やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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雪乃さんはやってみたい。

 明くる月曜日の放課後。

 奉仕部の部室にはいつもの四人に加えて、富岡さんの姿があった。

 

「⋯⋯というのが、調査した結果になります」

 

 言うなれば雪ノ下の依頼によって実施された、富岡さんによる俺の内申調査の結果。それを聞き届けると、俺には安堵しか残っていなかった。

 

「結論から言うと、比企谷くんに対しての心象は明らかな良化が認められた、と」

「そうですね。少なくともチェーンメールの噂を信じている人はいないみたいですし」

 

 雪ノ下が一つ頷いてそう言うと、富岡さんは首肯しながらそう返す。

 つまりところは雪ノ下のまとめの一言に尽きる。柄にもなく文化祭の実行委員長なんかをやった甲斐があった、と言ったところだ。

 

「ただその⋯⋯ちょっと言いにくいんですけど」

「どうしたの、お富ちゃん」

 

 そう言葉を濁した富岡さんにはてと一色は首を傾け、由比ヶ浜はそう続きを促した。

 

「えっと⋯⋯だいたい三分の一ぐらいの人に『比企谷って誰?』と言われてしまいまして⋯⋯。なので結果はそれも加味して捉えてもらえればと」

 

 なるほど、と俺は深く頷いた。富岡さんには要らぬ気遣いをさせてしまったが、これは俺にとっては好都合だ。

 誰も彼も、本当の意味では他者に興味などない。自分を通して他者を見ている以上、本質的に自分しか見ていないとも言える。

 だから随分前のチェーンメールの中身やら、文化祭実行委員長を誰がやったかなんて、彼ら彼女らに大した価値はない。俺に好都合なのは、俺を知る人がそれほど多くないという事実の方だ。

 

「これではっきりしたな。もう名誉挽回の必要もないし、そもそも名前の知れていないヤツが生徒会長に相応しいとは言えないだろ」

 

 俺が勝ち誇るように言うと、雪ノ下は不服そうに視線を返してくる。部室の空気が変わったのに気付いたのか、富岡さんは交互に俺と雪ノ下の顔を見ていた。

 

「あの、私外した方がいいですよね?」

「いいえ。ここまで巻き込んでしまったのだもの。離席してもらう必要はないわ」

 

 雪ノ下の言葉は、正々堂々やりあおうと宣告しているようにも捉えられる。

 なおも雪ノ下の説得は続く──と思いきや、その視線の先は俺ではなかった。

 

「一色さん。あなた本当に生徒会長をやってみるつもりはないの?」

「えぇ⋯⋯しつこ⋯⋯。前にもやらないって言ったじゃないですか」

 

 一体どうして一色にこだわるのかさっぱり分からないが、以前の問答が再現される。なんとも雪ノ下らしくないやり方だ。

 

「なあ、どうして俺たちの中から生徒会長を決めようとするんだ?」

 

 めぐり先輩が依頼を持ってきた時と同じだ。この中から生徒会長を擁立しようなんて、考えが短絡的すぎる。

 俺の問いに、雪ノ下から答えは返ってこない。だから俺は畳み掛けるように続けた。

 

「別にこの依頼は断ってもいいはずだ。奉仕部でどうこうできるものでもないし、学校全体の問題だろ」

 

 俺の意見は、以前と何も変わらない。生徒会長の立候補がないのは全員の問題であり、仕組みの問題だ。

 生徒会長になれば当然内申点には有利に働くだろう。しかし実利としてはそれだけだ。玉縄のようにやりがいを感じ、経験が糧となるとしても負うリスクに対してリターンが見合わない。

 

「そこまで言うなら、分かったわ」

 

 雪ノ下はそう言ってふと、穏やかな笑みを浮かべた。意外なぐらい、あっさりした引き際だ。

 しかしあの雪ノ下がそう簡単に折れるとは──。

 

 

「なら私が生徒会長に立候補する。これが城廻先輩の依頼への答えよ」

 

 

