やはり俺にモテ期がくるのはまちがっている。   作:滝 

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俺がチェーンメールに巻き込まれるのはまちがっている。

 ある日の放課後。

 今日も今日とて奉仕部の部室である空き教室には、芳しい紅茶の香りが漂っている。

 もはや見慣れた光景だ。由比ヶ浜の隣には雪ノ下が、その隣に俺が座る。そして本日も女子陣は話に花を咲かせて──。

 

「はぁ⋯⋯」

 

 いるかと思いきや、聞こえてきたのは一色の溜め息である。何故部員でもないのにここにいるのか、段々気にならなくなってきているのだから慣れとは恐ろしいものだ。

 一色はさっきから冷めた目つきで携帯を眺め、そんな小さな溜め息を何度もついている。またどこかで携帯が震える音がすると、今度は由比ヶ浜が携帯の画面を見た。

 

「はぁ⋯⋯」

 

 一色と同じ反応である。恐らくはなんらかのメッセージを受け取って、そんな反応をしているらしい。

 俺が思い当たる節と言えば土日にやり取りしたグループメッセージだが⋯⋯まずそれは原因ではないだろう。

 日曜日に雪ノ下が爆弾のように投下したツーショット写真の後、わちゃわちゃしたメールのやり取りが続き、翌日月曜は三人とも普通に話をしていたからだ。まあ裏で何かあったのかまでは知らないが⋯⋯。いや知りたくもないな、うん。

 

「なぁ」

 

 しかしである。

 何か一色は話を聞いて欲しそうな気がしないでもないし、もしかしたら後になってから仲間外れな感じになってしまったことに不満を覚えているのかも知れない。

 土日の出来事はあのテニス勝負の副産物だし、一色は自ら審判を名乗り出たわけだから本来俺が気を使うことはないのだが⋯⋯いざ俺が原因だった場合に備えておかねばならない。

 ちょいちょいと一色に手招きすると、一色は訝しげな表情で少しだけ俺の方に身を寄せてきた。近づき過ぎないように注意しながら、こそりと耳打ちする。

 

「さっきの溜め息、なんか俺関係ある?」

「は⋯⋯? いえ全然関係ないですけど。自意識過剰なのちょっとキモいです」

 

 酷い言い草だった。キモいなんて由比ヶ浜や中学で一緒だったかおりちゃんや名前思い出せないあいつにこいつにそいつにしか⋯⋯ってめっちゃ言われたわ。なんか全然平気な気がしてきた。やっぱ慣れって怖い。

 

「あ、そうか⋯⋯。いろはちゃんにはこっちのは来てないんだ」

 

 なんですそれ、と言いながら一色は由比ヶ浜の方を向いて、画面を見た雪ノ下は眉根を寄せる。

 彼女たちの溜め息には何やら理由がありそうだが⋯⋯まあ、俺が不機嫌の原因でないならこれ以上気にしても仕方ない。俺は俺のすべきことをしよう、と鞄から数冊のパンフレットを取り出して机に置いた。

 

「ヒッキー、それ何?」

 

 そのうちの一冊を熟読していると、暫しの後に由比ヶ浜が問いかけてくる。

 

「予備校⋯⋯のパンフレットね」

 

 俺が答えるより先に雪ノ下が答えたので、頷きで肯定する。俺の手元にあるパンフレットは、全て自宅から通える範囲にある予備校のものだ。

 

「受験は来年なのに、もう予備校?」

「甘いな由比ヶ浜。受験戦争はもう始まっている」

 

 むふん、と胸を張って言うと、受験からは一番遠いはずの一色はとても嫌そうな顔をしていた。一色にとってみれば終わってまだ間もない受験戦争なわけだから、知りたくもなかった話だろう。

 

「ヒッキー、意外と真面目⋯⋯」

「意外とて⋯⋯。まあスカラシップ狙ってるからな」

「スターシップ⋯⋯?」

 

 なんで俺が宇宙船の乗組員を目指すんじゃ⋯⋯と呆れていると、それに答えたのは雪ノ下だった。

 

「スカラシップ。成績優秀者の学費を免除するシステムね」

「はえー⋯⋯なんで?」

「成績優秀者がその予備校に集まれば、大学合格率に寄与するでしょう? 予備校側の宣伝文句にもなるから、双方にメリットのある仕組みね」

 

 ほー、っと聞き入っている由比ヶ浜と一色。どちらかと言うと一色の方がちゃんと聞いている感じがするあたり、ちょっと由比ヶ浜の将来が心配になる。

 

