やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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だから、一色いろははクセになる。

 リビングから自室に戻ると、むわりとした熱気に包まれた。

 冷房の効いていない部屋は、昼間の陽気を溜め込んだまま。堪らずエアコンのスイッチを入れると、熱気を逃す為に窓を開け放つ。

 

 八月三○日、午後九時。

 盆を過ぎたあたりから少しずつ涼しくなっていく夜風。リンリンと鳴く虫の声を聞きながら、夏が終わっていくのを感じる。

 同じことを考えている人間は、果たしてどれだけいるだろう。

 季節の変わり目で感傷的にでもなっているのか、ふとそんなことを考えた。ある者は残り一日となった夏休みに想いを馳せ、ある者はそんなことを考える暇もなく宿題に追われているのかも知れない。()く言う俺は当然ながら前者で、宿題はとっくに終わらせて――。

 

「⋯⋯なんだ?」

 

 突然ポケットの中で震えだした携帯の画面を見て、俺は思わずそう呟いた。

 着信元の名前は『一色いろは』。メッセージではなくいきなり電話なんて初めてのことだ。

 

「⋯⋯もしもし?」

「やばいです先輩。本当にやばいです」

 

 若干硬くなった声音でそう言うと、そんな切羽詰まった声が返ってきた。何だよヤバいヤバいって。ペコリーヌかよ。

 

「もう切っていいか?」

「今の一言からよくその返しができますね。さすが先輩です」

 

 一色の呆れた声を受けて、俺は思わず溜め息をついた。すぐにその切り返しができる一色の方こそさすがである。

 

「で、なんだよ。わざわざ電話なんて」

「ええ。このタイミングなのでもう分かってるかと思うんですけど、宿題が終わってません」

「そうか。不眠不休で頑張れ」

「先輩つめたーい」

 

 まるで俺の答えなんて分かってましたとでも言うように、一色はフラットな声でそう言った。

 それにしても一色のヤツ、何だかんだ真面目な人間だと思ってたけど、勉強の方はそうでもなかったのか。一周回って意外だったが、冷たいと言われようが宿題は自力でやってこそ意味を成すものである。

 

「頑張ってどうにかなる問題ではないというか、先輩がいないと終わらないというか」

「はぁ⋯⋯?」

 

 なんとも要領を得ない言い回しに、思わずそんな声が出ていた。一体何が言いたいんでしょう、この子。

 

「なので明日、午前十時に千葉駅集合でお願いします」

「いや行かな──」

「ではおやすみなさい」

 

 俺がお断りを入れる前にそう言うと、一色は一方的に電話を切った。

 えぇ⋯⋯何これ。あの子俺の扱い慣れすぎじゃ? いやでもそんな手の平で転がされているな感覚がクセになる⋯⋯ってしみじみ考えてる場合じゃねぇ。俺の残り一日となった貴重な休日が潰れてしまう。

 

「何なんだあいつ⋯⋯」

 

 ポコン、とメッセージ受信の通知がきて画面を見ると、集合場所のマップのスクショが送られて来ていた。続いて届く、「絶対に来てくださいね」という顔文字も絵文字もないメッセージ。

 それにしても、まあ。

 部活の後輩の勉強を見てやるなんて、俺ちゃんと先輩してるじゃん。

 

 そう考えると、一日ぐらいまあいいかなんて思う自分もいて、その変化に自分でも戸惑うのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 翌日、時刻は九時五○分。

 集合場所である千葉駅の一画を訪れると、そこでは既に一色が待っていた。

 

「あ、せんぱーい」

 

 小さな手鏡で前髪をくしくし直していた一色は、すぐに俺に気がついて手を振ってくる。

 夏らしいフレアショートパンツはクラシカルなドット柄で、トップスは無地のカットソー。ただの勉強会でもお洒落に手を抜かないのは、実に一色らしい。

 ただいつものナチュラルメイクが若干気合が入っているように思えるのは気のせいだろうか。いやメイクが濃いとかそんな話ではなく。

 

