やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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もう二度と、まちがえることはできない。

 ニ月になり、千葉の冬は過酷さを極めていた。

 もちろん千葉はほとんど平地だから、標高の高い地域や北の大地よりはずっと温かいのだろう。

 しかしそれは気温の上、定量的な尺度の話であって体感とはまた違う。海にほど近いここ総武高校では、ブリザードの如く冷たい海風が吹きつけ酷く寒く感じるのだ。

 曰く、風速一メートルあたり体感気温は一度下がるらしい。だからその日の寒さは天候の気まぐれ。窓枠がガタガタ悲鳴を上げている今日は、自転車通学の俺にとって試練でしかなかった。

 しかし教室の中となれば別だ。特に放課後になったばかりの教室は、しっかりと暖房が効いていて温かい。

 

「ねえ、チョコ何にするか決めた?」

 

 そんな室内の暖気に気持ちまで温められたのか、名前も知らぬ女子生徒が誰かにそう問いかけた。

 クラスメートの名前ぐらい覚えろよと言われてしまいそうだが、それも無理な話だ。人間興味のある対象しか覚えられないようにできている。

 

「もうそんな季節なんだな」

 

 チョコの話が伝播するようにそこかしこで話題に上がると、いつものメンバーの中で葉山が言った。その発言に待ってましたと食いついたのは戸部だ。

 

「隼人くんはいいよなー。俺、マジやべぇから。去年女子マネの義理チョコ三つだけだったし」

「は? なんだそれ自慢かよ。普通の部活は女子マネ三人もいねぇんだぞ」

「ほんとそれ。つかうち女子マネいてももらってないんだけど」

 

 戸部のマウント発言とも取れる言葉に、大岡と大和がすかさずつっこみを入れる。

 聞くところによるとサッカー部は全部活の中でも女子マネは一番多いという。一色が部活にあまり顔を出さなくても問題ない理由はそんな事情によるものだ。

 しかしその慣習に倣うのならば、一色も戸部にチョコを渡したりするのだろうか。チロルチョコをばらまく一色の姿が頭の中に浮かんできて、ちょっと同情してしまいそうになる。

 

「でも隼人くん、チョコ受け取らないから実質毎年ゼロなんだよな」

「マジで? もったいねぇ」

 

 戸部の発言に驚きを返したのは大岡だ。けど渡そうとしてくる数が半端ないんよ、と続ける戸部の発言を聞きながしながら、俺は考える

 おそらく、無用なトラブルを避けるためなのだろう。和を重んじる葉山らしい選択だ。

 

「ま、手作りとかガチっぽいの渡されても普通に困るっしょ」

 

 三浦は葉山の意見に同調するようにそう言うと、つまらなさそうに机に視線を落とした。

 似合わないと言っちゃ悪いが、三浦と手作りチョコレートは連想しづらいところがある。いやでも結構オカンなところがあるから逆に似合ったりするのか? チョコなんて母親と妹にしかもらったことないから、八幡ワカンナイ。

 

「それな。つか優美子がそんなんしてきたらビビるわ。手作りとか似合わんし」

「は?」

 

 恐らくそれは、軽口だったのだろう。大岡が言うと、三浦はキッと睨みを利かせた。予想外の反応に、大岡はたじたじだ。

 

「あーし、普通に作れるけど?」

「ちょっと、優美子⋯⋯」

 

 雰囲気が怪しくなりだしたのを見かねた海老名さんがそう言うと、三浦はふんと顔をそらした。

 なんだ、あーしさんチョコ手作りできるのか。へーほーふーん⋯⋯。

 

「ヒッキー」

 

 そんな会話を聞きながら帰り支度をしていると、背中に聞き慣れた声がかかる。

 

「部活⋯⋯じゃないか、今日は。生徒会行こ」

「おう」

 

 ちょっと混乱しそうになるが、今日は部活ではなく生徒会の日だ。

 日々解散まぎわになると、明日は何をするかと話し合って決める。ちょっとした相談ぐらいだと奉仕部の部室で昼飯を食っている間に終わってしまったりするので、やっぱり生徒会はなしで今日は部活、なんてやりとりも多い。

