やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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川崎沙希はメイドにならないし、宇宙にも行かない。

 さーちゃんとの対話を終えた、その日の放課後。

 俺たちは千葉のとある店の前で、とある人物を待っていた。

 

「メイドカフェ・えんじぇるている⋯⋯ですか」

 

 店の名前を読み上げた一色は、「ほーん」と興味があるのかないのか微妙な表情を浮かべている。店の入り口の近くで雪ノ下は瞑目して(たたず)み、由比ヶ浜はメニューをじっと眺めていた。

 

 さーちゃんから聞き出した問題のヒントは『学費』。そして大志が言っていた『エンジェルなんとか』という店から電話がかかってきた事実。

 それらを勘案すれば、予備校、あるいは大学の学費の為に、エンジェルの名のつく店で働いていると考えるのは誰もが一緒だった。加えて千葉で朝方まで営業しているのはこの『えんじぇるている』ともう一店しかないので、その現場を押さえるなら一つずつ潰していくしかない。

 

「で、これ何待ちなんですか?」

 

 そう言えばサッカー部が終わってから合流した一色には、まだ詳細を伝えていなかった。こほん、と咳払いをすると、俺は痛く真面目な表情を作って言う。

 

「君たちには潜入捜査の任に当たって貰う。その為にスーパーバイザーを招聘(しょうへい)した」

「はい?」

「フハハハハハ! 八幡、待たせたな!」

 

 何言ってんだこいつって表情で一色が俺を見た瞬間、件の人物が到着する。

 ドシーンドシーンとでも効果音がついていそうな歩みで俺たちに近づく巨躯。潜入捜査のスーパーバイザー・材木座義輝の登場である。

 

「あ、中二⋯⋯」

「中二先輩⋯⋯」

 

 なんだその中二って呼び方⋯⋯。

 あと一色さん、超嫌そうな顔するの止めなさい。一応こいつ、君の恩人だからね?

 

「誰だよこいつ呼んだの⋯⋯」

「まさかの八幡の裏切り!? ひぎぃぃぃっ!」

 

 ひっくり返る勢いで反応する材木座を、雪ノ下は薄っすら開いた目で見ていた。君がそうすると睨んでいるように見えるから控えましょう。

 

「⋯⋯とまあ冗談は置いておいて、メイドカフェについては俺もよく分からんから、その筋に詳しい材木座に来てもらったと言うわけだ」

「はぁ⋯⋯」

 

 どーでもいいですけど⋯⋯とでも言い出しそうな一色を見て言うと、俺はぐるりと集まった面々に視線を巡らせてから本日の趣旨を説明する。

 

「川⋯⋯川なんとかさんがここでバイトしていると仮定して、まずは普通に店に入って様子をみる。もし居なかったら、これは雪ノ下の申し出だがメイド体験というのがあるからそれでここに勤務しているかを確認してもらう。まあ、これは誰か一人でもいいと思うが⋯⋯」

 

 俺はそこまで言うと、材木座を肘で小突いた。

 

「う、うむ⋯⋯。メイド喫茶とはその名の通り、メイドさんが接客してくれる喫茶店である。喫茶店との違いは通常の料理に加えてオムライスにケチャップで絵を描いてくれたり、『萌え萌えキュン♡』と魔法をかけたりしてくれるところだ』

 

 材木座の説明を聞いて、全員『萌え萌えキュン♡』の部分で顔をしかめていた。説明に呼んでおいて酷い反応である。それはともかく。

 

「さっきも伝えたけれど、私はやってもいいわ」

「うん⋯⋯。まあちょっと恥ずかしいけど、確認するなら人手が多いほうがいいと思うし、あたしもやる」

「えぇ⋯⋯。この流れわたしもやるパターンじゃないですか⋯⋯」

 

 一色はなし崩し的なところがあるけど、自分から来たがったのだから致し方無しだろう。そうと決まれば後は実行あるのみだ。

 

「じゃあ材木座、説明ありがとな。お疲れ」

「待って? これ我だけ帰る感じになってない?」

「うわぁ⋯⋯」

 

