ある日特級呪術師である九十九由紀がやって来た。海外をブラブラしていた呪術師だ。
出会ったその日のうちに女の趣味を聞いてくる、合コンでも酒が回っている状態じゃないとなかなか飛び出てこないタイプの質問である。あと合コンであってもなかなかNGだ。
「……スパイスの栽培が出来る人となら、うまくいけるんじゃないかと」
「は?」
「私は極めるなんて終わりを定めることなく、カレーを求めると決めたんです」
「え、なかなか狂った理由。いつの時代の求道者?生まれる時代ざっと五百年ほど間違えてない?」
九十九は割と本気で青少年の将来に不安を覚えた。
いくら方針というか思想が合わないとはいえ、高専生狂いすぎ。なんでカレーの限界を超えようとする人材がいるのか。どうして誰も止めないのか。術式がカレーだったりするのか。術式カレーってなんだろう。イリーガルな感じの粉ものだろうか。幻覚とか多幸感とかもたらすやつ。
いや、カレーは美味しいから幸せにはなるけれど。なるけど。
もてなしの挨拶としてカレーを振る舞われた九十九は、こいつ変わってるけど良いやつじゃん扱いをし、いい気分になったので悩みがあれば聞いてやるかと、とても寛大な気持ちになっていた。
だって美味しかったし、仕事しろとか高専の方針がどうのとか言わないし。ついでに正しい性癖というか、好みというか、若者らしく恋のお悩みとか聞けちゃったら、何年先でも弄れるネタが手に入るとかそういう理由だった。九十九的には、三年から五年経ったあたりにあの頃こんな事言ってたよねと弄るのがいい。相手のしょっぱい顔がとても楽しみ。
「悩み……実は、海外に出たいんです」
「いいね!こっちも助手が欲しかったところなん「インドにカレーを極めに」え?」
「インドの滞在経験は?ビザ関係はどう……いや、安全な食糧が手に入るマーケットや、調合に適した物件……それよりも建てた方が……建材の安全性を考えたら……」
「心がすでにインドにいる」
九十九は自分の力不足を察し、通りすがりの夜蛾に「あいつカレーの呪いにでも掛かってるの?解呪しないの?」と軽い気持ちで問うて夜蛾を泣かせた。いーけないんだーいけないんだー。
お土産に冷凍ナンを貰った九十九はこれ以上スパイシーな世界に染まる面倒を察し、さっさと去っていった。
だが、インド亜大陸に夢を見る男の情熱を、この特級呪術師はナメていた。
翌日の出来事である。
なかなか教室にやって来ない夏油を迎えに行くよう指示された五条は、鍵の掛けられていない部屋が妙に片付いていることと、机の上に置かれた手紙に気が付いた。まるで果たし状か遺言書かとでも言いたげな重い空気があの白い紙から漂っている。とっても近寄りたくない。
でも太くて立派♡ な、太字油性ペンででかでかと書かれた宛名が自分のもの。コイツが悟って呼ぶのは自分以外居なかったはず。いや、知らないだけで悟って呼ぶ友人知人が他にもいるかもしれない。五条は儚い希望を抱いた。
でも呪術界で同名の人間は居ないし、呪術高専に置いてあるってことは、寮にあるってことは。そう、五条宛の手紙である。
五条は嫌々机に近づき、渋すぎる気持ちで手紙を広げた。
『悟へ
ミリグラム単位の調合を可能とする、無風状態を作れる呪霊の噂を聞いた。
探して来るので探さないで下さい。 傑』
「?、……??」
とりあえず訳の分からない置手紙を持って教室に戻り、手紙を仲良く回し読みした。
が、何度読んでも呪いの気配も無ければ文章が変化する事もなかった。
「あいつ何がしたいわけ?」
家入は本日は笑わずに素直に呆れた。ここまでトチ狂ってるとは思っていなかったので、驚きが笑いを上回った結果、冷静になったゆえの勝利だった。
「しょうこ、カレーって、むずかしい?」
「……」
「こっちみて」
「カレーヌー●ルでも食ってろ」
