青葉若葉の候、つまりは六月。
五月という快適な季節が過ぎ去り、湿気とともに夏の足音が近づいてきていた。夜の肌寒さはどこか懐かしく、半袖のシャツで過ごす機会も多くなりつつある。
そんな季節の変わり目。
夜闇に紛れて、そのメッセージは唐突にやってきた。
『こんばんは。今度の日曜日、デートしましょう』
差出人は、雪ノ下雪乃。
余りにもストレートで、突拍子もない連絡に俺は携帯の通知を見た後に既読をつけないままそっとスリープボタンを押した。デートって何のことだろうな。そもそもデートって何? 八幡、五歳だからよく分かんない(現実逃避)。
『電話してもいい?』
五分ほど天井を見つめながら寿限無を唱えていたところ、そんな通知を受け取って我に返った。未読スルーしたら電凸とか拙速すぎる。
しかしまあ、無視はよくない。あと電話してこられるのもまたまた困る。何が困るって耳元で雪ノ下の声がする時点で色々ヤバイからだ。ASMRに目覚めてしまうまである。
俺はメッセージの宛先がいつかのようにグループ宛てではないことを確認すると、ポチポチとメッセージを打ち込んで送信する。
『丁重にお断り致します』
ふぅ、これで角のたたないお断りができたであろう。さてそろそろ寝ようかなと思っていると、また携帯は通知のバナーを表示した。
『もうすぐ由比ヶ浜さんの誕生日だから、プレゼントを買いに行きたいのよね』
『ちょっと? 断っているんですが?』
『あなたに拒否権はないわ。お弁当五回分で手を打ちましょう』
そのメッセージを読んだ瞬間、俺は戦慄した。
ああ、確かに俺は弁当代を払わせてくれと言い、雪ノ下は別のことで返してくれたらいいと言っていた。だから俺は対価を支払う必要があるわけだが⋯⋯弁当五回分ってことは、それ毎週デートする権利があるってことにならない? いやなってるな。雪ノ下さんの交渉術マジパネェっす。
『残念ながら日曜日は予定があります』
『日曜日に予定がないことは小町さんに確認済みです』
俺がメッセージを送るなり、即座にそんな返信が叩きつけられる。って小町ェ⋯⋯。お前はお兄ちゃんの味方じゃなかったのか。
『プレゼントを買いに行くのはお買い物と言って、デートとは言わないのではないでしょうか?』
『あなたがそう呼びたいなら、買い物ということでいいわ』
そのメッセージには絵文字も顔文字もなかったが、俺の脳内では雪ノ下の勝ち気な笑みが浮かんでいた。っていうかこれ、完全に逃げられない詰みのパターンだ。
それから待ち合わせ場所やら時間やらをやり取りすると、雪ノ下は妙な間の後にまたメッセージを送ってくる。
『日曜日、楽しみにしているわね。おやすみなさい』
──って、言われてもな。
今夜はなかなか寝付けそうにないなと思いながら、俺は『おやすみ』のスタンプを探してタップした。
* * *
日曜日がやってきた。
否、曜日は常に一定間隔で並んでいるだけなので俺が日曜日に突入したと言う方が正しいだろうか。そんな日曜日の南船橋駅は、以前由比ヶ浜と来た時と同じく人でごった返していた。
集合時間まであと五分と少し。改札を出て、雪ノ下の姿を探す。電車の発着時間から考えると、きっと雪ノ下の方が先に着いているだろう。
そんなことを考えながら駅の出口に向かって階段を下りていると、すぐに雪ノ下の姿を見つけることができた。というか、勝手に視線が吸い寄せられてしまった。
「雪ノ下」
じっと外を眺めていた雪ノ下に近づくと、そう声をかける。
