やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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そうすることでしか、守れなかった。

 さて、修学旅行も三日目である。

 今日はクラスやグループという縛りはなく、完全にフリーで行動できる日だ。昨晩三浦には釘をさされてしまったが、奉仕部としてもっとも仕事をしやすい日は今日ということになる。

 昨日の疲れもあるのか、皆よりもぐっすり長く寝てしまった。先に起きていた葉山たちには俺を置いて朝食に行ってもらうことにして、ゆっくり支度した後に部屋を出る。

 

「あ、おはようヒッキー。ちょうどよかった」

 

 ホテルの廊下を歩いてエレベーターホールにつくと、ちょうどかご室から出てきた由比ヶ浜と鉢合わせになる。しかし男子部屋の階で降りようとしていたり、ちょうどいいと言ったり、一体何のことだろうか。

 

「おお、おはよ」

「ほら、行こう。ゆきのんも待ってるから」

 

 なんで雪ノ下の名前が⋯⋯と思ったが、由比ヶ浜のことだから朝飯を一緒に食べる約束でもしているのだろう。

 確か朝食会場は二階の大広間だったはず。しかし、俺の記憶違いだったのだろうか。由比ヶ浜は一階についてエレベーターを出ると、そのまま外に向かって歩いていく。

 

「なあ、そっち外だぞ」

「うん。そうだけど」

 

 そう言って由比ヶ浜は迷いなく歩みを進める。出入口を出たところで俺たちを待っていたらしい雪ノ下と目が合うと、朝日の中で眩しい笑顔を向けられる。

 

「おはよう、比企谷くん。それでは行きましょうか」

「いや、どこに行くって──」

「まあまあ、もう予約取ってくれてるみたいだから」

 

 ホテルの朝食に後ろ髪を引かれている俺の背中を、由比ヶ浜はぐいぐいと押してくる。

 予約ってなんのことじゃ⋯⋯と思いながら連れられて行った先は、なんともお洒落な佇まいのカフェだった。

 

「ここよ」

 

 なるほど、予約とはそう言うことか。瀟洒(しょうしゃ)な作りの扉を開ける雪ノ下を見ながら、ちゃんと腹を満たせそうなことに安堵する。

 有名な店なのだろうか、店内は朝っぱらだというのに中々の繁盛具合だ。俺たちは思い思いのモーニングセットを頼むと、間もなくしてトーストとコーヒーの香りが運ばれてくる。

 

「では、いただきましょうか」

 

 それぞれの前にモーニングプレートが揃うと、そう言って俺たちは手を合わせた。頼んだメニューはバラバラだが、なるほどどれも美味しそうだ。

 

「今日はまず伏見稲荷、だったよね」

 

 朝食を食べ始めると、由比ヶ浜は確かめるようにそう言った。

 今日は完全自由行動だから、ある程度巡るコースを決めて戸部に伝えてある。完全に一致すると怪しまれるので、要所要所で俺たちも同じところに向かうようなコースも作成済みだ。

 

「千本鳥居のあそこか」

「ええ。よくテレビでも取り上げられているわね」

 

 確かに雰囲気もよさそうなところだったし、いいチョイスだと思う。映像で見ているだけでも圧巻だったから、きっと現物を見れば盛り上がることだろう。

 そうして朝食を食べながら今日の予定を確認し終わると、ふとした沈黙の時間が訪れた。

 何だか修学旅行の話というより仕事の話ばかりだったから、こんな静かな時間も悪くない。せっかく京都のオシャンティなカフェで朝食をとっているのだから、むしろこうやって静かに過ごす方が正しいのだと思う。

 先に朝食を食べ終えると、特に何をするでもなく次々と品が消えていく二人のプレートの上を見ていた。そうしていると、ふと雪ノ下の手が止まっているのに気付く。

 

「⋯⋯」

 

 どうしたのかと思って雪ノ下の方に視線を送ると、ばっちり目があった。その瞬間、ふと雪ノ下は微笑む。

 

「ちょっと私には多かったみたい。よかったら食べてくれない?」

 

 そう言って雪ノ下は残り三口ぐらいになったサンドウィッチを差し出した。

 ⋯⋯何故か、それを手に持ったまま俺の口に近づけてくる。

 

「え、ちょっ、あ、あたしも少し多いかなーっ」

 

