修学旅行という一大行事が終わり、休日を挟んだ月曜日。
今日は久々の登校だったが、休みがあったせいで修学旅行の熱が冷めているのだろう、思い出話こそすれ皆が落ち着き払っているように見えた。
「やっぱりわたしも一緒に行きたかったですよー」
そしてそれは放課後、奉仕部の部室においても同じである。
一色いろはは学年が違うというどうにもならないことに不満を漏らしつつ、由比ヶ浜から土産話を聞いては唇を尖らせていた。
何だか、いつも通りだ。教室も、部室も、俺以外は。
あれから雪ノ下と由比ヶ浜、それに俺を含めた関係性に特段変わったことはない。なぜ戸部の告白を止めたのか雪ノ下が説明することもなければ、依頼を受けようと促した由比ヶ浜に何か言うこともなかった。言わずもがな、俺から
どうして雪ノ下があの手段を取ったのか、今をもってしても解せなかった。あの分かりにくい海老名さんの依頼に、気づけていたとしか思えないのだ。
「土産物食いながら言うセリフじゃないぞ、それ」
「だってー。わたしかわみち屋の蕎麦ぼうろ好きなんですもん」
一色はそう言いながら、俺からの土産である蕎麦ぼうろを口に放り込んだ。
もちろん一色には、戸部の告白の結果は伝えてある。ただ告白未成立後の雪ノ下たちの様子は伝えていないから、こんな風にいつも通り振る舞えるのだ。それが今は、随分とありがたく感じる。
「でも確かにこれ、美味しいよね」
一色からお裾分けを貰った由比ヶ浜も、そう相槌と舌鼓を打っている。
ちなみに一色は雪ノ下と由比ヶ浜からもそれぞれ土産物を貰っていたし、さっきまでそれできゃあきゃあと盛り上がっていたのだ。思い出したように不満を口にするのはやめて欲しいものである。
「消費期限があるものから食べて欲しいのだけどね」
そして雪ノ下は、やはりいつも通り。
何でもないトーンでそう言うと、湯気の立つ紅茶を一口飲んだ。
あの日見せた弱さの欠片もなければ、思考を読みとらせる隙もない。だから、なんて人のせいにしたくないが、俺の心の持ちようも定まらないのだろう。
──トントン、と。
そんな無為な時間を止める音が室内に響いた。俺たちは顔を見合わせると、雪ノ下が応える。
「どうぞ」
その声が部室の外まで出て行った瞬間に、がらりと扉が開いた。
「邪魔するぞ」
そう言いながら入って来たのは平塚先生で、その来訪自体は珍しいことではない。しかし意外だったのは、その後に続いて入ってきた人物だった。
「ど〜も〜。なんかちょっと久しぶりだね」
めぐり先輩はひらひらと手を振ると、俺たちはそれぞれ会釈なり言葉なりで反応を返す。
平塚先生が連れてくるということはめぐり先輩が相談者、あるいは依頼者となるわけだが、現役生徒会長の持ってくる話となると想像がつかない。何となく厄介そうなことだけは、雰囲気から分かるのだが。
「ご用件を伺います」
客人用の椅子にめぐり先輩が座ると、雪ノ下は静かにそう言った。
いつもゆるほわりんとしているからあまり意識していなかったが、めぐり先輩は上級生だ。そういう意識もあってか、雪ノ下の言葉はどこか固い。
「もうすぐ生徒会選挙があるのは知っている?」
「ええ。公示も出ていましたね」
そうだっけ、と思わず俺は由比ヶ浜と顔を見合わせた。めぐり先輩には悪いが、一般生徒からした生徒会活動はそんなものなのである。
「本当はもっと早くに選挙があるんだけど、なかなか役員希望者が集まらなくてね。今度の選挙も、まだ生徒会長の立候補がない状態なんだ」
なるほどそういう話か、と俺は得心した。やっぱりこれ、厄介な話じゃねぇか。