 そう、折れるわけがなかった。あれほどこの中から生徒会長を選び出そうと拘泥(こうでい)した雪ノ下が。

 由比ヶ浜も、一色も、富岡さんも。そして俺も、言葉を失っていた。皆が皆、必死にその意図を読み解こうとしている。

 確かに雪ノ下にもめぐり先輩からオファーがあった。一緒に仕事をした仲だし、少なからず恩義を感じていることもあるだろう。

 しかし、それにしたって、求められたからと言ってなろうとするのは、ちがう。

 

「ゆきのん⋯⋯。本気、なの?」

「ええ」

 

 由比ヶ浜の沈痛な声の所以(ゆえん)は、もう分かっていた。雪ノ下の結論を聞けば、否応なく現実的に考えてしまうから。

 この中で一人だけ生徒会に入る。しかも生徒会長になるということは、部活に穴を空けるということに他ならない。生徒会の仕事がどれほどのヴォリュームなのかは分からないが、裏方の大変さは俺たちが身をもって知っていることだった。

 

「私がやる意味は、あまりないわ。けど⋯⋯」

 

 雪ノ下は言葉を切ると、床に視線を落として言った。

 

「少しだけ、やってみたかったの」

 

 どこか(いとけな)い言葉は、そうであるが故に純粋だった。

 そう言われてしまえば、止める理由を失ってしまう。部長なのにとかそんな些末な理由は、引き止めるには弱すぎた。

 

「でもそれは⋯⋯。雪乃先輩が一人だけ抜けちゃうみたいになるじゃないですか」

 

 一色はどこか怒っているような声音で、雪ノ下に語りかける。空気が重い。引き止められてしまった富岡さんが不憫になるぐらい、この数分で部室の雰囲気は一変してしまった。

 

「そうね。そう感じるのも仕方ないかも知れない」

「かも知れないって!」

 

 にわかに声を荒らげた一色は、立ち上がって雪ノ下を睨みつけていた。由比ヶ浜が「いろはちゃん」と呼ぶが、一色はかぶりを振って受け付けない。

 一色は、何に対して怒っているのだろう。

 俺はどうして、雪ノ下を引き止めることを真っ先に考えてしまうのだろう。

 ⋯⋯この部活は、本当に面倒くさいことばかり起き続けている。

 

「一色さん、落ち着いて。最後まで私の話を聞いて欲しいの」

「⋯⋯はい」

 

 渋々と言った声音で一色は答えると、静かに腰を下ろした。雪ノ下の落ち着きっぷりに、毒気を抜かれたようだった。

 

「確かに私一人が抜けただけなら、一色さんの心配するような状況になるかも知れないわ。私が抜けただけ(・・)なら」

 

 雪ノ下はそう言うと、俺と視線を合わせる。

 そして呪文でも唱えるみたいにハキハキと、その言葉を声に出した。

 

「書記」

「は?」

 

 思わず間の抜けた声が出る。しかしそれを意に介した様子もなく、雪ノ下は由比ヶ浜に視線を向けた。

 

「会計」

「え⋯⋯?」

「それから」

 

 戸惑う由比ヶ浜を置いて、雪ノ下は一色を見つめていた。

 どこまでも真剣な瑠璃の瞳には、呆気に取られた一色だけが映っている。

 

「副会長」

 

 嵐が過ぎ去った後のような静寂が、俺たちの間を満たしていた。

 客人である富岡さんはもはや借りてきた猫みたいになって、固まっている俺たちの顔を順に見ている。

 

「私たちで生徒会を運営すれば、私だけが抜けることにはならないわ」

「でも、そうしちゃったら、この部活は⋯⋯?」

「もちろん、続けるわ。生徒会として受けるべき仕事であれば生徒会として、そうでなければ奉仕部として依頼を受けましょう」

 

 由比ヶ浜の問いかけに、雪ノ下は一切の迷いなくそう答える。

 一見フラッシュアイデアのように感じる提案だったが、あながち無茶な話ではなかった。普段の奉仕部の暇っぷりと四人全員でことの対処にあたることを考えたら、不可能な話ではない。

