やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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八幡は全力を出すことにした。

 夕方になり、俺たち林間学校サポートメンバーはビジターハウスの一室に集まっていた。

 これから行われる予定である、肝試しの準備の為だ。円を描くように集まった面々を見ると、平塚先生は一つ頷いてから言う。

 

「さて、今から肝試しの準備にかかるわけだが⋯⋯。その前に話し合いの結果を聞いておこう」

 

 話し合い、という言葉が指す事柄は一つしかない。昨晩話の進行役をやっていた葉山が、平塚先生の求めに応じる。

 

「昨日は、それぞれ持ち帰って考えようって話になりました。ただ、まだみんなで話はできていません」

「そうか。では今するといい。時間はあるからな」

 

 平塚先生はそう言うと、部屋の縁に移動して壁に背をあずけた。誰ともなく座りだすと、俺たちは車座になって顔を見合わせる。

 

「今日の自由時間に、たまたま留美ちゃん以外のあのグループの子たちと会ったんだ。それで少し話をした」

 

 その言葉を聞き届けると、雪ノ下はすっと目を細めて葉山を見た。その視線に気付いたのか、葉山は小さくかぶりを振る。

 

「留美ちゃんのことをそのまま聞いたわけじゃなくて、今何が流行ってるとか、そんな話から色々ね」

「まー、けっこう厄介な感じ? 自分たちのやってること、分かってないっていうか」

「分かってやってるのかも、ってわたしは思っちゃったけど」

「え、あれで何か分かったん? っべー、伏線気づかなかったわー」

 

 葉山の言葉の後に、三浦と海老名さんがふわっとした補足をする。あと戸部の情報はいらねぇ。

 しかし偶然とは言え、葉山たちも動いていたのか。話を聞くに、一筋縄ではいかなさそうだ。

 

「その様子を見ての結論だけど、この林間学校だけで解決するのは難しいと思う。⋯⋯根本的に解決するには、時間がかかる」

 

 その口振りから、葉山は和合への道を行くことが最適解だと信じていることが分かった。やはり俺と葉山は水と油だ。性質があまりにも違いすぎる。

 

「⋯⋯時間がかかるって部分には、同意だな」

 

 俺が呟くと、皆の視線が集まってくる。

 あの子たちを変えることは、土台無理な話なのだ。変わる意志のないものに、変化は訪れない。だが問題は変えることができる。

 問題を問題として捉えるか、目の前から消え去ってしまったり見えなくなったりするのは、自分次第だ。色の濃いサングラスをかけるのも、コンタクトレンズをつけるのも、全部自分でしかできない。それに気づくまで、時間はかかるのかも知れないが。

 

「俺たちは、これも偶然だけど留美と話をした。その上で俺は、これ以上は何もしないことにした」

 

 由比ヶ浜は心配そうに俺を見て、小町は腕組みをすると視線を床に落とした。続きを促すような雪ノ下の視線に、俺は返事をするように顎を引く。

 

「⋯⋯多分、あの子の中で何かが変わっていってる。だからこれ以上は、介入すべきじゃない」

 

 俺が言い切ると、しんと部屋は静まり返る。ずるくて、そして呪いのような言葉だ。聞けば後々の発言に気を回さなくてはならなくなる、鎖のような意見だった。

 それを聞いた上で、各々は何を思うのだろうか。雪ノ下と一色、それにさーちゃんは考えを留美に届けた。では由比ヶ浜は、小町は、さいちゃんは。俺の答えを聞いた上で、外側から働きかけたりしようとするだろうか。

 

「つまり俺たちには、やるべきことしか出来ないってことだな」

「隼人くん、それどーいうこと?」

 

 沈黙を破った葉山に、戸部が疑問を投げかける。集まった面子の半分ぐらいは、戸部と同じく顔に疑問符を浮かべていた。

 

「本業に戻ろうってことだよ。俺たちがここにいるのは、林間学校のサポートの為だろ? 思い出に残るように、精一杯やろう。そうしている内に、物事が好転する可能性だってある」

「そういうことだ。やるからには全力で脅かしにかかるのが、俺たちにできることだな」

 