「だから折り入ってお願いしたいの。比企谷くん、生徒会長になってみない?」
「⋯⋯はい?」
正直、その発言には驚いた。てっきり立候補者を探して欲しい、という話かと思っていたのだ。
「なりませんけど⋯⋯」
「じゃあ雪ノ下さん! 生徒会長やってみようよ!」
いや引き下がるのも切り替えも早いなこの人⋯⋯。
若干呆れながら様子を窺っていると、雪ノ下は瞑目の後に言う。
「一応お聞きしたいのですが、どうして私や比企谷くんなのでしょう」
「だって、文化祭の時の様子を見てたらね。もう二人しかいない! って思ったよ」
塩対応のように思える雪ノ下の声音にも、めぐり先輩は少しも動揺した様子がない。ある種肝が据わっているというか、そういうメンタルじゃないと生徒会長なんてやっていられないのだろう。多分だけど。
「城廻先輩のお願いは、私か比企谷くんに限るものなのでしょうか?」
「えっと⋯⋯どういう意味?」
しかしそう思っていたのも束の間。雪ノ下の問いに、めぐり先輩は僅かに困惑を見せる。
「本当に達成したいことは、生徒会長候補の擁立、ということではないかと」
「ああ⋯⋯。うん。本当の目的で言うなら、そうだね」
雪ノ下の問いの意味を理解しためぐり先輩は、うんうんと頷きながら肯定する。結局のところ依頼の元を辿れば、そういう話になるのだろう。
「私と比企谷くんに限らず話をすれば、他にも相応しい人はいると思います。一色さんとか」
「ふぇ?」
あまりに突拍子もない振りに、一色はらしくもなく間の抜けた声で反応した。なんだよ「ふぇ」って。ちょっと可愛いなと思っちゃったじゃねぇか自重しろ。
「な、何でわたしなんですか。まだ一年ですけど」
「あら。一年だからと言って生徒会長になれないわけではないわ」
同意を求めるように雪ノ下が平塚先生の方を見ると、静かに首肯が返される。
「規定には二年から選ばなくてはならない、なんて一文はないな。ただ立候補には、三○人以上の推薦が必要だが」
なるほど、そんな人数集めのハードルの高さも起因して、立候補者が出てこないのか。
段々と状況が掴めてきたが、同時により問題の根深さが見えてくる。どう考えても、一筋縄でいく依頼ではない。
「このお話は一旦こちらであずからせていただく、ということでもいいでしょうか」
「うん。それはもちろん」
だから雪ノ下がそう言ったのは、ある意味必然だった。そんな簡単にあずかってもいいのだろうか、という意見を置いておけば。
「それじゃ、よろしくね」
そう言ってめぐり先輩と平塚先生が退室した後。
当然と言えばそうなのだが、部室には微妙な空気が漂っていた。
「えっと、⋯⋯ゆきのん。あずかるって言ってたけど」
「ええ」
互いの顔を見合うだけの、妙な時間が訪れる。だがもちろんその沈黙を破る役目は、一人しか負っていない。
「一色さん。あなたが適任だと思うけど、どうかしら?」
「えぇ⋯⋯。いや、全然適任じゃないと思うんですけど⋯⋯」
一体何のこだわりかは分からないが、先程の続きとばかりに雪ノ下は一色にそう提案する。
ただこれに関しては一色に同意だった。一色にその素養がないというわけではないが、簡単に言うなら
「そう。ではあの時の権利を使うわ」
「⋯⋯いったい何の話だ?」
「あなたの誕生日。人生ゲームでかけをしたでしょう?」
その回答で思い出してくるのは、雪ノ下の家に泊まった日のことだ。
確かに負けた者が勝った者のいうことをきく⋯⋯という約束はしたが──。