「そうする」
保護者不在のまま幼女になってしまった五条は、カレーヌードルを購入しに教室を去っていった。
これが、夏油傑の置手紙による抜け忍騒動(誤解)である。
噂は即座に広まった。ニンジャニンジャと言われていた過去がほじくり返され、忍者が里(呪術高専)を裏切っただの、例のボタンに横一文字の傷を入れているだの、印度にある他の里に逃げただの色々、それはもう滅茶苦茶色々言われまくった。ネタとして大層平和的で面白かったので。
そりゃ、誰かの脚が飛んだだの、誰かが遺髪も残らなかっただのという暗くてつらい話が蔓延る世界だ。噂をするなら面白おかしい話のほうがいい。
だがもし本当に離反していた場合、自分たちがニンジャスレイヤーと化すことになるという部分からは、みんな揃って全力で見ないふりをした。
やるとしたら五条がやるはずだし、五条悟版忍殺はそれはそれで別作品っぽくて面白うだな、なんて。みんな本当に離反が起きていると思っていないので滅茶苦茶余裕だった。
しいていえば、みんな美味しい新作カレーを期待している状況。カレーに浸かりきっているのは、なにも夏油だけではないのだった。
その頃の夏油は無風状態という調合と卓球の試合にとても役に立ちそうな呪霊の入手のために右往左往していた。全国津々浦々をである。だってあくまで噂でしかなく、ソースに確たるものがなかった。そいつぁ四国の山の中だぜと言う話も聞いたし、輪島の海でフグ漁の邪魔をしているとも聞いたし、山梨の桃農園にいるとかいう話も聞いたし、秋田で囲炉裏を囲っているとかも聞いた。
味覚への刺激のために、愛媛で青いみかんを食べた後にふっかふかのタオルを買ったり、輪島でフグの一夜干し定食と朝市でまんじゅうを食べたり、山梨で助けたおっちゃんに、こっそり樽から出来立てワインを飲ませて貰ったり、秋田できりたんぽを食べた後にいぶりがっこを買ったりした。どれも素晴らしい味であった。
かなり満喫してる。
そんな噂に流されてるのかただの観光なのか、はた目にはちっとも違いが分からない旅を、今まで散々稼いできた金と、尽きることなく湧き出るマハラジャ資金にものを言わせて行った。
たまにマハラジャ自身も楽しそうだと合流することもあったが、大抵が一人旅であった。
今日はマスタル参戦日であり、師弟揃って仲良く出雲で蕎麦を啜っていた。マスタルは蕎麦を啜れずに箸に麺を巻き付けようとして失敗していたので、夏油は店の人に頼んでフォークを持ってきてもらった。子ども用の小さいお椀もセットで。お店の人は気を利かせてトングもつけてくれた。流石観光地、対応が手慣れている。
これで夏油はつきっきりでマスタルの世話を焼く必要がなくなり、店員の親切心に胃袋と心が嬉しくなった。
代わりに存分におかわりさせてもらった。現在割子はすでに9枚目である。とても美味しい。いい食べっぷりにお店の人もにっこり笑った。
「オメー学習をしろ」
「え?」
11枚目の割子に手を付けていたとき、食べ終えたマスタルがお茶を飲みながらそんなことを言い出した。
「お前GA●KTだろ。勉強をしろ」
「学徒のほうです。今は学生っていわれることの方が多いですよ」
「ソナノ?どっちでもイイヤ。あれだ、出席日数ってやつ、あるだろ。学校に行け」
「あ」
すっかり美食を巡る旅を楽しみまくっていて忘れていたけれど、色々一般的な定義の学校とは違うけれど、流石に休みすぎるのは駄目だろう。旅行ついでに呪霊もぶん殴っているので事後報告ではあるが報告も入れているし、倒した分だけちゃんと残高が増えていたので気にしていなかったが、確かに一応は学校なのでずっと留守という訳にもいかなかった。出席日数に関しては、各々任務があるためゆるゆる設定だけれども、それでも出なさすぎるのは不味い。