 まだ和解に向けて諦めていない葉山と俺の意見は別の方向性を向いてはいるが、やることに違いはない。俺が葉山の意見に同調すると、張り詰めていた空気が弛緩し始める。

 

「おお⋯⋯。お兄ちゃんが珍しくポジティブなこと言ってる⋯⋯」

「まあ、脅かすのに全力って、ちょっと微妙だけど⋯⋯」

 

 小町のよく分からない感動に、由比ヶ浜は言葉どおり微妙そうな表情を浮かべていた。

 何はともあれ、これでやることは明確になった。平塚先生も異論はないのか、意見の代わりに号令をかける。

 

「ではそろそろ準備に取り掛かろう。小学生たちの記憶に残る肝試しを期待しているよ」

 

 言われた俺たちは立ち上がると、めいめい喋りながら肝試しの準備を開始する。

 

 林間学校が終わるまで、あともう少し。

 このイベントの大一番は、もうすぐそこまで来ていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 あれから外に出ると、手分けをしてコース整備を行った。

 テープをつけたりコーンを置いたりといった地道な作業が終わると、俺たちは再びビジターセンターに集まる。

 肝試しにおいて俺たちに与えられたミッションは、残すところお化け役になって小学生たちを驚かすことのみ。衣装は用意してくれているということだったので、それを検めているのだが。

 

「なんじゃこりゃあ⋯⋯」

 

 小道具類の入った箱を見るなり、そんな声が(まろ)び出ていた。小学校の教師が用意したものらしいが、これが頭を抱える内容である。

 

「猫耳、ナース服、小悪魔衣装⋯⋯。魔女服に白い浴衣、⋯⋯これ、ハロウィンの衣装ですよね」

 

 俺の隣から箱を覗き込んだ一色は、努めて冷静にそう言った。そうなのだ。多分イベントの使いまわし⋯⋯いや、サイズ的に高校生ぐらいしか着られないから、ひょっとしてこれを準備した教師は女子高生のコスプレ姿が見たかっただけじゃないのか?

 

「あ、巫女服もある。小町はこれがいいかなぁ」

 

 小町はそう言って巫女服を取ると、身体にあてがって見せる。スーパー可愛い。妹キャラの巫女服似合う率は異常だ。

 

「小町、写真撮らせてくれ」

「いや、着てからでいいでしょ⋯⋯」

「んじゃ、あーし魔女服」

 

 それぞれ自分に似合いそうなものというのがあるのだろう、存外にやる気なあーしさんも箱の中から魔女服を取り出して検分している。それに続いて海老名さんは底の方にあったドクターっぽい白衣を取った。本当にこの衣装、どんなチョイスなんだよ⋯⋯。

 さて、残る衣装をどう割り振るかだが。

 

「一色はこの小悪魔衣装だな」

「どういう意味ですかそれ⋯⋯」

 

 口ではそう言いながらも、一色は自らその衣装を手に取った。どういう意味も何も、イメージ通りである。

 

「あたしは⋯⋯これかな?」

 

 由比ヶ浜はナース服を取り出すと、その身にあてがう。肝試しの驚かし役なんだから血糊でも散らした方がいい気がするが、もちろんそんなものはない。それにしてもナース服って身体のラインがよく出るよな。こんなの目の前で着られたら鼻血で血糊の代用ができてしまう。

 そんな風にわちゃわちゃやっていると、さーちゃんと二人で遠巻きに見ていた雪ノ下が近づいてくる。そしておもむろに猫耳を取ると、すちゃっと頭に装着した。俺を見るとくすりと笑った後に、その手を握って猫の手を作る。

 

「にゃー」

「」

「⋯⋯にゃー」

「」

「お、お兄ちゃんが死んでる⋯⋯」

 

 ポク、ポク、ポク、チーン⋯⋯。

 比企谷八幡、享年十六歳。死因は急性キュンムネ症候群であった。

 最期に浮かべたその表情は、尊死と称すべき安らかなものであったという──。

 

 

 ──やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。完。

 

 

 

 

 

 って死んでねぇわそれに俺にモテ期なんかきてねぇ。死ねと言われても生きちゃうもんねざまぁみろ。

 