「ということで一色さん。生徒会長に立候補しましょう」
「え⋯⋯、いやいやいやいや、無理ですよっ。無理っ!」
あたかも素敵な提案をするかのように雪ノ下は手を合わせて言うが、一色の反応は断固とした拒否である。
それも当たり前の話だ。あの約束は、あくまでできる範囲でという話だったのだから。
「⋯⋯どうしても?」
「どうしてもです。どう考えてもわたしには向いてません」
「そう⋯⋯」
しかし、さすがに雪ノ下も本気で言っているわけではないのだろう、名残惜しそうにしながらもゴリ押しの手を緩めた。さっきからこいつ、なぜ一色ばかり推そうとしているのだろうか。
「では由比ヶ浜さんは?」
「え⋯⋯。いや、しないけど⋯⋯」
「そうよね。私も生徒会長になった由比ヶ浜さんをイメージできないわ」
「さらっと酷い!?」
由比ヶ浜のオーバーリアクションで、いくらか部室の空気は弛緩する。こういう時、由比ヶ浜の果たす役割は大きい。
「なあ、どうして俺たちの中で立候補するのにこだわるんだ?」
軌道修正するようにそう言うと、三人の目が俺に集まってくる。
めぐり先輩の依頼は、生徒会長の立候補者を立てることだ。確かに俺と雪ノ下は指名を受けたが、だからと言って選択肢を狭める理由にはならない。
「けれど実際、難しいでしょうね。現状立候補者がいないわけだし」
「そりゃそうだけど⋯⋯」
まるで殻に篭もるかのように手の内から対策を考えるというのは、俺らしくもなければ雪ノ下らしくもない。
開き直ってしまえば、手に負えないと依頼を断ることだってできる。そうしたって誰も俺たちを責めることはできないはずだ。立候補が出てこない責任は、二年生以下全生徒が負うべきなのだから。
「比企谷くん。あなたが受けてみる気はないの?」
「ねぇよねぇ。さっきも言っただろ」
しかしどうにも雪ノ下は引き下がらない。俺が柄じゃないのなんて、雪ノ下だって分かっているはずなのに。
「また柄じゃないとでも言うのかしら。城廻先輩の言う通り、文化祭でのことを考えたらあなただって適任よ」
まるで俺の思考をトレースしたかのように、雪ノ下は俺の言い訳を防ごうとしてくる。まったくこいつは、やりにくいったらない。
「柄じゃないってのもあるけどな、もう俺がやる必要がないだろ」
文化祭実行委員長を受けたのは、あのチェーンメールの噂が嘘だと周囲に知らしめるためだ。文化祭をやり切った以上、似たようなポジションにつく必要はない。
それは雪ノ下も承知の話だ。そう思っていたのだが──。
「そうかしら。必要がないと思っているのは、あなただけかも知れないわよ」
雪ノ下の言葉は、俺の思いとはまるで逆である。
文化祭が終わった後、雪ノ下は名誉挽回ができたと言っていた。なのに今さら、何だというのだ。
「⋯⋯どういう意味だ?」
「あなたが生徒会長をやる意味があるかないかは、客観性に委ねるべきという話よ」
批難をのせた視線に返ってくるのは、挑発的な笑み。
またもただならぬ空気になってきた俺たちに、置いてけぼりになりつつある由比ヶ浜は視線を行き来させていた。
「あのー⋯⋯。客観性って、どうやって確保するんですかね?」
「もちろん、私たちと関わりの強すぎない第三者に頼むことになるわ」
一色が当然とも言える疑問を口にすると、雪ノ下は何か当てがある口振りでそう言った。その隣で由比ヶ浜が首をかしげる。
「第三者って誰のこと?」
「では今から来てもらえるか、聞いてみましょう」
そう言って得意げに笑った雪ノ下には、違和感しかない。
⋯⋯雪ノ下さん、由比ヶ浜以外に友達いたの?
