【インフォメーション】
ここからは扱いの難しい内容が増えてきますので、
改稿が多くなると思います。
鎮守府本棟の執務室で行われた戦果報告よりも、
時間をほんの少しだけ遡り。
「技術棟」の「計測室」。周囲で職員がいそがしく働く中、その部屋の一画で、
ディスプレイに出力された生体記録を確認しながら、
机の横に立ち、
椅子に座る眼鏡をかけた若い研究員が、記録の細部の検討を行っていた。
女科学者は大規模作戦後の対応に追われる中、平戸の負傷を耳にし、
何とか時間を工面してこの場へと駆け付けたのだ。
ひとしきり意見の交換を行った後、若い方が結論づけるように口にした。
「
眼鏡の研究員の言葉に、白衣の女は画面から目を離さぬまま返答する。
「
「しかし。新たに生成されたこの情報伝達回路は、大きな危険性をはらんでいます。他に波及
する前に、しかるべき処置を行った方が適切かと。」
重ねて、そう勧められた女科学者はしばらく無言で考えた後、身を起こし、
「そこまで
そう言って、机のそばを離れていく。
残された眼鏡の研究員は、しばらく不満げに画面を見つめた後、溜息をひとつつき、
気持ちを切り替えて次の仕事にとりかかった。
数日後。
提督は見慣れた鎮守府本棟の廊下を、目的に向かって
歩みを進めていた。
途中、声をかけてきた艦娘や人間の職員が何人かいたが、提督の
普段とは異なる何かを感じたのか、
皆一様に開きかけた口を閉じて、その後ろ姿を見送るのみである。
提督の方も、ほとんど無意識のうちに軽く挨拶するにとどまっていた。
「平戸は、あの子は沈む気だったぞ。…自分から望んでな。」
白衣の女科学者のその言葉が、提督の頭の中に付き纏って離れなかった。
提督は自分の事を、極限状態に置かれているありとあらゆるすべての者の
力になれる存在だと本気で思い込み、
その希望的観測に何の疑念も抱かず、他者に対する介入を試みるほど、傲慢ではない。
少なくとも。
生じた動機をそのまま物事の正確な判断基準と誤認してしまうことのないよう、
物事の認識のしかたに対する警戒を怠らぬようにせねばならない。
動機を持つことそれ自体が悪さをするわけではなく。
もちろん、動機、その中でも特に他者への共感は
絆、つまり、社会を形成する行動のきっかけとして必要不可欠な大切なものであり、
動機が存在し続けていなければ、当然、物事の実行は不可能だ。
”大雑把な手段”が、
他者のために良かれと思った行為が、
動機の扱い方を間違えて、かえって裏目に出ることも少なくない。
そういったことは極限状態下に置かれることで、顕著に起こり得る。
衝動的な生物の本能も含まれている以上、動機は、自律した本分と必ずしも一致しない。
平常時でさえ、物事が意図した通りに進まない事など、”ざら”なのだ。
平常時にはあまり接する機会のない、他者の極限の境遇へ対処するため、
自律した本分を、多かれ少なかれ逸脱する手段、すなわち、
自分にとって制御を行いにくい”大雑把な手段”を”実際に”行使しなくてはならないならば、
見て見ぬふりが事態の打開につながる行いとは思わないし、
助力を惜しむべきではないとも思うが。
他者のおかれている立場が危ういものであればあるほど、
そこへの介入が不本意な方向へと流れていきやすいこともまた事実。
大抵のことがそうだが実際に行ってみると、頭の中でイメージするほどには物事は
そうやすやすとは進まない物であることが、よくわかる。
他者に寄り添うということも、決して考えなしに成り立つことではないのだ。
言い換えるなら。
極限状態に置かれている他者と、かかわりあう中で、他者を極限状態から脱却させる
こと対する、時間的、精神的な余裕を失いそうになっても、
動機のような”大雑把な手段”だけで、十分な対処を行えた、あるいは、行えると思い込み、
安易に思考を停止させてしまったりせず、
その後も継続して、今かかわっている状況の中から、
自分以外の存在の持つ価値観を鵜呑みにせず、
”自分がどうするかについては自分自身の価値観で理解して”、
対処のための、より正確な行動基準を見つけだす思考に労力を惜しまないことこそが、
