奉仕部の夏合宿は、意外に大所帯である。
夏休み。素晴らしい響きと意味を持つ時期がやってきた。
いわゆるロングバケーション。長期休暇故に可能となる
少しばかり意識を高くして言うなれば、未消化のタスクをこなす絶好の
故に、ここで宣言しよう。
夏休みの過ごし方は、インドア一択。異論は認めない。
──なんて考えていた時期が、僕にもありました。
「あと五分、か⋯⋯」
駅のロータリーに停めたワンボックスカーに背をあずけていた平塚先生は、サングラスに太陽をきらりと反射させながらそう言った。
平塚先生から夏休み中のボランティア活動に関してのメールが来たのが数日前。華麗にスルーしていたら今度は奉仕部のグループメッセージで参加を促され、所用を理由に不参加を表明したところ暇であると小町から言質を取られジ・エンド。
そんな経緯もあり、これは実質奉仕部の夏合宿だ。そのメンバーに加え、小町が俺の連行役として同行することになったのまではいいのだが。
「あのー⋯⋯」
俺はじりじりとむき出しの腕を日に焼かれながら手を上げると、平塚先生は頷くと同時に続きを促す。
「どうした、比企谷」
「これ、どういう面子なんですかね?」
俺はそう言って、ぐるりと集まった面々に視線を巡らせた。雪ノ下、由比ヶ浜、それに一色は正式に部員になったから居ても当然という話だし、小町も俺の世話役兼連行係りという立派な役目があるから問題ない。いや俺に問題はあるかも知れないが、それはともかく意外な人物までメンバーに加わっているのだ。
「⋯⋯何」
その意外な人物ことさーちゃんは、俺と目が会うなり不機嫌そうな声で言った。いや別になんでお前いんのとは言っていないのだが⋯⋯まあ、俺の言い方ではそう取られて当然か。
「いや、意外だなと思って⋯⋯。ボランティア活動だぞ?」
「分かってるよ、そんなの。ただ⋯⋯」
さーちゃんはそこで言葉を切ると、ふと一色の方を見た。見られた側の一色は、一瞬ぴくりと反応する。
「内申⋯⋯、少しは気にしようと思ったから」
なるほど、さーちゃんはバイト先で言われた一色の発言を、自分なりに気にしていたらしい。
大学によっては内申点は一切受験の結果に反映しないと明言しているところもあるが、そうでない場合は試験の結果が一緒であれば内申点の高い方が優先されると聞く。度重なる遅刻がどこまで巻き返せるかは分からないが、やらないよりはずっとマシだろう。
「ふむ。ほとんどの生徒は見ていないようだが、活動内容いかんによって内申点加点のお触れが出ている。ちなみに二年F組からは葉山たちも参加するぞ」
「げ⋯⋯」
葉山たち、と聞いて、思わずそんな嫌そうな声が出てしまっていた。二泊三日の泊まりがけイベントをリア充ウェイ勢と過ごせとか苦行でしかないんだけど。
「ヒッキー、超嫌そう⋯⋯」
「仕方ないわね、水と油みたいなものだから」
「そうなんですか? 先輩と葉山先輩、仲いいのかと思ってました」
「ねぇよねぇ。ありえねぇ」
「そう言い切っちゃうところがお兄ちゃんだなぁ⋯⋯」
俺と葉山の仲がいいなんて本当にありえない。一色はテニス勝負やら職場見学のグループ分けの件からそう思っているみたいだが、どれも葉山側から話が来ただけだ。雪ノ下の言う通り、俺と葉山は水と油。混じり合うことは決してないだろう。
何故だか微妙に呆れられていると、たたたっと駆けてくる音がする。段々近づいてくるその音の方を見ると、こちらに向かってくるのはさーちゃんと同じぐらい意外な人物だった。
「すいません、お待たせしましたっ」
「大丈夫だよ戸塚。集合時間には間に合っている」
そう言った平塚先生の前で肩で息をしているのは、さいちゃんだった。さいちゃんと夏合宿⋯⋯。さいちゃんと夏合宿!(テンションマックス)
「さいちゃんも参加メンバーだったんだな」
「うん。人手が足りないって聞いてて⋯⋯。よかったのかな?」
「いいに決まってる! さあ行こう千葉村へ。そして伝説へ⋯⋯」
めっちゃ力強く言った俺に、さーちゃんは何故か怪訝そうな目を向けていた。なんだよ。さいちゃんと夏合宿とか最高だろうが。問題あるどころか大歓迎するまである。
「さて、遊び人を極めれば本当に賢者になれると思っている比企谷とは後で話をするとして、揃ったことだし出発するとしよう」
