山とも見間違えそうな巨躯を持つ陸皇亀を見た一同はひどくうろたえていた。昔話に出てくる空想の産物と思えるような存在が目の前に現実として現れたのだから当然である。
その場にいた大多数は突然のことに恐怖し、一目散に逃げだそうとしていた。しかし、教官や一部の生徒が彼らを制止して、馬車へと誘導した。事前に緊急事態はどんな状況であろうとヤントゥネンへと向けて撤退することが決まっていた。冷静を保てた人間は自身の足でバラバラに逃げるよりも、固まって馬車で移動した方が生存率が高いと判断していた。実際、前日の訓練であったように、陸皇亀の影響でクロケの森に生息する魔獣は活性化しており、はぐれた場合に生還するのは困難を極めただろう。
制止の効果もあって、冷静さを取り戻した生徒達は改めて陸皇亀から逃げるために馬車へと乗り込んだ。彼らは我先にと行動はせず、統率して迅速に行動していた。陸皇亀が巨大であるために、こちらからは確認が容易なだけで十分離れた位置にいることに気付いたためである。
全員が乗り込んだことを確認して、馬車は移動を始めた。生徒達は木に隠れて陸皇亀からはこちらを確認できないと考え、安堵を始めていた。
しかし、ことはそう上手くはいかない。突如として陸皇亀がこちらへめがけ、移動の速度を早めた。原因は幻晶騎士である。10mほどの体躯は周辺に群生している木々と同じほどで、空からはその姿をよく確認できたのだ。また、幻晶騎士は魔力転換炉の吸気音やその駆動音が大きく、獣からすれば非常にうるさい。
そのことに気づいた騎操士は機体を捨てて逃げることも考えたが、すでに陸皇亀がこちらを補足しており、とても逃げ切れるとは思えなかった。
仮に逃げ切れたとしても、逃げた先はヤントゥネンであり、討伐できたとしても甚大な被害が出ることは明白だった。ヤントゥネンは物流の要であり、ここに被害が出ると言うことは国全体に影響を及ぼすことになる。
エドガーはそのことに気づき、周囲へと訴えかけた。彼らも国を守らんと騎士を目指してこの場におり、ヤントゥネンへの被害は無視出来ない物だった。
討伐を考えず、自分たちが時間稼ぎを行って馬車にヤントゥネンへ向かってもらい、駐在している守護騎士団に来てもらえば、被害を抑えて自分たちも助かる可能性があった。そのためにも、まずは中等部生達を守ることを心の支えにして彼らは陸皇亀へと立ち向かっていった。
彼らが決死の覚悟をしてからしばらく、あっけないほどに時間稼ぎは上手くいっていた。陸皇亀はその体躯を利用した体当たりしかしかけてこず、図体ばかりの木偶の坊という印象を抱き始めていた。
もしかしたら、自分たちだけでも討伐が出来るかもしれない。そう油断を始めたとき、陸皇亀は新たな行動に出た。幻晶騎士を追いかけ回していたのをやめ、大きく息を吸い込んだ。そして、幻晶騎士へ向けて大きく息を吐き出した。しかし、それはただ息を吹きかけているわけではなく、陸皇亀の口腔から高温の炎が吹き出しており、幻晶騎士を吹き飛ばすほどの勢いを持っっていた。
ただ巨大で体当たりを仕掛けてくるだけの存在が師団級に定義されるはずはない。陸皇亀が繰り出した攻撃は、一部の師団級以上の魔獣が扱う、広範囲を殲滅する竜巻の吐息と呼ばれる魔法だった。
その攻撃に耐えきれず、半数近くの幻晶騎士が吹き飛ばされたり、融解しており、騎操士の生存は絶望的だった。
今まで優勢だったはずが、たった一撃で形成が逆転したのだ。エドガーをはじめとして、油断を悔いてより慎重になるべきだとお互いに声をかけているが、一人だけ返事することがなかった。