 由比ヶ浜もそう言うと、雪ノ下の手と並ぶようにサンドウィッチを俺の口元に添えた。えぇ⋯⋯何なのこれ⋯⋯。

 思考停止しかけている脳にムチを打つと、ふと一連の流れに気付いてしまう。

 私たちはこっさり(・・・・)にはなれないという発言。連日のように聞く、人の面倒を見ている場合ではないという雪ノ下の言葉。

 そして更に昔のこと。二人は俺に大変都合の悪い、宣戦布告をし合っているのである⋯⋯。

 

「⋯⋯君たちねぇ」

 

 だとすれば、俺の取るべき行動は。

 

「ご飯は残さず食べなさい」

 

 お残しはあきまへんで! と二人の手を押し返す。

 不満そうに唇を尖らせる二人には気付かなかった振りをして、俺はカップの底に残ったコーヒーを飲み干すのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 さて、伏見稲荷である。

 伏見稲荷大社と言えば朝食の時にも話題になった長い参道、千本鳥居がもっとも有名な名所だ。

 

「うわぁ、すごっ」

 

 無数の鳥居を前に、由比ヶ浜は感嘆の声を上げた。

 千本鳥居はその名の通り、無数の鳥居が連なり参道を作っている。こうして見ていると一体どれだけの労力が注がれたのだろうと、途方にくれるしかない。何だか文化祭の実行委員やってから、こうした裏方の仕事に目が行くことが多くなった気がする。

 

「あ、ねぇ。あそこ」

 

 そう言って由比ヶ浜が指差した先には、見覚えのある後ろ姿があった。鬱陶しい襟足と、肩までの黒髪。戸部と海老名さん、葉山を中心とするグループが、まさに俺たちから先行するかたちで参道を歩いているところだった。

 

「ちゃんと教えたコースを使ってくれてるみたいだね」

「ええ。せっかくだし、様子を見がてら行きましょうか」

 

 頷き合うと、俺たちも最初の鳥居をくぐって参道を歩き始めた。

 それにしてもこの千本鳥居、隠密行動には最適である。不意に振り返られてもすぐに身を隠せるからね。ニンニン!

 

 そう思いながら、快調に歩いていたのだが。

 

「なあ、大丈夫か?」

「だいじょうぶ⋯⋯ではないわね⋯⋯」

 

 参道を歩き始めて数十分。雪ノ下は見るからに遅れ始め、今や肩で息をしている始末である。そう言えばこの子、全然体力ないんでした。

 なんでもこの千本鳥居のコースを行くことを「お山する」とも言うらしく、実際緩やかな坂で山を上っているのだ。自転車通学の俺はともかく、メンタル最強の割にフィジカルよわよわな雪ノ下にはきついだろう。

 

「比企谷くん」

 

 少し休んで行くか、と提案しようとしたところで、どういうわけだか雪ノ下は俺に向けて手を伸ばした。⋯⋯何か今朝も、似たような光景を見たな。

 

「手を引いてくれたら、もう少し早く歩けるかも」

 

 額に汗を滲ませながら不敵に笑った雪ノ下の隣で、ぴきんと由比ヶ浜が固まる。何言い出しとるんじゃ、こいつ⋯⋯。

 だが、いい加減慣れてきた俺の発想力を舐めて貰っては困る。手段はどうあれ、目的を達成できたら問題はないのだ。

 

「ほれ」

 

 俺はハンカチを広げて棒状に折りたたむと、輪っかを作って雪ノ下に差し出した。これに掴まってもらって上っていけば、雪ノ下の言うように多少は速く歩けるだろう。その名もジェットスキー&ウェイクボード作戦である。作戦名長ぇよ。

 

「⋯⋯あなたの賢さが時々恨めしいわ」

「おかしなこと言ってないで、行くぞ」

 

 こんな観光名所で手を繋いで歩けるわけねぇだろ⋯⋯。というか、これだけでもずいぶん恥ずかしいのだ。

 渋々といった様子で輪っかを掴んだ雪ノ下の隣で、由比ヶ浜はじっと俺たちをつなぐハンカチを見ている。

 

「ヒッキー、あたしも⋯⋯」

「お前は元気だろ⋯⋯」

 

 そう言って一蹴すると、由比ヶ浜はぷくっと不満そうに頬を膨らせた。そういう(いとけな)い反応するのやめなさい可愛いから。

 

「そうだっ」

 