えぇ⋯⋯何その嫌な話ののっかり方。先生、僕はお説教されたくて言ったわけではありません。
俺はやる気なく返事をして順に車に乗り込もうとすると、後部座席に向かったところで襟をきゅいと摘まれる。
「比企谷、君はこっちだ」
なんでじゃ⋯⋯と思っている間に、後部座席は埋まってしまう。ああ⋯⋯小町とさいちゃんの間という楽園への道が閉ざされてしまったではないか。
「なんでっすか⋯⋯」
「説明しなくても分かるだろう?」
平塚先生は誘い込むように助手席のドアを開けると、ウインクで星を飛ばしながら言った。
「私が君と喋りたいからさ☆」
「⋯⋯そっすか」
これきっと、さっきの話じゃなくてメッセージをスルーしてたことを詰問するぞ☆ って意味だよなぁ⋯⋯。年甲斐もなく飛ばした星はちょっと可愛いなと思ったのに、待ち受ける未来が過酷すぎる。
バタン、とドアが閉まると、間もなく走り出す車。流れていく景色。
* * *
「んーっ、気持ちいいー」
目的地である千葉村に着くと、車を降りるなり由比ヶ浜はぐーっと伸びをした。本人は雪ノ下の肩を借りて爆睡していたので、お目覚めスッキリで気持ちいいのだろうが、不用意に膨らみを主張するのはやめて頂きたい。
「いやー、けっこう遠かったですねー」
そう言って一色は、眩しいのか片手で
「わぁ⋯⋯。山に囲まれてて気持ちいいね」
「ああ⋯⋯最高だな」
さいちゃんが、と俺は心の中で付け足しつつ、目の前の景色を眺めた。
青々とした木々。遥か彼方まで連なる山々。高原の風は平地に比べ涼やかで、日差しは強いながらも下に比べればずっと過ごしやすい。
予定では今日から二泊三日で小学生たちの林間学校が行われ、俺たちの役割はそのサポートだ。一応仕事がない時間は自由にしていていいらしい。つまりほとんどさいちゃんとお泊まり旅行に来たと言っても過言ではないのだ。何それ最高過ぎる。
そんな素晴らしい経験の予感に想いを馳せていると、俺たちの乗ってきたワンボックスから少し離れたところにもう一台車が停まった。
「や、比企谷」
そのワゴン車から降りてくるなり爽やかに片手を上げたのは、平塚先生が宣告した通り葉山隼人である。
「あれ、ヒキタニくんたちもキャンプなん?」
続いて降りてきたのはべーべーうるさいお調子者の戸部。あーしさんこと三浦優美子、それから──。
「二人の男子、高原での思わぬ再会。泊まりがけのイベントで何も起こらないわけがなく⋯⋯。これはキましたわー!」
「海老名、即行で擬態解くなし」
戸部の質問を吹っ飛ばす形でそう言った眼鏡の女子は、ズビシと三浦にツッコミを入れられる。名前は確か、海老名さん。由比ヶ浜の話の中でたまに出てくる名前だ。
海老名さんには悪いが、俺と葉山の間には何も起こりようがないだろう。この夏俺が期待しているのはことさいちゃんに関してのみ。さいちゃんしか勝たん。
「戸部、キャンプじゃなくてボランティアだって説明しただろ」
「あれ、あーしタダでキャンプできるって聞いてたんだけど?」
何やらワチャワチャしだした葉山たちグループを見た後、平塚先生は集まってきた面々に視線を巡らせて言う。
「さて、荷物を下ろそう。今から全体説明の後に、オリエンテーリングだ」
平塚先生の号令のもと、俺たちは荷物を下ろし始めた。
それにしても到着するなりかしましいリア充集団には、閉口するしかない。さいちゃんとの夏の思い出が戸部のダミ声に汚されてしまう⋯⋯。
宿泊先となるコテージに荷物を運びこんだ後に集合したのは、だだっ広い広場だった。
そこに待ち構えるのはざわざわと思い思いに喋る小学生たち。小学校の先生がそれを諌め、葉山がボランティア代表の挨拶を済ませると、間もなくして小学生たちのオリエンテーリングが始まった。
「元気いっぱいだね」
隣を歩いていたさいちゃんは、周囲を歩き回っている小学生たちを見ながらそう言った。さっきまでおとなしく説明を聞いていたかと思ったら、スタートした瞬間からまたガヤガヤと楽しそうな声が聞こえてきている。
小学生にしてみれば、中々ない泊りがけのイベントだ。誰も彼も楽しくて堪らないのだろう。まあ俺は友だちいなかったからその感覚はよく分かんないけどね!