「つまり予備校に通う金を出して貰い、成績優秀なら丸々手元に戻ってくるわけだ。俺はこれをスカラシップ錬金術と呼んでいる」

「どう考えてもスカラシップ詐欺なのよね⋯⋯」

 

 感心されるかと思ったらめっちゃ普通に呆れられていた。しかしこれには俺にも言い分はある。

 

「いいか雪ノ下。古代パルテノン神殿の円柱は下から見上げた時に高く見えるように、下の方が太くなっている。つまり俺がしようとしているのはそういう細工だ」

「視覚芸術とペテンを同列で語るのはやめて貰えるかしら」

 

 完全に詐欺師のやり口じゃない、と付け加えられてぐぅの音も出なかった。学年一の成績優秀者殿は雑学にも精通しているらしい。

 

「なんかよく分からないイチャつき方してますね⋯⋯」

 

 そんな聞き捨てならない一色の一言が耳に届いた、その直後だった。

 トントン、と奉仕部の扉が叩かれたのは。

 

「⋯⋯どうぞ」

 

 雪ノ下がそう返したのと同時に、俺は時計を見上げた。なんだ、後もう少しで下校時刻だというのに⋯⋯。恨みつらみを込めて出入り口に視線を送ると、ガラリと扉を開けて入って来たのは意外な人物だった。

 

「こんな時間に悪い。中々部活を抜けさせて貰えなくて──」

 

 とそこまで言って言葉を切ったのは、葉山隼人である。その視線の先でやっべーって顔をしているのは一色いろはだ。

 

「いろは。体調はもう大丈夫なのか?」

「あ、ああーはい。何となく通りがかって入ったここで紅茶をご馳走してもらってましたら、はい」

 

 あれれー、おかしいよ? いろはす、今日部活ないって言ってなかったっけ?

 少年探偵ばりに懐疑の視線を向けるが、一色はペコちゃんみたいな顔をして目を合わせようとしなかった。やっぱりこいつ、サボりだったか⋯⋯。

 

「あ⋯⋯、よかったらここ座って」

「ああ。ありがとう」

 

 由比ヶ浜が一色のとなりに席を用意すると、葉山は軽く礼を言ってそこに座る。それに一色が気まずそうな表情を浮かべるのは、道理と言えるだろう。一応君、部外者だし。

 

「あの、葉山先輩。わたし外したほうがいいですよね?」

「いや⋯⋯。ひょっとしたらいろはも何か情報持っているかも知れないから、居てくれた方がいいな。ただ聞いていて愉快な話じゃないから、無理にとは言わないけど⋯⋯」

「そんな言い方されたら気になるじゃないですかー」

 

 何やら部外者二人で盛り上がっているが、あまり平和な相談ではなさそうだ。会話が落ち着くのを待っていた雪ノ下は、真っ直ぐに葉山を見て言った。

 

「二年F組、葉山隼人君。用件を伺うわ」

 

 そう言った雪ノ下の声には色も無ければ温度もなかった。突き放すよう、とまではいかないが、どこか見えない壁のようなものを感じる。もちろん、俺がその正体を知ることは叶わないが。

 

「ああ。これなんだけど⋯⋯」

 

 葉山は携帯電話を取り出すと、何やら操作した後に画面を見せてくる。雪ノ下の目の前に携帯が置かれると、必然そこにみんな集まる格好になりやたらいい香りが⋯⋯いや、真面目にやろう。堅実、実直、目指せ成績優秀者。うん、成績は関係ない。

 

「あー⋯⋯これか」

「わたしのところに来たのは戸部先輩のだけですね」

 

 そう言って由比ヶ浜と一色も携帯を出して、画面を見せてくれる。捨てアカウントと思われるメール差出人からの文面には、それぞれこんなことが書かれていた。

 

『戸部は稲毛のカラーギャングの仲間で西校狩りをしていた』

『大和は三股かけてる最低のクズ野郎』

『大岡は練習試合で相手校のエースを潰すためにラフプレーをした』

 

 要約すればそんな内容のメールが、何度も送られてきているようだ。一色の方は同じ部活だからということもあってか、友人と思われる人物から転送された形跡がある。

 

「チェーンメール、ね」

 

 黙ってその文面を読んでいた雪ノ下が、冷静な声で呟いた。

 チェーンメールとはその名前の通り、繋がり回り回っていくメールだ。大体『五人以上に回してください』とか『この人のことを知っていたら回してください』とか指示がついていて、基本イエスマンな日本人の習性を利用した陰湿な嫌がらせである。

