【ご注意】
この二次創作の設定は独自のものであり、
原作とは大きく異なります。
/ 思い出の積み重ね。/
/ 夕日に染まる大地と赤とんぼ。初めて着た浴衣と秋祭りの裸電球。
皆と一緒にキラキラでいっぱいにしたもみの木。梅雨の雨に揺れるてるてる坊主。
田舎の露天風呂でおしゃべりしながら眺めた天の川。
今ならわかる。どれも、大切な私の一部。
そして…。
目の前に広がる穏やかな海。そよ風に包まれた松林、
飾り気のないベンチの上で。人の確かな思いを受け取って。/
/ それまで朧げな自我を掴もうと、作られた感覚を懸命になぞるばかりだった私は。
あの時初めて、はっきりと生まれたんだよ? /
泊地沖北東部。
見慣れた沿岸の
本来はこの国の治安維持が及ぶ範囲内であってしかるべき海域。
今やここも深海棲艦の勢力圏へ、まともに飲み込まれてしまっており、
こうやってそろそろと静かに海上を進むことさえ命がけの行為といえる。
当然、国家の体制を維持するために必要な最小限の要素の、
首根っこを抑えられているも同然の状態である。
しかし、あの異形の者たちは、最後のとどめともいえる一撃を
少なくとも自発的には、決して人類に対して行使しようとはしない。
圧倒的な強者が、必死に抗う命をもてあそび愉悦に浸るかのように。
このままでは人類の文明は陸地に閉じ込められたまま、衰退の一途をたどることになる…。
「タイムラグを最小限に抑えるよう尽力はしたつもりだが、実際に操船する感覚とまでは
いかないのでそのつもりで。」
漁船に疑装した掃海艇の上で、エンジニアが整備中の小型駆逐艇を前に、
こんな所でも相も変わらず白衣姿の上司から説明を受ける。
船揚げ場でいなづまと話をしたあの後。
「駄目だ。この作戦の前線に人間を投入するわけにはいかない。」と、
こいつがしきりに煙たがるのも意に介さず、
体面をかなぐり捨てて死に物狂いで食い下がった結果。
敵要衝へ強襲を試みるいなづまに、
掃海艇の中から遠隔で小型駆逐艇を操り同行する許可を、なんとか得ることができた。
掃海艇船内の操舵室に併設された、プレハブのVR設備に足を踏み入れる。
いなずまは周辺の状況を確認しつつ、すでにある程度先行している状態だ。
薄暗い設備内。カーキ色の作業服の姿で前のめりになってシートに収まると
ディスプレイが作動し、
海面すれすれの光景が目の前に広がる。
散々使い慣れている通り、操作の仕方はほぼ自動二輪車のそれだ。
操縦桿を握り、前進、後進、その他もろもろの動作を確かめ、
操舵室の指示に従い海上へと漕ぎ出す。
しばらく海上を進むと。
曇り空の下、水平線の彼方まで続くだだっ広い海原にぽつんと、いなづまの背中が見えてくる。
俺の駆逐艇が追い付いたのに気付き、
いつものように艤装の機能を使って物質的な隔たりを無視し、声をかけてきた。
「今日もよろしくお願いいたします、なのです。提督。」
声色は普段通りだが、俺の耳には務めて気丈にふるまっているようにしか聞こえない。
返事をできずにいると、こちらの気持ちに負担をかけまいとするかのように
にっこりと笑って、見慣れた配置に就いていく。
せっかくこちらの艇にも、通信機に相当するものは備わっているのだ。
このような時、すかさず何か気の利いた言葉の一つもかけられれば良いのだが、
不甲斐のないことに、これが最後の会話になるかもしれないという己の思考を直視できず、
俺の口からは言葉が出てこなかった。
…また、仕留めそこなった。
俺は思わず歯噛みをする。
余裕の持てる状況では、さほど気にならなかったのだが。やはり船体の動きが鈍い。
思ったように反応できない。
いなづまが自分の健在を誇示して俺の駆逐艇のそばを勢いよく通り過ぎていき、
俺を安心させようとする。
始めのうちは緩やかだった敵の攻撃も、拠点に近い海域だけあって
次第に熾烈を極めていった。
遭遇した異形の者どもを退け、力を尽くして到達した新たな場所で目にする光景は、
望みの持てるようなものでは決してなく。
ともすれば頭に思い浮かぼうとする、いつものように二人で何事も無かったかのように
母港へと戻れるのではないかという、俺の甘い考えをいともたやすく掻き消していく。
たった二人、
それでも俺と並んで海上を疾走するいなづまは、いつにも増して挑みかかるように。
果敢に、次へ、次へと、海域の奥地へと突き進んでいく。
その姿に、母港での日常生活の合間合間に交わした、いなづまとの会話が自然に重なった。
周囲で着々と作戦の準備が進む中、
俺の方は、そうやすやすと諦められようはずもない。
いなずまと船揚げ場で話をしたあの日以降も、あれやこれやと画策し、
挙句の果てには、いなづまとこの基地を離れ二人で…などという、
平時の俺ならば、現実的ではないと一笑に付したであろう意見にまで言及したのだが、
肝心のいなづまの方が、いずれの提案にも頑として首を縦に振ろうとはしなかったのである。
俺が無謀な作戦の拒否のしかたを勧めた時、いなずまは言った。
「どうしても、分かってしまうのです。」
俺の守備をすり抜け、いなづまの至近距離に敵の砲撃が着弾して
その小さな姿が水煙の中に飲み込まれる…。
「二人だけの、今みたいな状況が長くもつはずがない。いずれ、立ち行かなくなる。
私が居る限り、提督の命は危険にさらされ続ける…。」
“プロトタイプ”の相手はお前にしか務まらない。
その言葉の意味が分かった。
起爆剤としての。人類にとっての、いなづまの存在意義は
俺と共に活動することで維持されるからだ。
海上に巻き上がった重い水壁を
いなづまが懸命にかき分け、姿を現す…。
「提督はあの場所で、心に残ったものは手放すなって、そう言ってましたよね?
