進藤ヒカルは藤原佐為に会いたい   作:みや

1 / 1
第一話

 蔵の中は、窓から漏れ入った柔かな陽の光に包まれている。

 シンとした静寂が支配し、ゆったりとした時間が流れているこの空間はどこか神秘さを感じさせる。

 

 その中に一人の少年……いや、男性がいた。

 彼は、すっかりと様になった正座でもってそこに佇んでいる。

 目の前には時代を感じさせる古い碁盤がある。

 

 進藤ヒカルは、しばらく瞳を閉じ気を落ち着けると、かつてそうしていたように心の中で語りかける。

 

 佐為……、ここでお前に出会ってどれくらい経ったっけ?

 俺、あれからも神の一手を目指し続けてるぜ。

 今は本因坊のタイトルホルダーとして頑張ってるよ。

 タイトルを取るなら絶対本因坊が最初だって決めてたんだ。

 俺、これからこのタイトルの重みをしっかりと背負って、まだまだ成長していくよ。

 それに塔矢の奴はすでに二冠だから負けてられないしな。

 

 北斗杯以降、ますます勢いを増したヒカルは、ライバルである塔矢アキラと共に駆けあがり続けた。

 その勢いは凄まじいもので留まることを知らない二人は、やがて神が与えた天才の二人として世間を賑わすこととなる。

 そんな二人がトップ棋士の証たるタイトル保持者となるまでにそう時間は必要なかった。

 しかし、二人はそれでも止まらない。

 目指すべき地点はまだまだ先だと言わんばかりにむしろ勢いを加速させるように切磋琢磨し続けた。

 そんな二人の姿に周りの者は感化された。

 碁打ちを目指す者は飛躍的に増え、元から碁打ちであった者も負けていられないと、その勢いは碁の世界全体に及んでいった。

  

 そんな碁の世界の中心にいるといっても過言ではないヒカルは、今この場で少々寂しい想いを抱いていた。

 

 

 

 佐為、もう一度……、もう一度だけでいいから会って、碁を打ちたいなあ。

 

 

 

 叶わぬ夢と分かっていながら、我儘を言う子供のようにそんなことを心の中で呟く。

 しばらくヒカルはその場にとどまったがやがて立ち上がると、その場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……さて、しばらく休養日がもらえたわけだけど、どうするかなぁ。

 

 じいちゃんの家を後にした俺は、あかりが待つマイホームへと向かう。

 休日って言ったって、結局碁を打てればなんでもいいんだよな俺は。

 だが周りからは最近根を詰め過ぎているからと、少しくらい碁から離れて休息しろと言われてしまったのだ。塔矢が二冠を取ったのだから必死になるのは当然だというのに。それに俺にとって碁が全てであり、碁をしないなんて考えられない。

 でも流石に倒れるまで碁を打ち続けたのはやりすぎたと反省している。ちなみにただの貧血であった。

 とにもかくにも俺は周りを心配させた罰の意味も含めて、しばらくの間ほぼ強制的に囲碁禁止令を出されてしまった。

 どうしたのものか。

 

 ……あっ、そうだ。ネット碁があるじゃん。

 

 今の世の中はネットの文化が飛躍的に向上してきている。囲碁もまたその影響を受け、昔以上にネットを通じて全世界と繋がることができている。

 とはいえ、最近プロとしての仕事にかかりきりでほとんど関わっていなかった。

 ……昔は佐為といっぱいネット碁したなあ。

 かつての思い出をしみじみと振り返りながら、久しぶりにネット碁をすることを決める。

 

ネット碁なら匿名で対局できるから碁をしててもしばらくは、ばれないだろう。まあ、どこかでばれるだろうけど。それでも少しの間だけでも碁に関われるならば悪い話でない。

 それに今は仕事の関係上あると便利だからと和谷に勧められ、パソコンを持っている。昔のようにわざわざネットカフェに行かなくてもよい。まあ、昔同様今でもパソコンの操作は最低レベル位しかできないのだのだが。

 