彼らは幸いにも幻晶騎士が破壊される瞬間は見ておらず、士気を保つことが出来ていた。しかし、返事をしなかった一人、ディートリヒは目の前にいた機体が破壊され、騎乗していた人間の声が聞こえていた。そのために、他のように士気を保つことが出来ず、むしろ自身が死亡する景色ばかりが思い浮かんでいた。
そのことに耐えきれず、ディートリヒはエドガー達を見捨てて逃げ出した。彼らもそれには気づいて居たが、一瞬の油断が致命的なことを改めて認識しており、かまっていられるほどの余裕はなかった。
逃げ出したディートリヒは錯乱状態で、ただ我武者羅に走っていた。もう陸皇亀が見えないほど距離が離れていたが、恐怖心からその足を止めなかった。不幸なことに注意が散漫になっていたため、足下の岩に気づかず足を取られて盛大に転がり、その衝撃と陸皇亀から逃げる極度の緊張で彼は意識を失った。
所変わって、中等部生の乗る馬車では、エルネスティが後方の監視を行っていた。前日と同じように、陸皇亀に煽られた魔獣が迫ってくる可能性があったため、他にも数名後方だけでなくいろんな方向に注意を向けていた。
ひときわ大きな音が聞こえてきた後にエルネスティは後方に何かを見た。それは視界の端に数瞬捉えただけだが、彼には心当たりがあった。それは周囲の木々と同じほどの大きさで人の形をしており、その全身は深紅に染まっている。その特徴はライヒアラ騎操士学園が所持している幻晶騎士、その一つでありディートリヒの騎乗するグゥエールと名付けられているものだった。
普通であれば、何かが通り過ぎただけに感じただろうが、常日頃高等部へ出向いてそこに鎮座する幻晶騎士を観察していたエルネスティは見つけた物がグゥエールであると確信を持つことが出来た。
エルネスティは陸皇亀の足止めを行っていたはずの高等部生が一人だけ馬車に合流するでもなく、あさっての方向へ進んでいることに疑問を感じた。こちらの応援や何か問題が起こって合流を目的とするなら、ヤントゥネンへ向けてまっすぐ進めばいい。
いくつか候補が頭の中に挙がる中、直前の音と他に近くを走る幻晶騎士がいないことから逃げた、というのが一番有力だと考えた。
「キッド、アディ、ちょっと確認したいことがあるので後方の警戒お願いします」
「え、ちょっとまてよ」
「...いっちゃった」
単純に道を間違えただけでこちらに何か情報を伝えようとしていたならば、追いかけて確認する必要がある。真相を確認するためにも、エルネスティは幼馴染み達に仕事を頼んで馬車から飛び降り、グゥエールが向かった方向へかけだした。一方的に仕事を押しつけられた二人は突然のことで反応できず、後を追おうとしたときにはすでに木々に紛れており、見つけることが出来なかった。
エルネスティが追いついた時、グゥエールは倒れていた。エルネスティは魔獣に撃退されたのではないかと危惧したが、周囲に魔獣の気配はなく、危機的状況ではないことを理解した。
気絶など内部から操作できない状況で救出するため、幻晶騎士には外部から操縦席を解放する仕組みが存在する。ディートリヒの安否確認を行うために操縦席を開け放つ。ディートリヒが気絶しているのを確認し、今後の行動を考える。
まず、非常事態であることは理解しているがこんな時でも彼は幻晶騎士を動かしたい欲求に駆られており、目の前に乗り手が気絶している機体が存在している。勝手に乗り回してしまえと心の中の悪魔が語りかけてくる。
馬車に乗り込む前から可能ならば高等部の騎操士達に助力したいと思っていた。そのため、心の中の天使は勝手に拝借して助けに向かえと語りかけてくる。
つまるところ、エルネスティの思考すべてがグゥエールを乗り回すという結論に向けて考えていた。
結局、彼はグゥエールを借りて高等部生の助けに向かい、余裕があればその後に気の済むまで乗り回させてもらおうとある意味身勝手な決定をした。