雪ノ下はAラインのワンピースにカーディガンを羽織った、相変わらずお嬢様然とした格好をしていた。ただその印象は、以前家に来た時とかなり違う。いつも耳元の近くを彩っている赤いリボンが高い位置で彼女の髪を止め、いわゆるツインテールという髪型をしているせいで、かなりガーリーに見えるからだ。
「おはよう、比企谷くん」
こっちを振り返った雪ノ下は、俺の姿を認めるなりメチャクチャ嬉しそうな笑顔を向けてくる。その顔がデートの始まりにしてはあまりにも眩しすぎて⋯⋯ってデートじゃない。これはただの買い物だから。うん、全然デートじゃないから八幡平気だもんね。
「⋯⋯待たせたか?」
「少しだけね。電車の都合だから気にしないでいいわ」
そんな短いやり取りの後に、俺たちはどちらともなく歩き始めた。
本日の目的地は、以前ここに来た時と同じでららぽーと東京ベイ、通称ららぽだ。またかと思わないでもないが雪ノ下に指定されているし、実際店舗数が多い分プレゼント選びには最適な場所だと言える。
人波に流され歩いていくと、そのまま吸い込まれるようにららぽの中に入った。
「どっか当てはあるのか?」
「特にないのよね。服とかは好みがあるでしょうし⋯⋯」
徐々に人口密度が下がってきたところで聞いてみると、そんな答えが返ってくる。少し意外だ。なんとなく、当てぐらいはつけて来ると思っていた。
しかし
「んじゃ、雑貨とかか?」
「そうね。身の回りのものとか、貰って困らないものがいいわね」
そう言って頷いた雪ノ下を横目で見て、俺は以前ららぽに来た時の記憶を引き出し始める。ひとまずの指針は決まった。日用雑貨の店でも見ていたら、何となく由比ヶ浜に喜んでもらえそうなものが見つかるだろう。
そうして記憶を頼りに雑貨店にやって来た。来たはいいのだが⋯⋯。
「じぃっ⋯⋯」
店の中に入り、雪ノ下と別々になると途端に飛んでくる警戒の視線。確かにファンシー寄りのこの店で男一人というのは違和感があるだろう。客層はカップルとか女性客ばかりだし。
「比企谷くん?」
店員の懐疑の視線をかいくぐるように店内を歩いていると、角を曲がったところで雪ノ下と鉢合わせになる。俺たちが言葉を交わした瞬間、なんだとでも言いたげに解かれる対不審者フォーメーション。いや、対比企谷フォーメーションか? どっちでも全然駄目だわこれ。由比ヶ浜と一緒の時はこんなことなかったのに何故⋯⋯。
「何かいいものは見つかった?」
「いや⋯⋯」
さっきから店員さんの視線を気にしすぎて全然品揃えを見れていない。かと言って男一人で入ってもおかしな目で見られないような店で由比ヶ浜に似合いそうなもの、気に入ってもらえそうなものが見つかる可能性は低そうだ。
「ぶっちゃけ、さっきから徹底マークされてて何も見れてない」
「相変わらずの不審者ぶりね⋯⋯」
いや相変わらずってなんだよいつもそう思ってたってこと? だとしたら悲しすぎる。やっぱり俺、長大なドッキリを仕掛けられているんじゃないでしょうか。
「仕方ない⋯⋯と言うのは語弊があるわね。まあ、こうすれば大丈夫じゃないかしら」
雪ノ下はそう言うと、不意に俺との距離を詰める。ふわりとサボンが鼻腔をくすぐったかと思うと、雪ノ下の手が俺の腕に絡みついていた。
「⋯⋯⋯⋯」
「手を繋いだ方がよかった?」
「⋯⋯イイエ」
見上げてくる目には明らかな
「別のお店に行きましょうか」
そう言った雪ノ下と腕を組んだ状態のまま、店の外に出る。変な目で見られてないかしら⋯⋯と心配しながら通路を歩いていたのだが、思いの外俺たちの方を気にしている目は少ない。
雪ノ下の方をチラチラと見る視線はいくつもあるのだか、俺の方まで確認してくる輩は稀だ。きっと誰もが無意識なのだろう。見目のいいもの、華やかなものにはどうしても目を惹かれるものだ。