「ヤバイですね雪乃先輩⋯⋯。攻撃力高すぎません?」

「うん⋯⋯。ゆきのんの本気が一番怖いね⋯⋯」

 

 俺たちの真横で、ひそひそとそんな内緒話が交わされる。けど聞こえてる時点で、内緒話になってないんだよなぁ⋯⋯。

 

「冗談はさておき、着替えましょうか」

 

 雪ノ下がそう声をかけると、各々が自分の衣装を手に部屋を出ていく。三浦たちの姿もなかったから、先に着替えに行ったようだ。

 そして部屋に残されたのは、男子チームだけ。それと当然のように残っている、さいちゃん。

 

「あっれー。俺らの分、なくね?」

「ああ、ないな」

 

 戸部が首を傾げると、葉山は頷きながらそう答える。

 どうやら数は適当だったらしく、衣装は一つも残っていなかった。つまり、さいちゃんのコスプレ姿を見る機会が失われたのだ。ざっけんなよおいさいちゃんの魔女っ子衣装とか巫女服とか見たかったのに!

 

「あはは⋯⋯。じゃあ裏方頑張ろうよ。火の玉飛ばしたり、木を揺らしたりとか」

「そうだな⋯⋯」

 

 さいちゃんは健気にもそう提案してくれるが、俺は失意の底にあった。さいちゃんのコスプレが見られないだけではなく、全力を出すと言ったクセに地味な裏方とか駄目すぎる。

 そうして俺たちは女子が着替えている間、どうやって怖がらせるかとか、誰が一番犬の遠吠えの真似がうまいかとかを検討して時間を潰していた。ちなみにさいちゃんの遠吠えが一番可愛かったので今日から犬派になろうと思います。あおーん。

 

「お待たせー」

 

 そう言って一番に戻って来たのは、ナース服を着た由比ヶ浜だった。⋯⋯なんかこいつ、けっこう似合ってるな。新人看護師さんでこんな感じの居そう。それで注射が上手く出来ずに何度も刺され悶絶し、「あああっ、ごめんなさい!」と言うセリフと同時に腕に伝わってくる柔らかな感触。やべぇなこれ妄想が捗り過ぎる。

 

「⋯⋯よからぬことを考えている顔ね」

 

 そう言って冷ややかな声を投げつけて来たのは、由比ヶ浜の後ろから顔を出した雪ノ下だった。猫耳は誰かに譲ったらしく、白い浴衣を着ている。その白い肌と冷たい雰囲気から、本物の雪女に遭遇してしまったかのように背筋が冷えた。

 

「お兄ちゃーん、どうこれ。けっこう似合ってるでしょ? 写真撮ってもいいよ。ほら、沙希さんも」

「ちょ⋯⋯、あたしはいいから⋯⋯」

 

 続いて姿を現したのは、巫女服に身を包んだ小町と、猫耳としっぽ、それにどこにあったのかファー付きのワンピースを着たさーちゃんだった。

 小町はスペシャルキュートなのは想像通りとして⋯⋯は? さーちゃんその格好、ちょっと似合い過ぎじゃない?

 

「お、おう⋯⋯」

 

 俺は促されるまま、携帯電話でカシャっとポーズをとった小町を撮る。そしてその流れで、カメラのレンズをさーちゃんに向けた。

 

「さーちゃん、猫の手して『にゃー』って言ってみ?」

「はーちゃん⋯⋯。──殺すよ?」

 

 俺にしては珍しく冗談を言ったというのに、さーちゃんの目はガチだった。めっちゃ恥ずかしがりながら怒るとか可愛すぎる。

 

「⋯⋯比企谷くん?」

 

 ひゅおぉぉ、と吹雪が目の前に見えた気がした。雪ノ下の顔は笑っているのに、縄張りを荒らされた猛獣の雰囲気を身にまとわせている。なんだこいつ急にラスボス級のオーラ出し始めたぞ。

 

「隼人ー。見てこれ。似合ってるっしょ?」

「いやー、やっぱり今をときめくJKのコスプレっていいよねぇ」

 

