やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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一色いろはのストーカー被害。下

 翌日、朝早くのことである。

 俺たちは奉仕部の部室ではなく、昇降口に集まっていた。

 

「それで一色。昨日あれからは?」

「あ、はい⋯⋯昨日は帰ってから、これが」

 

 そう言って一色が見せてくれたのは、件のストーカー加害者である男子生徒・川名からのメッセージだ。

 由比ヶ浜は一色の携帯を覗き込むと、途端に嫌そうな声を出す。

 

「うわぁ⋯⋯。読むの嫌になってくるね⋯⋯」

「ええ、ですからちゃんとは読んでません」

「それが賢明ね⋯⋯。読んでいるだけで怖気が走るわ」

 

 女子陣が口々に言うのを聞きながら、うむと俺は頷いた。ちなみに今日は材木座の出番はないので、奴は呼んでいない。というか材木座がいると、バレた時に色々面倒なことになるのでいない方がいい。

 さて、一色は一切返信をしていないようだが、昨日も川名とやらはこんな長文で異様なメールを送って来ている。そして今重要なのはメールの内容ではなく、それが来たことにあるのだ。

 

「頼んでいたものは用意してくれたか?」

「はい。これです」

 

 そう言って一色が俺に差し出したのは、大きめで無地の封筒だ。中身を(あらた)めると、飾り気のない便箋には何重にも引かれた線で『お前を見ているぞ』と書いてある。心温まる手書きの手紙とは対極に位置する、書き殴りの(おぞ)ましい文章だ。

 

「よし。じゃあ後は打ち合わせの通りに頼む」

 

 俺は手紙を一色に返すと、雪ノ下たちと目を合わせた。頷き合うと俺は昇降口の外へ、雪ノ下と由比ヶ浜はそれぞれ廊下へと向かう。

 昇降口の庇の下から出ると、爽やかな風と清々しい朝日に迎えられる。周囲に誰も居ないことを確認すると、俺は昨日の内に作っておいたメッセージグループに『外は問題なし』とだけ書いて送信した。

 

『東側廊下、問題なし』

『こっちも大丈夫だよ!』

 

 すぐに雪ノ下と由比ヶ浜の返信が来ると、俺はちらりと昇降口にある下駄箱の方を見る。ちょうど一色が、下駄箱に手紙を入れたところだった。

 

『投函完了しました』

 

 投函、ね。俺は一色の言葉選びに苦笑しながら、昇降口へと入って先ほどと同じ集合場所に向かう。その先では既に集まっていた三人が、微かに不安そうな表情を浮かべて俺を見ていた。

 

「とりあえず予定通りいきましたけど⋯⋯。何か悪いことしてるみたいで、ドキドキしますね」

「別に悪いことはしてないだろ。シャイな一色が、メッセージを返す代わりに手紙で返事をしただけ(・・・・・・・・・・)なんだからな」

 

 これが俺の考えた、ストーカー行為への対応策だった。あくまで一色は、送られてくるメッセージに対して手紙で返事をしただけ。内容だって相手から送って来られるものに対して、私もと言っているようなものだ。当然あの筆跡から、女子からの返信とは思わないだろうが。

 

「そんじゃ、お疲れさん。あとは俺の方で見とくから」

「ええ⋯⋯。本当に任せてもいいの?」

「ああ。むしろ一人にしてくれ。お前らがいるとなんつーか⋯⋯目立つからな」

 

 俺の言葉に由比ヶ浜は釈然としない顔をしていたが、雪ノ下の方は分かってくれたようだ。雪ノ下が「行きましょう」と声をかけると、残る二人も口々によろしくと言ってその場を後にする。

 さて、後は一色から聞いていた朝練の時間が終わるのを待つだけだ。一応ちゃんと手紙が届いたかを確認しておかないと、後の作戦に響いてくる。

 俺は川名の下駄箱が見える位置まで行くと、携帯を触りながら友達を待つ振りをする。まあ友達なんて誰もいないけどね! おっといかん友達というキーワードがくるとすぐ自虐に走ってしまう⋯⋯。

 

 そんなこんなで待つこと小一時間。

 段々と登校してくる生徒たちも増え、朝練終わりと(おぼ)しきジャージ姿が散見されるようになってきた。ちらちらと下駄箱の方の確認頻度を上げていたら⋯⋯来た。今まさに、手紙の入った下駄箱を開けようとしている生徒が。

