「トレーナーさん今日もご指導ありがとうございました」
「私たちの走りはどうでしたか?」
そう言って、担当ウマ娘たちは僕からのフィードバックを受けるために近づいてくる。向上心に溢れた素晴らしい二人だ。でも、最近はその、ちょっと……
「言う! 言うから、サトノもキタサンもちょっと距離を取ろうか。その、密着しすぎていると思うし」
左右から僕の腕にしがみついているサトノダイヤモンドとキタサンブラックに離れるように促した。
「あ、すいません、夢中になってしまって」
「あはは、ごめんね。トレーナーさん」
「いや、いいんだよ。二人のその熱意はとても素晴らしいものなのは間違いないから」
僕の言葉を受けて二人は慌てて僕の腕から離れる。二人とも目指す目標に対しての努力に余念がない。少しでも改善できる点があれば貪欲に吸収しようとする。その前のめりな気持ちが行動にも現れてしまっているのだろう。他意がないのは分かっている。
でも、やはり、まあ、トレーナーである前に僕も男だ。彼女たちにはもう少々危機感というものを持ってもらいたいという気持ちはある。
「サトノはフォームの乱れもなくなってきているね。キタサンもラップタイムの乱れがほぼなくなってきてる。二人ともいい仕上がりだ。次のレースはとっても期待できると思うよ」
そういうと、二人はお互いに顔を見合わせて僕の方を見る。
「「トレーナーさん、ありがとうございます」」
二つの鹿毛がふわりと揺れた。その空間だけ明るくなったような華やかな表情に僕もつられて笑顔になる。
二人へのフィードバックが終わった後、いつもならサトノと一緒に帰るはずのキタサンがミーティングルームに残っていた。サトノも最初は不思議そうな表情でキタサンを見ていたが、何か察するものがあったようでその場を立ち去って行った。
キョロキョロと辺りを伺うようなキタサンの仕草に気になりはしたものの、僕もそのまま帰ろうとした。すると、むぎゅっと片腕に柔らかいものが押し当てられる。
「す、すいません、トレーナーさん! お話があるんです」
「どうしたのかな、キタサン。ちょっと話を聞くから一回腕から離れようか」
「あ、あはは、ごめんなさい。私ったらまた……」
キタサンは赤面しながらそう言った。
最近のキタサンブラックの僕に対する距離感がおかしい。
すぐに体を押し当ててこようとする。
嬉しいときに僕の手を両手で握ったり、今みたいに腕に抱きついてきたり、模擬レース後など興奮している時は僕をサトノと勘違いしているかのようにトンでもない力で僕を抱きしめてくる。
他意がないのは重々承知している。キタサンブラックの天真爛漫さが行動に現れてしまった結果なのは分かっているし、出来るだけ尊重したいとも思っている。しかし、その気持ちと同時に僕だってどうしようもなく男なんだ。
柔らかい感触にドキドキしないわけではない。必死に抑えているだけだし、抱き着いた時に少しだけ香る匂いにクラクラとしてしまいそうになることがなんと多い事か。勘違いしないように、トレーナーと担当ウマ娘という領分を越えないようになんど自分に言い聞かせてきているか分からない。
「いいんだよ、でもキタサンはもうちょっと自分を大事にした方が良い。僕だってトレーナーである前に男なんだ。どれだけトレーナーとして信頼してくれてもそれだけは忘れないで欲しい」
よし、これで、キタサンへ僕の気持ちがしっかりと伝わったはずだ。
「…………こんなことダイヤちゃんかトレーナーさんにしかしてないけど」
「ん? 何か言ったかな?」
「いえ、なんでもないです! それで用件なんですけど週末に一緒に買い物に付き合ってほしいんです!」
キタサンは両手で僕の手を取りながらそう言う。
やはり、ダメだった。キタサンには僕の気持ちが正確には伝わっていなかったようだ。彼女の手の柔らかさや温もりを直に感じてしまう。どれだけ冷静にあろうとしても片隅に生まれてしまったドキドキから目を逸らすことは出来なかった。