 本気で帰らせるつもりはなかったが、冗談を真に受けたらしい由比ヶ浜はドン引きしていた。

 とりあえずはさーちゃんがいるかどうかの確認だ。俺たちが店の中に入ると「おかえりなさい! ご主人様、お嬢様!」と噂で聞いた通りの呼び方と挨拶で迎えられる。ぱっと店内を見る限りさーちゃんの姿はないようだったので、雪ノ下たちは連れ立ってメイド体験の方へと向かい、俺と材木座はテーブルに通された。

 注文を聞きに来たメイドさんにカフェオレとコーラを頼むと、俺は対面に座った材木座に問いかける。

 

「材木座はよくこういうところに来るのか?」

「いや、頻繁にはない。メイドさんと話すと緊張して上手く喋れない上に手汗をかきすぎて脱水症状になるからな」

「あっそ⋯⋯」

 

 なんて頼りないスーパーバイザーだろうか。気が抜けたまま益体もない話をしていると、注文を伝えたメイドさんとはまた別のメイドさんがトレイを手にこちらにやってくる。

 

「お待たせしましたご主人様♪ こちらカフェオレでございます」

 

 と、そう言って俺の目の前にソーサーとカップを置いたのは一色だった。

 ふわりと広がる黒のフリルスカートに、やはりフリルがふりふりつきまくったブラウス。スカートが短い上に身体のラインまでよく分かる、いわゆる男ウケを狙った現代版メイド服というヤツだ。

 そんなあざとい衣装に身を包んだあざとい後輩は、にこりとなり切って俺に笑顔を向けてくる。さっきまでちょっと嫌そうにしていた割りに、ノリノリじゃねぇか。あとその名札に書いてある『いろはぁ〜す』って何? メイド名ってこと?

 

「ご主人様がよろしければ、ドリンクがも~っと美味しくなる魔法をかけさせて頂いてもよろしいですかぁ?」

「あ、ああ⋯⋯」

 

 結構です、なんて断ったら途端に「は?」と睨まれそうだったので、とりあえず一色の好きにさせることにした。俺たちが見守る前で一色はこほんと小さく咳払いすると、俺の目をジッと見つめながら言う。

 

「あなたのカフェオレほっかほか♪ 美味しくな~れ♪ 美味しくな~れ♪ 萌え萌えキュン♡」

 

 そう言って一色は両手でハートを作り、胸の前でそれを突き出すと同時に右足を上げた。その瞬間、膝がガコン! とテーブルに当たり、カフェオレが波打つ。

 せっかく照れずにノリノリで言えたと思ったら、とんだドジっ子である。一色の顔が羞恥に赤らみ、プルプルと震えだしたのを見て俺たちは審議に入った。

 

「材木座審査員、どう思う?」

「むぅ⋯⋯近頃の流行りであるあざと可愛いを前面に押し出しつつ、レトロなドジっ子要素まで入れ込む温故知新スタイル。材木座的にポイント高い」

「同感だ。あれはあれでクセになるし、素で恥ずかしがっているのが堪らんな」

 

 ということで、審議は終了である。

 俺たちは『いろはぁ~す』さん改め照れはす、いや恥じはすに向けて口を揃えて言った。

 

「「合格」」

 

「一体何の話をしているんですか⋯⋯」

 

 一色の顔が呆れを浮かべたのとほとんど同時に、また別のメイドさんがこちらの席に近寄ってくる。次に俺たちの前に現れたのは、一色と同じメイド衣装に身を包んだ由比ヶ浜だ。胸につけた名札には『ゆいぽん』の文字が踊っている。

 

「お、お待たせしましたご主人様。こちら、コ、コーラでございます」

 

 コーラを載せたトレイをプルプル震わせ、由比ヶ浜はかなり緊張している様子だった。材木座の前にコーラを置くと、すっと一歩下がって胸の前でトレイを抱きかかえる。

 

「えっと、どう⋯⋯?」

「どう⋯⋯と言われても」

 

 メイド服にしては短いスカートも、女性らしい曲線を強調するブラウスもとてもよく似合っている。似合っているのだが⋯⋯。

 

「魔法は?」

 

 一色があれだけ見事にやってのけたのだから、メイド体験の説明でも件の魔法は教えて貰っているのだろう。メイド衣装だけでは審議に不利というものだ。

 

「いやー、流石にちょっと⋯⋯」

 