 鞄を背負って特別棟に向かい、もはや見慣れた生徒会室の扉を開ける。生徒会室の中では、今日も一番乗りの雪ノ下が紅茶を淹れているところだった。

 

「やっはろー!」

「こんにちは。ちょうど紅茶が入ったところよ」

 

 俺たちが鞄を置いたところで、雪ノ下はそう言いながら紅茶を出してくれる。ちなみに紅茶セットは部室に置いてあるものと同じく私物だ。

 

「お疲れさまでーす」

 

 紅茶を一口飲んだところで一色も入ってきて、早々に生徒会の面子が揃った。

 本日は来月に迫った三年生を送る会、略して三送会の過去開催実績のおさらいと案出しだ。ポツポツと喋りながら紅茶を飲みきると、それぞれ手元に用意した昨年までの三送会の資料を検める。

 昨年も、その前の年も、その前の前の年も似たようなものだ。一、二年生が旅立つ三年生に向けてメッセージを送り、クラブ活動では安心して卒業できるように努力の成果を見てもらう。このぐらいなら骨が折れるのは、各部活との折衝ぐらいだろうか。

 

「あの、わたしちょっと考えたんですけ──」

 

 一色が何か言いかけた瞬間、生徒会室にノックの音が響いた。珍しく来客だ。

 扉の向こうからは「本当にこっちにいるの?」「いや知らないけど」なんて会話が聞こえてくる。

 

「どうぞ」

 

 雪ノ下が声をかけると、遠慮がちに扉が開かれる。

 

「し、失礼しまーす⋯⋯」

「あれ。優美子に、沙希?」

 

 果たしてそこから顔を出したのは、意外なことに三浦とさーちゃんだった。初めて訪れる場所だからか、いやに警戒しているように思う。

 

「どうぞ、かけて」

 

 追加のパイプ椅子を引っ張り出してくると、俺たちは長机を囲む形になる。雪ノ下が紅茶を差し出すと、二人はどうもと小さく頭を下げた。

 それにしても、どういう用件だろうか。三浦とさーちゃんが割りかし仲がいいのは知っていたが、二人揃っての話となると想像がつかない。

 

「えっと、どっちから話す?」

「言い出したのはこっちだから⋯⋯あーしから話す」

 

 二人はそんな会話を交わすと、三浦は由比ヶ浜から目をそらしながら話し始める。

 

「さっき放課後でバレンタインのこと話しててさ。あーし、チョコぐらい作れるって言ったわけ。⋯⋯けど実は作ったことなくて、沙希に相談したんだけど」

「⋯⋯あたし、そういうの作ったことなくて。けーちゃん⋯⋯妹からも作りたいって言われてて、困ってたんだ」

「優美子⋯⋯」

 

 説明に続いて漏らされた由比ヶ浜の呟きに、三浦は視線を吸い寄せられた。

 その表情は「作れないのにできるって言ったんかい!」というものではなく、素直に感動している顔だった。

 

「そうだよね! 手作りチョコ、作ってみたいよねっ!」

 

 うんうん、と由比ヶ浜は大振りで頷く。しかし何らかのサポートが得られたとしても、問題は別にあった。

 

「けど作ったところで、葉山は受け取ってくれないんだろ?」

「それは⋯⋯」

 

 俺が言うと、三浦は言葉をつまらせた。見かねたように、雪ノ下が続きを引き取る。

 

「それも含めてなんとかしたい、ということでいいのよね?」

「⋯⋯まあ、それもある。⋯⋯かも」

 

 濁した表現ではあったが、反応を見れば葉山にチョコを贈りたいのは明らかだった。ただ一つ確認しておくことがある。

 

「それってチョコを受け取って欲しいってことなのか、食べて欲しいってことなのか、どっちだ?」

 

 俺が聞くと、三浦ははっとしてこちらを見た。

 しかし答えはすぐに出て来ない。その二つの違いを、吟味しているのだろう。

 

「とりあえずは食べて欲しい⋯⋯かな」

 

 さっきよりも随分小さな声で言うと、三浦はにわかに頬を染め出した。

 え⋯⋯何その反応めっちゃ乙女じゃん。可愛らしいところもあるじゃねぇのと思う反面、これ恥ずかしがらせたのは俺では?