こんな関係性が適切かどうか疑問ではある。しかし、それでも僕の答えは明白だった。
「いいよ」
気づけばその言葉を口にしていた。
だって、しょうがないんだ。
キタサンは真っ赤な顔で、目頭に涙をためて懸命な表情で僕に訴えかけてきた。訴え終わったあとは瞼をぎゅっと閉じて僕の返答に対する覚悟を決めている、そんなキタサンブラックの期待を裏切ることは出来なかった。
「わああ、ありがとうございます!」
僕の言葉を聞いたキタサンはキラキラと目を輝かせながら大輪のような笑顔を見せた。眩しくて、僕の頬も思わず熱くなってしまう。そして、キタサンはその嬉しいの気持ちが溢れたようで、その勢いのまま僕の体を抱きしめてきた。
僕の言葉に一喜一憂するくらいキタサンは何事にも一生懸命だった。だからこそ悲しんでいる彼女の表情が見たくなくて、トレーナーと担当ウマ娘という領分を越えるような距離感で接してしまうのを、なあなあで許してしまうことが多い。だからキタサンも次第に距離感が掴めなくなってしまったのだろう。
彼女だけでない、僕にだって原因の一端があるのだ。だから、これはキタサンへの贖罪もあるのかもしれない。
一昨年まで小学生だったのだ。そして寮に入って頼れる身近な大人が僕みたいなトレーナーしかいない。だからこそ必然的に距離感が不明瞭であるからこそグイグイと距離を詰められるのだろう。だからこそ、大人最後まで責任を持って僕が出来る限り、修正をしようと彼女の笑顔を見て誓った。
「ちなみに、何の買い物をするのかな?」
「はい、ネックレスを買いに行きたいんです!!!」
思いっきりプライベートな買い物だった。
やっぱりちょっと適切な距離感というものを考えた方がいいのかもしれない。そう思わずにはいられなかった。
週末、僕は約束通りキタサンと一緒にショッピングモールに出掛けた。
トレセン学園の寮生活というのは、やはり生徒たちにとってちょっと窮屈だったみたいだ。こういった娯楽のある場所に出向くとキタサンは目につくものすべてに目を輝かせて、色んなものに興味が移っている。
「トレーナーさん、見て見てあれ! キャロットマンですよ、キャロットマン!」
「キタサン! そんなに走っていっちゃ危ないって」
今はちょうど、ショッピングモールのライブステージで、日曜朝にやっている特撮ヒーローたちがショーをしている最中みたいだった。
僕には見えない。視力が悪いとかではなくて、ライブステージは僕たちがいる場所からは離れており、肉眼では視認できない距離なのだ。しかし、キタサンはその音を拾った。姿を捉えた。ウマ娘としての実力をいかんなく発揮して自分の欲求を満たそうとしている。
でも、やはり、ここまで周りが見えていないとケガのもとだ。万が一にケガでもしたら悔やんでも悔み切れない。僕のそんな思いが伝わったのか、このまま駆け出してしまいそうだったキタサンが急に足を止めた。
「あはは、私ったら、またつっぱしろうとしちゃいました」
キタサンは顔を赤らめながら頬を掻く。キタサンはつい夢中になってしまい周りをみずに突き進もうとすることも多いが、こうやってすんでのところで踏みとどまれるのだ。強い子だと思う。
「いいんだよ。けがをしたり、はぐれたりしたら危ない。それだけわかってくれればいいんだ」
だから、根気よく説明すれば絶対に分かってくれる。僕にはそんな確信があった。
「それ、ダイヤちゃんにもよく言われます。そんな急いだりしたら危ないよって」
そう言うとキタサンはおずおずと手を差し出してきた。
「ん?」
「キタちゃんは目を離すとどこに行くか分からないから、ってダイヤちゃんとお出かけするときは、はぐれないようにいつも手を繋いでるんです」
「なるほど」
「私、またつっぱしっちゃうかもしれないので、トレーナーさん。手を繋いでもらっていてもいいですか?」
