自称ヨーガマスタルが今度はアポなしで押し掛けて来た。
マスタルはやってる事や言ってる事が無茶苦茶なのに、苦労しか掛けられてないというのに、何故か事務員たちから絶大な支持があった。
なぜなら最初に訪れたあの日、勝手にお供を引き連れて校内探検をした折、事務員と数名の補助監督にマッサージを施して骨抜きにしていたからだ。
「マスタルだっ!マスタルだ!!」
「私です、ロウドゥーシャです!!日々疲れ果てたロウドゥーシャです!!」
「マスタルー!」
そのせいで、校門がハリウッドの大物俳優が来日した時の成田の様相を見せていた。彼らはみな疲れていたし、なんなら転職したかった。どうせ転職するならサービス精神旺盛な太っ腹な富豪の元がいい。そんなとても素直な気持ちで自己アピールをしていた。
「一度に話すのNO、マスタルはヨーガのマスタルだけどショトク太子じゃない」
なんでお前が聖徳太子を知ってるんだ。お前の客扱いで呼び出された夏油は、たった今お腹を壊したことにして個室に籠城したくなった。出来れば来賓が帰るまで。
「よう忍者スグル。自販機持ってきたぞ」
「……は?」
「お前ら自販機少ない言ってた」
「へ?」
そんな事、この人に言ったか?前回の面談を思い浮かべてみるが、ほぼマスタルがひとりで喋ってさっさと帰っていった記憶しかない。あの後山積みの贈り物の選別や収納に心身共に疲弊して、湯船の中で寝掛けたことは覚えているけど、こんな話はしていない。
「ホラ、カレー屋で」
「カレー屋!?」
まさか尾行なのか護衛のつもりのなにかなのかを付けていたのか?その疑問はすぐに解消した。
「マスタルがオーナーしてるし、シェフはウチから連れて来た。美味シイ。ナンも美味しい。マスタルの息子のナンは不味い。マスタル命の危機感じたの、息子の何かを食べたときとスグルに助けられた時。ウーン感謝!」
「えっ」
自分の息子の手料理らしきものと、呪霊被害が同列。一体どんなものをこのおっさんは食べたというのか。人のこと言えないクソマズ物体を飲み込んでる夏油は、ちょっと冷静さを欠いていた。
「シェフとマスタルなーかよし!子供の頃からなーかよし!喧嘩したときマスタル、生ゴミのゴミ箱突っ込まれたけど仲直りシタヨー」
どんな喧嘩だ。ジャッキー・チェンが出て来るタイプの喧嘩か。そしてそれは仲がいいと言えるのだろうか。
彼には富豪の言うところの友情が分からなかった。ただの殴り合いで済んでないが、仲は良好。わからない。国際感覚ではこれを仲良しと言うのだろうか。んなわけない。でも仲は良好。マスタルは彼自身もその周辺も意味不明である。
「お店で自販機の話したデショ、シェフが聞いてた。だから持ってきた。使え」
「使え」
生徒の一存で使う使わないを決められるものじゃないだろう。
「マスタルも使いたいし。ティーウィズミルク飲みたい」
お前も使うのか。使う予定があるって事は、またここに来るつもりだと分かってしまい、前髪を濡らしそうになった。目から出た塩気のあるやつで。
だが事務を味方につけ、運営側にも盛大に金塊殴りを決行した大富豪は強かった。諸手をあげて自販機の寄贈を歓迎され、その日のうちに設置されて回った。
だが、校舎一階の片隅に設置された自販機は他と一線を画していた。
どう見ても田舎の脇道にあるたまご自販機型。たまに野菜が入っていることもあるけど、あの小銭を入れて扉を開けて買うタイプの自販機。ちなみに冷蔵機能付きだった。しかも割と大型。
一体なにを販売するつもりなのか。まさか呪具か。そんなものを自動販売機で販売してみろ、通りすがりの呪術師が二度見三度見ガン見を決めた後、バールでこじ開けて全部持っていくに決まっている。もしくは、自販機を前に血で血を洗う戦いが起こる。
「マスタル、それは何を売るつもりで……?」
夏油は恐る恐る聞いてみた。色々あって対マスタルの総責任者じみたポジションに落ち着いてしまっている現状、やべぇ自販機が校舎に設置されるのだけは避けたかった。主に監督不行き届きで処罰を食らいたくなくて。
「これ?カレー売る」
「カレーを売る」
都内でボロいビルを購入した富豪が経営している、潰れたコンビニを改装したカレー屋のことを夏油は思い出した。
同期三人で行った、サービス券の発行元である。異様においしいと思っていたら、本日まさかのシェフがマスタル専属だと判明した、あの店。
「毎朝うちの使用人が届けに来る。毎日カレーが食べられる。ラッシーとチャイも置いておくから飲め」
「あの、マスタルがオーナーのカレー屋はデリバリーも対応してくれているんじゃ……」
「してるよ?」
「え、じゃあ自販機は……」
「マスタルがここ来たとき食べる」
「……そうなんですね」
通う気満々である。さっきも言っていたけれど、本気で呪術高専に通い詰める気満々である。夏油は色んなものを諦めた気持ちを言葉に込めて返答した。
ここに非術師が通い詰めるってどういうことだと思うが、なにせ寄付金も寄贈品もえぐい。多少の我儘が通ってしまうのだろう。
「マスタルね、ここと契約した。週一でマッサージする。ひとり一回二千円。二千円持って並べ。マスタルが健康にしてやる」
「マスタル……」
この人も方法は違えど、人を救おうとしているのか。夏油は感動した。
「そしたら二千円でカレーが買える」
「えっ」
「千円札使える自販機だから安心しろ」
「自分のところのカレーですよね……?」
ちょっと大富豪の考えることが理解できない。いや、理解できた試しなんてなかった。一瞬感動した自分を忘れたい。マスタルはマスタルだった。意味の分からない存在だった。
