翌土曜日のことである。
休日の舞浜駅前は、ディスティニーランドに向かうと
千葉に住んでいると、テレビや実物やらで何度も見る光景だ。特にクリスマスの時期ということもあってか、浮ついた空気の人間が多い。思ったよりカップルが少ないのは、ド定番で混みそうなディスティニーは回避された結果だろうか。
「あ。おーい、ヒッキー!」
人波に流されながら集合場所まで近付くと、先に着いていたらしい由比ヶ浜が俺を見つけて手を振ってくる。その隣には雪ノ下と一色の姿もあって、どうやら俺が一番最後らしい。
それにしても由比ヶ浜さん、大衆の面前でヒッキー呼びは勘弁してくれませんかね⋯⋯。何人か「え? 誰のこと?」みたいにキョロキョロしてるし。
「おはよう、比企谷くん」
「おはようございまーす」
「おお、おはよ。待たせたか?」
俺の問いかけに雪ノ下はかぶりを振って答える。この子なんだかんだ一番に来てそうなんだよな。年パス持ってるぐらいだし、ガチ勢の気合いの入れっぷりは凄まじいものがあると聞く。
「じゃ、並ぼっか」
そう言った由比ヶ浜の出立ちは、季節など関係ないとでも言うようなミニスカートだった。太陽が顔を出しているお陰で暑いのかダッフルコートを脇に抱えている。丈が長めのセーターが萌え袖を握り込ませていて、普段と違う雰囲気を醸し出していた。
「あー、やっぱり結構並んでますね」
入場ゲートに続く長い列を見ながらそうこぼした一色は、
「この列の長さなら、いつもより少し長いぐらいよ」
そう得意げに言うのは、年パス保持者の雪ノ下だ。ベージュのテーラーコートに橙色のミディ丈スカート、暖かそうなブーツと完全に冬の装いである。由比ヶ浜と一色はともかくとして、雪ノ下の私服は久しぶりに見た気がする。
やがて開園時間になると列は順調に流れて行き、ほどなくしてディスティニーの園内に入った。とりあえずランド内に入ったらファストパス取得が最優先だと思うのだが。
「で、何乗る? 京葉線?」
「⋯⋯⋯⋯」
俺がそう言うと、三人はどういうわけか黙り込んだ。そして次の瞬間、声を上げて笑い出す。
「え⋯⋯何その反応⋯⋯」
しばらく待ってみても雪ノ下は中々口元から手を離さず、由比ヶ浜も一色もころころ笑い続けていた。
「あのね。さっき待っている間に、ヒッキーなら何に乗りたがるかなって話してたの」
「そうしたら雪乃先輩が『京葉線に決まっているじゃない』って言ってたんですけど、本当に言い出すとか⋯⋯。くふっ」
変な笑い声を漏らした一色を見ながら、俺は引きつり笑いを浮かべるしかなかった。何これ完全に言動読まれているとか恥ずかしい帰りたい⋯⋯。
「とりあえずはファストパスよね。私はいつでも来られるからどれでもいいのだけど」
「んー、じゃあゆきのんのお勧めは?」
「パンさんのバンブーファイトね」
「即答じゃないですか」
そんな何気ないやりとりで俺の羞恥心は徐々に薄められていき、とりあえずファストパスの発券機に向かう。
そこでもいくらか待ってパスが取れた後は、本当にどこに向かおうかって話なのだが。
「ではショップに向かいましょうか」
「ショップ⋯⋯まだ早くないですか?」
「そんなことないわよ」
ショップ、と言ったら普通は土産物を買いに行くものだ。来て早々に向かうには早すぎる気がする。
雪ノ下はそう言うなりすたすたと歩き出してしまったので、何はともあれついて行くしかない。
アーケード街にあるショップに入ると、雪ノ下は迷いなく店内を歩いていく。ファンシーなグッズで溢れた店内を進んでいくと、雪ノ下はあるコーナーで足を止めた。
「ディスティニーと言ったら、これが必要じゃない」
雪ノ下はパンさん耳のカチューシャを手に取ると、とても自然な動作でそれを装着した。
⋯⋯なぜか俺の頭に。
「⋯⋯おい」
「あー、なるほどです」
「ふふっ。ヒッキー、こっち向いて」
由比ヶ浜の方を向いた瞬間、パシャリと写真を撮られてしまう。
無断装着の上に無断撮影。あっという間に動物園のパンダ状態である。パンさんだけに。
「じゃあみんなで買う?」
「おいやめろ。全員で着けてたら夢の国で浮かれきったおバカさんみたいになるだろ」
「⋯⋯」
カチューシャを外しながらそう言うと、雪ノ下に無言で睨まれた。由比ヶ浜と一色もジト目で俺を見てくる。何これ怖い。
夢の国にいるのに黄泉の国にいる気分になっていると、何を思ったか雪ノ下は自分の頭にカチューシャを装着した。
「浮かれきったおバカさんで悪かったわね?」
雪ノ下を援護するように、スチャと由比ヶ浜と一色もカチューシャを装着して俺を見つめてくる。
⋯⋯え。
いや⋯⋯は?