 家に帰り、あかりに「しばらくネット碁するから」と断りを入れて部屋に閉じこもる。ちなみにあかりには「……はいはい。ちゃんと休憩しながらするのよ? また倒れたら許さないからね。」と呆れられてしまった。

 勿論、碁が禁止されていることは知っているはずだが、止めても無駄だと分かっているのだろう。

 ……この連休のどこかで、あかりともどこかで時間を作らないとだな。

 とはいえ、今はネット碁を早くしたくてたまらなかった。

 久しぶりのネット碁、ワクワクしてきたぜ。

 

 ネットが広まった今、ネット界には世界中の強者がいる。勿論、今のヒカルと勝負になる者など皆無なわけだが。

 それでもかつての佐為同様、碁を愛するヒカルには関係ない。燃え上がる戦意を胸に感じながら早速ネット碁のページへと進む。

 

 あ、アカウント名を決めないとだめなのか。

 本名にするわけにもいかないしな。

 

 ……そうだ。

 

 ぎこちない操作でアカウント名を入力し、早速マッチングした一回戦目の相手と対局を始めた。

 ……ん?

 なんか相手のアカウント名見覚えが……、まあ気のせいか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 さてと、saiは……いねえな。

 モニターに映る無情な結果に落胆を隠せない。

 

 先日行われた、sai vs 塔矢行洋の戦い。

 ネット碁上で行われたそれは、世界中の棋士達を震撼させた。

 歴史に残る激戦はsaiの勝利で幕を閉じた。

 正体は一切が不明であるものの、その実力は現囲碁界の最強と謳われている塔矢行洋をも上回ることが証明された。

 その打ち方は、精錬され、真摯であり美しくすらあった。

 皆の興味は益々saiに向いた。誰もかれもがsaiの正体が誰なのかと躍起になった。

 そして、この少年、和谷義高もその一人である。

 初めてsaiと対局して敗北してから、ずっとその後を追ってきた。

 しかしどこまで追ってもまるで雲掴むように、その正体は見えてこない。

 

 ……はあ、しょうがねえ。気分転換に何局か打って昼飯にするか。

 saiがいないのではしょうがない。そんな軽い気持ちで対局相手を探す。

 すると相手はすぐに見つかった。

 ええと、相手はと……

 

 

 

 『fuziwarano』

 

 

 

 ……ふじわらのって読むのか?

 始めて見る名前だ。変な名前だなと頭の片隅で思いつつ特に気にすることなくこの相手と対局することに決める。

 それじゃあ、さくっと勝ちますか。

 そう意気込みパソコンを操作する。

 

 

 

 

 

 ……ど、どうなってるんだ?

 

 心臓がやたらとうるさく全身に鳴り響き、嫌な汗が吹き出し顔を滴っていく。

 頭をフル回転させ次の手を考えるも何も打開策が見つからない。

 何が起きているか分からなかった。

 パソコンのモニターに映る盤上を見ていつの間にか絶望的なまでに開いてしまった戦局を改めて確認する。

 自分は歴はないとはいえ正真正銘のプロである。その自分がネット碁で敗れるという事自体が信じられない。だがあり得ないことではない。最近では実力のあるプロ棋士でもネット碁をしている者もいるからだ。

 しかし、今圧倒的実力をもって自分の前に立ちはだかっている相手には全く覚えがない。さらに見たことのない定石を打ってくるのだ。最初は相手の意図が分からないのだが、次第に相手の優位に事は運ばれていき、気づけば覆すことのできないほど差を付けられてしまった。

 その一手一手には悠久の時を超えて研ぎ澄まされてきた凄みが感じられるようだ。

 こちらの意図を完全に読まれた上で、最適解を打ち続けられているような感覚。

 これはまるで……。

 

 sai。

 