何だか過剰に反応している自分がバカらしくなってくる。ここ、と腕を引いてくる雪ノ下に頷くと、また店舗の中に入った。
「キッチン用品店か」
「ええ」
多様な種類のミトンがかかった棚の前まで来ると、雪ノ下はそっと絡めた手を離した。それに少しホッとする。思いのほか、緊張してしまっていたらしい。
しかしミトンだけでもこんなに種類があるのか、とうむうむ頷きながら見ていると、雪ノ下は猫の手を模したミトンを手にはめてこちらを見た。そして──。
「にゃー」
「⋯⋯⋯⋯」
おいまたかこいつ。腕組みから解放されて安心していたところに速攻で可愛い爆弾落として来やがった。本当可愛いは正義。じゃねぇ可愛いを自重せよ。じゃないと俺が死ぬ。
「⋯⋯何してるんですかね」
「ちょっとふざけただけよ」
俺の反応に満足したのか、雪ノ下はそれだけ言うとミトンを元に戻した。腕を絡めてくる代わりにキュッと袖を握ってきて、もうそのちょっとした仕草が可愛い。おい俺の精神防御障壁どこ行った。
「本当はエプロンを贈ろうと思っていたのよ。最近、一緒に料理したりお菓子を作ったりすることが多いから」
「ほう」
店内を歩きながら、雪ノ下はそんなことを話し始める。そう言えば週明けの月曜日は、たまに合作の弁当を食わせて貰っていたな。仲良きことは美しきかな。でもこれ、弁当のツケで由比ヶ浜からもデートを所望されたら断れないヤツじゃ⋯⋯。
「そうしたら彼女、自分でもう買ってしまったのよね。だからどうしようか迷っていて」
不都合な事実に気付いてしまった俺に向けて、雪ノ下は言葉を続ける。ふとエプロン売り場に差し掛かると、雪ノ下は由比ヶ浜がもう持っていると言ったばかりのエプロンを手に取った。
「ところでこれ、どう思う?」
そう言って雪ノ下が身に着けたのは、黒のエプロンだった。胸元にワンポイントであしらわれた猫の足跡が、何とも可愛らしい。その上お気に入りの服を見つけたみたいな最高級の笑顔を俺に差し出してくるのだから、もう本当に勘弁して下さいどうと言われても困ります。
「ぐうかわ」
って普通に声に出しちゃってたヨ! 何これ別の意味で困るわ。
「そう。じゃあ買ってくるわね」
しかも買うのか⋯⋯。俺に褒められたから、それを。
雪ノ下がエプロンの会計を済ませると、二人して通路に出た。そしてまた自然に絡んでくる腕。もうさっきから色々とパンクしそうである。というか多分、してる。
「ここ、寄って行っていい?」
雪ノ下がそう言って指差したのは、ディスティニーショップだった。なるほどこういう店なら貰って嬉しいものも見つかるかも知れない。
ショップの中に入ると、雪ノ下は迷いなくぬいぐるみ売り場に直行する。部屋に飾って置く用にぬいぐるみをプレゼント、というのはいささか子どもじみているような気がするが、選択肢としてはありだろう。
「由比ヶ浜って、パンダのパンさん好きなのか?」
「いえ、私が好きなのよ」
えぇ⋯⋯。それってまた雪ノ下の買い物になっているヤツじゃん⋯⋯。
真面目にやってくれませんかねぇ、と訝しげな視線を送りつけている間も、雪ノ下はパンさんのぬいぐるみのディテールを確かめていた。
「パンさんってあれだろ。笹食って酔拳使うんだろ?」
俺が聞くと、雪ノ下はふむと頷きパンさんに視線を送ったまま答える。
「ディスティニー版ではそういう面が強められているわね」
「ディスティニー版⋯⋯?」
「パンダのパンさん、現題は『ハロー、ミスターパンダ』。改題前のタイトルは『パンダズガーデン』。アメリカの生物学者ランド・マッキントッシュがパンダの研究のために一家で中国に渡った際、新しい環境に馴染めなかった息子のために書いたものが始まりらしいわ」
