やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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文化祭実行委員長・比企谷八幡の困難。

 オッス、オラ八幡!

 みんな、文化してっか? そうだよな、千葉の名物って言ったら踊りと祭りだよな!

 

「せんぱーい⋯⋯。最終スケジュール、アップ前のチェックお願いしますー⋯⋯」

 

 同じ阿呆なら踊らなきゃだよなぁ。オラもう、すっげぇsing a songしてっぞ!

 

「ヒッキー、これ備品費の明細追加分ね⋯⋯。ヒッキー⋯⋯?」

 

 よーしもう一回言うぞ! オッス、オラ八幡! ヒッキーじゃねぇかんな!

 

「比企谷くん、返事をしなさい。そして現実を見なさい」

「⋯⋯いえっさー⋯⋯」

 

 雪ノ下のガチトーンな警告に、俺は喉から声を絞りだした。おっすオラ、現実逃避はここまでにすっぞ⋯⋯。

 

「どっちもあとで見とくわ⋯⋯」

 

 俺がそう答えると、由比ヶ浜も一色も覇気のない声でよろしく的なことを言って元の席に戻っていく。

 文化祭まで、残り一週間を切った。

 はっきり言って佳境である。直前にしかできない作業もあるから覚悟していたが、それにしても忙しすぎた。

 

「比企谷くーん、暇なんだけどー」

「⋯⋯こっちは忙しいんですけど、なんでまたいるんですかね⋯⋯」

 

 俺と雪ノ下が作業する机の前にどっかと椅子を持ってくると、忙しさの発端である陽乃さんは砕けた調子でそう言った。

 文化祭の準備自体は、オンタイムで進んでいる。しかしこの忙しさは、陽乃さんの挑発に雪ノ下がのったことに起因するのだ。

 何を言い出すか分からない恐怖政治を敷く俺に対して、具体的で的確な指示を出す雪ノ下。みんなのお母さん的ポジションについていた雪ノ下が「今までで一番の文化祭にする」と啖呵を切ったものだから、皆必要以上にやる気に出すようになった。できることは全てやっていくスタンスで、とにかく毎日が忙しい。

 

「姉さん。邪魔するなら帰って」

「邪魔してないもーん。ちゃんと用事だってあるんだから」

 

 うふふ、と妖艶な笑みを浮かべると、陽乃さんは机に身を乗り出す。

 あの⋯⋯不用意にそういう格好するのやめてもらえますかね。深いんですよ⋯⋯どこがとは言いませんが、ええ。

 

「比企谷くん、終わったらご飯食べに行こうよ。前に約束してたでしょ?」

 

 陽乃さんの一言で、隣から冷気が放たれだしたのが分かった。何なら由比ヶ浜と一色まで手を止めて負のオーラをまとっていた。

 

「比企谷くん──?」

「⋯⋯約束はしてませんけど?」

 

 視界の端で雪ノ下が笑っているのが見える。目を合わせたら駄目だ。またよく分からない理由で怒られる。

 

「ふーん。ま、この場ではそういうことで許してあげましょう」

 

 くすりと笑ってそう言うと、陽乃さんは椅子から立ち上がった。

 

「比企谷くんが構ってくれないからもう行くね。静ちゃんに構ってもらおーっと」

 

 さすがにこの忙しさの中で由比ヶ浜や一色に絡むつもりはないのだろう、陽乃さんはそう言うと会議室を後にした。

 やれやれ、と思っていると、雪ノ下が頬杖をついてこちらを見ているのに気付く。雪ノ下らしくない格好に、嫌な予感がした。

 

「いつの間に姉さんと約束していたの?」

「約束してねぇ⋯⋯」

 

 毎回思うのだが、俺ちゃんと断ってるよな? 言葉で伝わらないなら今度から身振り手振りのボディランゲージで伝えようかしら⋯⋯。

 

「しょうもないこと気にしてないで、仕事だ仕事」

 