バチクソに可愛いですねあなたたち?
「⋯⋯お前らだけ着けてりゃいいだろ」
「いいえ」
「ダメだよ」
「ダメですね」
否定の三重奏が奏でられると、雪ノ下はカチューシャを手に持ったままレジへと向かい出した。
皆さん! これが同調圧力ですよ! 日本の闇深スギィ!
「あ、ツリーの前で写真撮って行きません?」
ショップを出て強制的にカチューシャを装着させられていると、一色はツリーを指さして言った。アーケード街の向こうには、高さ十メートルを越えようかというほど巨大なクリスマスツリーが鎮座している。
是非もなくツリーに近づいて行くと、真正面には写真撮影待ちの列ができていた。それに並んでツリーを見上げながら、俺はクリスマスらしさとは何かと考える。
今日の目的は、平塚先生からの宿題である『クリスマスらしさを味わってイベントに活かす』ことだ。今のところ普通に遊びに来ているだけな上に、こうしてツリーを見るとクリスマス感の規模がでかすぎて中々真似はできそうにない。
「ほら、次だよ」
真面目にそんなことを考えていると、ぼけっとしていると思ったのか由比ヶ浜が声をかけてくる。俺の鼻先で、由比ヶ浜のお団子頭が上機嫌そうに揺れていた。
「どう撮りましょうねー」
一色の呟きに俺がカメラ役になれば万事解決するのではないかと思ったが、ショップでのやり取りを思い出して言葉を飲み込む。
この人数で自撮りはキツいよなぁと思っていたら、由比ヶ浜はごく自然に後ろで待っていた女性二人組に撮影を頼んでいた。さすがコミュ強女子である。
「比企谷くん、どこに行くの?」
「え?」
やがて写真撮影の順番がくると、端に寄ろうとしたところでむんずと雪ノ下に腕を掴まれた。
当然のように真ん中にこさせられると、両脇に由比ヶ浜と雪ノ下が立つ。いや、この位置は部長であり会長でもある雪ノ下のポジションでは⋯⋯。
「先輩、ちょっとかがんでください」
「お、おお⋯⋯」
そう返事をする前に、一色は俺の肩に手をかけて半ば強引にかがませてくる。
「じゃあ撮りますねー」
そして由比ヶ浜に撮影を頼まれた女性がそう言うと、横位置に縦位置にと構図を変えながら写真を撮ってくれる。頭につけられたカチューシャといいこの体勢といい、何だか小っ恥ずかしい。
「ありがとうございましたー」
由比ヶ浜はそう言って携帯電話を受け取った。顔が赤くなっている気がするから、写真加工アプリか何かで隠して欲しいな⋯⋯(乙女)。
「えっと、そろそろどこか並びます?」
一色がそう言うと、俺たちは顔を見合わせた。さっきからショップだ写真だと、せっかくディスティニーに来たというのに何も乗っていない。
多くの千葉県民にとってディスティニーは頻繁に行くような場所ではないが、馴染み深い場所には違いなかった。故に人によっては回り方にこだわりがあったりするのだが。
「とりあえず、見て回りましょうか」
とまあ、生い立ち様々な千葉県民同士が集まれば、それが折衷案になるのだろう。雪ノ下の提案の通り、俺たちは人が多いエリアを忌避するように園内をそぞろ歩いていく。
こういう時は、稼働して十年ぐらい経ったアトラクションが狙い目だったりする。できたばかりの時はあんなに並んだのにね、なんて昔話に花を咲かせるなんていう千葉県民ならではのノスタルジーに浸ることができるからだ。それがディスティニーの楽しみ方として正しいかどうかは知らん。
「あ、これ懐かしい」
