やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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我が家に雪ノ下雪乃が訪れると、誤解しか生まない。

 翌日、日曜日。

 昨日の由比ヶ浜とのデートで余程疲れていたのか、普通に昼まで爆睡してしまった。そこから朝飯とも昼飯ともつかない飯を食い、時刻は午後一時過ぎ。我が家にとっての最寄り駅は、電車が到着したばかりということもあってそれなりの人出である。

 

 しかし、そんな中にあっても彼女の──雪ノ下雪乃の姿はすぐに見つけることができた。

 紺色のミディ丈プリーツスカートに、レースのあしらわれたブラウス。それに青空の色をした薄いニットのカーディガンを羽織った姿は、お嬢様の休日とでも題名をつけたくなるぐらい様になっている。ショルダーバッグとは別に紙袋を持っているのだけが、そのコーディネートの中で浮いていた。

 

「こんにちは、比企谷くん」

 

 雪ノ下は俺の姿を見つけて歩み寄ってくると、一度見てしまえば目が離せなくなるような笑みを浮かべてそう言った。決して大きな声でもなかったのに、その鈴が転がるような声は雑踏の中でもすっと耳朶に届く。

 

「お出迎えありがとう」

「いや⋯⋯。じゃあ、行くか」

 

 何故俺が、駅なんぞで雪ノ下と待ち合わせしているのか。

 それはテニス勝負の勝者である雪ノ下が、「比企谷くんのお宅の猫ちゃんと会いたい」と言った為だ。

 それなら放課後に連れて行くと言ったのだが、見知らぬ場所は猫にとってストレスになるから駄目だと断られた。よって雪ノ下が我が家に訪れるという謎なイベントが発生したのである。そんなに猫に詳しいならもう猫飼えよと言いたい。

 

「ところで、比企谷くん」

 

 見慣れた道を歩いていると、雪ノ下はふと上体を倒して俺の顔を覗き込んでくる。

 

「昨日はとても楽しかったみたいね?」

 

 そう言って浮かべた表情はどこからどう見ても笑顔のはずなのに、目の奥が笑っていなかった。おかしい。なんで恋人に別の女の子と仲良くしてるところを見られてしまったみたいな空気になっているんだ。僕とあなた、部活仲間以外の何ものでもありませんよ?(動揺)

 

「⋯⋯ソウデスネ」

「まあいいわ。今日は私が楽しませてもらうから」

 

 ほーんそんなに我が家の猫ちゃんに会うのが楽しみでしたかいやはや恐縮ですねー、と心の中で適当ぶっこいているとすぐに家までついてしまう。

 ここだ、と言って立ち止まると、雪ノ下はこくりと頷いた。

 

「今日、ご家族はご在宅なのかしら?」

「妹の小町と母親がな。親父はどっか出掛けてるし、母親はたぶん自分の部屋に引きこもってるだろうから気にしなくていいぞ」

 

 それにしても、今更ながら何故日曜日なんだと思う。小町には事情を説明してあるし、親父もしばらく帰ってこないだろうから別にいい。しかし母親は昼飯の後にもう一度寝ると言って絶賛昼寝中だ。ニアミスどころかバッチリ会ってしまう可能性があって、大変面倒臭い。だからと言って、毎日遅くまで働いている母親を何らかの口実を作ってまで外出してもらうというのもまた忍びない。つまり詰んだ。

 

「お邪魔します」

 

 俺に続いて家に入った雪ノ下は、そこに誰がいるわけでもないのにそう言った。玄関で靴を脱ぎ、二階へと上がっていく。本日の目的である愛猫・カマクラの座するリビングは二階にある為だ。

 リビングの扉を開けると、小町はソファに座ってカマクラを撫でながらテレビを観ているところだった。

 

「ただいま」

「あ、おかえりー、い?」

 

 振り返った小町は雪ノ下が目に入るなり固まってしまう。対する雪ノ下は、後光でも背負ってそうな微笑みを湛えたまま小町を見詰め返していた。

 

「お邪魔します。小町さん」

「あー⋯⋯小町。昨日言ってた雪ノ下だ」

 

 小町はそっとカマクラをソファに下ろすと、すささささっと雪ノ下に詰め寄った。ガシッと雪ノ下の手を両手で掴むと、哀願するような表情で女神の如き微笑みを見上げる。

 