三浦や一色が「がんばれー」と気軽に声をかけ、さーちゃんは常より心なしか優しい視線で小学生たちを眺めていた。そんな光景を見ていると、後ろからついてきていた小町にシャツの袖を引かれる。
「ちょい、ちょい、お兄ちゃん」
「何、どした?」
何やら内緒話がしたそうな雰囲気だったので、後方に下がってボランティア班の輪から外れる。俺がそう聞くなり、小町はこしょこしょと耳元で言った。
「さっきまで喋ってた人、戸塚彩加さんって言ってたよね? お兄ちゃんとどういう関係?」
なるほど、そう言えば小町とさいちゃんは初対面だった。小町にしてみれば交友関係が極端に狭かった俺の回りにこれだけ容色のいい面子が集まっているのだから、不思議に思うのは至極当然のことと言える。あとさいちゃんと仲よさげなところを見て嫉妬したのだろう。小町はいつまで経ってもブラコンだなぁ俺もシスコンだけど。
「クラスメートでさいちゃん、八幡と呼び合う仲だ。しかし⋯⋯」
「しかし?」
「本人は隠してないようだから言うが⋯⋯心だけは男なんだ」
「え⋯⋯? あんなに可愛いのに?」
「そうだ。あんなに可愛いのに⋯⋯」
俺が嘆息しながら言うと、小町はパチパチと驚きに目を瞬かせていた。
本当に何という運命の悪戯なのだろう。何度嘆いたか分からないが、現実は変わらない。
「だからまぁ、小町もそういう風に接してやってくれ」
「⋯⋯うん、分かった」
それっきり会話が途切れると、前を歩いていた由比ヶ浜がこちらを振り返った。別に俺たちが集まって行動する必要はあまりないと思うが、遅れて歩いていることを気にしているようだ。
少しだけ歩調を速めて集団に追いつくと、一色が「はぁ」と短く溜め息をついた。
「小学校でもあるんですね、ああいうの」
なんのことだ? と思って一色の視線の先を追うと、きゃあきゃあと楽しそうにはしゃぐ女子の集団がいた。その輪から外れたところで一人の小学生が、下を向いてとぼとぼと歩いている。
その女の子は小学六年にしては大人びた雰囲気で、目鼻立ちも整った綺麗な子だった。服装も垢抜けているし、周囲よりも目立つが故にその光景には違和感がある。
特に仲が良くもないのに組まされた班なのだろうか。そう思って見ていると、四人組の女子たちはその子を振り返って明らかな嘲笑を浮かべていた。
いわゆる『ハブられている』という状況なのだろう。一色は小学生でも、と言うが、小学生だからこそああいうことは起こるのだと思う。自我の発展と、社会性の獲得。その中で誰かが疎外され、そして孤独は生まれるのだ。
「きっと、どこでもあることなのよ。たくさんの人がいる限り」
そう言った雪ノ下の声は、諦めに染まっていた。その様子はどう見ても、流してしまっていい反応ではない。
「何、その言い方だと身に覚えがあるみたいな言い方だな。一色は分かるけど」
「先輩? それどういう意味です?」
「⋯⋯ええ、身に覚えがあるわ。一色さんと同じで」
「雪乃先輩? わたしまだカミングアウトしてないですよ?」
まだってことはやっぱりあるんじゃねぇかよ、と思っていると、隣で話を聞いていた由比ヶ浜は神妙な顔を浮かべていた。
「でも、ああいうのは嫌だな。⋯⋯せっかくの林間学校なんだし、いい思い出にして欲しいっていうか」
由比ヶ浜の一言は、とても彼女らしい発言だと思った。けれどそう上手くいかないのが人間関係というものだ。それに俺は、彼女ほど純粋にそう願うことはできなかった。
ポジティブに言えば、基本的に身の回りには何とかなることしか起きない。ネガティブに言えば、なるようにしかならないのだ。
「チェックポイント、見つかった?」