「ど、どーもー⋯⋯」
そう言いながら遠慮がちに奉仕部の部室を訪れたのは、意外な人物だった。
「いらっしゃい、
「いえいえ! ちょうどまだ学校に居たから大丈夫です!」
椅子から立ち上がるなり綺麗に腰を折った雪ノ下に、客人は恐縮した様子で両手を振った。
雪ノ下の
「お久しぶりでーす」
「久しぶりだね、お富ちゃん」
「うん。クラス違うと全然会わないもんねー」
コミュ力高めなうちの部員たちは同じく担当部長していたのもあって、何やら親しげな雰囲気だ。ただこうして仲良く喋っているのを見ていると、富岡さんは一年生にしか見えない。標準より小さめな体格の上、俺たちにも敬語でしゃべるせいだ。ちっちゃい子って可愛らしいね(危険発言)。
「ところで、今日来てもらった理由だけど」
再会を喜ぶ会話がひとしきり終わると、そう雪ノ下は切り出した。
カクカクシカジカ、四角いコンテ。雪ノ下が事情を説明し終えると、富岡さんはふむふむと頷いていた。
「つまり私が比企谷くんの印象について、調査して来たらいいんですね?」
「ええ。お願いできるかしら?」
つまるところ、雪ノ下の依頼はこうだ。
俺との関わりの深い自分たちが聞いてまわったところで、公正な調査となりえない。だから代わりに比企谷八幡について印象その他チェーンメールの内容を信じているか否か等、調査して欲しい――と。
「もちろんです! 文化祭ではお世話になりましたから」
任せてくれ、とでも言うように富岡さんは自らの胸を叩いた。担当部長なんて重い役目を頼んでしまったこちらの方が世話になったというのに、富岡さんは嫌そうな素振り一つしない。
ところで何で向こうから頼まれた仕事なのに「~ではお世話になりました」とか「ありがとうございます」って言っちゃうんだろうな。労働させて頂きありがとうございますってか? そりゃ日本人社畜になるわ働きたくねぇ。
「それでは、調査が終わったらまた来ますね。記録雑務の報告書をお待ちください!」
そう言って富岡さんは、どこかチャーミングに笑う。
それを見てちょっと可愛いなと思ってしまったのは、他の三人が知らなくていい話だ。
* * *
そんなわけで城廻先輩から持ち込まれたヘビーな依頼は、一旦保留である。
これ以上話の進展はないだろうと終了した部活の後、俺は千葉にいた。今日は何やら色々あったので家でゆっくりするのもいいのだが、前から観ようと思っていた映画の公開初日だからだ。
無事チケットを取り終わると、上映開始まではまだまだ時間があった。ここらで小腹を満たしておかないと、観ている最中にぐーぐーお腹が鳴ってしまいそうだ。
そう考えて俺は通りがかったドーナツ屋に入ると、カフェオレとドーナツを一つ購入して席に座った。ちなみに甘いものはその中心にカロリーが集まる性質があり、ドーナツはゼロの形をしているからカロリーゼロだ。サン○ウィッチマンが言ってたから間違いない。
「ありゃ、比企谷くんだー」
はむっと一口
スタンドカラーの白いブラウスに、目の粗いニットカーディガン。冬らしいロングスカートを履いた陽乃さんは、ぱっと見お洒落で上品な女子大生だ。もちろんそれだけではないことを、俺は知っている。
「⋯⋯ども」
甘ったるいドーナツを嚥下すると、俺は短くそう言って会釈した。すると陽乃さんは何を思ったのか俺の隣にトレイを置くと、さも当然のようにそこに座る。
「奇遇だねぇ。誰かと待ち合わせ?」
「いえ、一人で映画でも観ようかと」
それは座る前に聞くべきなのでは⋯⋯と思っていると、陽乃さんは買ってきたドリンクもドーナツもそっちのけで頬杖をついた。近い。いい匂い。あとそういうポーズすると机に押し付けられた柔らかいものがふにんと形を変えるのがよく分かるので控えて下さいお願いします。
「ふーん。なんて映画?」
「あー⋯⋯」