 ……いや、saiではない。

 頭に浮かんだ考えをすぐに否定する。

 さんざんsaiを追いかけてきたのだ。saiかどうかなどすぐに分かる。この相手は違う。

 しかし不思議なことにこのfuziwaranoという碁打ちからはsaiの姿がちらつく。

 そしてそれとは別にどことなくこれに近い打ち方をする者を知っている気がする。だが、どれだけ記憶を探ってもまるで靄がかかったように答えにたどり着くことはできない。というよりこんな凄い碁打ちがいたら忘れるわけがない。

 だが間違いなく言えることは、saiと同じく今対局している者はとてつもなく強者であるということだ。

 

 軽い気持ちで始めたネット碁。

 予想だにしない出来事に混乱するも、どこかで興奮を隠し切れないでいた。

 

「す、すげえ……!」

 

 思わず興奮気味にそう声に出していた。 

 ……誰なんだこのfuziwaranoってやつは?

 負けて悔しいと思う反面、それを上回る敬意・称賛の感情があふれ出てくる。そして新たな強者の登場を喜んでいる自分がいた。

 

 そしてそのまま俺の負けで決着が着いた。

 チャット機能を使い、「あなたは誰ですか?」と送るものの返信はなく、次の対局相手を探しに行ったようだ。

 ……これは間違いなく話題になる。色々な人に聞いて心当たりがないか聞いてみよう。

 そう決め、早速fuziwaranoの対局を見つつ、どんどんと知り合いに連絡していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 謎の棋士『fuziwarano』の存在は、一日とかからずすぐさま世界中に知れ渡った。

 理由は三つある。

 まず一つ目。それはその底知れぬ実力。

 昨日、fuziwaranoはほぼ一日中ネット碁上にいた。何十局と対局を行ったが、全戦全勝。中にはネット碁でも名を馳せた強者が挑みもした。しかし、すべての対戦者に平等に圧倒的実力を見せつけ勝利を飾った。

 付け加えると、その実力に物を言わせた下品な打ち方一切せず、逆にどんな相手でも全力でもって対局に臨んでいることがよく分かった。碁に対する敬意と愛情がfuziwaranoからはよく伝わってきた。

 そして二つ目、その碁の打ち方と筋からどことなく今囲碁界を賑わしているsaiを感じるのだ。

 しかし、saiではない。

 だがsaiと無関係であるわけがない。

 このなんとも言えない謎が人々の好奇心を刺激した。

 最後に三つ目の理由として、元々saiと塔矢行洋の戦いの影響で、ネット碁は注目を浴びていた。

 そこにfuziwaranoという謎の猛者が突如登場したとあって、一瞬の内にうわさが広まったのだ。

 

 世界中の人間が、saiと同様にその正体が誰なのかと議論し合った。

 しかし、皆その答えを導くことはできない。

 悶々とした感情を内に秘めながらも、今日もまたネット碁上で猛威を振るっているfuziwaranoの碁に夢中になる。

 そしてそれは当然……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「か、かっけえ……」

 

 進藤ヒカルは、パソコンのモニターに映る盤上を見て、目をキラキラさせながら夢中になっていた。

 和谷に急に呼ばれ、何だと訝し気にやって来たヒカルだったが、そんな気持ちはfuziwaranoが打つ碁を見て一瞬のうちに吹き飛んだ。

 

「誰なんだよ、この人!」

 

「いや分からない。分かっているのは、日本国籍という事とfuziwaranoっていう名前って事だけだ」

 

「えっ、藤原? ……それって」

 

「なんだ!? 知っているのか!? fuziwaranoを!」

 

「え、あ、ああいや、……その、変な名前だなと思って」

 

「……なんだよ。まあそうだよなぁ。そんな名前の人、囲碁界にいないんだよな」

 

 二人がそんな会話をしている中、ヒカルの背後にいるこの者もまた驚愕に目を見開かせ、ヒカル同様にモニターの画面に釘付けになる。

 

 そう、藤原佐為である。

 

 佐為は、fuziwaranoが繰り出す一手一手に込められた意味を理解し感嘆する。

 この一手を打てるまでに一体どれほどの苦悩と努力があったのか、佐為はそれが痛いほど分かった。

 そして理解する。

 この者も神の一手を極めんとする者であると。

 先日、己の役目が終わったことを悟り気落ちしていた佐為だが今ばかりはそんなことを忘れていた。 

 

 ……塔矢行洋以外にもこれほどの打ち手がいるとは。

 しかし、この打ち方これではまるで……。

 そしてこの名前。

 

 チラリと和谷と興奮したように語り合うヒカルに視線を移し、しばし考える。

 だが分からない。

 なぜ神は私の前にこの者の存在を知らせたのだ。

 

 ……っ!?