由比ヶ浜がそう言って目を向けたのは、実際には弾の出ない模擬銃で点数を競う、遊園地であればどこにでもありそうなシューティングアトラクションだった。もちろんディスティニーにちなんだ仕様になっているものの、ライド系に比べると断然人気は低い。
「十分待ち、らしいですけど」
「それぐらいならいいんじゃないかしら」
雪ノ下はそう言いながら瞳にメラッと小さな炎を宿す。そう言えばこの子、めっちゃ負けず嫌いなんでした。
「確かに懐かしいな」
列に並ぶと、隣の由比ヶ浜に向けて呟いた。
「ヒッキーもやったことあるんだ」
「ああ。小町と勝負してダブルスコアで勝ったらギャン泣きされて、なぜか俺が親父に怒られた」
あの頃は若かったな⋯⋯なんて遠い目をしている俺に、由比ヶ浜は若干引いていた。まあ今でもガチでやってしまうかも知れないが。
「あはは⋯⋯。でもいいじゃん。今から楽しい思い出が増えるんだし」
ね? と顔を覗き込まれると、どうにも面映くなる。
かもな、と呟いて目をそらすと、由比ヶ浜はぽつりと言った。
「でもあたし、兄弟いないからそう言うのちょっと羨ましいかも」
今のエピソードでよく羨ましいなんて気持ちになるなと思うが、一人っ子というのはそういうものなのかも知れない。兄弟喧嘩の話題を羨ましがるなんて、よくある話だ。
「パパやママと一緒にやってもさ、手加減とかしてくれるじゃん。なんかそういう思い出ばっかりだなぁって」
それもそれでいい話だと思ったりするのだが⋯⋯。由比ヶ浜の表情は、どこか寂しげだった。
「別にいいんじゃねぇの。思い出っつー話なら今から増えるんだろ?」
え、と目を瞬かせた由比ヶ浜に、俺は視線で雪ノ下の方を指した。
「手加減する気がないのがいるからな。ガチで
俺がそう言うと、ずっと耳を傾けていたらしい雪ノ下は勝ち気な笑みで首肯を返す。
「当然じゃない。手加減はしないわよ」
「あはは、うん⋯⋯。あたしも本気でやる!」
そんなやり取りを見ていると、不思議なぐらい自然に笑みが溢れる。
雪ノ下の隣でその様子を見ていた一色は、俺と目が合うなりぷいと視線を外すのだった。
* * *
ディスティニーで過ごす時間は、いつだってあっという間だ。
いい加減何かに乗ろうか、と一時間以上の待機列へ並んだり、その合間にまた空いているアトラクションに寄ったり。
途中、パンさんのバンブーファイトに乗った時はちょっと喋っていただけで雪ノ下に「静かに」と怒られた。夢の国で私語厳禁を言い渡されるのは後にも先にもこれっきりだと思いたい。
「なんかあれ見ると、そろそろって気がしますよね」
日の暮れたランド内を歩いていると、一色は通行規制のロープが張られていく様子を見てそう言った。
もうすぐ、パレードの時間だ。まるでその準備を邪魔するかのように風が吹き始め、みんな上着やマフラーやときっちり着込んでいる。
「パレードを間近で見たいなら、今から並んでおくべきでしょうけど」
そう提案した雪ノ下の声音には、そこまでの積極性はない。何せ年パス所持者だし、パレード自体は見慣れたものだろう。
「んー。でもアトラクションが空く時間でもあるんですよね」
「そうなんだよねー」
どうする? と言いたげな目で、三人は俺の方を見ていた。
「まあ、並ぶまではしなくていいんじゃねぇの。いつでも来られるしな」
いつでも、と言うには近年入園料の高騰でそこまで行きやすくもないのだが、多少のアップグレードはあれパレードは見慣れたものだ。何もかもが目新しく感じる幼少期ならともかく、今となっては比較的アトラクションに並ばずに乗れるチャンスとしか感じていない。
