やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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二学期編
相変わらず、雪ノ下雪乃はブッこんでくる。


二年F組 文化祭 出店企画書

ミュージカル『美男子失格』

 

◆概要

 あの不屈の名作『人間失格』をベースに葉山隼人を筆頭とした人気キャストで完全舞台化!

 

◆ターゲット

 総武高校女子、他校女子、保護者女性

 

◆キャラクター

 隼蔵⋯⋯幼少の頃より美男子。少年時代に凄絶な(検閲)体験をしたことで(検閲)に目覚める。

 比木⋯⋯隼蔵を堕落の道へと誘う腐れ縁の男。タチ。

 ツネ男⋯⋯妻がありながらも、隼蔵との(検閲)へと溺れていく。ネコ。

 シズ太⋯⋯子持ちの雑誌記者。隼蔵と一時的に生活をともにする。タチ。

 ヨシ男⋯⋯純粋無垢な煙草屋の息子。ウブな反応が(検閲)。ネコ。

 

◆あらすじ

 誰もが認める美男子である隼蔵は、少年時代にとある出来事により心に傷を負う。

 しかしその出来事によって露見してしまった、本来内に秘めておくべき渇望。

 一人の美形男子が数々の男たちと破滅的な未来を歩む、ハンカチ無しには鑑賞できない感動のミュージカル!

 

 

 

 俺は長机に広げた出展企画書を読み終えると、大仰に溜め息をついた。

 イヤー、イイハナシダナー。

 ってそんなわけあるか。誰だよクラスの企画を海老名さんに任せたヤツ。

 

「先輩、何読んでるんですか?」

「あー、企画書かぁ」

 

 俺が答えるより先にそう呟いたのは由比ヶ浜で、その顔にはちょっと困ったような笑顔が浮かんでいる。

 季節は秋。ところは奉仕部の部室。

 二学期始まってすぐの一大イベントと言えば、この文化祭なのだが。

 

「へー、先輩のクラスはミュージカルですか」

 

 一色はひょいと俺の手元の企画書を覗き込むと、ふむふむと読み込んでいく。

 この企画書、検閲多すぎて伝わらないし、そもそも高校生でやっていい内容じゃないだろこれって話である。あとこれミュージカルじゃなくて演劇にしかならないと思います。

 

「比企谷くんは役者として出るの?」

「いや、配役とかまでは決まってないが⋯⋯」

 

 本を読んでいるようでしっかり俺たちの話を聞いていたらしい雪ノ下が、パタンと文庫本を閉じてそう問いかけてくる。登場人物の堀木が比木へ変更されているのは何ともわざとらしいというか、腐の意志を感じるぜ⋯⋯。

 

「そう言えば、この部活って何か出展したりするんです?」

 

 読んでいた企画書から目を離すと、一色はそう言って雪ノ下と由比ヶ浜の方を見る。

 

「あー、部活で出展してるところも多いもんね」

「そうね。けれど考えもしなかったわ」

 

 雪ノ下のその答えは、少し意外だった。普段のことを考えると、何やかやと段取りを進めていてもおかしくないからだ。

 

「じゃあ、仮に何か出展するとしたら、何にします?」

「んー⋯⋯。メイド喫茶?」

 

 由比ヶ浜の答えに、まあそう考えるわなと思った。奉仕、と聞いて思い浮かべるのはメイドさんだ。っていうかガハマさん、またあのメイド衣装着たいの?

 

「じゃあ先輩は?」

「私語禁止の読書喫茶」

「それでは普段の比企谷くんと変わらないじゃない」

 

 すかさず突っ込みを入れてくる雪ノ下の方を見ると、楽しそうな笑顔が俺を迎える。君、俺をいじる時本当に面白おかしそうにするよね⋯⋯。

 

「では、雪乃先輩は?」

「どうかしら⋯⋯。出展している暇はないと思うのだけど」

 

 雪ノ下がそこまで言ったところで、トントンと部室の扉がノックされた。返事をする間もなく入ってきたのは、この部活の顧問である平塚先生だ。

 

「鍵が返されていないと思ったら、やはりまだ居たのか」

 

