平戸ちゃんのお話   作:伊村ハク@駄文存在

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第一章
          01-1.「ゆめとうつつ」 前編


 

 

 声が、聞こえる。

名前を呼び交わし、励ましあい、共に困難を成し遂げんとする意識に満ち溢れた、力強い響き。

 

光の差し込む上方から聞こえるそれは、

何処(どこ)か奥底で眠る心を呼び覚ますかのように海底に木霊(こだま)し、自分では存在するかの認識もおぼつかない身体の中へと染み渡ってくる。

 

薄暗い海中にたゆたうように、まだ幼く、小さな少女の白い裸身が浮かんでいた。

憧れへと救いを求めるように体を起こし、手を伸ばす。

私も、あそこで…。

 

 ふと、何かに引き留められるような引力を感じ、足元を見下ろす。

白く透き通るような陰りのない裸身に、

闇に呑まれた海底から延びる何本もの黒く細い腕が絡みついていた。

 

 特に驚きは感じない。

あるのは、当然のことであるという諦観(ていかん)と残り香のような名残惜しさ。

私はあそこへは行けない。

何も耳にしなかったかのように心を閉じ、再び体を丸める。

 

…平戸。

 

もう長いこと意識すらしなかったその名を呼ばれる。

先を見通すことすら困難な漆黒の海底に横たわる、見る影もない残骸から。

 

平戸…、平戸。

 

どこか懐かしさを感じるその声に、閉じかけた目をうっすらと開き、耳を傾ける。

 

平戸…。私は、お前に……。

 

その瞬間。目の前でまばゆい程の光が弾け…。

 

「!!!!っ」

 

 ベットの上で小さく叫び声をあげて、

平戸が身を起こしたそこは艦娘居住室の見慣れた五人部屋だった。

 

寝汗がひどい。

 

早朝の薄暗い室内で動悸(どうき)を落ち着かせようと胸に手をやり、外から聞こえる早起きの小鳥の鳴き声に身をゆだね一息つくと、なんともなしに部屋の天井を見上げる。

 

眼鏡をかけたままの目に映るその天井は、今はひどく空虚に思えた。

 

 

 

 

 

「…でありますから、連絡事…につきま…キィン√ては各講義室キィン√掲示物…確認を徹…キィン√していただ…たく…。」

 

 壇上に立った当番の艦娘が、接触が悪くぶつぶつと声が途切れがちで、しかもキンキンとむやみにハウリングする拡声器を片手に、手元の周知用の文書を読み上げる。

 

まだだ。まだ十分に理解可能である。

弱小鎮守府の財政事情ゆえ、たとえ耳障りな雑音が多く話の内容の把握に幾分(いくぶん)、脳内補正の必要なメガホンだろうと、使用できる機器をそうそう廃棄処分にはできないのだ。

 

 ここは、規模はそれ程ではないが、湾内を強い波に洗われる事無く水深も深い良港を(よう)する海軍基地。その正門に直結するロータリーと庭園の植樹に囲まれた三階建ての鉄骨コンクリート造。それがこの鎮守府の顔ともいえる鎮守府本棟である。

 

全体的な形状がL字型をした鎮守府本棟の裏側に位置し、本棟正面を構成する西館と、その西館に直角につながる北館にちょうど囲まれる感じで、

ローラーで土を押し固めただけの様な凹凸の目立つ小ぢんまりとした運動場が設けられていた。

 

 朝礼は夜間海上警備に出払っている者と休日の者を除き、戦闘に従事する主要な人員が一堂に会する場でもあるのだが、人数はそれほど多くはない。

総勢三十人程。運動場に集い、特に列を作らず思い思いの場所で壇上の当番が読み上げる連絡事項に耳を傾けている。

 

 皆、年ごろのうら若い娘のような容姿をしているが人間ではない。

「艦娘」と呼ばれる特殊な出自(しゅつじ)を持つ存在である。

「深海棲艦」と呼ばれる、世界各地の海域に出没する人類に対して敵対的な怪物の退治をその主な生業としている。

 

艦娘は過去に存在した船舶をその発祥(はっしょう)とし、古来より船舶には人間の女性が投影されることが多かった。

(ゆえ)に、艦娘は人間が自然界から見いだした女性という概念を継承しているため、こういった見た目と振る舞いが維持されているらしい。

 

この艦娘たちが拠点としている港やそれに付随(ふずい)する各種施設の集まりが、特に「鎮守府」と呼称されていた。ここもそのうちの一ヶ所である。

いささか古めかしい呼ばれ方だが、最初の艦娘がそう呼ぶことを好み、そのほかの艦娘たちもそう呼ぶ事がしっくりくるので、人間の側でもそれが通例となったようだ。

 