そんな俺の考えも、由比ヶ浜の声も届いていないはずなのに、まるで聞いていたみたいなタイミングで葉山はその女の子に話しかけた。
「⋯⋯いいえ」
「そっか、じゃあみんなで探そう。名前は?」
「鶴見、留美⋯⋯」
「留美ちゃんか。俺は葉山隼人。よろしくね。あっちの方、探してみない?」
葉山はごく自然に女の子の名前を聞き出しつつ、グループの輪に入れるように取り持ってみせる。
しかし、残る四人の反応はどうだろうか。留美がその輪に加わっただけで、ピリリと一瞬痺れるような緊張感が走ったように見えた。そこに明確な拒絶はなくとも、彼女たちの醸し出す雰囲気は排斥的なままだ。
「さっすが葉山先輩ですねー」
「けど根本的な解決からは、程遠いわね」
雪ノ下はそう言うと、どこか物憂げに留美たちを見ていた。まあ、それもそうだろうと思う。あのぐらいで解決するような仲なら、留美の表情があそこまで曇ることはないだろう。
「そうなんですよね。ああいうの、外から働きかけても無駄というか」
葉山のやり方を否定するような一色の言い方は、少し珍しい。どこか実感のこもった声には、茶化すことはできないぐらいの重みがあった。
「ありがとうございましたー」
葉山とチェックポイントを探していた女の子たちは無事目的を達成したのか、そんな賑やかな声が揃った。
その声に吸い寄せられるようにして、俺は視線を向ける。グループから一歩遅れて歩く留美が、肩を落として木陰に消えていくのが見えた。
* * *
小学生たちのオリエンテーリングが終わった後。
俺たちの次のミッションはカレー作りである。カレーはいい。よほどのシャバシャバ状態にならない限り大きな失敗にはならないし、なったとしても食べられないこともない。なんなら肉じゃがだって失敗したらカレーのルーをぶち込んでカレーにすればいいのだからカレーは料理界の救世主だ。
だから夕食のメニューがカレーなのはいいのだが──。
「あっちぃ⋯⋯」
たまたまソロキャンプ芸人の動画を見たことがあったので、火
炭に火をつけるコツは着火剤の上に炭を置いた後、下手に触らないことだ。それだけである程度は火がついてくれるが、料理ができるほどの火力を得ようとすると後はひたすら団扇で煽がなくてはならない。そして言わずもがな、それが一番しんどいのである。
「ほら、もう少しよ比企谷くん。炎上させるのは得意でしょう?」
「いいですねー。先輩、もっともーっと汗かいていっちゃいましょう」
俺の両隣に座り込んだ雪ノ下と一色は、実に涼しい顔をしてそんな応援ともとれない言葉を投げかけてくる。
ちなみに言っておくが炎上させたことなど一度もない。炎上とはそれなりに知名度や注目度の高い人物に起こり得る話だから、原理的に俺が炎上の的になることはないのである。炎上知らずの安心・安全な男、それが比企谷八幡。考えてて虚しくなってきた。
炭にメラメラと火がついたのを確認すると、俺は立ち上がってそれを眺める。ちなみに備長炭などの高品質な炭は赤くなるだけで火が上がることはないが、とても火力が強いらしい。ヒ○シが言ってたから間違いない。
「ふぅ⋯⋯」
「ちょっと待ちなさい」
額の汗を拭おうとしたところで、雪ノ下に止められる。なんじゃらほい、と雪ノ下の方を向くと同時に、伸びてくる手。
「軍手で拭ったら、顔が汚れるわよ」
そう言って額にあてられるタオルの感触が、さっきまでの言葉と裏腹で妙に優しい。急に甲斐甲斐しくなるの、反則じゃないですかね⋯⋯。
「やっぱり手強いですね、雪乃先輩⋯⋯」
呆気に取られている俺の横で、一色はちょっと悔しそうな顔を浮かべていた。一体何のことを言っているのかよく分からないが、君も手に持っている団扇で扇いでくれてたらこんなに汗をかいていなかったと思います。