「⋯⋯お姉さまとお呼びしても?」

「落ち着け小町」

 

 マリア様もドン引きするぐらい拙速な姉妹(スール)関係嘆願だった。

 どうどう、と小町を雪ノ下から引き剥がすと、ソファに下ろされて不満そうなカマクラが「うなぁ」と鳴く。

 

「それは少し気が早いから、私のことは雪乃と呼んで欲しいわ」

「はいっ、雪乃さんですね!」

 

 おい今こいつ、気が早いって言ったか。言ッテナイヨ! そうか聞き間違えだな⋯⋯。

 俺が目の前の会話から現実逃避していると、雪ノ下はガサゴソと紙袋から包みを取り出して小町に差し出した。どうやらあの紙袋の中身は、手土産だったらしい。

 

「こちら、お口に合うと嬉しいのだけど⋯⋯」

「おおー、なんかわざわざ気を使って頂いてすいません。ありがたく頂戴致します!」

 

 ははぁ、とでも言い出しそうなぐらい恭しくそれを受け取ると、いつの間にやら小町の足元にすり寄って来ていたカマクラが「うなぁ」とまた不満そうな鳴き声を上げた。忘れていたわけではないが、本日来訪の目的は雪ノ下がカマクラを愛でる為である。

 

「んじゃ、早速」

 

 俺はカマクラを抱き上げると、ほいと雪ノ下に渡す。雪ノ下が受け取ってもジタバタと暴れたりはしないので、そこまで機嫌は悪くなさそうだ。

 

「ありがとう」

「まあ、適当にかけてくつろいでくれ」

 

 カマクラを受け取るなり年相応とも言うべき笑顔になると、俺の促した通り雪ノ下はソファに座った。

 さて、俺はこの時間をどうすれば⋯⋯と考えていると、ちょいちょいと包みを小脇に抱えたままの小町に腕を引かれる。

 

「ねえ、お兄ちゃん。どういうこと?」

 

 キッチンの方まで引っ張られると、小町はこしょこしょと小さな声で問いかけてくる。

 

「どういうことって⋯⋯何がだよ」

「分かるでしょ。どこであんな綺麗な彼女見つけて来たのって話!」

「彼女じゃねぇ。昨日も言っただろ、部活仲間だって」

「でもさっき、お姉さまは気が早いって」

「聞き間違えだ、忘れろ」

 

 いやーははは兄妹揃って聞き間違えるなんて血は争えないなぁ、なんて考えながら、俺は電気ポットを手に取った。とりあえず雪ノ下は客人なのだから、お茶なりコーヒーなり出すべきだろう。

 

「ふーん⋯⋯。ま、いいけど⋯⋯」

 

 小町は俺に向けていたジト目を引っ込めると、くるりと踵を返した。

 

「じゃあ、小町は部屋に居るから」

「は? おい、ちょっと待て。別にここに居ても⋯⋯」

「やだよー。小町、犬に蹴られて死にたくないもん。じゃあねー」

 

 それって馬に蹴られての間違いじゃ⋯⋯なんて考えている間に、小町はスタスタとリビングを出て行ってしまった。残されたのは俺と学校一と言われる美少女、それから猫一匹である。

 

「うなぁ」

「にゃー」

 

 しかもその美少女様は、絶賛猫とお戯れ中。尊い可愛い。おっと頭のネジが一本飛んで行ったようだ⋯⋯。

 

「⋯⋯何してんの、お前」

 

 延々と猫語で会話する雪ノ下に声をかけると、はっと俺の方を見る。微かに染まり出す頬とそらされる視線。いつも余裕のある雪ノ下にしては珍しい反応だ。

 雪ノ下は俯いて何かを考えていたかと思うと、んんっと咳払いをしてカマクラを抱き上げた。自分の顔を隠すようにカマクラの前足を開かせると、ひょこっとその横から顔を出して言う。

 

「にゃー」

「」

「にゃー⋯⋯」

「」

「流石に黙っていられると恥ずかしいのだけど⋯⋯」

 