「あぁ⋯⋯うん」
「よりキャラクターを強調してディフォルメされたディスティニー版の方が有名だけれど、やはり原作が一番よ。メタファーな視点での西洋、東洋文化の違いを物語のエッセンスとして加える手法は見事だし、何より垣間見える息子への愛情が素敵だわ」
「へぇ⋯⋯」
「ただし込められたメッセージが世間には普遍的なものだったのでしょうね。笹を食べて酔っ払うというコミカルな部分だけが強調されてしまったのは本当に残念だわ。今度本を貸すから原作を読んでみる?」
「い、いや⋯⋯」
なんだこいつ急にパンさん限界ヲタク化したぞ⋯⋯。早口ノ下さんちょっと怖いです。
「あのぅ⋯⋯。何故こんな話に?」
俺たちは誕生日プレゼントを選びに来たはずだ。ぎゅっと胸にパンさんを抱いた雪ノ下は、ふっと口元を綻ばせて言う。
「私の好きなものを、あなたにも知ってもらいたいから」
「⋯⋯おう」
何かこれ、やっぱり買い物というよりデート⋯⋯いや、デートじゃない。誰が何と言おうと違う。
雪ノ下がパンさんのぬいぐるみを棚に戻した後、ぐるりと店内を回ってから通路に出た。また腕を組んでくると歩きにくいなとかいい匂いするなとか、いろいろ考え出してしまう。
「比企谷くん、こっち」
「へ?」
何かを見つけたのかと視線を向けると、雪ノ下が腕を引いてくるのはららぽの出入り口の方向だった。いやまだプレゼント見つけてませんけど⋯⋯と思いながら外に出ると、見覚えのあるご神体が鎮座している。
「何、マッ缶自販機に興味あったのか?」
「ええ、そうね」
そう言って雪ノ下はバッグから携帯を取り出すと、カメラを起動してインカメラに切り替える。そこまで見えてしまったので、この後の展開は読めてしまった。
ふわりとまた近づいて来て、腕を絡めてくる雪ノ下。もう同じ手をくらいはしないし、間の抜けた面など撮られてたまるものか。高い位置に掲げられた携帯に向かって、俺はバッチリ視線を送った。
「ふふっ」
雪ノ下は腕を解くと、撮りたての写真を見て嬉しそうに笑った。何なに、と雪ノ下の携帯を覗き込むと、そこには素敵な笑顔を浮かべる美少女様と何やら決め顔を作っている俺の姿が写っていた。
ポカンとした間抜け顔よりずっとかマシな表情ではあるが⋯⋯この写真だけ見たら、ただのバカップルじゃねぇか。対抗してないで顔を隠すべきだった。
「⋯⋯まちがえてグループの方に送るなよ」
「あら、誰にも送らないわよ」
俺はいつかのやり取りを思い出してそう言うと、雪ノ下は携帯で口元を隠した。
「私だけのものだから」
そう言って隠し切れていない目元が、嬉しそうに笑う。
⋯⋯は? なんだこいつハチャメチャに可愛いな? ふざけんなおい可愛すぎるだろこんなの完全に──。
「あ、やっぱり先輩たちだった」
頭の方が限界突破しかけていると、不意にそんな声が届く。声がした方を振り返ると、そこにはどういうわけだか一色いろはの姿があった。
短めのキュロットスカートにノースリーブのカットソー。季節を先取りしたかのような格好をした一色は、とても興味深そうに俺たちの様子を見ている。
「お、おう⋯⋯」
思わずちょっと動揺した声が出てしまった。なんだろうか、この正体不明の危機感は。
いやしかし、腕を組みながら歩いているところじゃなくてよかった。あんなところ見られてたら何を言われていたか分かったものじゃない。
「⋯⋯デートですか?」
そう言ってくてんと首を倒す一色。あざとい。あと瞳の中に灯火のようなものが見えたのは気のせいですよね?