 そう言って平塚先生は部室に入ってくると、自らの長い髪を撫で付けた。ノックして入って来るのも珍しいが、鍵を理由に訪れるのも珍しい。

 

「段々風が強くなってきている。今日はもう終わりにしよう」

 

 そう言って平塚先生が見た先は窓で、さっきから強風に煽られてガタピシ鳴っている。

 何でも今夜から明日にかけて、台風がくるらしい。つまり台風影響による休校の可能性大という、心踊る状況だ。

 きっと社会人になったら「おい台風でも出勤しなきゃなんねぇのにこっちくんなてめぇ」と悪態をついているところだろう。そんな口の悪い大人になってはいけないので、やはり僕は働くべきではないと思いました。

 

「比企谷くんは」

 

 身支度を終えて部室を出ると、ふと隣に並んできた雪ノ下が言う。

 

「文化祭で何かしてみたいことはあった?」

 

 その質問は、きっと一色の問いかけの延長線上のものだろう。そう言われても考えたことすらなかったから、当然俺の中に答えはない。

 

「逆に聞きたいんだけど、俺が積極的に何かしたがると思うか?」

「⋯⋯そうよね。一応確認しただけよ」

 

 そう言って雪ノ下はまた楽しそうに笑う──と思いきや、至って真面目な表情をしていた。

 何はともあれ、こういうイベントごとで何かやりたいなんて積極性はない。キャッキャウフフしながら青春の一ページに彩りを加えようなんて気概もないし、批判されない程度に参加しておけばいいだろう。

 

 ──と、この時まではそう考えていた。

 

 

   *   *   *

 

 

 翌日のことである。

 

「なんじゃぁ、こりゃぁ⋯⋯」

 

 俺は黒板に書かれた『男子実行委員 比企谷』の文字を見た瞬間、そんな声を出していた。

 

 台風の影響で休校もしくは登校時間が遅れると踏んでいたが、予想よりも早く通過したせいで学校は通常授業。お陰で夜ふかししてしまった俺は保健室に休息を求める結果となり、教室に戻ってきたらそんな状況だった。欠席裁判、マジありえない。

 

「えーっとじゃあ、女子の実行委員だけど⋯⋯」

 

 時は放課後である。

 教卓に立ったメガネのクラス長が、ぐるりと教室中を見回した。

 

「誰か、立候補はいますか?」

 

 と言っても、即座に挙手する者は皆無だ。

 実行委員になるということは、クラスの出し物に深く関われなくなるということと同義だ。人生で限られた回数しか訪れない文化祭というイベントを、クラスの仲良し同士で過ごしたいというのは至極当然の感覚だろう。

 その上、男子の実行委員は曰く付きだ。

 あのチェーンメールの中身を知らない者は、このクラスに限ればおそらくいない。どこまで信じられているかは定かじゃないが、嫌がる要因としては充分過ぎる。

 

「はい」

 

 だから立候補者などおらず、紛糾を重ねた上にくじ引きで──って、あれ?

 

「あたし、やってみたいんだけど⋯⋯」

 

 声のした方を見ると、由比ヶ浜はピンと腕を伸ばして挙手しているところだった。

 いや、いったいどういうつもりだ? 理解が追いつかないでいると、今度はまた別の方向から声が飛んでくる。

 

「いやいや、ダメっしょ。結衣はあーしと客呼び込む係だから」

「え⋯⋯? で、でもまだそこら辺は決めてないしっ。クラスの方もできる限り協力するから!」

 

 いつの間に係が決まったんだよ、と思って見守っていると、即座に由比ヶ浜が切り返す。思っていた以上の抵抗だったのだろう、三浦は目をパチクリさせて驚いていた。

 

「え、っと⋯⋯。他に立候補はいますか?」

 

 黒板に『女子実行委員 由比ヶ浜』と書いた後にクラス長が言うと、またもしんと静まり返る。

 ふと気になって、相模の方を見た。どこまでもつまらなさそうに、ぼんやりと黒板の文字を見つめている。その表情からは何も読み取れない。

 

「じゃあ、決まりということで。今日はこれで終わります」

 