「じゃあ、さっきスルーしてたスプライドマウンテンに行きましょう」
一色の提案は、今いる位置からして妥当な提案だった。数時間前に通った時は待機列の長さに並ぶのを諦めたが、今の時間なら空いているはずだ。
パレード待ちに向かう人々とすれ違いながら歩くランド内は、柔らかな色の灯りで彩られている。ライトアップされた白亜の城を横目に見ながら歩みを進めると、ほどなくしてスプライドマウンテンに着いた。予想通り、さっきより随分待ち時間は少なくなっている。
「なあ」
前に並んだ由比ヶ浜と一色の背中を見ながら、俺はポツリと言った。
「大丈夫か? けっこう疲れてるみたいに見えるけど」
雪ノ下の方に視線を送ると、疲れを滲ませた顔に微笑みが浮かぶ。
「確かに少しは疲れているけど⋯⋯。大丈夫」
ちゃんと休憩も取りながらだし、と付け加えられるのを聞いて、俺は頷きを返した。
夏休みの終盤、花火大会に行った時は人で酔っていたように見えたから、少し心配だったのだ。自分のお気に入りの場所だと、多少は違うのだろうか。
「あんま無理はすんなよ。こういうの、本当は得意じゃないんだろ?」
「え⋯⋯?」
俺が言うと、雪ノ下は少しだけ目を開いて驚きを見せた。まさかあれで、隠せているつもりだったのだろうか。
雪ノ下は平静を装いながらも、ライド系に乗るたびに肩を強張らせ、安全バーはいつも強く握られていた。絶叫系とか、それに近いアトラクションは本来苦手なのだろう。
「驚いた⋯⋯。よく見ているのね」
「別に、普通にしてりゃ気付くだろ」
よく見ている⋯⋯のだろうか。似たようなことを、他の人間にも言われたことがある。ひょっとして俺、ストーカー気質なのかしら⋯⋯。
「ずいぶん慣れたと思っていたけれど、あなたには隠し通せるものじゃないわね」
どこか嬉しそうに、雪ノ下はそう言って目を細める。うら恥ずかしさから、俺は思わず目をそらした。
「あ⋯⋯」
「はい。こちらで区切らせていただきまーす」
そんなことをポツポツと喋っているうちに列が進んで行くと、俺と雪ノ下の前で乗る回を分けられてしまった。こういうところではよくある話だから、仕方ない。
「よかったな。ライドは最後列が一番スピード感あるらしいぞ」
「あー、なんかそれ聞いたことありますね」
俺の軽口にさして動揺する様子もなく、淡々と一色は答える。二人とも特に苦手意識はないのか、由比ヶ浜は平然とした様子で頷いた。
「じゃあ、出たところで待ってるから」
「ああ」
先に出発していたライドが帰ってくると、空になったそれに由比ヶ浜たちが乗り込んでいく。つまり順番で行くと、俺と雪ノ下は最前列になるということだ。
雪ノ下は大丈夫だろうか。そう思って雪ノ下の方を見ると、目を閉じて静かに深呼吸をしていた。こいつ、絶叫系に乗るのに精神統一していらっしゃる⋯⋯。
やがて由比ヶ浜たちが出発していった乗り場と反対側にライドが帰ってくると、入れ替わりで俺たちもそれに乗った。安全バーが下りると、ふうと溜め息めいた吐息が聞こえる。
「それでは、行ってらっしゃーい!」
係員のお姉さんが元気に言うと、かくんと僅かな衝撃とともにライドは動き始めた。
まずはゆっくりと、ライドはレールの上を前進する。アトラクションの中ではファンシーな音楽が流れ出し、いたちどんとフェレットどんがどうたら、とか物語が語られていた。