 閃いた! とばかりにそう言うと、由比ヶ浜は雪ノ下の空いている方の手を取った。何を考えているのかすぐに分かってしまって、俺は隠しようもなく嫌そうな顔をしてしまう。

 

「えぇ⋯⋯」

「はい、ヒッキー。レッツゴー!」

 

 二人分引き上げるとか、これ絶対辛いヤツじゃねぇか⋯⋯。

 とは言え俺がやると言い出した方法だ。もうとっくに戸部たちの背中は見えなくなっているが、行くしかない。

 

「⋯⋯行くぞ」

 

 ハンカチで作った輪っかを強く握ると、俺は坂を上り始める。腕に確かな重みを感じながら、一歩いっぽを繰り出していく。

 

「おー、楽ちーん」

「由比ヶ浜さん、暑苦しいのだけど⋯⋯」

 

 振り返ると由比ヶ浜は雪ノ下の腕を抱くように絡みついていて、大変百合ゆりしい光景が広がっていた。さっきまでのやり取りは何だったんだってぐらい、やはりこいつらは根本的に仲がいい。

 そのまま歩いて行くと、すれ違う年配の参拝客に「あらあら」なんて微笑まれてしまった。何これやっぱり絶妙に恥ずかしいんですけど⋯⋯。

 

「はぁー⋯⋯」

 

 参道の中腹にあたる四つ辻までくると、俺は深く息を吐いた。

 気付けば背中に汗が伝い、重くはないが軽くもない荷物を引き上げさせられた脚は休息を求めている。

 

「ちょっと休憩⋯⋯」

「ええ、ありがとう。助かったわ」

「うん。ありがとね、ヒッキー」

 

 ちょうど空いていたベンチに、三人並んで腰掛ける。イージーモードで上ってきた二人は当然ながら余裕の表情だ。

 そうやってしばしの休憩の後に立ち上がって歩きだすと、思いもよらぬ方向から声をかけられる。

 

「や」

 

 そう言って片手を上げたのは葉山隼人である。こいつら、先に行ってたんじゃなかったのか。

 

「あ、おーい」

 

 由比ヶ浜はさも偶然、とばかりに女子陣へ向けて手を振った。うーん、ガハマさんったら演技派⋯⋯。

 

「奇遇だな」

「⋯⋯だな」

 

 葉山の声に、俺は控えめの同意を返す。こいつもこいつで計略を分かっている立場なのに、よくスラスラとそんなことが言えるもんだ。

 それ以降会話らしい会話はなく、少し離れたところから由比ヶ浜と三浦、それから戸部が話す声が聞こえてくるのみ。

 そう言えば葉山のヤツは、一体どういうつもりでことにあたっているのか。いっそのことこの場で聞いてみようかと思っていると、ちょいちょいと海老名さんに手招かれる。その表情が常より固い気がして、俺は唾をひとつ飲み込んでからその場を離れた。

 

「お願いのこと、忘れてないよね?」

「⋯⋯ああ」

 

 その声音もまたいつもと違って、真剣味を帯びていた。念押しをしてくるっていうことは⋯⋯やはりそういうことなのだろう。

 頷きを返すと、ふと海老名さんの表情が緩む。

 

「で? で? さっきは隼人くんと何話してたの? ハチ×ハヤ的接触時間短すぎて全然足りないんだけど!」

「あー⋯⋯うん、それね⋯⋯それ⋯⋯」

 

 ってそっち期待されても叶えられる気がしないんだよなぁ⋯⋯。

 答えを濁しながら眼下に広がる京都の街並みを見ていると、不意に後ろから声がかかる。

 

「海老名ー、行くよー」

「あ、はーい」

 

 由比ヶ浜との話は終わったのか、三浦が呼ぶと「じゃあよろしく」とだけ言って海老名さんは戻って行った。どうやら葉山たちは山頂まで上るつもりはないらしく、もともと来た道を引き返して行く。

 

「私たちも行きましょうか」

 

 なんだか、坂道を上ってきた以上にどっと疲れた。

 雪ノ下の提案に俺と由比ヶ浜は頷きを返すと、来た時よりもゆっくりと参道を下り始めるのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 あれからなんやかやと京都らしい名所を巡り、やってきたのは嵐山である。