 ルーム長のその一言で、ふわっと教室中が弛緩する。あるものは放課後の予定を話し始め、またある者は部活へと急ぐ。

 由比ヶ浜の方を見ると、三浦と海老名さんに向かって両手を合わせながら何ごとかを喋っていた。勝手なことしてゴメン、ってところだろうか。

 俺は荷物をまとめると、教室を出て廊下の壁に背をあずけた。教室の中で由比ヶ浜に声をかけるタイミングをうかがうのは、何か違う気がしたからだ。

 

「由比ヶ浜」

 

 教室を出てきたところで声をかけると、由比ヶ浜はビクッと肩を揺らした。いや、そこまで驚かなくてもいいじゃないですか⋯⋯。

 

「びっくりした⋯⋯。先に行っちゃったのかと思ったよ」

 

 そんなことはしない、とでも言う代わりに俺はかぶりを振ると、廊下を歩き出す。

 文化祭実行委員会は、早速今日から始まる。その会に出席する前に、聞いておきたいことがあった。

 

「さっきのあれ、どういうことだ?」

「さっきの⋯⋯ね。うん」

 

 俺の言葉が何を指しているのか、充分に理解しているのだろう。由比ヶ浜はそう言って頷くと、言葉を続ける。

 

「あたしの意思だよ。ヒッキーと一緒なら、実行委員やってもいいかなって思ったもん」

 

 えへへ、と笑う顔はいつも通り可愛らしい。しかしその表情に隠されようとしている事実から目を背けることは、すべきことではなかった。

 

「けどな⋯⋯状況考えろよ。花火大会で相模に会った時のあの目、忘れたわけじゃないよな」

 

 根も葉もない噂とは言え、俺には『雪ノ下雪乃の弱みを握って好き放題しているカス野郎』というレッテルが貼られている。花火大会では彼女たちに助けてもらったが、あれだって全員いいようにされていると思われる可能性がないとも言い切れなかった。

 だから本来、あんな風に目立つ形で関わるべきじゃないのだ。由比ヶ浜にとってしてみれば、デメリットしかないのだから。

 

「忘れてないよ。でもあたしには、絶対こうするべきだって自信があるんだ」

 

 意思のこもった声にはっとして由比ヶ浜の方を見ると、この上なく真剣な双眸(そうぼう)が俺を映していた。場違いにも綺麗な瞳だなんて、思ってしまう。

 

「ああいう問題ってさ、絶対ヒッキー一人の力じゃ解決できないじゃん。だからあたしが自分から一緒に実行委員をやって、嫌々じゃなくて一生懸命、楽しんでやるの。それで噂なんて嘘だったんだって、みんなに知ってもらうんだ」

「由比ヶ浜⋯⋯」

 

 時々、俺はこいつを酷く勘違いしていたのではないかと思うことがある。

 今だってそうだ。由比ヶ浜は、リスクを負ってでも俺の傍に立つと宣言してくれた。俺が思っているよりもずっとずっと強い、優しい女の子だ。

 

「それにね」

 

 廊下を曲がると、由比ヶ浜は不意に脚を止める。

 トンと背中を窓にあずけると、どこまでも穏やかな声で言った。

 

「サブレを助けてくれたお礼。こういう形でしか、返せないと思うから」

 

 その言葉に声が詰まって、俺は何も返せない。

 お礼ならもう、受け取っている。雪ノ下と一緒に作ったクッキーで。それからこんな風に、一緒に過ごす時間の中で。

 

「⋯⋯行こっか」

「ああ⋯⋯」

 

 そう言って由比ヶ浜が歩き出すまで、俺は何も言えなかったが。

 数歩だけ先に進んだ背中に、「ありがとな」とだけ呟いた。

 

 

   *   *   *

 

 

 文化祭実行委員会に割り当てられた部屋は、主に先生たちが使う会議室だ。

 通常の教室二つ分の広さに、肘掛け付きの椅子。使われている机の天板はどっしりと分厚く、その部屋は物々しいと感じるほどの空気感を湛えていた。

 

「なんか、こういうところ来ると緊張するね⋯⋯」

 