キタサンは体を縮こませながら窺うように僕の顔を見上げた。
彼女なりに自分の短所を自覚している。対処の仕方もサトノと相談しながらちょっとずつやっているのだ。拒む必要などない。
手をつないで出かける二人に思いを馳せて、少し微笑ましい気持ちになりながらキタサンの手を取る。
「……ねえ、キタサン」
「どうしました?」
「指と指を絡ませる必要ある?」
「? 手をつなぐときは、こうするのが普通だよってダイヤちゃんが教えてくれました」
「そっかぁ……」
「はい!!」
はぐれないために恋人繋ぎで手をつなぐ、というのはどうなんだと思った。しかし、キタサンの発言で距離感がおかしい原因はキタサン以外にもあるかもしれないと思った。
とても柔らかくて暖かいキタサンの手のひらに浮かされたように、僕の心も熱を帯びていく。押しも押されぬ勢いに任せて、僕はキタサンが言ってみたいというヒーローショーのライブ会場まで気づけば駆け出していた。
「やっぱり、生でキャロットマンは迫力が違いましたね!」
「現実であんなにきれいにバク宙する人、僕初めて見たよ」
ヒーローショーも終わり、フードコートで、食事をしながらボクたちは、先ほどのキャロットマンの感想を言い合っていた。
初めは、たかがヒーローショーだと思っていたけれど、案外バカに出来ないものだった。テレビ越しに見えるアクションシーンさながらの動きを現実でも実際にしていた。躍動感溢れるアクションを間近で見ると気づけば僕も手に汗握っており、ショー終わりの握手会には当然のようにキタサンと並んでいるほどだった。
「僕もキャロットマン見てみようかな」
「絶対にそれがいいですよ! よかったら、DVD貸します!」
「そう? じゃあ、借りようかな」
特撮物やアニメなど子どもじみた娯楽を親から禁じられていた幼少期のせいで、こういったものにはとんと疎い。過去に知り合いから『○○を見てないなんて人生半分損してるよ』と、勝手に僕の人生の価値を値踏みされているような発言をされてイラっとした記憶がある。しかし、確かにこれは人生の半分を損して過ごしていたかもしれないと、思わせるくらいの魅力を秘めていた。
「ご飯を食べ終わったら、本命のネックレスを見に行ってもいいですか?」
キャロットマンの話を終え、よもやま話に花を咲かせているとキタサンが建設的な会話を切り出す。昼下がりに本題の品を見て、帰れば遅すぎないちょうどいい時間帯に寮に戻れるだろう。特にキタサンの提案を否定する要素はなかった。
今の僕の心惹く関心事はこれからのスケジュールではなかった。
「と、トレーナーさん。きゅ、急にそんな近づいてどうしたんですか」
声もかけずに急にキタサンに顔を近づけると、赤面した様子で多少の困惑が見られた。
「食べかす、ついてるよ」
キタサンの目の前には大小さまざまな皿が積み上がっている。食欲旺盛な彼女は吸い込むように沢山の料理を胃に収めていった。だからこそ、口元にはソースやクリームなど様々な食べ物がちょっとずつ引っ付いている。どうにも気になってしまった僕はまだ開けていなかったおしぼりで彼女の口元を拭う。
「これで、よしっと」
「うう、ありがとうございます」
羞恥で頬を赤く染めたキタサンを見てほほえましく思う。家では弟たちが親にこうやってお世話されていたのを羨ましく見ていた。お世話する側にまわるのもあんがい悪くないと思った。素直なキタサンの知らない一面を垣間見ることが出来たから。
「……トレーナーさんのそういう所ほんとうにズルいと思います」
「何か言った?」
「なんでもないです! そろそろ食べ終わるので早くいきましょう」
キタサンが大気に霧散してしまうほどの小さな声で何かをつぶやいた。その声を拾い上げようとするまえに、大気に吹き飛ばされて行ってしまった。聞き返してみるが、答えてはくれずに、話をそらされてしまう。あまり詮索されたくなかったことなんだろうと思い、僕はそれ以上、聞かないでいた。
