東京校忍者エボリューション騒動も収まり切らぬ翌々日。被疑者なのか被害者なのか曖昧な夏油は、クラスメイトや担任、学長その他を引き連れて門の前に待機していた。
今日、主犯がやって来るためだ。
通常、いくら助けられたからといって、呪術関係者でない人間がここへやって来ることはない。しかしやって来る事になった。
なぜなら伸びた聞いたことないインディーズバンドのライブシャツを着ていたおっさんの正体が、インドのハイ・カーストだったからだ。それもやべぇ領主レベル。つまりはマハラジャ。文句なしに国賓である。
大使館から外務省を経由して面会を希望されてしまっては、流石にダメとは言えない。高専の呪術師は嘱託的な公務員のようなものなので、国がでっかい圧を掛けてきたら抵抗のしようがない。
外務省からも大使館からも国際問題をチラつかせられてないのに、がっつり国際問題になりそうな気配が漂っている。
自分の善意が呪術界どころか日本の安寧やら世界の安寧を揺るがしかねなくなるとは思わなかった夏油は、一昨日頭を抱えながら夜蛾に事の内訳を語った。第二次生徒指導室内取調べである。
「まさか、あんな老朽化したビルの中に、インドの大富豪がひとりでいて、呪霊に襲われているなんて……」
「大使館からの情報とこちらの調査によれば、あのビルを買い取ったところだったみたいだな……」
「買う場所、品川と間違えてませんか?」
夏油はすかさず突っ込んだ。どう考えても大富豪が買う場所じゃない。
イメージでしかないけれど、そういう富豪は高級住宅街だとか、地価が1平方メートルで7桁だとか、そういう場所を買うのではないのだろうか。もしくは別荘地。鎌倉とか、軽井沢とか、そういう。
「……マッサージ店を開くためだそうだ」
夜蛾は夏油の問いを意図的に無視した。
生徒の疑問にはなるべく答えたいが、世の中には訳の分からないことが沢山ある。
なんで労働と無縁な一生を約束された人間が、呪霊が棲みつく程にボロい中古のビルでマッサージ店を営みたいのだとか。考えても分からないことは、山のようにある。
賞金付きの数学の懸賞問題だと思って、分からないなら理解を放棄して理解出来そうな奴に任せればいい。
「それは、その。実際はなんらかの取引所を意味する?」
「違う。彼自身がマッサージ師として働くためだそうだ」
若さと根の真面目さが仇となって、理解しようとする生徒の顔から諦めの色が浮かんでいた。
それはきっと、自分もそうなのだろう。夜蛾は鏡も見ずにそう思った。
兎に角なんでだとかどうしてだとかを放棄して、単純に考えると国賓級の要人の危機を夏油傑は救ったのだ。
その礼を直接したいと。
あの時、特に自分の所属や何が起きたかは伝えず、もう大丈夫だということだけを伝えて夏油は逃げた。
初対面なのに新世代忍者扱いしてくる、明らかに日本国籍でないおっさんに絡まれたら誰だってそうする。
そのおっさんがとんでもない大物だったなんて、その場で分かるはずないし、コネとツテを最大限に使って接触してこようなんて思わない。しかもヒントワードがアレ。
おかげで夏油は会話をしたことのない人物たちからも『あれがニュージェネ忍者』、『今年は五条悟のほかにも忍者が入学していた』、『外国人を忍者で騙した詐欺師』などという、誤解と偏見と曲解が混ざりに混ざった好奇の目に晒される事になった。
なお同期たちからはクソほど笑われたし、同性の同期からは怒りの篭ったパンチを食らわされた。
彼は決して語らなかったが、相当な二次被害を食ったようだった。
夏油は何も悪くないはずなのに謝罪する羽目になった。殴られたのに。これらの出来事により、少年の図太くも繊細な心は非常に傷ついた。ストレスは胃にも髪にも影響を与えなかったのは、若さゆえの救いだった。
とても気分の悪いまま無言で門前に佇んでいると、先導の黒塗り外務省ナンバーのセダンのあとに、黒塗りの高級車が複数台やって来た。天使のエンブレムの高級車だ。4台存在してる。
これ知ってる。大統領とかが、本命の乗った車を分からなくさせるために複数台同じ仕様の車を出すやつ。そしてその後に大型トラックも複数。
夏油は何も考えずにベッドの上で寝たくなった。出来れば寮じゃなくて、慣れ親しんだ実家のほうで。