 川名はこれと言った特徴はない男子生徒だった。少し着崩した制服におそらく天然ではないお洒落パーマ。高校デビューを飾った雰囲気イケメン、と言えば分かりやすいだろうか。

 正直普通にコミュニケーションが取れる人間なら、彼女の一人や二人できそうにも思えるが⋯⋯。しかしあんなねちっこいメールを送ってくる奴だ。まともな性格ではないだろう。

 川名は下駄箱を開けるとすぐに封筒の存在に気付いたのか、上履きより先にそれを手に取った。周りの様子をぐるりと確認した後、上履きに履き替えるのも忘れて封筒を開ける。

 

「うっわ⋯⋯」

 

 川名とはそこそこの距離が空いているというのに、そんな驚愕の声が聞こえてきた。驚きに見開かれたままの目で、また周囲を気にしている。

 さて、今受け取った感情を、自分ごとに反映できるかどうか。

 後はお前次第だぞ、川名くんよ。

 

 俺は川名が廊下の向こうに消えるのを待ってから、ゆっくりと壁から背中を引き剥がした。

 

   *   *   *

 

 川名の下駄箱に手紙を入れた当日、一色のもとには変わらず粘着質で勘違い野郎なメールが届いたらしい。

 だからその為翌日も同じ方法で文章だけを変え、返信(・・)を川名のもとに届けた。手紙を開けるところをまた覗き見ていたら、昨日よりも明らかに動揺した様子だったのだが――。

 

「で、昨日もメールが来てたんだな」

「はい⋯⋯」

 

 一色いろはのストーカー対応策を実行に移して、三日目。

 本日の朝も、件の川名くんにお手紙で返事は送ってあるが、どうにも効果はないらしい。

 

「昨日はどんなメールだったの?」

 

 由比ヶ浜はむぐむぐと食べていたご飯を嚥下した後、一色に向けてそう聞いた。

 昨日から一色からの状況共有を兼ねて、奉仕部の三人に加え一色の四人で昼食をとっている。ちなみに俺の弁当はあれからずっと雪ノ下が作ってくれていて、毎日変わっていく絶品料理で完全に胃袋を掴まれていた。

 せめて弁当代を支払わせてくれと言ったら、別のことで返してくれたらいいと言われてしまい、現在無銭飲食状態だ。兎角(とかく)こいつは何を言い出すか分からないので戦々恐々だが、今更購買パンになど戻れるかと俺の舌が吠えていた。本当、胃袋掴まれるのって恐ろしい⋯⋯。

 

「えーっとですね、こんな感じです」

 

 俺の左隣に座った一色は、メッセージアプリを開いて「はい」と携帯を机の上に置いた。

 これは⋯⋯ほーん、へぇ⋯⋯。

 

「変な奴がいるみたいだから気をつけて、ね⋯⋯」

「お前が言うか、って感じですよねー」

 

 雪ノ下の呟きに、一色は呆れた声で応える。相変わらず長ったらしいメールで、明後日の方向に優しさを発揮しているあたり、どうやら自分が変な奴という自覚は生まれなかったらしい。

 

「ヒッキー、今朝のあれ、明日もやるの?」

 

 由比ヶ浜は心配そうな目で俺を見ながら、そう問いかけてくる。

 ここまで巻き込んでしまったが、由比ヶ浜も雪ノ下も、もちろん一色だってあのやり方で良い気はしないだろう。もちろん俺だって気分のいいものじゃないし、ストーカー野郎の為に毎朝早起きするのは苦痛だ。

 

「いや、手紙はもう止めにする。その代わり、前に説明したあれを実行に移す」

 

 あれ、という言葉を聞いて三者三様にやれやれと言った表情をする。

 彼女たちには、これ以上の心労はかけられない。だから次の一手は、俺と彼の仕事だ。

 俺は雪ノ下お手製の弁当を食べ終えると、携帯電話で通話履歴を開いた。残念ながらすぐに見つかった名前をタップすると、ワンコールの後ですぐに通話が開始される。

 

「──我だ」

「──よう材木座。お前の出番がきたぞ」

 

 ニヤリ、とそんなニヒルな笑いが受話器から伝わって来た気がして、やっぱりこいつ気持ち悪いなと思いました。

 

   *   *   *

 

 その日の放課後。

 俺と材木座はホームルームが始まる前に抜け出し、一色に教えられた一年の教室の近くで待機していた。

 大して待つこともなく聞こえてくる散会の声。わらわらと出てくる一年の生徒たち。

 

「材木座、あいつだ」

「承知」

 