 

 その瞬間、佐為は自身に起きている状況の変化に気付き驚愕する。

 

 動き出したはずの私の中の時の流れが止まっている?

 

 自身の役目は終わったはずであった。

 後は消える運命をただ待つだけであった。

 なぜ再び時の流れが止まったのか。

 考える必要はなかった。

 理由は明快。

 fuziwarano……、今目の前にいるその存在が答えだった。

 

「……ヒカル」

 

「ん? どうしたんだよ佐為? それよりこのfuziwaranoって人……。佐為と同じ名前だけど、たまたまか?」

 

「……ヒカル、お願いがあります」

 

 私はヒカルの言葉を遮り、真剣な表情を浮かべ、じっとヒカルを見つめる。

 ヒカルも私の雰囲気の変わりように気付いたのか、意識をしっかりとこちらに向けてくれる。

 

「……ヒカル、私にまた少しだけ時間を頂けませんか?」

 

 ヒカルは答えない。ただ私の目をじっと見つ返してくるのみ。

 そして、はぁ……、とため息を一つ。

 

「……たく、この前塔矢先生と対局したばっかりだってのに。……で、どうしたらいいんだ?」

 

 面倒そうな態度を取りつつも、真剣な私のお願いに折れてくれるヒカル。やはりヒカルは本当にいい子です。

 だからこそ……。

 

 「ヒカル、また私にあのネット碁というものをさせてください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、佐為の真剣さを汲み取ったヒカルはすぐにネットカフェにやって来た。

 

「……で、どうするんだ? fuziwaranoって人に挑みたいのか?」

 

「はい、その通りです」

 

「……へいへい、まあ確かに滅茶苦茶強いもんな。佐為が挑みたくなる気持ちも分かるよ。でも今度こそ佐為も負けるんじゃないか?」

 

 ヒカルがニシシと悪戯を仕掛ける子供のようにそんなことを聞いてみる。佐為は真剣な表情を浮かべしばし考える様子を見せる。

 

「……そうですね、今度は相手が相手ですからね」

「……珍しいな? 佐為が弱気なんて」

 

 ヒカルがそう声を投げかけるも佐為は返してこない。どうも集中しているようだ。傍にいるヒカルにもその気迫が伝わってくるようだった。塔矢先生と対局した時にも劣らない集中力だ。佐為もそれだけこの相手に期待しているってことだろう。

 

 それにしてもfuziwaranoって、佐為と同じ名前だけど偶然なのだろうか?

 ……でも本当、佐為とfuziwaranoって人が戦ったらどっちが勝つんだろうな?

 ヒカルは嫌々協力する素振りを見せつつ、この二人の対局を楽しみにしていた。また塔矢先生の時みたいな戦いをみせてくれるのではないかと。

 

 ネット碁のページを起動させ、早速fuziwaranoに対局を申し込む。

 しかし、全く対局が成立されない。fuziwaranoが対局相手を探すたびに申し込むも、結果は同じ。

 この時、fuziwaranoは世界中から注目を浴び、対局を申し込む者も例を見ないほど大人数であるという状況であった。それ故に対局を成立させること自体が困難な状況となっていた。

 その後もヒカルは諦めずに対局を申し続けた。

 

 

 

「……まただめだぁ。なあ、佐為。佐為の気持ちも分かるけどまったく対局が成立しねえよ。諦めないか?」

 

 ヒカルがもう嫌だとばかりに椅子にだらしなくもたれかかりそう愚痴を垂れる。

 

「……ふむ」

 

 ……向こうは気付いていない?