 

「⋯⋯」

 

 無言の圧力を感じて振り向くと、一色が「こいつ⋯⋯」とでも言いたげな冷たい目で俺を見ていた。こういうタイミングでゆきのんの真似するのはやめようね!

 

「とりあえず、時間をもらえるかしら。追って連絡するわ」

「それって、あたしの方も任せていいの?」

「妹さんの件よね。もちろん」

 

 何か策があるのか、雪ノ下は自信ありげに頷く。

 三浦とさーちゃんはそれに少し安心したような表情を浮かべると、「それじゃ」と言って辞去した。扉が閉まると、二人が去った後の生徒会室に静寂が訪れる。

 

「ああ言ってましたけど、何か考えがあるんですか?」

 

 一色が雪ノ下に向けて問いかけると、雪ノ下はなぜか俺の方を見て頷いた。

 

「あるにはあるけれど、思いついたのは私だけではないみたいね」

 

 そう言って、雪ノ下はそっと微笑む。

 こういうことをするから夫婦みたいだと揶揄されてしまうのだと思うのだが。

 

「まあ、あるにはあるな」

 

 不思議と悪い気分でもないなと、俺はそう思うのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 バレンタインデーに向けたチョコ作りのイベント──お料理教室を実施する、と決めてからは早かった。

 早々に海浜総合高校と連絡をとり、お料理教室の先生役とイベント運営要員を確保。かつ合同イベントにすることで地域を巻き込みやすくなり、さーちゃんからの「京華にチョコ作りをさせてあげたい」という依頼もクリア。試食役に男子を呼び込むことで、葉山に三浦のチョコレートを食べさせるという依頼も達成できる見込みである。

 

「結衣ちゃーん。ボールの数ってこれで足りそう?」

「あ、うん。たぶん大丈夫だと思う」

 

 ところはクリスマスイベントでも使ったコミュニティセンター、その三階にある料理室。

 俺は折本と由比ヶ浜のやり取りを聞きながら、だいぶこういうことに慣れてきたなと思った。

 思えば、こうして裏方の仕事ばかりをしている気がする。たぶん気のせいでもなくて、ほとんどイベントがあるたびに運営側にまわっているのだ。

 

「ひゃっはろー!」

 

 調理室の扉が開いたと思ったら、そんな声が俺たちの間を駆け抜けた。はて、陽乃さんは今回ゲストかホストかで呼んでいただろうか。

 雪ノ下は目を細くして陽乃さんを見た後、そのままの目で一色を見る。

 

「⋯⋯どういうこと?」

「いやー⋯⋯教える役の人は、いくらいてもいいんじゃないかなぁと」

 

 目を泳がせた一色はずりずりと横に移動して俺の背中に隠れた。人を盾にするのはよくない。

 

「⋯⋯まあいいわ。邪魔はさせないから」

「邪魔って、お前な⋯⋯」

 

 手伝いに来てもらってなんて口振りだと思ったが、そこは家庭の問題というところもある。特に雪ノ下の家のことは、どこまで深入りしていいものなのか迷うところがあった。

 

「何なに。何か揉めごと?」

「何でもないわ」

 

 ツンとした態度で陽乃さんをあしらうと、雪ノ下はすたすたと料理室を出て行く。そんな姿を見ても、陽乃さんは表情一つ変えない。

 

「ありゃりゃ、今日も塩対応だ。何か悪いことしたかなー?」

「⋯⋯無自覚にしている可能性はありますね」

「あはは。比企谷くんまで辛辣だ」

 

 割りと冗談でも何でもないのだが、陽乃さんはカラカラと笑う。陽乃さんは一色からお礼の一言を受け取ると、愉快そうに由比ヶ浜と折本たちの方へと向かって行った。

 まあ一色の言う通り、先生役は多いに越したことはない。いちおう応募人数は把握しているが、突発的に来る人が増える可能性もある。

 だんだんと人の出入りが多くなってきた調理室を見ながら、そう自分を納得させるのだった。

 

 

   *   *   *

 

 

 あれよあれよという間に、小一時間。

 いよいよバレンタインデー目前のイベント、総武高校・海浜総合高校合同のお料理教室の開始である。

 

「こうしてチョコは細かく刻んで」

「あー、そうそう。そのぐらいでいいよー」

 