素朴な質問に、俺は思わず言いよどむ。
言えねぇ⋯⋯我が愛読書『異世界に転生した
「比企谷くーん?」
話聞いてるの? とばかりに陽乃さんは腕を引いてくる。最近やってる映画で他に何があったか思い出していると――。
「比企谷?」
またも背中に声をかけられて、俺は陽乃さんに絡みつかれながら振り返った。
くしゅっとウェーブがかったショートボブに、吊り目がちなその眼。海浜総合高校の制服に身を包んだその女子は、半ばほうけるように俺を見ていた。
ぞわり、と背中が何かを走って、二、三年前のことが脳裏をよぎる。その名前も口に出せないのに、そういう嫌な思い出だけが先行して蘇ってくるのだ。
「うっわ、超ナツいんだけど! レアキャラじゃない?」
快活な声に、人を選ばないサバサバした態度。向こうにも連れがいるようだが、手持ち無沙汰にしているのに気付いた様子もない。
折本かおり。
頭の中で、ようやくその名前が浮かんできた。見慣れない海浜総合高校の制服を着ていたって、そのキャラである限り間違えるはずもない。ましてや過去に告白してフラれた相手であれば、なおさらだ。
「比企谷、総武高だったんだ?」
「あ、ああ⋯⋯」
この辺りの人間、とりわけ同じ中学に通っていた折本なら見れば一発で分かるのだろう、しげしげと俺の制服を見ながらそう言った。進学校でブレザーというのは、私立を除けばうちぐらいなものだからだ。
「へぇ、いっがーい。頭よかったんだー!」
だから今現在の折本のような反応になるのも、当然のことと言える。ただその一言に何の嫌味も嫉妬ものせてこないのが、折本という女の子だ。
折本は分け隔てなく、フラットに人と接することができる。誰であろうと話しかけ、距離を詰めることが最善手として考え行動する。だから時々、酷い勘違いを起こさせるのだ。
「あ、でもよくよく比企谷のテストの点数ってよく知らな⋯⋯」
そこまで言って、折本はさっきからジッと見つめてくる視線に気付いたようだった。その視線の元は説明するまでもなく、さっきまで俺の顔を覗き込んでいた瞳だ。
「あー⋯⋯、彼女さん?」
「そうでーす」
きゃはっ、とでも言うように陽乃さんは笑うと、わざとらしく俺の腕に自分の腕を絡めてくる。うひょう柔らかい! じゃねぇ真面目にやれ。っていうかこの人何言ってんの?
「え、マジ⋯⋯?」
当然、そんな反応になる。折本の連れの女子も、あんぐり口を開けて俺と陽乃さんを見比べていた。
「陽乃さん⋯⋯初対面でそういう冗談通じないんで」
「えー、私とは遊びだったの?」
それにしても陽乃さん、
口をパクパクしだした折本のリアクションにようやく満足したのか、陽乃さんはぱっと俺の腕を解放した。
「って言うのは冗談で、んー、未来のお義姉さん? それともお嫁さんかなぁ」
陽乃さんはネタばらしをしながらも、冗談めいた口調で言う。あとお義姉さんってどういう意味ですかね?
「ま、立ち話も何だから、席移ろうよ」
陽乃さんはそう言うと、視線ですぐ近くのテーブルを指した。まあ誤解を解くにはそうする他ない。
俺たちはトレイを持って四人がけのボックス席に移ると、互いの顔を見合わせた。
こうして男は俺一人だけという状況になると、酷く居心地が悪く感じる。男子一人に女子三人、というのは奉仕部で慣れているはずなのに。
「えっと、比企谷と同じ中学だった折本かおりです」
「あ⋯⋯。かおりと同じ高校の、仲町千佳です」
「どーもー。比企谷くんの彼女候補の雪ノ下陽乃です」
まだそのノリ続けるのかよ⋯⋯と思いつつ折本たちの様子を窺うと、笑うところなのかどうか迷った末の愛想笑いを浮かべている。
「えっと、大学生⋯⋯ですよね?」
「そー。高校は比企谷くんと同じ総武高校だったんだー」