 俺が話題を打ち切ると、雪ノ下は小さく溜め息をついてまた仕事に戻った。

 俺も俺で仕事をこなしていると、文実メンバーは帰り際に「委員長、確認お願いします」と言って書類を積み上げていく。

 はっきり言ってげんなりしてしまう。中身が本番用進行表だったり最終案内の原稿、セレモニーの台本だったりするから、確認には相当神経を使うのだ。

 

 書類の大半を処理し終わったところで「もう体力の限界⋯⋯」と考えながら外を見た。既に当たりは暗くなっていて、会議室に残っているのは奉仕部メンバーだけ。後は全員帰ったようだ。

 

「ヒッキー、何か手伝おうか?」

 

 すでに自分の分の仕事は終わったのだろう、由比ヶ浜は俺の目の前に来るとそう提案してくれる。しかし基本的には最終チェックだから人に任せていいものではない。

 

「いや、大丈夫だ。もう少しで終わる」

「ってことは、まだ帰れなさそうですかね?」

 

 一色の方も仕事は終わったのだろう、座っていた席を見ると綺麗に片付いている。隣を見れば雪ノ下の方も、ある程度仕事がはけたところらしい。

 

「ああ。先上がってていいぞ」

 

 お前も帰れ、と意思を込めて雪ノ下の方を見ると、ムッとした表情が返ってくる。

 

「私の立場ならあなたの仕事を肩代わりしても問題ないでしょう。手伝うわ」

「いや、いいから。お前も相当疲れてんだろ」

 

 さっきから雪ノ下は眉間を揉みほぐす仕草をよくしていたし、書類を確認しながらフリーズしているように見えたことも何度かあった。どこからどう見たって疲れている。

 

「休める時に休んどいてくれ。いざ本番でぶっ倒れましたじゃ洒落にならん」

 

 少し強めの口調で言うと、雪ノ下は何かを言おうとして口を閉ざした。まだ大丈夫、とでも言いたいのだろうが、体力のないこいつが一番心配だ。

 

「⋯⋯分かったわ。けれどそれはあなたも一緒よ」

「分かってるよ。俺もこれ終わったら帰るから」

 

 そこまで言ってようやく、雪ノ下たちは帰り支度をして会議室から出ていった。

 さて、これからは一人の時間。雪ノ下との約束を反故(ほご)にしない為にも、さっさと仕事を終わらせて家に帰らねばならない。

 ようやく終わりの見えてきた書類の束を机に広げると、俺は静かに気合を入れ直した。

 

 

 

「失礼しまーす」

 

 そう言って扉を開けると、職員室の中は普段に比べてガラガラだった。

 先生たちももう帰宅したのか、それとも担当のクラスの面倒を見ているのだろうか。人が少ないせいもあってか、目的の人物はすぐに俺に気がついたようだった。

 

「比企谷」

 

 平塚先生は俺の方を振り向くと、片手を上げてそう呼んでくる。会議室の鍵をチャリチャリ鳴らしながら近付いていくと、机の上には俺がさっき片付けた分より遥かに高く積み上がった書類が見えた。

 

「おつかれっす」

 

 なんだかいつもより疲れた様子の平塚先生に、そう言って鍵を手渡す。

 この人も仕事いっぱいあるんだよな。今より仕事させられるとか、やっぱり働きたくねぇ就職怖い⋯⋯。

 

「ちょうどいい。少し休憩していかないか」

 

 そう言って平塚先生は鍵と引き換えるように、机の上にあった缶コーヒーを渡してくる。机の上にもう一つ缶があるのを見るに、俺を待っていてくれたのだろう。

 特に断る理由もなく、職員室の奥に(しつらえ)られた応接スペースへ向かう。平塚先生が煙草に火をつけたのを見て、そう言えば説教以外でここに座るのは初めてだなと思った。

 

「準備は順調みたいだな」

「ええ、まあ」

 