「お疲れー、お兄ちゃん」
雪ノ下からタオルを受け取って汗を拭っていると、そう言いながら小町は麦茶のペットボトルを差し出してくれる。
「お、サンキュ」
クーラーボックスから取り出したばかりなのか、よく冷えたそれをゴキュゴキュと飲む。生き返る。目が死んでいるだけに⋯⋯ってやかましいわ。
「八幡、大活躍だったね」
脳内でセルフツッコミを入れていると、いつの間にか隣に立っていたさいちゃんがそんな言葉をかけてくれる。
そうか、さいちゃん俺の頑張りを見ててくれたんだな。きっとさいちゃん的にポイント高いこと間違いなし。頑張った甲斐があった。
「家でもこのぐらい頑張ってくれたら小町的にポイント高いのになぁ⋯⋯」
「あはは⋯⋯。でもみんな頑張ってるお陰で、順調みたいだね」
そう言ってさいちゃんが視線を巡らせたので、俺もつられて小学生たちの方を見る。そしてすぐに目に留まったのは、意外な光景だった。
「そうそう、じゃがいもの芽には毒があるから、深めにえぐってちょうどいいぐらいだよ」
「人参はこれぐらいでいい?」
「もうちょっと分厚く切っても大丈夫だよ。お肉と一緒にしっかり煮込むから」
料理指南は俺たち高校生の役目ではないというのに、さーちゃんは小学生のグループに囲まれ、なんやかやと世話を焼いている。そこまでは、
「へー⋯⋯。じゃがいもの毒って、タンニンだっけ?」
「タンニンは紅茶だし、毒じゃないから⋯⋯」
「あーしそれ聞いたことあるかも。ソラニンっしょ?」
「おー、優美子せいかーい」
「なんか昔、映画のタイトルになってたじゃん? あれよかったんだよね」
さーちゃんの手元を覗き込みながらわいわいやっているのは、由比ヶ浜に三浦、それに海老名さんだった。
由比ヶ浜はともかく、三浦や海老名さんは全然接点がないはずだ。こうして二年F組の女子が集まっているのを見ると、まるで俺たちまで生徒として林間学校に来ている気分になる。
「まあ、何事も順調そうで何よりだ」
俺はそう言って、そっとその場を離れた。コンロ二つ分の火熾しは中々の労働だったし、流石にもう休憩してもお咎めはないだろう。
雪ノ下も一色も休憩にしようと思ったのか、俺についてきたので一緒に炊事場を出た。煙と熱気に満ちたそこから少し上がったところまで来ると、ゴミ集積場の柵に背中をあずける。
「みんな楽しそうね。一部を除いてだけれど」
俺と一緒に炊事場の方を眺めていた雪ノ下がぽつりと言うと、その隣にしゃがみ込んだ一色がこくりと頷く。
一体何のことだ、と思って次の言葉を待っていると、炊事場からこちらに向かって歩いてくる一人の少女が見えた。
「鶴見留美さん」
留美は下を向いていて俺たちに気づいていなかったのか、近づくなり雪ノ下に声をかけられてビクっと背中を震わせた。警戒の色を浮かべた留美の瞳に、雪ノ下の姿が映る。
「私は雪ノ下雪乃。こっちは」
「⋯⋯一色いろは。と」
「比企谷八幡だ」
唐突に始まった自己紹介が終わると、留美は何故声をかけられたのか分からないって顔をしていた。まあぶっちゃけ俺にも分からないから、フォローのしようがないんだけど。
「林間学校は、楽しい?」
「⋯⋯全然」
分かりきった質問に、分かりきった答えが返ってくる。雪ノ下は何故そんな、酷とも思えることを聞くのだろうか。
「どうしてそう感じるのか、聞いてもいいかしら?」
「⋯⋯っ。そんなの⋯⋯っ!」
小さく叫ぶように言って、留美は唇を引き結んだ。流れ出した沈黙に雪ノ下は答えるまで待つつもりらしく、ただじっと留美を見ていた。
「⋯⋯無視、されてるから」
「事情を聞いてもいいかしら?」