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「トレーナーさん見て下さい。色んなネックレスがありますよ!」
「うんうん、そんなに慌てなくてもネックレスは逃げないから、落ち着いてね」
「はい!」
うん、いい返事だ。このジュエリーショップの静けさを吹き飛ばしてしまうくらいには。
ショーケースに様々な宝石が埋め込まれたネックレスが多数置かれている。先ほど軽く店員から説明があったが、この気に入った形状をしたネックレスを選び、そこから更に希望した宝石を選択するのがこの店での一般的なルールらしい。
「なるほど、誕生日石っていうのがあるんですね」
「昔から、人間っていうのは希少価値のあるものに意味をつけたがるものだからね」
「トレーナーさん、そんな考え方じゃロマンがありませんよ! キレイなものを身に着けてて、それにとっても素晴らしい意味がついていたら、毎日過ごすのがとっても楽しくなると思うんです!」
「なるほどね」
キタサンらしい前向きでキラキラした考え方だと思う。彼女のあり方を示しているようで僕にはすこし眩しすぎるのかもしれない。
「1月の誕生石は……ガーネットか。ガーネットってどれだろ」
「?……キタサンって1月が誕生日だったっけ?」
「私のお誕生日は3月10日です!」
「そっか、お祝いし忘れててごめんね。じゃあ、1月っていうのは?」
「いいんですよ、気にしないでください。私もついつい忘れそうになるくらい毎日レースに向けて練習してますから。……それで、1月30日がダイヤちゃんのお誕生日なんです」
知らなかった。キタサンのも、サトノの誕生日も全く把握してなかった。確かに全部を知る必要はない。けれど、彼女たちが生まれた日くらいは知っていたかった。巡り合えたことに感謝をしたいと思っていたから。そう思うとなんだかちょっとだけ胸がざわついてしまった。
「そうなんだね」
よく分からない。でもちょっとだけ投げやりな返事になってしまったのを口に出してから後悔した。
少しだけ気分が沈んでいるとキタサンがあっ、と声を上げた。
「トレーナーさんのお誕生日も教えてください。そういえば分からなかったです」
「11月だよ、11月29日」
「そうなんですね。えっと、11月の誕生石はトパーズ。トパーズは直観力と洞察力を司っていて、自分にとって本当に必要としているモノに出会わせてくれる石、だそうです」
「そうなんだ」
ずいぶん大層な石が誕生石になんだとどこか冷めた視点で受け止めていた。
「トパーズってトレーナーさんみたいですね」
だから、キタサンのその言葉もなんだか皮肉のようにも感じてしまっていた。
「そんなことはないよ」
どんどんと声や体から熱が抜けていくのを感じる。
キラキラとしたキタサンの輝きが増しているようで思わず目を細めてしまった。出会わせるんじゃない。僕が求めているんだ。でも、これはいささか求めている距離よりも近い。眩しすぎるぐらいだ。
「いえ、絶対にそうです!」
「どうして」
年下の子相手にムキになっている。それがどうしようもなく情けなく、申し訳なかった。
「だって、トレーナーさんのおかげで私たちは今があるんですから!」
その言葉は本当にキラキラしていた。思わず細めた瞳を閉じてしまうくらいには。
「私はテイオーさんに、ダイヤちゃんはマックイーンさんにあこがれて、お二人が所属していたチームにそれぞれ申し込んだんです。でもダメでした」
もう、何回も聞いた話だ。
2人は入学した時は、まだ本格化する前で体も小さく、それこそ小学校高学年の小学生そのものだった。