瞑想をしていたお陰か、雪ノ下は一応その演出を見る余裕はあるようだ。
「こういう絶叫系っていつ加速するかとか大体分かってんのに、なんでキャーキャー叫べるんだろうな」
色とりどりの光に照らされる頬に向かって、微量の毒を含んだ言葉を投げる。雪ノ下はふと儚げな笑みを浮かべると、俺の方を見た。
「人生の縮図みたいなものだから、かしらね。いつぐらいにどんなことが起こりそうか分かっているのに、いざその時になったら騒ぎ立てるもの」
予想できないものもあるけれど、と付け加えると、雪ノ下は前を向いた。雪ノ下の横顔の向こう側では、機械仕掛けのカエルが水場を跳び回っている。
確かに受験や就職なんてライフイベントは、いつ相対するのか分かっているものだ。しかしいざその時になって準備が足らず、てんてこ舞いになる人間は多数いる。まだ高校受験ぐらいしか通過していない俺たちが、笑えたものではないのかも知れないが。
「それなら本当の人生の方がよっぽど怖いな。本気で予想できないことばかり起こる」
例えば、俺が文化祭の実行委員長になったり、生徒会役員になっていたり。
それこそ今この瞬間のように、雪ノ下たちとディスティニーを訪れるなんて想像もしていなかった。
「本当にその通りね」
雪ノ下が言った後、頭上を飛ぶぎこちない動きのハゲタカが不穏な台詞をはく。それにつられるようにレールの先を見ると、トンネルにくり抜かれた夜空が見えた。もうすぐ頂上、そこからの急降下という、予想のできるイベントの発生だ。
トンネルを抜けてライドが水平になった瞬間、緩やかに進んでいた動きが止まる。
眼下に広がるのは地表からライトアップされた白亜の城、煌々と光を放つホテルたち。遠くではシーの活火山が赤く燃えて、幻想的な光景を作っていた。
「でも──」
ぴゅう、と冷たい風が雪ノ下の髪を夜暗に遊ばせた。
淡い光に照らされた細面が、悲しげな笑顔を作る。
細い指が、俺の手を握り込んだ。
「──大丈夫。私があなたを助けるから」
そして、落ちる。
──落ちる。
決められたゴールに向かって、誰も知り得ない未来へと向かって。
* * *
「あ、お疲れさまでーす」
出口のゲートを出たところで、先にアトラクションを乗り終えていた一色たちと合流する。
一色の隣で軽く手を上げた由比ヶ浜は、俺を見つけた後もキョロキョロと辺りを見回していた。
「あれ、ゆきのんは?」
「ああ、なんか買い物してから行くって」
俺が答えると、由比ヶ浜と一色は不意に思案顔になる。
何だその表情⋯⋯と思うが、二人の顔に答えは書いていない。
「あー⋯⋯」
「そっか⋯⋯。二人で乗れば写真が⋯⋯」
声を潜めて何やら相談しだしたが、さっきから何だと言うのか。
手持ち無沙汰にしていると、ジャリとアスファルトを踏む音が聞こえる。その音に振り返ると、雪ノ下はこちらに向けて歩いてくるところだった。
「お待たせ」
雪ノ下はそう言って鞄を大事そうに抱き直す。由比ヶ浜はうんと頷く。
「じゃ、パレード見に行こっか」
さっきまでの妙な空気なんてなかったかのように、俺たちはその一声で歩き始めた。
パレードの時間間近ということもあってか、小走りで会場の方へと向かう人がちらほらと見える。焦る人々に追い越されながら会場につくと案の定見やすい場所は空いておらず、人だかりの最後列からパレードを待つ。
「先輩」
遠目にパレードの列が見え始めると、隣に立った一色がふと耳に口を寄せてくる。亜麻色の髪が頬に触れそうなほど近くて、心臓が小さく跳ねた。