 ターゲットである川名は、運良く一人で教室を出て来た。俺は急いでいる振りをして、小走りで川名の前方へと移動する。

 それを合図に、川名の後を歩き出す材木座。それはただ後ろを歩くという距離感ではなく、言うなれば背後霊のような近さだ。

 

 そして──。

 

「ふしゅるるるるる⋯⋯」

 

 荒く、およそ人のものとは思えない(おぞ)ましい息遣い。

 はっとして振り返った川名と目が合うと、材木座は。

 

 ──ニタリ。

 

 と、頼んだこっちが恐ろしくなるぐらいの、途轍もなく怪しい笑みを浮かべた。

 

「うわぁぁ⋯⋯っ!」

 

 瞬間、川名の顔は恐怖に引き攣り、ダッシュ練習でもするかのような勢いで廊下を駆けてくる。よろけた振りをして川名の進路を塞ぐと、半分涙目になった川名と目が合い──。

 

 ──ニヤァ。

 

 と、我ながら会心の怪しい笑顔をお見舞いする。

 

「ひぇぇぇ⋯⋯、ぞっ、ゾンビぃぃぃ!!」

 

 おいこらちょっと待て。思ってた反応と違うぞそれ。

 川名は期待した以上のリアクションの後、俺を突き飛ばして廊下の彼方へと消えていく。

 ()くして残ったのは、変質者に見紛われた残念な二人組だ。

 

「⋯⋯のう、八幡」

「⋯⋯どうした。材木座」

 

 無事ミッションを終えた材木座に近づくと、気持ち肩を落としながら俺に言う。

 

「笑っただけで逃げられるというのは、男でもちと辛いものがあるな⋯⋯」

「女にも逃げられてんのかよ⋯⋯」

 

 いやまあ、言っちゃ悪いがそれも想像に難くないんだよな⋯⋯。

 本日一番の功労者の肩を叩くと、二人してトボトボと歩き出す。

 

「まああれだ、お疲れさん。サイゼでミラノ風ドリアおごるわ」

「⋯⋯ドリンクバーとペペロンチーノ、フォッカチオと辛味チキンもつけよ」

「わーったよ⋯⋯」

 

 どんだけ食う気だよ、こいつ。俺だって微妙にダメージ食らってるんだぞ。

 しかしこれで、本日の仕事は終わった。あとは人事を尽くして天命を待つ、だ。

 

「そう言えばお前、これ頼んだ時に部室に来てたけど、何の用だったんだ?」

「はっ⋯⋯我としたことが失念しておったわ! 実はとあるラノベの新人賞に応募する為の原稿ができてな、それを貴様に──」

「あー、はいはい。それはサイゼに行ってからにするわ」

「対応がおざなりぃぃ⋯⋯」

 

 っていうかこれ、仕事しながら報酬を支払うとか、ソシャゲでイベント周回しながら廃課金するのと変わらねぇじゃん。金払って労働するってどういうことだよ。

 ちょっと前までのラブコメ展開どこへやら。そう言えばこいつと学校帰りにどこかに寄るのは初めてだななんて思いながら、学校を後にしたのだった。

 

   *   *   *

 

 明けて翌日の昼休み。

 奉仕部の部室では俺と一色、雪ノ下と由比ヶ浜が弁当箱を広げ、昨日までと同様の光景が広がっていた。

 

「いや本当、すごいです。効果てきめんってやつですね」

 

 一色は昼食をとりながら興奮気味に、俺たちに向けてしきりに称賛の声を上げていた。

 曰く、昨日の放課後からは帰り道に尾けられることもなく、メールも来なくなったらしい。まああんなことをされては、つきまとうどころか自分の身を案じざるを得ないだろう。残念ながら俺と材木座の芝居まで必要になる結果になったが、人はそう易易と変わらないということだ。

 

「もうメールの着信音にびくびくしなくていいんだって思うと、すごい開放感ですよ」

 

 にこっ、と一色は俺に笑いかけてくるが、俺はあえてそれに気付かなかった(てい)で雪ノ下の作ってくれた弁当を食べ続ける。

 一色にそう言われて今更気付いたが、きっともの凄いストレスだったのだろう。特に最近はメールを未読のままスルーするわけではなくしっかり内容まで確認してもらっていたから、それも負担になっていたはずだ。

 一色は平気な振りをしていただけで、本当は泣き出したいぐらい怖かったのかも知れない。あけすけであざとい後輩である以前に、彼女はまだ高校一年生の女の子なのだ。

 