「デートじゃねぇ。買い物だ」
俺はそう答えると、そっちからも何か言ってくれと雪ノ下の方を見た。致し方なし、みたいな顔をして、雪ノ下もまた続ける。
「由比ヶ浜さんの誕生日プレゼントを探しにきたのよ」
「へー、そういうことならわたしもご一緒していいですか?」
その一色の提案は、少し意外だった。なんとなく、誰かと来ているような気がしていたからだ。
「お前、友だちか誰かと来てるんじゃねぇの」
「いえ、一人ですけど」
「ららぽに一人?」
「うわなんですかその言い方先輩にそう言われるとイラッとしますね」
何だそれどう言う意味でしょうかね。ぷくっとむくれた表情がやはりあざとい。
「わたしだって一人で来ますー。コスメとかの日用品、ここでしか売ってないのもあるので」
そう言って一色が持ち上げたのはシンプルなデザインの紙袋だった。一色のナチュラルメイクの秘訣は、どうやらここららぽにあったらしい。
「ってことでー。わたしもその買い物に合流でいいですか? わたしも結衣先輩にはお世話になっているので、誕生日プレゼントを買いたいです」
由比ヶ浜が一色の世話をしているかどうかは語る口を持たないが、その理由はもっともだ。しかし、今日は同行者がいる故に俺だけで判断していいお願いではない。
「仕方ないわね。私たちも何がいいのか迷っていたところだったし」
その同行者に視線を向けると、雪ノ下は小さく息を吐いた後にそう言った。
そこ「ちょうどよかった」じゃなくて「仕方ない」って言っちゃうんですね。雪ノ下さんたら正直すぎる。
「はい、では行きましょう!」
しかしそんな雪ノ下の反応も「気にしない、気にしない」ってな様子で一色は意気揚々と歩き出した。こいつ前世一休さんだったんじゃないの? ほら名前も「一」がつくし。
再びららぽの中を歩き出すと、先行していた一色がくるっとこっちを振り返る。
「プレゼントは全然決まってない感じなんですか?」
「ああ、雑貨店とか見ててもピンと来なくてな」
ぶっちゃけ雪ノ下が異常に近いせいでゆっくり見れなかったし、なんか途中から雪ノ下の買い物ばかりしていた。本日の収穫は雪ノ下がお気に入りのエプロンを見つけたぐらいだ。
「雪ノ下先輩、結衣先輩どんなのが好きかとか、分かります?」
一色の問いに、雪ノ下はふむと顎を下げて黙考する。そして俺と目が合うと、口々に言った。
「犬ね」
「犬だな」
「はぁ⋯⋯犬ですか」
答えたというのに一色は何故かちょっと胡乱げな目をして言った。なんだその反応。由比ヶ浜と言ったら犬ではないか。
いつだったかメッセージのやり取りで犬派だと言っていたし、事故のきっかけも由比ヶ浜の飼っている犬だった。あと由比ヶ浜自身がすげぇ犬っぽい。主に雪ノ下への懐き方が。
「それじゃ犬をキーワードにして探したらいいんじゃないでしょうか」
それで言うと雪ノ下は自由奔放な感じが猫っぽいよな、なんて考えていると、一色の口から至極真っ当な意見が聞こえてきた。なるほど、さっき雪ノ下が買ったエプロンみたいに、好きなものがワンポイントで入っているだけで喜んで貰える可能性は格段に上がるだろう。
「それじゃ、犬がデザインに使われているものとか、そんな感じで探すか」
二人は頷くと、店の前を通り掛かるたびにその品揃えを目で追っていく。
めぼしいところに入ってはしっくり来るものがなくて出てくる、というのを数回繰り返した後、一色はとある店の前で立ち止まった。
「ここ、見ていきませんか?」
ここ、と言って指し示したのは、女性向けのアパレルショップである。俺一人で入ったらまた怪しまれてしまうタイプのお店だった。
「うーん⋯⋯」
「どうしたんですか?」
「服とかは好みがあるから、やめて置いた方が無難、という話をしていたのよ」
そう、探しだす前にそんな話を雪ノ下としていたのだ。年頃の女の子なら、特にこだわりがあるだろう。
「まあそうかも知れないですけど、家の中で着るものならいいんじゃないですかね」
