この世界は既に切り捨てられることに決まっている。それも十六年前からそう決まっているのだった。
理由としては正しき「勇者」の魂なくして過ぎ去りし時は正しく求められない、どう転んでもこの「剪枝世界」は安定した正しい世界とはならないということだった。今にも肉体ごと崩れ落ちそうな「勇者モドキ」では、最後まで熾烈な戦いを駆け抜けられるかさえ怪しいのである。根幹世界になりえない脆弱な、とるに足らない失敗作である。
さらに言うなれば、ソレは最初から
言い訳を用意しておいた大樹は戸惑うことなく「勇者」が本物ではないからだと答えるだろう。この世界は剪枝世界、「勇者モドキ」ならばどのような旅路と結末を迎えるのか観察するためのものだ、と。
なるほど正しい理屈である。今後存続していく根幹世界を創り出すことが使命であるのだから、そのために情報というのは必要不可欠である。あらゆるパターンを網羅しておくことに越したことはない。大義名分にどの世界の「大樹」も何も反論しない。自分がそうなったとしても採る、最善手であるのだから。
「ソレ」に同情し、「言い訳」という悪い言葉を使う方がむしろどうかしているのだ。
ソレには良くて巨悪と相打ちになるであろう未来が待ち受ける。どう足掻いてもヒトならざる哀れな山羊に未来はない。
なれば、最初からその想定をしておき、無機質に情報を収集して無慈悲に世界を閉じるのだ。
ソレに魂などない。ソレに安寧などない。ひとつの可能性を知るためにある、「勇者」の穂木。報われるためには存在していないのだった。
それはほんの少しの掛け違い。あの嵐の夜に、大樹が運命の赤ん坊からほんの一時、目を離しただけ。
その一瞬で、加護を失った「イレブン」という赤ん坊は幼き日のマルティナ姫と分かたれ。それだけならまだしも、目を離していた時間が長すぎて、荒れ狂う川に飲み込まれてそれっきり。
自我さえ危うい赤ん坊の魂は、血の繋がった母を求めてあっという間に飛び去った。
失敗を悟った大樹は「次」はマルティナ姫と離れた瞬間から見守っていようと決意したが、とりあえずは人間の魂モドキを急造し、勇者の肉体に押し込み、死なない程度に遺体に成長の加護をかけ、魂モドキに使命を果たせと刻み込んだ。
そして生まれたのが「ソレ」だ。
宿るのは真っ当な魂ではない。その肉体はとうの昔に死んでいる。温度を持たない癖に成長するソレは生物であるかさえ怪しい。
ただ、不思議な感性を持つ優しい子になった。別の世界で戦っている「勇者」とほぼ同じ道を選び、同じように強く優しく、誇り高くあろうとして。
ただ優しすぎて、無意識に己を他の生物たちとは決定的に違うのだと知っていて。
故にソレはあらゆる名付けを拒否した。自分は何者でもなく、何者にもなれないと知っていたから。
ソレは誰かのためにあろうとした。
ソレは必死に戦った。愛する母が最初から自分を見捨てていることを知らずに。真実から目を背け、気づかないようにしながら。
哀れな穂木よ。
魔王の剣は重すぎる。そうは言っても早々にグレイグさん不在で前よりも早く闇の力に傾倒したらしいホメロスちゃんに切り札なしで勝てるかわからないから頑張って背負ってきた。
ホメロスちゃんからしたらグレイグさんこそ颯爽と裏切ったようなものだし。うん。ぼくは「悪魔の子」らしいので。
魔王の剣って「悪魔の子」らしい禍々しさがあってとってもらしい。カミュたちもドン引き。趣味悪いって「前」にも言われたけど今回も思っているのかな。ぼくの趣味じゃないのもわかってるからちっとも言われないけど。
「ねえ、大丈夫なの? なんだかここのところ顔色が悪いような気がするのだけど……」
「マルティナちゃんもベロニカちゃんの心配性がうつったの? 大丈夫だよ。朝ごはんも全部食べたし、いっぱい寝てるし」
「そうね」
「みんな優しいよね。みんなこそ大丈夫? 万全?」
「えぇ……」
大丈夫か大丈夫じゃないかだったら大丈夫。今だってちゃんと走れるし剣も振れる。手は自在に動くし痛くもない。母さんの足元は少しだけ寒いけど、やわらかな光が満ちていてお腹いっぱいなくらいだ。