 とまあ、そんな反応になるのも無理はない話だ。あそこまで恥ずかしがらずにやれる方が珍しい。

 俺と材木座は再び顔を寄せると、今度は由比ヶ浜について審議を開始する。

 

「メイド衣装自体はよく似合っていると思うが⋯⋯」

「大学生がノリで着ている感が強く出すぎているな。メイドの真髄を何も分かっていないと思われる」

「ああ⋯⋯。魔法もかけてくれないから、仕方ないな」

 

 審議を終了すると、俺は由比ヶ浜の方を向いて神妙な表情を作って告げる。

 

「大変申し訳ないのですが、今回はご縁がなかったということで⋯⋯」

「なんか面接で不採用になったみたいになってる⁉ い、いいよっ! ちゃんとやるから!」

 

 由比ヶ浜はそう言って、こほんと咳払いをした。俺の目を覗き込んでくる瞳は、真剣そのものだ。

 

「あなたのコーラがしゅーわしゅわ♪ 弾けちゃえー♪ はいっ」

「へ? は、弾けちゃえー⋯⋯?」

 

 はい、と手を差し出されると同時に始まるコール・アンド・レスポンス。いやこれ、頼んだの材木座なんですけど。

 

「あなたのはぁと、ズッキュンはぁと♪ はいっ」

「ず、ずっきゅん、はぁと⋯⋯」

「美味しくな~れ♪ 美味しくな~れ♪ 萌え萌えキュン♡」

 

 そう言って由比ヶ浜がぐっと前かがみになった途端に揺れる、たわわに実った果実。突き出された人差し指がツンと俺の頬に触れて、そこで時は流れるのを止めた。

 決め顔で目が合ったというのに、プルプルと羞恥に震えだす由比ヶ浜。視界の端で材木座がゴキュゴキュと凄い勢いで水を飲み、ようやく頭に思考が戻ってくる。

 これは⋯⋯エマヶ浜エマさん半端ねぇ⋯⋯。いやまったくエマ感はないんだけど。

 

「大変いいご身分ですね、ご主人様」

 

 そんな冷ややかな声がした方を見ると、そこには氷点下の視線が俺を待ち構えていた。

 雪ノ下が身を包んでいるのは、ロングスカートと長袖のメイド服。シックなモスグリーンのそれには、ワンポイントでリボンがあしらわれている。

 すらりとした細身と漆のように艷やかな黒髪は誰よりもメイドらしかったのに、その表情はメイドさんがしていいものではなかった。メイド名は『ゆきのん』じゃなくて『けんのん』の方がいいと思います。

 

「お水をお注ぎ致します」

 

 雪ノ下は空になった材木座のグラスと俺のグラスに、水を注いでくれる。おいやめろ。表面張力が発生するまでギリギリに入れられたら飲めないだろ。

 

「ご歓談中申し訳ないのですが、お仕事の話がございます」

 

 どこまでも慇懃(いんぎん)にそう言うと、雪ノ下は()めつけるような目を引っ込めた。いや本当、ガンくれノ下さんの怖さ半端なかったわ⋯⋯。ところで何で俺は怒られてみたいになっているんだ? ははは本当意味分かんねぇなぁ。

 

「⋯⋯裏でシフト表を見てきたけれど、川崎さんの名前はなかったわ」

「そうか⋯⋯」

 

 不意に近づいた唇が俺の耳元でそう告げると、俺は小さく首肯を返した。つまりここに居ても、俺たちがさーちゃんと会話の場を持てる可能性はないということだ。

 それじゃさっさと退散するか、と言いたいところだったが、忘れてはいけないことが一つある。

 

「あー⋯⋯一応聞くけど、魔法は?」

 

 また睨まれるのを覚悟でそう聞くと、予想に反して雪ノ下は勝ち気な笑顔を返してくる。

 そしてまた俺の耳元に口を寄せると、どこか蠱惑(こわく)的な声音で言った。

 

 

「もうかかっているくせに」

 

 

 ゾクッと震えた背中に、再び硬直する身体と時間。

 その様子を見ていた由比ヶ浜と一色にジトッと湿度の高い目を向けられたのは、語るまでもない話である⋯⋯。

 

 

   *   *   *

 

 