貧相な運動場に不釣り合いな程、建築物の造りがしっかりとしているのは、なにげにこの鎮守府が、艦娘のシステムが構築された最初期に建設されたオリジナルモデルのようなものであるからだったりする。

 

ただし、由緒正しいからといって懐具合(ふところぐあい)もそれに見合ったものかというと、必ずしもそうとは言い切れないのだから、この世はなかなかままならない。

 

 冬場のこの時間は外は真っ暗で、水銀灯の明かりの助けが必要なのだが、今は初夏という事もあり、空が白み始めて、いかにもすがすがしい朝、といった趣だ。

夜番の艦娘たちはまだ海上に居て、この場には顔を見せていない。普段通りならば午前七時頃帰港して、くたくたなので、本棟へ戻る前にさすがにそのまま温浴場へと直行である。

 

「温浴場」は深海棲艦との戦闘で心身に傷を負い、不安定化した艦娘の形態を効率よく修復する為の専用施設で、内部はその名の通り広々とした浴場の様なつくりをしており、

損傷の度合いに応じて必要な時間、薬液の混じる湯の張られた温かい湯船にゆったりと身体をひたす事で効果を発揮する。

 

あとは心地よい回復の感覚に身をゆだねつつ、適宜(てきぎ)、本棟の居住室で睡眠をとればよい。

それと合わせて技術棟の計測室から封印庫の艤装(ぎそう)の内部データを再調整してもらうだけで、機械のように受動的で煩雑(はんざつ)なメンテナンスを受けずとも、大抵の場合、一夜のうちに疲労は万全の態勢まで回復出来てしまう。

 

この生物的な身軽さが艦娘の利点でもあり同時に精神的な疲労を持つという欠点ともなる。

 

 鎮守府の雑務をこなす専門系の管理職員と共に朝礼台の横に立って運動場に向き合い、ざっと見渡すと、早朝という事もあり、まだ寝ぼけているのか、寝足りないのか。口から出かかるあくびを必死に噛み殺そうとする不届き者がちらほらと見受けられる。

提督の立場上表立っては言えないが、もはや見慣れた微笑ましい光景である。

 

 鎮守府の最高責任者が、「提督」だ。

年のころは40代半ば、髪の毛に白髪も交じり始め、そろそろ初老といった年齢である。

ただ、年齢に比して全体的な印象はかなり若々しい。

 

この提督の特徴を一言で言い表すならば、“山のよう”な体格だ。

そのせいでどこにいても、遠くからでも一目で見分けられてしまう。

 

一度ばかり試しに、自分のトレードマークは何かを聞いてみたところ、どの艦娘からも「背が高い」、「ごつい」、「とにかくでかい」、そういった系統の答えばかりが返ってきて、

幼少の時分(じぶん)、久しぶりに会った親戚のみよちゃんに、夕暮れ(どき)の薄暗い室内で「鬼がいる」と泣かれてからというもの、体の大きさがコンプレックスになっていた提督はしばらく立ち直れなかった。

 

結構、フランクな風潮の鎮守府である。そんな中。

 

…平戸はいつもと変わらないな。

 

自分の(かたわ)らに並んで佇み、にこにこと静かに微笑む平戸の“目の下の(くま)”を見遣って提督はふと、そんなことを思う。

 

 海防艦、「平戸」。

ベースとなった艦船に由来するのだろう。艦娘の中でも際立って背が低く、外見は10歳前後の少女、といった所であろうか。

 

セーラーのトップスに、身体のラインがはっきりと出るやわらかなシルエットのアコ-ディオンプリーツスカートを合わせたしっとりとした身なりをしている。

屈折の大きな度の強い眼鏡を常に顔につけているので、相当な近眼であることが窺える。

かすかに青味がかった肩までくらいの短めの銀髪を、サイドでざっくりと三つ編みにしてハーフアップでまとめているのが可愛らしい。

後頭部の、少しかしこまった感じの”黒い”リボンが印象的だ。

 

 提督の秘書艦は「初風」である。

今も提督を挟んで平戸とは反対側の隣に並んで立ち、さも退屈そうに足のつま先とくるぶしをすり合わせている。

背丈や体格は人間の少女で言えば、初等部高学年から中等部くらい。

この鎮守府で大勢(たいせい)を占める駆逐艦の艦娘の一人だ。

 