陽乃さんがそう言うと折本たちは「なるほどそういう繋がりか」みたいな顔をした。たぶん勘違いをしている。先輩後輩という意味では正しいが、在学期間はかぶっていないし、本来であればお互い知らない者同士のはずなのだ。
「そうだ、総武高っていったら葉山隼人くんって知ってる?」
「⋯⋯知ってはいるけど」
折本が俺に向けてその名前を口にして、少し驚いた。トップカーストリア充イケメンは、校外にまでその名を轟かせているらしい。
「私も知ってるよー。幼なじみみたいなものだからね」
「え、そうなんですか?」
「なんか凄いラッキーかも」
折本はそう言うと、何やら隣の仲町さんとやらと盛り上がりだした。どちらかと言うと折本よりも仲町さんの方が色めきだっているように思える。
「ねぇ比企谷。知り合いならさ、葉山くん紹介してよ。千佳がいいなって思ってて」
「いや、知り合いってだけでそんなに仲良くな――」
「いいよー。私が繋いであげる」
俺の言葉を陽乃さんが遮ると、二人はまたきゃいきゃいと盛り上がりだした。
何を考えているのかは分からないが、陽乃さんが紹介すると言うなら別に俺には関係のないことだ。そう思っていたのだが。
「じゃあさ、葉山くんと会う時、比企谷も来ようよ」
「⋯⋯は? なんで?」
「だって共通の知り合いいた方が話しやすいじゃん」
「いいねー。じゃあダブルデートだ」
陽乃さんは実に愉快そうに言うが、俺の心の内はまったく愉快じゃなかった。そんなことをしてうっかりあいつらの耳に入ろうものなら、何を言われるか分かったものじゃない。
「いや、行きませんけど」
以前のようにはっきりノーを言っても伝わない可能性があるので、俺は陽乃さんに向けて手でバッテンを作って見せた。折本たちには怪訝な目を向けられてしまったが、背に腹は代えられない。
「ふーん、私からのお願いを断るんだ」
「いや、お願いって⋯⋯」
全然お願いって感じで言われてませんけど⋯⋯と陽乃さんを見返すと、
「私は比企谷くんの為に頑張ったのになぁ。雪乃ちゃんに頼まれてだけど」
その口振りで、何を言っているのかすぐに思い当たってしまう。
文化祭二日目のあの日、陽乃さんは二度舞台に立った。一度目は地域からの一般参加者として。二度目はエンディングセレモニーの直前、各賞の結果が書かれた紙を俺がなくして、それに探す時間を捻出する為に。
ここでそのことを引き合いに出すなんて、少し意地が悪い。しかし陽乃さんに助けられたのもまた事実だった。
「それを今言うんですか⋯⋯」
「そうだよー。だから比企谷くん、行ってきなよ」
半ば強制的に、行く理由はできてしまった。しかし俺の方の問題はまだクリアになっていない。
「行くにしても、何と言うか⋯⋯」
「あー、なるほどね」
答えあぐねている俺に、陽乃さんはすぐに納得したように頷きを返す。しかしさっきから置いてきぼりになっている折本にその意味が分かるはずもなく、素朴な疑問を口にした。
「何? 比企谷が来れない理由って何かあるの?」
「比企谷くんモテモテだからねー。彼女候補がたくさんいるから、行きにくいみたい」
「え⋯⋯彼女候補⋯⋯? たくさん⋯⋯?」
マジで意味分からん、とでも言うように折本は目を
「別にそういうのじゃないんですけど」
「そう思ってるのは比企谷くんだけだと思うけどねー」
俺たちのやり取りを見ていた折本は、やはりまだ理解が追いついていない様子だった。語弊のある言い方をするもんだから、混乱しているようだ。
「っていうか比企谷なんで急にモテてんの?」
驚愕と混乱から帰ってきた折本は、もっともな問いを投げかけてくる。
しかし俺はそれに対して、明確な答えを持ち合わせていない。別に俺が中学の時と比べてどうしたとかはないからだ。
「まあ、分かる人には分かる魅力があるんだよ。多分ね」
黙りこくった俺に代わって、陽乃さんがそう答える。