 主催側の先生たち(・・・・)が指導するのを、俺と平塚先生は壁際でベガ立ちしながら見ていた。俺の右隣には、試食係兼賑やかしに呼ばれたさいちゃんと材木座の姿もある。

 

「盛況なようで何よりだな」

 

 そう言って細めた目の先には、京華とともにチョコ作りにいそしむさーちゃんの姿があった。その向こうには、何やかやとディスカッションしながらお菓子を作っている海浜総合高校の生徒たちの姿も見える。

 ことの発端となった三浦を始めとした葉山グループの面々も揃っていて、実際けっこうな人数になった。調理室の中は話し声と甘い香りが入り混じり、活気に満ちている。

 

「先生も作ったりしないんですか?」

「比企谷。貴様、私に渡す相手がいないのを分かっていて言ってるな?」

 

 ギロリと怒気を孕んだ睨みに、ひゅっと息を呑む。

 こっえー。別に先生同士贈ってもいいじゃないかと思って聞いたのだが、どうやら地雷を踏んだらしい。

 

「私は教師として教材を用意したから、それで充分だろう」

 

 そう言った視線の先には、蓋を開けられたチョコレートの箱たち。プロの味を参考に⋯⋯というかたぶん自分が食べたかったのもあるのだろう、平塚先生が提供してくれたのだ。

 平塚先生はそれだけ言うと、壁から背中を剥がして陽乃さんが教えている料理台の方へと歩いて行った。やれやれ、とにわかに感じていた緊張から解放されると、隣から視線が送られているのに気付く。

 

「どんなのを食べさせてくれるんだろうね?」

 

 さいちゃんはそう言って、軽く微笑んで見せた。

 俺としてはさいちゃんの作ったチョコを頂きたい所存なのだが、さいちゃんは精神上は男だ。しかし近年はバレンタインに対する価値観も多種多様であり、女子同士で贈り合う友チョコもあれば男から贈る場合もあるという。

 

「さあな⋯⋯。暇ならさいちゃんが作る側に行ってもいいんだぞ?」

「あはは。ぼくはいいよ。もうだいぶ進んじゃってるしね」

 

 ワンチャンさいちゃんからチョコを貰えないかしら⋯⋯と思って提案したのだが、それももっともな理由だった。

 由比ヶ浜はもはや指導者レベルに達しているのか三浦に教えながらケーキ生地のようなものを作っているし、雪ノ下はさーちゃんと京華にテンパリングの仕方についてレクチャーしているところだ。

 

「時に八幡よ。こういう時、試食役は何をしていればよいのだ?」

 

 黙ってことの成り行きを見守っていた材木座は、不意にそんなことを口にする。

 

「まあ、ぶっちゃけそんなやることはないな。完成までまだかかるだろうし」

 

 そう言いながら、ふと一色の方を見る。

 以前の食事会以降仲良くなったのか、一色は藤沢と親しげに喋りながら手を動かしていた。

 

「ちょっと見てまわってくるわ」

「あ、うん」

 

 その様子が気になって、一言断ってから場を離れる。

 一色たちの方に向かうと、ちょうどテンパリングの終わったチョコにアレンジを加えているところらしかった。

 

「よう」

「あ⋯⋯どうも」

 

 先に俺に気がついた藤沢に声をかけると、遠慮がちな応えが返ってくる。手元を見るに、一色と同じものを作っているらしい。

 

「先輩、待ちきれなかったんですか?」

 

 なんだかちょっと嬉しそうな声音で、一色は先の細いスプーンをボールの中でカツカツ鳴らしていた。こうして近くまで来ると、やたらに甘ったるい香りが鼻腔をくすぐってくる。

 

「いや⋯⋯。藤沢、来てくれたんだなと思って」

 

 このお料理教室は、彼女に説明するまでもなく生徒会主催のイベントだ。

 こうやってイベントに参加するのは、藤沢にとって複雑な想いもあるだろう。しかしそれを置いて参加してくれたということは、彼女の中に一区切りがついたということだろうか。

 

「それは、ね?」

 

 そう思って言ったのだが、なぜか一色は意味深長な笑みを藤沢に向ける。当の本人はと言えば、かすかに頬を染めて目を伏せた。

 