 そんな絶対零度の空気を跳ね飛ばすように戻ってきたのは、魔女衣装を着た三浦と白衣を羽織った海老名さんだった。

 三浦が魔女衣装を着ていると、主人公に無理難題をふっかけてくる敵役魔女にしか見えないし、海老名さんに至っては大学の研究室にいそうでコスプレかどうかもあやしい。段々カオスになってきた。

 皆が皆それぞれ衣装の感想を語り合い始めると、一人足りないことに気づく。まだ一色が、戻ってきていないのだ。

 

「そう言えば、一色はどうした?」

「あー、まだかかるから先に行っててくださいって」

 

 由比ヶ浜に聞くと、そんな答えが返ってくる。そんなに時間がかかるものなんだろうかと思っていると、音もなく部屋の扉が開いた。

 

「お疲れ様でーす⋯⋯」

 

 腕を胸の前で交差し、おっかなびっくりと言った調子で入ってくる姿には違和感がある。けっこうノリノリで着てくるのかと思っていたのに。

 

「おう。遅かったな」

「ええ、まあ⋯⋯」

 

 そう声をかけると、一色は俺の前で立ち止まる。悪魔の角に、尖ったしっぽ。そして水着ほどではないにしろ、お腹が出ているし他の衣装に比べて明らかに布面積が小さい。だから恥ずかしがっていたのか、と思っていると、一色はおもむろに腕を解いた。

 

「どうですかね、これ」

 

 そして思わず、視線が引き寄せられる。空いているのだ、穴が。トップスの衣装はまるで谷間の覗かせるためだけのように、胸元が開いているのである。一昔前に流行った童貞を殺すセーターに近いものがあって、やたらと艶めかしい。誰だよこれ買ってきたのいい仕事してんじゃねぇよ。

 

「⋯⋯いいんじゃねぇの」

「どこ見ながら言ってるんですかね」

 

 むっ、と怒った風を装いながらも、しかしもう胸元を隠そうとはしない。いや、少なくとも今は見てない。確かに一瞬視線は吸い寄せられたし、川遊びの時もしっかり目に焼き付けていた。本日は供給過多である。眼福。ってそうじゃねぇよ。

 そんな言い訳を頭の中で巡らせていると、不意に一色は顔を寄せてきた。ピンク色の唇が俺の耳に近づくと、そっと耳打ちしてくる。

 

「先輩に着ろって言われたから着たんですよ、この服」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 小悪魔衣装に身を包んだ一色の小悪魔的な発言に、俺の脳は思考を止めた。

 確かに言いましたねぇ⋯⋯。でもその時は気づかなかったんですよ。まさかこんなセクシーな服だったなんて。

 

「いやぁ、いろはさんつよつよですね。対する兄はああいうのによわよわなのです。いいんですか結衣さん。放っておいても」

「え? あー、うん、でも流石に色仕掛けみたいなのは、ちょっと⋯⋯」

「⋯⋯流石に由比ヶ浜さんがそれをしたら、反則になるわよね」

 

 またも何やら不穏当な会話が始まっているが、本当聞こえないところでやってくれませんかね。

 

「それで先輩。どうしてまだ準備してないんです?」

 

 一色は一歩離れると、俺を上から下まで見てから言った。その問いには「はて」と首を傾げるしかない。

 

「いや準備って、もう衣装ないだろ? だから驚かし役じゃなくて裏方を──」

「駄目ですね」

「ええ、少し手を入れたら立派なゾンビになれるわね」

「確かに⋯⋯。メイク道具ならあるよ」

 

 一色がぴしゃりと言うと、雪ノ下と由比ヶ浜がそう続ける。いや立派なゾンビって何だよ。本当に死んじゃうの、俺。

 

「お兄ちゃん、そのシャツ去年も着てたよね?」

「へ? ああ、そうだな」

 

 小町は何を思ったのか、ふむふむ頷きながら俺のシャツを見ていた。

 

「そのシャツ、愛着はある?」

「別に、普通だけど⋯⋯」

 

 答えた瞬間、小町の目がキランと光った気がした。どうしてだろうか、嫌な予感がする。

 

「それではー⋯⋯。お役ご免!」

「え⋯⋯っ、ちょ、は? おい⋯⋯!」

 

 小町はいきなりシャツを掴んできたかと思うと、上下に力を込めてビリリとそれを破いた。マジかよこいつ。っていうかそんな簡単にシャツって破れるもんなの?