 翌日の夜。

 俺は親父のクローゼットから拝借したジャケットを羽織り、雪ノ下の住むマンションの一室で待機していた。以前雪ノ下に家に来ないかと言われた時は即行で断ったが、本日はのっぴきならない理由がある。

 

「お待たせしましたー」

 

 そう言って俺の待つリビングに入ってきたのは、カクテルドレスに身を包んだ一色だった。幸福を歌い上げるような黄色のドレスが、健康的なその身を鮮やかに彩っている。大人感を演出するアイシャドーや、ふわりとエアリーに広げられた髪型も相まって、いつもの制服姿とはまったく違った雰囲気だった。

 

 今日、俺たちが雪ノ下の家にいる理由。それはさーちゃんが働いていると思わしき店『エンジェル・ラダー 天使の(きざはし)』には、ドレスコードが指定されていることに起因する。由比ヶ浜も一色もドレスコードに合うような服を持っていないから、雪ノ下が家にある服を貸し出しているというわけだった。

 

「いやー、こんな服着たの親戚の結婚式でリングガールして以来ですよ。先輩、どうですかこれ」

 

 常よりテンション上げ上げな一色は俺の目の前でくるりと一回転して見せる。うーん、見せ方まであざとい。あとめっちゃ似合ってるし可愛いですね。

 

「うわぁ⋯⋯なんか緊張してきた」

「流石にまだ早いと思うけれど⋯⋯」

 

 俺が無言でうんうん頷いていると、今度は由比ヶ浜と雪ノ下が現れる。

 由比ヶ浜が着ているのは、見ているこっちが赤くなってきそうな深い真紅のドレスだった。昨日着ていたメイド服よりも、更に体のラインがよく分かるコケティッシュなデザインなのに、上品さも兼ね備えている。お団子頭は封印され髪をアップにしているせいで、グッと大人っぽく見えた。あとどこがとは決して言わないが、とても深い。

 

「さて、比企谷くん」

 

 そう言って俺の正面に立ったのは、艶のある黒のドレスに身を包んだ雪ノ下だ。ドレスとはそういうものだと言われたらそれまでだが、やはりその華奢な身体のラインがはっきりと分かるし、普段見えない鎖骨も見えてしまっているし、どうにも目のやり場に困る。こちらもいつもと違って一つにまとめられた髪が緩く巻かれながら胸元に落ちているせいで、大人っぽく見えるだけでなく美人さまで際立たせていた。

 

「誰が一番綺麗?」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 おい、またこのパターンかよ。今度は一色を巻き込んでいるあたり更に答えにくいんですが?

 

「綺麗さを基準にするのズルくないですかー。女子高生は可愛さで勝負ですよ」

「そうね。では誰が一番好みなのかに質問を変えるわ」

 

 って一色さんも乗っかってきちゃったしよ。

 判断基準を変えられても答えにくさは変わらない。一色の強化された小悪魔感はクセになるし、恥じらいながらこちらを見てくる由比ヶ浜はその妖艶さとのギャップで萌え萌えキュンだ。雪ノ下は言わずもがな、映画の中から出て来たみたいに綺麗過ぎる。

 

「⋯⋯近頃の運動会では、徒競走で全員一着の旗が貰えるらしいぞ」

「相変わらずの答えね」

 

 俺がはぐらかすと、雪ノ下はふっとまた勝ち気な笑みを浮かべた。張り詰めかけていた空気が弛緩してくると、その空気を読んでか読まずか一色は俺の真正面に立ち、まじまじとこちらを見てくる。

 黒い立ち襟のカラーシャツにジーンズ。それにジャケットという格好にオールバックの髪型はプロデュース・バイ小町ちゃんである。鏡にその身を映した時、自分で言うのもあれだがチンピラにしか見えなかった。それかVシネの冒頭で即死するヒットマン。いやろくな例えが出てこねぇな。

 

「ヒッキーも、大分雰囲気違うよね」

「ですねー。⋯⋯オラオラ系ホスト?」

 

 酷評されるかと思いきや、一色からの口から意外な例えが出てきた。いや高校生でその例えが出てくるのはどうなの? まさか行ってないよね?