みんなも「前」……じゃなかった、「前の前」の記憶があるみたいで、ホメロスちゃんの奇襲は最早奇襲じゃない。みんな分かっているんだ。グレイグさんが最初からこっちにいることで少し変わってしまっているかもしれないけれど、その分みんなに頑張ってもらうというか、ぼくが頑張るというか。
これまでのところ、魔物側に「前の前」の記憶はないようだったから本当に仕掛けてくるかは心配していない。状況が違うからやり方を変えてくるかもしれないけど……ベロニカちゃんが狙われないようにしなくちゃね。
ベロニカちゃんがいればぼくがいなくても大丈夫だし。だってベロニカちゃんは最強だ。火の魔法を受けて死なないやつはいないよ。ぼくだったら掠っただけで致命傷だと思う。
「母さん……母さん!」
大樹の最深部にたどり着くと、もう耐えられなかった。ぼくは胸の内を駆け巡る郷愁のまま駆け寄る。ちゃんと後ろを警戒しているつもりだけど、まだ狙われないように手は伸ばさずに。ぼくが本当にユウシャで、ユウシャだからユウシャの剣を手にできるって確信するまではきっと攻撃してこないと思ったから。
あぁ、やっと! やっと会えた! 二度目の再会だけど関係ない。初めて会えた時と同じように胸の内が叫んでいる。嬉しくって涙が流れた。
「会いたかった! 母さん……ぼくのこと、見ててくれた? ぼく頑張るよ、これからも! 母さんが見ててくれるんだもの、頑張らなきゃ。ユウシャとして、闇を払う使命を果たして。もう誰も失わないように……」
はらりはらりと、何かがぼくから致命的ななにかが抜け落ちていくのがわかる。「前」みたいに血が葉っぱになっているわけじゃない。だってどこにも傷なんてないんだもの。
じゃあ何か。なんだろうね。わからない、わかりたくもない。とにかくもう、ぼくは限界みたいだ。本当に急がないと。母さんに縋り付く幼子ではいられない。母さんが指し示す通り、ユウシャとして頑張らないといけないんだ。ぼくはそのために生まれ、そのためにここにいるんだから。
あぁ、焼ける。焼けていく! 本当に燃えているわけではないけれどそう思った。焼け死ぬのと同じように、取り返しのつかないようにぼくが崩れていく……時間が無い。どんどん成り果てていく、ぼく自身がぼくでなくなるまでもう時間がない。
幸い、まだ体を動かすことだけは問題ない。
あぁ懐かしいみんな! 小さくても誰よりも強かったベロニカちゃん、短い髪の覚悟を決めたセーニャ、優しく抱きしめてくれたロウじいちゃん、ぼくの目標でありつづけたシルビアちゃん、ぼくを心底慈しんでくれたマルティナちゃん、清く正しくあろうとしたグレイグさん、そして根気よく何度も、こんな、真っ当な人間ではないぼくに
ぼくに
「相棒、今なにか……」
「カミュ。なんでもない。なにもないよ、大丈夫、ごめん、取り乱した。ほら、ぼくの母さんだ。みんなも、ぼくも、ここから来たんだよね」
少しでも気を抜けば爆発してしまいそうだった。文字通り。ぼくの体を巣食う植物のようなナニカは既にはち切れんばかりに成長し、ギリギリぼくのかたちを保っているに過ぎない。
気を抜けば体から葉っぱやら根やら茎やらが皮膚を破って飛び出し、ぼくは人間くらいの大きさの木か花になると思う。それはもう、母さんに比べてみれば随分小さいだろうけど。
大人しく立っていてもダメだ。静かに足の裏から根が這い出し、二度と動けなくなりそうだもの。
できる限り素早く足を動かして、母さんの核に近づく。みんなに合図しながら。
「あれが勇者の剣……! 勇者さま!」
「うん、あれを取ればいいんだね!」
セーニャちゃんの長い髪がまばゆい光に照らされてキラキラと光っている。大人の姿のベロニカちゃんが目をキラキラ光らせてぼくを見ている。あぁ、この双葉がそのままでいられますように!
手を伸ばすふりをして。
闇の気配を感じて振り返る。
さぁ、最後の戦いを始めよう。