「来るの早いですね」

「まあ、電車の都合でな」

 

 そんな会話をしながら歩きだすと、ふわりと嗅ぎなれない香りがした。香水に詳しくないから分からないが、その品の良さから多分ブランド物なのだろうと推察できる。

 宿題を片付けるだけで香りにまで気を使うとは、一色は思っていた以上に女子力が高いらしい。それに気付く俺は男子力高めだ。誰が何と言おうときっとそう。そうだといいなぁ⋯⋯。

 

「んじゃ、図書館でいいか?」

「え? あぁ⋯⋯。そうですねー」

 

 一色は何とも微妙な反応を返すと、答えを濁した。

 宿題を見てやるなら図書館がベストな選択だと思うのだが⋯⋯なんだその表情。

 

「図書館デートも知的でアリだとは思うんですけど、先輩やっぱり気付いてないみたいですね」

「⋯⋯? 何の話をしてるんだ?」

 

 目の前の信号機が赤に変わって、横断歩道の前で立ち止まる。

 (いぶか)しむ俺に一色は半歩だけ近づくと、にこりと小悪魔めいた笑顔を浮かべた。

 

「夏休みにデートしましょうねって、前に約束しましたよね? それが宿題です」

 

 その一言で呼び起こされた光景は、初夏の一コマ。

 一色と一緒にプール掃除をした際に、確かに彼女はそんなようなことを言っていた。

 

 しかし。

 

「⋯⋯約束はしてませんが?」

「まあまあ、そんな細かいことはいいじゃないですかー」

 

 信号が青になって、一色はふふんと上機嫌に歩き出す。

 おかしいな⋯⋯俺はちゃんと断ったはず⋯⋯。あれだけはっきり言ったのに伝わらないとか、日本語難しすぎでは? そりゃ古見さんもコミュ症になるわ。俺もだけど。

 

「とりあえず、どこか入りません?」

 

 歩道を歩きながら、一色はぱたぱたと手で扇ぐ仕草をした。まだ午前中とは言え、燦々と降り注ぐ太陽は残暑とは思えないほど厳しい。

 

「ま、いいけど⋯⋯」

 

 どこに行くともなく歩いていると、見知った光景が視界に入ってくる。つい三週間ほど前、さいちゃんと入ったカフェだ。雰囲気のいい店だったし、ここなら一色に店選びでディスられることもないだろう。

 

「ここでいいか?」

「あ、はい」

 

 ウォルナットの扉に取り付けられた鉄パイプのバーハンドルを引くと、よく冷えた空気がむき出しの腕を撫でていく。先に一色を通すと、店員さんに案内されるがまま席についた。

 

「へー。先輩、よくこんなお店知ってましたね」

 

 ドリンクを注文し終えると、一色は店内をぐるりと見回して感心するように言う。店選び的には合格点のようだが、何とも微妙な言い回しだ。

 

「お前な⋯⋯。俺がデートする相手が自分だけだと思うなよ」

 

 そう、俺にはさいちゃんがいるのだ。小悪魔いろはすに対してさいちゃん大天使。

 今日はのっけから一色に振り回されていたから、ここいらでちょいと反撃しようと思ってそう言ったのだが。

 

「え」

 

 一色は思いっきり素で、そんな反応を返していた。

 いや、ガチ目に驚かれると俺も反応に困るんですけど⋯⋯。

 

「⋯⋯はっ!」

 

 そんなことを考えていると、一色は何かに気付いたように目を見開いた。

 

「ひょっとしてそうやって思わせぶりな態度をとって揺さぶりをかけるつもりですかモテてるのは知ってますけどそういう駆け引きより今日も含めて三回目ぐらいのデートで告白して下さいごめんなさい」

「お、おぅ⋯⋯」

 

 久しぶりに聞いたな一色の早口⋯⋯。突っ込みどころが多すぎてどれから突っ込んでいいのか分かんねぇ。

 一色が頭を上げたところでお冷が届いて、一旦会話はリセット。ついでに一色の発言もリライトしたい。消してぇぇぇ⋯⋯。

 