 俺の隣に座った由比ヶ浜は、さきほど「楽しんでやる」と宣言したばかりだったが、何とも不安な出だしである。

 だがそんな風に感じている由比ヶ浜は少数派らしく、次々と入ってくる生徒たちは見知った顔を見つけてはキャイキャイとはしゃいでいた。

 人が集まってくるにつれて、その話し声の大きさは雪だるま式に増えていく。本当うるさいなー早く始まらないかなーとか思っていた、その時──。

 

「──」

 

 一人の女子生徒が会議室に足を踏み入れた瞬間、波が引くように喧騒が静まった。

 さらりと麗しく流れる艷やかな黒髪、どこまでも整った顔、生花を思わせる凛とした立ち姿。

 雪ノ下雪乃は、会議室に一歩踏み入れただけで場の空気を一変させ、衆目を集めていた。

 

 ──ああ。

 

 こういう反応を見ると、やはり雪ノ下は特別なんだと身に沁みて分かる。共に過ごすのが当たり前になりすぎていたせいで、忘れかけてしまっていた。

 雪ノ下にとってみれば、そんな空気になるのは慣れているのだろう。周りの反応などどこ吹く風で歩き始めると、すぐに俺たちと目が合った。意外そうに目を見開き、しかし次の瞬間には可憐な微笑みと一緒に手を振ってくる。

 ⋯⋯え。何それ超可愛い。全然雪ノ下らしくないけどそのギャップがいいというか、女子っぽい仕草をする雪ノ下可愛すぎでは? っていうかこの空気の中でそんなことされると、あらぬ誤解が──。

 

「ゆきのーん」

 

 と考えている最中に、隣で由比ヶ浜が手を振っているのに気がついた。やだわ八幡勘違いなんかして! ガハマさんに手を振り返していただけじゃない!

 自分の自意識過剰ぶりを猛省している最中に、雪ノ下は残り少なくなった空席に腰を下ろした。それを合図にするように、中断されていた会話たちが再開されていく。

 

「ゆきのんも実行委員だったんだね」

「みたいだな」

 

 羞恥の海の大後悔時代から帰ってくると、俺はそう答える。ぐるりと視線を巡らせても、他に見知った顔はいなさそうだ。

 

「先輩」

 

 ⋯⋯と思っていたら、後ろから聞き慣れた声が聞こえてくる。

 振り返るといつからいたのか、一色いろははにこやかに手を振っていた。

 

「おお⋯⋯。なんだ、一色も実行委員なのか」

「ええ、まあ」

 

 何故だか若干面白くなさそうな声になると、一色は頷きを返してくる。まあ、じゃんけんか何かに負けてきたってところだろうか。

 

「すごい偶然だね。奉仕部みんな実行委員とか」

「ですねー。わたしも驚きました」

 

 由比ヶ浜とそんな会話を始めるのとほとんど同時に、がやがやとした話し声と一緒に数人の生徒たちが会議室に入ってくる。見た感じだけでも伝わってくる一体感と、後ろからついて来た平塚先生と体育教師の厚木。その様子から、この会議体に深い関わりのある団体なのだと分かる。

 気付けばもう、実行委員会開始の時間だ。数人のうちの二人がプリントを配り始めると、お喋りに興じていた生徒たちも席について段々と会話の数が減っていく。

 

「それでは、文化祭実行委員会を始めまーす」

 

 ミディアムヘアの女子生徒が前方中央に立つと、ゆるほわりーんな声で号令をかけた。その一声で微かに残っていた喋り声も消え失せ、全員がその女子生徒を見ている。

 

「えっと、生徒会長の城廻めぐりです。今年の文化祭も皆さんの協力のもと、盛り上げていけたらなと思ってます」

 

 そう自己紹介をしためぐり先輩は、やはりほんわかした調子の喋りだ。生徒会長らしからぬと言ったらそれまでだか、何となく周りのサポートが厚いんだろうなと推察できた。

 

「⋯⋯え、えっと⋯⋯。一緒にがんばろー! えい、えい、おー!」

 

 ⋯⋯で、そこでやめておいてもいいものを、場を盛り上げようとしてか一人拳を突き上げた。

 パラパラと、気遣い混じりの拍手が波のように広がっていく。えい、えい、むん! ならもうちょっと反応が違ってたかも知れませんね。知らんけど。

 

「ありがとうございます~。それじゃあ早速実行委員長の選出に移りましょう」

 