 

「三人に、あの日のお願いを伝えるわね」

 

 あの日、願い。その二つのキーワードで、長い夜のことを思い出す。

 俺の誕生日と人生ゲーム、そしてその勝者の権利は、お願いを叶えられる範囲で叶えてもらえること──。

 

 

「お願い。私を一人にしないで」

 

 

 ⋯⋯まったく、勘弁してくれよと思う。

 たかだかゲームにくっついてきた権利を、こんな風に使うなんて。それにその言い方だってずるすぎる。

 

 交わす言葉もなければ、行き交う視線もない。

 静寂は深く、まるで降り積もった雪のように微かな物音ですら吸収していく。

 ──沈思黙考。

 しかし、答えを出すのにそれほど多くの時間は必要なかった。

 

「⋯⋯仕方ありませんね」

「うん⋯⋯。そのお願いなら、叶えられそう」

 

 そう答えた由比ヶ浜と一色は、もう覚悟を決めた様子だった。否、迷っている様子すらもなかった。

 そうして視線の集まる先は、一人だけ答えを口にしていない俺だ。期待と不安が入り混じった目に、俺は盛大に溜め息をついた。

 

「⋯⋯また仕事が増えるな」

 

 言った瞬間、彼女たちの表情が綻んだ。富岡さんは「お~」と言いながら小さく拍手をして、妙に気恥ずかしくなる。

 

「ただ、ちょっといいですか?」

 

 弛緩しかけた空気の中で、一色は小さく手を上げる。

 

「どうして副会長が先輩や結衣先輩じゃなくて、わたしなんです?」

 

 一色の疑問はもっともだった。一年生が生徒会役員になろうとすること自体珍しいのに、なぜ雪ノ下は副とは言え一色を中核に据えたがるのだろう。

 

「それは⋯⋯。あなたには次の年に、繰り上がりで生徒会長になって欲しいからよ」

「ええ⋯⋯。またそれですか⋯⋯」

 

 一色は嫌そうなそぶりを隠せない様子だが、無理もない話だ。何せ意味が分からなさすぎる。

 

「なあ、なんで一色が生徒会長をやることにこだわるんだ?」

 

 ちょっと、いやかなり雪ノ下の言動は理解しがたい。

 特に向いているわけでもないだろうし、雪ノ下自身が生徒会に思い入れのあるそぶりは何一つとしてなかった。

 だから直截(ちょくせつ)に聞いたのだが。

 

「私たちが卒業する時、送ってくれる生徒会長は一色さんであって欲しい。⋯⋯そういう理由じゃ、駄目かしら」

 

 ⋯⋯なるほど、さっぱり分からない。

 もうこうなったら雪ノ下が納得のいく説明をしてくれることはないだろう。後は一色がどうするかだけだ。

 そう思って一色の方を見ると少しだけ口の端が上がり、頬は微かに赤らんでいるように見えた。

 

「し、仕方ないですねー。来年生徒会長をやるかどうかは別として、雪乃先輩がそこまで言うなら副会長でいいです」

 

 さてはこいつ⋯⋯雪ノ下に指名されてちょっと喜んでるな? なんだかんだ一色は雪ノ下に懐いているし、認められて嬉しい気持ちもあるのだろう。

 それはいいにしても、一色の「副会長でいい」という発言には引っかかりを覚える。

 

「ただ会長の立候補がないだけで、他の立候補はあるんだろ? 意思表明したら全員が生徒会に入れるってわけでもない」

「あー⋯⋯確かに立候補するためには推薦人集めもしなきゃだしね」

 

 由比ヶ浜の補足の通り、まだ越えるべきハードルがいくつもある。選挙公約、推薦人への依頼、考え出すときりがない。

 

「大丈夫よ、きっと」

 

 しかしそんな懸念材料も、雪ノ下はたった一言で一蹴した。

 

「私たちはどんな依頼もこなしてきたじゃない。それとも自信がない?」

 