「⋯⋯で、ここ出たらどうする。帰る?」

「帰りません。次同じようなこと言ったら晩ごはんまで付き合ってもらいますからね」

 

 俺の言葉にぴしゃりと返してきた一色の口振りからすると、どうやら午前中だけで解放してくれるという選択肢は持っていないらしい。

 それにしてもデート、か。

 そうやって明言されて出かけるのは、由比ヶ浜とららぽに行ったきりだ。雪ノ下と出かけたこともあったが、あれは誕生日プレゼントの買い物だし、結局こいつもいたし。

 

「ちょっと行きたいところがありまして」

「ほう」

 

 それぞれ頼んだドリンクが届いて一口飲むと、一色はそう言った。しかしその言葉の続きを待っていても、それ以上一色は何も言わない。

 

「そうなんですか」

「そうなんですよ」

 

 なんで行き先言わないんじゃ⋯⋯と思いながら、もう一口コーヒーを飲む。そうしていると一色は、指先でトントンとテーブルを叩いた。

 

「ところで先輩、例のものは持ってきて貰えましたか?」

「ああ、持ってきたけど⋯⋯」

「ちょっと、かけてみてください」

 

 例のものって、この子闇社会の申し子なのかしら。なんて益体もないことを考えながら、俺はショルダーバッグからメガネケースを取り出した。

 ケースを開けて姿を現したのは、一色から誕生日プレゼントで貰った伊達メガネだ。昨日の電話の後、どういうわけだか今日持ってくるように指定されていたのである。

 

「⋯⋯これでいいか?」

 

 絶望的に似合わないんじゃなかったのかと思いながら、一色のオーダー通りにメガネをかけた。

 そして度も何も入っていないレンズ越しに目が合うと、一色は。

 

「んふっ」

 

 ⋯⋯ちょっと気持ち悪いぐらいの声で、満足そうに笑っていた。

 

「そんなに似合ってないのが面白いかよ⋯⋯」

「⋯⋯は? 何言ってるんですか。逆ですよ」

 

 俺が不貞腐れると、一色はそうはっきりと言い切った。

 ⋯⋯え。俺、似合ってたのん?

 

「だから先輩。そのメガネはわたしと二人の時以外かけちゃダメですよ?」

 

 そう言って浮かべられた笑顔は小悪魔というのには余りにも純粋であどけなくて。

 俺は返事をする代わりに、もう一口コーヒーを飲むのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 さて、答え合わせの時間である。

 さきほど一色は、何故行きたい場所があると言ったのに、行き先を明らかにしなかったのか?

 

「じゃーん! どうですか、これ」

 

 そう言いながら試着室のドアを開けた一色の身体を包むのは、ピンク色のビキニ。つまり、下着姿も同然の格好である。

 カフェを出た後に向かったのは、そごうの中にある水着ショップだ。てっきり服でも買うのかと思っていたが、店の前で「ここです」と言われた時にはしてやられたと思うしかなかった。

 店へ向かう前に行き先を告げたら、「水着選びなんぞ友だちと行け」と言われると思ったのだろう。俺のことを理解しすぎていて、逆に辛い⋯⋯。

 

「おぉ⋯⋯。まあいいんじゃね」

 

 それにしても、この夏の間にまた一色の水着姿を見ることになろうとは。

 プロポーションに自信はあるのか、惜しげもなくその姿を見せつけてくるが、実に反応に困る。ほら綺麗な谷間とか、白いお腹とか、つるっとした御御足(おみあし)とか、色々。

 

「もー、さっきから感想変わってないんですけどー」

 

 一色は不満そうに言うが、仕方ないだろうと思う。

 もし俺が仮にこんなことを言い出したら、どうなるだろうか。

 

『なだらかな女性らしい曲線を描くその身を彩る淡桃色のビキニ。いやぁとても似合ってますね! 腰まわりを飾るフリルがガーリーな雰囲気を作っていて、動きがある度に揺れ動くさまは気さく系後輩ポジの元気さを表していて素晴らしいです! うん、いい⋯⋯』