絶対に吊り下げ品じゃない黒スーツとサングラスの屈強な男たちが先に降り、彼らに囲まれるようにしてひとりの老人が門前に立った。
服装がとってもマハラジャしてる。最初からこれだったなら対応を間違えなかったんじゃないかと思えてならない。
老人は鋭い顔付きで門前に並ぶ呪術師たちを見たと思ったら、夏油を見て口角を持ち上げてみせた。獲物を見つけたマフィアのドンみがある。
「ようニンジャ。再会したなニンジャ!」
あの日と変わらない中身のジジイがそこにいた。膝をつきたくなった。やめろ。こっちに手を振らないでくれ。頼むから。もういいから。だから寄って来ないで。にこやかに肩叩かないで。お願いだからハグしないで。やめて髭がちくちくする。やめて。
ところ変わって応接間。人口密度がたっけえが、応接間である。
呪術高専側は学長、担任の夜蛾、そして夏油。
来賓は複数名の護衛と、お付きが数名、そして唯一座るおっさん。密度的に会議室とか空き教室の方が適しているが、相手が相手なせいで出来ない。
おっさんに促されて夏油たちも腰掛けたが、正直座っている気がしない。空気椅子に座っているかのような心地しかしなかった。
「この前アリガトネ!」
「いえ、当然のことをしたまでです」
とてもテンプレートな事しか言えないが、テンプレートが出て来ただけでも充分すぎる解答である。
「それよりニンジャ!元気にしていたかニンジャ!疲れた顔だなニンジャ!ニンジャもロードゥーシャだから疲れてる?分かった横なれマッサージする」
「えっ!?いや、忍者じゃないです!!忍者じゃないですし、国賓にそんな……!」
「ヨーガマスタルお忍びだから問題ナイヨ」
「外務省と大使館から連絡が来るお忍び……?」
だがテンプレートが使えたのは、ほんの一瞬だけであった。社会の荒波っぷりが冬の津軽海峡なみ。
マッサージするしないの押し問答をしていいのか悪いのか。というか、既に幾つも死線を掻い潜ってきたとはいえ、この空気の中でマッサージを受けるクソ度胸はまだなかった。
「ウーン、仕方ネーナ!また今度来る」
来なくていい。
東京校側の人員の心は、年齢も立場も超えてかつてないほど一致した。
「今日はお礼しに来た。礼の品もある。たくさんあるから目録もあげちゃう」
「ありがとう、ございます……?」
「若いミソラで労働してる。マスタル働いたことないけどこれから働くからロウドゥーシャ仲間になる。あはははは」
「はは、は?」
これは、何系のジョークなんだろうか。
救いを求めて横に視線を投げかけてみても、担任は微動だにせず前を向いて座っていた。大人の汚さではなく、彼にも何も分からないのは手に取るように分かった。
「また来る楽しみにしてろ」
そう言うとさっさと立ち上がって扉の向こうへと消えていった。唖然とし過ぎていて、誰も見送りだとか別れの挨拶だとか出来ていない。
護衛も使用人も慣れたものらしく、ぞろぞろと消えていった。
最後の使用人が丁寧に一礼を添えて扉を閉めたとき、やっとまずい事に気がついた。
「先生……名乗るのを忘れていました」
「それは、向こうもこちらも全員そうだ」
そう言われて初めて、こちらの自己紹介もおっさんの自己紹介も無かった事に気がついた。
夏油の頭の中に国際問題という言葉が現実味をもって浮かんだ。高専最後の日とかいう不吉な言葉が過ぎったけど、旧体制がやべぇので一度解体した方がかえっていいかもしれない。人はこの思考を現実逃避という。
沈黙の中、秘書と思わしき使用人が置いていったテーブルの上に置かれた目録の主張がとても怖い。
「……目録どうします?」
「確認しないことにはな。とはいえ我々にはそれを本物かどうか判断できる審美眼がない。丁度いい目を持つ奴を連れて来る。先に講堂に向かっていてくれ」
さり気なく押し付けられた目録を手にし、夏油傑は今度こそ大人の汚さを知った。
講堂には山のような荷が積み上がっていた。
文字通り山。目録に視線を移せば、なんか分厚かった。ハードカバーの冊子が目録。つらい。これを確認しなきゃならない。つらい。
「ようニュージェネニンジャ」
「やめてくれ」
「うわニンジャの目が死んでる」
「やめてくれ」