”声をかける勇気”といえる。
単に気分のおもむくままに、盲目的に行動することが勇気なのではない。
本人も分かってはいるようなのだが、平戸の提督にはどうしても
人間と艦娘を”同一視”してしまう所がある。
平戸の“生死にかかわる”今回の場合は、提督の自律した本分に抵触する物事でもあるため、
何としても解決の
人として思うところはあっても、
その気持ちだけをよりどころとする状態で、深入りのできるような境遇ではないし、
介入に際しても、極論の使用は可能な限り避けなければならない。(注3)
平戸はつい先日、体の傷の回復がようやく一段落し、
当人はすぐに仕事に復帰したがったのだが、提督が譲らず、今は静養中だ。
部屋の外を出歩けるようになったので、この時間帯は鎮守府本棟裏手の庭園で
ゆっくりとしているはずである。
ここに来る直前に、看護の職員にも平戸の所在の確認は取ってある。
探すまでもなく、すぐにその姿は見つかった。
背を伸ばしてベンチに行儀良く腰掛け、
木の枝にとまって
「あ、提督。」
提督に気付き、立ち上がろうとする平戸を手で制しつつ。
「座って良いか?」
「はい。」
自分の体の大きさに、少々、コンプレックスを感じている提督である。
平戸の隣に、威圧感を与えない程度に間隔を空けて腰を下ろす。
「…いい天気だな。」
「暖かさも、涼しさも、ちょうど良い感じで。思い切り深呼吸すると心地がいいです。」
…本当に、良い天気だな。
並んで座っている平戸が、眼鏡越しに提督を見上げて声をかけてくる。
「何か、込み入った話でも…?提督。」
言動の中の不自然さを早々に
やはり、
提督は回復後の平戸と、今日はじめて話をするというわけではない。
大規模作戦後の平戸がどのような気持ちでいるのか
昨日までのやりとりで、おおよその所は承知している。
提督の側からまとまった話をするのに、平戸の体調がある程度安定するのを
待っていた、ということもあるが。
「私の事でしたら、お気になさらず…。この通り、体の傷はすっかり良くなりましたし、
いつでも仕事に復帰できます。」
ようやく頭の中で、状況に合わせた思考がまとまり提督は口を開こうとしたが、
今度は、調子は万全であると
空回りばかりの提督とは全く関係なしに、
そよ風が木々の葉を楽しげに揺らし。
さらさらと涼しげな音を立てて庭園を通り過ぎていく。
「もしかしたら、何か、ご用命ですか?今の私でしたら、どんなことでもできるような
気がしますので。どんと来い、です。」
「その、何だ…。そこまで急を要する仕事があるわけではないのだが。
急ぎの用件でもあり…。」
やけにテンションの高そうな平戸に、すっかり会話の主導権を握られ
提督が言い澱む中、
平戸はうつむいて、考え込むように言葉を続ける。
「皆にもたくさん迷惑をかけてしまいましたし。本当に、何とお詫びしてよいのか
わからないくらい…。」
焦る気持ちもわかる。
平戸の気持ちの抑制が取り払われている感じがするのも、きっと焦りからくるものだろう。
実際は、平戸が懸念しているような周囲からの非難があるわけではなく、
むしろ、復帰を切望されているくらいなのだが。
「病み上がりなんだし、慌てるのは良くないぞ…?」
「体調といえば…。気候のおかげでしょうか。とても体が軽くなったような気がします。
どこにでも、思うままに遠くへ飛んでいけそう。」
提督は妙な違和感に取りつかれた。
違う。何かが、おかしい。
「ですから提督。これからはもう、私のことは心配なさらなくても大丈夫です。」
「ちょっと待て、平戸。」
髪を揺らして顔を上げ、どこか悲しげな、満面の笑顔を向けた平戸に。
このままだと手遅れになりそうな気がして、提督は平戸に制止の言葉を投げかける。
その途端、ひときわ強く風が通り過ぎ。
舞い上がった土埃に視界を遮られた提督が再び目を開けた時には、
ベンチに座っていたはずの平戸は、忽然とその姿を消していた。
目を閉じていたのは、ほんの数秒。
提督は驚き、ベンチから素早く立ち上がって平戸の姿を探す。
これは…。いったい、何が起こっている?