 

 ──当然ドン引き確定、社会的抹殺は必定案件である。っていうかその解説誰だよ俺のキャラじゃねぇだろ。

 それにしても千葉村の時は胸元が見える衣装を着て恥ずかしがっていたというのに、この差は何だと言うのだろうか。いや、あの後に言われた思わせぶりな台詞と合わせて考えると、わざとだった可能性の方が高いな⋯⋯。

 

「もういいですよーだ」

 

 バタンと試着室の扉が閉められて、またも俺は女性用水着売り場にひとりぼっちである。たいていの種類のぼっちには耐えられると思っていたが、こういうぼっちは勘弁して欲しい。

 

「はい、次行きますよ。次」

 

 着替えて出てきた一色は、店員さんに水着を返すと急かすようにそう言った。

 店を出て歩き始めると、俺は一色の隣に並んで話しかける。

 

「何も買わなくてよかったのか?」

「んー、まあ安くはなってましたけど、来年の流行りとかはまだ分からないので」

 

 だったらなんで。水着を見たいって言ったんだか。しかし言ってしまえばやぶ蛇になりそうだったので、突っ込むのはやめておく。

 それに可愛い女の子の水着姿を見せてもらって文句などあるはずもない⋯⋯って嫌だわ八幡! 心の中でだけ素直になるのやめて! 恥ずかしい!

 

「ところで、先輩」

 

 一色はふと通路上で立ち止まると、俺を上から下まで眺めた。何かついこの間の花火大会でも、同じように見られていた気がする。

 

「そのメガネかけてるなら、もうちょっとカッチリ目な格好の方がいいですね」

「そうか?」

 

 言われて身だしなみをチェックするが、俺の格好はと言えば黒っぽいジーンズにシンプルなロゴ入りの白ティーだ。ラフ、と言われたらそうかも知れない。

 

「ってことで、先輩の服もついでに見ましょう」

「いや別に俺は、⋯⋯おい」

 

 そう言って一色は、不意に俺の手を握ってメンズのアパレルショップに入っていく。いっさい心の準備が出来ていないままの触れたその手は柔らかくて、想像していたよりもずっと熱い。

 

「このジャケットとかどうですか?」

 

 目ぼしい物をみつけたのか、一色はパッと手を離してグレーのジャケットを手に取った。手が離れたことに安心するが、しかしその僅かな間に手汗をかいてしまっていたことに動揺する。

 

「さすがに暑くないか? この季節に上着って」

「そうですかね? お店の中とか、クーラー効きすぎてる時にあるといいですよ」

 

 一色はそう言ってまたグイグイと俺を引っ張っていくと、店員さんに一声かけた後に試着室に放り込まれた。さっきからこの子強引すぎる⋯⋯。

 それにしても、だ。

 試着室の鏡に映った男は、存外嫌そうな顔をしているわけでもないから、困ったものである。

 

「着たけど⋯⋯」

 

 わざわざジャケット着る為だけに試着室に入る意味なかったんじゃ、と思いながら扉を開ける。入った時と全く同じ位置に立っていた一色は、俺の姿を見るなり小さく拍手をした。

 

「おー、さすがわたしの見立て」

「似合ってるならせめて俺を褒めて?」

 

 とは言え我ながら悪くないんじゃないかとも思っている。フォーマルよりの服なんぞ持っていても着る機会もないしと避けていたが、一色のプレゼントしてくれた細縁のメガネと合わせると「うそ⋯⋯これがわたし⋯⋯?」と初めて化粧をした陰キャ女子の気分になる。例えがこれでいいのかどうかは知らん。

 

「で、とてもよくお似合いだと思うんですけど。買いますか? 買いませんか?」

 

 にこりと慇懃(いんぎん)に笑う姿に、俺は心中溜め息をつくしかない。さっきからこの可愛い後輩には、手玉に取られっぱなしだ。

 

「⋯⋯買います」

「お買い上げありがとうございまーす」

 