 嵐山は数多くの観光名所を有する京都の中でも特に有名な場所の一つだ。紅葉の時期というのもあるのか出店がひしめき合い、他の学校の生徒を含めた観光客で盛況だった。

 

「あ、これ美味しい」

 

 買ったばかりのメンチカツを頬張ると、こくんと嚥下した後に由比ヶ浜は笑顔を浮かべた。その隣を歩く雪ノ下も珍しいことに、何やら老舗っぽい店の屋台で買った饅頭を手にしている。

 

「晩飯食えなくなるぞ⋯⋯」

 

 俺がぽそりとそう言うと、二人はむぐむぐ口を動かしながら顔を見合わせた。

 時刻はもう夕方である。普段二人の食べている弁当の量から考えると、ついそんなお節介な一言が出てきてしまっていた。

 

「比企谷くん」

 

 雪ノ下は半分ほど食べた饅頭と俺の顔を見比べながら、何かを言いたそうな顔をしている。今朝の話の流れから、何を言いたいか分かってしまったんですが。

 

「⋯⋯食わないぞ」

「そう⋯⋯」

 

 しゅん、と表情を曇らせる様子は大変しおらしいのだが、如何(いかん)せん発想が危なすぎた。

 雪ノ下の視線から逃れるように反対を向くと、矢絣(やがすり)柄のタペストリーのような物が目に入った。そこかしこに京都らしさをちりばめているあたり、名所らしさを感じる。

 

「えいっ」

「むぐっ!」

 

 ――なんて修学旅行生らしい感想を抱いていたら、雪ノ下の手が俺の口に押し付けられていた。

 モロー反射の如く口に入れられたものを咀嚼すると、あんこの甘みがじわりと口の中に広がる。

 何してくれとるんじゃ⋯⋯と軽く睨みながら饅頭を嚥下(えんげ)すると、雪ノ下は不敵に笑った。

 

「間接キスね」

「お前な⋯⋯」

 

 意識しないようにしていたのに、直截(ちょくせつ)に言われてしまうと何も言い逃れできなくなってしまう。って言うか雪ノ下さん、強制的にその状況作るとか、間接キス魔なの?

 

「たぁ!」

「むがっ!」

 

 そんなアホなことを考えていると、今度は由比ヶ浜がメンチカツを俺の口に押しつけてきた。いや、たぁ! って敵倒すんじゃないんだから⋯⋯。

 ⋯⋯え? 違うよね?

 

「ヒッキー、あたしともその⋯⋯か、間接キ⋯⋯。うわ、やっぱ恥ずかし⋯⋯」

 

 その上自分から仕掛けたというのに顔を真っ赤にして恥ずかしがるのだから、意味不明である。そうやって恥ずかしがられると、俺も恥ずかしくなってくるんですけど⋯⋯。

 

「頭沸いてんのかお前ら⋯⋯」

 

 やむを得なく口に突っ込まれたメンチカツを嚥下すると、なるべく顔を見ないでいいように前を歩き出した。まったく、修学旅行だからって浮かれすぎだ。

 しかし俺も俺で、そもそも間接キスがなんだというのだ。食べかけの食べ物にちょっと美少女の唾液がついているだけではないか。本当それだけ⋯⋯うん⋯⋯やっぱダメだわこれ⋯⋯。

 どうしようもなく頭を沸かせながら歩いていると、ふと風が吹き付けてくる。風上にあったのは初めて来たのに見覚えのある景色で、すぐにその答えに辿り着く。

 

「竹林の道ね」

 

 ずっと先まで続く、無数の竹によって作られた小径。風が吹き抜けるたびに葉が擦れ合い、さわさわと爽快な音を立てていた。テレビの中や紙面でしか見たことがなかったが、こうして不意打ちで本物を見ると圧倒されてしまう。

 

「ここだ。ここがいいよ、絶対!」

「いや、何が?」

「戸部っちの告白する場所!」

 

 由比ヶ浜の言葉にふむと頷いて、その景色にもう一度意識を向ける。

 忘れていたわけではないが、戸部は修学旅行中に決めたいと言っていた。正直、準備が整ったとは言い難い状況だが、そもそも告白の成否は俺たちが保証できるものではない。

 

「まあ、確かに雰囲気は文句のつけどころがないな」

 

 そっちはどう考える? と視線を向けるが、雪ノ下は瞑目して唇を引き結んでいた。妙な反応だが、特に異論はないらしい。

 