 

「⋯⋯そろそろ行きましょうか」

 

 雪ノ下は二人から全身を(くま)なく検分されている俺を軽く睨みながらそう告げる。おかしい。この状況を作ったのは雪ノ下のはずなのに。

 その一言を合図に雪ノ下の家を発ち、目指すはホテル・ロイヤルオークラ。さーちゃんがバイトしていると(おぼ)しき店はこのホテルの最上階にある。

 

 雪ノ下のマンションからロイヤルオークラまでは、歩いてそこそこの距離があった。

 辺りと言えばタイル張りの歩道やら、やたらと大きな公園、林立する摩天楼の如き高層マンション。ハイソサエティーな街並みの中で特に雪ノ下の住むマンションは大きかったし、駐車場に停まっている車と言えば高級ドイツ車ばかり。貸し出すほどドレスを持っていたり、運転手付きの車で送迎されたり⋯⋯今更ながら考えると雪ノ下は、いわゆるお嬢様という存在なのだろう。箱入り娘に育てられていてもおかしくないのに一人暮らしをさせている理由は、よく分からないが。

 

「すご⋯⋯。なんか、一流ホテルって感じ」

 

 つらつらそんなことを考えながら歩いていると、目的のホテルに到着する。エントランスに入るなり由比ヶ浜はそう漏らし、俺もこくりと頷いた。

 ふっかふかの絨毯を踏みしめてエレべーターに向かう間に、何人かの視線を感じる。しかしその不躾な視線も致し方ないとは思う。男一人に対して美女三人というのは明らかにアンバランスだし、三人の見目が麗しすぎてつい見てしまうのだ。さっきまで目を奪われていた俺が言うのだから間違いない。

 

「比企谷くん」

 

 四人でエレベーターに乗ると、扉が閉まった瞬間に雪ノ下がそう声をかけてくる。

 

「背筋は伸ばして、顎を引いて」

「はい⋯⋯」

 

 そんなに猫背になっていたかしら⋯⋯と思いながらも意識して背筋を伸ばし、ぐっと顎を引いた。それを見届けた雪ノ下は、すっと俺の隣に立って口を寄せてくる。

 

「綺麗なお姉さんたちに囲まれているからって緊張しちゃ駄目よ?」

「⋯⋯わかってらぁ」

 

 ポカンと口を開けて見ている由比ヶ浜に、やりますね⋯⋯と呟く一色。本当何なのこの子⋯⋯もう帰りたい⋯⋯。

 せっかく保っていた平常心をバラバラにされながらエレベーターを下りると、すぐ目の前に目的の店『エンジェル・ラダー』が見えた。ホテルの宿泊者だけではなく外部客も利用できるその店は、いわゆる高級バーというものだ。

 

 入り口付近に立っていたギャルソンの男性は俺たちの姿を認めると、こっちのパーティ編成やら年齢を気にする様子もなくカウンターに通してくれる。ハイチェアに腰掛けてカウンターの中を見ると、先ほどと同じギャルソンの格好をした女性がいた。

 青みがかった長い髪はアップにされ、立ち姿は凛としていて大人の女性然としている。果たしてそこには目的の人物・さーちゃんの姿があった。

 

「川崎さん」

 

 俺が川なんとかさんの名字って何だっけと思い出していると、隣に座った由比ヶ浜が声をかける。その声にさーちゃんははっとして俺たちを見た。

 

「こんばんは、川崎さん」

「由比ヶ浜⋯⋯と、雪ノ下⋯⋯? あと⋯⋯」

 

 そう言ってさーちゃんは、交互に俺と一色に視線を送った。おかしいな⋯⋯一色はさて置き俺は一応会ったことあるんだけど。

 

「同じクラスのヒッキーだよ。あと一年のいろはちゃん」

「はぁ⋯⋯」

 

 なんでその面子⋯⋯とでも言いたげに、さーちゃんの眉根が寄せられる。普通に行く気になっていたから連れて来たけど、確かに一色まで来る意味全然わかんねぇな。

 

「⋯⋯ご注文は」

「私たちはペリエを。彼は⋯⋯」

 

 静かに言ったさーちゃんに、雪ノ下は瞑目して答える。俺の注文は、一択しかない。

 

「俺はマックスコーヒーで」

「それは流石にないんじゃ⋯⋯」

「あるんだけど⋯⋯」

 

