絵師三昧にある風のイラストから感銘を受けて。
ちょっとした魏アフターのようなものです。

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徒然月夜

 静かな夜だった。

 月の光。それだけが、幻想的に大地に降り注いでいる。感傷的な想いなど、自分には似つかわしくない。それでも、この光景の中を歩いていると、どうしても心にざわめき立つものがあるのだった。

 あの人が側からいなくなってから、どれくらいの月日が経ったのか。もう一度出会うことがあれば、溜まりに溜まった文句をぶつけてやる。そう考えて、はじめは指折り日を数えていたものだった。数えることをやめたのは、いつからだったのか。それすら、もうわからなくなってしまっている。

 大きくなった子供たち。その背中を押しながら、風は粛々と歩を進めていく。

 この子たちだけが、いまではあの人との繋がりになっていると言ってよかった。北郷一刀。この世から消えてしまった、天の御遣い。消えたというのはその場にいた華琳から聞かされたことで、実際どうなったかなどわからないのである。

 笑顔を撒き散らし、種を撒き散らしていった男だった。周囲からは当てつけのように『種馬』などと呼ばれることもあったが、そのおかげで自分は今でも繋がりを捨てずにいられている。

 一刀がいなくなった日。あの日も、確かこんな月が出ていたように思う。手を伸ばしてみても、届くことはない。そんな遠くの空に、一刀は行ってしまったのか。自分たちは、まだこの大地に縛られたままでいる。守るべき国。守るべき民。それがある限り、逃げ出せるはずもなかった。なにより、今の平和は一刀とともに築き上げたものなのである。それを捨てることなど、誰にできると言うのか。

 あの人を知っている誰しもが、心のどこかに穴を抱えている。だから、早く帰ってこい。そんな文句をぶつけることだけが、無力な自分にできることだった。

 不意に、下の子がぐずりはじめてしまう。双子の姉弟なのだが、こうも性格がわかれるとは思わなかった。父親の性分を濃く受け継いでいるのか、姉には強く出られないような節がある。それで、なにかにつけてからかわれているのである。

 どちらにも、まだ真名はなかった。考えていないわけではない。ただ、自分の一存だけでつけてしまうのは、なにか違うのではないかという気がしていた。

 華琳や稟からは、そのことを時々心配されたりもする。一刀の子。天の御遣いの子。その意味は、二人が成長するにつれて大きくなる。いまのところ、一刀の血を次代に残すことができているのは、自分を除けば桂花だけだった。その桂花は桂花で、子は華琳との間にできたものだ、と強情を張ったりもしている。父なる人との思い出を、あのへそ曲がりが積極的に話しているとも思えない。そういった意味でも、わが子にかかる期待は大きくなっていくのか。

 それでも、子供たちは自分ひとりから生まれた存在ではない。という思いがやはり強かった。

 月に何度かこうして夜半に出かけては、一刀との話を聞かせる。愉しかったこと。辛く、苦しかったこと。一刀か消えた時、この子たちはまだ自分の腹の中にいただけだった。そんな顔も知らない父なる人との思い出を、二人は興味ありげに聞き入ってくれている。自分はそうすることで、傷ついた心を慰めようとしているのかもしれない。そしてどこかで、一刀が月の夜に帰ってくることを願っているのかもしれない。

 見て、母様。ぐずることをやめた下の子が、短い指で原野の先を指している。一刀の面影を感じさせる、人懐っこい笑み。姉の方は眠くなってきてしまったのか、視線がどこか虚ろになっている。

 月の光。それが一瞬、目が眩むほどに強くなる。残滓の中。あらわれたのは、人の輪郭だった。

 

「お兄さん」

 

 無意識に、そう口走ってしまっていた。光。収まっていく。その神秘的な光景に眼を覚ましたのか、姉の方は開いた口を丸くしたまま立ち尽くしている。動揺を隠すことなどできなかった。下の子の肩に置いた手のひら。すっかり、汗が滲んでしまっていることだろう。

 駆け出していた。子供たちが、あっと声を上げる。これまで見せたことのない姿。この先、たくさん増えるに決まっている。

 確信があった。あの声で、またいつかのように真名を呼ばれたい。いたずらを仕掛けて、笑い合っていたい。そして、父なる人の優しさを、子供たちに教えてやってもらいたい。

 焦りで、うまく足が動かなかった。ほんの小さな石ころ。それにつまづき、気づいた時には身体が宙に投げ出されてしまっていた。飛んだ身体。抱きとめられている。ぶつけてやりたいと思っていた言葉は、なにも出てこなかった。あの頃と同じ匂い。それも、忘れたことなどなかった。

 手のひらが、優しく頭を撫でてくる。顔は上げられなかった。ずっと、ずっと我慢していたあの人の温もりが、すぐそばにある。そのことに、感情が追いつけないでいるのかもしれない。

 足音。二人が駆け寄ってきたのだろう。頭上からは、ちょっと戸惑ったような声が聴こえている。

 返事は、しばらくしてやらないと決めていた。いくらでも、戸惑えばいいのである。そうして、自分たちはゆっくりと家族になればいい。

 そのための時間は、きっとたっぷりあるに違いない。軍師として、そして女としての勘が、風にそう告げている。



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