 

「はい、抵抗しないよお兄ちゃん。お姉ちゃんズの皆さんも、よろしくお願いします」

「うん! ゆきのん、そっち持って」

「ここでいい?」

「なるほどー。衣装がないなら作ればいいんですねー」

 

 そうこう言っている間に、またビリリとシャツが破かれる。逃げ出そうとしたところでがっちり一色に腕を捕まれ、それも叶わない。あとお姉ちゃんズってなんだ。

 

「やめてえぇっ! お婿に行けなくなっちゃうぅぅ!」

「私がもらってあげるから安心しなさい」

「あ、じゃああたしも⋯⋯」

「わたしはどうしましょうかねー。三等分にします?」

「はい、そんな感じで兄を八つ裂きにしちゃってください!」

「どさくさに紛れて無茶苦茶なこと言うなぁぁ!」

 

 あと八つ裂きしちゃったら三等分じゃないヨ! 三等分の花婿にしたいならちゃんと三つに⋯⋯ってそういう問題じゃねぇ何だこの状態。

 シャツをビリビリにやぶられている俺を、さーちゃんとさいちゃんはドン引きしながら見ていた。それにしてもさーちゃんとさいちゃんって並べると紛らわしいな。この二人も入ったら俺五等分の花婿になれるんじゃね? はい自重します。

 

「酷い⋯⋯」

 

 そして後に残っていたのは、スラム街の孤児がそのまま大きくなったかのような男だった。服はビリビリ、髪はボサボサ。全ての希望を失い、その目には微かな光さえ灯っていない。

 

「あとはメイクとセットですね」

 

 小町プロデューサーはむふんと腕組みをしながら言うと、一色はちらとさーちゃんの方を見た。

 

「沙希先輩、髪の毛セットできます?」

「⋯⋯まあ、少しなら」

「じゃあそっちはお願いするとして、わたしと結衣先輩でメイクですね」

 

 一色のやつ、いつの間にさーちゃんを下の名前で呼んでいるんだと思っていると、俺を取り囲む影が三つ。

 もはや俺には希望も逃げ道も、何も残されていないのであった──。

 

 

 

 

「うわ、え⋯⋯。ちょ、ヒキタニくんガチ過ぎじゃね?」

 

 ビジターセンターを出て集合場所に向かうと、俺を見るなり戸部はドン引きしていた。

 一色と由比ヶ浜のメイク、それからさーちゃんのセットの出来を第三者から見てもらう為に、葉山たちグループへと差し出されたのである。

 

「え、ヒキオやば⋯⋯。ガチゾンビじゃん」

「ゾンビになってしまった恋人と主人公の、決して結ばれてはならない禁断の恋。捗る助かるぅ!」

 

 またも腐化した海老名さんに三浦がチョップを入れるのを横目に見ながら、葉山は苦笑を浮かべていた。

 

「凄いな⋯⋯。まるで特殊メイクだ」

「そりゃどうも⋯⋯」

 

 元がいいもんでな、と皮肉の一つでも言ってやりたかったが、元がいいんじゃなくて悪いからこうなるんだよなぁ⋯⋯。

 正直、鏡を見た時は自分でも引いた。そこに居たのは本物と見紛うほどのゾンビだったのだ。顔を白くしたり目の回りにシャドーを入れただけでよくここまでのクオリティになったと思う。

 

「それでは配置につきましょうか、ゾンビ(がや)くん」

「⋯⋯おうよ、雪女さん」

 

 さっきから傍観者に徹していた雪ノ下に、そんな締まりのない揶揄を返す。バタバタしていて余りちゃんと見れていなかったが、雪ノ下の格好も暗闇の中で見ると随分雰囲気があった。普段から冷気で人殺しそうになってるからな、こいつ。

 

「いやー、驚かせる側なのに、何かドキドキしてきますねぇ」

「あたし、なんて言って驚かせたらいいんだろ⋯⋯。お注射しちゃうぞ?」

 