一色はそう言うと、俺たちを待たずに店内に入って行ってしまった。仕方なく俺と雪ノ下もそれに続くと、一色は奥の方のコーナーで立ち止まる。
「ほら、こんなのとかどうですか?」
こんなの、と呼ばれたのは、犬の足のマークがちりばめられた、ちょっとモコッとした服だった。いや、服と言うよりは。
「ナイトウェアね」
そう、いわゆるパジャマとか寝間着とか言われる類のものである。確かにこれなら、外に着ていくものではないから貰って困るという可能性も低いだろう。何せめっちゃワンコなデザインだし。
ハーフパンツのボトムスとフルジップのトップス、それに同じ柄のナイトキャップ。どんな感じでっしゃろ、と生地の感触を確かめていると、ふと値札が目に入った。うーんこれ、全部合わせると簡単に諭吉さんがフライアウェイしますね⋯⋯。
「⋯⋯結構いい値段するんだな」
パジャマとかレまむらなら半額以下だぞ⋯⋯なんて考えていると、隣からひょいと雪ノ下が覗き込んでくる。
「ではそれぞれ一点ずつ買って、プレゼントするのはどう?」
「あー、別々に渡したらちょっとしたサプライズになっていいかもですね」
確かにその案であれば、現実的な値段になるし喜んで貰える要素も増えるだろう。
話がまとまると、俺がトップス、雪ノ下がボトムス、一色がナイトキャップを買って店を出た。何だかんだ探しものに夢中になっていたせいで、昼飯時も過ぎてしまっている。
「さて、捜し物も見つかりましたし、どこかでご飯でも――」
「あれー、雪乃ちゃん? 雪乃ちゃんだよね?」
俺の心の声を読んだみたいな一色の声に、別の誰かの声が重なる。声のした方を振り返ると、なんだか見たことある顔⋯⋯と言うにはあまりにも雪ノ下に似すぎている女性が、こちらに向けて歩いてくるところだった。
「⋯⋯姉さん」
その一言で、やはり姉妹かと納得する。しかしそのウンザリしたような表情には、ただならぬ雰囲気を感じざるを得ない。
雪ノ下の姉は近くまでやって来ると、俺と一色を交互に見た。
「デート⋯⋯って感じじゃないね。でも男子と一緒ってことは、彼氏候補かなー? はじめまして。雪乃ちゃんのお姉ちゃんの雪ノ下陽乃です」
雪ノ下の姉はそう名乗ると、上半身を倒して俺を下から眺めてくる。その顔は雪ノ下とよく似ているのに、表情からして全然違う。あと体つきも。そのポーズつい視線が吸い寄せられる部分がありますのでやめて下さいお願いします。
「はぁ⋯⋯。否定はしないけれど、困っているからやめなさい」
「否定しないんですね⋯⋯」
その一言を聞いた一色が、ぽろりとそう呟く。何だか陽乃さんに対して、遠慮しているような声量だった。
「それで、お名前は?」
まるで子どもの相手でもしているかのような口調で、陽乃さんは俺の名前を問うてくる。答えるまで離さないと言っている目が、やはり雪ノ下のそれとは全く別物だった。
「⋯⋯比企谷八幡です。同級生の」
「ふぅん、比企谷⋯⋯。うん」
同級生の、を強調して言うと、陽乃さんは一歩後ろに引いて興味深そうに俺の全身を眺めた。蛇に睨まれた蛙、とまでは言わないが、なんとも居心地が悪い。
「で、あなたは?」
「あ⋯⋯はい。後輩の一色いろはです」
ついで、と言わんばかりの口調が、どうにも彼女の底の深さを感じさせる。一応気にしてましたけど、って態度は、どちらにイニシアチブがあるのかを示唆しているようにも思えた。
「両手に花だなんて、またまた色男を気に入っちゃったものだね。ちょっと雪乃ちゃんらしくないんじゃない?」
「⋯⋯悪いけど、先を急いでいるの。用がないならもう行くわ」
「えー、雪乃ちゃん冷たーい」
雪ノ下の塩対応に、俺は以前聞いた家族の話を思い出した。対立、教育――それが何を指しているのかは判然としないが、やはり普通に仲のいい姉妹とは言えない状態らしい。
「いいのかなぁ、そんな態度で。家に帰ったら比企谷くんのこと、つい口が滑っちゃうかもよ?」
「⋯⋯⋯⋯」
その一言に、雪ノ下の顔つきが変わった。一体何だと言うのだろう。陽乃さんの反応を見るに、事故のことが関係しているのだろうか?