 

「雪ノ下のところには来てないのか?」

 

 俺が聞くと、雪ノ下はこちらを向いてふっと笑う。

 

「あなたのところにだって来ていないのでしょう?」

 

 その言い方で、俺は理解した。

 こいつ、俺と同じで友達いないな⋯⋯。理由はいまいち分からないが、高嶺の花で知られる彼女だから超然とした雰囲気が近づきにくいのだろう。

 

「それだけど⋯⋯ヒッキーに来ないのは当然っていうか⋯⋯」

「おいやめろ。友達がいないのは認めるが憐れむんじゃねぇ」

「そういう意味じゃないし! なんていうか⋯⋯」

「⋯⋯比企谷。気を悪くしないで欲しいんだが、君のもあるんだ」

「は? 俺のも⋯⋯?」

 

 言いにくそうな由比ヶ浜の言葉の続きを受け取った葉山は、携帯を操作してまた違うメールを見せてくる。

 

 

『二年F組の比企谷はJ組の雪ノ下の弱みを握って好き放題やっているカス野郎』

 

 

 その文面を読んだ瞬間、にわかに俺の身体の中を何かが通っていった。

 俺が雪ノ下の弱みを握っている⋯⋯だと? むしろ俺の方が弱み、というか胃袋を掴まれているし、割りと好き放題に振り回されているというのに。

 

「このメールが出回り始めてから、何かクラスの雰囲気が悪くてさ。止めたいんだよ、こういうの」

 

 そう言って葉山は困ったような、うんざりしたような、どっちともとれる表情を浮かべる。

 ちらりと雪ノ下の方を見ると、俺よりも先にそれを見せられていたのだろう、不快さを無表情で塗りつぶしていた。俺と雪ノ下のコンタクトが衆目に晒されたのは弁当を作ってきたと言いに来たあの一回だけだというのに、それだけでこんなメールを回されるとは。

 

「ただ犯人探しがしたいわけじゃないんだ。丸く収める方法が知りたい。頼めるかな?」

「つまり、事態の収拾をはかればいいのね」

「ああ、そういうことだね」

 

 雪ノ下は頷くと、ちらりとこちらを見てきて目が合った。何かを言いかけて口を噤むと、葉山の方へと視線を戻して言う。

 

「メールが回り始めたのはいつからかしら?」

「先週末からだよ。な、結衣」

 

 葉山が問いかけると、由比ヶ浜はこくりと頷いた。こいつ、由比ヶ浜のこと下の名前で呼んでるのか⋯⋯。

 リア充集団って何かと下の名前で呼び合いたがるよな。まあ、俺には関係ないことだからいいんだけど。

 

「一応聞くけれど、チェーンメールの標的になった四人の共通点は?」

「共通してるのはみんな同じクラスってだけだね。戸部も大和も大岡も、俺や結衣たちとよく一緒に休み時間を過ごしたり、放課後出かけることもある。比企谷は⋯⋯」

「おいやめろ。変な遠慮すんな。俺とその三人に接点はねぇよ」

「つまり比企谷くんにはクラスの中で関わりのある人はいない、と」

「傷口広げた上に拡大解釈するのもやめろ」

 

 いや別に傷口でも何でもないんだが⋯⋯。それにクラスで言えば一応由比ヶ浜もいるし、俺にはさいちゃんがいる。さいちゃんさえいればそれでいい。

 

「じゃあ先週末に何かあったんですかねー」

 

 一色の疑問に、俺たちF組の三人はうーんと首を傾げた。

 

「そういや、職場見学のグループ分けをするって話があったな」

 

 その少し前に職場見学の希望調査票に『自宅』と書いて提出したら、平塚先生にこんこんと説教され再提出を命じられたのでよく覚えている。

 

「あー⋯⋯。なんか分かったかも」

 

 俺の言葉を聞き届けた由比ヶ浜が、うんざりした表情で言った。その一言で俺も、ある可能性に思い至る。

 

「葉山君。チェーンメールの相手は比企谷くんを除けばあなた達グループの三人よね。職場見学はどういうグループ分けをするつもりだったの?」

「グループ分けは三人一組だから⋯⋯。まあその中の誰かと行くことになると思うけど、決まってはいないよ」

 

 その答えから確信を得たように雪ノ下は一つ頷き、一色は「うわぁめんどくさ」とでも言い出しそうな顔をしていた。もうちょっと顔に出すのを抑えろいろはす。

 