 ──はっ! やっべー⋯⋯息すんの忘れてたわ。

 っていうかこいつさっきまで恥ずかしがってたクセになんで自分から更に恥ずかしいことしちゃうの? Mなの? Mノ下さんなの? いや、完全に俺を殺しにかかってたからSノ下さんか⋯⋯。

 

「⋯⋯お前、もうちょっと自覚した方がいいぞ」

「何の話?」

 

 雪ノ下はカマクラの横から顔を出したまま本気で分からないって顔をしていた。

 こいつ、本当に天然でやってたと言うのだろうか。だとしたら恐ろしい。

 

「あのな、お前は特に──」

 

 俺の言葉を遮るように、リビングの扉が開く音が響いた。小町か、と振り返ると、そこに居たのは母親だった。

 ぼさぼさの髪に微妙にずれた眼鏡、だらしなく裾が捲れたトレーナー。客人が居る可能性など露ほども考えていないのだろう、こちらには目もくれずに冷蔵庫の扉を開いて中を検分している。

 

「お邪魔しています。お母様」

 

 冷蔵庫を閉めてこちらを向いた母親と目が合うと、雪ノ下はカマクラを持ち上げたままふわりと微笑んだ。おい、今こいつお母様って言ったか。

 それに対して、比企谷家のお母様はと言うと。

 

「はへっ?」

 

 おおよそゼロ点の返事だった。牛乳を手に持ったまま固まっている姿は、妙な哀愁と滑稽さに満ちている。

 母親はそろりと牛乳を冷蔵庫に戻すと、誤魔化すように笑顔を作り──。

 

「やり直させてっ」

 

 ──と言ってリビングを後にした。

 この息子にしてこの母親という残念ぶりである。自分で残念って言っちゃったよ。

 

「私が来ること、伝えていなかったの?」

「まあ、寝てたしな⋯⋯。あんなに早く起きてくると思わなかったんだよ」

 

 そんな会話をしていると、またリビングの扉が開く音がした。やけに早いなと思って見ると、入ってきたのは親父殿だった。リビングを一瞥した親父は真っ先に雪ノ下に気がつくと、ピタリとその動きを止める。

 

「お邪魔しています。お父様」

「あ、ああ⋯⋯。いらっしゃ、いっ!?」

 

 慇懃(いんぎん)に頭を下げた雪ノ下に対して平然を装って歩き出した親父は、(したた)かに足の小指をテーブルの脚にぶつけた。

 

「んがぁぁぁっ──!」

 

 悶絶しながら床を転がりまわる親父に、未だに戻ってこない母親。

 もうやだこの両親⋯⋯。と天井を仰いでいると、雪ノ下は俺の耳に口を寄せ、ぽしょっと呟いた。

 

「楽しいご両親ね?」

 

 いやこれ、全部あなたが可愛すぎるせいですからね?

 

   *   *   *

 

 さて、仕切り直しである。

 我が家の食卓には奥から雪ノ下、俺。その対面には母親、親父の順番で座り、お誕生日席には小町が座っている。おやつ時に合わせて、雪ノ下が持ってきてくれた手土産のお菓子を頂こう、という話になったのだ。

 

「おー、やっぱりあの包みはオランダ屋でしたか。我が家はみんなオランダ屋のファンです!」

「そうなの。ならよかったわ」

 

 滅多に見ない木製の大皿に頂き物の菓子が並べられ、それぞれの目の前に紅茶やらコーヒーやらも準備完了。そのままゆるっとお茶会はスタートするかと思いきや、小町と雪ノ下の会話の後に沈黙が訪れる。無言で交わされる視線。特に両親からの視線は言外に「どういうことか説明せい」と言っていた。

 

「あー、っと⋯⋯こいつは」

「改めまして、雪ノ下雪乃と申します。総武高校の二年生です」

 

 俺から言葉の続きを受け取った雪ノ下は、おおよそ高校生らしくない口振りで自己紹介すると、これはこれはご丁寧に⋯⋯とこちらまで頭を下げたくなるぐらい綺麗にお辞儀をした。っていうか両親も普通にビジネススタイルで頭を下げ返していた。

 

「雪ノ下さんって、あの⋯⋯」

 