 まったく、こんな風に人に勧められて買い物するなんて俺らしくない。

 しかしだからこそ、新鮮味も感じる。小町以外の女の子から服を見立ててもらうなんて、まったく想像したことがなかった。

 会計を済ませて店の外に出ると、ふと気付くことがある。この服、メガネに合わせて買ったけど、着る機会って一色と二人で出かける時ぐらいしかないのでは⋯⋯。

 

「あ、先輩。次ここです。ちょっと見ていきましょう」

 

 不都合な事実に気付いてしまった俺にそう言うと、またも一色は手を取り店の中に入っていく。どうでもいいけど今日もやたらと近いです。うん、全然どうでもよくないな。

 

「メガネ屋?」

「はい。ここでそのメガネ買ったんですよ」

 

 一色はそう言うと見覚えのある、というか今俺のかけているメガネと同じもののサンプル品を手に取った。スチャっとそのメガネをかけると、得意気に笑う。

 

「どうですかこれ。似合いますか?」

 

 一色にはもう少し明るい色のフレームが似合うだろう、──と思っていたのだが、まったくそうではなかった。

 レトロモダンな今の格好に黒縁のメガネを合わせると、中々どうして似合っているし、文学少女に見えなくもない。言うなれば知的な小悪魔ちゃんの爆誕である。あざと可愛いだけでも充分なのにこれ以上属性増やさないで八幡パンクしちゃう。

 

「⋯⋯意外にな」

「んー。もうちょっと素直に褒めて欲しかったですねー」

 

 その答えに一色は一瞬ふにゃっと笑った後、メガネを外してしまった。いやなんだよ外して『しまった』って。もうちょっと見ていたかったみたいじゃねぇか。

 

「先輩は今かけているメガネ、気に入ってます?」

「気に入っているも何も、これかけたの二回目なんだが⋯⋯」

「まあ、そうですよね」

 

 せっかく貰ったプレゼントなんだからもうちょっと言い方があったかも知れないが、嘘をつく気にもならなかった。

 きっと一色は、この店で彼女なりに真剣に選んでくれたのだと思う。それが伝わってくるから、適当に答えるべきではないのだ。

 

 しばらく店内を見た後、俺は一色に先に出てて下さいと言われて通路に出た。

 それから数分と立たずに、一色は店から出てくる。その手に、小さな袋を持って。

 

「結局買ったのか」

「ええ」

 

 一色はそう答えると、買ったばかりのそれを大切そうに鞄にしまい込んだ。

 歩き出した一色の足取りは、心なしかさっきよりも軽くなっているように思える。

 

「安心して下さい、先輩」

 

 俺の視線に気付いた一色が、何を思ったのかそう語りかけてくる。

 

「先輩と二人の時しか、かけませんから」

 

 そしてそんな言葉を一緒に、ふわりと笑いかけられて。

 言葉も思考能力も、一瞬にして奪われてしまった。

 

「⋯⋯そうか」

「はい。そうです」

 

 とても気が利いているとは言えないそんな言葉を返すと、一色は満足そうにそう言った。

 

 

   *   *   *

 

 

 それから一色のリクエストで俺の好きなものが食べたいと言われ、なりたけでラーメンを食べた。

 街中をほうぼう歩き回っては、気になった店に入る。そうして歩き疲れてきたところでさっきとは別の喫茶店に入ると、俺はまたコーヒーを飲んでいた。

 

「疲れました?」

 

 アイスコーヒーを飲んで深めの息を吐いた俺に、一色はミルクティーの入ったコップを持ったまま問いかける。

 

「いや⋯⋯」

 

 小さくかぶりを振ってそう答えると、一色は「そうですか」と言ってまた一口ミルクティーを飲んだ。

 音もなく回るシーリングファン。微かな音量で流れる古典的なジャズに、ゆとりのある広さのテーブル席。向かい合って座っている一色は、ぼんやりと俺の後ろにある壁を見つめていた。

 何だかこうしていると、デートだなぁと実感が湧いてくる。疲労感からかお互い言葉少なになってからそう思うのだから、不思議なものだ。

 