 このままでは、ヒカルの言う通り私は戦うことができない。

 

 ……ならばこちらの存在を気づかせるまで。

 

 「ヒカル、夏休みの時のように色々な者を相手にネット碁をしましょう。……そうすれば、すぐにその者と対局をできる時が来るはずです」

 

 「……? まあ、佐為がそれで満足するんだったらそうするよ。じゃあ早速始めるぞ。しばらくは仕事の予定もないし、とことん付き合ってやるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 塔矢行洋との戦い以降、再び行方を眩ませていたsaiの復活。

 それは、fuziwaranoの登場以上に世間に驚きと興奮を巻き起こした。

 未だ負け知らずのsaiの実力は既知の事実。

 saiの登場によって塔矢行洋を始め、緒方などの現トップ棋士らもネット碁に目を向けることとなる。勿論、その背景には、つい最近、塔矢行洋とsaiの激戦があったためだ。他のトップ棋士らがsaiに注目するのは必然であった。

 これまでネットに強い若者がネット碁をする傾向があった。しかし、今回のsaiの登場により碁に情熱を持つ者はその年に関係なく、ネット碁に参上し、saiを打ち倒さんとした。

 その結果、ネット碁上に大勢の名のあるプロ達が入り交る異例の事態が起こっていた。

 だが、どんな相手が来ようとそれらをなぎ倒していくsai。

 勿論、fuziwaranoもsaiと同様に黒星を付けることなく、白星を積み重ねていく。

 fuziwarano、saiという正体の分からない二名の棋士は時間と共にその注目度を雪だるま式に増やしていった。

 そして、saiの登場から二日目。

 ここで起きたある者との戦いが、またも世界中に激震を与えることとなる。

 その戦いとは――。

 

 塔矢行洋 vs fuziwarano

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 sai の登場に私の心は熱く燃え上がった。

 以前の戦いで負けた時は本当に悔しかった。

 長く囲碁界にはいるがあれほど悔しいと思ったのは久しかった。

 だがそれと同時に新たな強者の登場に歓喜している自分がいたことも確か。

 相手が何者か、それは分からない。

 だが互いに真剣に碁を打ったから見えてくるものもある。

 saiがこれまで碁に向けてきたそのすべてが伝わった。

 これまで出会ってきた者の中でも、最も碁に対する気持ちが熱く、最強の実力を誇っていることは間違いなかった。

 

 もう一度saiと戦いたい。そう思うのは必然であった。

 

 すぐにパソコンを用意してもらい、ネット碁に潜り込んだ。

 しかし、現実は非情である。

 saiと対局しようとしても中々戦うことができない。

 緒方君に聞いてみたところ、どうも対局を申し込む人数が多すぎる為、相当運がよくないと戦うことはできないらしい。

 ならば進藤君、彼にお願いしようかとも考えるが、連絡先を知るわけもなくそれもできない。

 落胆している時、緒方君からfuziwaranoというsaiにも引けを取らない棋士がネット碁上にいることを知る。

 それもそのfuziwaranoという棋士からはsaiの碁を感じるという。

 saiを引き合いに出されては気にならない訳がなく、試しにfuziwaranoという者の対局を観戦してみた。

 

 ……これは。

 

 緒方君の言う通り、その実力は底知れぬものがある。

 そして確かにfuziwaranoという者からはsaiの存在を匂わせた。

 同一人物ではない。それだけは絶対に間違いない。

 ……そうなると、saiと師弟関係にあるのかもしれない。

 そんなことを考えながら、私はほぼ無意識に対局を申し込んでいた。

 

 すると、なんと対局が成立した。

 

 saiと同様にfuziwaranoに対する対局申込者は殺到している。

 対局を成立させるためには相当な運の良さが求められる。

 それを塔矢行洋は一発で引き寄せた。

 これは、偶然かあるいは……。

 

