マハラジャのおかげで自販機が増設された話   作:信州しなの

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あの人に似ている

 夏油は思い悩んでいた。思ったようにスパイスが調合できないのは、まぁ想像通りだ。素人がやるには難易度がおかしい。いくら基本となる配合が長い歴史の上で既に決定されているとはいえ、自分好みとなると難しい。それは仕方のないことだ。

 現在の主な問題は食べ比べていると差が分からなくなってくることだった。スパイスの調合に必要と思われる、繊細な味覚というものが自分に備わっているとは思えないし、そういうものが必要不可欠だというのも理解している。

 

 なのでやれそうなことに手を付けることにした。

 まずは味覚に良いと聞くので、ドラッグストアで亜鉛サプリメントを購入した。買って帰ったら何故か担任に生徒指導室に連行される羽目になった。第三次生徒指導室内取り調べである。

 

 どうやら下半身の強化素材だと思われたらしく、素行調査をしたものの性の乱れは見受けられず、一体どんなエクストリーム独り相撲をしているのかと疑われた。

 とんでもねぇ誤解と偏見である。そのうえまた冤罪。

 夏油はこのとき初めて、決して語られることのなかった五条の受けた屈辱というものを理解したし、彼のことを真実の友であると認識した。

 

 カレーのためだと言えば微妙な顔をされたが、しじみが良いという話を夜蛾は語ってくれた。が、しじみのそれも亜鉛由来なので、夏油は穏やかに微笑んで拒絶した。

 しじみに胃袋のスペースを明け渡す訳にはいかなかったから。今はとにかくカレーを詰め込まねばならない。

 何かを悟った夜蛾は顔を覆っていた。太い指先が幾分か髪を乱していようとも、彼は顔を覆ったままだった。

 

「すまない、不甲斐ない担任であるばっかりに……」

 

 この場合、誰が担任になろうとインドのハイ・カースト大富豪を黙らせられる気がしないので、落ち込む必要はないなんて言葉は、口に出さずに飲み込んでおいた。

 呪霊玉と真実は飲み込んでもお腹を壊さない。壊さないがストレスは溜まる。こうして夏油はまたひとつ大人の階段を登った。

 

 他にも煙草は味覚への影響があるようで、絶対に吸わないようにしようと決意した。が、問題は同期にヘビースモーカーが居るところだった。

 彼女自身は自分の身を回復する手段を持つが、夏油にはそれがない。ならば可能な限り防御に徹する必要があった。彼は大手通販サイトから個人通販サイトまでくまなくアクセスし、これだと思ったものを購入した。そしてその品が届いた翌日、勝利を確信し身に着けて登校した。

 

「スコー…悟、硝子。シュコー…おはよう…スコー…」

「? おは、んぐんっ!ぐ、んんん、ふふっ、ふひ」

 

 変な音が混ざるくぐもった声に疑問を持ち、顔を扉に向けて問題の人物を視認した家入は、我慢できない笑い声を漏らした。ここ最近の彼女は非常にゲラである。仕方がない。同期が揃いも揃って冤罪やらダサい称号やらと、次から次へと笑いの種を突然にまき散らすからだ。しかも規模がでかい。

 こういうニッチな学校に来て、同級生が富豪を助けた結果がこんなことになるなんて、入学前に想像つくなら占いとか未来予知で食ってくことにするに決まっている。

 彼女はそんな技能もそういう系統の術式も持っていなかったので、こうして突然の種まきにより、耐えようとして失敗した笑い袋になってしまうのだった。

 

 しかも今回の種まきは、特級被害者の夏油がやらかすほうへと回っている。

 亜鉛疑惑のときもかなり笑ったが、それでもこんな不意打ちを朝から食らったりはしなかった。

 

 同期がゴーグル付きのガスマスクを被って登校してきた。呼吸音シュコシュコ言わせながら。お前はいつから暗黒面に堕ちたのか。

 

「ぶははははは!傑!それ、それェ……!対毒マスクじゃんwwww」

「シュコー…そうだよ…スー…」

「ベイダー卿とお揃いの呼吸音させんなwwwwwwww」

 

 派手に撒かれた種は、五条の口から大量の草を発芽させた。

 

 