「まだ、浮かれるのは早いと思うけれど⋯⋯」

 

 そう呟いた雪ノ下の隣で、同意を示すように由比ヶ浜が無言で頷く。もちろんまだ丸一日と経っていないから、川名のストーカー行為が繰り返される可能性はある。

 

「まあそうなったら、学習するまでやるだけだな」

 

 俺たちのやったことは、動物実験で言うところの恐怖条件づけに近い。結局人も動物の一種。痛い目を見なければ、習性も考え方も変わらない。学習できないのなら、できるまで電気ショックを与えるしかないだろう。

 

「あの、先輩?」

 

 とは言えこれ以上ストーカー野郎の相手なんてしたくないなぁ、と考えていると、不意に一色が俺を呼んだ。

 

「うん?」

「いえ、ようやくこっち見てくれたなーと思いまして」

 

 そう言って一色はにこーっと、さっき(かわ)した笑みを俺に向けてくる。思っていたよりずっと輝度の高い笑顔に、一瞬胸を射抜かれたかと思った。

 

「ヒッキー?」

「比企谷くん?」

 

 思わず固まってしまっていると、そんな硬質な声が聞こえてくる。

 えぇ⋯⋯何この空気。こっわ⋯⋯。

 

「あの、先輩。何か悪いことでもしたんですか?」

「⋯⋯知らねぇよ」

 

 知ってたまるかよ、そんなこと。

 空気が変わったのを察知したのか、一色は早々と弁当を食べ終える。片付けを終えて立ち上がると、俺たちに向けて深々と頭を下げた。

 

「先輩がた。今回はありがとうございました。本っ当に助かりました」

 

 なんも、と俺は首を振り、雪ノ下と由比ヶ浜もそれぞれに言葉を返す。では、と言って一色は部室を出る前にもう一度お辞儀して、静かに部室を出て行った。

 

「やはり空気には敏感な子ね⋯⋯」

 

 うーん、なんだか妙にピリピリした言葉が聞こえてきた気がしたんですが?

 またもや不穏な空気が流れだしたのを感じながら、俺は咀嚼(そしゃく)する速度を上げるのだった。

 

 

 まだ雪ノ下とおしゃべりを続けている由比ヶ浜を部室に残して、俺は教室への帰り道を辿る。

 廊下を曲がって階下へと続く階段を下りていると、踊り場で先に出ていたはずの一色を見つけた。

 

「どうした、そんなところで」

「いえ、ちょっと」

 

 声をかけた瞬間壁から背中を離したので、どうやら由比ヶ浜や雪ノ下を待っていたわけではなさそうだ。俺がまた階段を下り始めると、一色は歩調を合わせて隣に並んでくる。内緒話でもするような近さが、妙にこそばゆい。

 

「⋯⋯なんか用か?」

「用事がなきゃ待ってませんよ」

 

 何そのさっきまで殊勝な態度からの落差⋯⋯。まあ、別にいいんだけど。

 

「先輩、どうしてあそこまでしてくれたんですか?」

 

 一色の視線を横顔に感じながら、俺は階下へと下りていく。視線は階段へと向けたまま、ただ思ったことを口にする。

 

「別に大したことはしてないだろ。バレる可能性の低い、バレても大きな痛手にはならない、ローリスクハイリターンな方法だろ」

「いいえ」

 

 二階まで下りたところで、一色の歩みが止まる。はっとして一色の方を見ると、力のこもった目が俺を見詰めていた。

 

「先輩、予定にはないことをしてましたよね。最後はあのざい⋯⋯ざい⋯⋯眼鏡の人に任すって言いながら、先輩も嫌な役目を負ってました」

「⋯⋯見てたのか」

 

 あの場面を見られていたとは、想定外だった。っていうかあいつの名前、ちゃんと覚えてやれよ。

 

「まあ、あいつだけに押しつけるのもあれだしな。複数でやった方が効果は高いし、目くらましにもなる」

「⋯⋯だとしても、先輩が首謀者だってバレる確率は高くなります。効果がある代わりに、先輩のリスクは上がってます」

 

 そこまで言われて、俺はこの子のことを見くびっていたと思い知らされる。ゆるふわっとした見た目とは裏腹に、頭の回転が速い。半端な言い訳や理由付けをしたところで、追求が止むことはないだろう。

 

「先輩が直接関わった以上、わたしたちがいくらかばっても問題になったはずです。それなのに、そこまでしてくれたのはどうしてですか?」

 