「さっき何かありました?」
そう言いながら一色が視線を送った先は、携帯でカメラを構える雪ノ下の背中だった。由比ヶ浜と何事かを話しているが、近づいてくる賑やかな音楽で何を言っているかまでは分からない。
「いや⋯⋯。なんで?」
「なーんか、神妙な顔をしていたので」
その一言に、スプライドマウンテンでのことを回想する。
一体どういう想いがあって、雪ノ下は俺を助けると言ったのか。言葉通り困った時には助ける、と受け止めるのは安直すぎる気がした。
それになぜ雪ノ下は、あんな悲しげな表情を浮かべながら言ったのだろう。それが一番分からない。
それを聞くタイミングも完全に逃してしまったし、きっと聞いても答えは得られないだろう。短くない付き合いで、それはよく分かっている。
「⋯⋯よく見てんな」
「先輩だって、よく見てるじゃないですか」
一色はそう言うと、悪戯っぽい笑みを見せてくる。
何だそれ、俺めっちゃやらしいヤツみたいじゃん⋯⋯。そもそも一緒の部活かつ生徒会だし、多少は見るでしょうよ。
「けっこう、人が気付かないところ気付いたりしますし」
言われてみたら、そうなのかも知れない。ただあくまで一色の言い方はポジティブな表現で、悪く言えば斜に構えているとも言えた。
そらした視線の先で、パレードはゆっくりと近づいてくる。綺羅びやかな電飾と人々の感嘆を連れて、そこかしこに夢と希望をばらまいていた。
「けど気付いて欲しいことには気付かないんです」
その言葉にはっとして、一色の方を見る。
曇りのない、深い湖面のような瞳が俺を見つめていた。
「先輩──」
目が眩みそうなほど明るいパレートの光が、一色の唇を艶めかせた。いつの間にか握られていた袖口に、力がこもる。
そして一言、二言──。
唇の形は確かに言の葉を紡いだはずなのに、一等大きくなった歓声がそれを押し流す。
パレードはつつがなく、どんな意思も介在させずに。
ただ俺たちの隙間を、押し流していく。
* * *
車窓の外に、見慣れた夜景が現れては消える。
どんなアトラクションよりも混んでいると思われた京葉線の電車は、舞浜駅から離れていくたびに余裕を取り戻していた。
「楽しかったね」
ようやく座席に腰を降ろせるようになると、隣に座った由比ヶ浜はそう言って柔らかく笑った。その腕の中には、土産物の入った袋が抱きかかえられている。
「けどまぁ⋯⋯クリスマスの時期に行くもんじゃないな」
「でもそれじゃ、平塚先生がくれた意味がなくなっちゃうじゃん」
そんな何気ない会話が、耳に優しい。
非日常を終えた身体は、もうくたくただった。目をつむったらすぐに居眠りしてしまいそうなぐらい、身体は休息を求めている。
「次はー、海浜幕張駅。海浜幕張駅です。お忘れ物のありませんよう──」
それっきり会話もなくなって、やがてアナウンスが次の停車駅を知らせる。俺と雪ノ下の降りる駅だ。
「私はここで」
「ああ、俺も⋯⋯」
さて、と俺は考える。買いすぎたから持ってくださいと、一色から荷物をあずかったままなのだ。
「せーんぱいっ」
その声に振り向くと、両手が荷物でいっぱいになったあざと可愛い後輩の笑顔に迎えられる。うわぁ⋯⋯めっちゃいい笑顔⋯⋯。
あはは、と由比ヶ浜が苦笑を浮かべると、雪ノ下も同じ種類の笑みを返す。
「送り狼にならないようにね」
「お前な⋯⋯。もうちょっと言い方あるだろ」