「ホテルからも近いし、決行するなら今晩か」

「うん⋯⋯」

 

 俺がそう言うと、由比ヶ浜はまるで今から自分が告白でもするみたいに真剣な表情になる。

 とにかく、これで依頼の遂行はできそうだ。俺は小さく腕を組むと、またさわさわと鳴り出した竹林を見上げるのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

「っべーわー。あーマジ緊張してきた」

「戸部、こういう時は呼吸を意識しろ。ほれ、ひっひっふー」

「ひっ、ひっ、ふー⋯⋯って絶対ちがくね?」

 

 ホテルでの夕食の後。

 落ち着きをなくした戸部に、大岡たちが茶々を入れていた。一大イベントを前に、誰もが気持ちを昂ぶらせているように思える。

 あれから戸部に告白の場所とタイミングの合意を取りつけて、海老名さんを上手いこと連れ出してもらう算段もつけた。告白を目前に、普段から鬱陶しい戸部が更に鬱陶しくそこかしこを動き回っている。

 

「⋯⋯なんだか見てるだけで緊張するね」

 

 遠巻きに見ていたさいちゃんがぽつりとそう呟くと、俺は頷きを返した。

 本来なら戸部の告白がどうなろうとしったこっちゃない立場だが、依頼がある限りそうも気楽なことは言っていられない。何なら今から俺がさいちゃんに告白するぐらい緊張している。いやしないけど。

 

「あれ、隼人くんどこ行くん?」

「ちょっと飲み物を買いにな」

 

 戸部の問いに答えた葉山が部屋を出ていく寸前、ちらりと一瞬だけ目が合う。

 やれやれ、と俺はかぶりを振った。俺と葉山は正反対の存在であるはずなのに、どうしてこんな風に分かってしまうのだろう。

 葉山が部屋を出てから少しの間を開けてから、俺も部屋を出た。ちょうど角に消える背中が見えて、それを追って外に出る。

 少しずつ距離を詰めながら葉山の後ろを行くと、ホテルの近くにある川べりに出た。どこまで行っても京都の紅葉は見事なもので、嫌味ったらしいぐらい物憂げな葉山の背中に似合っている。

 

「一体どういうつもりだ」

 

 葉山が立ち止まったのを見て、俺は数メートルの距離を保ったまま声をかけた。俺が追って来ていることなど百も承知なのだろう。葉山に驚いた様子はない。

 

「どういう、って?」

「分かってんだろ。依頼をしてきたのはそっちだってのに、いやに非協力的じゃねぇか」

 

 思っていたことをはっきり伝えると、いくらか胸のつかえが取れた気がした。

 戸部を奉仕部に連れてきたのは葉山だ。戸部の願いの為に、頭を下げることさえした。それなのにこの修学旅行中、葉山が戸部と海老名さんの仲を取り持つような行動はほぼなかったと言っていい。

 

「君に言い訳はしたくなかったんだが」

 

 そう前置きをして、ようやく葉山は俺の方を向いた。もう何も言い繕うつもりはないのか、真っ直ぐな視線が注がれる。

 

「⋯⋯俺は今の関係が気に入っているんだ。戸部も、姫菜も、優美子も⋯⋯みんなでいる時間は嫌いじゃない」

 

 まるで昨晩のやり取りを、配役だけ替えてリプレイしているかのようだ。その言葉に深い溜息で相槌を打つと、俺は静かに応える。

 

「昨日、三浦も同じようなこと言ってたな」

「優美子が?」

 

 さぞ意外だったのだろう、さっきから平静を貫いていた葉山は思わずと言った調子で目を見開いた。まあ、俺だって意外だ。あんな風に三浦と話すのも初めてだったし。

 

「余計なことすんな、って。そういうところ敏感だよな」

「そうか⋯⋯」

 

 まったく、俺には分からない価値観だ。──否、分からない価値観だった(・・・)

 正直この告白が上手くいかなくても、俺に痛手は一切ない。由比ヶ浜は心苦しい思いをするかも知れないが、関わった以上どうしたって結果はついてまわるのは承知の上だろう。

 だから畢竟(ひっきょう)、どうだっていいのだ。

 

 戸部の告白は。

 その成否は。

 

 しかし──。

 

「何も壊したくないんだな、お前らは」

 

 しかし、葉山の言うことが、どうしようもなく身に沁みて分かってしまったら?