「あの⋯⋯。この前の食事会の後から本牧先輩に勉強教えてもらってて、お礼がしたくて⋯⋯」

 

 なるほど、と俺は得心すると同時にふと胸の中に暖かさを感じた。そう言えばあの食事会の後に本牧と二人でしゃべった時も、そんな話をしていたのだ。

 

「ほら、用が済んだなら早く行ってください。隠し味がバレちゃうじゃないですか」

「お、おお⋯⋯」

 

 そう言うってことは、完成品は食べさせて貰えるってことだろうか。

 そんなことを考えていると、ぐいぐいと背中を押されて強制的に退出させられてしまう。まあ、女子トークの最中に割り込んで行くなんて、無粋もいいところだった。

 そんな光景を見ながら、更に待つこと一時間。

 電子タイマーが鳴ると、気持ち急いた足が冷蔵庫に向かう。オーブンはフル稼働を始めていて、焼き上がりを知らせるベル音が鳴るたびに声が華やいだ。

 おのおの作りたいものは違うから、料理方法は溶かして冷やし固めるオーソドックスなものから、チョコレートブラウニーを始めとした焼き菓子まで多種多様である。

 

「よっ。綺麗にできたな」

「あー、はーちゃん!」

 

 冷蔵庫から出したばかりのチョコを持って笑顔を浮かべている京華を見つけると、俺は近づいてそう声をかけた。さっきからパシャパシャと撮りまくった京華の写真を確認していたさーちゃんが、ちらりとこちらを見る。

 

「あ⋯⋯。ありがと。お陰で京華も喜んでくれてる」

「俺はちょっと荷物運んだぐらいだからな。礼なら雪ノ下に言ってくれ」

「⋯⋯そうだね」

 

 さーちゃんは三浦の作ったガトーショコラを試食している雪ノ下と由比ヶ浜の方を見ると、そう言って微笑んだ。

 満足してもらえたなら、開催した甲斐があったというものだ。そんな感慨にふけっていると、くいくいと服を引っ張られた。

 

「はーちゃん、食べていいよ」

「お、マジで?」

 

 俺がしゃがみこんで目の高さを合わせると、京華はにこーっと笑った。ヤダもうこの子の天使感半端ない⋯⋯。八幡、この天使にならあの世に(いざな)われてもホイホイついて行っちゃいそう。

 

「めちゃくちゃ義理だよ!」

「お、おぅ⋯⋯。そっかぁ⋯⋯」

 

 それって一周まわって本命か? なんてアホなことを考えながら京華お手製のトリュフチョコをいただく。

 外は程よくパリっとしていて、噛めばトロリと柔らかい。少々甘ったるいぐらいのそれは、京華の好みによるものだろうか。

 

「めちゃくちゃうまいな」

「でしょー」

 

 えへへ、と笑いながら鼻を擦った京華と目を合わせると、思わず笑みがこぼれた。本当に、このイベントを開催できてよかったなと思える、そんな笑顔だった。

 胸に確かな満足感を覚えながら立ち上がると、その様子を見守っていたさーちゃんと目が合う。

 

「⋯⋯あたしも、義理だけど」

「おお、サンキュ」

 

 差し出した皿には、京華の作ったものとよく似た形のトリュフチョコがのっていた。ありがたくそれをちょうだいすると、パクっと口の中に放り込む。

 口の中で転がしていると、京華のそれとは明らかに違った香りと味に気付く。

 

「京華と味付けは変えてるんだな」

「⋯⋯分かるんだ」

「そりゃな」

 

 こんだけ変わってたらな、と心中だけで続ける。

 甘さは控えめ。微かに感じるスモーキーな香りは洋酒だろうか。みんな同じチョコレートから作り出したはずなのに、ここまで変わるとは面白い。

 

「あ、ひきがやー」

 

 それじゃ、と言ってさーちゃんたちの元から離れた瞬間、声をかけられる。

 振り返ると折本がこちらに向かって歩いて来ているところだった。手にした紙皿には小分けに切られたチョコレートブラウニーがのっていて、それぞれに楊枝が刺さっているのを見るに試食用らしい。

 