中等部入学したてのウマ娘の基礎能力は高等部や中等部の上の学年と比べて全てに比較的出来ないくらい貧弱だ。実力がないのか本当に発展途上なのかの判別がベテランのトレーナーであっても困難を極めるため、中等部のウマ娘がチームに入れるのは2年生以降の本格化のめどが経ったあたりか、本格化前から同じぐらいの実力を出せる子ぐらいだった。
だから、キタサンブラックもサトノダイヤモンドも入会試験で覚えがめでたくなるほどの実力を発揮できていなかったため、チームには入れずにいた。
「そんなときにトレーナーさんが私たちの走っているフォームが綺麗だねって言ってくれたんです!」
「うん、何回も聞いた」
本当にそれだけだった。
実力なんて他の子たちと変わらない。これから伸びていくのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。不確定要素が多い存在だった。
入会試験で不合格を出され泣きながら、モヤモヤした気持ちを発散するように夢中で走っている姿だけはキレイだった。見惚れてぽろり言葉を零してしまうくらいには。
「その言葉が聞こえた瞬間に、私はトレーナーさんのこともダイヤちゃんのことも考えずに、とりあえずつっぱしってトレーナーさんに担当ウマ娘にしてもらえないか頼みました」
そして、僕はそれを受けた。理由はやっぱりよく分からない。見惚れていたせいで口元が緩んでしまっていたのかもしれない。
「どうして私もトレーナーさんに突然あんなことを言ったのか覚えていません。でも、今になって思って分かったんです。私が欲しかったのはトレーナーさんが言ってくれた言葉なんです」
「それは、どういう」
「トレーナーさんと一緒に練習し始めて、勝てるようになってから落ちちゃったチームのトレーナーさんから声をかけられました。『君ならトゥインクル・シリーズの頂点を目指せる実力を秘めている』と、ウチのチームなら手厚いサポートが出来るとも言われました」
とても魅力的な提案だと思う。僕はチームを率いるほどウマ娘を担当できる力も実績もないので、そっちに移籍した方が何倍もキタサンのためになると思った。
「ダイヤちゃんも同じように声を掛けられていたみたいです。でも、やっぱりダイヤちゃんも私もその提案を断りました」
「どうして」
本当にただの純粋な疑問だった。そりゃ僕のことを信頼してくれるのは嬉しいけれど、それで自分の可能性の芽を摘んでしまうことになるならそれは違うと思ったから。
「だって、トレーナーさんだけだったんです。勝てるとか勝てないとかじゃなくて、走っている姿が綺麗だって言ってくれたの」
「そうなんだ」
「私は別に勝ちたいわけじゃなかったんです。テイオーさんみたいに何度も何度もくじけそうになっても絶対に諦めないで走り続ける。自分が目指す目標のために一生懸命に走っている姿がとても印象的で、泣きたくなるくらいに綺麗だったんです」
自分の一番印象に残っている記憶を思い出すようにそっと視線を上に上げるキタサンを僕はじっと見ることしか出来なかった。
「私はテイオーさんみたいなウマ娘になりたい。それは強いウマ娘とかくじけないウマ娘とかじゃなくて、走っているだけでみんなの注目を奪っちゃうぐらいとびきり綺麗でかっこいい走りが出来るウマ娘っていうことなんです」
それは、知らなかった。キタサンもサトノも目指す目標に対して努力することに余念がなかった。それは、彼女たちの憧れであるトウカイテイオーやメジロマックイーンのような輝かしい成績を残すためだと思っていた。しかし、どうやら、少しだけ違っているみたいだった。
「トレーナーさんの言葉は私が、私たちが一番欲しかった言葉でした。だから、トレーナーさんについていきたいって、無意識に思ったんだと思います。そして、練習を通して、いつも欲しい言葉をたくさんくれる。練習するたびに私の中のトレーナーさんの存在がドンドン、ドンドンと大きくなっていったんです」
「わ、分かったから、キタサン!」