 しかしそう言った母親の声は、妙に強張ったものだった。

 なんでっしゃろ⋯⋯と考えていると、すぐにその反応の所以(ゆえん)に思い至る。両親にとって雪ノ下という名字は、息子を入学式の日にはねた車の所有主だ。当然事故の当事者は俺と運転手になるのだが、雪ノ下の家が絡んでいないとは考え難い。

 

「はい。入学式の際は、大変ご迷惑をおかけしました」

 

 もう一度頭を下げた雪ノ下に、両親はいえいえとんでもないとまた頭を下げ返す。

 おいなんだよこの空気⋯⋯とても部活仲間が家に来ただけで醸し出される雰囲気じゃないぞ。

 

「あの、ね。もうこの子も回復しているし、わざわざあなたが出向いてまで謝ることでは──」

「いえ、そうではありません」

 

 気遣わしげな母親の言葉を、雪ノ下はキッパリとした声で遮った。声音は静かなのに、存外だとでも言わんばかりの気迫がこもっている。

 

「今日はその、謝罪というわけではなくて⋯⋯。一個人としてお邪魔させて頂いただけです」

「そ、そうだったの。余計な気を回してごめんなさいね」

 

 さあ、ここでほっと一息。オランダ屋のお菓子を食べながらの談笑タイムといければよかったのだが、残念ながら微妙な空気のまま誰もお菓子に手を伸ばそうとしない。

 しばしの沈黙の後、口を開いたのは意外にも親父の方だった。

 

「雪ノ下さん。もしこいつが入学してすぐに入院したせいで友だちがいないと思って気を使ってもらってるなら、それは違うぞ。こいつは事故に遭わなくても友だち作りが下手くそだ」

 

 この親父⋯⋯何を言い出すかと思ったら、なんつー言い草だ。事故がなくても入学ぼっちになっていたのは否定しないが、事故を起因にして気を回しているなんて発想は俺にもなかった。流石は俺の親父である。もちろんこの場合の流石は皮肉だ。

 

「俺たちが忙しくて構ってやれなかったせいで、こいつは精神的に早熟にならざるを得なかった。だから周りとはそもそも考え方が合わないんだよ。だからこいつに友だちがいないのは君のせいじゃない」

「⋯⋯そうね。そういう部分もあったかも知れない。だから雪ノ下さん。あなたはそこまで気にしなくてもいいのよ?」

「いいえ」

 

 俺の両親からの言葉を聞き届けるやいなや、雪ノ下は即座に否定を返した。毅然と、しかし声音に棘はなく、言葉の後には微笑みまで添えられている。

 

「私が八幡くん(・・・・)と懇意にしたいというのは、私の意思です。事故は関係ありません」

 

 八幡くん、と呼び方に思わず身体が反応しそうになって、必死に押し留める。ここにいるのはほとんど『比企谷』だから、きっとわざとそう言っただけだろう。

 

「もちろん事故のことでご家族として思うところもあると思いますが⋯⋯。できればこのまま、八幡くんとのお付き合いを許していただけないでしょうか」

 

 そう言って雪ノ下は殊更に丁寧に、見惚れてしまいそうなほど綺麗な所作でお辞儀をする。それを唖然した表情で見ている我が両親。

 ⋯⋯おい、なんだこれ。あと雪ノ下さん、その言い方だとまるで付き合っているみたいに聞こえません? 友達付き合いって意味だよね? っていうかそもそも雪ノ下と友達になった覚えねぇわ。じゃあなんだ、部活仲間としての付き合いって意味ですよねそうですよね。

 

「そ、そうだったの! いやーごめんなさいね? 変に勘ぐっちゃったりして。そういうことならもちろん問題ないわよ。ね、お父さん?」

「あ、ああ⋯⋯」

 

 しかしどうやら両親たちは思っきり勘違いしている様子だった。ここはちゃんと否定しておかねばなるまい。

 

「あの──」

「いやー、小町『あ、ならいいですねお疲れさまです』って帰っちゃうかと思ってヒヤヒヤしました!」

「さ、お持たせだけど、お菓子を頂きましょうか。ありがとうね雪ノ下さん。この子たち、オランダ屋の落花生パイ好きなのよー」

「それはよかったです。お母様、できれば私のことは名字ではなく雪乃と名前で呼んでいただけたら嬉しいのですが⋯⋯」

「そう? じゃあ雪乃ちゃんね! 雪乃ちゃん、本当にしっかりしてて、八幡にはもったいないぐらいね~」

 