「⋯⋯いいわ。二人で話しましょう」
「そうこなくちゃね」
陽乃さんはそう言って、実に愉快そうに笑う。何やらただならぬ雰囲気が形成されつつあるが、部外者である俺たちに介入の余地はない。
「ごめんなさい。少し外すわ」
「ああ⋯⋯」
俺の返事を聞き届けると、雪ノ下姉妹は連れ立って歩いて行った。残されたのは、色々と圧倒され呆気に取られたままの二人である。
「なんか、凄かったですね。雪ノ下先輩のお姉さん」
「だな⋯⋯」
雪ノ下もグイグイくるが、陽乃さんはまた別の強引さというか、有無を言わせない力のようなものを感じる。気迫が違う、とでも言うのだろうか。会ってちょっと立ち話をするだけで強烈な印象を残していくのだから、流石は雪ノ下の姉と言ったところだ。
立ったまま待ちぼうけも往来の邪魔になるので、俺と一色は近くにあったベンチに腰を下ろした。それでようやく、知らず肩にこもっていた力が抜けていく。
「先輩はああいう人、どう思います?」
「どう、って?」
「ほら、女性としてタイプかどうかという意味で」
全く想定していなかった質問に、俺はしばし考え込む。
女性として、と言われると、未だ陽乃さんの全体像が掴みきれていないので難しい。品定めするような目に空恐ろしさを感じたのは確かだから、こう言うしかないだろう。
「正直、付き合いが深くなっていくことはないだろうな。仮になったとしても、何だか手のひらの上で踊らされそうだ」
「へぇ⋯⋯。つまり先輩は、手のひらの上で踊らされるより、自分が主導権を握っていたいタイプなんですね」
「どうしてそうなる⋯⋯」
いや、そういうことになるのか? 踊らされるのに抵抗があるということは。
というか今でも充分踊らされている気がするんだよなぁ⋯⋯なんて考えていると、一色は不意に身を寄せてくる。
「ところで先輩。今日は本当にデートじゃなかったんですか?」
「デートじゃないですけど⋯⋯」
一体何回同じこと聞くんじゃ、と呆れていると、今度は耳元にその唇が寄せられる。
「けどわたし、見ちゃってたんですよねぇ。腕組んで歩いているところ」
「なっ⋯⋯」
マジかよ⋯⋯あれを見られていただと? これは非常にまずい。あれでも何がまずいんだ? 毎度のことながら、なんでこれ俺が責められているみたいになっているんだろう。
「見間違いじゃないか?」
「いーえー、先輩たちを見間違うはずがありませんね。再現してみましょうか? 確かこうやって⋯⋯」
抵抗する暇さえ与えられずに、一色の手が俺の腕に巻き付いてくる。え、近い。めっちゃいい匂い。おい上目遣いで見上げてくんじゃねぇよ超かわい――。
「――比企谷くん」
頭の中がお花畑になっていく最中に、そんな冷水のような声音が耳に飛び込んでくる。
ギギギッ、と油の切れた機械のような動きで目の前に立ち止まった人を見上げると、絶対零度の視線が俺を突き刺していた。
「ちょっと目を離した隙に浮気とはいい度胸ね?」
相変わらず誤解を招く発言と、射殺すような視線。
ひゅっと息を飲む音は、俺のものか一色のものなのか。
──やっぱ陽乃さんより、こいつの方が怖いのかも知れない。
一色の手が離れていく感触に若干の名残惜しさを感じながら、そう思うしかないのだった⋯⋯。
* * *
由比ヶ浜の誕生日当日。
今日も今日とて放課後の部室には来訪者もなく、平穏な日々の一ページを綴っている。毎度のことながら普通に居座っている一色は一応部外者ではあるが、当然来訪者にはカウントしない。
「でね、そのパイを食べたパパが『ふごっ』って変な声でうめき出しちゃって」
「あれほど分量を間違えないように言ったのに、またアレンジしたのね⋯⋯」
そしてこの二人が仲睦まじいのも、いつものことだ。
携帯を弄っていた一色がちらり、と俺に目配せをしてくると、壁にかかった時計を見上げた。完全下校時刻までもうあと数分。合図を出すには、いい頃合いだ。
「誰も来ないし、そろそろ店じまいするか」