いざ行動に移そうとしたとき、ディートリヒの扱いについて考えていなかったことに気づいた。外に放り出すには、気絶した人間にとってクロケの森は危険が多すぎる。一度馬車にも取ることも考えたが、真剣に騎士を目指し、負けず嫌いなディートリヒが逃げ出すほどで、高等部生達にそれだけの余裕があるとも思えなかった。
しばらく苦悩した後、エルネスティは苦肉の策として操縦席後部に存在する簡易サバイバルキットを投棄し、その隙間に彼を詰め込むことにした。
今度こそと操縦席に座り、操縦桿に手を伸ばそうとするが届かない。幻晶騎士は操縦桿や鐙を利用して、機体と身体をある程度リンクさせて操縦しやすくしている。もちろん、これらが側だけというわけというわけではなく、自身の演算を幻晶騎士に伝えるパスであり、eingineで自動演算するための入力装置としての働きでもある。
それら入力装置に触れられないということは、幻晶騎士を操作するために必要な入力がすべて出来ないことを意味している。
通常であれば、ここで諦める人間が多いだろうが、彼は一つ秘策を用意していた。
彼は操縦桿を切断し、中に存在している配線を取り出し、自身の銃杖へくくりつけていた。取り出したものは銀で出来た綱であり、銀線神経という。人間で例えるなら神経に値する存在だ。
魔力は物質を伝う性質と情報を記憶する性質がある。伝達速度や損失特性はすべての物質で同一ではない。傾向としては金属など鉱物が伝わりやすく、植物などの生物は伝わりにくい。銀は人が知る中で最も伝達速度が早く、損失の少ない物質であり、幻晶騎士のような応答速度が必要な物によく使われていた。
「ぶっつけ本番ですけど、やってみましょうか」
そういうと、彼は演算を開始した。といっても、演算の内容は幻晶騎士を動かすための物ではない。いくら様々な課程を履修済みとはいえ、幻晶騎士の操縦方法はまだ習っていないからだ。
彼の行っている演算はいわば、魔導演算器と魔法演算領域を接続するものであった。
つまり、動かし方がわからず物理的に操縦する方法がないなら、今直接魔法術式を見て学び、すべて頭の内で演算して動かしてしまおうということである。
とはいえ、人の魔法演算領域では幻晶騎士を操作するだけの領域が存在しない。そこで彼は、魔導演算器と魔法演算領域を同期させ、PCの遠隔操作を行うように魔法演算領域で魔導演算器を直接操作しようと考えた。
「伝達口導通...経路探査...入出力口確認...接続...直接制御開始」
魔法演算領域と魔導演算器の接続、直接制御が完了すると、彼は魔法術式の精査を始める。既知の物は頭の片隅において置き、未知の物は予測し、魔法演算領域内で動作を確認する。
そう時間をおかずにエルネスティは幻晶騎士の制御魔法術式を完全に把握する。時間が余りかからなかったのは、制御魔法術式が彼が今までいじくり回してきた身体強化と類似点が多かったためである。
幻晶騎士とは人を拡大した物である。改めて考えれば、それを動かす魔法術式が人の体すべてを使う魔法をもとにしているのは当然のことだった。
まずは試しに、とでも言いそうに、グゥエールを立ち上がらせるが、ふらふらとしていた。魔法術式を把握しても、実際の動作とはどうしても差異がでてしまう。本来は慣れという言葉で片付けられるが、身体強化を改良した経験から魔導演算器内の魔法術式に手を出し始め、修正...というよりも、直接制御用の魔法術式生成を開始する。
すぐにグゥエールはその二本の足でしっかりと大地を踏みしめた。そして、高等部生と陸皇亀が戦っている方向へ向け歩き出した。次第にその歩幅は大きくなり、フォームも変わり、本来幻晶騎士がとることのない姿勢、速度で走りの形に変わっていた。