 一色と由比ヶ浜は、そんな会話を交わしながら俺たちの前を歩いている。衣装にキャラ設定合わせてたら、さーちゃんは「にゃー」しか言えなくなる気がするんだけど。それか猫語で「うらめしにゃん」とか。何それ見たい。

 先ほど整備したコースを歩いていくと、裏方の男子チームも含め三々五々に散っていく。俺の持ち場は、この肝試しの要である祠の前だ。小学生たちのグループは広場からスタートして、祠にある御札を持って帰ってくるのが肝試しのミッションである。

 木々の間に隠れると、間もなくして拡声器越しの声が聞こえてきた。スタートの合図が出されると、俺は呼吸を浅くし周囲に耳を澄ませる。

 高原の夜は、昨日と同じくひやりと涼しい。これからは林間学校という小学校生活一度切りの行事で、一番盛り上がるであろう時間だ。その一大イベントに、思い出という花を添えてやろう。それが今できる、俺の全てだった。

 じっと動かず、ターゲットとなる小学生たちが来るのをひたすら待つ。そうして十分もしないうちに、最初のグループがガヤガヤと喋りながら歩いてくる。

 

「さっきの雪女マジびびったー。やばいよ、あれ」

「ねー。雰囲気ありすぎて本物かと思った」

 

 どうやら俺よりも前の持ち場を受け持っている雪ノ下は、中々にいい仕事をしているらしい。ならば俺は更に大きな恐怖として、君たちに襲いかかろうではないか。

 

「ぶるぁっ!」

 

 木陰からばっと飛び出ると、小学生たちはビクッと震えて立ち止まった。そして泣き叫びながら逃げていくかと思いきや、安心したような表情で話し出す。

 

「あー、ゾンビ?」

「それ言うならグールじゃん」

「いやそれ何が違うの」

「メイク凄いっすねー」

 

 小学生たちはそんな会話を交わしながら、立ち尽くす俺を横目にスタスタと歩いていく。

 えぇ⋯⋯何これ。思ってたのと違う。もっと派手に驚いてくれると思ったんだけど⋯⋯。暗いから迫力が伝わり切っていないのか? でもメイクには気付いてたみたいだし。

 俺が一人で反省会をしていると、またも喋り声が近付いてくる。次にやってきたのは、男子のグループだ。

 

「ぶぅぅるあぁぁ!」

「うわっ、⋯⋯あー、ビビッたぁ」

「ゾンビだゾンビ。早く行こうぜ」

「はいはいゾンビさん、おっつー」

「ぶるわぁぁ⋯⋯」

 

 一番俺の近くを歩いていた小学生を驚かすことは出来たみたいだが、他の子たちは全然平気ってな調子でまたすたすたと歩いて行ってしまった。

 それは次のグループも、またその次のグループもほとんど同じで、大して反応は変わらない。空き時間がくるたびに、俺は何がいけなかったのか反省会を繰り返していた。

 本物感は出ているはずだ。出て行くパターンも、声音も色々試した。ひょっとして俺には、演技力そのものがないのだろうか?

 

 著名な実力派俳優は、生活スタイルまで演じる役に合わせて変えていくのだという。そこまでして演じる人物になりきって、世紀の怪演でオーディエンスを魅了するのだ。

 だとしたら俺に足りないのはそこだろう。メイクをしなくてもゾンビと言われたことはあれど、その気持ちになって考えたことはなかった。今演じているゾンビにだって、そこまで深い設定はない。

 だから俺は、正しく全力を出す為に、物語のより深くへと潜っていく。

 

 時はニ○XX年。

 俺、比企谷八幡は原因不明の病に倒れ、そして息を引き取った。医者は死因を特定できず、解剖を待つ安置室で俺は突如として目覚める。

 体温のない身体、痛覚のない皮膚、鏡に映った己の顔は死人そのもの。ゾンビ化ウイルスの第一被害者になった俺は病院を抜け出し、夜の街で出会った人々のことごとくを恐怖に陥れていく。苦労して会いに行った妹にさえ「成仏して」と拒絶され、一人絶望に飲まれ立ち尽くした。