「そうね」
雪ノ下はしかと俺の目を見て言うと、それぞれがティーセットを片付け、帰りの身支度を整え始める。
さて、後は部室から出て帰るだけという状況になると、俺たちは机を挟んで由比ヶ浜の前に並んだ。
「え⋯⋯。何?」
ただならぬ様子に身構える由比ヶ浜。いや、自分の誕生日なんだから分かるだろこの展開。ああでも俺からプレゼントを贈るなんて想像できないだろうから、それで構えてしまっているのかも知れない。なにそれ全部俺が悪いじゃん。
「由比ヶ浜さん」
「あー、⋯⋯誕生日」
「おめでとうございます!」
そうやって言葉を繋げると、俺たちはせーので鞄からプレゼントの包みを取り出した。眼前に差し出された一見同じ物に見える包装に、由比ヶ浜は目を白黒させている。
「え⋯⋯? あ、ありがとう⋯⋯」
プレゼントを受けると、ようやく実感が湧いて来たのか由比ヶ浜は三つの包みを抱きしめると「えへへー」とあどけなく笑った。幸福を絵に描いたような笑顔が、こっ恥ずかしいやら可愛らしいやらで、こちらの頭の中も忙しない。
「開けていい?」
「もちろん」
雪ノ下が答えると、いそいそと由比ヶ浜はプレゼントの包装を剥がしだした。一つ一つその中身が明らかになっていくたびに、わぁっと由比ヶ浜の喜ぶ声が漏れる。
「すっごい可愛い! 三つでワンセットなんだねっ」
由比ヶ浜の喜び方たるや、放っておけば飛び跳ねだすんじゃないかというぐらいだった。やっぱりこいつ、犬っぽい。まあそのぐらい気に入って貰えたなら、俺たちも悩んだ甲斐があるというものだ。
「ねえ、ここで着てみてもいい?」
「やめなさい」
「やめておけ」
俺と雪ノ下の声が重なると、うわぁと一色が引く声が聞こえた。リアクションはもうちょっと静かに取って頂きたい。
「また私の家に泊まりに来た時に着てくれたらいいわ」
「え、なんですかそのお泊り会。わたし呼ばれてないんですけど」
「じゃあ今度はいろはちゃんも来る? ゆきのん、いいかな?」
「仕方ないわね」
「雪ノ下先輩、めっちゃ笑顔なのになんで口だけ嫌そうなんですかー」
わちゃわちゃと盛り上がり出す女子三人。雪ノ下と一色には俺の分までナイトウェアに身を包んだ由比ヶ浜の姿を堪能して頂きたい。
いや堪能ってどういうことだ⋯⋯とセルフ突っ込みを入れていると、ふと雪ノ下が俺の方を向いた。そしていつもの、ちょっといい笑顔を浮かべだす。
「ねえ、比企谷くんも──」
「行かねぇ⋯⋯」
行けるか、女子のお泊り会に。俺の答えに柔らかな笑い声が三つ重なると、面映ゆさから逃げるように鞄を担いで部室を出る。
三人もそれに続くと、最後に雪ノ下が部室の鍵を締めた。一人先行して歩いていると、トン、と肩がぶつかってくる。
「ね、ヒッキー」
こんなことをしてくるのはまた一色か、と思っていたら由比ヶ浜だった。そこには未だに嬉しさを引っ込めきれていない、ちょっと眩しすぎる笑顔が浮かんでいる。
「ありがとね、本当に」
「⋯⋯おう」
さっきも聞いたよ、と思いながら、俺は頷きを返した。
「すっごい嬉しかったよ。サプライズってこんなに嬉しいんだね」
「ま、喜んで貰えたならよかったわ」
「もう一目惚れ! って感じで、すっごい気に入っちゃった」
「はいはい」
もう分かったから、とちょっとおざなりな言葉になってしまうと、由比ヶ浜はむっと軽く睨んできた。そんな表情をしたって怖いどころか、むしろ可愛いだけである。
「ヒッキー」
そう呼ぶと由比ヶ浜は、すっと上体を前に傾けて俺を振り仰ぐ。そこに睨むような視線はなく、優しげな瞳が俺を見上げていた。
「ゆきのんの誕生日プレゼントは、あたしと買いに行こうね?」
──本当こういうの、天然でやるのは勘弁して欲しい。
覚えてたらな、と俺が呟くと、忘れないくせに、と彼女は笑った。
ということで三巻のデートパートでした。
次の話は閑話的なオリジナル展開の話になります。
引き続きお楽しみ下さい!