「お前もカレーを食べろ」
「いやそんな、美味しかったですけど毎日は」
「いいから食べろ」
夏油は毎日食べるなんてことに肯定はせず、曖昧に微笑んで流すことにした。
あれから、マスタルは宣言通り毎週水曜にやってきてはマッサージをして帰るようになった。そしてカレー自販機で稼いだ現金でカレーを買っているのを何度も見かけた。
自販機の横にしれっと設置されていた電子レンジはカレー以外の温めにも活用されているが、業務用だということを知らなかったお坊ちゃん五条は容器ごとカレーを溶かす失態を犯したが、夏油が危惧したほどの騒動は起きず、おおむね平和な時が過ぎた。
なお、五条は寮入りして初めて電子レンジを操作したので、業務用と家庭用のワット数の違いについて知らなかったため起きた悲劇であり、今はちゃんと学習している。彼は基本頭脳の出来が良く、何でもできるタイプなのに、世間知らずゆえのやらかしが多かった。
めちゃくちゃ美味しい自販機カレーの競争率は異様に高く、設置したマスタル自身も買えないときがある。そんなときは高専に設置されている使用率が低すぎるピンク色の公衆電話を使って使用人を呼びつけてカレーを食べていた。
夏油はこのとき初めて、インド式弁当箱の存在を知った。ステンレス製の円形三段弁当である。最初からこれを持ってこいと思っていたら、インドでは一般家庭でもお弁当を後から運搬するのが普通と知って唖然とした。
電車に大量の弁当箱を持った運搬人が押し掛ける映像は、なかなかにカルチャーショックであった。
そんなこんなで夏油自身もカレーを食べたり食べなかったり、カレー以外にもラッシーやチャイを飲んだりしながら過ごしていた訳だが、あるときふと気が付いた。
香辛料がもりもり入っているインドカレーなら、クソマズいアレを嚥下した後でも美味しく食べれるし、口の中にしつこく残っていた臭いも消えるということに。
彼は感動した。インドの神秘を垣間見た。インドの神秘というより単純にスパイスのごり押しなのだが、神秘ということにしておいた。が、だからといって自販機カレーは競争率が高いし、デリバリーも注文受付時間と配達時間が決まっていて、任務があったりなかったりする状況では安定して食べれない。
とはいえ流石に毎日カレーは嫌だ。飽きる。それなりに種類を取り揃えてくれているとはいえ、毎日はきつい。
それでも、食欲と後味の悪さをどうにかする方法を確立出来たのは大きかった。
奇しくも本日は水曜日。オーナーなのにカレー戦争に敗退したマスタルが、例の弁当箱を片手に歩いているのに遭遇した。今日は午前中に任務に行ったので、黒々としていておっきい♡ アレを飲み込んだ後だったのも手伝って、とても元気が無かった。マスタルの相手はとてもスタミナを消費するので、出来れば気が付かないで欲しいと思っていたが、神様がとっくに死亡しているせいで、彼の願いはまたしても宛先不明扱いで手元に戻って来た。つまり見つかった。
「若い身ファ空シドのロウドゥーシャ!マトンのカレーを食べろ」
「身空です。ファとシドは必要ないです。前言えてましたよね?
……あの、マスタル。カレーは美味しいけど、その。今日はカレー以外も食べたいというか」
「何言うニッポンジン。お前だって毎日ライス食う。カレーも毎日食べればいい。マスタルのオベントひとつあげる」
「ラッシーも下さい」
とはいえ多少は耐性がついて、要求を言えるようになった。ただしPPの消費が激しい。40くらい使う。とても頑張っているのに効果がいまいちなのが悲しい。
天気も良く、気温も丁度良いということで、おっさんと青少年が屋外のベンチに並んでカレーを食べている。事案っぽいが健全である。おっさんの今日のシャツは嵐の中サーフィンをするネコチャンという需要の分からないコラ画像であった。異様に似合っている。
「マトンのカレー、初めてだけど美味しいです」
「そだろウメーだろ」
渡された繊細な装飾の銀製のスプーンの価格とかはあまり考えずにカレーを食べる。今日もシェフのカレーは美味しい。
そうしているうちに食べ終えて、目上の人(兼パトロン)がいるので丁寧に手を合わせてごちそうさまをして、ラッシーを飲む。程よい酸味と甘みが美味しい。これに追いシュガーきめる五条の味蕾については考えないものとして、隣を見ればおっさんもそろそろ食べ終わるところだった。
見た目はアレだけど、この人もハイ・カースト出身者なせいか食べ方がきれいだ。
ここで夏油は疲れもあって、人生を左右する行動を取ってしまった。
この人は、色々やばい人物ではあるけれど、自分には欠片も存在しない視点を持ち、自分と無縁であった経験を持っている。そう、自力では解決できない問題の答えを出してくれるのではないか、と。是即ち人生相談である。この時点で相当精神が追い詰められていることがわかる人選。苦労が偲ばれる。
「事情があって、美味しくないものを食べる必要があって。でも美味しくないものを食べた後、カレーを食べると味覚が正常に戻るんです。でも毎日カレーを食べるのは私には向いてなくて。一体、どうすればいいですか?」
マスタルは弁当箱の蓋を閉めながら、夏油のほうを見もせず言った。
「自分に合うカレーを調合しろ。宿題にする。スパイスはあるか?」
翌日、マスタルから夏油宛にスパイスが届けられた。引っ越し用大サイズ段ボールいっぱいに詰まったスパイスである。
夏油の終わりなき戦いが始まった。