淡い水色をした、癖のないストレートの髪の毛と前髪ぱっつんが目を引く。

ただ、せっかく髪質はいいのに手入れが雑なせいか、毛先にいくにしたがって方々がぴんぴんと跳ね上がってしまっていた。

役職柄、事務員風のしっかりとしたつくりの制服を身にまとってはいるものの大抵どこかしらが着崩れており、初風に言わせると今時のそういうファッションらしい。

真偽の程はいまいち定かではないが。

 

 提督や艦娘たちの活動が円滑に進むためには、事務、整備、教育等の専門的な分野の職員たちの補佐が不可欠だ。

「秘書艦」とは、執務室の提督の下に常に待機して提督の意向を把握し、その意向に沿って各分野の専門の職員たちを取りまとめる、重要な立場の艦娘である。

例外として、本棟とは独立して存在する「技術棟」があり、こちらは本営、すなわち総司令部の

直轄(ちょっかつ)となる。

 

秘書艦ではない平戸が提督のそばに立つ必要性は薄いのだが、本人曰く、この場所に居ないと気持ちが落ち着かないのだそうだ。

とくにやめさせるいわれもなく、そうした方がいいようにも感じたので好きなようにさせていた。

 

実際の仕事の方でも、元々初風の仕事が結構大雑把だった事もあり、気を利かせた平戸が至らない部分を手際よくこなしてしまうので、今では秘書艦本人がすっかり裏方のような扱いになってしまっている。

当の初風は仕事が楽になったと能天気に喜んでいるので、何も問題はない…(はず)である。

 

朝礼も終盤、壇上では申し訳程度に朝刊の社説のピックアップなどを読み上げている。

 

…とりあえず初風、お前はもうちょっと真面目(まじめ)に仕事をすべきだと思う。

 

つま先で地面に“の”の字を書き始め、頭の中がもはや、“退屈”の文字でいっぱいになっていそうな初風に、心の中で突っ込みを入れる提督であった。

 

 朝礼が終わると昼番の艦娘は交代の為出港し、残った皆は“設備点検”だ。

聞こえはいいが、要するに掃除の時間である。

 

清掃のおばちゃんなんていないので自分たちが使ったものは自分たちできれいにする。

トイレも温浴場も例外ではない。講義室は当たり枠扱いなので、当番が回ってくるとなんとなく得した気分になれる。自室の清掃は余暇の時間に各自適宜に行うものとされていた。

 

提督と初風には執務の仕事があるので、平戸はここからしばらくの間は提督と離れて行動することになる。依存症、というわけではないので、割り当てられた1階廊下の窓拭きをてきぱきとこなしていく。

 

「家事万能は良妻賢母のあかし。立派なレディのたしなみよね。」

 

黒髪を少し長めに伸ばした駆逐艦娘が、平戸と一緒に硬く絞った雑巾で窓ガラスをこすりながらアカツキだかイカズチだかわからないような台詞(せりふ)を口にする。

まあ、短いスカートで窓枠をまたいで作業をしているあたり、まだまだ淑女(しゅくじょ)とは言いかねるところではあるのだが。

あかつき?の口ぶりが楽しそうなので、つられて平戸も自然と合いの手を入れる。

 

「窓枠を指でこすって、ここまだ汚れてるわよー、とか。」

「あはは、それは勘弁してもらいたいわねー。人間関係は円満が一番。家庭の不和なんて、ぽいぽいなんだから。」

 

なんとなく、掃除の手を止めて。

二人で窓の外の、徐々に光量を増すさわやかな初夏の青空を見上げる。

 

「そろそろ、暑くなってくるかな。」

「なってきそうですね…。あ、駆逐艦の皆さんは資材の配分量はどうです?ドラム缶やバケツはいきわたってますか?」

 

窓拭きを再開しながら、こんな時でも“本業”のことは忘れない平戸である。

 

「んー、大丈夫、じゃないかな。はっきりとはわかんないけど。やりくりに苦労してる子もいないみたいだし。この鎮守府の節約志向は今に始まったことじゃないしね。」

「なんだか、ご不便おかけして…。」

「ちがう、ちがう。ストレスは感じていないってこと。みんな執務の采配には感謝してるんだから。提督にも、平戸ちゃんにも、…あとついでに初風にも。」

 

ボソッと漏らした最後の方がよく聞き取れなかったが。

なんだかちょっとうれしくなって、平戸はいつにもまして掃除に身が入ってしまった。

 

 

次回、「ゆめとうつつ」後編。

典型的な主人公補正。

 

 

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