 さっきと同じ質問なのに、その表情と声音は詰問に近かった。雪ノ下と言い一色と言い、やりにくいことこの上ない。

 

「そりゃまあ、あれだ。⋯⋯俺がしたことで問題が起きて、それを解決する方法があるなら、やるだろ」

「それは善意でしてくれたことがきっかけであっても、ですか?」

「そうだ。俺の取った行動の結果は、俺に責任があるからな」

「責任⋯⋯」

 

 一色はそう呟くと、ようやく俺から目を離して考え込む。

 

「はっ⋯⋯!」

 

 そして次の瞬間ぱっと俺から距離を取り、自らの身体をかき抱いた。

 

「ひょっとして先輩弱っているわたしを助けてワンチャン来るかなとか思ってますか今のところ本命は葉山先輩ですので今回は大変ありがたかったんですけどそういうわけなのでごめんなさい」

 

 えぇ⋯⋯。なんで俺告白してないのに振られてんの? あとすげぇ早口だなよく息継ぎなしで言えるわ。

 

「あー、はいはい。葉山狙いなのは知ってるから」

 

 リア充はその辺で青春でも謳歌してろ、と俺は手で払う仕草をして歩き出した。空中廊下に差し掛かると、一色はトン、と肩を軽くぶつけてくる。

 

「でも本当に、感謝してるんですよ?」

「分かった分かった」

「むー⋯⋯。なんですかその絶対分かってない感じの返事」

 

 上目使いで睨みながら頬を膨らませる仕草は、大変あざとくて可愛らしい。

 この子なら本当に葉山も落とせるんじゃないのって、ふとそんなことを考えた。

 

   *   *   *

 

 土日を挟んで、月曜日の昼休み。

 いつものように俺たちは部室に集まっていたが、今日はそこに一色の姿はない。たった数日一緒に過ごしただけだったが、一人減るだけで妙に部室は広く感じる。

 

「あのぅ、雪ノ下さん⋯⋯?」

 

 ただ広く感じるのは、人が減ったからだけではない。俺の目の前に、弁当箱がないのである。雪ノ下の目の前には、普通に弁当箱があるのに、だ。

 

「あのさ、ヒッキー⋯⋯」

 

 雪ノ下の代わりとばかりに由比ヶ浜はそう言うと、何故か彼女の鞄の中から見覚えのある弁当箱が出てくる。いつも雪ノ下が持って来てくれる、俺用の弁当箱だ。

 

「昨日ね、ゆきのんのお家で教えて貰いながら作ったんだ」

「私が作ったものと由比ヶ浜さんが作ったものが、半々で入っているの」

「ほほぅ⋯⋯」

 

 そう言えばそんな約束してたな、なんて考えながら弁当を受け取ると、ぱかっと蓋を開けた。

 いつもより焼き色のついた卵焼きは由比ヶ浜で、いつもと変わらないように見える焼き鮭は雪ノ下だろうか。まあ雪ノ下が監修しているなら、塩と砂糖を間違えましたなんてオチもなく食べられそうだ。

 

「どっちが作ったおかずか、当てられるかしら?」

「⋯⋯さぁな」

 

 本当にそういう反応に困る一言やめろよな、と思いながら箸を手に取った、その瞬間――。

 

「失礼しまーす」

 

 がらり、と先週までとまるで変わらぬ素振りで、一色は部室に入ってきた。

 なんで? と疑問符を浮かべる俺たちの前で、ちゃっちゃか自分の椅子を用意して俺の隣に座る。一色は手提げ鞄の中から自分の弁当箱を取り出すと、続いて見慣れない弁当箱を出して俺の前に置いた。

 

「あのぅ、一色さん⋯⋯?」

「先輩の為にお弁当を作ってきました。感謝の気持ちを込めて」

 

 そう言って一色はにっこりと、全男子がコロリといきそうなほど眩しい笑みを俺に向けてくる。

 ⋯⋯こいつ、ついこの間葉山狙いだと宣言していたばかりなのに、何故こんな勘違いされかねないことをするのか。あと雪ノ下さん睨むの止めて下さい僕は悪くないんです。

 

「ありがたいんだが、俺は⋯⋯」

「まあまあ、雪ノ下先輩のはいつでも食べられるからいいじゃないですか」

 

 徐々に空気が凍りついていくような、そんな気配を察知する。やばいぞこれは何がやばいってヤバ味がやばい。知らないということは、なんて恐ろしいことなのだろうか。

 