 雪ノ下はそう言うと、優雅なまでの笑みを俺に向けてくる。

 まったく、こんな時にまで余裕綽々なのはさすがとしか言いようがない。

 

「あの、私推薦人集めとか手伝いますよっ」

 

 自ら手伝いを申し出てくれる富岡さんを見て、雪ノ下の言う通りだと思った。

 小さな依頼から文化祭でのことまで、俺たちには積み重ねてきたものがある。これが雪ノ下の願いだと言うのなら、あらゆる手を尽くして実現する。今までの依頼でも、そうしてきたように。

 

「平塚先生のところにも行かないとな⋯⋯」

 

 俺が呟くと雪ノ下は安心したような微笑みを浮かべ、小さく頷くのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 奉仕部全員で生徒会入りを果たす。そう決めてからは、あっという間だった。

 富岡さん、クラスの伝手(つて)、それからサッカー部を巻き込んでの推薦人集め。同時に推薦人をやってくれる人を探し、耳触りのいい選挙公約を練る。

 雪ノ下たちの知名度であれば選挙で勝つことは容易いと思われたが、念には念を入れて徹底的に対策した。もっとも当選が不確実な俺の推薦演説者を葉山に頼むことまでして、言葉は悪いが使える人という人を使いまくり頼りまくった。

 

 そんな激動の日々の後。

 俺たちは放課後の生徒会室に集まっていた。

 

「うれしいっ! 雪ノ下さんが引き継いでくれて本当にうれしいよっ!」

「城廻先輩⋯⋯近いです」

 

 生徒会選挙の今日、集まった票は即日開票された。感極まっためぐり先輩は頬擦りでもしそうな勢いで、雪ノ下に抱きついている。

 そして俺たちの見つめる先の、ホワイトボード。そこに描かれた花丸の下には、俺たちの名前が書かれている。

 

会長 雪ノ下雪乃

副会長 一色いろは

書記 比企谷八幡

会計 由比ヶ浜結衣

 

 こうして役職名とそれぞれの名前が並んでいるのを見ると、本当に生徒会役員になったんだなと実感する。

 しかし、そこに不安はない。イベントごとには慣れたものだし、答えのない無理難題を解くよりはずっと簡単だろう。

 仕事が増えるのは正直勘弁願いたかったが、そのあたりの覚悟も決めて臨んだことだ。選出された以上後には引けないし、引くつもりもない。

 

「みんなの名前が並んでいるのを見ると、文化祭の時みたいで安心するよ」

 

 ようやく雪ノ下を解放しためぐり先輩は、しみじみとそう言った。おそらく分実だった生徒たちも、似たような感想を抱くのだろう。

 奉仕部を知る人たちから見たら何事かと思われる布陣だが、『雪ノ下雪乃を一人にしない』という目的のためなら外野の意見など関係ない。

 

「あ、そうだ。これから祝勝会しません?」

 

 めぐり先輩のその感想が面映ゆいのか、一色は照れ隠しのようにそう言った。

 

「いいねー。めぐり先輩も一緒にどうですか?」

「あはは。私はいいよ~」

 

 めぐり先輩が由比ヶ浜の誘いを辞退すると、めいめい帰宅の準備を始める。引き継ぎもまだだが、開票結果を待っていたからもう結構遅い時間になってしまっていた。

 全員が生徒会室から出ると、めぐり先輩は鍵穴にキーを差してゆっくりと回す。

 ありがとうございました──。

 微かに動いた唇がそう言った気がして、気が引き締まる。

 

「鍵は私が返しておくから、明日からはお願いね」

「はい」

 

 雪ノ下が返事をすると、めぐり先輩は嬉しそうに微笑んだ。今日がきっと、めぐり先輩が生徒会室の鍵を返しに行く最後の日になるのだろう。

 

「どこでやろうね。祝勝会」

「んー、先輩に聞くと駅前のサイゼって言うに決まってますしねー」

「あはは。でも、あたしも一番に思いついたのサイゼかも」

 