 いやあるのかよ。結構ダメ元で言ったんだけど。

 さーちゃんは人数分のドリンクをカウンターに出すと、はぁと大きく息を吐いてから言う。

 

「それで、何なの? こんな人数でデートってわけでもないんでしょ」

「それも楽しそうだけれど、今日の目的とは違うわね」

 

 雪ノ下の答えに、俺は「楽しいんだ⋯⋯」と心の中で呟いた。俺は全然楽しくなさそうなんですが。

 

「いっつも遅刻したりしているの、ここでのバイトのせいだったんだな」

 

 俺が言葉の続きを受け取ると、言った瞬間さーちゃんの目がすっと細くなる。雪ノ下といい、さーちゃんといい、今日はよく女子に睨まれる日だ。

 

「だったら何? 説教でもしに来たの?」

「いや、そうじゃない。前に言ってた学費って、予備校に通う為のもんか?」

「⋯⋯あんたにヒントなんて言うんじゃなかった」

 

 質問の答えにはなっていなかったが、これでビンゴだ。

 さーちゃんは兄妹が多いことを気にして、おそらく歩合のいいであろう深夜のバイトで学費を稼ぎだそうとしている。その行動自体は健気なものだが、やり方に問題があった。

 

「あのー⋯⋯」

 

 そこでおずおずと手を上げたのは、さっきから喋っていなかった一色だった。

 

「予備校ってそこまでして行かなきゃいけないものなんですかね?」

「⋯⋯国公立目指してんの。私立に行って負担かけたくないし」

「けどバイトのせいで遅刻してたら、内申点とか下がって受験に不利じゃ⋯⋯」

 

 さーちゃんがグラスを拭きながらキッと一色を睨むと、ひぇっ⋯⋯と小さな悲鳴を残して言葉が途切れる。うん、一色は頑張った。後は俺たちで丸く収めるとしよう。

 

「事情は分かったわ。けど守るべきルールというものがあるわよね」

 

 そう言って雪ノ下は手首を捻り、腕時計の存在を示して見せた。時刻はもう夜の十時半を過ぎている。俺たち十八歳未満に許された就業時間は、すでに終わりを迎えていた。

 

「⋯⋯やっぱり説教じゃん。それで何、学校にチクって止めさせるつもり? 無駄だよ。ここが駄目なら別のところで働くから」

「イタチごっこを楽しむ趣味はないわ。できれば一度で聞いてもらえると助かるのだけど」

 

 言って雪ノ下は悠然と微笑み、さーちゃんは敵対するように()めつける。何これ、女同士の戦いってこんなに殺伐としてるもんなの? 由比ヶ浜が怖い系って言ってたの、何となく分かったわ⋯⋯。

 

「そっちが助かってもあたしは助かんないの。正直そういうお節介、迷惑だから。お互い関わったって時間の無駄だよ」

「そんなことはないと思うけど。お互い歩み寄れば、解決策を提示することもできると思うわ」

「ふーん、ならあんたがお金用意してくれんの? あんたの父親、県議会議員で会社もやってるんでしょ。いいよね、裕福な家は。そんなヤツにうちの事情のことをとやかく──」

「あら、ではそうしようかしら」

 

 さーちゃんの言葉を遮って雪ノ下が答えた瞬間、俺たちは思わず「えっ」と固まってしまった。

 何と言うか⋯⋯まったく雪ノ下らしくない答えだったからだ。

 

「それで、あなたは何を返してくれるの? あなたには投資するだけの価値がある、その自信があるってことでいいのよね」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 静かにグラスを持ち上げた雪ノ下と、険しい視線を送り続けるさーちゃん。これじゃ売り言葉に買い言葉だ。俺が話の方向性を正そうと口を開いた瞬間、雪ノ下は言葉を続ける。

 

「私から提案できるのはあと一つ。うちの会社の事務所でアルバイトをするという手もあるわ。あなたの能力次第だけれど、深夜のアルバイトと同額程度は払えると思う」

 

 さてどうするのかしら? とでも続けるように、雪ノ下は首を傾げた。

 実現すれば解決には至るだろうが、おそらくさーちゃんがそれを飲むことはないだろう。さっきまで敵対していた相手に白旗を上げて、傘下に下るようなものだからだ。

 