雪ノ下が言うと、留美はじっと地面を睨んでいた。
そんな
「みんなでハブろうって決めた子に、声をかけちゃってから、そうなった。前からあったんだ。誰かが理由もなくハブられて、なんとなくそれが終わって、また始まる。私がハブられる方になるなんて、思ってなかったけど」
そこまで聞いて、留美の現状が多少は理解できた。
留美を無視している女子たちは、きっとそうすることで自らの立ち位置を確たるものにし、数の力というものを誇示しているのだろう。まるで悪質な社会モデル、あるいは縮図だ。
「そう⋯⋯。今も辛いのよね?」
「⋯⋯うん」
雪ノ下の声音には、どこか痛みに寄り添うような響きがあった。何かを引き出そうとしている言葉を、留美は地面に目を落としたまま受け止める。
「仲はよかったつもりだったから、私は大丈夫だって思ってたんだと思う。少しぐらい喋るぐらい、何にもならないって、思ってた」
留美の話が丸々真実の話だとしたら、ありがちで理不尽な悲劇というものだろう。優しさから起こした行動に、手痛いペナルティが待っているなんて、本当にありふれていて馬鹿げた話だ。
「もしまた周りが元通りになったら、今まで通りに仲良くできると思う?」
「⋯⋯分かんない」
留美は地面を見つめたまま、小さな声でそう答えた。
きっとそれが、正直な答えなのだと思う。どこまで許せるのかなんて、相手の出方次第だろう。
「別に仲良くしなくてもいいんじゃないですかね」
また流れ出した沈黙を破ったのは、さっきまで黙って二人の会話を聞いていた一色だった。その固い声音は雪ノ下に向けたのか、それとも留美に向けたのか。俺が視線を寄越すと、一色も地面を見つめながら続ける。
「誰とでも仲良く、なんて元々無理な話ですし。わたしは一緒にいるなら、嫌がらせをしてくる人よりわたしを理解してくれる人と居たいです」
一色がそう言葉にした時間は、たったの十秒にも満たなかった。なのにその短い時間で、彼女の本質的な部分が垣間見れた気がする。それぐらい一色の言葉には、実感も真摯さも込められていた。
「おおむね同意ね。留美さん。あなたはまだ小学生だから、この先たくさん時間があると思うかも知れないけれど、実際は違うのよ」
雪ノ下は言葉の続きを受け取るようにそう言うと、下を向いたままの留美を見る。何かを待っているような間に気づいた留美は、ゆっくりと雪ノ下を見上げた。
「当たり前の話だけど、人が生きていられる時間には限りがあるの。⋯⋯私はその時間を、大切な人と過ごす為に使いたい」
その言葉の重みは、まるで告白でもしているみたいだった。心の奥底から絞り出したような声が、びりびりと耳朶を痺れさせる。
「あなたは今、孤独を感じているかも知れない。けれど覚えておいて。本当に孤独を感じるのは、大切な人と離れた時よ」
そう言って目を伏せた雪ノ下に、俺は心臓でも掴まれたかのよう気分になる。
一体、誰のことを言っているのか。俺には関係ないことだというのに、妙に気を引かれてしまうのを実感する。
⋯⋯ああ、なんて酷い気分なのだろう。自分の薄汚い欲に、気付いてしまうというのは。
「なんかよく、分かんなかったけど⋯⋯」
留美はそう呟くと、雪ノ下の方を見上げた。雪ノ下はさっきまでの物憂げな表情はどこへやったのか、いつも通り凛とした顔になって留美の視線を受け取る。
「ありがとう。少し楽になった気がする」
先程までに比べ少しだけ明るい表情になると、留美はそう言って炊事場の方へと下りて行った。
俺たちの間に、深い沈黙だけを残して。
千葉村編、一話目でした。
お泊りイベってなんでこんなにテンション上がるんでしょうねぇ。
引き続きお楽しみください!