 しかし訂正の暇さえなく、女性陣の会話は弾みに弾みまくっていた。一体何を考えているつもりだ、と雪ノ下の方を見ると、ふっと笑みが返ってくる。その笑顔に空恐ろしいものを感じて、次の瞬間俺は気付いてしまった。

 こいつは外堀よりも先に、家族という内堀を埋めていくつもりなのだ。流石にそこまですると冗談でしたでは済まなくなってくると思うのだが、どうにもやり方が本気だった。

 

「そうだ雪乃ちゃん。八幡の小さい頃の写真見たくない?」

「兄は今こんなですけど、昔は目が濁ってなくてそれはもう可愛らしかったんですよー」

「まあ。是非お願いしたいです」

「では小町の部屋にご案内します! 確かアルバムが押入れの方に⋯⋯」

 

 ヤバイよヤバイよーと心の中の出川が危機感を募らせているうちに、ガヤガヤと(かしま)しくリビングを出ていく女性陣三人。()くして残されたのは、さっきから一言も喋っていない俺と親父である。

 

「⋯⋯なあ、八幡」

「⋯⋯なんだよ」

 

 親父はミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを一口飲むと、菓子の山を見ながら言った。

 

「宗教に誘われているのか」

「⋯⋯誘われてねぇな」

 

 やはり流石は俺の親父殿である。真っ先に疑うのが宗教とか人間信頼してなさすぎた。

 

「なら壺か。絵か」

「だったら分かりやすかったんだけどな⋯⋯」

 

 高校生に対してそりゃねぇだろという話だが、よく分からん健康グッズを買わされ母親に怒られている姿を見てきているので、親父らしい心配の仕方だとは思う。

 

「そうか」

 

 それだけ言うと親父は残りのコーヒーをぐいと煽って席を立った。そのままリビングを後にしようとするが、俺にはその前に聞いておくべきことがある。

 

「なあ。さっきの、本気で言ってたのか」

「あん?」

「俺に友だちがいない原因は俺たちだって言ってただろ」

 

 もし本気で言っていたのなら、ふざけるなと言ってやらねばならない。

 俺がぼっちなのも、こんな性格なのも、誰かのせいにするつもりなどさらさらなかった。確かに家庭環境は与えられる物で選びようはなかったのかも知れない。しかしその環境の中で何を感じ何を考え、どう生きるかは俺の自由であり俺の責任だ。両親が忙しくしていても友だちがたくさんいる奴なんて、いくらでもいる。

 だから本気でそう思っていたのなら、くだらないこと言ってんじゃねぇぞと、その考えを蹴っ飛ばしてやらねばならない。

 

「はっ」

 

 睨みつけるような強さで親父を見ていると、そんな馬鹿にし腐ったかのような笑いが返ってきた。

 

「本気で思ってるわけねぇだろ。俺が今お前に思ってるのは、別のことだ」

 

 親父はリビングの扉を開けて顔だけで振り返ると、口端を引き上げて言う。

 

「リア充爆発しろ」

 

 それだけ言って、親父はリビングを後にした。

 あんの野郎⋯⋯息子に向かってなんて物言いだ。それに俺はリア充なんかじゃねぇ。

 リビングに一人だけになって雪ノ下の持ってきてくれたお菓子を食べていると、しばしの後にまたガヤガヤと賑やかな声が戻ってくる。

 

「お兄ちゃん、アルバムー!」

 

 楽しそうな小町の声と、隣でこれまた楽しそうな笑みを浮かべる雪ノ下。どうやら母親はアルバムを出しただけで、また自室に引っ込んだようだ。

 

「比企谷くん。一緒に見ましょう」

 

 そう言って雪ノ下はまた俺の隣に、その向かいに小町が座った。お菓子がテーブルの端に寄せられ、俺と雪ノ下の間でアルバムが開かれる。

 

「何⋯⋯。ビフォーアフターで見比べようってか?」

「せいかーい!」

 