 そう言って仕切り直し、とばかりにめぐり先輩は両の手を打ち鳴らした。

 

「知っている人も多いと思うけど、例年実行委員長は二年生がやることになっているんだ。三年生は受験があるからね」

 

 めぐり先輩の説明に、そりゃそうなるよなぁと考える。一応一年から三年まで全クラスの代表が集まってはいるが、受験生には荷が重いだろう。

 

「それじゃあ誰か立候補はいますか?」

 

 しかし、だからと言って立候補するかと言えばそうはならない。現に誰も挙手はおろか、ヒソヒソと喋ることすらしないのだ。

 おそらくここに集まったほとんどの人間が、主体的に実行委員になりたくてなったわけではないだろう。大変そうなのは目に見えているし、クラスの方とはどうしても疎遠になる。そんな非積極性の集団の中で立候補を募っても、応える者はいない。

 

「なんじゃあおい、積極性がないのぉ。お前ら自身のイベントだぞ」

 

 厚木がドスのきいた声で言うと、更に場の空気は固く重くなっていく気がした。そんな言い方で立候補が出て来ても、圧に負けたみたいにしかならないだろうに。

 

「⋯⋯お。お前、雪ノ下の妹か! お前の姉さんが実行委員長をやっとった時の文化祭は盛り上がったでのぉ。期待しとるぞ」

 

 ぐるりと会議室を見渡していた厚木は、雪ノ下を見るとそう声をかけた。

 雪ノ下の妹⋯⋯と言うことは、陽乃さんも総武高校の卒業生だったのか。しかも厚木の口振りからすると、文化祭の実行委員長をやっていたらしい。

 

「厚木先生」

 

 雪ノ下はその発破に応えるでもなく、努めて冷静な声で呼び返す。すましたその表情からは、その思考は読み取れない。

 

「実行委員長は、推薦でもいいのでしょうか?」

「あ⋯⋯? それは構わんが」

 

 推薦って、とにわかに会議室がざわめいた。

 その雑音が消えるのを待ってから、雪ノ下は凛とした声で言う。

 

 ⋯⋯何故か俺を見ながら。

 

「では私は、二年F組の比企谷くんを推薦します」

「はぁ⋯⋯っ? ちょ、何言って⋯⋯」

 

 思わず(まろ)びでた声に紛れて、「ヒキガヤ、ってだれ?」「ヒキガヤってあのヒキガヤ?」なんて声が聞こえてくる。

 こいつ⋯⋯いったい何を言い出してるんだ? 俺が柄じゃないことなんて、一番よく知っているだろうに。

 

「比企谷くんが引き受けてくれるなら、私は副実行委員長として実行委員会に尽力したいと思います」

 

 続く雪ノ下の発言に、またざわめきの波が広がっていく。

 この場に集まった者たちにとって、魅力的この上ない提案だろう。面倒な役割を回避できた上に、才女として名高い雪ノ下が力を尽くすと言っているのだから。

 だが、なんだこの違和感は。

 いつもの揶揄(から)かう時とは一線を画した、雪ノ下の真剣な眼は。

 

「えっと、どうかな? 比企谷くん」

 

 めぐり先輩は期待に満ちた目で、俺を見ながらそう問いかけてくる。

 俺を見ているのは、めぐり先輩や雪ノ下だけではない。由比ヶ浜、一色。それに有象無象の目。

 

 ──ああ、そうか。

 

 その状況になって、俺はようやく気が付いた。これは名誉挽回のチャンスなのだ。

 雪ノ下を脅しているとされている俺が、雪ノ下に指定されて文化祭実行委員長になる。内申点アップの実績作りに利用しているんじゃないかと邪推もされかねないが、俺の反応を見てそう考える人間はまずいないだろう。

 

 だとしたら、俺の答えは。

 

「⋯⋯みんながそれでいいのなら」

 

 俺がそう言うと、何人かの生徒が安心したように息を漏らした。

 その答えにほわりと笑みを溢しためぐり先輩は、小さくうんうんと頷く。

 

「じゃあ、他に立候補はなしってことでいいかな?」

 