「これ。よかったら感想聞かせてよ」

「おう。んじゃありがたく」

 

 楊枝を一つ取ると、一口サイズのブラウニーを口に放り込む。

 外はほろほろ、中はしっとり。チョコレートが多めなのか、しっかりと甘い。

 

「あ、うま」

「よかったー」

 

 そう言って浮かべられた笑顔は、何の邪気もない純粋な笑顔だった。こういう表情をするから色んな男に勘違いを起こさせるんだよな、なんて余計なことを考えてしまう。

 折本は壁際で手持ち無沙汰に立っている材木座に気付くと、「あ」と声を出して近づいていく。さいちゃんはいつの間にか海老名さんたちのいる調理台にいて、今は材木座一人だ。

 

「材木座くんも食べてみてよ」

「え、あ⋯⋯僕も?」

 

 またも材木座は素だった。我呼びじゃない材木座なんて久しぶりである。

 材木座はブラウニーを口にすると、むぐむぐと咀嚼する。メガネがキラリと照明を反射していて、その表情は読み取れない。

 

「⋯⋯おいしい」

「でしょ? って言うのは自信ありすぎかな。ウケる」

 

 自分で言ってケラケラ笑い出す折本。その姿の向こうからチラチラとこちらを見ている玉縄が目に入る。何やらフーフーと前髪を吹き上げているのだが、遠目でも鬱陶しいのでやめてもらいたい。

 

「じゃーねー」

「ああ」

 

 試食の感想に満足したのか、用が済むなり折本は海浜総合高校の生徒たちが集まるテーブルへと戻っていく。

 残された俺たち二人は、無言のまま壁に背中をあずけた。

 

「のう、八幡よ」

「⋯⋯何だ?」

「折本氏は、慈愛の心に満ちておるな」

「⋯⋯そうか?」

「我に、春が来たかも知れん」

「いや、どう考えても来てないし真冬真っ最中だと思うんだが」

 

 冗談だろ? と思いながら見た材木座の表情はガチだった。

 

「スプリングハズカム、トゥー我」

「落ち着け。目を覚ませ材木座。今までの出来事は全て幻想だ」

 

 おそらく折本は無意識だろうが、また一人の罪なきオタクが悲劇への第一歩を踏み出そうとしていた。そういうとこだぞ、折本さん。

 俺は隣で鼻息を荒くしている男の今後を思うと、やるせない気持ちでいっぱいになるのだった⋯⋯。

 

 

   *   *   *

 

 

 お料理教室イベントがすべて終わった、その後。

 

「いやー、疲れましたねー」

 

 俺たちは学校から持ち出していた調理器具を返し終わると、生徒会室に集まっていた。

 雪ノ下が淹れてくれた紅茶を一口飲むと、ふぅと俺も一色の真似をして伸びをする。

 

「今回も無事終わったね」

 

 ことり、とテーブルにカップを置くと、由比ヶ浜はそう言って優しげな表情を浮かべた。

 

「そうね。イベントの目的も果たせたようだし」

 

 雪ノ下は由比ヶ浜と目を合わせると、微かだが満足そうな笑みを作る。

 あれから三浦は作ったばかりのお菓子を葉山に食べてもらえていたし、目的は果たされたと言っていいだろう。

 

「あ、そうだ。まだ渡してなかったので」

 

 そう言うと一色は、鞄からがさごそと今日作ったばかりのチョコを取り出した。ご丁寧にも包装紙に包まれたそれは、バレンタインデーの贈り物の手本みたいな見た目だ。

 

「え、もうくれるのか?」

 

 お料理教室での口ぶりからきっとくれるのだろうとは思っていたが、思っていたタイミング違って少しだけ驚いた。

 

「はい。だってバレンタインデー当日は入学試験のある日だから、学校じゃ渡せませんし」

 

 しかし一色の言う通り、バレンタインデー当日は学校が休みになる。ものによっては消費期限的なものもあるだろう。

 雪ノ下たちも同じことを考えていたのか、それぞれ鞄から箱やらラッピングを取り出した。

 

「あまり日持ちするものではないから、私も今渡しておくわ」

 

 雪ノ下は鞄からリボンをあしらった白い小箱を取り出すと、両手でそれを渡してくる。形からして、チョコケーキか何かだろうか。

 