 それにしても小町ちゃん、本当に楽しそうね君。こっちは誤解されたままで大変だというのに。

 まあ両親の誤認識については、後で改めればいいだろう。滅茶苦茶残念がられた上に今から告白して来いとでも言われてしまいそうだが、それもこれも隣で優雅に笑っているかわい子ちゃんが悪い。

 

「小町さん。ここは?」

「マザー牧場に行った時の写真ですね。小さい頃に何度か連れて行ってもらいました」

 

 雪ノ下が指差した写真には、新緑の中でヤギと一緒に俺と小町が写っている。母親の文字で書かれた注釈を見るに、十年前のゴールデンウィークに行った時の写真らしい。

 

「小町さん、すごくいい表情をしているわね。とても可愛いわ」

 

 今もだけど、と付け加えた雪ノ下に、うんうんと俺は頷いた。十年前ということは、俺が小学生で小町は幼稚園に通っていた頃の写真ということになる。

 小町は今でも可愛いのに、幼少期ともなるとロリ成分を加えたロリ町となりこれまた大変可愛らしい。うん、やばいことを言っている自覚はある。

 

「いやー恐縮であります。で、見て下さい雪乃さん。この澄んでいる瞳を⋯⋯」

 

 そう言って小町が指差したのは、小学生時代の俺である。確かにまだこの時はギリギリ捻くれてなかった気がするが、それにしても子どもらしい笑顔を浮かべる自分の写真というのは中々に恥ずかしいものがあった。しかもそれを同級生に見られているのだから、なおさらだ。

 雪ノ下はじっと写真の中の俺を見た後に、ふとこちらを見た。同じぐらいの時間をかけて見詰められると、いたたまれない気持ちになってくる。

 

「何? どうしてこうなっちゃったんだろうってか?」

「いえ⋯⋯。確かに濁っているし死んだ魚みたいだし生気を感じないけれど⋯⋯」

「お、おぅ⋯⋯」

 

 思ってたよりメチャクチャ言うね君? と若干引いていると、雪ノ下の手がすっと俺の顔に伸びてくる。

 ほっそりとした白魚のような指が俺の目の下あたりに触れ、確かめるように近づいてきた顔は一等近い。ふわりと鼻腔をサボンの香りがくすぐり、顎先に雪ノ下の息遣いを感じる。そして──。

 

「私は嫌いじゃないわよ。あなたの目」

 

 至近距離で浮かんだ笑みに、一瞬天地がひっくり返ったのかと思った。

 そのぐらいその笑みも、言葉も、俺には衝撃だった。

 

「あのー⋯⋯」

 

 見つめ合ったままの俺たちの間に、そんな遠慮がちな声がするりと入り込んだ。

 

「小町、部屋に戻ってますので、後は好きなだけイチャイチャしてくださいよろしくお願いしますっ!」

 

 そう言って小町は脱兎の勢いでリビングを後にした。それとほとんど時を同じくして離れる雪ノ下の指先と顔。

 

「ご、ごめんなさい⋯⋯」

 

 雪ノ下は相当近かったことに今更気付いたのか、またも僅かに頬を染め始めた。本当こいつ、メチャクチャだな⋯⋯余裕ぶって近づいてきたと思ったら恥ずかしがるとかマッチポンプもいいところだ。

 

「⋯⋯他の写真も見てもいい?」

「⋯⋯お好きにどうぞ」

 

 咳払いの後に続いた言葉に、俺は首肯を返す。

 すっかりぬるくなったコーヒーを飲むと、俺は隣に座る人に聞こえないようにひっそりと息を吐いた。

 

   *   *   *

 

 夕刻の空には、どこからか流れてきた羊雲が浮かんでいる。

 昼間より幾分か冷たくなった風を頬に受けながら、俺は雪ノ下を駅まで送るべく通い慣れた道を歩いていた。

 

「ねえ、比企谷くん」

 

 歩きながら雪ノ下は、ちらりと俺を見て続ける。

 

「あなたのご両親は、本当に忙しくてあなたに構う時間がなかったのかしら?」

 

 そう問うてくる雪ノ下の表情は、どこか柔らかなものだった。

 同級生から向けられる視線にしては妙に大人びていて、背中がむずむずしてくる。

 

「⋯⋯なんだよ。急に」

「アルバム。家族で出かけた写真がたくさんあったわ。確かに忙しかったのかも知れないけれど、あなたや小町さんと過ごす時間を大切にしていたのが分かった」

 