「っていうかわたしも雪ノ下先輩のお弁当一度食べてみたかったので、交換ということで」

 

 そう言って俺の目の前の弁当に伸びてくる手。はっと息を吸い込む音と鋭利さを増す視線。

 ――思わず俺は、一色の手首を掴んでいた。

 

「⋯⋯いや、いいんだ。どっちも食べるから」

 

 ふるふると頭を振りながら、俺は目だけで「一色さん、それはアカンて!」と訴える。一色は俺と目が合うと、分かったのか分かってないのかすぐに目を逸らした。

 

「そ、そうですか⋯⋯」

 

 俺が手を離すと、一色はしゅっと自分の胸元に手を引っ込めた。ああ、うん、ごめんね? 急に手を触ったりして。けどそんな顔赤くして怒らなくてもいいと思うんですけどね。

 一色が作ってきてくれた弁当箱を開くと、ミートボールやら唐揚げやら、緑黄色野菜とともに「男の子ならこういうの好きでしょ?」みたいなおかずが敷き詰められている。また食べる順番がどうとか言われる前に、俺は由比ヶ浜から受け取った弁当から先に箸をつけた。

 

「えっと⋯⋯。どう?」

 

 由比ヶ浜がそう聞いてくるということは、やはりこの卵焼きは彼女の作なのだろうか。雪ノ下が作ってくれるものより若干硬く感じるが、味付け自体はいつもの味で文句なしに美味しい。

 

「うまい」

 

 だからストレートに、そう言った。感想を聞いた瞬間、由比ヶ浜の表情が綻ぶ。

 さてじゃあ次は⋯⋯と一色の方の弁当から唐揚げを摘むと、口の中に放り込む。ほんのりにんにくの香りを効かせているところにあざとさを感じないでもないが、やはり文句なしに美味しい。

 

「どうですか?」

「うまい」

 

 さて次はこれ雪ノ下さん作かなぁと、焼き鮭の方を口に入れる。丁度いい塩加減と刻み玉ねぎがいいアクセントになっていて、文句なしに美味しい。

 

「どうかしら?」

「うまい」

「ヒッキー、さっきから『うまい』しか言ってないじゃん⋯⋯」

 

 モハハハハハ! バレたか。下手にグルメリポーターぶったらその内容如何(いかん)で勝手に優劣つけそうだしね君たち。炎柱ムーブかまして「うまいうまい」と言っておけば諍いは起きないという寸法だ。

 

「じゃあ先輩は、どっちの方が好みですか?」

 

 ってこっちが気を利かせてるのに一色ェ⋯⋯。

 空気読まなくていいから俺の心を読んで!

 

「⋯⋯いや、ね。どれも美味しくていいと思います⋯⋯」

「比企谷くん。遠慮はしなくていいわ。正直に答えて」

「ヒッキー⋯⋯」

 

 勝ちを確信しているかのような笑みと、不安そうな表情が、俺の目の前に浮かんでいる。

 オールグッドじゃ駄目なんですかねぇ⋯⋯いやマジで全部うまいんだけど。

 

「まあ、なんだ。せっかくの昼休みなんだし、もっと平和的で建設的な話題の方がよくない?」

「平和的で建設的って⋯⋯例えば?」

「そうだな⋯⋯。きのこの山とたけのこの里ではどっちが好きかとか」

「それ絶対ケンカになるやつじゃん!」

「しかも不毛な争いね⋯⋯」

 

 トラウマでもあるのか頭を抱えた由比ヶ浜に、大仰な溜め息をつく雪ノ下。

 とりあえず話題が逸れたら俺の勝利である。心の中で「勝ったな」とガッツポーズを決めていると、一色はにやりと妙に不敵な笑みを俺に向けてくる。

 

「まあ、第三の勢力もあると思いますけどね」

 

 瞬間、静まり返る部室。突き刺すように集まる視線。段々と分からなくなってくる昼ご飯の味。

 この展開だけは全然美味しくねぇわと、俺は心の中で呟くのだった⋯⋯。

 

 




 以上、第四話でした。
 この三話、四話でいろはす参戦編と言ったところでしょうか。

 少し前になりますが、俺ガイル印(スタンプラリーイベント)に合わせて千葉へ聖地巡礼してきました。
 今まで調べて想像して書く⋯⋯という書き方をしていましたが、現地で感じた空気を元によりリアリティのあるお話が書けそうです。

 次回、テニス勝負編です。引き続きお楽しみ下さい!

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