 プルタブを起こしてコーヒーを一口飲むと、俺はそう答える。

 みんなが気合を入れすぎているせいでバカみたいに忙しいが、スケジュール上は順調だ。去年と比べてかなりスケールアップしていることを考えると、本来ならオンタイム以上に進んでいたところだろう。

 俺の素っ気ないぐらいの答えに平塚先生は一つ頷くと、ぷかりとまた煙を宙に浮かべる。それっきり会話はなく、何だか疲れ切った現場のおっさんたちが休憩しているみたいだった、

 

「君は変わったな」

 

 俺が缶コーヒーを飲み切るぐらいになってから、平塚先生はポツリとそう言った。

 ──変わった、か。

 俺は何も変わってませんよ、なんて(うそぶ)くにはあらゆるものが変わりすぎていて、自分でも驚くぐらいだ。

 

「まあ、実行委員長なんで。嫌でも仕事はやりますよ」

「まったく、そうやってすぐにとぼけるところは変わらないな」

 

 平塚先生はやれやれと首をすくめるが、しかしその顔に浮かんだ表情は酷く優しい。

 なんだよ、この会話のテンション⋯⋯。やっぱ平塚先生、相当疲れてんな。

 働く辛さが分かったので、今度からもう少し先生に優しくしようと思いました。まる。

 

「私が君を奉仕部へ連れて行った時、雪ノ下に何を依頼したか覚えているかね?」

 

 そう言われて、ふと昔を思い出した。とは言っても、たった半年ぐらい前の話だ。

 あの日のことはよく覚えている。俺の学校生活が一変したのは、雪ノ下に会ったあの日からだ。

 

「俺の孤独体質の更正、でしたっけ」

 

 思い出してみれば、妙ちきりんな依頼もあったものだ。

 そんなことを依頼させてしまう俺もあれだし、それを受ける雪ノ下も酔狂としか思えない。

 

「そうだ。その君が六○人の実行委員たちを率いて、千人を超える生徒の為に文化祭を作り上げていっている。感慨深いよ」

「担ぎ上げられただけなんで、自主性は皆無ですけど」

 

 俺が口の端を上げて言うと、平塚先生は煙を吐きながらふるふると首を振った。

 

「それでもだ、比企谷。君はあの時、逃げなかった。孤独体質だった君が、皆のために尽くそうと決断したんだ」

 

 平塚先生の言葉は、想像もしていなかった言葉だった。

 皆に尽くす、なんてことは今まで考えもしなかったが、実際の行動はそこに結実する。していくはずなのだ、これから。

 

「さて、私は仕事に戻る」

 

 平塚先生は短くなった煙草を吸い殻に押し付けると、そう言って立ち上がる。俺も缶の底に残ったコーヒーを飲み干すと、応接スペースを出た。

 

「じゃ、お疲れっした」

「比企谷」

 

 職員室を出ようとしたところで、そう呼び止められた。

 振り返った先で平塚先生は、さっきまでの疲れた顔はどこに行ったんだってぐらい朗らかに笑って言う。

 

「文化祭を楽しめよ。精一杯」

 

 

 

 昇降口で靴に履き替えてから外を見ると、辺りはさっきよりも暗くなっていた。

 さて自転車を取りに行くかと歩き出したところで、すぐ近くに人がいることに気付く。しかも耳に入ってくるのは、聞き覚えのある声だ。

 

「⋯⋯で、直前でアレンジ変えたんだけど、静ちゃんはぶっつけ本番でもついてくるわけよ」

「へ~、そんなやりとりがあったんですね~」

 

 何だかさっき聞いたばかりの声に、ほんわかした相槌が聞こえてくる。そっと昇降口から顔を出して見てみれば、どういうわけだか陽乃さんとめぐり先輩は立ち話の真っ最中のようだ。

 めぐり先輩は生徒会だからともかく、何故この時間まで陽乃さんがいるのかが分からない。が、俺が見つかってはならないことは何となく分かる。ここは別の昇降口を使って脱出を──。

 

「比企谷くん」

 