 そう言って雪ノ下は空を仰いだ。あの形の雲が見えたら雨が降りやすいんだっけか、なんて考えていると、雪ノ下はしかとこちらを見て微笑む。

 

「愛されているのね」

 

 その一言に、一瞬歩みを止めそうになる。

 本当にこいつは⋯⋯相変わらず何を言い出すか分からないヤツだ。

 

「そういうお前んちはどうだったんだ?」

 

 雪ノ下の慈眼から逃れるように前を向くと、俺はぽつりとそう問いかけた。言葉にした後、家の話をするのは初めてだなと思い至る。

 

「小さい頃は色々なところに連れて行って貰ったけれど⋯⋯。どうなのかしらね」

「どう⋯⋯って?」

「うちの家族は愛情の注ぎ方が特殊だから⋯⋯。対立? いえ、教育だったのかしら⋯⋯」

 

 何やら不穏当な言葉が放たれ、うーんと考え込んでしまった雪ノ下自身も分かっていない様子だった。当然第三者であり会ったこともない俺が分かるはずもない。

 雪ノ下はこくりと一つ頷くと、いいこと思いついたとでも言い出しそうな顔で俺に告げる。

 

「会ってみるのが一番分かりやすいと思うから、今度うちに来てみる?」

「絶対行きたくねぇ⋯⋯」

 

 今の話聞いて行きたいと思うヤツがいるわけねぇだろ⋯⋯。とりあえず八幡、雪ノ下家が特殊で怖いことは察知した。近づかないでおこう。

 

「なら私の家に来るだけなら? 今、一人暮らしをしているのだけど」

「余計行きにくいわ!」

 

 相変わらずこいつグイグイくるな⋯⋯。

 高校生で一人暮らしもまた特殊だが、そんな状況で行けるわけないだろって話だ。

 

 やがて駅につくと、雪ノ下は立ち止まって俺の方を向く。大きな瞳に、俺と色を変えゆく空が映っていた。

 

「送ってくれてありがとう」

「ああ」

 

 このぐらいなんでもない、と俺はかぶりを振る。

 雪ノ下は少しだけ微笑みを深くすると、おもむろに携帯電話を取り出した。

 

「あと、最後に」

「へ?」

 

 すっと俺の隣に並んで来たかと思ったら、カシャと小さなシャッター音が鳴る。つい最近同じようなことがあったばかりだというのに、全く反応できなかった。

 

「なんでこんなとこで⋯⋯」

「そうね。あなたのうちの中の方がよかったわね」

 

 ふふっと笑った顔には悪戯心が浮かんでいて、そして無邪気だった。こんな笑い方もするんだななんて、そんな間の抜けた感想が湧いてくる。

 

「⋯⋯っていうか俺と写真撮ってどうすんだよ」

「あら、一緒に撮った写真を欲しがって何がいけないの? 由比ヶ浜さんはよくて私は駄目なんて言わないわよね」

 

 雪ノ下は笑顔のままなのに、声音には明らかな圧があった。そう言われてしまえば、俺に否やを唱える(よし)がない。

 

「今日は楽しかったわ。それじゃ」

 

 ああ、と俺が応えると、雪ノ下は改札に向かって歩き出す。ぼんやりと艷やかな黒髪が揺れるのを見ていると、その視線に気付いたかのように雪ノ下は振り返った。

 

「⋯⋯また明日」

「⋯⋯おう」

 

 そう言って踵を返すと、雪ノ下は今度こそ改札の向こうへと歩みを進めていく。

 いつまでもそれを見ている必要などないというのに、俺は雪ノ下の姿が角に消えるまで見届けていた。

 

 

 

 ちなみに、これは余談ではあるのだが。

 その日の晩、『比企谷くんの家の猫ちゃん。可愛かったわ』というメッセージと共にツーショット写真がグループメッセージに送信されたのは、また別の話である⋯⋯。

 

 




 比企谷家を訪問する雪乃さんの話でした。
 相変わらずグイグイ攻めてますね⋯⋯。
 原作にない展開が続きましたが次からまた本筋に戻ります。
 ではまた次回をお楽しみに!
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