キタサンは自分の気持ちを絶対に伝えたいという前のめりな思いが行動に出ているようで、気づけばもう少しで顔と顔がくっついてしまうんじゃないかと思うくらいに、近づいていた。
「す、すいません。また私ったら……」
「いいよ、キタサンの思ってることは十分伝わった。ありがとう」
どうやら、僕はかなりキタサンの眩しさにあてられて、陰気な感情が溢れてしまっていたようだった。そのうえで、導いてあげるはずのキタサンに励まされるなんてトレーナー失格だ。胸の前で小さく拳を握り締め、息を吐く。
「さて、本題に戻ろう。サトノダイヤモンドへのプレゼントでネックレスを買いにきたんだよね」
「はい、今度出走するレースに向けてダイヤちゃんを励ましたいと思って、前に一緒にお買い物しに来た時にここのネックレスを見てたのを思い出したんです」
「お守りっていう感じなんだね」
「はい、ジンクスとかを信じないダイヤちゃんにはあんまりかもだけど、でも効果とかは抜きにしてもちょっとでも励ましたいんです」
「そうか」
やはり、眩しい子だと思う。そしてキタサンブラックにとって、サトノダイヤモンドはとても大切な存在なんだろう。中学生の範疇でここまでするのは、非常に覚悟がいることだ。でもキタサンは迷うことなく、サトノのために行動している。それが僕にとってどうしようもなく嬉しかった。
「じゃあ、キタサンにはこのアクアマリンのネックレスがいいね」
「え?」
「アクアマリンは三月の誕生石らしい」
見返りも求めず、誰かのために行動することはとても尊くて美しいことだと思う。僕はそんな人にこそ幸福が与えられてしかるべきだと思っている。
キタサンの誕生石が意味するの心を落ち着かせ、不安や恐怖を消し去ってくれる力と言うことらしい。まさにキタサンらしいと思う。
サトノの誕生石が意味するのは事故や怪我から身を守るために持つ力らしい。
誕生石なんて聞こえのいい意味がつけられるのは分かっている。でも、僕にはそれぞれが彼女たちを意味しているように思えて仕方なかった。
「キタサンの分もサトノの分も両方、僕が買うよ」
「でも、」
「僕が買いたいんだ」
僕の方が沢山彼女たちからもらってきた。だから、今回はちょっとしたお返しだ。この程度じゃ少しも返したことにはならないくらいの微々たるものだ。
ささやかなものだけれど贈り物がしたいんだ。どうか、この純粋でまっすぐな子たちがどこまでも前を向いて走れるように。
「いいかな?」
「……やっぱり、トレーナーさんはズルいです」
今度は聞き逃しはしなかった。でも、あえてツッコむのも野暮だろう。その言葉に少し嬉しいと思ってしまうくらいには僕はキタサンの存在が大きくなっていることを自覚した。
ーーーー⌚ーーーー
「トレーナーさん、今日は本当にありがとうございました」
「こちらこそ。僕もいい気分転換になったよ」
日も暮れてきたころ、キタサンの部屋がある栗東寮の前に僕たちはいた。
彼女が中に入るまで見送ったら僕も学園内にあるトレーナー寮に向かうつもりだった。
「本当に私までもらっちゃってすいません」
「僕がしたかったんだ。キタサンが気に病む必要なんかないさ」
僕は率直に言葉を返すと、キタサンは急に俯く。
すぐに顔をあげるかと思って反応を待っていたが、なかなか上がらない。よしっと小さな声が聞こえた。
ふっと、黒みがかった鹿毛が揺れた。決意が宿る、ルビーのように輝く瞳に吸い込まれた。僕は少しだけ息が出来なかった。息をするのも忘れるほどにキタサンブラックに見惚れていた。
「本当に、本当にありがとうございました! 絶対に、次のレースで勝ちます」
前のめりな気持ちが行動に出ている。顔と顔がくっついてしまうんじゃないかと思うくらいに近づいてきた。制止する言葉も口に出せなかった。
「次のレースも、その次も、そのまた次も、トレーナーさんに走る姿が綺麗だったって、言ってもらえるような走りをします」