俺の言うことなどどこ吹く風で、雪ノ下は「それじゃ」と告げて降車する。由比ヶ浜と一色は手を振って見送ると、電車の扉はガタガタと音を立てながら閉まった。
しかし、こういう風に何だかんだで引き受けてしまうから、由比ヶ浜から「いろはちゃんには甘い」と言われてしまうんだろう。
「じゃあ、また月曜日にね」
「ああ。気をつけてな」
しかしそれも俺の杞憂だったようで、由比ヶ浜は数駅乗った後にそう言って電車を降りて行った。小さく手を振った由比ヶ浜に一色が手を振り返すと、電車はまたゆっくりと走り出す。
やがて千葉みなと駅に到着すると、ここで乗り換えると言った一色についてモノレールに乗り換える。
多少遅い時間もあってか、モノレールの中は空いていた。また千葉の夜景が車窓を流れ出したのを見ながら、俺は薄っすらと息を吐く。
「しっかしよく買ったな。これぬいぐるみだろ?」
「ええ」
俺が問うと、一色は他にも土産物が詰まっているらしい袋の口を握った。
「そんなにパンさん好きだったっけ?」
「買ったのはパンさんじゃないですけど⋯⋯」
決め打ちで言ったのがお気に召さなかったのか、一色は少しだけ苦い表情をする。ディスティニーランドとパンさんをイコールで結ぶのは、雪ノ下の影響を受けすぎなのかも知れない。
「けど物として残った方がいいかなって。これを見たら、楽しかったことが自然と思い出せると思ったんです」
少しだけ恥ずかしそうに笑う一色にはあざとさの欠片も見えず、どうやら純粋にそう思っているらしい。
なんとも乙女らしい理由でコメントに窮していると、一色は「そう言えば」と続けた。
「パレードの時、何て言ったか聞こえました?」
「いや、聞こえなかったんだけど⋯⋯」
結局あの後、振り返った由比ヶ浜に喋りかけられて何と言ったのか聞き返すことができなかった。
今さら掘り返すのもアレだし⋯⋯と思っていたが、一色の方から振ってくるなら確かめるチャンスだろう。
「あれ、何て言ってたんだ?」
「言いません」
「えぇ⋯⋯」
自分から振ってきたのに⋯⋯。そんな軽い非難を込めて一色を見ると、目が合うなりふいとそらされてしまう。
嘆息して前を見ると、相変わらず車窓には千葉の街の光が流れている。モノレールが建物の中に入って外が真っ暗になると、窓ガラスに映った一色と目が合った。
「⋯⋯言いませんよ、絶対に」
未だに非難の視線でも向けられていると感じたのか、一色は拗ねたような調子でそう言った。
「だったらなぜ言った⋯⋯」
さっきからの一色の態度は、本当にそれに尽きる。
俺の知る限り言葉というのは、伝える為にある不便で高度なコミュニケーションツールであるはずだ。
「まあそうですね、何か一つ言えるとしたら」
さすがに中途半端な態度は改めるべきと思ったのか、一色は言いながら俺を見た。
モノレールの照明に照らされた口端が、緩やかな曲線を描く。
「いつか責任取って欲しいなぁ⋯⋯って話です」
どこか呆れたような、しかし微かな期待を孕んだ声。
そんな思わせぶりな一言には、小悪魔のような見慣れた微笑が添えられていて。
「意味が分からん⋯⋯」
俺はあいも変わらず、そんな答えしか用意できないのだった。
タイトルまんまなお話でした。
昔、クリスマス当日にディズニーに行ったことがあるのですが、意外にカップルも少なくて友だち同士で来ているのが多かったですね。
さて、次回はクリスマスイベント当日のお話です。
前の話で八幡は留美とどんな約束をしたのでしょうか。
引き続きお楽しみ下さい!