 めぐり先輩と分かれると、そんな話をしながらゆっくりと昇降口に向けて歩いていく。

 しかしその会話もどこか上の空で、俺の頭にはうまく入って来ない。どうしても、気になることがあるせいだ。

 

「なあ」

 

 昇降口について、結局行き先が駅前のサイゼに決まったところで俺は声をかけた。

 

「忘れ物したみたいだから、先に行っててくれるか?」

「あ、うん⋯⋯」

 

 由比ヶ浜の返事を聞き届けると、俺は踵を返した。雪ノ下は怪訝そうな表情をしていたが、気付かない振りで歩きだす。

 こうも気にかかってしまっては、祝勝会どころじゃない。そう考えると、職員室へと向かう足を止められなかった。

 やがて職員室について扉を開けると、鍵を返しに行っていたはずのめぐり先輩の姿は見当たらない。さらに俺の探し人である平塚先生までいないもんだから、これは当てが外れたようだ。

 

「あれ、比企谷くん」

 

 と、思っていたら、応接スペースの中からひょっこりめぐり先輩と平塚先生が出てくる。現生徒会長として最後の日だから、何やかやとあるのかも知れない。

 

「帰ったんじゃなかったんだ」

「ええ、まあ⋯⋯。ちょっと平塚先生に用事がありまして」

 

 めぐり先輩の一言にどうにも気まずくなって、ぽりぽりと襟足をかいた。しかし忘れ物をしたのは確かだから、嘘をついたわけではない。

 

「珍しいな。では比企谷と交代だな」

「はい。平塚先生、ありがとうございました」

 

 そう言ってめぐり先輩は綺麗にお辞儀をすると、俺に「またね」と声をかけて職員室を出て行った。平塚先生に目線で促されると、入れ替わりで応接スペースに入る。

 

「知っているとは思いますけど、一応全員で選挙を通りましたという報告を」

「ああ」

 

 ソファに座ってそう切り出した俺に、平塚先生は鷹揚(おうよう)に頷きを返す。しかしそれが俺の本当に言いたいことではないなんて、お見通しって目をしていた。

 

「生徒を贔屓にしてはいけないが⋯⋯。君たちなら選ばれると思っていたよ。おめでとう」

 

 社交辞令じみた会話に、俺は軽く頭を下げた。やがて出来た会話の空白を埋めるように、平塚先生は煙草に火をつける。

 

「それで、そんな話がしたくて来たわけじゃないんだろう?」

「ええ、そうですね」

 

 まるで俺の考えなど、手に取るように分かるとでも言われているようだ。

 これが生きてきた年数の差なのだろうか。いや平塚先生が年増という意味ではなく。⋯⋯ってこれ以上考えを読まれたら殺されそうだからやめておこう。

 

「平塚先生は俺たちが生徒会をやりながら奉仕部も続けることを、どう思っているのかなと」

 

 俺がそう言うと、平塚先生は不思議なぐらい優しい目でこちらを見ていた。

 

「そのことか⋯⋯。まあ、雪ノ下から聞かされた時は正直驚いたよ」

 

 大して昔のことでもないのに、平塚先生はしみじみと語り始める。

 奉仕部と生徒会をかけもちしたいと平塚先生に伝えに行ったのは、雪ノ下一人だった。全員で行くべきだと提案したが、雪ノ下が「私の言い出したことだから」と退かなかったからだ。

 

「最初に全員で生徒会に入ると聞いた時、私はてっきり奉仕部をなくしてそちらに専念したいという提案かと思ったんだ」

 

 平塚先生の語りから、雪ノ下が報告するシーンを頭の中で再生する。一体どんな様子で切り出したかは分からないが、そう思うのも無理はない話だ。

 

「私はそれでも構わないと思った。あの部活は雪ノ下のためのものだったし、後に君のためという目的も増えたが、もう必要もないだろう」

「そう⋯⋯ですかね」

 

 まさか必要ないとまで言われるとは思っていなくて、俺は言葉に詰まる。平塚先生がそう考えていたことが、少なからずショックだった。

 