「次九州だろ?そしたらトウキョーまで遡上しながら帰れ。静岡寄るときは呼べ。マスタル桜エビ食べたい」
「鮭じゃないので遡上じゃなくって上京です。そうですね、九州を一周してから戻ります」
とはいえゆるゆるなので、マスタルも夏油ものんびりルートに異存はなかった。どうせ追試なりなんなりを後からすればオーケー程度の一般教養なので、それくらいなら余裕だった。
そんなこんなで九州を思いっきり堪能した後、主に太平洋側を通りつつたまに内陸部に浮気しつつ東京へ戻る途中、辺鄙な地図にもない村へ寄った。そこは幼女(本物)を閉じ込めているクソヤバイカレポンチしかおらん、出来れば親戚とかに居て欲しくないタイプの住民しか居なかったので、極力関わり合いを持ちたくなかったが、目的の呪霊がいたのもここだった。
幼女だけなんとかしてトンズラする気でいたのに、目標がここにいる。エンゲージしてしまった。向こうもロックオンしてる。思いっきり目が合った。ここで会ったが百年目と言わんばかりに、夏油はさっさといただきますをした。とてもまずい。とてもカレーが恋しい。旅の途中であちこちカレーも食べたが、呉の海軍カレーは大層美味しかった。はやく寮に戻って経験を活かしたい。
なのでマスタルに頼んだ。もう頼ることに遠慮というものがない。相手は動く国家権力というかひとり国際勢力である。正義の鉄槌ならば無茶ぶりに振り回されている日本の偉い人たちだって無碍にはしない。というか、無碍に出来たら陸自からヘリを動かしたりしない。
村民は幼女二名を虐待出来ても国家には無力で、あっさりお縄につきつつ、ネタ切れの激しい怪異現象を特集している雑誌に、村ぐるみで幼女を監禁して宇宙と交信を行っていたヤッベェ新興宗教っぽいナニカに仕立て上げられた状態で記事にされた。たぶんマスタルのせい。あいつが面白おかしく尾ひれ付けまくって語ったに違いない。夏油は編集から金一封として図書カードを貰った。図書カードはその後、調味料大全というマイナーな本の資金に化けた。
そんな夏油だが、幼女たちにここから出て自分のところに来るよう言ったとき、とんでもねぇことになっていた。
「ここから出て一緒に行こう。美味しいカレーもあるよ」
ここまでは誰にとっても通常運転である。だが相手が悪かった。相手は小さな女の子たちだった。敗因はそれである。
「カレー?あまいやつ?」
「王子さまのやつ?」
「甘口は……挑戦したことがないな。だけど、頑張って作るよ」
「「わぁ!カレーの王子様だ!」」
「王子じゃなくって、夏油傑っていうんだ。王子じゃなくって」
どちらかといえば限りなく王子っぽい出自なのはマスタルのほうである。外見は寸借詐欺を繰り返していそうな怪しい風貌だが、マスタルはれっきとしたハイ・カーストの家長である。あと夏油の親友もカテゴリ的にはそれに近い。彼は風貌も王子枠だが、性格が魔王枠である。
「「カレーの
「あれ?伝わった?伝わってない?」
こうして夏油と連れてこられた双子は東京校へと向かった。
仕事はしてても無断欠席には違いなかったので、担任からは拳骨を頂いたが、無風状態で調合された完璧なスパイスでの甘口カレーは幼女三名に大変好評であった。
なおここで幼女が増えているのには、もはや誰もつっこまなかった。夏油の作った甘口カレーは舌の肥えた五条も満足する出来であったし、彼は甘いものが得意だったので。
なお、忍者ネタに飽いた東京校の面子は、すっかりスレイヤーのことも抜け忍の事も忘れ去っていたが、遅れてやってきた噂により、呪詛師の面々には『東京に忍者がいるが里を抜けたせいで、五条悟が忍殺しを請け負うことになった』という合ってない話が事実として流布された。
呪詛師の面々は混乱したが、訂正を入れてくれる親切な人間は居なかった。入れても入れなくても大した問題ではなかったので。