春が来た。仲良くそろって二年にあがれば、後輩となる新入生が入学してくる。
つまり、歓迎会だ。
「いやだからって、カレーばっか用意すんのなんなの?お前血液までターメリックになったの?」
「カレーが嫌いな人間などいない」
「いや、どっかにいるだろ。暴論だぞターメリック傑」
いよいよ妙な名づけにも反応を示さなくなった夏油に対し、五条の心配は尽きない。
入学当初は割と情操教育的な部分を夏油が担ってきた気がするが、親が頼りないと子どもが大人になるというアレが起きたのか、五条はかなり夏油とカレーについてはまともになった。突っ込みが不在というのは危険だということを学んだし、いざというときブレーキは宛にならないということも学んだ。ゆっくり減速して複数回ブレーキを掛ける。これが大事。でも現状、何回ブレーキ掛けても停止してくれないし、夏油の近くにはアクセル全開のおっさんがいる。
ここでアクセルを全開――
いや、あれは誤字というか誤植というか。インド人を右に置いても置かなくても、インド人自身がアクセルを踏んづけてくる。お陰で夏油は止まらない。五条はブレーキの大切さを間近で感じているものの、最終手段サイドブレーキの存在は知らなかった。
この場合、五条家の力をすべて使ってでもクミンやコリアンダーから手を切らせることを指す。マスタルは治外法権的な存在なので無理。一番引き離さなきゃいけないのに一番難易度がえっぐい。
さてそんなあったであろう本来の姿とかけ離れた夏油は、誕生日に家入と五条の連名で贈られた黒いエプロンを身に着けて意気揚々とカレーの仕込みをしていた。鍋が三つもある。この男、やる気である。新入生を染まらせる気しかない。
このエプロンについてもひと悶着あった。こんなの歯止めが効かなくなるんじゃないかとか、これは実質カレー免罪符ではないかとか。安心してほしいが、普通カレーの免罪符としてエプロンは成立しないし、エプロンを贈ること自体は悪いことでも何でもない。ただ、贈り先がカレーにトチ狂っているのが問題なのだ。
「うん、いい出来だ」
「あ。出来たのか」
「つまみ食いは駄目だよ悟」
「カレーは、あつくてどろどろしてるから、つまみぐい できない」
五条も五条で相変わらずたまに幼女化していた。五条家が総力をあげて何とかするべき事態は、夏油より嫡男の方である。この殺伐としまくっていて、常に誰かを陥れそうな人間が上にうようよしている業界で、次期当主がたまに幼女なのは流石に、不安しかない。心配せずとも飴ちゃんで懐柔なんて出来っこないが、なんかやれそうと思われるのがマズい。
「いい出来なんだけど……」
「いやもうそれでいいじゃん。なんで納得いかない顔してるんだよ」
「やっぱり、マスタルのところのシェフには及ばなくって……」
自分の腕前を、鍋を遊び道具に育った五十過ぎた熟練プロ料理人と比較しだした級友に、五条は寂しそうな眼をした。彼は基本的に人好きの寂しがり屋なので、親友がかけ離れた場所を見つめ、あまつさえそこに向かって邁進している姿は理解できなくって悲しいのだ。
だって呪術師としての友人だと思っていたから。カレー狂いは解釈違いである。
「大体、年季も違げーし、お前素人じゃん」
「はっ、そうか。調理師免許」
「だめだ、もうだめだ」
五条は頭を振った。諦めの境地が垣間見えたが、気のせいだったと思いたかった。
歓迎会は大盛り上がりした。米が欲しいという生徒もいたが、今回はナンで押し通した。まずはナンで食べる。これは譲れそうにないからだ。もう一人の方はパンが好きだったようで、ナンも大変喜んでくれた。
そのおかげもあってか灰原には酷くなつかれた。カレーを察すると白米のみの握り飯を持って登場するくらいには懐かれた。七海の方はカレーパンの要求が激しいが、現在はハニーナンに陥落中なのでパンの開発は後回しでもよいという解答を得ていた。
つまり、夏油は七海によって、さりげなく次の開発の予約を入れられているわけだが、それについても夏油は全く気にしていなかった。彼のカレーへの追及は、理想の味だけで留まるようなものではなくなっていた。
五条が垣間見た向こう側に、夏油はすでに手を掛けていたのだ。とっても距離がある。
そんなこんなで二年生は意外と下級生と仲良くやっていた。五条もアレなところはあれど、たまに幼女になるので目を離してはいけないと知ってからは、そんなに邪険にされることはなかった。
「今日のカレーはなんですか⁉」
本日もカレーの香りを嗅ぎつけた、元気いっぱいなほうの後輩がやってきた。
夏油はいきすぎたカレー研究のために生活空間の圧迫がひどすぎるため、使用料を割増しで支払うことで寮の隣の部屋をカレー部屋として使う許可を得ていた。
この許可を得るためにあちこちにカレーを配り、マスタルの影をちらつかせたのは誰もが知る裏話である。もはや表。
「今日は私の師匠のところのシェフが来てくれたんだ」
「カレーの師匠ですか?」
「いや、人生の師。シェフは師匠のところの使用人だね」
夏油はオリンピック出場のかかった大会中のアスリートなみの真剣さを滲ませた鋭い顔つきでいた。完全に味と技を盗もうとせんとする、挑戦者の顔つきであった。