 人々の反応に辟易した俺は、人里離れた山奥に移り住むことにした。ここにいれば誰に会うことも、恐れられることもない。しかし同時に、内なる渇望に気付いてしまう。誰彼かまわず、咬みつきたい。その血の味を知りたい。罹患者を増やしたいというウイルスの生存本能は、俺を何度目とも知れぬ絶望と恐怖の底へ突き落とす。

 

 そんな最中のことだった。

 誰もいないはずの山中に、少女たちの声が響いたのは。

 

「なんか中途半端だよねー。肝試しって言っても、ただのコスプレだから全然怖くないし」

「だよねー」

 

 肝試しの最中らしい小学生たちは俺に気づくことなく、無防備にも近付いてくる。

 

 ──ああ、駄目だ。今、人を見てしまっては。

 

 その美味しそうな肉を差し出されて、今の俺に我慢なんてできるはずがない。

 

「ぐぅぅぅぅぅ⋯⋯ぉぁぁぁあ⋯⋯」

 

 お願いだ、立ち去ってくれ。そんな思いを込めて、俺は低く唸りを上げる。

 

 ──俺を見つけるな。もう誰にも、虐げられたくはないから。

 ──俺に見つかるな。お前の持つ温かさが、堪らなく欲しいから。

 

 欠片ほどまで小さくなった人間としての最後の知性で、俺は彼女たちを警告し続ける。

 

「ね、ねえ。今誰か何か言った?」

「え⋯⋯? いや、気のせいでしょ」

 

 そんな俺の必死の抵抗も虚しく、彼女たちは俺に近付いてくる。

 もう駄目だ。美味しそうな若々しい肉。抗えぬ欲望。俺は俺でなくなるその前に、ただ逃げて欲しい一心で最後の叫びを上げた。

 

「ぅぅぅうううぁぁぁぁあ"あ"あ"あ"あ"ぁぁぁぁぁぁああああ!!」

「ひっ、や、いやぁぁぁぁぁ!!」

「うそ、本物っ、う、わぁぁぁぁ!!」

「ちょっと由香じゃまっ! どいてよっ!」

「仁美っ! 待って、待ってよぉ⋯⋯置いてかないでよぉっ!!」

 

 少女たちはもつれ合い、我先にと逃げ惑う。さながらそれは、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

 その集団から一人取り残されるかたちで立っているのは、鶴見留美だ。

 唖然とした立ち姿を見て、俺は段々と現実に引き戻される。

 ⋯⋯やっべー、ちょっとやりすぎた。

 

「ぷっ、ふふ⋯⋯」

 

 しかし置いてけぼりにされたというのに、鶴見留美は。

 

「あはっ、あははははっ⋯⋯っ!」

 

 俺を見ながら、あるいはさっきまで目の前にいたはずの者たちを思いながら、留美は笑っていた。

 留美の笑顔は、初めて見る。大人びていると思っていた留美が、もう堪えきれないといった様子で、ただ子どもらしく笑っていた。

 

 ひとしきり声を上げて笑うと、留美は(まなじり)に浮かんだ涙を指で拭う。

 そしてどこか晴れやかな笑顔を浮かべたまま、俺に向けて言った。

 

 

「ありがと。八幡」

 

 

   *   *   *

 

 

 パチパチと、キャンプファイヤーが()ぜていた。

 星空を突くように高く上がった炎を囲んで、小学生たちは歌を歌っている。いつまでも友だちでいようとか、そんな歌詞の歌だ。

 正直、今それを歌われると冗談がきつい。

 

「比企谷くん。あなた何をしたの?」

 

 いつの間にか隣にやってきていた雪ノ下は、輪の外で佇む留美たちのグループを見て言った。

 さっきから俺も留美たちを見ているが、一言も喋っている様子はない。恐怖から逃げ出したい一心で我先にと逃げ惑った彼女たちの間には、猜疑と不満が漂っているように思える。

 

「何したって⋯⋯。全力で脅かしにかかったら、押しのけ合いながら逃げてったんだよ。あの子ら」

「はぁ⋯⋯。結局壊しているじゃない」

 

 結局ってどういうことだよと思いながら、俺は雪ノ下の真似をするように溜め息をついた。

 小学生たちの思い出づくりに全力で協力しようとしたのに、友情をぶち壊すとか俺らし過ぎて本当に笑えない。

 