 ⋯⋯と思ってたら即効で見つかっていた。後ろに目でもついてんのかよ、この人。

 

「遅かったじゃない。美女を二人も待ちぼうけにさせるなんて、さすがは色男だね」

 

 さも当然のようにそう言った陽乃さんの隣で、めぐり先輩はほえーっと首を傾げていた。

 どうやらこの状況が理解できていないようだ。うん、俺もよく分かってないけど。

 

「待ち合わせした覚えはありませんけど⋯⋯」

「はっきり断ってもいないよねー」

 

 確かにその通りだが⋯⋯それで約束したことになっているのは曲解がすぎている。俺より捻くれてるんじゃないのか、この人⋯⋯。

 

「ってことで、ご飯行こう。二人っきりは緊張するみたいだから、三人で」

 

 にっこり、とあからさまに邪気を隠して陽乃さんは笑う。陽乃さんと二人きりというのはハードルが高いが、年上の女性と三人というのも結構なハードルなんですが?

 

「ほら、はるさんも実行委員長経験者だし! いいアドバイス貰えるかもよ?」

「しかもお姉さんの奢りときたら、もう行くしかないね。何食べたい? どこでもいいよー」

 

 雪ノ下も強引なところがあるが、陽乃さんも同等かそれ以上だ。

 正直気乗りはしないが、めぐり先輩が言う通り得るものはあるのだろう。何よりこの状況から、逃げ切れる気がしない。

 

「⋯⋯自転車とってきます」

 

 俺はそう一言だけ言うと、トボトボと自転車置き場に向けて歩き出すのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 どこでもいいよ、と陽乃さんは言った。

 しかしこちらがよろしくない。雪ノ下家のことを考えると、下手に料理のジャンルを言おうものならこちらが恐縮するほどの店に連れて行かれてしまう可能性がある。

 

「んー、やっぱミラノ風ドリアは半熟玉子のせだよねぇ」

「ふふっ。前にはるさんと来た時も、それ頼んでましたよね」

 

 結局俺が行き先として所望したのは、駅前のサイゼだった。

 陽乃さんはワイングラスを片手に、フォッカチャをドリアのソースにつけてご満悦。これがかの有名な『サイゼで喜ぶ陽乃さん』である。いや有名ではないな。

 

「それで、どうなのめぐり。委員長としての比企谷くんは?」

 

 ひとしきり昔話をし終えると、陽乃さんはめぐり先輩に向かって問う。

 どうなの、という抽象的な聞き方では中々答えづらいのではないかと思うのだが、めぐり先輩の答えは早かった。

 

「それがすっごいんですよ! 比企谷くん。普通ならシーンとしちゃうところでもどんどん意見を求めて、バンバン決めていく感じで!」

「へぇー、比企谷くん。リーダーリップもあるんだ?」

「いやぁ⋯⋯。それはどうでしょうか⋯⋯」

 

 お褒めにあずかり恐悦至極、ではあるのだが、あれは俺がされて嫌だったことの反対側をやっていっているだけなのである。後々にシコリや無責任さを放逐する為の強引な手段だから、あまり褒められたやり方でもない気がした。

 

「なんか、昔のはるさんを思い出しました」

 

 めぐり先輩は陽乃さんを見てから俺と目を合わすと、ゆるほわりんと微笑んだ。その笑顔があどけなくて、この人は本当に年上なんだろうかと思ってしまう。

 

「へーえ。じゃあ比企谷くんのこと、他の女の子もほっとかないんじゃないかなぁ」

 

 他の、とはどういう意味だろうか。

 しかしめぐり先輩は、特に気にした様子もなく答える。

 

「はるさん鋭いですね。実は今日も、一年の子が『比企谷先輩ってよくない?』って話してるのを聞いたところでして」

「⋯⋯え、マジで?」

 