 突如舞い降りた謎の強者との対決。

 一瞬、状況を飲み込めず呆然としてしまうが、すぐに状況を理解する。

 ……ドクン。

 心臓が大きく全身に鳴り響く。

 私は確かにワクワクしていた。

 この年になって、ここまで心躍ることが続くとは。

 これだから碁はやめられん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……よし、これで勝ちっと。

 ネット碁を始めてから三日目、ヒカルはネット碁にどっぷりとはまっていた。

 大勢の者が次々に対局を申し込んでくるが、強い者が多……、いやむしろ強い者がほとんどである。だからこそ倒しがいがあるし、打っていて楽しい。

 

 ……でも皆、ちょっと打ち方が古いんだよなぁ。

 

 そう、ヒカルを不思議にさせていたのはプロと思われる棋士達も含めて皆碁の打ち方がどこか古いのだ。

 碁は毎日進化を遂げている。それに伴い、定石も日々変化しているわけで今は今の主流の打ち方がある。

 これではまるで何年か前の碁だ。

 疑問に思う部分はあるが、碁が打てるのだったらなんでもいいやと、深く追求せずに次の対局相手と戦う。

 

 ……さてと、次の対局相手はと。

 ん?

 

『toya koyo』

 

 ……え、これ確か塔矢先生のアカウント名じゃなかったっけ?

 

 いやいや、まさかな。誰かが名前を借りているのだろう。そう考える。

 一時期、塔矢先生もネット碁をしていたが、今はそんなことはない。

 とはいえ、ネット碁でこの名前を見ると、どうしても佐為との戦いが蘇ってくる。

 僅かに緊張を感じつつ対局を開始する。

 

 

 

 

 

 ……本物だ。

 

 ヒカルはすぐに確信した。

 この気迫……、ネット越しにも伝わってくるそれをヒシヒシと全身で感じる。

 間違えるわけがない。

 新初段シリーズの時、そして佐為との戦いのときに感じたそれとまったく同じなのだから。

 

 ……けど、やっぱり違う。

 

 他の対局者達と同様に、どこか打ち方が古い。

 塔矢行洋は、現役を引退した今でも碁打ちとしての切れ味は衰えることなく、むしろ成長を続けている。

 塔矢行洋であると確信しつつ、でも違うという矛盾がヒカルの中に広がっていく。

 これを解決する答えは一つしかない。

 しかしそれを考えるのは後だ。いくら打ち方が古いと言っても、相手はトップ棋士である塔矢行洋。

 余計な思考は、すぐに敗北へとつながる。

 全神経を集中させ対局に集中する。

 

 

 

 

 

 ……やっぱり強いな。

 

 相手の一手一手に込められた力強さと戦略の数々を理解し、素直にそう思う。

 かつて数々のタイトルを勝ち取ったその実力をその身で感じる。

 気を抜けばすぐに持っていかれただろう。

 

 ……けど、今の俺にはちと届かなかったみたいだな。

 

 

 

 勝者 fuziwarano

 

 

 

 画面に表示されたそのメッセージを確認し、ふぅ、と大きく息を吐き、集中状態を解く。

 それと同時に周りの景色と音が一気に脳内に流れ込んでくる。

 外を見てみるといつの間にか陽が沈んでいるようだった。

 パソコンの電源を切り、椅子にもたれかかる。

 ヒカルは、今の塔矢行洋との戦いでほぼ確信していた。

 

 このネット碁は過去に繋がっている。

 

 あり得ないことだと思うがそうとしか考えられない。

 それにかつて佐為が時を渡り自分の前に現れたことを考えると、そう不思議なことでもないのかもしれないとも思う。

 

 しかしどうせなら過去じゃなくて未来に繋がってくれたら良かったのになんて考える。そしたら、もっと進化した碁打ち達と戦えるのに。

 そんなことを考えていると、ふとある考えが頭に浮かぶ。

 その瞬間、すぐにヒカルはパソコンの電源を付けなおす。そしてネット碁のページにアクセスする。そして目当ての名前がないか探す。

 そして異常なほど観戦者数がいる対局を見つける。その対局者を確認する。

 