「まあ、犯人はその三人の中の一人、だろうな」

 

 俺が言うと、葉山は驚いた表情でこちらを見てくる。そんなこと、露ほども想像していなかったって顔だ。

 きっと葉山はいくら考えてもその答えには行きつかないだろう。人は自分で取りえる可能性のあることしか、想像することはできない。そんな姑息な手段など、葉山は取りえないとも言い換えられる。

 

「比企谷。説明してくれるか?」

 

 葉山の言葉に、俺は頷きを返してから言った。

 

「男子四人の中で一人だけ余る人間が出る。だからチェーンメールで相手の評判を貶めようとするが、自分を悪くいうメールが無ければ自分が疑われるだろ? だから三人全員の悪い噂を流した。正直、博打要素の高いやり方だな」

「⋯⋯それだけか? 三人の中の一人が犯人だって理由は」

「いや、それだけじゃない。その三人の関係性を知っていれば、俺たちみたいにその中の一人が犯人かも知れないと考えるヤツが出てくる。そこでわかりやすくやっかみを受けそうな俺と雪ノ下の話が出てきたわけだ。クラスで俺と一番よく話しているのは由比ヶ浜なのに雪ノ下の名前を使ったのは、由比ヶ浜が葉山たちのグループのメンバーだから気を使ったんだろう」

 

 まったく、してやられたものだと思う。いいように名前を使われたのだ、俺も雪ノ下も。

 

「けど、それだけじゃ証拠とは言えないよな」

「ああ、だから断定はできない。捨てアカウントが使われている以上、そもそも犯人探しができるような話じゃないしな」

 

 当然こんな小さな話で、アカウント発行情報から追跡⋯⋯なんてことは出来ないだろう。そもそも犯人探しがしたいわけではないし、問い詰めて吐かせてもそれは丸く収まったとは言えない。

 

「比企谷くん」

 

 訪れた沈黙を破ったのは、そんな雪ノ下の声だった。

 

「何に対して怒っているの?」

 

 言われて、すぐに答えが返せなかった。

 声にのせていなかったはずの感情が、どうして雪ノ下にだけ伝わったのだろう。

 確かに、俺は怒りを覚えていた。ただしそれはそんな卑劣な手段に巻き込まれたことに対してではない。怒りという感情はこんなことになるはずじゃなかったという、期待と表裏一体の感情だ。世の中では色々なヤツが、それこそどうしようもない人間がたくさんいる。そんな有象無象の輩に対する期待など何一つとしてない。

 だが俺は、俺自身に期待していたのだ。

 雪ノ下の知名度を考えれば、関わり合えばこうなる可能性があった。しかしその事実を、心のどこかであり得ないと否定していた。きっと大丈夫だと安心して、上手くやれていると慢心していたのだ。

 

 だからこの怒りは、全部俺のもので、俺が原因だ。

 

「別に⋯⋯。どうしてそう思うんだ?」

「声を聞けば、顔を見れば分かるわ」

 

 言い切った雪ノ下に対して、視界の端で由比ヶ浜と一色が顔を見合わせた。雪ノ下の言葉には、いつかのように有無を言わせない強さがある。本当にこいつ、やりにくいヤツだ。

 

「そりゃまあ⋯⋯。お前を巻き込んじまったからな」

 

 何より、メールの内容が悪い。あれでは雪ノ下雪乃には後ろめたいことがあると、それで籠絡(ろうらく)できる程度の人間だと言われているようなものだ。

 それが一番(・・)腹ただしかった。俺の行動の結果でそんな噂が流布された事実を、上手く自分の中で処理しきれない。

 雪ノ下は「はぁ」と浅く息を吐くと、一瞬逸らした目をまた俺に合わせてくる。

 

「きっと私がお弁当を作って持っていったせいでしょうね。けれどあれは私の意思でやったことよ。むしろあなたが悪く言われる責任は、私にあると言えるわ」

「雪ノ下から見たらそうかもな。だが俺から見たら、こうなることを予見できなかった責任がある」

 

 まただ、と誰かが言った。けれどそれには反応せずに、俺は雪ノ下を見詰め続ける。

 

「では双方の責任ということにしても、あなたはこの後どうするのかしら?」

 

 その声には揶揄の一つもなく、目はどこまでも真剣だった。それを真っ直ぐに受け止めた上で、俺は答える。

 

「⋯⋯とりあえず明日から、飯は一人で食うわ。今までありがとな」

「違うわね」

 