 そう言ってめぐり先輩は会議室を見渡すが、案の定これ以上の立候補はない。ここで一念発起する人間がいるのなら、もうとっくに立候補しているだろう。

 

「では拍手をもって承認をお願いします」

 

 めぐり先輩がそう促すと、会議室が拍手に包まれる。

 何とも奇妙な感覚だ。スケープゴート的とは言え自分の意思が拍手で迎えられるのなんて、恐らく初めてではないだろうか。

 

「はいっ、ありがとうございます。じゃあ比企谷くん、続いて役割決めがあるんだけど、進行をお願いしていいかな。雪ノ下さんも」

 

 さあさあ、と会議室前方の席を促されて、俺と雪ノ下は議長席的な位置の椅子に座った。

 この席に座ると、皆の顔がよく見える。だが俺の仕事はその光景に萎縮することではなく、この場を取り仕切ることだ。

 配られていた資料によると、宣伝広報、有志統制、物品管理、保健衛生、記録雑務、会計監査の係に分かれるらしい。

 となればまずは各部の担当部長決めだ。俺は小さく咳払いをして喉の調子を確かめた後、なるべく声を張って言う。

 

「えー、じゃあ各担当部長をやってもいいって人が居たら挙手をお願いします」

 

 どうせ進んでやりたがる人間はいないだろうが、もしそうでも各部に分かれた後に部長を選出してもらえばいい。そう思っていたのだが。

 

「はいっ!」

 

 意外にも、即座に手が上がる。

 ついでにその挙手した人物も、意外だった。

 

「えっと⋯⋯二年F組の由比ヶ浜です。あたし、会計監査をやってみたいなって思うんですけど⋯⋯」

 

 由比ヶ浜はトーンダウンしながらそう言うと、皆のほうをぐるりと見る。

 いったいこいつまで、どういうつもりだ? 由比ヶ浜は後ろ向きな性格ではないが、率先して前に出てくる人間でもない。

 

「⋯⋯他に会計監査の部長をやりたいって人は?」

 

 俺が問いかけると、誰も挙手しない代わりにパラパラと拍手が起きる。

 さきほどからの流れを汲むに、異義なしということだろう。雪ノ下はホワイトボードに各部の名前を書くと、会計監査の下に由比ヶ浜の名前を書いた。

 

「じゃあ、他に立候補は」

「はい」

 

 そう問いかけると、またもすぐ手が上がる。しかもまた、見知った顔だ。

 

「一年B組の一色です。担当部長が一年でもいいなら、宣伝広報をやってみたいです」

 

 少しの間の後にまたパラパラと拍手が起こって、雪ノ下が一色の名をホワイトボードに書き込む。

 こいつまで何故⋯⋯と考えて、ようやく思考の霧が晴れてきた。由比ヶ浜も一色も、きっと雪ノ下と同じなのだ。

 これではまるで奉仕部が示し合わせたような布陣になってしまうが⋯⋯恐らくこの場でそう感じるのは平塚先生ぐらいのものだろう。俺たち全員が同じ部活だと知っている人間は、少なくとも生徒の中にはいないはずだ。

 

「えー、では他に立候補は?」

 

 また皆の方に向かって問いかける。が、さすがに特別な事情がない限り、積極的にやりたいと言う者はいないだろう。会議室内は今度こそ静寂に包まれた。

 順番に各クラスの実行委員たちを見ていく。皆考え込んでいる仕草をしていたり、配られたプリントを見て俺と目を合わせようとしない。

 

「どうだろう。今なら早い者勝ちで好きなところやれるけど」

 

 ふと近くの女子生徒と目が合って、そう声をかける。

 こういう時、何かきっかけがあったりすれば意外にやる気になったりしてくれるものだ。だって日本人って頼まれたら中々断れないイエスマンが多いし、「早い者勝ちで選び放題」と言うお得情報に弱い。あらやだ八幡さんったら狡猾(こうかつ)

 

「⋯⋯じゃあ、記録雑務なら」

 

 ──と思ってたら、本当にやる気になってくれたらしい。え、マジでいいの? 言ってみるもんだな、これ。

 またも会議室を満たす拍手。小柄な身体とはっきりした鼻目立ちが子鹿を思わせるその女子生徒がクラス名と名前を告げると、雪ノ下はまたホワイトボードに書き込んでいく。

 

