、その時は新選組が落ちぶれちまった時だろ」

 

 新八が居て良かったと思った。何を考えていたのか。新八は当たり前の事を言っただけだと思うが、それでも、悪い夢を見て動揺している俺を冷静にしてくれた。

 

「そう、だよな。俺、何考えてんだろうな」

 

 胸の支えがやっと取れた。悪い夢でこんな事を考えるのがどうかしてる。そんな事を思った矢先、バタバタと慌ただしく足音がこちらに向かっているのが聞こえて来た。足音が、障子戸の前で止まる。

 

「左之さん、いる?」

 

 少しの不安と、戸惑いの声が混じっているような、そんな声に聞こえる。

 入れよ、と一言告げると、勢いよく障子戸が開く。

 

「相談なんだけどさー」

 

 入って来た途端、平助は高く結った長い髪を揺らし、相談事を切り出した。落ち着かないのか、立ったまま話をしている。相談内容は、落ち込んでいる女を慰める方法だ。

 

「それ、色町対策じゃん!」

 

 俺が黙っていると、新八が提案していたらしいが、平助は批判の声を上げている。

 

「平助、町娘なら止めておけ」

 

 本当は、心配しているのは千鶴のことだろうと察しがついた。昨日、千鶴から聞いた夢の話だけでなく、鬼が来るわ、綱道さんは未だに全くの行方知らずな上に、自由に外出することだって許されない。そんな環境で気が滅入らないわけがねえ。恐らく、隊士の中でも目に見えて一番心配しているのは平助だ。いつも千鶴を気にかけているくらいだ。だからこそ、名前を伏せられていても千鶴だと分かってしまう。

 清酒を呷り、簡単な助言をする。

 

「女なら、簪を送ってやればいいんじゃねえのか」

 

 安易な答えしか出してやれなかった。平助が千鶴じゃないと言う態度を取るのなら、それなりの態度で示すのが男だ。大人気ねえかもしれねえが、ガキ相手でも手加減は無用だ。これは男同士の戦いでもある。それに、俺にとって譲れない女だ。

 

「左之さんありがとう」

 

 障子戸も閉めずに平助は走って行った。新八の、俺に礼はないのかよ! と言う叫びが耳に響き、顔をしかめた。

 

「ったく平助の奴、寒いんだから閉めてけってんだ」

 

 俺は障子戸を閉め、さっきまで座っていた所に胡座をかく。

 

「しっかし、酒はいつ飲んでも美味いな」

 

 手酌し、盃をゆっくり傾け、口に流し込む。

 新八が次の酒は何処で買うかの話をし出すが、適当に聞き流した。

 この腕は、女を守る為にある。そして。もし、千鶴が自分を選んでくれるのなら、男として、生涯の伴侶として守り抜いてやりたい。あいつを、いつか女の格好に戻してやり、笑顔の絶えない生活を与えたい。そう、願わずにはいられない。この想いは戦いだ。平助だけが千鶴を気にしているわけじゃねえって事くらい、分かっている。千鶴を想う敵は多い。それでも、受けて立ってやるぜ。千鶴を最後まで守ってやるのは、この原田左之助だ。

 

 

 

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