 驚きすぎて、思わずタメ口になってしまっていた。当然ながらそんな話は初耳である。

 この手の情報って、男子側から聞くのと女子側から聞くのでは意味が違うからな⋯⋯。ちなみに前者の場合は九分九厘フェイクニュースだ。ソースは俺。ソースじゃなくて醤油になりたかった⋯⋯(意味不明)。

 

「ふーん、やっぱりモテるんだねぇ」

 

 蠱惑(こわく)的に笑った陽乃さんと目が合って、ぞわりと思わず(あわ)立った。

 この会話の流れ、完全に誘導されたな⋯⋯。きっと陽乃さんは、あの花火大会の会話の続きをしたいのだろう。

 

「ねえ比企谷くん。どうして君はそこまで頑張るの?」

 

 と思っていたら、想像していたのとはまったく違った質問が飛んでくる。

 どうして⋯⋯なんだろうか、本当に。

 俺は文化祭の実行委員長をやると決めた日、彼女たちの想いに報いるべきだと思った。ではその決意の源泉はどこにあるのか。──それが自分でも、分からない。

 

「意外に責任感が強いもんで」

 

 だからつい、そんな言葉でかわそうとしてしまう。

 締まらない誤魔化しだなんて、自覚しながら。

 

「うーん、質問が悪かったかな。誰の為にそこまで頑張るの?」

 

 しかしそんな小手先の言葉では陽乃さんを満足させられるはずもなく、追求はより明確になる。

 本当に、やりにくいことこの上ない。この人を納得させるには、真実を織り交ぜた言葉が必要なのだろう。

 

「もちろん、俺の為ですよ」

 

 陽乃さんの目を見ながら、そう言い切る。

 僅かに目をみはった陽乃さんから、あえて目を外さない。奇妙な雰囲気を醸し出した俺たちを見て、めぐり先輩はちょっと困った顔をしていた。

 

「甘いね、比企谷くん」

 

 そう言って陽乃さんは、驚くほど綺麗に破顔する。

 まるで仲間を見つけたみたいに安心して、しかしその声音には警告を込めて。

 

「誰が仮面をかぶっているかはね、仮面をしている人には分かっちゃうんだよ」

 

 耳慣れないキーワードが、心の裏側を伝い落ちていく。

 まるで全てを見透かされているようで、酷く落ち着かない。

 

 

「君は本当に面白い子だね」

 

 

 そう言って陽乃さんは俺から視線を外すと、ワイングラスの中身を飲み干した。

 

 

   *   *   *

 

 

 文化祭当日まで、残り一日。

 今日は通常の授業は一切なく、全生徒が丸一日文化祭の準備を行う日だ。

 

 そんなわけで本来授業のある時間帯は、クラスの方に顔を出しているのだが。

 

「⋯⋯すまない。一緒にそら豆を食べよう」

「うん⋯⋯。ぼくのそら豆、きっと美味しいよ」

 

 ただいま絶賛、明日より上演するミュージカルのリハーサル中だ。

 仮設された舞台の上で手を握り合うのはばっちりメイクを施された葉山とさいちゃんである。っていうか配役は全員男子にするって言ってたのに、さいちゃんでいいのかよ。さいちゃんとの絡みがあるなら俺も出たかったのに!

 

「⋯⋯なあ。これ、本当に明日からやんの?」

「んー⋯⋯。でも許可証出したの、ヒッキーだからね」

 

 隣に座っていた由比ヶ浜に声をかけると、そんな答えが返ってくる。そう言えばそうでしたね。委員長として承認したんでした。

 この海老名さんプロデュースの『美男子失格』だが、シナリオのアレンジが効きすぎててもはや原型を留めていない。流れやキーワードを上手く使いながら、愚腐腐な展開盛り盛りである。

 ああ、俺もさいちゃんのそら豆、食べたかったぜ⋯⋯。

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

 俺と由比ヶ浜はそれっきり黙って、リハーサルの風景を眺め続ける。

 それにしても、こうやって何もしないでいる時間は久しぶりだ。このところ俺も由比ヶ浜も、忙しすぎた。

 

「なあ、由比ヶ浜」

 