しかし多分って⋯⋯と思ってしまうが、人が感じる魅力はそれぞれ違うものだ。多分。知らんけど。
「比企谷くんは彼女候補ちゃんたちに後ろめたいことしたくないんだよねー。だったらみんなで行けばいいんじゃない?」
「あ、それいいですね。こっちも男子呼んで数合わせますんで、合コンみたいな感じで!」
何やら勝手に話が進んでいるが、合コンという俺に似つかわしくないキーワードに酷い違和感を覚える。
それに折本が陽乃さんの話を信じている前提で考えると、数合わせで呼ばれる男子が不憫すぎるんですけど。
「いや、さすがにそれは大所帯になりすぎると言うか」
「ふーん」
俺があの手この手で抵抗しようとすると、陽乃さんはしてやったりと言う顔でこちらを見ていた。まるで獲物を仕留め終えたみたいな表情に、ぞわりと背中が震える。
「比企谷くん、やっぱり三人とも彼女候補だって思ってるんだ?」
「⋯⋯⋯⋯」
⋯⋯本当、やりにくいなこの人。やり方があまりにも雪ノ下に似すぎているのは、彼女の方が姉から影響を受けたというところだろうか。
「安心して。雪乃ちゃんは留守番させるから、ガハマちゃんといろはすちゃん連れて行ってきなよ」
「⋯⋯本気で言ってんすか」
一人減ったとて向こうも同じ数で来たら、遊びに行くには多い人数になるのは変わらないのだが⋯⋯。
しかし、それよりも陽乃さんが雪ノ下を排除したがる理由が気になった。そんなことをすれば、恨みを買うこと間違いなしなのに。
「本気だよー。私がここまでするって言ってるのに、恩を仇で返すような真似はしないよね?」
問い質してくる目が、視線をそらすことを許さない。陽乃さんにじっと見つめられていると、蛇にでも睨まれているような気分になる。
「最終確認です。行きますか。行きませんか?」
「⋯⋯⋯⋯行きます」
観念してそう答えると、陽乃さんは飴と鞭だと言わんばかりにニッコリと笑顔を浮かべた。固唾を呑んで見守っていた折本たちも、表情を緩める。
「おー、やったじゃん千佳」
「えっと、あの⋯⋯。なんかそこまでしてもらうの申し訳なくなってきた」
「いいんだよー。普通に楽しんできたら。ね?」
すっかり気のいいお姉さんキャラになった陽乃さんは、折本たちと連絡先を交換し始める。
何だか当人たち不在で話が進んでいるが、後は都合がつかなくてお流れになるのを期待するしかない。
「じゃーねー」
会話に区切りがつくと、陽乃さんは去っていく二人にそう言って手を振った。
未だ興奮冷めやらぬと言ったテンションで店を後にした二人に対して、俺のテンションは下がり切っている。
「不満そうだね」
そう言って笑みを見せる陽乃さんに、俺は聞こえるように溜め息をついた。人が嫌がることを分かっていてするのだから、本当にいい性格をしている。
「何だか、おもちゃにされて引きずり回されている気分ですよ」
ひょっとしたら、幼馴染だという葉山もこんな風に翻弄されていたのだろうか。そう考えると、少し同情してしまう。
「そうだね。君はお気に入りのおもちゃだから」
浮かべられたままの笑みとその台詞がセットになると、酷く恐ろしい。今日起こったことは、悪い冗談みたいなことばかりだ。
「大好きで、大切なおもちゃだよ」
そう、悪い冗談⋯⋯だよな? 本当に。
俺は陽乃さんから目をそむけながら、すっかり冷たくなったカフェオレをすするのだった⋯⋯。
ということで今回から生徒会長選挙に関わるお話です。
なんでいろはすが立候補させられてないのかは、今までの話の流れを汲んで想像して貰えばなと思います。
あと一応説明して置きますと、富岡さんは俺ガイル新から登場のキャラクターです。文化祭の話の時は名前は出さずに身体的特徴だけ書いたんですが、気付いていた人はいるでしょうか?
次回、みんなで遊びに行くぜ! 編に続きます。
引き続きお楽しみください!