彼女が言葉を紡ぐたびに、吐息がかかる。やけどしそうなくらいの強烈な熱意が僕の肌を撫でた。
「だから、ずっと私のことを見ててください! もちろん、ダイヤちゃんのことも! ずっと私たちのトレーナーでいてほしいっって今日、改めて思いました!!!」
背丈の関係で彼女は僕を顔を少しだけ見上げる。じっと熱い視線で射貫かれた。目と目があうんじゃないかと思うくらいにに近づいてくる。そして、触れ合った。
それは、ほんの一瞬のことであるかどうかわからないくらいのささやかなものだった。しかし、確かにその感触は認識できた。
「柔らかい……?」
「と、トレーナーさんは私に自分を大事にしろって言うけれど、こんなことするのダイヤちゃんとトレーナーさんだけなので!!!」
とてつもない早口だった。吐き捨てるようにキタサンが一方的に自分の気持ちを告げると逃げるように寮の中に入っていった。
何かが崩れそうな音がした。大切な何かがひどく揺さぶられた。開けてはいけないものを開けてしまいそうになるくらいの魔性に魅入られそうになった。
『なになになに!!! なんか倒れる音したんだけど』
『わああああああ、ごめんなさいいいいい。私が靴箱倒しましたぁぁぁぁぁ』
『めっちゃ面白そうなことなってんじゃん。ガヤ役として盛り上がろ』
『ちょっと~、ウマッターあげるぐらいにしときなよ~』
実際に崩れているらしかった。気にはなる。しかし、トレーナーは寮に立ち入ることはできないのだ。
『うわああああんん、トレーナーさあああああん』
がんばるんだよ。キタサン。僕はずっと君を応援しているから。
騒がしい寮を後にして、僕は帰路に着くのだった。
あれから、数日後。
僕はミーティングルームの壁に追いやられていた。ドンと僕の顔のすぐ横に腕が伸びてきた。
細い腕だった。でも、よく観察すれば密になった筋肉で覆われているのが分かる。
「トレーナーさん、私に隠し事してませんか?」
「いや、なんのことかわかんないよ。サトノ」
「惚けないでください!! キタちゃんに何かしましたよね!?」
「いや、先週末に買い物に付き合っただけだけど」
「お買い物!? デートをしたんですか!? だから、あんなにだらしない可愛いキタちゃんになっていると!?」
「いや、知らないけど」
僕はサトノダイヤモンドに壁際まで詰め寄られ、詰問されていた。
キタサンが大切に思っているサトノはとてもいい子だ。しかし、キタサンが絡むと少々事情が変わってくる。キタサンのことで知らないことがあれば今みたいに熱烈なファンのように僕を質問攻めにしてくるのだ。
「それで、何を買ったんですか!? ことと次第によっては私……。トレーナーさんのことキタちゃんの次に大好きですけど、自分を抑えられる自信がありません」
「え、もらってない?」
「今は、トレーナーさんとキタちゃんのお買い物デートの話をしているんですけど!?」
「うん、だからサトノのためにネックレスを買いに行ったんだけど」
「!?……まさか、ガーネットのやつ、ですか?」
無言でうなずくとサトノは急に俯いて黙ってしまった。心無しか、耳が赤いような気がする。
「…………ありがとうございました」
「え!? その反応はなに!?」
「いいじゃないですか! ありがとうございました! はい、これでおしまいです!! 私、キタちゃんのところ言ってくるので!!!」
そう言って、サトノは真っ赤になった顔を上げてミーティングルームからそそくさと出ていった。
「……なんだったんだろうか」
急に怒られて、急に感謝されて、急にまた怒られた。もう、どういう感情をしていいか僕もよく分からない。
でも、まあ。
「喜んでもらえてよかった」
ラインでキタサンから送られてきた写真を見る。
お揃いのネックレスをして笑顔で映る二人の顔を見て、僕も嬉しくなった。
あと二話あります。