「お師匠様も来るんですか?」
「うん。むしろ、彼が来るから来てくれることになったからね」
「へえ、お師匠様って凄いんですね!」
「ああ。高専十年分の運営資金を上回る寄付をしてくれた人だからね。こっち(呪術界)も無碍にはしないんだ」
無碍にしたくない相手なのに、自分から無碍にされに行くスタイルなせいで、上の人たちは今日も胃が痛い。ざまぁみろ。
はてさてそんなマスタルであるけれど、今日も今日とて東京校のここは勘弁してくれという場所以外は好きなように闊歩していた。水曜日なので。本日はカレー部屋と化した夏油セカンドルームにインしている。シェフも一緒だ。当然の如く出来立てのお昼を食べる気である。このため本日のカレー自販機はひとつ枠が空き、戦争に勝利した誰かがカレーにありつけているが、そんなものはここでは関係ないので割愛する。
「よう若い人間。もうすぐ出来る、食べろ」
「いや、食べに来たには違いないんですけど……」
初めて顔を合わせる灰原がいるのにとても通常運行。手振れ機能防止でもついてるのかレベルでブレない。
「はじめまして!先輩のお師匠様!灰原雄です!」
「ニューフェイスね。労働環境に新たな風!アイアムヨーガマスタル。カレーを食べろ」
「わーい!食べます、いただきます‼」
灰原は即時対応した。この順応能力の高さが頼もしい。夏油は後輩のポテンシャルに感激した。ちゃんと今日も握り飯を持参しているのもポイントが高い。しかもめちゃくちゃでっかい。多分平均の三倍くらいある。それを二つ持ってきてる。
灰原のこの食欲の高さはきっと、シェフが作るカレーの香りに因んでいるに違いない。てっぺんは遠いな。エベレストの峰を見上げる気分になったが、彼が目指す頂は本来そこではない。ないが、インドカレーという暫定呪いに引っ憑かれている現状、彼が目指しているのは自分を唸らせる至高のカレーである。
解呪条件が自分次第すぎて誰にも手出しできない。
マスタルと後輩が架空の存在であるヨガフレイムについて語り合っているのを微笑まし気に、後方祖父母面で見守っていた夏油だったが、そうこうしているうちに五条が家入と七海を連れてやってきた。
「あー腹減った。って、おばあちゃん……?ちがった、傑だった」
「おば、おばあちゃ……おばあ、ヒヒッ…オバアチャン……ゲトウオバアチャン……ふ、あはははは」
七海が不安そうに先に入室した先輩二人を眺めている。幼女混じりの最強とゲラな医者志望。これがここでの先輩。特に家入の笑いへの耐性の低さには恐ろしいものがある。是非とも治療中は封印されていてほしい。手元のブレ防止が搭載されているようには見えないので。
そういう彼の手にもヒヨコのおもちゃが握られている。
本来はアヒルの、お風呂に浮かべるアレであるが、これはマスタルがヒヨコと称して彼に贈呈されたのでヒヨコなのだ。あと、おもちゃにしか見えないが立派な呪具である、らしい。当然の如く五条の嘘なのだが、マスタルが与えたものなせいで、もしかして:本物疑惑が彼の中からぬぐえず、こうして常に持ち歩いているのだった。
なお、効果としてはストレスを軽減させ、常に落ち着いた行動が取れるようになる精神作用系補助呪具である。嘘だけど。でも本人含め周囲までそれっぽく思い込んでいるせいで、最近マジでその効果を獲得しつつある。不特定多数の呪術師による祝福という名の呪いである。
五条は見かけるたびにマジで呪具になっていくヒヨコのおもちゃに、実は素材の中にやべぇもんが仕込まれているのではと、嘘から出た真に戦々恐々としつつ内心爆笑している。任務にも連れていくとか相当。
なお討伐中は尻ポケットにねじ込まれている。顔だけポケットから出ているので、とても愉快な光景。たまに生地と尻の筋肉に潰されてガーと鳴く。尻ポケットの中で。とっても緊張感が抜ける。
そんな様子は確かにストレスというか緊張感が軽減されるが、落ち着いた行動に繋がるようには思えない。が、本人はおおむね満足しているし、愛着も沸いているようなのでそのままだ。呪術師ほんとみんなイカレてる。
「ジョッキュウセイはこねーの?」
「先輩方もこの部屋に集まるには狭くって」
夏油はすんなりと嘘をついた。単純に呼ぶのが面倒だったのと、取り分が減るのが嫌でスルーしただけである。こういうところはなかなかに呪術師してるので、五条もニッコリである。
こうして第8回全日本呪術高専印度咖喱評定会が始まった。8回とか言っているけど、実際にはカウントされていないし、会の名前も安定していない。前回の名前は俺とお前とカレー部屋だった。滅茶苦茶適当。
みんなで美味しい美味しいと言いながら貪っていると、突然焦った様子の夜蛾がやって来た。
「1年は任務だっただろう‼何をしているんだ‼」
バチギレしてる。そりゃそうだ、よいこのお返事で大人しく任務に向かったと思ったら、寮でカレパしてた。これは怒る。
「補助監督は腹を空かせたまま、ずっと待っていたんだぞ‼」
「あ、いっけね」
「すみません、今日はハニーチーズナンがあると聞いていたので」
「正座しろォ!」
夜蛾 怒りの
今日の夏油はカレーときどき呪霊玉の食事だった。だいたいいつもと一緒。