私は、“あなた”を失いたくない。”離れ離れになる”のは嫌。絶対に。絶対に嫌!」
波をかき分け姿を現したいなづまが
隙を見せた敵艦に、機を逃さず一撃を見舞う…。
「誰のためでもない。私は、自分が生きるために必要なものを見失ったりはしない。
これは、私自身にしかできない決断。」
いなづまのように、個の意識が既存の概念を主な
形成されている存在は、
海上で慣れ親しんだものとの別離は避けられないことではあるが、
女性という普遍的な概念に記憶を紐付けされているため、
たとえ海の底へ戻ったとしても、女性という概念を人が忘れ去らない限り、
自我を構成する記憶は物質世界を離れることなく維持され続ける。
事前に説明を受け、それがわかっていても。
いなづまとの”別離”を、俺はどうしても人の死と同一の物事として認識してしまう。
いなづまがそれ相応の、肉体的、精神的な苦しみ受けるであろうことに変わりはないのだ。
だが、いなづまは。求められるままに、はいそうですかと、
自分の生きる目的を投げ出すつもりなど毛頭ないらしい。
彼女の目的はただ一つ。俺といなづまが寄り添い、共に生き続けること。
いなづまが海上に残れば俺の存在が失われ、
人類の文明と、俺の存在を保全しようとすればいなづまが失われる。
そもそも、あの時の製作責任者の言葉を信じるならば、
いなづまが海上で今の自らを維持できる時間は残り少ない。
”別離”と目的が真っ向から相反することになる絶望的な状況の中で、それでもなお、
いなづまは思考を停止させることなく目的にしがみつく。
そうして見いだした方策は…。
うなだれる俺の両頬を小さな両手で優しく支えながら。
俺と目を合わせ、彼女は、こう口にした。
「だからもし、提督がよければ…、提督には私から生まれる皆の。“もう一人の私”の
パパになってあげてほしいのです。」
いなづまと海底の怨嗟は、比喩ではない直接的な意味での同一の意識。
個々の船舶の記憶によって
自らの持つそういった特性の利用を、いなづまは思いついたのだ。
海底の怨嗟は、怒りや憎しみ、悲しみで満たされた多くの意識の集合体であり、
再統合後、怨嗟の中にあっていなづまという個の顕在化は
かなりの集中力が必要とされ、必ずしも、明確にとはいかないはずだ。
それでも、
紛れもない先駆者であり、”迷路”の中を手探りで進むようなものであっても、
再構成後の顕在化を可能とするだけの強い意志さえあれば。
怨嗟からの”
人類への好意を受け継ぎ分化した存在を介して、
いなづまは再び、この母港へと戻ってくることができる。
もし。このような行為を、命に限りのある人間がまねをしようとすれば。
極端な自己犠牲の思考へと陥り、自分の生きる目的など跡形もなく消えうせてしまう。
いなづまのような、
極限の離れ業である。
実証に乏しく、大きな賭けではある。
しかし、単なる衝動ではない。言葉の
いなづまにとって、これは“始まり”にしか過ぎない。
たった一つの、”出口”を目指して。
いなづまの髪を纏めていた後頭部の髪飾りが吹き飛び、
腰までの長い髪の毛が爆風に晒される…。
いなづまの艤装を砲弾が直撃し煙突部が宙高く舞い上がる…。
その腕の、足の装備が損傷し、いなづまの体に傷を覗かせながら粉々になっていく…。
そのどれにも俺は満足に対応できない。
耐えきれず。苦痛に涙を流し嗚咽しながら、ぼろぼろの姿に変わっていくいなづまを、
そうなることのない環境下に置くことができない。
やめてくれ…なんなんだこれは!単なる嬲り殺しじゃないか!