「あたしも。クッキーだから日持ちはするけどね」

 

 由比ヶ浜が渡してくるのは、可愛らしくラッピングされた大判のチョコクッキーだ。なんの気をてらうこともないハート型のクッキーには見覚えがあるが、おそらく記憶の中よりもずっと大きかった。

 

「おお、ありがとな。義理でも嬉しいわ」

 

 素直に礼だけ言っておけばいいものを、ついそんなセリフが口を()いて出てしまう。

 俺のそんな反応にも慣れたもので、彼女たちは目を合わせてくすりと──。

 

 

「⋯⋯じゃないです」

 

 

 ──笑ってくれるはずだったのに。

 蚊の鳴くような声は消え入ってしまいそうになりながら、しかし明確な否定を返していた。

 

「え⋯⋯?」

「義理なんかじゃ、ないです」

 

 おもむろに立ち上がった一色の声は、震えていた。まるで生まれたての子鹿のように、そうしなければそこに存在できないとでも言うような、身体の底からの震えだった。

 覗き込んだ瞳は、見たこともないぐらいに潤いが増している。いや冗談だろ? と誤魔化すことを許さない強さがそこには込められていて、俺はかけるべき言葉を見失っていた。

 

「いろは、ちゃん⋯⋯」

「ごめんなさい⋯⋯。結衣先輩、雪乃先輩。本当は言うつもり、なかったんです」

 

 由比ヶ浜の方を向いた一色の瞳から、一筋の雫が落ちた。

 呆気にとられてしまうぐらい綺麗なそれを見てようやく、俺は重大なまちがいを犯していたのだと気付く。

 

「もし伝えるなら、先輩たちが卒業する時だろうなって。そう思ってたんですけど⋯⋯。義理なんて嘘、わたしには無理でした⋯⋯」

「一色さん⋯⋯」

 

 雪ノ下と由比ヶ浜はほとんど同時に立ち上がると、二人で何を言うでもなく一色の身体を抱いた。支え合うようようなその光景が、俺の心に現実を染み込ませていく。

 一色の嗚咽を聞きながら、俺は迂闊な言葉選びを悔いていた。

 どうして俺は、あんな言い訳じみたことしか言えなかったのか。鼻をすする音がもう一つ増えたのが耳に届いて、ことの重大さは一歩先へと進む。

 

「大丈夫だよ、いろはちゃん。だいじょうぶ、だから⋯⋯」

 

 そう言って一色の背中をさする由比ヶ浜の声もまた、震えていた。

 俺には由比ヶ浜が今どんな気持ちでそれを口にしているのか、分からない。あえて分からないように、知らないようにしてきたから。

 

「ええ⋯⋯。いずれきっと、こうなっていたのよ」

 

 慰める雪ノ下の声はどこか硬く、普段の余裕はまったく感じられない。

 一色の身体を抱きとめていた腕から力を抜くと、雪ノ下は半身でこちらを振り返った。

 夜の海を思わせる髪がさらりと流れて、ゆらぎの一つすらない瞳が俺を捉える。見とれてしまいそうなほど綺麗な形の唇が、その覚悟を音にした。

 

「私も、義理ではなくて本命よ」

 

 雪ノ下の一言はあまりにも強くて、どこまでも刺さっていくようで。

 その想いの深さに、受け答えは一層難しくなる。頭はフル回転しているのに、心が言葉を紡ぐのを拒絶していた。

 

「あたしも、本命なんだ。本気の、本命」

 

 まるで何かを諦めたみたいな優しい声で、由比ヶ浜は潤んだ目を細めた。

 壊さないように、慈しむように。

 その声音が柔らかければ柔らかいほど、強く俺の胸を締め付ける。

 

 賑やかしかった時間は疾うに過ぎ去り、今は五里霧中の道半ば。

 耳が痛くなるほどの静寂は、俺の答えを待っている。

 

 もうまちがえることが許されない答えを、ただひたすらに──。

 

 






 ということで、いよいよ物語は終盤も終盤。
 長かったこの話も残すところ少なくなってきました。

 原作とは大きく変わっていったこの物語を最後まで見届けて頂けたら幸いです。
 引き続き、お楽しみください。
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