六眼式審美眼を備えた友人が呑気な足取りでひでぇことを言いながらやってきた。人の心の傷に塩どころかガラムマサラを塗り込む所業である。とてもスパイシー。これだから呪術師性格がアレ。
「やべーな、昨日の今日でどうやって運んできたんだコレ」
これには夏油も無言で頷いた。分量的に海運じゃないと難しそうなのに、どう考えても海運でどうにかなる日数じゃない。
夏油が自称ヨーガマスタルを救出した直後から運び出したとしても間に合う気がしない。何をしたんだ。
「金銭による『寄付金』は小切手を渡された。が、これは日本円なんだよな……?」
向こうで大人の汚さを見せつけてくれた担任が、学長と死にそうな顔で会話をしている。
時折、これは年間国家予算なのではとか、小国が買えるとか聞こえてくる。
その金で何をさせる気なのだろうか。まさか校内にタージマハルでも建設させるつもりなのだろうか。
ここも大概宗教施設じみた様相だが、ほぼハリボテだ。本物なら世界遺産になってそうな規模と格式だけど、ハリボテだ。ハリボテの中に本物の世界遺産を作らせる気なのか。
呪術師の総本山が観光名所になってしまうので、規模のデカすぎる建築物は切実にやめて欲しい。
それを尻目に五条ははしゃぎ回っていた。
「うっわ、宝石に金塊に……あ!傑、すーぐーるー!見ろよ、こっちほぼ全部呪具!うっっわコレ国宝レベルの呪具じゃんウケるwwwww」
夜蛾の判断はとても的確であったようだ。
五条の長年磨き上げられた審美眼、ではなく六眼が光る。
お坊っちゃんなので審美眼も備わっているだろうけど、審美眼の方がおまけ。とても物騒な審美眼だけど、この度は大変役に立つ。
なにせ目録はヒンディー語と英語の表記ばかりで、日本語表記もあるけど、安っぽい輸入品に付いてくる説明書みたいな文法とかフォントとかが微妙に怪しいやつだったので。
急拵えの学芸員と化した五条は嬉々としてアレコレ解説してくれるけど、正直目録チェックというより宝の山に浮かれているだけだ。
洞窟オープンセサミしたアリババ状態。とても楽しそう。肝が太くてなにより。
この太さのお陰で、常人なら寝込むレベルのひでぇ冤罪でも不貞腐れる程度で乗り越えたのだろう。強い。
「……税関は何をしているんだ……」
夜蛾の呟きが重い。胃の腑に掛かる負荷をそのまま表現してる。
「うわ本物の仏舎利まである。ウケる。マジなやつ初めて見たwwwww」
「本物、の、仏舎、利……?」
今にも召されそうな夜蛾と違って五条はとっても上機嫌だ。それはそうだろう、仏舎利と呼ばれるものは世界に2トン以上存在するが、それらはほぼ全て偽物か宝石や貴石による代替品だ。
五条のお坊っちゃんでも本物は初。ちゃんと国内にも本物とされる仏舎利はあれど、貴重品すぎて厳重に封印されている。つまり現物をお目にかかった事がない。
やったね五条くん、経験が増えるよ!
やったね夜蛾くん、苦労が増えるよ!
もはや寄贈品が世界遺産。きっつい。
「これマジやべえwwwこれ、その辺置いとくだけで東日本の2級以下の呪霊全部消えるぞwwwww置き型の消臭剤かよwwwww」
「悟、仏舎利を消臭剤扱いするのはやめるんだ。貴重な品なんだろう?」
「何言ってんだよ、消臭剤貰ったの傑だろ?」
一応寄贈先は呪術高専になっているとはいえ、真の持ち主は夏油傑である。
世界一高価で霊験あらたかな消臭剤(2級以下の呪霊が消える)。まさか自室のトイレに置いておく訳にもいかないし、インテリアとして飾るのも良くない。
「……夜蛾先生、名目ではなく、これらの所有権を全て高専に渡します。たまに呪具の貸出許可を出して頂ければそれで」
「……そうだな、個人で持つものじゃないからな……」
「マスタルは個人所有のようでしたけど」
「言うな」
この件により、夏油傑はわらしべ忍者の称号を手にすることになった。
なお後日マスタルから郵送されてきたカレー屋のサービス券は、高専側に渡さず活用された。
とても美味しかったし、呪術高専はデリバリー範囲外なのに対応してくれる事になった。
最初からこれだけで良かったのに。
折角なので同期三人で一緒に食べに行ったときの紅一点の言葉は聞き流した。
時に人は真実から目を逸らしたくなるので仕方がない。
そうして暫しの平穏とカレーを味わっていたというのに、奴はまた来た。
——複数の自販機を手土産に。