 

 

 『sai』

 

 

 

 名前を見つけた瞬間、心臓が早鐘のように鳴り響く。

 震える手でマウスを動かし、対局内容を確認する。

 そしてすぐに理解する。

 

 目の前がぐにゃりと歪む。

 気づくと大粒の涙がととめどなく瞳からこぼれ落ちていく。

 それは、かつて何度も何度も傍で見続けた佐為の碁だった。

 もう見ることはないと思っていた。

 この画面の先に佐為がいるのだ。

 そう思うだけで胸がいっぱいだった。

 

 そして対局が終了する。

 俺は何か考えることなく、すぐさま対局を申し込んだ。

 

 まるで神の導きかのように、すぐにfuziwaranoとsaiの対局がマッチングされる。

 ますます鼓動が早まる。

 今、自分は佐為と向かい合っている。

 頭の中が真っ白であった。

 だが、そんなヒカルに構わず、対局が開始される。

 

 ヒカルは迷った。

 今は塔矢行洋との戦いで疲弊しており、とても万全の状態とは言えない。加えていきなりの展開で混乱している。

 対局を申し込んでおいてこんなことを思うのはなんだが、佐為と会うのなら万全の体調で臨みたかった。しかし、ここでチャンスを逃せば二度と佐為に会えないかもしれない。

 

 ……いや、それでも。

 なんとなくだが、ここで一旦引いてもすぐに佐為と会える気がした。勘だが。

 

 少しの間、悩んだ結果、ヒカルはパソコンを操作し投了することにした。

 一手目を打つ前からの投了。

 そして、ヒカルは急ぎメッセージを送るためのページを開き、文字を打っていく。慣れない作業であるのと、手が震えている為、何度も間違う。早くしないと佐為がどこかへ行ってしまう。そんな不安に襲われ、急ぎ慌ててしまい何度も打つ文字を間違いながらも、何とか文章を完成させる。

 

 その間、佐為はずっと待ち続けてくれていた。

 

 ……よし、これで。

 送信ボタンを押し、メッセージを送信する。

 

 

 

 『3日後の12時から再戦をおねがいします』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターに映った次の対局者を確認して、ゴクリと唾を飲み込む。

 

「お、おい……、本当にfuziwaranoから対局を申し込んできたぞ」

 

 和谷からfuziwaranoの事は毎日情報をもらっていたが、fuziwaranoは基本的に自分から対局を申し込まない。

 わざわざ自分から対局を申し込まなくても数多の強者が対局を申し込んでいるからだ。

 そのfuziwaranoが佐為の言う通り向こうから対局を申し込んできた。

 つまり、大勢の対局者候補がいるにも関わらずわざわざ佐為を狙い撃ちして対局を申し込んで来たに他ならない。

 

 「対局を受け入れてください、ヒカル」

 

 完全な集中状態の佐為からのその言葉通りに対局の申し入れを受け入れる。

 画面は自動的に進み、対局が開始される。

 先番は向こうだ。

 

 しかし、いくら待ってもfuziwaranoが一手目を打ってこない。

 不思議に思っていると、なんとfuziwaranoが投了してきた。

 

 「……え?」

 

 と、間抜けな声を出してしまう。ようやく対局が叶ったと思ったら一手も打つことなく投了である。意図が分からない。

 

 「……なあ、佐為。fuziwaranoにからかわれただけじゃないのか?」

 

 そう聞いてみるも佐為は特に慌てることなく「少し待ってみましょう」と答えてくる。

 しかし、しばらくしても何も起きることなく時間が経過していく。ヒカルが痺れを切らしかけた時、メッセージが届く。

 それは3日後に再戦しようというもの。

 

 「……佐為、どうする?」

 「勿論、受け入れてください」

 「分かった。……ええと、どうやって打てばいいんだ? もうこれでいいか」

 

 

 

 『OK』

 

 

 

 たった二文字の了承の意を示す返事。

 こうして三日後、fuziwarano vs saiの対局が決まった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。