庭園でくつろぐ周囲の艦娘や職員たちの様子は、何事も無かったかのように
先程までのままだ。
幻でも見たのであろうか。
立ち尽くしたまま、思わず指で目頭をもむ。
体力的に無理をしているという自覚はないし、これはやはり、食生活を改善した方が…。
提督が戸惑っていると、庭園の入り口から近寄ってきたひとりの艦娘に
声をかけられた。如月だ。
「提督。少し、よろしいですか?」
周囲に気付かれないよう、あえてそうしているのか。
声色やそぶりは普段通りだが…。
その如月の顔には、
いつもの柔らかい微笑みは無く。焦りの色が浮かんでいた。
「平戸に、何かあったのか?」
提督がそう尋ねると、如月は少し驚いたように目を見開いた後、
黙ったまま頷く。
それ以上の説明は無用だ。
提督は如月に導かれるままに庭園を後にした。
如月は休日なのだが、普段通り制服を着用している。
立場上、艦娘たちから私的な相談を持ち掛けられることも多いので
スムーズに対応できるよう、その辺りへの配慮である。
目的の場所へと向かう道中、如月が提督に話した状況を要約すると
だいたい、こんな感じだ。
…今日も平戸の容態を確認した後、何かと用事をこじつけて
学科教習日の敷浪と一緒に昼食をとり、ちょうど廊下での別れ際に
如月のポケットの中の”受信機”が、マナーモ-ドで注意を即してきた。
如月が個人的に使用しているそれは、多数の測位衛星、基準局を介した
超広域高精度測位システムなのだが。
異常事態を訴えた受信機を確かめると、画面に正常に表示される複数のポインターの中に、
消息の途絶えた発信源が確かに一つだけみられる。
見間違えなのではと確認を続けると、消えていたはずの反応が今度は現れている。
どうやら、短い時間の間に消えたり現れたりを繰り返しているらしい。
しかも現れるたびに、対象の現在位置は前の位置と比べて
かなりの距離をスキップしている。
まっさきに発信機側の故障なのではと疑ったが、遠隔精査を試みても
オールグリーンである。
もし仮に。これが今現在実際に起こっている事態であるとすれば…。
「ありえない…。」
そのストーキングアイテムらしき機材は、いったい…。といった複雑な面持ちで
横からのぞき込む敷浪に手早く状況を説明し、
班員に事情を話して、いったん班行動から離脱した敷浪と共に
現場へと急行した、という次第である。
如月の言う、異常な動きを示したポインターの発信源は、平戸。
確定するのはまだ尚早だが、少なくとも庭園からいきなり姿を消したことと辻褄は合う。
結構な距離を二人とも小走りで移動し、
駆け付けた目的の場所には、敷浪が一人佇んでいた。
船揚げ場。明るい初夏の日差しがふりそそぐ、砂利コンで整地されたゆるやかな坂に、
この場に変わったことなど何も無いかのように、普段通り、静かに波が打ち寄せている。
二人に気付いた敷浪が、務めて冷静な動きで振り返る。
「御足労をおかけして申し訳ありません、提督。」
挨拶もそこそこに、提督は話の続きを促す。
「この位置で、あの子は”消えました”。」
初めに居た場所から動くことなく、敷浪は説明を始める。
「如月の情報をもとに後を
平戸の姿自体は、私も如月も、はっきりと確認しました。ですが…。」
敷浪が、どう説明したものかといった感じに言い澱む。
如月が言葉を受け継いで、先を続ける。
「私が声をかけようとしたんです。そうしたら、いきなりあの子の体が真っ黒な
もやもやに飲み込まれて…。気がついたら、平戸ちゃんはいなくなっていました。
変なもやもやと一緒に。」
敷波が如月の説明を補う。
「周辺の状況は確認済みです。平戸の姿も、異常も見られません…。沖で、訓練が
行われていますが。何らかの対応をすべきでしょうか…。」
「平戸の現在の所在は?」
提督が尋ねると敷浪は顔に少し苦しげな表情を表し、無言でゆっくりと首を振る。
艦娘には人間の持たない要素も多く存在するが。
はたして、空間跳躍じみた挙動が起こり得るものだろうか。
可能であるならば、跳躍する距離も問題になってくる。その
お手上げ状態に陥りかねない。
時間や、認識への介入が行われている可能性すらあるが。
そこまで考え出すとかえって身動きが取れなくなってくるので、
まずは対応できそうな部分から手をつけ、
やっかいな要素はとりあえず放っておくしかないだろう。
如月のGNSS
二人の話が嘘偽りであるとは、当然、思えなかった。
その話が、生じた事実ありのままであるとすれば。
平戸の安否が、気遣われる。
次回、「嘆きの塔」中編。
触手祭り開幕。(お待たせ?)
(注1)自律=13.の脚注参照。
(注2)本分=13.の脚注参照。
(注3)極論=極端な言い方や論じ方をすること。
また、そのような議論。極言。
デジタル大辞泉(小学館)より引用。
(筆者注:生きるか死ぬかの二者択一など、
広く一般的な見方においての極端な状況下に
あることを前提として、論者が着目している要素を
強調した言い方、論じ方、表現。)