 俺の言葉の直後に、雪ノ下はそれこそ切って捨てるように即座に否定を返した。

 

「あなたが言っているのは、ほとぼりが冷めるのを待つ対症療法じゃない。目指すべきは根本治療よ」

 

 雪ノ下の意見に、俺は酷く間抜けな表情をしていたと思う。葉山は雪ノ下の方を見たまま固まり、由比ヶ浜も一色も自然と口が開いてしまっている。

 

「そんな噂が嘘であると誰もが分かるように、あなたが私に相応しい人間(・・・・・・・・・・・・)だと証明するのよ。あなたの周りに」

 

 その言葉に、誰もが声を失った。

 ああ、まただと俺は思う。

 また俺は、見惚れてしまうぐらいに格好いいと、そう思ってしまった。

 

 そんな小説の裏表紙のような空白の後に、一色はためらいがちに手を挙げる。

 

「あのー⋯⋯」

 

 全員の視線が一色に集まると、おずおずと彼女は続ける。

 

「雪ノ下先輩たちって、付き合ってるんですか?」

 

 一色のその一言で自分が何を言っていたのか分かったのだろう、雪ノ下ははっと目を大きくさせた。俺もスルーしかけていたが、我が家に来た時と同じく雪ノ下の言動は誤解を招くものばかりだ。

 

「そ、そういうわけではないのだけど⋯⋯」

 

 そう言って、頬を染め始める雪ノ下。

 おいまたかよこいつ⋯⋯。自信満々にぶちかましてきたと思ったら恥ずかしがるとか、巻き込まれるこっちの身にもなれって話だ。

 

「⋯⋯雪乃ちゃんは変わったね」

 

 再び訪れた静寂にひっそりと響いたのは、葉山のそんな一言だった。聞き慣れない呼び名に皆が葉山の方を見ると、しまったとでも言うように葉山は口を引き結ぶ。

 テニス勝負の際の雪ノ下の過去を知っているような口振り。その呼び方と、雪ノ下のどこか冷めた態度。つまりはまあ、そういうことなのだろう。⋯⋯俺には何の関係もないことだが。

 

「もし仮に三人の中にメールを送った人間がいるとして、その状況から平和に解決する方法はあるのかな?」

 

 誤魔化すように笑うと、葉山は話を元に戻してみせる。そして俺はその問いに、答えを持っていた。

 

「まあ、葉山がその誰とも組まないこと、だろうな」

「俺が誰とも組まない?」

 

 首を傾げた葉山に向かって、俺は首肯すると言葉を続ける。

 

「あの三人の中に犯人がいると仮定したら、そいつは葉山と組みたいって思っているってことだろ? 他のヤツを蹴落としてでも。つまり別に仲がよくないってことだ、あの三人は」

「だからあえて俺が誰とも組まずに、三人が仲良くなれる道を探る、ってことか」

 

 理解が早くて助かる、と俺はまた頷きを返した。

 葉山の言う通りになるかどうかは別として、丸くは収まるだろう。

 

「そこで葉山君に相談なのだけど」

 

 そう口を挟んだ雪ノ下の顔には、ちょっといい笑顔が浮かんでいた。このパターン、知っているぞ。何かおかしなことを言い出す前兆だ。

 

「その職場見学のグループ、比企谷くんと組んでくれないかしら」

 

 雪ノ下がそう言うと、由比ヶ浜ははてと首を傾げ、一色はなるほどと頷いた。葉山が目で続きを促すと、雪ノ下は続ける。

 

「そうしてくれれば『彼は葉山隼人君の認める人物である』と評価を引き上げる結果が望めるわ。問題解決のリターンとして、決して高くはないと思うけれど」

 

 なるほどな、と俺は顎に手をやった。

 問題の対処法を提案する代わりに対価を要求するとは、やはりどこまでも(したた)かなヤツだ、こいつは。

 

「そういう意味でなら、断るよ」

 

 しかし葉山は、少しの逡巡の後にそう答えた。

 一体何を言い出しているんだという視線が集まってくると、葉山は続ける。

 

「何故なら俺は、比企谷のことを本当に認めている⋯⋯と言ったら上から目線みたいで嫌なんだけど、凄いやつだと思ってるよ。だから俺が比企谷と組むのは、雪ノ下さんの言うリターンとは何も関係ない」

 

 葉山がそう説明すると、一色も由比ヶ浜も得心のいった表情を浮かべる。つまり葉山は、その程度のことで借りを返したことにしたくない、ということだ。

 しかし。

 しかしである。葉山も、他の誰もが気付いていないが、決定的に欠落しているものがある。

 