「そうさ。君のその表情が答えだよ」

「え⋯⋯?」

 

 言っている意味が分からなくて、その答えを求めるように平塚先生の双眸(そうぼう)を覗き込んだ。目が合うよりもずっと前から俺を見ていたらしい一対の瞳が、不思議そうな顔をした男を映している。

 

「なくしたくなかったんだろう? あの場所を」

「それは⋯⋯。そうなのかも知れません」

 

 その質問に、否やを唱えることができなかった。頭の中の選択肢にすら、「違う」なんて答えは出てこなかった。

 

「私は実際、雪ノ下に言ったんだ。生徒会に専念しても構わないんだぞと。そうしたら雪ノ下はなんと答えたと思う?」

 

 分からない、と俺はかぶりを振ると、平塚先生は一等優しく微笑む。

 

「奉仕部をなくすことなんてありえないと、はっきり言われたよ。将来あそこで誰かが得られるであろう経験を、守りたいってね」

 

 将来──。

 その言葉の先に、近い未来に入学してくるだろう小町の姿が思い浮かんだ。小町が無事総武高校に合格したとしても、奉仕部に入るかどうかなど分からないし、想像したこともなかった。

 けれど一度考えてしまえば、雪ノ下の意見に同意するしかない。あそこで得られるものは、きっと小さくはないのだから。

 

「そうですか、あいつが⋯⋯」

「そう言われたら、それ以上何も言えなかったよ。そして素直に、喜ばしかった」

 

 たぶん、あいつは俺が思っている以上に奉仕部のことを考えているのだろう。普段の様子から見ても分かっていたことだが、平塚先生の話を聞いているとそう強く感じる。

 

「おい、そんな辛気くさい顔をするなよ。いい話をしてるんだから」

 

 そう言って平塚先生は紫煙をくゆらせた後、灰皿で煙草の火をもみ消した。そしてパンッ、と膝を叩いて立ち上がる。

 

「さあ、そろそろ帰りたまえ。完全下校時刻はとっくに過ぎている」

「⋯⋯うす」

 

 恐らくだが、平塚先生は言葉にした以上に雪ノ下の意志が嬉しかったのではないだろうか。急かす素振りに照れ隠しのようなものが見えて、そう勘ぐってしまう。

 失礼しました、と職員室を辞去すると、昇降口に向かって歩き出す。

 思っていたより話し込んでしまった。これはまた一色あたりに「先輩おそーい」と文句を言われる案件だなと思いながら昇降口を出ると──。

 

「先輩おそーい」

 

 頭の中で流していた一色の声が、なぜか現実でも聞こえてくる。目を向けた先には、先行してサイゼに向かったはずの雪ノ下たちの姿があった。

 

「⋯⋯先に向かってくれって言っただろ」

「まあいいじゃん。あたしたちが待ちたかったんだから」

 

 そんな風に言われると、これ以上何も言えなくなってしまう。夜闇の中で笑いかけてくる顔が眩しすぎて、思わず目をそらした。

 

「探しものは見つかった?」

 

 俺たちのやり取りを見守っていた雪ノ下は、そう静かに問いかけてくる。俺が平塚先生の元に行っていたのは知らないはずなのに、なぜだか見透かされているような気がした。

 

 だから俺は、こう答えるしかない。

 

「ああ。お陰様でな」

 

 まったく、俺の口から『お陰様』なんて言葉が出てくるとは。

 それが妙に気恥ずかしくて、彼女たちに背中を向ける。

 

「早く行こうぜ。腹減ったわ」

 

 そう言って駅の方へと歩きだすと、くすりと笑う声と足音がついてくる。

 背中で笑いを受け止めるのは、慣れているはずなのに。

 過去と今ではまったくその意味が違っていて、その変化に俺は苦笑するのだった。

 

 






 生徒会選挙のお話でした。
 平塚先生と八幡の会話は書いていて楽しいですね。

 次回からはクリスマスイベント編です。
 引き続きお楽しみください!
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