 小さな声で呼びかけると、由比ヶ浜は俺の方を向く。

 思えばこんな風にゆっくりで話すのもどれぐらいぶりだろう。俺から聞くのもどうかという話だが、ずっと尋ねたかったことがある。

 

「由比ヶ浜の担当のところ、男子が多いけど、何か困ったこととかはなかったか?」

「え⋯⋯? なんで?」

「ほら、ずっと前に一色の一件もあっただろ」

 

 俺が言うと、由比ヶ浜は小さく「あー」と言って得心がいったようだった。

 

「別に何もないけど⋯⋯。しつこく連絡先聞かれたぐらい?」

 

 その答えは安心できるようでいて一層モヤモヤが増したような、微妙なニュアンスの回答だった。

 

「それ、大丈夫なのか?」

「うん、まあ。連絡先も教えてないから、つきまとわれるとかもないし」

 

 そこまで聞いて、ようやく多少は心の平穏が戻ってくる。

 忘れちゃいけないが、由比ヶ浜結衣はモテるのだ。文実で男子に囲まれている姿を見ると、否が応にもその事実を突きつけられる。

 

「ヒッキーって、意外に過保護?」

「そんなんじゃねぇよ」

 

 ああ、しかし。

 らしくないことをすると、こういう風に反応されるからあまり言いたくないのだ。本当、人と関わるってのは難儀なことばかりである。

 

「由比ヶ浜に何かあったら、俺にも任命責任ってものがついてくるからな」

「言い方⋯⋯。ま、いいけど」

 

 やたら現実的な理由を述べた俺に、由比ヶ浜は呆れ顔を浮かべていた。

 しかしそれも一瞬のことで。

 

「⋯⋯その気持ちだけでも嬉しいよ」

 

 ぽしょりと、そんな声が聞こえた。

 はっとして由比ヶ浜の方を見るとちょうど立ち上がったところで、心臓に悪いぐらい白い脚が目に飛び込んでくる。

 

「ヒッキー、リハ終わったよ」

「⋯⋯おう」

 

 そう言って由比ヶ浜はクラスメイトが集まっている中に入っていくと、どういうわけだかすぐに戻ってくる。その手には、黒いTシャツを持って。

 

「はい、これヒッキーのね」

「ああ、サンキュ」

 

 これはあれか、いわゆるクラスTシャツと言うヤツだな?

 大体みんなクラス内でのニックネームが書かれていたりするものだが、こと俺に至っては『比企谷クン』が定番だ。だって俺のニックネーム、影でこそこそ言うようなものしかない上にそれを文字に起こすと完全にイジメになっちゃうからな⋯⋯。

 由比ヶ浜が持ってきてくれたことを考えると、『ヒッキー』とでも書かれているのだろうか。そんなことを考えながらクラスTシャツを広げると。

 

『委員長』

 

 ──まさかの漢字三文字。

 しかもニックネームでもなんでもない肩書きだった。

 

「⋯⋯これはお前の仕業か?」

「や、違うけど⋯⋯」

 

 俺が軽く睨みながら言うと、『ユイユイ』は首を横に振った。っていうか何だよユイユイって。そんな風に呼ばれてるの一度も聞いたことねぇぞ。

 おいこら誰だ衣装係り、と教室を見渡すと、こちらを見ていたらしい『サキサキ』と目が合った。そして何がおかしいのか、ふふんとしたり顔で笑われる。

 

「にゃろう⋯⋯」

 

 覚えとけよ、さーちゃん⋯⋯。

 俺はそうひとり()ちながら、彼女なりのエールを鞄にしまい込むのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 放課後になると、本番前最後の文化祭実行委員会がある。

 オープニングとエンディングセレモニーで使う体育館の音響や照明の確認、リハーサルが終われば各担当部長を集めての最終チェック。全てが終わった頃には、辺りは完全に暗くなっていた。

 

「何だか、こうして見ると凄いですね」

 