「で、どうしてベイダーごっこしてんの?」

 

ひとしきり笑った後に五条は、このままだと笑いすぎて窒息死すると言って、打ち上げられた魚状態になる前に夏油からガスマスクをはぎ取った。少し釣り上げ直後のように跳ねまわった気がするが、痙攣と硬直は避けられた。

 ちなみに、はぎ取る際にちょっと抵抗されたのが、余計に呼吸器に問題を与えてきたが、なんとかなった。腹筋を試されすぎた家入は、比較的非力なのも手伝って咳込みながらもなんとか息を整えるのに忙しそうだった。

 

「ダース・ベイダーじゃなくてだね……実は、味覚の保護を行おうと思って」

「味覚の保護ぉ?」

「ほら、煙草の煙とか。そういう味覚に影響がありそうなもの全てから舌を護りたいんだ」

「呪術師なんだよな?ソムリエじゃなくって」

 

 正論嫌いを公言する五条に、とてもまっとうなつっこみを入れられたが、カレーというかマスタルに洗脳され切っている夏油にとっては小鳥のさえずりのようなものにしか聞こえなかった。

 

「はー……クズに合わせて禁煙なんかしないよ」

「それは個人の嗜好だから、禁煙を強要するつもりはないよ。ただ、喫煙は味覚を狂わせるってきいて。副流煙や残留物質がどれくらい味蕾に影響を与えるのかが分からないからね。念のために被っていたんだ」

 

 ようやく息を整え終えた家入が禁煙しない宣言をしたが、夏油はそれについては無理強いしなかった。年齢で言えば法律違反ではあるけれど、あくまで嗜好品なので。

 

「でもそうだな……代わりに協力してくれないか?ずっとじゃなくていい。今日の昼、私の作ったカレーを食べて欲しい」

「……なんか指先黄色く染まってるのって、」

 

 家入の指摘に夏油は少し照れながら、指先を遊ぶように絡ませながら返答した。行動がとっても乙女なのを、家入はスルーすることにした。直感が言うのだ。これは前座に過ぎないと。

 

「実は、調合中にうっかり触ってしまったターメリックの色が落ちなくって」

「ヒィwwwwターメリック傑wwwwww」

「悟はこれ以上、私に妙なあだ名を与えないでくれ……」

 

 やっぱりあの指遊びは前座に過ぎなかった。

 深刻なゲラ化が激しい家入はターメリック傑で撃沈した。せっかく復活したというのに、もはや痙攣しかしていない。

 

「た、たー、ターメリック傑が、っ、ぐっ、食べてって言うなら、……ハァ、た、食べる……」

「Eat curry」

「……ヒッ、フ、ヘヘヘ……カリー……フ、フフッ……食べる…っ」

 

「傑おまえやっべーぞ、あの富豪に何されたんだよ、落ち着けって。な?」

 

 五条は親友の将来と教室内の空気に不安を感じ、かつてない程ホームルームが恋しくなった。

 先生早く来て。なるほどこれが人に頼るという感覚。彼も入学して他者と関わるようになって、かなり成長したのだった。

 

 

 そうしてやって来た昼休み。カレーを自室まで取りに行った夏油をよそに、家入と五条は妙な緊張状態に襲われていた。

 

「なぁ。あいつ、飯とか作れんの?」

「作れないならカレーなんて作らないでしょ」

「そうなんだけど。そうなんだけど……」

 

 五条の言いたいことはなんとなくわかる。市販のルーから作るカレーなら、子どもでもキャンプやお手伝いやらで手を出したことがある、失敗しにくい料理のひとつだ。

 だけど今回は調合からやっている。正直とても怖い。

 

「お待たせ。鍋ごと持ってきたよ」

「鍋」

「やめて……もう笑いそう」

 

 鍋ごとと言うわりには他の荷物も多い。なんか背負っている。

 

「その、背中のやつは……?」

 

 好奇心の塊かつチャレンジャーである五条は聞かずにはいられなかった。

 

「これ?家庭用ナン窯」

「ナンここで焼くつもりかよ⁉」

「ん、ンンンっ」

 