 

 まったく俺は、どうしてここまで弱くなったのだろう。孤高を崇拝し、馴れ合いを否定し、一人で生きる強さを得たと思っていたのに。

 それでも俺は、今の俺を誰かのせいにはしたくなかった。すべては俺の取った行動の結果に過ぎない。だとしたら、それを解決するのは俺の背負った業だ。

 

「君だって分かるだろう。みんなでいることの意味も、その価値も」

 

 葉山の言葉は、圧倒的無意識に俺の過去を否定する。いつしか握り込んだ拳の中で、爪が手の平に食い込んでいた。

 葉山の言っていることは理解できる。しかし他人が俺を理解するのとは、まったくわけがちがっていた。そう簡単に理解など、されてたまるものか。

 

「お前と一緒にすんじゃねぇよ」

 

 吐き捨てるように言うと、深い沈黙が俺たちの間を満たす。炎のように赤い葉が何枚も目の前をよぎる間、俺たちには言葉も意思疎通も何もなかった。

 

「⋯⋯なあ、葉山。相反する依頼にはどう答えたらいいんだろうな」

 

 そう言って、俺は踵を返した。

 俺の答えは海老名さんから暗に、三浦から直截に言われたわけでもなければ、葉山の願いを叶えるためでもない。

 

 俺はただ、己の強さを取り戻す為に。

 

「⋯⋯本当にすまない」

 

 俺は彼らの弱さを、肯定する。

 背中にかけられた言葉を振り払うように後ろに向けて手を振ると、俺はいっそう冷たくなってきた風に心を冷やした。

 

 

   *   *   *

 

 

 ぽつり、ぽつりと灯籠に明かりが灯る。

 竹林の小径を晩秋の風が駆け抜けていくと、天へと突き立てられた竹がさわさわと葉擦れの音を鳴らす。

 

「っべーわ、べー⋯⋯。うわ、マジで緊張する」

 

 ついに戸部の告白の時間がやってきていた。

 戸部は告白の直前になっても、落ち着きを取り戻す様子はない。そんな様子の戸部を葉山と大岡、大和はもう何も言うまいと見守り続けていた。

 

「ヒッキー、緊張してる?」

「なんでだよ⋯⋯」

 

 由比ヶ浜は居ても立ってもいられないという調子で竹林の道の先を見ていたかと思うと、ふと俺に問いかけてくる。確かにさっきまでやきもきする気持ちはあったが、いざ本番となればそうも言っていられない。

 気になって雪ノ下の方を見るが、冷静沈着そのものだ。もはやここまできたらジタバタしても仕方がない、とでもいうような落ち着きっぷりだった。

 

「⋯⋯そろそろ時間ね」

「ああ」

 

 寒々しいほど青い竹林の道を見続けていると、やがてその待ち人は現れる。

 戸部の告白の相手、──海老名姫菜はどこか凛とした様子で、その道を歩んでいた。

 

「っし。⋯⋯行ってくるわ」

 

 戸部はそう宣言すると、男らしい言葉の割りにガチガチになった動きで海老名さんの前へと歩みを進める。

 さあ、舞台も整い、役者も出揃った。つまりこれは、結末の決まった物語だということだ。

 

「あの⋯⋯」

「⋯⋯うん」

 

 いつもと違った戸部の声音に、いくらか固い海老名さんの声が返ってくる。その反応と海老名さんの表情だけで、この告白は失敗すると分かった。

 そうして戸部は。

 やっぱダメだったわー、と無理して笑って、誰もが表面上何もなかったような振りをして関係を続けていくのかも知れない。器用に生きられる連中であれば、きっとそうやって騙しだまし過ごすこともできるだろう。

 

「俺さ、その⋯⋯」

「⋯⋯⋯⋯」

 

 言葉に詰まる戸部に、海老名さんは頷きも促しもしない。まるで何が起こるか分かっているかのようだ。

 だからもう、十分だろう。言葉にしなくても、きっと伝わっている。だからこの先のことは、俺のわがままだ。

 

「⋯⋯ヒッキー」

 

 俺が一歩を踏み出した刹那、そんな小さな声が耳に届いた。そして次の瞬間、俺の腕は由比ヶ浜に捉えられる。

 

「おい、何やって⋯⋯」

「ごめんね、ヒッキー。でも動かないで」

 

 決然とそう言った由比ヶ浜は、力を込めても俺の腕を離そうとしなかった。

 一体これは、どういうことだ? あまりにも意味不明な状況に動揺を隠せないでいると、視界の中にビロードの髪がなびいた。

 雪ノ下雪乃は颯爽と、そして凛然と。

 戸部の告白相手である海老名さんの前に立つと、はっきりとした口調で言った。

 

「戸部くんの話の前に、一つ聞きたいことがあるの」

 

 様子を見守っていた葉山たちも、そして俺もポカンと口を開けてしまう。

 あいつ、この期に及んで直接的な介入をするなんて、どういうつもりなんだ?