「あ⋯⋯」

 

 無為な時を過ごしていると、一色は何を見つけたのかそんな声を上げた。一体何ごとかとその視線を追うと、今しがた店に入ってきた女性客が注文カウンターに並んでいるのが見える。

 一人は艷やかな黒髪をなびかせた女優ばりの美人ちゃん。もう一人はお団子頭が特徴的な、読者モデルとかをやっていそうなぐらい可愛い女の子の二人組だ。

 

「⋯⋯どこかで見たことがある顔だな」

 

 テレビかなぁ⋯⋯雑誌かなぁ⋯⋯。オーラがキラッキラしてるなぁ⋯⋯。

 

「なに現実逃避してるんですか」

 

 俺の心の声を読んだみたいに、一色は軽く睨みながら突っ込みを入れてくる。できればもう少し、逃避したままでいたかった⋯⋯。

 

「何であいつらがここにいるんだ?」

 

 雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣は、仲睦まじく何ごとかを喋りながら注文の列に並んでいる。幸いここは四、五○人分の座席数がある大型店舗だからか、こちらに気付いた様子はない。

 

「さあ⋯⋯。たまたまっぽいですけど」

 

 入りやすい雰囲気の店だし、まあこんなこともあるのだろう。

 しかしこれはマズイ。何がマズイってもう想像するだけでマズイ。二人でいるところを見られたら、またいつもの如く正当な理由なく責められるであろう。

 

「えっと⋯⋯どうします?」

「⋯⋯気付かないことを祈ろう」

 

 なるべくジロジロ見ないように、お互い気付かなかった(てい)で。

 そうだ、と俺は思いついて、買い物袋から今日買ったばかりのジャケットを出して羽織る。普段着ない感じの服だから、目眩ましぐらいにはなるだろう。

 

「あ⋯⋯」

 

 それを見ていた一色も気付くことがあったのだろう、彼女の方も買ったばかりの伊達メガネを装着した。

 これでちょっと落ち着きのある格好をした大学生カップルぐらいには見えるだろう。⋯⋯ん? カップル?

 

「あー、はは⋯⋯。これ、お揃いって結構恥ずかしいですね⋯⋯」

 

 一色は俺のかけているメガネとまったく同じデザインのメガネをかけたまま、らしくないぐらいに控え目な笑顔を浮かべていた。確かにこれ、お揃いのアクセサリー着けたバカップルみたいなもんじゃねぇか⋯⋯。

 

「こうしてたら、カップルに見えますかね?」

「⋯⋯多分な」

 

 改めてそう言われると、気恥ずかしいったらない。いつもならからかってきそうなタイミングでそんな反応をされると、こっちも困る。

 

「──先輩」

 

 微かに上ずった声が、俺を呼ぶ。すっとテーブルを滑った手が、俺の手首を掴んだ。

 

「もうちょっとちゃんとカモフラージュしないと、気付かれちゃうんじゃないかなーと思うんですけど⋯⋯」

 

 つう、と手の甲を伝って、一色の手が俺の手を握り込む。

 その手はさっき店に立ち寄る際にそうした時と同じ温度で、しかしその行為の持つ意味はまったく違う。

 

「⋯⋯マジで?」

「マジです。っていうかもう手、握ってますし。ほら、先輩の方からも」

 

 もう片方の手も絡め取られて、テーブルの上で両手を握り合う。どこからどう見ても、リア充カップルだ。ちょっと心臓が早くなりすぎだし、もう爆発したい⋯⋯。

 しかし、目をそらしたままでは格好とちぐはぐで悪目立ちしてしまうだろう。そう思って一色の目を見ると、にこっと嬉しそうな笑顔に迎えられてしまった。

 

「今ならついでに愛の言葉を囁いてもいいですよ」

「言わねぇ⋯⋯」

「じゃあ、わたしのことどれぐらい好き──」

 

「比企谷くん」

「ヒッキー」

 