俺は湧き上がる怒りに任せて、もはや技術もへったくれもなく、
闇雲に上位クラスの軽巡洋艦を一隻撃破するものの、
勢いを削ぐどころか敵艦はさらに数を増し、
いなずまと、そのそばに寄り添う俺の駆逐艇を取り囲む。
…本来、このような手法は取るべきではない。
いなづまのような極限の境遇を、推奨などしない。
いなづまが直面している状況のように、自らの自律した本分を果たせなくなりそうな程の
極限状態が生じる事こそが、道の誤りの発現と言えるのではないだろうか。(注2)(注3)
たとえ現在の世界の
少なくとも。
いなづまの様な極限状態を極力、新たに生じさせぬよう。
人それぞれが自らの自律した本分をたがえないことで、その結果として、お互いに
多種多様な他者の力を借りあって、あらかじめ対処を行うことが。人にはできるはずなのだ。
だが今の俺には、
それを胸を張って言うことができない。自信を持って自分の情動を律することができない。
”あの戦場”で俺が体現したのは、
自らが極限状態を拡大させるという、それとは真逆の事柄なのだから。
そして今また、”あの時”と同じように。俺が大切に思う存在が
俺を要因のひとつとして目の前から失われようとしている。
唐突に。空から。無数の閃光が降り注ぎ。
爆音と爆煙が収まってみると何かの気の迷いであろうか。
その時、海上は異様なくらいに静まり返って見えた。
視野が
操縦席のディスプレイを埋め尽くす警告表示に見合わず、
警告音の響きよりも自分の息遣いの方がやけに大きく聞こえる。
激しい炎に彩られた明るく、静かな海面の上にたった一つ佇む。
いなずまの細く、小柄な体のみが驚くほどはっきりと目に映った。
無事だったと、不思議なくらいに何の疑いもなくそう思ってしまう。
同時に、そんな事は無いという確信が、いやというほどに頭の中では理解できてしまう。
それを裏付けるかのように、不意に気付いた。
…沈んでゆく。
海水が両足の膝を越え、いなずまの体を飲み込んでいく。
「…逝かないでくれ。頼む。」
力の限りに絞り出すことで、やっと、小さくかすれ声が出る。
俺の呼びかけに応えるかのように。
いなづまは。
あらゆるものを焼き尽くさんとする猛火が、見渡す限り一面に広がる海原の只中で。
乱れた長い髪が纏わり付き、目から流れ出した涙と
それでもなお、穏やかな微笑みをそこに浮かべて。
きっと、見ているであろう俺の方を、
確かめるように首をかしげながら静かに振り向くと。
その口が、短くひとつの”言葉”を紡ぎ出した。
それが、最後だった。
たまらずに船内を飛び出す。鋭く名前を呼ばれたような気もするが意に介さない。
船の欄干に手をつき伸びあがって、見えるはずもない水平線の向こうの姿へと目を凝らす。
その時にはもうある程度、覚悟はできていたのかもしれない。
叫び声も、嗚咽も、俺の口からは漏れてはこなかった。
《 無謀な行為を制止するために彼の後を追ってきた掃海艇の人間たちは。
船首に立ち尽くして、いつまでも、いつまでも海のかなたを
かける言葉もなく、
ただ傍観する事しかできなかったのである。》
《…夏も盛りを過ぎ、季節は、二人の出会いから何度目かの秋を迎えようとしていた。》
あれから数年。
以前の職場へと戻り、菜園の畑で農作物の世話をしていた俺は、
圃場のそばの細道に静かに停止した
一見どこででも見かけるような外見の、白いワゴン車に気付いた。
扉が開き、中から一人の細身の女性が表へと姿を現す。
あの背の高さはどこにいても、遠くからでも誰だか見分けがつく。
彼女はそばに、一人の小柄な少女を伴っていた。
その子は、俺が昔よく知っていたあの子の面影を強く残している。
そうか…頑張ったんだな、いなづま…。
自然と、そんな言葉が俺の頭の中に思い浮かぶ。
俺はこれから、いなづまが最後に贈ってくれた”答え”を使って、
”少女たち”のために尽力することになるのだろう。
女科学者は少女と共に俺の方に向かって歩みを進めてくる。
きっと、俺に声をかけられたその少女は
俺の言葉を理解できず、怪訝そうな顔をするだろう。
だが、俺が声をかける第一声は、既に決まっている。
畑の外まで出て二人を出迎え、
目の前で足を止め、初対面の俺をきょとんとした顔で見上げる少女に向かって。
はたして耳に届いているか、こちらからは確認のしようもないが。
まだ名も知らぬこの子の中のいなづまにも、聞こえているであろうことを願いつつ。
俺は、挨拶の言葉をかけた。
「お帰り。」
次回、「氷山」
ニアミス。
(注1)この二次創作においては、艦娘は「死ぬことはありません」。
作中の提督は轟沈による別離を死と認識してしまっていますが。
それはあくまで、この二次創作の人間側の主人公として必要とされる特性であり、
(03-1.冒頭、06.平戸ちゃんの言動に対する反応、09.いなづまについての認識など。)
重要な要素なので、繰り返しますが、
この二次創作においては、艦娘は「死ぬことはありません」。
大事な事なので二度(以下略)。
(轟沈の解釈については10-2.「作戦会議」中編の真ん中あたりをご覧ください。)
(注2) 自律=他からの支配・制約などを受けずに、
自分自身で立てた規範に従って行動すること。
デジタル大辞泉(小学館)より引用。
(注3) 本分=人が本来尽くすべきつとめ。
デジタル大辞泉(小学館)より引用。