 

「あなたはこれから恋愛という意味で、誰かと付き合うつもりはあるのかしら?」

 

 雪ノ下の登場に面食らっていた海老名さんは、その言葉を受け取るとすっと目を閉じた。

 次の瞬間目を開くと、問い質すような瞳が雪ノ下を捉える。

 

「その質問に答える前に、ひとつ教えて。どうして雪ノ下さんがそんなことを聞くの?」

「それは⋯⋯」

 

 さっきまでの様子とは打って変わって、雪ノ下の反応に揺らぎが見えた。

 何もかもが想定外の出来事で、すっかりコントロールの出来ない状況に変わっていく。言葉のない時間が、刻一刻と積み重なっていく──。

 

「私があなたに興味があるからよ。性別なんて関係なく(・・・・・・・・・)、とてもね」

 

 逡巡の後に放たれた言葉は、多分な意味を含んでいた。それを聞き届けた海老名さんは、どこか安心したかのような表情で答えを告げる。

 

「ごめんね、雪ノ下さん。今は特定の誰かと付き合うつもりはないよ。男女関係なく(・・・・・・)ね」

 

 それはすべてを終わらせる回答だった。由比ヶ浜の手がすとんと落ちて、俺の腕を開放する。

 俺の手先からも力が抜けて、ぴくりとも動かなかった。誰も何も言わないし、戸部はぽかんと口を開けて固まっている。

 

「用事がそれだけなら、私もう行くね」

 

 海老名さんはそう言うと、踵を返してもと来た道へと去っていく。

 結果は⋯⋯俺の考えていたことと、それほど大差はない。だが一体どうして、雪ノ下はあんなことをしたんだ? どうして由比ヶ浜を使って、俺を止めることができた?

 

「マージかよー。雪ノ下さん、最初断ったのってそういうことかよー」

 

 あんぐりと口を開けたままだった戸部は、ようやく再起動すると襟足をかき上げながら仲間たちの元へと戻っていく。

 ガヤガヤとうるさい声たちの外で、雪ノ下は一人立ち尽くしていた。

 

「ゆきのん⋯⋯」

 

 俺と由比ヶ浜が近づいていくと、ゆっくりと雪ノ下は振り返る。

 青い月に照らされた顔は蒼白で、その表情はただ痛みに耐えていた。

 

「由比ヶ浜さん、比企谷くん⋯⋯」

 

 呼ぶ声はあまりにもか弱く、目の前の少女は本当に雪ノ下雪乃なのかと疑ってしまう。

 その姿にただしくりと胸が痛んで、どうしようもない気分になった。

 

 ──この痛みは、もしかしたら俺が彼女たちに与えていた痛みかも知れないのに。

 

「私、生まれて初めて嘘をついてしまったわ」

 

 雪ノ下の高潔さを(かたど)ったような、美しい相貌(そうぼう)

 その顔が、くしゃりと歪む。

 

 

「嘘をつくのって、こんなにも胸が痛いのね⋯⋯」

 

 

 じくり、じくりと疼痛が止まない。

 泣き出しそうな表情の雪ノ下を見て、由比ヶ浜はその細身を抱き締めた。

 

 

「ゆきのんっ。ごめんね⋯⋯っ。あたしが話を受けようなんて言わなければ⋯⋯っ!」

 

 

 やがて聞こえてくる嗚咽、強く抱き締め合う二人の姿。

 俺は天を仰ぐと力いっぱいに拳を握りしめ、青い月を睨んでいた──。

 

 







 ということで修学旅行編でした。
 この展開、もしかしたら予想されてしまっていたかもとビクビクしながらの投稿です。

 さあ、次回からは生徒会選挙のお話です。
 引き続きお楽しみください!
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