 カタンッ、とトレイとテーブルがぶつかる音が二つした。それはとても硬質な音で、続く声音は北極圏なみに冷たい。

 油切れを起こしたみたいなぎこちない動きで、その声のした方を見上げる。果たしてそこにはさきほど見かけた美人ちゃんと可愛こちゃんが、こめかみをひくつかせながら笑顔を浮かべていた。

 

「いろはちゃん、手⋯⋯」

「え、あ⋯⋯いや、これは──」

「お揃いのメガネなんてかけて、ずいぶん仲良しさんなのね?」

 

 

 ──拝啓、ラブコメの神様。

 

 もしも今この瞬間を、見届けているのなら。

 

 

「できればこの状況に至るまでの経緯を、詳しく聞かせて貰えるかしら?」

 

 

 とりあえずリア充爆破スイッチ、押してもらっていいですかね?

 

 

   *   *   *

 

 

 風呂から出て自室に入ると、こもった熱気を逃すように窓を開け放つ。

 時刻は午後九時。虫の大合唱が耳にうるさい。

 

 今日はたくさん歩いたし、喋った。なんだか盛りだくさんだったせいで、くたくたに疲れてしまっている。

 何だか頭がぼんやりして、動く気力が湧いてこない。明日から学校かとか、提出物のチェックをしなくちゃなとか考えはするのだが、行動するのが億劫なのだ。

 

 そんな折りに、ポケットの中で携帯電話が震える。

 昨日もこんなことがあったな、なんて考えながら画面を見ると、案の定着信元には『一色いろは』の名前が表示されている。

 

「⋯⋯もしもし」

「もしもし。お疲れさまでーす」

 

 そういう一色の方は疲れなど微塵も感じさせない声音で、軽妙な労いの言葉が聞こえてくる。昨日に引き続きまた電話だなんて、どうしたというのだろうか。

 

「先輩、今日は一日ありがとうございました」

「おぉ⋯⋯。いや、こっちこそ」

 

 その一言を聞いて、ああそういうことかと理解する。

 これはデート後のありがとう電話ってやつだろう。由比ヶ浜の時はグループメッセージに大誤爆をしていたな、なんて思い出すと、そんなに前のことでもないのに懐かしく感じた。

 

「先輩とのデート、ちゃんと楽しかったです」

「なんか含みのある言い方だな」

 

 実感のこもった声にそんな言葉を返すと、ふと口元が緩みそうになる。わざわざ礼を言うために電話をかけてくるのだから、一色も律儀なヤツだ。

 

「んー、まあ色々ありましたし」

「まあ、確かに」

 

 色々、とは間違いなく雪ノ下たちと偶然会った時のことを言っているのだろう。

 結局あれからことの経緯を根掘り葉掘り聞かれた後、四人で晩飯を食って解散になった。思ってもみなかった展開だったが、それも含めて一色にとっては「楽しかった」と言っているのが声音から分かる。

 

「あ、そうだ。買ったジャケットのタグ、ちゃんと取らないとダメですよ?」

「え? ⋯⋯ああ」

 

 ハンガーにかけたジャケットには、まだタグが付いたままになっている。喫茶店で慌ててそのまま着てしまったから、忘れていた。

 

「それじゃあ、先輩。また──」

 

 そこまで言って、一色は言葉を切った。

 何か続きがありそうな口振りだったからその続きを待ってみるが、携帯電話のスピーカーからは僅かなノイズしか聞こえてこない。

 

「⋯⋯また明日、学校で」

「ああ、おやすみ」

「はい。おやすみなさいです」

 

 そう言って、少し時間を置いてから通話停止のボタンを押した。

 一色の伝えたかった『また』の続きは、学校で合っていたのだろうか。

 

 そんなことを考えながら、俺は自分の身体をベッドに投げ出すのだった。

 

 






 ということでいろはすデート回でした。書いててめちゃんこ楽しかったです。
 長かった夏休み編もようやくこれで終わり。次回からは原作六巻パート、文化祭編です。

 引き続きお楽しみ下さい!
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