 一色は廊下に立てかけられた看板を見ると、ぽつりとそう呟く。

 散会した後も俺たち奉仕部は学校内に留まり、最後の確認と称して準備の終わった校内を見回っていた。

 

「そうだね。自分たちで準備してきたからこそ、一つひとつの大変さが分かるっていうか」

 

 隣り合って歩いている俺と雪ノ下の前で、二人はそんな風にポツポツと会話する。

 由比ヶ浜の言うことは、よく分かる。入場ゲート、案内板、来場者用のパンフレットや関係者向けへの案内など、やってみないと実感できない苦労が多々あった。

 誰かが時間と果てしない労力を費やして、それからそれなりにお金も気も使って、当然と思っていたイベントごとはそこに存在することができる。ただ享受するだけの身であれば見ることもなかった舞台裏は、確かな教示を与えてくれたように思えた。

 

「比企谷くん」

 

 ふと呼ばれて雪ノ下の方を見ると、澄んだ瞳に俺が映っていた。

 

「きっと思い出深い文化祭になるわね」

「⋯⋯そうだな」

 

 俺に向けられた微笑みが妙に面映ゆくて、すぐに目をそらしてしまう。

 正直もう、今までの活動だけで思い出深いというか、トラウマレベルに忘れられない出来事だ。よく段取り八分、仕事二分なんて言うが、それに(なぞら)えればもう文実としてやることはほとんど終わったと言えるだろう。あとは残った仕事を、ただ粛々と実行するのみ。

 四階から順に回って一階まで下りてくると、自販機の近くを通りがかる。今日も今日とてたくさん喋ったせいで、薄ら寒いというのに喉はカラカラだ。

 

「ちょっと休憩してくか」

 

 俺がそう提案すると、こくりと彼女たちは頷く。

 俺がマッ缶を買うと、次に雪ノ下もマッ缶を買った。続いて由比ヶ浜も、一色も──何故か手には同じ物が握られている。

 

「なに⋯⋯。君たちそんなにマッ缶好きだったっけ?」

「疲れてるんで、甘いものが欲しい気分なんですよ」

 

 一色のその答えには、当然異論はない。俺のような愛好者でなければ、疲れた時にだけ飲むという人の方が多いのだ。千葉県民にとって翼を授ける飲料は赤い翼ではなく、黄色と黒のコントラストである。

 

「ね、これで乾杯しようよ」

「なんでだよ⋯⋯」

「あ、じゃあこの前やりそこねた円陣にします?」

「やらねぇ⋯⋯」

 

 飲み会じゃないんだから、と由比ヶ浜の提案を一蹴すると、一色からは更に具合の悪い提案が出される。その様子を見ていた雪ノ下は、逡巡の後に言った。

 

「⋯⋯乾杯、いいんじゃないかしら。前祝いというわけじゃないけれど」

 

 雪ノ下までそうのっかってくるとは、参った。

 まあ円陣を組むなんてのは俺たちらしくないが、乾杯ぐらいならそこまで嫌がることでもない。

 

「ってことで、委員長お願いします」

 

 一色はそう言うと、急かすように手に持ったままのマッ缶を目の前に掲げる。

 ことあるごとに持ち上げられ、時にはこうして矢面に立たされることもあったが、それもこれも明後日まで。文化祭が終わるまでだ。

 

「それじゃ、文化祭の成功を祈念して。──乾杯」

「かんぱーいっ」

 

 ジェッキをぶつけ合う音の代わりに、ボコンと鈍い音が鳴る。

 少し間の抜けたように感じるその音は、俺たちらしいと言えるのかも知れない。

 

 そんなことを考えながら飲んだマックスコーヒーは、いつもより甘いような気がした。

 

 






 ということで、ようやく文化祭準備編は終了です。
 なんとなく感じて貰えたかと思うんですが、色々後に尾を引きそうな出来事が多い話でしたね。

 さあ、次回からいよいよ文化祭当日のお話です。
 引き続きお楽しみ下さい!
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