 しかし、そんな中にも救いがあるとしたら。

 

「──」

 

 留美は相変わらず少女たちの輪から外れたところに居ながらも、決然とした目でキャンプファイヤーを見つめている。瞳に映る炎は、まるで彼女の中に芽生えた覚悟のように見えた。

 これはひょっとしたらだが。

 彼女は今、ターニングポイントを迎えたということではないだろうか。いい意味でも悪い意味でも人に見切りをつけ、自分の足で立ち上がった。もしそうであるならば、俺も全力を出した意味があるというものだろう。

 

 それっきり俺と雪ノ下の間には、長い沈黙が流れていた。立ち尽くしたまま一歩も動かず、ただキャンプファイヤーを、そして彼女たちを眺めている。

 そうしていると、ふと心の内に湧いてくるものがあった。そこを突けば鬼が出るか蛇が出るか。分かったものではないが、しかしこんな機会じゃないと聞くこともできないだろう。

 

「なあ」

 

 前を向いたままそう言うと、横顔に雪ノ下の視線を感じる。俺は遅れて雪ノ下と目を合わすと、その瞳に映り込んだ炎を見ながら続けた。

 

「昔、葉山と何かあったのか」

 

 その質問を受け取ると、雪ノ下はふっと微かに笑みを浮かべた。

 雪ノ下雪乃と葉山隼人の接触した機会を思い出すと、疑問ばかりが掘り起こされる。

 奉仕部を訪れた葉山はうっかり雪ノ下のことを「雪乃ちゃん」と呼び、雪ノ下は過去に何かあったと思わせる発言をしていた。それに昨日留美に話していた、本当に孤独になるのは大切な人と離れた時だという言葉。

 

「何か、とは?」

「なんだ、その⋯⋯。付き合ってたとか」

 

 言ってしまった後に、もうちょっと言い方があったのではないかと自分でも嫌になる。しかし投げてしまったボールは、もう雪ノ下が受け取ってしまったのだ。

 雪ノ下はポカンと急に間の抜けた顔になって俺を見ていたかと思うと、何かを隠すように顔を俯かせた。俺の心のうちは、重油がぶちまけられたみたいに黒く重くなっていく。

 

「⋯⋯くっ、ふふ⋯⋯っ」

 

 しかし雪ノ下雪乃は。

 どういうわけだか、肩を揺らして笑っていた。

 

「⋯⋯なんだよ。何がおかしいんだよ」

「いえ、⋯⋯んんっ。ごめんなさい。なんでもないの。その発想が、かなり意外だっただけよ」

 

 意外って、と俺は心中突っ込みながら、雪ノ下の言葉を待った。過去に付き合っていないのだとしたら、何があったというのだろう。

 

「私と葉山くんは家同士の付き合いがあって、小学校も一緒だったの。その時に、あの子と似たような状況になって、葉山くんが何とかしようと動いて⋯⋯。それが上手くいかなかっただけの話よ」

 

 雪ノ下の話を聞き終えた途端に、俺は強張っていた身体から力が抜けていくのを感じていた。なんだ、って、どうしてそんな風に俺は安心してしまっているんだろう。別に雪ノ下と葉山のことなんて、俺に何も関係のない話なのに。

 

「⋯⋯色々あんだな、お前らも」

「ええ」

 

 よほど俺の質問が面白かったのか、雪ノ下の顔からは未だに笑みが引いていない。その微笑の意味も、ほっとしている俺の心中も、分からないことだらけだ。

 

「私が過去に付き合っていた人はいないわ」

 

 雪ノ下はそう言うと、きゅっとズタズタになった俺のシャツの袖を引っ張った。

 そしてびっくりするぐらい綺麗な笑みを浮かべたまま、俺に向けて言うのだ。

 

 

「未来に付き合う予定の人はいるけれど」

 

 

 ドン、と胸の扉が叩かれ、とくんと心臓が返事をする。

 俺は「そうかよ」とだけ呟いて、夜空を焦がす炎を見つめるのだった。

 

 






 以上、千葉村編でした。
 しかしまだまだ続く夏休みのお話。
 引き続きお楽しみください!
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