「おいちょっと待て。俺は葉山と組むなんて考えてもなかったんだが?」

「先輩⋯⋯。流石に今の流れでそれはないです」

「ヒッキー⋯⋯そこは空気読もうよ」

 

 言った瞬間、二人はシラっとした目を俺に向けてくる。

 えぇ⋯⋯何この空気⋯⋯。俺には選択の自由もないの? っていうか本当に葉山と組みたくないんだけど。だって何話していいか分かんないんだもん(乙女)。

 

「これで話はまとまったわね」

 

 ちっともまとまってないんですが? と俺はジト目を向けるが、雪ノ下はその視線には気付かず立ち上がって片付けを始める。それに倣うように、帰り支度を始める由比ヶ浜と客人たち。

 ああ、なんということだろう。俺はさいちゃんと組む予定だったのに。それで後の一人は適当にあぶれた人間を入れておけばいいと思っていたのだ。

 

 帰り支度をしながら「本当にありがとう」と礼を述べる葉山を、俺は呪詛をこめた目で見ているのだった⋯⋯。

 

 

   *   *   *

 

 

 茜色の空に、雁行する鳥影が過ぎ去っていく。

 葉山が帰り、部室の鍵を返した後、俺たち四人はとぼとぼと校門に向けて歩いていた。目の前では雪ノ下と由比ヶ浜が何やら楽しそうに話し込み、俺の隣では一色が黙ったまま歩いている。

 

「先輩」

 

 とん、と肩をぶつけてくると、間近で亜麻色の髪がさらりと流れた。

 

「⋯⋯なんだよ」

「先輩って、責任お化けですよね」

 

 一色は真面目な顔でそう言った後に、にこっと男子コロリな笑顔を浮かべる。なんだよ、責任お化けって。お化けみたいな曖昧な存在に責任なんて取れるわけがないだろ。

 

「どういう意味だよ」

 

 俺が問い返すと、一色は目を逸らすように前を向いた。前方を歩く雪ノ下たちを見ながら、彼女たちに聞こえないような小声で言葉を続ける。

 

「別に⋯⋯。まあ、何か言うとしたら」

 

 そう言って一色は身を寄せてきて、また肩が、腕が触れ合う。

 ぴくりと反応しそうになる身体を意識して止めると、視界の端っこで一色はふっと小さな笑いを漏らした。

 

「私の責任も取って欲しいなぁって、そう思っただけです」

「お前に対して責任を負った覚えはないんだが⋯⋯」

「先輩からしたらそうかもですね」

 

 何言っとんじゃこいつ⋯⋯と一色の方を見ると、悪戯っぽい笑みが俺を迎える。そのあどけなさすら感じる顔を、普通に可愛いなと思ってしまった。

 

「でも雪ノ下先輩の件みたいに、知らないうちに背負っていたってこともあるかもですね」

 

 さっきからまるで、禅問答のようだ。実態がなく、応酬はただ宙を舞台に繰り広げられている。

 由比ヶ浜はまあ、分かりやすい。雪ノ下は突拍子もないことを言い出すが、大体は話の筋が通っている。しかし一色の言っていることは、意味が分からなさ過ぎた。

 

「だから先輩。今度わたしとデートしましょうね」

「いや、さっきから全然意味分かんないんだけど⋯⋯」

 

 更に意味の分からないことを言われて、俺は困惑するしかない。しかし一色の方はそんな反応も想定内と言った様子だ。

 一色は俺の袖口をぐっと引っ張ってくると、そっと俺の耳に口を寄せてくる。ふわりと髪が頬を撫でて、俺の中で一瞬時が止まった。

 

「二人だけ特別は、ズルイですよ」

 

 甘い声が、耳朶をくすぐる。天使のような小悪魔の笑顔が、視界を満たす。

 なんだよこれ。なんで今日の話から、そんな話になるんだよ。

 

「行かねぇ⋯⋯」

 

 目を逸した俺の視界の端に浮かんだ、一色の笑み。

 その瞳には、獲物は逃さないとでも言いたげな火が宿っているのだった⋯⋯。

 

 




 第八話、チェーンメールのお話でした。
 原作で言うとようやく二巻が始まったところですね。
 けどいろはすもいるし、川なんとかさんとの出会い方も変わっているし⋯⋯。
 ちょっとずつ変わっていく物語。引き続きお楽しみ下さい!
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