「それじゃ、他に立候補は?」

 

 さあさあ、この調子で立候補してくれよぅ! と若干声のトーンを上げて言う。

 そして再び訪れる沈黙。まあ、さすがにそんなトントン拍子ではいかないだろう。

 

「あの俺、有志統制やってみたいんだけど」

 

 そう思っていたら、またも予想は裏切られた。男子生徒がクラスと名前を名乗ると、また拍手でその役割が承認されていく。

 

「じゃあ俺は、物品管理の部長、やりたいです」

 

 そしてまた立候補を募ると、数秒と間を置かずに挙げられる手。場を包む拍手。

 これはいったいどういうことだ? さっきまでの消極的な雰囲気を鑑みると、解せないことが多すぎる。

 女子ばかりに立候補させていたら男が廃ると思っているのか、それとも担当部長が女子ばかりになって委員会が牛耳られるのを危惧しているのか?

 ──いや、違う。

 立候補した男子生徒たちから感じる、どこか浮ついた雰囲気。彼らの視線はチラチラと由比ヶ浜、あるいは一色に向かっている。何か言いたげな別の男子生徒は、同じようにして雪ノ下を見ていた。

 担当部長になれば目当ての女子とコンタクトを取る正当な理由が出来る、ってところか。

 あまりに自然と傍にいるから忘れそうになるが、三人は学校内でも指折の相貌の持ち主だ。隙あらばお近づきになりたいなんて男子は、それこそ掃いて捨てるほどいるのだろう。

 

 それでも俺は、同じ台詞を繰り返すしかない。

 

 

「──では他に立候補は?」

 

 

   *   *   *

 

 

 結局あれから立候補は出ず、他薦も駆使して担当部長が決まった。

 それから集まった実行委員の各部への配属もつつがなく終わると、ようやく本日の業務は終了である。

 

「お疲れ様。委員長」

 

 パラパラと皆が会議室を後にする中、隣に座った雪ノ下はそう言ってひっそり微笑んだ。

 

「本当に疲れたわ⋯⋯」

 

 人間、慣れないことはするもんじゃない。あれだけの人数の前で喋るなんて、中々ない経験だ。

 その上司会進行の間は喋りだけではなく周りの反応や言葉尻にまで神経を研ぎ澄ませていたせいで、酷く消耗している。

 

「それでも、部室は寄っていくでしょう?」

 

 その言葉に時計を見てみれば、完全下校時刻までは後三十分も残されていない。

 正直、この時間から行ってもなぁという頃合いだ。ぶっちゃけ帰りたい。由比ヶ浜も一色も知り合いらしき生徒と喋った後、いつの間にか会議室からいなくなってるし。

 

「⋯⋯まあ、一応」

 

 それでも、今日そのまま帰るわけにはいかなかった。そもそもこんなことになった原因を、はっきりさせておかなくてはならない。

 身支度を整えだした俺たちを見てか、厚木は「ほら、もう鍵閉めるから出てけ」と退出を促す。続々と出ていく生徒たちに合わせて、俺たちも会議室の出入口の方へ向かった。

 

「比企谷」

 

 出入口に立っていた平塚先生が、不意に俺を呼び止める。

 

「君に期待しているよ。思いっきりやりたまえ」

 

 そしてバチコーン☆ とわざとらしいウインクが飛んでくる。

 半分面白がってんだろこの人⋯⋯。あと年甲斐もなくそういうことするの、ちょっと可愛いなと思ってしまうのでやめて下さい。

 

「⋯⋯限界の十歩手前ぐらいまで頑張ります」

 

 俺はそう答えて雪ノ下と一緒に軽く頭を下げると、会議室を出た。

 会議室へ向かった時とはまったく違った気分で、廊下を歩いていく。特に会話もないまま部室の前まで来ると、意外な光景がそこにあった。

 

「お疲れ様でーす。実行委員長、副委員長」

「お疲れ様、二人とも」

 

 部室前の廊下で待っていたのは、帰宅していたと思っていた一色と由比ヶ浜だった。どうやら示し合わなくても、考えることは同じらしい。

 