「⋯⋯やるわけないでしょ」

 

 吐き捨てるようにそう言った声を聞き届けて、だよなと息を吐いた。

 これ以上バチバチやっていても仕方ない。俺はマックスコーヒーを一口飲むと、さーちゃんに向けて言った。

 

「なあ、さーちゃん(・・・・・)

 

 さーちゃんは驚きの表情を浮かべてこちらを見ると、それに続いて三組の目がこちらを向く。

 もちろん、この呼び方はわざとだ。この呼名は、間違いなくさーちゃんの中で京華の存在を思い出させるだろう。

 

「それでも家族に心配をかけるやり方は違うんじゃないか?」

 

 俺が言うと、さーちゃんは苦り切った表情を浮かべた。しかし次の瞬間、先程まで雪ノ下に向けられていた強い視線が返ってくる。

 

はーちゃん(・・・・・)に何が分かるっていうの?」

 

 負けじと呼び返してくるが、その問いに俺は明確な答えを持っていた。

 

「分かる。俺も予備校に行こうと思ってるし、妹がいるからな」

 

 俺とさーちゃんを交互に行き来する視線を感じながら、そう言い切る。

 押してダメなら諦めろ、が普段の俺の信条だが、こと兄妹の話になれば別だ。押してダメなら引きずり出す。選択肢を示して、答えを引き出すのだ、

 

「家族に迷惑をかけるのを気にしてるみたいだけどな、迷惑をかけるより心配をかける方がダメだろ」

 

 俺がそう言うと、視線に込められた意思に揺らぎが見えた。やはりさーちゃんの攻めどころは、ここだ。彼女がどれだけ妹たちのことを大切に想っているか、出会った時の目を見れば分かる。

 

「俺たちがこうしてるのは、大志のお願いがあったからだ。そのうちその心配も、けーちゃんに伝わっていくんじゃないか? そのやり方で本当にいいのか?」

 

 そこまで言うと、さーちゃんはついに睨みつけるのを止めて俺から目を逸らした。必殺・人情アタック。完全にドラマや映画からの受け売りである。

 ちなみに自分はと言えば小町に迷惑どころか心配もかけまくっている身であるのでどの口が言うって話なのだが、まあこの場では置いておこう。問題が問題として顕在化したなら、あらゆる手を使ってそれを消し去る。今はそれだけ考えればいい。

 

「予備校の学費が問題だと言うなら、こっちからもヒントを出せるぞ」

 

 俺がそこまで言うと、由比ヶ浜が「あ」と小さく声に出して反応する。前に部室でスカラシップのことを話していたから、覚えているのだろう。あの話だね? とちょっと得意気な顔をして、由比ヶ浜は俺の方を見ていた。

 何だか言い出したくてうずうずしているって表情だ。まあ、さっきから由比ヶ浜は全然喋ってないし、手柄の一つぐらい譲ってもいいだろう。俺はこくりとうなずくと、由比ヶ浜が言った。

 

「ねえ、川崎さん」

 

 そしてこの世の中にはこんな素晴らしい制度があるんだと喧伝するように、由比ヶ浜は自信満々に言った。

 

 

「スターシップって知ってる?」

 

 

   *   *   *

 

 

 ホテル・ロイヤルオークラを後にした、帰り道。

 

「スターシップ⋯⋯ふっ、く⋯⋯っ、宇宙⋯⋯」

「もー! さっきからゆきのん笑いすぎだから!」

 

 学費に困っている級友をどこかの大富豪よろしく宇宙船(スターシップ)に乗せようとした女・由比ヶ浜は変なツボに入った雪ノ下に対して怒っていた。いや、あれはダメだろ。俺も普通に吹き出しちゃったし。

 それにしても、今日は疲れた。慣れない格好に慣れない場所、ついでに一芝居打ったのだから、無理はないと思う。

 目の前で盛り上がる二人を見ながらとぼとぼ歩いていると、いつかのようにトン、と一色が肩をぶつけてくる。

 

「先輩って」

「あん?」

 

 中途半端に切られた言葉にそう返すと、その瞬間グロスに艶めく唇が俺の耳に寄せられた。

 