 もう滅茶苦茶やる気である。

 笑う同期を放置した夏油は調理用の使い捨てビニール手袋にアルコールを吹きかけ、起動させて温めておいた窯でどんどんナンを焼いていく。

 一緒に持ってきた皿やウエットティッシュを配り、金属製の器にチキンカレーをよそって、本格カレープレートを提供すると、自分の机の上にも同じものを置いた。

 

「いただきます」

「…いただきます」

「いただきまーす」

 

 三者三様の挨拶のあと、夏油はぱくぱくと食べ始めた。その間やたらと紙質が良くて分厚いメモ帳に、一口食べるごとに何かを熱心に記入している。とても研究熱心な姿だ。だが忘れてはいけない。彼はカレー研究科でも料理評論家でも忍者でもない。呪術師である。

 

 香りは正直とてもいい。意を決して食べると、普通においしい。

 

「うまいじゃん」

「うん。イケる」

 

「これじゃ、駄目だ。これでは理想の味とは言えない」

「えっ」

 

 まさかの本人が否定。いや美味しいって、どこ目指してんのとか突っ込まれつつ、夏油は前髪を振り乱した。額にぺしぺし当たっているけど、気にならないのだろうか。家入は現実逃避にそんなことを考えた。こういう思考回路になってしまっているあたり、彼女の笑いへの耐性が気になるところである。

 

「クミンをもう少し……いや、ここはココナッツミルクを2ml減らして……」

「すぐるがとおい。どっかいっちゃう」

「幼女になってんぞ」

 

 こうして手作りカレーを振る舞う場は、五条の幼女化と夏油の深刻さが浮き彫りになって終わった。なお、教室でカレーパーティーを開くなと怒りに来た夜蛾は、特別に用意されたチキンカレーとチーズナンによって、今回のみ買収されたが、五条の幼女化デバフの解除には付き合ってくれなかった。普段よりおとなしくて良い子だったので、解除するメリットが見当たらなかったせいだった。

 幼女は空爆疑惑やらお手付き疑惑を向けなくて済むし、やらかすときはやらかすけど壁クレヨンとかティッシュ乱舞とかの面倒だし大変だけど生き地獄にはならない。まぁ、それをやりだしたら別の意味で悩みが深くなって寝込んでしまうだろう。

 実年齢は幼女じゃないので、その辺の心配は必要ない。年齢に対する精神年齢は深く考えてはいけないが、きっとそういう本物の幼女よりはずっと上。

 

 

 

 その夜、色々心配になった五条は夏油の部屋を訪れた。名目はゲーム、内実は偵察。

 結果、シンプルで清潔感がある部屋は、謎のスパイスが詰まった瓶が壁の一角を占拠する、さながら実験室になっていた。むしろパーテーションで私生活部分が向こうへ追いやられていた。

 ここは寮の部屋だった?泊りがけの研究者が暮らしつつ研究してる研究室じゃなく?それとも理科室?呪術高専の寮というカテゴリからは、あまりに乖離した部屋に模様替えされまくっていて、とっても困惑。同じ間取りに自分が住んでいるなんて思えない。そしてあの棚。漢方っぽく見えるガラス瓶に納められたモノが異様な存在感を放ってる。耐えきれなくなった五条は聞いてみることにした。

 

「……なぁ、棚のこれって、スパイス?」

「そうだよ」

 

 やっぱりスパイスであった。五条は僅かな可能性とはいえ、もしかしたら漢方的なあれそれかなって期待してたし、漢方なら漢方でそれも頭を抱えるけれど、スパイスだった。スパイスも薬効があるとはいえ、特化しすぎている。

 

「傑、なにこれ」

「これはターメリック」

「こっちは?」

「コリアンダー」

「これ、「チリペッパー」

「カレーの材料……だよな?なんでこんな事して……?」

 

 夏油は沈痛さがにじむ顔で、深く息を吐き出した後に理由を語った。

 

「……好きな調合を探してくるようにって、宿題が」

「あのインド人とどんな関係なんだよ」

「続柄なら他人だよ」

「そうじゃねぇ。おれだって あのおじさんとは たにん」

 

 結局ガサ入れは、突入班が幼女となってしまったことで終わったが、ゲームは追いやられた生活空間で一時間だけやって帰った。とても良い子。


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