「ごめんなさいね、お待たせして」

 

 雪ノ下がそう言って鍵を開けると、中に入るなりそれぞれの椅子に座る。

 面子も、席も、どれもいつも通り。しかし俺たちの間に漂う空気感だけは、明らかに以前までのものとは違っている。

 

「⋯⋯一応、どうしてあんなことをしたか聞いていいか」

 

 俺は雪ノ下に向けてそう言うと、俺を推薦した時と打って変わって得意気な笑みを見せる。

 

「その聞き方をするということは、もう分かっているのでしょう?」

「ああ。だが確認させてくれ」

 

 雪ノ下の言う通り、当然目星はついている。

 それでもその真意を掴んでから文化祭に取り組むのと、想像のままにしておくのでは大きな違いがあるのだ。

 

「⋯⋯花火大会の日。相模さんの様子を見て、あなたにまつわる噂が相当根深いことが分かった。だから文化祭実行委員は絶好の機会よ。違う?」

「いや、⋯⋯何も違わない」

 

 瞑目して頷く。こと雪ノ下の行動に関しては、答え合わせはできた。

 そこまで聞いてジタバタするほど俺も往生際は悪くないし、そもそももう受けてしまった話だ。

 

「で、お前らは?」

 

 では、残る二人は。由比ヶ浜と一色はどうなのだろうか。

 彼女たちの行動の所以(ゆえん)は、何となくは分かる。だけどそれは、雪ノ下に比べればかなり曖昧なものになってしまう。

 

「だって、二人が委員長と副委員長をするなら、何もしないわけにはいかないじゃん」

 

 明瞭さに欠けていた俺の予測を補強するように、由比ヶ浜は言った。だがその視線の先は、俺ではなく雪ノ下だ。

 

「⋯⋯ゆきのんにも、たくさん助けてもらったから。だからできる限りそばで支えたいし、文化祭を楽しみ切りたい」

 

 文化祭を楽しみ切る、か。確か会議室に向かう折りにも、似たようなことを言っていた。

 こいつ凄いなと、素直に思う。誰もが嫌がった文化祭実行委員として、しかも担当部長なんて肩書きを背負ってもまだ楽しみたいという意思はブレていない。前向きなんて言葉で言い表せられない意志が、その目には宿っていた。

 

「あー、わたしはてっきり奉仕部で実行委員会を乗っ取る流れかと思ってました」

 

 ──ってちょっと感動してたら、君さぁ⋯⋯。

 あまりに一色らしい発想に、思わず肩の力が抜ける。しかし確かに、雪ノ下ならそのぐらいのことは考えていてもおかしくない。

 

「一色さん。もしそうなら事前に話をするわよ」

 

 それで雪ノ下さんも可能性を否定しないんですよね。そんなわけないじゃないって言って欲しかったなぁ⋯⋯。

 しかし一色の予想を実行に移すわけではないが、中核メンバーが知ったもの同士なら意思決定スピードは格段に上がるだろう。三人には大変な役割を負ってもらうことにはなるが、ありがたいことには変わりない。

 

「まあなんか⋯⋯。ありがとな」

 

 だからただその想いだけで、そう口にしたのだが。

 

「「「⋯⋯⋯⋯」」」

 

 何故か三人とも、黙ってしまった。

 しかしそれも一瞬のことで、面映いぐらいの微笑が俺に向けられる。

 

「礼には及ばないわ。推薦したのは私だし、一番大変なのはあなたよ」

「うんうんっ。頑張ろうね、文化祭!」

「あ、円陣とか組みます?」

「組まねぇよ⋯⋯」

 

 円陣なんてこっ恥ずかしいし、全然俺たちらしくもない。

 それにそんなことをしなくとも、覚悟はもう決まっている。

 

 俺の名誉の為ではなく、彼女たちの想いに報いる為に。

 俺たちの文化祭に、失敗の二文字があってはならないのだから──。

 

 






 ということで、文化祭編スタートです。
 いろはのクラスが一年B組という設定は公式で明らかになってないので捏造です。

 八幡が実行委員長になったことで物語はどう変わっていくのか⋯⋯。

 引き続きお楽しみ下さい!
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