「なんでも解決しちゃうんですね」

 

 仕草と声が妙に妖艶で、本当にこいつは年下なのかと目を瞬かせた。小悪魔いろはすはクセになりすぎるので、自重して頂きたい。

 そんなひっそりとして短い会話を、耳ざとく聞いていたのだろうか。笑いのツボから帰還した雪ノ下は俺を振り返ると、うっとりするほど婀娜(あだ)やかに微笑みかけてくる。

 

「ところで、はーちゃん(・・・・・)

 

 その表情に反比例するような硬質な声に、俺の背筋は凍りついた。知っている。知っているぞこれ、いつもの理不尽に怒られるヤツだ。

 

「川崎さんとはずいぶん砕けた関係みたいね? いつの間にそんなに仲良くなったのかしら」

「えぇ⋯⋯。いや、まあちょっとな」

 

 俺が言うよりも説得力のある説明ができるであろう由比ヶ浜に視線を向けると、目が合うなりぷいっと逸らされてしまう。なんだよその反応。スターシップって言った直後に吹き出してしまったの、まだ根に持っているのか?

 けどさーちゃんがスカートから黒のレースを覗かせながら宇宙に向けてアディオスする光景を思い浮かべたら、堪えきれなかった。あれで笑ってはいけないとか年末の恒例番組もびっくりの無理ゲーだろう。

 

「⋯⋯一回学校の外で会っただけだぞ?」

「へぇ⋯⋯」

「ふーん」

 

 冷たい声音で言う雪ノ下に続いて、拗ね散らかした彼女みたいな声を出す一色。何これやっぱりもう帰りたい。いや帰ってる途中だった。

 

「そう言えば、この中で先輩のことあだ名で呼んでるのって結衣先輩だけですね」

 

 一色がそう言うと、名前を出された由比ヶ浜が振り返る。なんで君ちょっと得意気な顔してるの?

 

「私もヒッキーって呼ぼうかしら⋯⋯。けどはーちゃんの方が親しげ⋯⋯」

「はー先輩、はち先輩⋯⋯。全然しっくりこないですね」

「⋯⋯呼ばれても返事しないからな」

 

 それを許したら俺も『いろはす』とか『ゆきのん』とか呼べって話になるんだろう。正直彼女たちにそんな呼び方をする自分が上手く想像できない。あと雪ノ下さんは真剣に悩まないで下さい本気ではーちゃん呼びされたら大変困ります。

 

「ね、ヒッキー」

 

 前を歩いていた由比ヶ浜は歩調を緩めて俺の隣に並ぶと、あだ名に対して真面目に検討している二人に聞こえないようにぽしょりと呟く。

 

「あたしのこともあだ名で呼んでいいんだよ?」

 

 ほら思った通り、こんな風に言われるのだ。ちょっと悪戯っぽい笑みは、どうせ俺が拒否すると分かって言っているのだろう。

 ならばその問いに対する答えは、変えなければならない。捻くれた思考を舐めてもらっては困る。

 

「ゆいぽん」

「それはやめて⋯⋯」

 

 昨日のことを思い出したのだろう、街灯に照らされた由比ヶ浜の頬が赤くなってくるのが分かった。言っといてあれだけど、このバカっぽい呼び方すげぇ恥ずかしいな⋯⋯。

 

「いいんじゃねぇの、今のままで。呼び方変わって何が変わるわけでもないだろ」

 

 三人に聞こえるようにそう言うと、途端に視線が集まってくる。俺に向けられた顔が、それぞれふっと綻んだ。

 

「そう言うと思ったわ」

 

 向けられた笑みのうちの一つが、小さな声でそう言った。そんな面映さから目を背けるように、俺は少しだけ歩みを速める。

 雪ノ下は隣に並んで来ると、上半身をわずかに倒して顔を覗き込んでくる。

 

「私は、呼び方を変えてもいいと思っているけれど」

 

 はっとして雪ノ下の方を見ると、どこか愉快そうな笑顔に迎えられる。

 そんな俺たちの様子を見ていたのか、小さな笑いが二つ揃うのだった。

 

 




 以上、この十話で原作二巻パートが終了です。
 次回から三巻パートですが、三巻と言えばあれですね。
 引き続きお楽しみ下さい!
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